サントリー1万人の第九
テンプレート:イベントインフォメーション テンプレート:Portal クラシック音楽 サントリー1万人の第九(サントリーいちまんにんのだいく)は、毎年12月の第1日曜日に大阪城ホールで行われてきている、一般公募により都度結成される合唱団をバックに控えてのベートーヴェン「第九」演奏をメインとする音楽興行。英語表記は「Suntory Presents Beethoven's 9th with a Cast of 10000」[1]。
目次
概要
1983年(昭和58年)に大阪城築城から400年を迎えることを記念すべく、その前年にあたる1982年(昭和57年)に設立したばかりの大阪21世紀協会(現「関西・大阪21世紀協会」)が中核事業として「大阪築城400年まつり」を企画。当該企画への参加催事の一つとして、また当該企画の目玉的存在とされた、大阪城青屋門真向かいの大阪砲兵工廠本館跡地に建設された大阪城国際文化スポーツホール(のちの大阪城ホール)のこけら落としの一環として企画されたことが発端となった。但し、当初は1回限りの単発イヴェントとして企画されている。
主にクラシック音楽を扱う音楽興行としては当時の常識では考えられないほどの巨大規模を誇っていたことに加え、合唱団メンバーの大半を「第九」合唱経験不問にて広く一般公募を行い集まった合唱参加者で占めていたこと、そして会場に居合わせた聴衆もまた合唱に加わったことから、クラシック音楽界はもとより社会的にも話題となった。
本興行の成功は、翌年以降の継続開催につながったことだけに止まらず、のちに東京に於ける「5000人の第九」そして広島に於ける「第九ひろしま」の企画・創始に何らかの影響を及ぼす等、一般公募にて結成される大規模な合唱団をバックにしての「第九」演奏を主たる演目に据えるタイプの音楽興行開催の端緒を開く役割をも果たし、更には日本国内に於いて既に定着していた「第九」ブームに一層輪をかけることとなった。
運営
第1回公演(1983年;昭和58年)から今日に至るまで、大阪に本拠を置く民間放送事業者の一つでTBS系列(JNN)に属する毎日放送(MBS)が主催し、同じく大阪を発祥の地とする洋酒・飲料水メーカー大手のサントリー(現:サントリーホールディングス)が単独で協賛するという形態を貫いてきている。そのため、現在ではイヴェントタイトルに「サントリー」の名が冠されているが、第8回公演(1990年;平成2年)までは、サントリーの歴代ウイスキーラインナップの中で、1980年代において「日本のウイスキー」の代名詞とまでいわれた「サントリーオールド」の名が冠されていた。
サントリーが今に至るまで単独での協賛を続けているのは、様々な文化活動に理解を示しているサントリーの企業風土もさることながら、創始当時サントリー社長だった佐治敬三自身の音楽に対する造詣の深さが大きなファクターとなっている。そのことを示すかのように佐治自身も亡くなるまで合唱団の一員として加わり、聴衆への歌唱指導の際にバリトン・ソロを披露することもあった。
東北会場の運営
2011年(平成23年)開催の第29回公演以降、同年東北地方を初めとする広い地域に襲来した東日本大震災からの復興祈願等を目的として、毎年東北地方との同時二元中継による公演催行が企画・継続されている[2]《「1万人の第九 with 東北」…詳しい経緯については「交流実績”国内”~東北との二元同時中継(1万人の第九 with 東北)」項を参照;東北を初めとする他地域との同時多元中継による公演催行企画に関する詳細は「交流実績”国内”~他地域との多元同時中継による公演催行」項を参照》。
この東北会場に於ける公演運営に関しては、後記にて示している通り、これまでのところ全て宮城県内の会場を使用して行われてきていることから、宮城県を放送対象地域とするTBS系列局・東北放送(TBC)と「1万人の第九」自体を企画・主催する前記MBSが共同で主催し、宮城県と同様に震災による被害が顕著な岩手・福島両県をそれぞれ放送対象地域とするTBS系列局、IBC岩手放送とテレビユー福島(TUF)が「特別協力」するという形態が採られており、更に「1万人の第九」自体を単独協賛しているサントリーHDが東北会場に関しても協賛社として関わっている[3]。
会場運用
大阪城ホール(主会場)
本興行のため大阪城ホールを使用するに際し、現在では公演期日の3~4日前より設営を開始している。続いて2~3日前に先ずオーケストラのみホール内に入れてのリハーサルを行い、公演前日にはオーケストラに加えて「第九」声楽パート(合唱団・ソリスト陣)をもホールに入れてのリハーサル(総合リハーサル)を実施、そして公演当日はゲネプロを経て本番へ───というスケジュールにて同ホールを運用してきている[4]。
ステージ設営に際しては、大阪城ホール運営サイドに於いて、コンサート等の各種興行に対応するため、大きく分けて3種類のステージパターンを提示している[5]。 本興行では、1983年(昭和58年)の創始以来2012年(平成24年)開催の第30回公演に至るまで、長辺方向の北側にステージを設える「ステージパターンA」に沿って設営してきたが、2013年(平成25年)開催の第31回公演では短辺方向の西側にステージを設える「ステージパターンB」に沿った設営方に変更している。
東北会場
前記、2011年(平成23年)開催の第29回公演以来別途設置されている東北会場に充当されてきている文化施設は以下の通り。
- 2011年(平成23年;第29回公演) … 宮城学院女子大学講堂《仙台市青葉区桜ヶ丘》
- 2012年(平成24年;第30回公演) … 名取市文化会館大ホール《宮城県名取市増田字柳田》
- 2013年(平成25年;第31回公演) … 仙台サンプラザホール《仙台市宮城野区榴岡》
上記の通り、初めて別途設置されてから2013年にかけて、全て「仙台市内または仙台市に隣接する市町村内」に所在する文化施設が使用されてきている。
会場内には、実際の公演に際し、中継回線接続元にあたる大阪の主会場に於ける模様を映し出すための大型ディスプレイがステージ上に設置される。
プログラム構成
プログラムは2部構成になっており、現在は概ね以下のような構成方となっている。
前半の第1部では呼び物にできる演目が組まれるが、これは当初の企画・立案段階において、イヴェントとして何か呼び物となるものが必要、と舞台演出スタッフから提案されたことによる[6]。
山本直純が指揮を務めていた頃には、第1部において、作曲家でもある山本自身が書いた合唱曲の新曲を発表することもあった。一例として、第2回公演(1984年)で発表され、第3・4・12各回公演でも演奏された『友よ、大阪の夜明けを見よう』(藤本義一作詞)が存在する。この作品は、第1回公演後に翌年以降の継続が決まった際、何か新しいものをと模索していたときに、大阪の歌を創ろうという声が主催者内部から上がったことがきっかけとなって誕生したものである[7]。
これに対し、佐渡裕が指揮を務めるようになってからは、初めて佐渡がタクトを執った第17回公演(1999年)を除いて、毎年著名なアーティストを1人(又は1組)ずつ招き、そのアーティストのレパートリーを中心に第1部を構成するようになってきている(山本指揮だった頃にも、公演回により、海外の合唱団などをゲストに招いて同様のことを行ったことがある)。
一方、後半の第2部では本興行のメインとして位置づけられているベートーヴェン「第九」演奏を中心に組まれている。過去の殆どの公演回に於いてはこの「第九」演奏と興行全体のフィナーレとしての『蛍の光』斉唱のみで構成されていたが、稀にこれら以外の演目が追加で組まれることもある《最近の例では、2013年(平成25年)開催の第31回公演に於いて、「第九」演奏の前にシラーの詩作品『歓喜に寄せて』の朗読が組まれていた》。
東北会場
2011年(平成23年)開催の第29回公演以降別途設置されてきている東北会場のプログラム構成上の位置付けとしては、基本的に大阪の主会場に従属する格好となっている。
前半の第1部ではライブ・ビューイング形式にて主会場に於ける第1部ゲスト出演者による楽曲演奏が場内に流されるほか、公演回によっては逆に東北会場ゲスト出演者による楽曲演奏を中継回線を通じて主会場に送り出している《この場合、主会場に於いてはライブ・ビューイング形式にて進行する》。そして後半の第2部では中継回線を通じて主会場に完全従属する格好で「第九」演奏などが行われるが、その際、混声合唱が演奏に加わる場面に於いては東北会場に別途配置された指揮者と合唱団が、ディスプレイに映し出されている主会場に於ける公演指揮者たる佐渡の指揮姿に合わせて演奏参加する。
なお東北会場に於ける公演第1部に関しては、毎回、東北会場ゲスト出演者による東北限定演目が、主会場に於ける公演第1部演目に前後する形で、組まれている。このため、公演回によっては、東北会場に於ける開演時刻が主会場のそれと比べて早く設定されることがある。
出演者(第2部;ソリスト陣を除く)
公演指揮者
指揮者名横のカッコ内表示は公式発表時の呼称。なお、初代指揮者の山本については、公演会場では「音楽監督・指揮」と呼ばれていた。
管弦楽
- 第1回(1983年) - 第19回(2001年):大阪フィルハーモニー交響楽団・関西フィルハーモニー管弦楽団・京都市交響楽団の3楽団混成
- 第20回(2002年) - 第25回(2007年):1万人の第九ユースオーケストラ
- 第26回(2008年) - 現在:1万人の第九オーケストラ
具体的な構成など詳細はオーケストラ構成(第2部)の項を参照のこと。
合唱
- 1万人の第九合唱団
公演回毎に一般公募で都度結成される混声合唱団に対し、2007年(平成19年)開催の第25回公演以降、上記の名称が付与されている《その前年開催の第24回公演までは「1万人の第九特別合唱団」という名称が付与されていた;合唱団結成の基となる公募方など詳細については、後記の合唱団員募集及びレッスンに関する各項目を参照》。
現在の合唱団人員規模は約1万人で、これは「第九」演奏に参加する合唱団としては日本最大級の人数規模となっている。尤も現在の人員規模になったのは第10回公演(1992年;平成4年)以降のことであり、それまでの人員規模は、第1回公演(1983年;昭和58年)では約6,500人、第2回公演(1984年;昭和59年)から第9回公演(1991年;平成3年)までは7千人程度で推移していた。
また第21回公演(2003年;平成15年)までは別枠で大阪フィルハーモニー合唱団も参加していたほか、ごく初期の公演回に於いては大阪音楽大学も別枠で合唱参加していた[8]。
東北合唱団(東北会場)
2011年(平成23年)開催の第29回公演より、前記の経緯から東北会場が別途設置され、中継回線を介して大阪の主会場(大阪城ホール)と同時進行で公演を催行するようになった。これに合わせて東北会場にも「第九」等演奏参加のための合唱団を別途配置することになり、特に震災による被害が顕著な岩手・宮城・福島の3県より合唱参加者を募り、結成させることとなった。この東北会場に別途配置される合唱団には”「1万人の第九」東北合唱団”という名称が付与されている。
その人員規模は、設置初年開催の第29回公演では約200名だったのが、その翌年・2012年(平成24年)に開催された第30回公演以降は約300名に拡大している。
「1万人の第九」東北合唱団は、公演当日の「第九」演奏等に於いて、ステージ上に設置された大型ディスプレイに映し出された主会場に於ける公演指揮者・佐渡裕の指揮姿等に合わせて演奏参加することになるのだが、その立ち位置から見れば背面にディスプレイが設置される格好となるため、実際の演奏参加に際しては主会場に於ける佐渡とは別に「副指揮者」を別途東北会場に配置し、ディスプレイに映し出された佐渡の指揮姿等をその場に居合わせた「1万人の第九」東北合唱団に向けて”指揮伝達”することになる。
この「1万人の第九」東北合唱団に対して主会場から送られてくる佐渡の指揮を”伝達”して演奏参加させ、且つ公演本番に向けて東北合唱団を纏め上げる役割を担う副指揮者として、2011年の東北会場設置初年から一貫して、佐渡などに指揮を師事してきているトランペッター上がりの指揮者で、兵庫県立芸術文化センター「佐渡裕プロデュースオペラ」に於いて合唱指揮や副指揮を務める等の経歴を有する矢澤定明[9]を招請している。
合唱団員募集について
募集全般
本イヴェントでは、現在、合唱団員募集に際して抽選により合唱出演の前提となるレッスン受講の可否を決定する”抽選制”が採られている。
具体的には、まず一定の応募受付期間を設定した上で合唱団員募集を実施、その期間内に受理された応募者の中から抽選を行い、レッスン受講生を選出する。
応募受付期間については、現在では6月1日(但し同日が土休日となる場合は6月最初の平日)より2週間少しの期間が設定される《第27回公演から。それまでは「6月最初の月曜日から2週間」に設定されていた》。
応募形態については個人参加と団体参加の2通り存在し、現在では何れの形態とも郵送或いはインターネット(パソコン又は携帯通信端末)の何れかの手段により応募が可能となっている《”インターネット応募”に関しては後記参照。以下同じ》。
応募手段のうち郵送応募については、イヴェント創始以来一貫して採られている手段であり、個人参加については往復ハガキにて、団体参加については封書(後記)にて、それぞれ行うことになっている《しかし現在では、主催者側に於いて、ネット接続環境を保有している場合はインターネットにより応募するよう呼びかけている》。
個人参加による応募では、親子や友達同士など小グループで同じレッスンクラスに於いて受講することを希望する場合、一括して応募することも可能であり、5人までの小グループであればインターネットによる一括応募も可能である《郵送にて応募する場合は、各人それぞれ「個人参加による応募」の要領に従って往復ハガキに必要事項を記入、最後に全員分の往復ハガキを取りまとめて封筒に入れて送付する》。
団体参加は、現在、20人以上100人以下の構成員を擁し、且つ混声四部合唱が可能な合唱団に対し、団体としての合唱参加応募が認められている。
合唱団員募集に”抽選制”が導入されるようになったのは第21回公演(2003年)以降のことで、それまでは募集開始後に主催者側に応募書類(往復ハガキ又は封書)が到着した順番に受理された《先着順受付;当時は郵送応募のみ》。
ところが第17回公演(1999年)に於いて、それまでの山本直純から佐渡裕に公演指揮者が交替すると、以前からの合唱出演経験者やこれから「第九」合唱に挑戦する初心者に加え、当時に於いても既に相当数に上っていた佐渡裕ファンもまた続々と合唱参加を申し込むようになり、応募受付開始から数日間で満員札止めになるという事象が示現するようになった。
中でも女声、特にアルト・パートに於いて顕著に現れ、応募受付開始当日のうちに満員札止めになってしまうことも珍しくなかった。
この事態に対して主催者側は、翌年開催の第21回公演に於いて”抽選制”を導入、併せて個人参加に限りインターネット応募も出来るようにした。
インターネット応募について
本イヴェントでは、少なくとも第17回公演から、インターネット上(毎日放送Webサイト内)に公式サイトを開設している《それまでは募集開始前後に近畿圏内で発行される全国紙(日経を除く)の紙上に掲載される募集広告により合唱団員募集を告知していた;但し新聞紙上への募集広告掲載自体は第27回公演(2009年)まで継続した》。
開設初期に於いては、合唱団員募集関係では合唱団員募集告知と応募状況公開(パート別・レッスンクラス別)にとどまっていたが、団員募集で”抽選制”に移行した第21回公演以降、公式サイトを利用してのインターネット応募受付を開始した《従前からの郵送応募受付も継続》。
当初は公式サイトに於いて直接応募受付していたが、対応が個人参加での応募に限定されていた。
第22回公演より個人参加扱いで応募可能な小グループでの一括応募にも対応するようになったものの、応募に際して以下に列挙する条件を全て満たしている必要があり、且つ応募手続きは代表者に於いて構成員全員について完結させなければならなかった[10]。
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上記要件のうち一つでも満たしていないケースに関しては、郵送応募としなければならなかった。
なお団体参加に関しては、従前通り郵送応募のみの対応とされた。
ところが、第28回公演(2010年)の終了後、翌年(2011年)の第29回公演に係る合唱団員募集開始に備えて、主催者側に於いて大幅なシステム改修を実施、従前からの公式サイトとは別に「1万人のフロイデ倶楽部」と呼称される会員サイトを新たに開設し、合唱団員募集に係る応募受付機能を公式サイトから移転させた[11]。
これに伴って、「1万人のフロイデ倶楽部」への会員登録を合唱参加応募の資格要件とするよう改められた[11]。
しかし実際には、「1万人の第九」公式サイト上に設置された応募ボタンを押下することにより「1万人のフロイデ倶楽部」トップページに遷移し、その後画面表示に従って必要事項入力などを順次行うことによって合唱参加応募手続きと「フロイデ倶楽部」会員登録が同時に完了出来るようシステム構築が為されている。
この大幅なシステム改修により、以下に挙げる場合であってもインターネット応募が出来るようになった[11]。
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加えて、以下に挙げる機能も新たに備えられた。
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ところで、このシステム改修に伴い、特に5人以下の小グループによる一括応募について、応募手順が以下のように変更となった。
先ず代表者が「1人で応募する場合」の手順に従って応募手続き(「フロイデ倶楽部」への会員登録)を済ませ、その後、以下に挙げる2つの方法のうちの何れかによって、残りの構成員の分についての応募手続きを完了させる。
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代表者が送付する招待メールを基に残りの構成員が各自応募手続きを済ませるという仕組みも用意されているあたり、新設された「1万人のフロイデ倶楽部」自体がSNS的なシステム構造になっていることを窺わせる。
団体参加での応募について
前記でも示しているように、現在は20名以上100名以下の構成員を擁し、且つ混声四部合唱が成立するコーラスグループを対象に、団体としての合唱参加応募を認めている。
団体としての応募は、第28回公演までは主催者側に於いて用意される所定の申込用紙を使用しての封書による郵送応募のみであったが、第29回公演からは、前記の通り、「1万人のフロイデ倶楽部」を通じてのインターネット応募が可能となった[11]。
団体参加が認められるコーラスグループの要件については、現在では前記の通り「20名以上100名以下の構成員を擁する混声四部合唱グループ」とされているが、第21回公演までは「参加メンバーが15人以上で合唱指導者のもと活動を行っていること」と、コーラスグループを組織している構成員の人数上限を定めていなかった上、グループ内で”混声四部合唱”が可能か否かも文言上問われていなかった。
また応募に際して主催者側に於いて申込用紙を用意するようになったのは第23回公演以降のことであり、それまでは募集要項に於いて記入要領等が示されるのみで、主催者側に於いて所定の申込用紙を準備するようなことは為されなかった[12]。
東北地方に於ける公募(「1万人の第九」東北合唱団)
前記でも触れているとおり、2011年(平成23年)開催の第29回公演以降、大阪の主会場(大阪城ホール)とは別に設置されている東北会場に於ける「第九」演奏参加等のため標記合唱団を別途配置しているが、この別途配置された合唱団の結成のため、前記でも触れているように、特に震災による被害が顕著だった岩手・宮城・福島の3県より一般公募を行っている。
この一般公募に於いて用意された応募手段は郵送応募(ハガキのみ)とインターネット応募の2つで、何れも希望するレッスン会場(エリア)が所在する県を放送対象地域とするTBS系列民放局宛に参加を申し込む[13]
そして、設定された応募期間内に寄せられた応募ハガキ並びにデータをとりまとめた上で抽選を行い、合唱参加者(レッスン受講者)を決定している[14]。応募期間は、2012年開催分については「6月1日~6月30日」、2013年(平成25年)開催分(第31回)については「8月9日~8月31日」と、それぞれ設定されていた[14][2]。
応募資格面では、大阪の主会場に詰める「1万人の第九合唱団」構成の基となる合唱参加者募集分(関西圏内並びに東京都内レッスン受講分)が「第九」合唱初心者も応募可となっているのに対し、「東北合唱団」構成の基となる前記東北3県に於ける合唱参加者募集分については「第九」合唱経験者のみ応募可となっている[14]。
レッスンについて
レッスン受講のこと
受講そして公演出演へ
前記で触れた合唱団員募集に応募し、抽選の結果当選となった応募者は、主催者側が用意した所定レッスン等の受講を経て、合唱団員として本イヴェント(公演)に出演することになる。
所定レッスン受講に至るまでの手順としては、まず応募時に於いて、募集要項の中で主催者側から示されたレッスンクラス一覧の中から受講を希望するレッスンクラス(後記)を申告、応募期間終了後に主催者に於いて抽選を行い、当選となった応募者には当選通知が送付されるが、そこには割り当てられたレッスンクラスの名称が記載されており、実際に受講を始める際には、当選通知等を携えて、割り当てられたレッスンクラスが会場として使用する施設に直接赴く《持参すべき物については当選通知に記載されている;現在では初めてレッスン会場に直接赴く前に参加料の支払いを済ませなければならない(詳細は「その他」項内に於ける”参加料など”項を参照)》。
応募時に於いて受講希望申告出来るクラスの数は、第28回公演までは「最大3クラスまで」だったが、レッスン会場として使用する施設の異動によりクラス数が増加した第29回公演(2011年)では「最大5クラスまで」に増やされた[15]。
そして、割り当てられたクラスに於いて開講される所定レッスンに一定回数以上出席し、且つ後述の「佐渡総監督レッスン」にも出席することにより、初めて公演への合唱出演権利を得ることが出来る《出演に際しては、本番前日に公演会場において行われる「総合リハーサル」への出席も併せて求められる》。
ここで「一定回数」とは、配属されたレッスンクラスにおいて組まれている全授業回数から「許容欠席回数」を差し引いた回数のことを指す《「許容欠席回数」については後記》。
なお、当選した応募者に対して送付される当選通知には、初めのところで「ご参加頂くことが決定しました」という文言が記載されているが、正確には所定レッスンの受講を許可したものに過ぎず、前記の要件を満たさない限り公演への合唱出演はできない。しかし、当選してレッスン受講許可を得ることは、公演への合唱出演を実現させるための大前提となっている。
所定レッスンにおける許容欠席回数
公演への合唱出演が許容される欠席回数のボーダーラインは主催者に於いて定められており、これを超えて欠席してしまうと公演への合唱出演が出来なくなる。
このボーダーラインは、初心者向け「12回クラス」と経験者向け「6回クラス」で異なっている《「12回クラス」・「6回クラス」については後記「レッスンクラスのこと」項を参照。以下同じ》。 現在のボーダーラインは、「12回クラス」で2回迄、「6回クラス」で1回限りと定められている《第25回公演(2007年)より;第24回公演(2006年)までは「12回クラス」で3回迄、「6回クラス」で2回迄となっていた》。
更に、第21回公演以降、遅刻・早退2回で欠席1回としてカウントするという規定も追加されている。
団体参加への対応
団体参加に関しても主催者が用意する所定レッスンへの出席を原則としているが、一定の要件を満たせば「佐渡総監督レッスン」(後記)を除く所定レッスンへの出席を省略することが可能となる。
なお第20回公演までは、一定人数以上の構成員を抱える合唱団体および遠隔地で活動している合唱団体を対象に、主催者側にて合唱指導者を手配し派遣する「出張レッスン」の制度も別途用意されていた。
レッスンクラスのこと
レッスンクラスの設置
主催者側に於いて用意する所定レッスンを実施するため設置されるレッスンクラスは、初心者向けの「12回クラス」と経験者向けの「6回クラス」の2つのカテゴリに分かれて設けられ、2014年(第32回公演)現在、大阪市内を初め、大阪府下(東大阪市)、兵庫、京都、滋賀、和歌山、愛知、東京の各都府県に両カテゴリ合わせて37クラスが設置されている[16]。
このうち、大阪市内と兵庫・東京両都県内に「12回」・「6回」両カテゴリ各々のクラスが設置されており、残る大阪府下(大阪市内除く)・京都・滋賀・和歌山・愛知の各府県内には「12回」カテゴリのクラスのみ設置されている[16]。
”経験者”の定義
「6回クラス」の受講対象者として定められている”(第九)経験者”について、主催者側では、第27回公演(2009年)以降、”「サントリー1万人の第九」3回以上経験レベル”と定義している[17]。
この主催者側による”経験者”の定義づけに関しては、第23回公演までは”『第九』合唱経験者が対象”、第24回公演から第26回公演までは”『第九』合唱経験が豊富な方が対象”というふうに曖昧な表記方が為されるのみだった。
なお、合唱団員応募に際し、本興行に於ける過去合唱出演回数及び本興行を含めた「第九」演奏会の類への過去合唱出演回数総計の申告が必須となっている。
レッスン会場使用施設
現用施設(2014年現在)
- 大阪市内所在施設
- サンケイホールブリーゼ《ブリーゼタワー7・8階》
- 大阪倶楽部4階ホール
- エル・シアター《エル・おおさか(大阪府立労働センター)2階》
- クレオ大阪東ホール
- アネックスパル法円坂
- パレストラ(5階)
- なにわのみやホール(7階)
- 大阪市外所在施設
- 東大阪市立文化会館《大阪府東大阪市》
- 西宮市プレラホール《兵庫県西宮市》
- 神戸朝日ホール《神戸市中央区》
- 京都教育文化センター《京都市左京区》
- 大津市立膳所公民館《滋賀県大津市》
- 和歌山市立男女共生推進センター《和歌山県和歌山市》
- 長円寺会館《名古屋市中区》
- 浜離宮朝日ホール《東京都中央区》
- もみじ山文化センター(なかのZERO)・小ホール《東京都中野区》
- ドイツ文化会館ホール(OAGホール)《東京都港区》
過去の使用施設
- 梅田玉姫会館《大阪市北区》
- 毎日大阪会館南館ホール《大阪市北区;1999年(平成11年)迄に閉館。その後取り壊し》
- 梅田東学習ルーム体育館《大阪市北区;2011年3月閉鎖[18]》
- クレオ大阪西ホール《大阪市此花区》
- オーバルホール《大阪市北区;毎日新聞大阪本社ビル地下1階》
- シーガルホール(神戸文化ホール・小ホール)《神戸市中央区;2005年(平成17年)3月末にて閉鎖》
- 兵庫県民小劇場《神戸市中央区;2009年(平成21年)3月末にて閉場[19]》
- 兵庫県民会館9階・けんみんホール《神戸市中央区》
- 毎日ホール《東京都千代田区=パレスサイドビルB1階》・・・ほか
レッスンクラス設置の歩み
本興行に於ける合唱参加者向けに設置されるレッスンクラスは、1983年(昭和58年)の創始時に大阪・京都・兵庫・奈良の各府県内に設置されたところから始まり、第3回公演が行われた1985年(昭和60年)には大阪設置クラスについてのみ初心者向け(初心者クラス)と経験者向け(経験者クラス)に分けて設置されるようになる[20][8]。その後、和歌山・滋賀両県内にもレッスンクラスが1つずつ設置されるようになる。
しかし、第17回公演が行われた1999年(平成11年)を最後に奈良県内設置クラスが消滅、その代替として翌2000年(平成12年)より大阪府東大阪市内にレッスンクラス(クラス名「東大阪」)が設置される。
そして第21回公演が行われた2003年(平成15年)、関西圏外としては初めて東京都内にレッスンクラスが新設された[21]。
この時点では、大阪市内に於いてのみ「初心者クラス」・「経験者クラス」の両カテゴリにわたってレッスンクラスが設置されてきた他は、「初心者・経験者合同クラス」として残る各都府県内(及び奈良の代替先となった大阪府東大阪市)に1カ所ずつ設置されるという体制が執られてきていた[22]。
2006年(平成18年)開催の第24回公演に於いてレッスンクラスの再編が実施され、それまで大阪市内を除く各都府県内と東大阪市内に設置されていた「初心者・経験者合同クラス」は、大阪市内設置クラス群のうちの「初心者クラス」群と共に、新設された「12回クラス」カテゴリに編入されると共に、大阪市内設置クラス群のうちの「経験者クラス」群に関しては、同じく新設された「6回クラス」カテゴリに編入された。そして同年、「第九」経験者対象とされた「6回クラス」カテゴリに於いても東京都内設置クラスが新設され、これにより大阪市内に次いで東京都内に於いても「第九」経験の有無によって別々のレッスンクラスが設置されることとなった[23]。
2011年(平成23年)開催の第29回公演にて、それまでレッスン会場の一つとして充当されてきた大阪市内に所在する一施設が閉鎖されたことに伴う充当施設の変更等を背景に大阪市内設置クラスが大幅増加、更に兵庫県内に於いて「12回クラス」1個、東京都内に於いて「6回クラス」1個、それぞれ増設された[18][24]。これにより設置クラス総数は37となり、この設置総数は現在に至るまで変わっていない。
2013年(平成25年)開催の第31回公演にて、兵庫県内に於いても「6回クラス」1個が新設される一方で大阪市内設置分のうち「6回クラス」カテゴリで1個減らされた。更に、大阪市内設置分のクラス名称について、これまで「大阪●」としてきた名称表記を充当施設の所在地(あるいは最寄り駅)に因んだ名称表記に改められた[25]。
2014年(平成26年)開催の第32回公演にて、東京都内で「12回クラス」1個が増設されると共に、新たに名古屋市内(愛知県内)にも「12回クラス」1個を設置。その一方で、大阪市内設置分は「12回」・「6回」両カテゴリそれぞれ1個ずつ減じている[16]。
奈良県内に於けるレッスンクラス設置について
近畿圏内の中で奈良県内だけは、現在、レッスンクラスが設置されていない。
かつては奈良県内にも、1983年(昭和58年)の本興行創始以来、地元合唱団(奈良県民第九合唱の会)に運営委託する形で「初心者クラス」が1クラス設置されていたが[26]、その委託先だった地元合唱団が運営上の理由から第17回公演(1999年)を最後に委託契約を解除、これに伴い奈良県内設置クラスは前記の通り消滅することとなった《その後、その地元合唱団は2001年12月23日に催行した自主公演を最後に解散した[27]》。
そして第18回公演(2000年;平成12年)以降、その消滅した奈良県内設置クラスの代替として、前記の通り「東大阪」クラスが設置されている。
このかつて存在した奈良県内設置クラスに関しては、前記地元合唱団に運営を委託していた関係で、その地元合唱団が例年12月下旬頃に独自開催していた「第九」演奏会への出演義務も別途課されるという特別規定が存在していた。
そのため、この奈良県内設置クラスに限り、所定の参加費等に加えて地元合唱団が開く「第九」公演に関連する費用も負担するよう定められていた《新聞紙上に掲載された募集広告にもその旨の断り書きが為されていた》。
佐渡総監督レッスン(指揮者練習)
公演指揮者が現在の佐渡裕に交代して以降、従前からの所定レッスンに加えて「佐渡総監督レッスン」(合唱参加者の間では「佐渡練」とも呼称)が別途設けられている。
これは11月中旬或いは下旬から公演期日の数日前にかけての期間、公演指揮者の佐渡自らが合唱参加者に対し直接レッスンを行うものであり、一般の演奏団体(合唱団など)に於ける「指揮者練習」に相当する。個人参加・団体参加問わず、合唱参加者は1人につき1回、所定レッスンと共に受講することが求められる。
本レッスンは、現在、東京都内で1日間、大阪(関西圏内)で2~4日間それぞれ組まれており、毎年5月頃に発表される合唱団員募集要項の中でそれらの実施日程が発表されているが、基本的には、東京都内設置クラスの受講生は東京都内で、大阪市内を初めとする関西圏内設置クラスの受講生は関西圏内で、それぞれ受講することになっている。
更に関西圏内実施分に関しては、幾つかのグループを設定し、関西圏内設置クラスをそれら設定されたグループに割り振った上で実施に移されている《このほか団体参加している合唱グループについても、主催者側に於いて振り分けられた上でグループ宛に直接通知されることになっている模様だが、当項では割愛する》。
レッスンクラス毎にどのグループ(日時)にて本レッスンを受講することになるのかは、概ね9月終わり頃から順次、通常レッスンが行われる会場に於いて、出席者に対する案内文書手交の形で発表される。この案内文書には出席票が付いており、本レッスン受講の際、必要事項記入の上、案内文書に記載された日時に指定された会場に赴き、出席票提出の上で入場することになっている。
合唱参加者は、自身が属するレッスンクラスに当初割り当てられたグループにて本レッスンを受講することが基本であるが、何らかの理由でそれが困難である場合、原則として1度だけ他のグループに振り替えてもらうことが可能である[28]。他グループへの振替には、所属するレッスンクラスに於いて、案内文書を手交されて以降に到来するレッスン休憩時間帯に会場受付スタッフに申し出ると共に、既に手交されている案内文書に付属する出席票欄に必要事項を記入し提出する必要がある。その際、空席が出ているグループが他に存在していることが前提となる《当初割り当てられたグループ以外で空席が出ていなければ、手続き出来ない》。
本レッスンの会場として使用される(又は過去に使用された)施設について、東京都内実施分では2011年(平成23年)開催の第29回公演分まで東京・赤坂に所在するサントリーホール・小ホール(現在は「ブルーローズ」)が充当されてきたが、2012年(平成24年)開催の第30回公演分以降は東京・江東区に所在するティアラこうとう(江東公会堂)大ホールが充当されている。一方関西圏内開催分では、エル・シアター、梅田東学習ルーム体育館(現在は閉鎖)、メルパルク大阪イベントホール、尼崎アルカイックホール(現在は「あましんアルカイックホール」)、兵庫県立芸術文化センター大ホールなどが充当されてきている。
なお2011年開催分以降、別途結成されている”「1万人の第九」東北合唱団”に係る岩手・宮城・福島3県からの合唱参加者への対応も行ってきているが、これに関しては後記「東北3県からの合唱参加者(東北合唱団)へのレッスン」項を参照。
特別補習レッスン
概ね公演本番の数日前に、通常のレッスンクラスとは無関係に、主催者側により別途1回のみ用意されているもので、扱いとしては所定レッスンに準じたものとなっているものの、受講自体は任意である《出席すると、所定レッスンへの出席時と同様、出席1回としてカウントされる》。
本レッスンの実施有無については概ね毎年11月以降の各クラスのレッスン日当日にレッスン会場に於いて告知されてきており、合唱参加者募集期間中(毎年6月上旬~中旬)や所定レッスンの開始時期(毎年8月下旬~9月上旬)に於いては、その存在自体告知されず、またホームページ上に於いては原則として、合唱参加者募集要項発表段階から公演終了後に至るまで一切告知されない。更に、本レッスンの会場は関西圏内のみに設置されているとみられ、東京都内設置クラスに関しても同様の取り組みが為されているか否かについては不明である。
以下、本レッスンが実施されることを前提に記述を進めていく。
前記の通り、合唱参加者各自に割り当てられたレッスンクラスごとの許容欠席回数を超えて欠席すると公演本番への合唱出演が出来なくなってしまうが、逆に言えば、合唱団の一員として公演に出演するためには、合唱参加者各自に割り当てられたレッスンクラス毎に定められた「必要出席回数(=レッスンクラス毎の全授業回数-許容欠席回数)」分出席し受講することが必要となる[29]。
本レッスンは、仕事など何らかの理由で、割り当てられたレッスンクラスに於いて実際の出席回数がこの「必要出席回数」を1回下回る合唱参加者を主たる対象としており、それに該当する合唱参加者が本レッスンを受講することによって「必要出席回数」に於いて出演条件を満たすことが出来、出演者用座席券交付を受けることが出来る[30]。
本レッスンへの出席には別途申込が必要で、前記の通り概ね11月以降に各レッスン会場に於いて実施告知され、申込受付が行われる。所属クラスに於ける所定レッスンにて既に公演出演条件をクリアしている合唱参加者であっても受講申込可能ではあるが、レッスンクラス毎に人数枠が設定されており、「必要出席回数」を1回下回る合唱参加者が優先される[30]。
東北3県からの合唱参加者(東北合唱団)に対するレッスン
前記”「1万人の第九」東北合唱団”に係る岩手・宮城・福島の3県に於ける一般公募で当選となった応募者は、応募の際に予め申告した会場(エリア)に於いてレッスンを受講することになる。
2012年開催分以降に於いて、レッスン会場は岩手・宮城両県内に2カ所ずつ、福島県内に1カ所の計5カ所設定されており、各会場とも4回のレッスンが組まれている《大阪の主会場(大阪城ホール)に詰める「1万人の第九合唱団」に係る、主に関西圏・首都圏に向けての一般公募に際して用意されるレッスンクラスのうちの経験者向け”6回クラス”より更にレッスン回数が少ない》[31]。
これとは別に、公演指揮者である佐渡が直接指導するレッスンも用意されている。東北会場設置初年である2011年(平成23年)開催分に於いては、当時公演会場として使用された施設を擁する宮城学院女子大学の構内に同じく所在する学生センター2階小ホールに東北の合唱参加者を集め、佐渡自身が来仙して直接指導を行うなど完全な形での対応となっていたが、2012年(平成24年)以降については希望者のみ「佐渡総監督レッスン」所定日程のうちの東京都内開講分(東京都内設置クラス対象)に於いて受け入れる形での限定的な対応となった《レッスン開講地・東京との往復旅費は受講者負担とされた》[2][31]。
なお2012年には、東北会場に配置された「副指揮者」矢澤定明による東北合唱参加者対象の合同レッスンが、同年開催分の東北会場として充当された名取市文化会館大ホールに於いて別途実施されている《2013年については合同レッスンの別途実施無し》[31]。
オーケストラ構成(第2部)
イヴェント創始から、現在の「総監督・指揮」佐渡裕に公演指揮者の座が引き継がれて3年目の年にあたる2001年(平成13年)に開催された第19回公演までは、原則として、京阪神地域を活動本拠としている大阪フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、京都市交響楽団の各楽団員により管弦楽(オーケストラ)を構成していた(阪神・淡路大震災が発生した1995年(平成7年)に開催された第13回公演では、主要被災地の一つだった神戸市を活動本拠とする神戸フィルハーモニックの楽団員たちもオーケストラ構成員として参加した)。
しかし2002年(平成14年)の第20回公演以降、佐渡の意向もあって、関西に所在する音楽大学の学生から選抜されたメンバーを中心に、日本国内で活動するプロ奏者数名、そしてウィーンから招待されたプロ奏者数名を加えた陣容にてオーケストラを都度結成し、新たに「1万人の第九ユースオーケストラ」という名称を付与した上で管弦楽を担当させるようになった《ウィーンから招かれたプロ奏者の中にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン交響楽団の各楽団員も含まれていた》。
更に2005年(平成17年)に開催された第23回公演からは、同年に佐渡自身が芸術監督を務める兵庫芸術文化センター管弦楽団が結成されたことを受けて、その兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオケ)も参加するようになるが、その一方で、ウィーンからのプロ奏者招請は中断された。
2008年(平成20年)開催の第26回公演に於いては、ウィーンからのプロ奏者招聘が再開されると共に、当公演以降、名称が「1万人の第九オーケストラ」に改められる[32]。
その翌年(2009年;平成21年)に開催された第27回公演から2012年(平成24年)開催の第30回公演にかけては、「1万人の第九オーケストラ」構成員の一部について、従前からの合唱団員募集と並行して一般公募を実施、オーディションにより選抜された若干名を構成員としてオーケストラに迎え入れていた。
その一般公募実施初年にあたる2009年に於ける「1万人の第九オーケストラ」は、前出のPACオケを核として関西で活躍するプロ奏者たちを招き入れて構成すると共に、中国・北京生まれのヴァイオリニストでベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートマスターを務めるウェイ・ルーをコンサートマスターとして招請している《ルーはその後、2010年(平成22年)・2012年(平成24年)両開催分に於いてもコンサートマスターとして招請された》[33][34]。
2010年開催の第28回公演ではPACオケに加えて京都市交響楽団も9年ぶりに参加[35]。更に翌2011年(平成23年)開催の第29回公演では、それら2団体に加え、同年東北地方を中心に見舞われた東日本大震災による被害が顕著だった地域の一つ、宮城県内に活動本拠を有するプロオーケストラ、仙台フィルハーモニー管弦楽団の楽団員も参加、これにより”PACオケ・京都市響・仙台フィル”の3団体によるジョイントが実現した[34]。プロオーケストラ3団体によるジョイントは、”大阪フィル・関西フィル・京都市響”の3団体ジョイントによる管弦楽の最終回となった2001年開催の第19回公演以来10年ぶりのことである[36]。
2012年開催の第30回公演からは再びPACオケのみの単独参加となっているが、観客向け案内上の表記は「1万人の第九オーケストラ」のままとなっている[37]。
放送について
本興行は、テレビ放送されることを前提に企画・準備されている《最初に本興行が発案された段階に於いても公演の模様を自局に於いて放送することを想定していた》[38]。実際本興行の模様は、公演終了後、後日に公演主催者たるMBSに於いて、地上波及びBS向けに、それぞれドキュメンタリー形式のテレビ番組として制作・放送されてきている。このことから、本興行を視聴者参加型番組の一つとして捉えることも出来る。
番組自体の所要時間は、地上波向け・BS向け共に1時間弱(公称)となっている。
ドキュメンタリー形式にて番組制作されるのは、1983年の第1回公演開催に前後して、当時のテレビ制作担当部署内に於いて、限られた放送時間枠の中でどこに焦点を当てて番組を制作するかをめぐって議論が繰り返され、最終的にコンサートの本質を追い求める形で番組制作することで決着がついたという経緯による[38]。
なお本興行に係るドキュメンタリー番組に於いては、地上波向け・BS向けとも、公演の模様は抜粋される形で紹介されている。そのため公演の模様をフルに楽しみたい向きに、ライヴ収録された音楽ソフト類が別途制作・販売されている《後記「ライヴ収録音楽ソフト・音楽配信」項を参照》。
地上波向け番組
概要
1983年(昭和58年)の本興行創始時から続く番組形態である。
1999年(平成11年)に公演指揮者が現在の佐渡裕に入れ替わってからは、基本的に、佐渡や第1部ゲスト出演者など公演回毎に本興行のステージを踏んだ著名人が画面上に登場しているが、公演年によって、第1部ゲスト出演者を切り口に番組構成するケースもあれば、別の著名人の視点から番組を構成し第1部ゲスト出演者は公演当日のステージでの演奏場面を映すだけに留めているケースも存在する。
更に「別の著名人」を主人公として登場させるケースでは、第1部ゲスト出演者と公演指揮者の佐渡を除いて公演当日のステージを踏んだ著名人を主人公として登場させる場合もあれば、番組制作に際して新たに起用した著名人をナビゲーター等(画面上に登場しないナレーター役を除く)として画面に登場させる場合も存在する[39]。
番組の放映は、例年、MBS(制作局。近畿広域圏)・北海道放送(HBC;北海道)・TBSテレビ(関東広域圏)・CBCテレビ(CBC;中京広域圏)・RKB毎日放送(RKB;福岡県)のJNN基幹局5局の同時ネットにより行われており、その期日は、本興行開催初期には12月の第2土曜日となっていたが、少なくとも2002年(平成14年)以降は、第30回公演が行われた2012年(平成24年)を除き、「12月23日」に定まっている《第30回公演が開催された2012年は「12月24日」に放映された》。
また2011年(平成23年)以降は、東北地方太平洋側に位置する岩手・宮城・福島の3県それぞれを放送対象地域とするTBS系列局3局も前記JNN基幹局5局と共に同時ネットによる放映を開始しているが、これに関しては「東北地方に於けるドキュメンタリー番組放映」項を参照。
番組タイトル
現在もインターネット上にデータとして残存している、2003年(平成15年)以降放送分に係る番組タイトルについて、付随して放送されたものも含めて、以下にて列挙する。
- 2003年:『1万人の第九~山本太郎《第九》を歌う!』[40]
- 翌2004年1月11日…『1万人の第九~山本太郎《第九》を歌う!』(深夜0時30分より放映)[41]
- 2004年:『1万人の第九 ~sona《第九》を歌う!~』
- 2005年:『1万人の第九~ユンソナ熱唱!!ドイツで見つけた第九誕生の秘密』
- 2006年:『1万人の第九・優香のあいうえ音楽絵本』
- 2007年:『25th 1万人の第九 歌い継ぐ25万人の”歓喜” 共演! 中島美嘉&久石譲&佐渡裕』
- 2008年:『1万人の第九 with CHEMISTRY』
- 翌2009年1月26日…『26th 1万人の第九 ~歌うおもい歌のちから~』(深夜1時25分 - 2時;関西地区のみ)[42]
- 2009年:『1万人の第九☆佐渡裕with槇原敬之~世界にたった一つのコンサート~』
- 2010年:『1万人の第九 meets 平原綾香 フロイデ×ジョイフル』
- 2011年:『1万人の第九 yell for TOHOKU』
- 2012年:『1万人の第九“30年の物語” ~すべての人は主人公になる~』
- 2013年:『羽鳥慎一の1万人の第九音楽旅(ツアー)[44]』
BS向け番組
概要
2010年(平成22年)の第28回公演分から2012年(平成24年)の第30回公演分にかけて、それまでの地上波向けドキュメンタリーとは別に制作されていたもので、番組制作自体は地上波向けと同じくMBSが行うが、放映はBS-TBSにて実施していた。
BS向けに制作されるドキュメンタリーに関しては、本興行の舞台裏に潜入したり、メインと位置付けられているベートーヴェン「第九」に纏わる話を展開させるなど、より本興行自体に真正面から向き合うことを目指す番組作りが為されている。
地上波向け番組と異なり、公演指揮者の佐渡は画面に登場するが、第1部ゲスト出演者は基本的に登場しない《公演年により登場しているケースもある》。ただ、公演年によっては第1部ゲスト出演者以外のタレント等が登場するケースが存在する[45]。
番組タイトル
- 2010年:『サントリー1万人の第九~シンフォニーに首ったけ! 佐渡裕が語るベートーヴェンの魅力』
- 2011年:『【1万人の第九】公式ガイド 大合唱はこうしてつくられる! ~舞台ウラ公開~』
- 2012年:『1万人の第九~篠山輝信100日音楽日記 1万人の第九が愛されるワケ』
補足
東北地方に於けるドキュメンタリー番組放映
前記でも触れている通り、2011年(平成23年)の東日本大震災からの復興祈願等のため、同年開催分(第29回公演)以降、東北地方にも会場(東北会場)を設置し、大阪の主会場(大阪城ホール)と中継回線を結んで、両会場の二元同時中継にて公演を行ってきている。
これに合わせて、公演終了してから後日放送されるドキュメンタリー番組(地上波向け)についても、第29回公演分以降、従前からの公式放映局である前記JNN基幹局5局に加え、前記「『1万人の第九』東北合唱団」公募対象地域となっている岩手・宮城・福島各県それぞれを放送対象地域とするTBS系列民放局、IBC岩手放送(IBC)、東北放送(TBC)、テレビユー福島(TUF)の3局についても公式放映局として同時ネットによる放送に参加、計8局ネットにて制作・放映されてきている。
更に東北地方に於いては、以上3局の他、山形県を放送対象地域とするTBS系列局・テレビユー山形(TUY)でも、震災襲来以前より非公式ながら放映されてきている《次項参照》。
地上波向け番組の放映について(公式放映局以外)
地上波向けドキュメンタリー番組の放映局に関しては、例年主催者側より公式発表されている放送局(前記JNN基幹局5局など)に加え、一部のTBS系列民放局に於いても遅れネットの形で放映されてきている。
ここでは、第28回公演分(2010年;平成22年)以降、番組放映局として公式発表されているJNN基幹局5局〔第29回公演分(2011年;平成23年)以降にあっては”基幹局5局+前記東北3局”〕以外でドキュメンタリー番組の放映予定が組まれた放送局および放映日時を下表にて示す《上段「放映期日」・下段「放映時間」》。
放映局名 | 2010年 (第28回) |
2011年 (第29回) |
2012年 (第30回) |
2013年 (第31回) |
---|---|---|---|---|
テレビユー山形(TUY) | 12月31日 12:00 - 13:00 |
12月31日 11:55 - 12:55 |
12月31日 11:55 - 12:55 |
12月31日 11:50 - 12:50 |
静岡放送(SBS) | 12月31日 05:05 - 06:00 |
× | × | × |
信越放送(SBC) | 12月30日 16:53 - 17:54 |
12月30日 08:00 - 08:58 |
12月29日 09:30 - 10:28 |
12月28日 09:25 - 10:23 |
北陸放送(MRO) | 12月31日 16:00 - 16:55 |
12月31日 16:30 - 17:30 |
12月31日 16:25 - 17:25 |
12月31日 16:30 - 17:30 |
熊本放送(RKK) | × | × | 12月31日 09:50 - 10:50 |
× |
上表からも分かる様に公式放映局以外の放映局については毎年一定している訳ではないが、北陸放送については少なくとも2008年頃から毎年放映してきている[46]。
ライヴ収録音楽ソフト・音楽配信
本興行では、前記で触れたテレビ放映とは別に、コンサートの模様をライヴ収録した音楽ソフト類の販売も行ってきている。
現在取り扱っている収録メディアはCD・DVD・BDの3種類で〔BDは第30回公演分(2012年)より取扱〕、かつてはビデオテープ(VHS)版も取り扱っていた。
これらライヴ収録音楽ソフト類の販売については、一般のCD・レコードショップ店頭では一切行われず、公演前日からの一定期間、主催者であるMBSにおいて直接予約申込受付を行い、その予約受付期間内に集まった予約申込分のみ生産(プレス)して代金引換扱いにて申込者宛に発送するという方式が採られている《完全受注限定生産》[47]。
予約申込手段としては、公演会場に於いて配布される申込書付き案内チラシを使用する方法のほか、2013年開催分(平成25年;第31回)以降は、公演回毎の合唱出演者を対象に、MBS公式サイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『1万人のフロイデ倶楽部』サイトよりインターネット経由で予約申込出来るようにもなっている。
さらに2009年の第27回公演分からは、「第九」終楽章など公演の模様の一部について、「iTunes Store」等の音楽配信サイトにおける有料のネット配信も開始した。
ライヴ収録音楽ソフト類の収録内容
前項で記したテレビ放映分と異なり、会場において予約販売されるライヴ収録音楽ソフト類には基本的にコンサートの模様がそのまま収録される《公演回によっては、これに加えてレッスン風景等も併せて収録されている》。
尤も第1部演奏楽曲に関しては、著作権上の問題や第1部ゲスト出演者自身の意向等により、そのうちの全部または一部が収録されないことがあるほか、特定のメディア種別のみに演奏楽曲の一部が収録されるケースも存在する[48]。
また、演奏の合間に行われるインタビュー等は、基本的にカットされている《例外あり》。
更に、前記の通り、2011年(平成23年)開催の第29回公演以降は東北会場との二元同時中継にて催行されており、大阪の主会場と東北会場の共通演目以外に東北会場限定の演目も毎回組まれているが、その東北会場限定演目の一部についても公演回によっては収録されている。
歴史
沿革
イヴェントタイトル
本興行の名称については、以下に示すとおり、創始以来現在に至るまで4度変更されてきている。
- 第1回(1983年) - 第8回(1990年):サントリーオールド 1万人の「第九」コンサート
- 第9回(1991年) - 第20回(2002年):SUNTORY 1万人の〔第九〕コンサート
- 第21回(2003年) - 第25回(2007年):サントリー 1万人の第九[49]
- 第26回(2008年) - 第30回(2012年):サントリー 10000人の第9 ~歌のある星へ~
- 第31回(2013年) - 現在:SUNTORY 10000 Freude ~サントリー1万人の第九 ”挑み続けるものに、歓びは来たる。”[50]
上記イヴェント名称とは別に、2007年(平成19年)開催の第25回公演までは毎回テーマを決めて提示していたが、2008年(平成20年)開催の第26回公演に於いてサブタイトル(「歌のある星へ」とか)が新たに添えられるようになってからは、それと引き換えにテーマを毎回決めて提示すること自体を取り止めている。
また、イヴェント名称が変更となる度に、同時に制定されているロゴマークも新しいものに置き換えられてきている。
テーマ・ソリスト陣・ゲスト出演者
ここでは各々の公演回に於ける「第九」ソリスト陣およびゲスト出演者について、先に示した歴代のイヴェント名称毎にグループ分けした上で列挙している。
「第九」ソリスト陣については、公演回により、メゾソプラノ歌手がアルト独唱を務めるケースが存在するが〔特に第16回公演以降は全てメゾソプラノ歌手がアルト独唱を受け持ってきている〕、ここでは楽曲としての「第九」を演奏するに際して必要となる楽器パートの譜面上に於ける表記方に従って”ソプラノ(S)・アルト(A)・テノール(T)・バリトン(Br)”のパート表記の下で列挙している。
ゲスト出演者については、本興行に於いて公式に招請されたアーティスト(個人あるいは団体)のうち、主に公演前半(第1部)のステージを務めるため招請された者(第1部ゲスト出演者)を記載した。この第1部ゲスト出演者に関して、山本直純が公演指揮者を務めた1998年(平成10年)の第16回公演までは、公演回により個人あるいは団体で招かれており〔招き入れなかった公演回も存在〕、その大半は後半(第2部)の「第九」演奏にもそのまま参加しているが、公演指揮者が佐渡裕に入れ替わった1999年(平成11年)の第17回以降は、基本的に第1部のステージ限りとされている。
サントリーオールド 1万人の「第九」コンサート
- 第1回:1983年12月4日「空に漂う1万の歌声。地を揺るがす2百の奏者。心を震わす1万5千の聴衆。歓喜はひとつの渦となる。」
- ゲスト:宝塚スター
- ソプラノ:桶本栄、アルト:伊原直子、テノール:五十嵐喜芳、バリトン:岡村喬生
- 第2回:1984年12月2日「喝采、リフレイン、'84」
- ソプラノ:大倉由紀枝、アルト:藤川賀代子、テノール:林誠、バリトン:岡村喬生
- 第3回:1985年12月1日「歓喜は継承される-'85」
- ゲスト:宝塚スター[8]
- ソプラノ:常森寿子、アルト:荒田祐子、テノール:林誠、バリトン:岡村喬生
- 第4回:1986年12月7日「いま新たなる感動 '86」
- ソプラノ:大倉由紀枝、アルト:藤川賀代子、テノール:林誠、バリトン:岡村喬生
- 第5回:1987年12月6日「'87-さあ、クライマックスへ」
- ソプラノ:豊田喜代美、アルト:荒田祐子、テノール:林誠、バリトン:岡村喬生
- 第6回:1988年12月4日「'88-飛翔する歓喜」
- ゲスト:ウィーン室内合唱団[51]
- ソプラノ:奈良ゆみ、アルト:藤川賀代子、テノール:林誠、バリトン:岡村喬生
- 第7回:1989年12月3日「'89-歓喜のタクト、今高く」
- ゲスト:ボン市フィルハーモニー合唱団[51]、花博コンパニオン
- ソプラノ:奈良ゆみ、アルト:荒田祐子、テノール:若本明志、バリトン:岡村喬生
- 第8回:1990年12月2日「'90-響きあう自由と歓び」
- ゲスト:ベルリン・バッハ合唱団[52]
- ソプラノ:奈良ゆみ、アルト:藤川賀代子、テノール:若本明志、バリトン:岡村喬生
SUNTORY 1万人の〔第九〕コンサート
- 第9回:1991年12月1日「響きあう、大いなる歓喜。」
- ゲスト:堀内孝雄、日本全国9ブロックの市民合唱団
- ソプラノ:松本美和子、アルト:永井和子、テノール:鈴木寛一、バリトン:木村俊光
- 第10回:1992年12月6日「そして歓喜は響き、歴史となる。」
- ソプラノ:松本美和子、アルト:田中淑恵、テノール:若本明志、バリトン:多田羅迪夫
- 第11回:1993年12月5日「響きあって、新楽章へ。」
- ゲスト:浜村淳と「ありがとう合唱団」[53]
- ソプラノ:塩田美奈子、アルト:荒田祐子、テノール:五郎部俊朗、バリトン:田中勉
- 第12回:1994年12月4日「響け、ここより世界の空へ。」
- ゲスト:関西国際空港合唱団、あどラン合唱団[54]、浜村淳と「ありがとう合唱団」[53]
- ソプラノ:井岡潤子、アルト:持木文子、テノール:角田和弘、バリトン:三浦克次
- 第13回:1995年12月3日「響きあって、あしたへ。」
- ゲスト:ブリスベンからの合唱団、神戸フィルハーモニック
- ソプラノ:塩田美奈子、アルト:伊原直子、テノール:若本明志、バリトン:田島達也
- 第14回:1996年12月1日「響け、アジアの熱き心よ。」
- ゲスト:ディック・リー、アジアの留学生合唱団
- ソプラノ:陳素娥《中国》、アルト:永田直美、テノール:チン・ヨン《マレーシア》、バリトン:金寛東《韓国》
- 第15回:1997年12月7日「時を重ね、未来に響く。」
- ゲスト:ウィーン少年合唱団(シューベルト組)、15回記念特別合唱団
- ソプラノ:中丸三千繪、アルト:菅有実子、テノール:田代誠、バリトン:三原剛
- 第16回:1998年12月6日「魂が響く、時代が動く。~ベートーヴェンとガーシュインがここに出会う。」
- ゲスト:日野皓正、KONISHIKI
- ソプラノ:蒲原史子、アルト:森山京子、テノール:水口聡、バリトン:三浦克次
- 第17回:1999年12月5日「新たに出会う、時代がある。初めて感じる、響きがある。」
- ソプラノ:安保淑子、アルト:手嶋眞佐子、テノール:田中誠、バリトン:黒田博
- 第18回:2000年12月3日「21世紀に祝福を。~ようこそ歓喜が響くステージへ。」
- ゲスト:山下洋輔
- ソプラノ:大岩千穂、アルト:手嶋眞佐子、テノール:田中誠、バリトン:黒田博
- 第19回:2001年12月2日「一人一人の第九を、世界へ。」
- ゲスト:原朋直
- ソプラノ:鵜木絵里、アルト:坂本朱、テノール:吉田浩之、バリトン:福島明也
- 第20回:2002年12月1日「1万人の挑戦。」
- ゲスト:平井堅
- ソプラノ:浜田理恵、アルト:坂本朱、テノール:吉田浩之、バリトン:福島明也
サントリー 1万人の第九
- 第21回:2003年12月7日「手をつなごう。時をつなごう。」
- ゲスト:森山直太朗
- ソプラノ:浜田理恵、アルト:中島郁子、テノール:吉田浩之、バリトン:福島明也
- 第22回:2004年12月5日「クラシック音楽の感動がある。躍動がある。」
- ゲスト:ミッシャ・マイスキー
- ソプラノ:大岩千穂、アルト:坂本朱、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
- 第23回:2005年12月4日「家族がひとつになれば、きっと世界もひとつになれる。」
- ゲスト:森山良子
- ソプラノ:大岩千穂、アルト:坂本朱、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
- 第24回:2006年12月3日「わたしを歌う。みんなと歌う。」
- ゲスト:元ちとせ
- ソプラノ:田村麻子、アルト:手嶋眞佐子、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
- 第25回:2007年12月2日「25万人の歌声をつないで、未来に贈ろう。」
- ゲスト:中島美嘉
- ソプラノ:田村麻子、アルト:林美智子、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
サントリー 10000人の第9 ~歌のある星へ~
- 第26回:2008年12月7日
- ゲスト:CHEMISTRY
- ソプラノ:田村麻子、アルト:坂本朱、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
- 第27回:2009年12月6日
- ゲスト:槇原敬之
- ソプラノ:田村麻子、アルト:福原寿美枝、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
- 第28回:2010年12月5日
- ゲスト:平原綾香
- ソプラノ:安藤赴美子、アルト:手嶋眞佐子、テノール:吉田浩之、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
- 第29回:2011年12月4日
- ゲスト:平原綾香《大阪会場ゲスト》、森久美子、Le Velvets、Rake、和合亮一[55]《以上東北会場ゲスト》
- ソプラノ:横山恵子、アルト:手嶋眞佐子、テノール:西村悟、バリトン:甲斐栄次郎
- 第30回:2012年12月2日
- ゲスト:森山良子、辻井伸行、槇原敬之(シークレットゲスト)《以上大阪会場ゲスト》、平原綾香《東北会場ゲスト》
- ソプラノ:横山恵子、アルト:谷口睦美、テノール:西村悟、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
サントリー1万人の第九 ”挑み続けるものに、歓びは来たる。”
- 第31回:2013年12月1日
- ゲスト:加山雄三《大阪会場ゲスト》、華原朋美、Le Velvets《東北会場ゲスト》
- ソプラノ:並河寿美、アルト:手嶋眞佐子、テノール:西村悟、バリトン:キュウ・ウォン・ハン
第2部ゲスト出演者および出演企画
本興行に於いてこれまでに公式に招請されてきているゲスト出演者は、その大半が主に前半(第1部)のステージを務める存在(第1部ゲスト出演者)として迎えられているが、公演回によっては「第九」演奏などが組まれている後半(第2部)のステージのため別途著名人が招かれることもあった。
その大半は「1万人の第九特別合唱団」〔2007年(平成19年)開催の第25回公演以降は「1万人の第九合唱団」〕の一員として他の一般合唱参加者に混じって「第九」演奏に参加するために招かれているが、「第九」演奏とは別に用意された企画への出演のために招かれたケースも存在する。
ここでは公演第2部のステージを務めるためのゲスト出演者を別途招請した公演回について、一覧にして示す。
なお、第2部に於けるゲスト出演者の中には、本興行の主催者たるMBSの自社制作テレビ番組に於ける企画のため送り込まれたMBSアナウンサーも含まれている。
氏名 | 公演回 | 出演企画 | その他記事 |
---|---|---|---|
岩崎ひろみ | 第15回 | 合唱参加《パート不明》 | 当該公演回に係るドキュメンタリー番組の主人公として登場[56] |
山本太郎 | 第21回 | 合唱参加(テノール) | 『1万人の第九 山本太郎「第九」を歌う』に主人公で登場[57]。 また第1部のステージにも登場し、パフォーマンスを見せた[58]。 |
ユンソナ | 第22回 | 合唱参加(ソプラノ) | 『1万人の第九 sona第九を歌う!』(MBS)に主人公で登場 |
第23回 | 合唱参加(ソプラノ) | 『1万人の第九~ユンソナ熱唱!!ドイツで見つけた第九誕生の秘密』(MBS)に主人公で登場 | |
鈴木亮平 | 第29回 | 合唱参加(テノール) | 『【1万人の第九】公式ガイド 大合唱はこうしてつくられる!~舞台ウラ公開~』(BS-TBS)に主人公で登場[59] |
鈴木健太[60] | 第30回[61] | 合唱参加《パート不明》 | 深夜番組『ENT』の一企画として合唱参加 |
仲間由紀恵 | 第31回 | 朗読 | フリードリヒ・フォン・シラー『歓喜に寄せて』[62] |
【備考】 氏名欄の表記が斜字体となっているものは、MBSアナウンサーを示す |
司会進行役
氏名表記が斜字体となっているものは、開催時点に於いてテレビ局所属アナウンサーの職にある者を示す《斜字体かつ所属局表記(括弧付き表記)の無いものは、MBSアナウンサーを示す》。
なお東北会場が別途設置されるようになった第29回公演(2011年;平成23年)以降は、大阪の主会場(大阪城ホール)に配置された司会進行役と東北会場に配置された司会進行役を併記することとした。
- 第1回:武田鉄矢、小池清
- 第2回:遥くらら、高梨欣也
- 第3回:紺野美沙子、高梨欣也
- 第4回:紺野美沙子、高村昭
- 第5回:神崎愛、平松邦夫
- 第6~9回:平松邦夫
- 第10・12・16回:平松邦夫、岩城潤子
- 第11回:子守康範、岩城潤子
- 第13回:高梨欣也、岩城潤子
- 第14回:馬野雅行、岩城潤子
- 第15回:野村啓司、岩城潤子
- 第17回:内藤剛志、岩城潤子
- 第18回:内藤剛志
- 第19回:小倉智昭
- 第20~23回:小倉智昭、上田悦子
- 第24・25回:小倉智昭、高井美紀
- 第26回:小倉智昭、斎藤裕美
- 第27・28回:小倉智昭、松本麻衣子
- 第29回:小倉智昭、松本麻衣子〔以上、主会場〕、藤沢智子(TBC)〔東北会場〕
- 第30回:小倉智昭、松本麻衣子[61]〔以上、主会場〕、菊地舞美(TBC)[63]〔東北会場〕
- 第31回:羽鳥慎一、松本麻衣子[64]〔以上、主会場〕、名久井麻利(TBC)[64]〔東北会場〕
第1回公演の実現まで
このイベントの構想が持ち上がったのは、創始前年にあたる1982年(昭和57年)のことであった。
背景
高度経済成長に続く安定成長期にあって着実な発展を遂げていた日本経済ではあったが、その一方で首都・東京への一極集中は戦後急速に進み、1980年代に入ってから、それは東京と地方との顕著な格差となって現れていた。このことは経済面のみならず文化・情報面においても同じことであり、めぼしい文化イベントが関西を素通りしてしまうなど、関西は取り残されている格好となっていた。
こうしたことに対する危機感を背景にして、1982年4月に「大阪21世紀協会」が設立され、翌年(1983年)策定された“大阪21世紀計画”の中核推進機関としての役割を果たすことになる。この“21世紀計画”の中でメインとなったのは、この計画策定と年を同じくして大阪城の築城400周年を迎えることを記念して大阪市が企画した「大阪築城400年まつり」であり、そのメイン会場と位置づけられていたのが大阪城天守閣から北東約500mの大阪城公園内に当時建設中だった大阪城ホールであった。この新しいアリーナ形式文化施設をめぐり、様々な企画が生まれていた。
企画立案へ
「大阪21世紀協会」が設立された1982年4月、毎日放送社内では事業本部が設置され、当時同社テレビ本部長だった斎藤守慶(後に社長、会長を歴任)が事業本部長に就任。
この当時、昭和50年代後半は第2次オイルショックのさなかにあり、放送メディア界は広告収入の低迷にあえいでいた。毎日放送も例外ではなく、テレビスポットの需要低迷に悩まされていた。そのような状況下ではあったが、「大阪21世紀協会」の音頭取りによる「大阪築城400年まつり」のメイン会場でまだ建設段階にあった大阪城ホールをめぐって、立ち上げられて間もない事業本部のところにも様々な企画が寄せられていた。
それらの中の一つに、ラジオ制作部から出されていた「1万人の大合唱」というものがあり、事業本部長の齋藤がこれに注目していた。この企画案は「とにかく1万人の人々を集めてブラスバンド付きの大合唱大会を開く」という内容のものであったが、齋藤はそこで、大阪城ホールの完成が年の暮れになること、既に「第九」が日本の年の瀬を彩る国民的行事と化していたことに気づき、そこからベートーヴェンの「第九」を1万人の大合唱付きでやるという“1万人の第九”なるアイディアを思いついた。
これがきっかけとなって一視聴者参加型番組としての「1万人の第九」企画立案へとつながったわけだが、この企画立案段階では、この後に記す「大阪築城400年まつり」の一環という位置づけとして捉えていて、いわば1回限りの単発イベントとして進行していた模様である。
そしてこの年(1982年)の終わり近くに、大阪21世紀協会に「大阪築城400年まつり」への参加のための企画書を提出。同協会における企画の採用決定とスポンサー選定を経て、翌年(1983年)の3月に「1万人の第九実行委員会事務局」を設置した。
なお、この企画構想の立案については、大阪と上海の年末「第九」交歓演奏会構想(1980年頃に企画されたが、頓挫していた)、ブラスバンドとコーラスを集めて球場で大きなイベントを開くという構想、そして大阪城ホールの完成、という3つの要素が重なったがゆえに誕生したとの見方も存在する。
スポンサー選定
企画立案段階より、本コンサートが前代未聞の巨大規模の「第九」コンサートとなるゆえに、見込まれる予算の額も莫大なものとなることが予想された。そのためスポンサー探しは必須のものであったわけだが、「大阪築城400年まつり」の一環として実施される以上、在阪企業であることが望ましいとの考えがあった。
そこで、大阪市内の堂島に本拠を構え、サントリー音楽賞を制定するなど、音楽文化に対する強い理解を示していることでも有名なサントリーに白羽の矢が立ち、1983年(昭和58年)の年明け早々、冠スポンサーとしての協賛を依頼した。これに対して、やはり音楽に対する造詣の深かった社長の佐治敬三は、これは文化の薫り高い優れた企画と直感、申し出を快諾したと言われている。
指揮者の人選
指揮者の人選については、企画立案段階では、大阪フィルを日本有数のオーケストラに育て上げた関西音楽界の重鎮で、日本指揮者協会会長の朝比奈隆の起用を想定していた。ところが、実行委員会事務局のメンバーからの要請を受ける形で行われた朝比奈と、当時大阪フィル理事兼運営委員長だった野口幸助の両者の話し合いの中で、このイベントにはお祭りの要素を含んでいる、として朝比奈には不向きとの考えを示していたという。そして、どちらかといえば大きなステージに向いている山本直純が適している、との結論に達し、朝比奈からの推薦等を経てその山本が指揮台に立つこととなった。ちなみに山本は、当時既にテレビ番組・CMへの出演を通じて一般大衆の間でも広く知られる存在となっていた。
朝比奈の推薦を受けて実行委員会事務局のメンバーが当時山本の所属していた東京の音楽事務所を訪問、山本に公演指揮者への就任を要請、これに対して山本は、当時たまたま自身が司会進行役を務めていたテレビ番組『オーケストラがやってきた』が終わった直後ということもあり、その番組の延長線上にあるものと自ら捉えていたのだが、一方で一般公募で結成された素人による大合唱団を公演指揮者として向き合うことに大きな不安を抱いていた。[65]
とはいえ「朝比奈からの勅命」とも捉えていた山本は、最終的に事務局メンバーからの要請を受諾したわけであるが、のちになって山本自身が信頼を置く人物に完成したばかりの大阪城ホールで行われたオープニング・コンサートに聴きに行かせて音質を確かめさせるなど、不安は尽きなかった。[66]
以上の経緯から、過去に本イヴェントに於いて朝比奈を“「1万人の第九」生みの親”と紹介したことがある[67]。
報道発表と合唱団員募集
「1万人の第九実行委員会事務局」を設置してから2か月後の5月30日、大阪キャッスルホテルにて記者発表が行われ、主催者側の出席者たちと共に公演の指揮を務める山本や、出演予定の宝塚スターの面々が顔を揃えた。この模様は翌日の新聞各紙にて一斉に報じられたが、産経新聞が写真入りで最も大きく取り上げている[68]。
そしてこの記者発表の翌日から合唱団員募集が始まったわけであるが、当時設定された応募締切の2日後にあたる7月17日の時点で応募者数が5,000人に達していた《この時既にアマチュア合唱団やプロ、セミプロの合唱団などから2,000人分の参加約束をとり付けていた》[69]。なお、この合唱団員募集については読売系列のスポーツ紙であるスポーツ報知(報知新聞)が最も詳しく報じている[70]。
このように、大阪キャッスルホテルで開かれた記者発表の模様にせよ、そしてその翌日から始まった合唱団員募集の内容にせよ、一番大きく取り上げたのが、後援に名を連ねる毎日新聞系列以外の新聞メディアであったことが興味深いところである。
このあとレッスンクラスの開講を迎えることになるわけであるが、第1回公演当時のレッスンの受講は、今と若干異なるもので(現在のレッスン受講の仕組みについては前記「レッスン受講のこと」の項を参照)、まず前記の参加者募集を行い、その募集結果等をふまえて、レッスン会場を確保してレッスンクラスを設定、参加申込者が自らの経験・スケジュール等から最も都合のいいレッスンクラスの受講者登録を、そのクラスが開講されるレッスン会場に直接出向いて、行うというやり方であった。その他、50人以上の団体参加者を対象に、事務局から指導者を派遣する「出前レッスン」(出張レッスン)も用意した[71]。
レッスン開始から本番まで
レッスン開始を前にして、7月の終わりに合唱指導者たちを毎日放送のミリカホールに集めて「モデルレッスン」を実施。その狙いは、公演指揮者の山本が大フィル合唱団と高槻市民合唱団を直接指導することで、合唱指導者たちに指導法の統一と要点確認をさせることにあった。
そして8月21日より順次レッスンは開始された。コーラスグループから参加した人は別にして、個人で参加していた人のほとんどは「第九」未経験や合唱自体が未経験の人も多かった。それでいて公演では原語(ドイツ語)でかつ暗譜で歌わねばならないという主催者からの要求もあり、約3か月というレッスン期間の中で、参加者はもちろんのこと、合唱指導者でさえも苦労の連続だったと言われている。そのためもあってか、レッスンクラスによっては最終的に受講者数が5分の1にまで激減したところもあった。それでも所定のレッスンを堪え抜いてきた6千数百人が、晴れて本番のステージへと進むことができた。
なお指揮者の山本自身も、このレッスン期間中、計3回レッスン会場を巡回していた[72]。
公演会場における音響の問題
音響面についても苦労の連続だった。公演会場としてアリーナ式体育館を使うという、それまでのクラシック音楽のコンサートの常識からでは到底考えられない巨大な空間での演奏会となったために、特に会場内の残響時間の問題は切実なものだった。
一般にクラシック音楽、それもこのイベントのように、オーケストラを使った演奏に適した残響時間は2秒程度とされている。ただし、この適正な残響時間というのは、会場の容積に左右されるとも言われ、主催者サイドの音響技術陣は、大阪城ホールのような巨大な空間では3秒前後の残響時間で自然な音場が作られると考えていた。工事段階で聞かされた、大阪城ホール自体の完成時初期状態における仕様上の残響時間は1.6秒だったが、舞台等の設営と聴衆の入場により、公演時点において予想される残響時間は、その仕様上の残響時間を下回る「1秒以下」であったという。ポピュラー系のコンサートならばスピーカーによる増幅で乗り切ることが可能だが、楽器等の生の音を楽しむことが前提のクラシック音楽系統のコンサートではスピーカーの増幅だけでは音が濁ってしまう。加えて巨大空間の中では、オーケストラと合唱団との距離の遠近により、客席にはバラバラに音が届いてしまうことも予想された。
そこで音響技術陣は、電気的音響技術を駆使して、巨大空間にあってもクラシック音楽の演奏にふさわしい音環境に極力近づけるべく、毎日放送社内施設を使って実験を重ねるなど、試行錯誤を繰り返していた《音響心理的現象の一つである「ハース効果」をシステマティックに応用することを考案していた[73]》。そして本番1週間前(11月27日)、完成して間もない大阪城ホールに於いて実施したリハーサルの場で、バラバラに聞こえていた音を見事一つの音にまとめることに成功した[74]。
公演本番
公演会場で行われる日程としては、現在では本番前日にリハーサル(総合リハーサル。ただし一時期、新聞紙上に掲載された合唱団員募集記事の中では「総合レッスン」と紹介されたことがあった)、当日に「ゲネプロ&本番」というパターンとなっているが、第1回公演では、本番に向けての様々な準備や、リハーサルで生じる諸問題の解決の時間を考慮し、前記の通り、本番1週間前(11月27日)にリハーサルを設定していた。
1983年12月4日、迎えた第1回公演の本番当日、指揮台に立った山本は、その場に居合わせた約7千人の聴衆に対し「私がこっち(観客席側)を向いたら一緒に立ち上がって歌うように。歌えない人はハミングだけでもいいから、みんなで参加して」と合唱への参加を呼びかけた。実際に山本が振り向いたのは「第九」終楽章の中の最も有名な“練習番号M”と呼ばれる箇所で、約6,500人の合唱団員に約7千人の聴衆をも巻き込んだ“1万余人の大合唱”がここに沸き起こった[75]。
山本自身の理念から生まれ、本イヴェントに於ける名物として知られるようになったこの「聴衆をも巻き込んだ“1万余人の大合唱”」は、その後に合唱団の人数規模で1万人を超えるようになってからも、そして指揮者が佐渡裕に替わってからも継続されてきたが〔佐渡に替わってから数回中断されたことはあった〕、最近では聴衆に対し“練習番号M”箇所に於ける起立しての合唱を求めなくなってきている《但し、“練習番号M”部分の演奏中に、ホール内に備え付けの大型画面にカタカナ表記の歌詞を表示させる取り組みは現在も続いている》。
第1回公演終了後
数々の難関を越えながら、この巨大「第九」イベントの第1回公演は成功裡に幕を下ろすことができた。この模様は、日本国内はもとより、アメリカや西ドイツ、オーストリアでも報じられた[76]。
そして、当初1回限りの単発イベントとして企画されたこのイベントではあったが、これきりにしてほしいという本音が出てきた一方で、例えば舞台演出担当だった平野豊が、公演台本の中の司会進行の台詞のところに「21世紀まで続くことを願ってやみません」などといった言葉を書き入れてみたり[77]、終演後の記者会見で協賛社のサントリーの佐治敬三が、記者からの「いつまで続けたいのか」という問いかけに対し、即座に「21世紀まで」と答える[78]など、実は継続を望む声が大勢を占めていたともいわれる。また「大阪21世紀協会」の関連行事として行われたということもあって、結局翌年以降の継続が決まり、これによって後に大阪の冬の風物詩として定着していくこととなった。
影響(今日に至るまで)
第1回公演の後、今日に至るまでの過程の中で、このイヴェントが関西圏の文化振興に少なからぬ影響を与えていることも事実である。
これまでに多くの人々が共に歌い、感動を分かち合ってきているが、中には音楽大学に進学したり、或いはオペラの舞台の裏方になって働き始めるというケースも見られる[79]。
さらに職場単位で参加しているところでは、音楽愛好の域にとどまらず、職場環境の改善にもつながったというケースも見られた。
そして今日に至るまでの過程の中で、レッスンの指導にあたってきている合唱指導者によっては、その指導者を慕う合唱経験者有志が集って独自に合唱団を結成し、活動を開始するというケースも見られる《清原浩斗率いる「イベント合唱団」や富岡健率いる「大阪コンソート」など》。
交流・メディア実績
国内
人的交流
日本国内に於いては、主催者側の公式記録として、他地域で開催された「第九」演奏会の類に本興行合唱出演経験者有志を派遣したという事実は存在しない。ただ、本興行への合唱出演経験者各人たちが任意に東京の「5000人の第九」や広島の「第九ひろしま」に遠征参加する等の動きは散見される《今は無き名古屋の「ハート・ハーモニー合唱団」がナゴヤドームに於いて開催したコンサートにも、相当数の本興行合唱出演経験者が遠征参加した模様》。
その逆の動きとして、東京で「5000人の第九」を主催する国技館すみだ第九を歌う会が第9・16・17各回公演及び第19回公演以降断続的に「5000人の第九」合唱出演経験者有志を派遣してきている他、広島の中国放送(RCC)も第24回公演以降断続的に「第九ひろしま」合唱出演経験者有志を派遣してきている。
加えて本興行の主催者側も、1986年(昭和61年)開催の第4回公演に於いて、当時2年目を迎えていた東京「5000人の第九」合唱出演経験者有志をサントリーホールに招き、大阪城ホールと中継回線を結んで同時進行にて「第九」演奏を行っている[80]。
他地域との多元同時中継による公演催行
本興行の主会場たる大阪城ホールと国内他地域とを中継回線で結び多元同時中継にて公演催行するという企画は1984年(昭和59年)に開催された第2回公演に於いて生まれ、以降不定期ながら行われてきている。
その最初の前例となった第2回公演では、「第九」日本初演の地として全国的に知られている徳島県鳴門市に所在する博物館、鳴門市ドイツ館[81]の正面玄関前とを中継回線で結び、そこにスタンバイした地元・鳴門市で活動する混声合唱団と共に「第九」演奏を行い、好評を得た[82]。
これを契機に、その後幾年間にわたり、遠野の”曲がり家”(岩手県)、函館、鹿児島などが中継地として順次選定され、それらと中継回線を介しての多元同時中継による公演催行を続けてきた[82]。
そして兵庫県南部を中心に阪神・淡路大震災の襲来を受けた1995年(平成7年)に開催された第13回公演では、主要被災地の一つだった神戸市内と中継回線を結んで現地合唱団との同時演奏を行うと共に、本興行史上初めて、管弦楽構成メンバーとして従前からの3団体(大阪フィル・関西フィル・京都市響)に加えて神戸市内を活動本拠とする神戸フィルハーモニックの楽団員も招かれ、4団体で構成される管弦楽による「第九」等演奏が実現した。
公演指揮者が山本直純から佐渡裕に入れ替わってからは他地域との同時二元中継による公演催行企画は途絶えていたが、第25回公演〔2007年(平成19年)〕に於いて東京・赤坂のサントリーホールと中継回線で結び、作曲家の久石譲が本興行のために書いた『Orbis』を主会場と同時二元中継にて演奏する等している[83]。
東北との二元同時中継(1万人の第九 with 東北)
前記サントリーホールとの二元同時中継実現から4年経過した2011年(平成23年)、今度は東北地方との二元同時中継による公演催行が企画され、現在に至るまで毎年継続されている。
2011年3月11日、東北地方を中心とする広い地域で東日本大震災に見舞われ、特に東北の太平洋側に位置する岩手・宮城・福島の3県に於いては、多数の犠牲者と行方不明者を出す等、震災による被害が顕著だった。
元々”民話・童話のふるさと”として知られる東北は同時に合唱が盛んな土地としても知られているが、震災により合唱グループの練習場として使われてきた施設の殆どが閉鎖されたり避難所にされたりする等、皆で歌う機会を失いつつあった。
そんな東北の合唱仲間に歌う場を提供することを通じ、関西圏と東北という同じ震災を経験したもの同士が相互に支え合う関係を築き上げ、且つ震災からの早期復興等を祈念することを目的として、震災襲来年である2011年に開催した第29回公演以降毎年、「サントリー1万人の第九 with 東北[84]」と銘打ち、主要な被災地である東北地方にも公演会場(東北会場)を別途設置、その東北会場と大阪の主会場(大阪城ホール)とを中継回線で結んで二元同時中継による公演催行を企画[85][2]、前記でも触れているように震災被害が顕著だった前記3県から合唱参加者を募って「『1万人の第九』東北合唱団」を結成し、主会場に控える「1万人の第九合唱団」と共に「第九」演奏等に参加している。
メディア露出実績
前記で触れているドキュメンタリー番組放映を除くテレビへの露出実績として、まず公演終了直後に放映される、主催者であるMBS自身が制作する『MBSニュース』の中で本興行開催が報じられる他[86]、公演翌日以降に放映される『朝ズバッ!』や『ひるおび!』、『情報7days ニュースキャスター』〔以上TBS系列〕、『めざにゅ~』[87]、『めざましテレビ』〔以上フジテレビ系列〕等のワイドショー番組に於いてもとりあげられている《小倉智昭が司会進行を務めていた頃には、公演翌日以降、彼自身がメインキャスターを務めるワイドショー番組『とくダネ!』の中でとり上げられることもあった》[88]。
一方、新聞系メディアへの露出実績では、MBSと友好関係にあり本興行の後援者の一員に名を連ねている毎日新聞と、毎日新聞と同じく毎日新聞GHDの傘下にあり同じく本興行の後援者の一員に名を連ねているスポーツニッポンの毎日系列2紙を初め、朝日新聞、産経新聞、共同通信、日刊スポーツ、デイリースポーツ等でもとりあげられている《毎日系列2紙を除き、公演回により報道元メディアの変動有り》。
報道内容については、毎日系列2紙など公演開催そのものについて報じるところも存在するが、大半は公演回毎に招かれる第1部ゲスト出演者を切り口にして報じてきている。
海外
日本国外に向けての人的交流は、1984年(昭和59年)開催の第2回公演終了後に企画・実施されたウィーンへの演奏旅行に始まる。
当時本興行の合唱指導者として名を連ねていた櫻井武雄と清原浩斗が中心となり、音楽の都として且つ「第九」世界初演の地として知られるオーストリアのウィーンに本興行の合唱経験者有志を引き連れての「第九」演奏旅行を企画、同国のリンツで活動する一流オーケストラとの共演による「第九」演奏を行い、好評を得た。
この演奏会が橋渡しとなって、翌1985年(昭和60年)開催の第3回公演に於いてウィーン文化局の局長が招かれ、ステージ上でウィーン市長からのメッセージが場内に伝達されると共に、その後の主催者側からの要請に応える形で、その3年後の1988年(昭和63年)開催の第6回公演に於いてウィーン市民による合唱団の招請が実現することとなった。
アマチュア合唱団が各地に点在する日本と違い、1980年代当時のウィーンにはアマチュア合唱団が存在せず、前出のウィーン文化局局長が中心となって地元・ウィーンにて急遽公募を実施、オーディションを経て合唱団を結成し、当時の公演指揮者・山本直純による現地でのレッスン等を経て来日、「ウィーン室内合唱団」名義にて第6回公演のステージに臨んだ。昭和天皇の病状悪化の影響で予定曲目の一部変更を余儀なくされたものの、『ねむの木の子守唄』を初めとする日本の歌や『菩提樹』を初めとするドイツ語圏の歌を、ヴォリューム感あふれた、それでいて澄み切った声調で歌い上げ、ホール内を埋めた聴衆などを魅了した[89][8]。
こうした海外からの合唱グループ招請は、その後も第7回(ボン)・第8回(ベルリン)・第13回(ブリスベン)の各公演へと断続的ながら継続されていった。
中でも第7回公演(1989年;平成元年)に於いて「第九」を作曲したベートーヴェンの出生地であるドイツのボン[90]から一般市民による合唱団(名義は「ボン市フィルハーモニー合唱団」[8])を招請した際には、第6回に於ける「ウィーン室内合唱団」の場合と同様、当時のボンにも一般市民による常設のコーラスグループが存在しなかったためボン市当局が奔走して本興行のため現地市民から急遽募って合唱団を編成したのだが、公演の模様などをドイツの公共放送局の一つZDFが取材しドイツ語圏3カ国(ドイツ・オーストリア・スイス)共同の衛星放送チャンネル3satを通じて欧州のドイツ語圏に向けて放送されたことから、本興行が欧州内に於いても話題となった[91]。
そして第15回公演(1997年;平成9年)に於いてウィーン少年合唱団(シューベルト・グループ)の招請が実現することになったわけであるが、その前年に開催された第14回公演(1996年;平成8年)に於いてはアジア地域からの留学生たちで合唱団をつくり、迎え入れている。
1999年(平成11年)の第17回公演に於いて公演指揮者が現在の佐渡裕に交代されてからは、以上のような海外からの合唱グループ招請は行われていないが、その一方で佐渡自身と交流のある海外アーティストを招請するようになってきている[92]。
海外メディアによる露出実績としては、前記でも示しているように第1回公演終了後アメリカ・西ドイツ(当時)・オーストリアの各国で報じられた他、公演指揮者が佐渡に引き継がれて以降も、第28回公演に於いてはドイツZDFが、そして第29回公演に於いては独仏共同出資によるテレビ局アルテ(Arte)及びアメリカの放送事業者CBSが、それぞれ取材に訪れ、公演終了後、各々が制作するニュース番組などに於いて本イヴェントを紹介した《Arteについては東北会場にも取材に訪れた模様》[93][94]。
その他
楽譜
合唱団員向けには特別装丁による合唱用楽譜が用意されているが、これは市販されている『第九楽譜 歓喜の歌 ドイツ語版』(ショパン)をベースにして装丁されているものである。現在では実費にてレッスン会場にて販売されているが、かつては無料で配布されていた。この無料配布時代には、回ごとに表紙を変えていた(表紙に西暦年の下2桁も刷り込まれていた)。
オーケストラ向けについては、創始当初は楽団員各自が持参したパート譜に指揮者からの指示などを書き込むといった従来の方法を採っていた。しかし、当時でも国内の年末「第九」演奏は相当数に上っており、演奏回毎に書き込みしたり消したりという手間の問題等もあって、第2回公演以降は「1万人の第九」用に事務局にてパート譜を用意するようになった[95]。
参加料・記念品
現在、本イヴェントに合唱参加する際には予め参加料を納入しなければならない。
参加料納入については、第27回公演までは、初めてレッスンに出席する際、レッスン会場に当選通知と共に直接持参させていたが、第28回公演以降は、抽選結果発表日から一定の期間を設定し、その期間内に当選が決まった応募者に対して主催者側に於いて指定する口座宛てに予め送金するよう求められるようになってきている。
なお参加料に関しては、本イヴェント初期には無料で合唱参加出来ていたほか、イヴェント創始から数年間には主催者から記念品の進呈も併せて行われていた《記念品の内容については公演年毎に異なっていた》。
尤も記念品進呈自体は、最近でも、協賛社サントリーが展開している「キッズ・ドリーム・プロジェクト」の一環として、子ども限定で行われているが、第22回公演に於いてのみ、協賛社サントリーが、当時全国発売を始めたばかりの「健康緑茶フラバン茶」[96]の宣伝も兼ねて、当該公演に係る総合リハーサル出席者に「フラバン茶」ペットボトル350ml入りを無料配布していた。
「総合リハーサル」の公開
公演指揮者が佐渡裕に替わり、加えて第1部ゲストとして著名なアーティストを招請するようになったことも手伝って、最近では本イヴェントに係る公演チケット(一般入場券)が発売開始当日のうちに売り切れることが珍しくなくなってきている。
こうした状況に対し主催者側では、ここ数年、本番前日に行われる「総合リハーサル」を毎年一般に公開してきている。
公開に際しては専用のチケットが発売されるが、購入出来るのは当該年に於ける合唱参加者に限られる。
そのため、実質的には合唱参加者個々の親類縁者や友人に限定しての公開と考えることも出来る。
なお「総合リハーサル」の公開は、当然のことながら、一般入場券の販売状況を基にした主催者側の状況判断によるものなので、毎年行われる保証はない《最近では、2013年(平成25年)開催の第31回公演に係る「総合リハーサル」は公開されなかった》。
「主催者側・合唱参加者等」間のコミュニケーションのこと
インターネット上からの合唱参加応募受付が始まった第21回公演(2003年)に於いて、公式サイトとは別にブログ形式のWebサイト『佐渡裕と10,000人の交換絵日記』を開設[97]、これにより主催者側が合唱参加者等に向けて積極的にコミュニケーションをとる姿勢が示されることとなった。
この『佐渡裕と10,000人の交換絵日記』は合唱参加者等から寄せられたメール投稿を中心に構成され、これに加えて公演指揮者・佐渡裕から寄せられた現地レポートや、ゲスト参加者として関わる著名人からのレポートも掲載されたほか、レッスン会場等で収録された短時間の動画が掲載されることもあった。
『交換絵日記』には主催者側関係者の身代わりとして設定されたキャラクターたちが登場し、当該サイト全体を盛り立てていた。このキャラクターたちについては、開設初期には公演指揮者の佐渡とMBSスタッフ”9ちゃん”の2人のみだったのが、第26回公演(2008年)以降徐々に増やされ、佐渡とMBSスタッフ(前記”9ちゃん”の他に2人程度)に加えて「ルードヴィッヒ」と名付けられた犬も加わるようになっていた。
『交換絵日記』は第30回公演(2012年)までの毎年、レッスン開始時期に前後して別途開設され、公演期日を経て大晦日まで運営されていた《具体的な開設時期については、開設初期には”9月中旬から下旬にかけて”であったのが、その後”8月中旬”に開設されるようになってきていた》。
その後、第31回公演(2013年)よりTwitterとFacebookに於いてそれぞれ公式ページを開設、同時に公式サイト上にメール投稿窓口(ボタン)が設置され、ここからのメール投稿分の中からFacebook内公式ページ上に掲載されるというプロセスを開始した。これにより『交換絵日記』はその役割を終えることとなった[98]。
ギネスブックへの登録申請
創始当時、前代未聞の合唱団規模を誇るコンサートとなったこともあり、ギネスブック(現:ギネス・ワールド・レコーズ)への登録を申請する動きも見られたが、現在に至るまで、正式に登録されたという話はまだ伝わっていない。
参考文献
関連項目
- 国技館5000人の第九コンサート
- TOKYO FM 夢の第九コンサート
- 第九ひろしま
- 交響曲第9番 (ベートーヴェン)
- オーケストラがやってきた - 1983年3月末に放送終了した、山本直純司会の音楽番組。
- 知っとこ! - スタッフの一部が制作に携わっており、過去に土曜朝のワイドショー枠だった『いい朝8時』のスタッフも制作に携わっていた。
脚注
外部リンク
- 合唱団員募集要項やレッスンスケジュール一覧、公演要項などを掲載するほか、かつては合唱団員募集に係る応募受付も行っていた《応募受付機能については、現在、上記公式サイトより接続する別サイト『1万人のフロイデ倶楽部』に移転している》。通常”公式サイト”といえば上記サイトを指す。モバイル機器向けサイトも別に存在。
- 開催前年までの本イヴェント開催履歴を当時のチラシ(写真画像)と共に紹介するコーナー等を用意。合唱団員募集要項などは掲載されず、前出の毎日放送Webサイト内設置サイトの補完役として機能する
- ↑ 第9回 - 第20回のタイトルロゴに併記されている。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 『歌う喜びを…佐渡裕さん、仙台で「第九」指導』(→アーカイブ) - 『SponichiAnnex』2011年11月24日付け掲載記事(当該記事原掲載サイト→2013年12月30日閲覧)
- ↑ 但し東北公演初年である2011年に限っては、前記MBSの単独主催でサントリーHDの協賛〔ここまで大阪の主会場と同一〕、それにIBC岩手放送・東北放送・テレビユー福島の3局が「特別協力」として関わるという形態となっていた
- ↑ 『本日の夜から、舞台&客席づくり開始♪』(2007年11月29日・10時13分付け掲載記事)・『ユースオケ、会場入り!!』(2007年11月30日・23時14分付け掲載記事)〔以上『佐渡裕と10000人の交換絵日記2007』2007年11月アーカイブページから〕、『大阪城ホールにもうすぐ。』(2008年12月5日・14時20分付け掲載記事)〔『佐渡裕と10000人の交換絵日記2008』2008年12月アーカイブページから〕、『大阪城ホール入り、です♪』(2009年12月4日・23時28分付け掲載記事)〔『佐渡裕と10000人の交換絵日記2009』2009年12月アーカイブページから〕、『大阪城ホール入り、です。』(2010年12月3日・22時58分付け掲載記事)〔『佐渡裕と10000人の交換絵日記2010』2010年12月アーカイブページから〕{ここまで全てインターネットアーカイブ残存分;2013年12月31日閲覧}、及びTwitter「1万人の第九」公式アカウントに於ける2013年11月27日21時12分付け・2013年11月29日3時14分付け・2013年11月29日5時35分付け・2013年11月29日20時56分付け各コメントから《2013年12月31日閲覧》
- ↑ ステージパターン毎の具体的なレイアウト内容については、大阪城ホールWebサイト内『座席案内』ページを参照
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.111 - 112
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P161
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 毎日放送(MBS)Webサイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『サントリー1万人の第九HISTORY』・”1983~1990年「1万人の誕生」”ページより
- ↑ 矢澤定明(指揮者)プロフィール等 - (株)フューチャーデザインWebサイトより
- ↑ 『合唱参加応募フォーム(2005年)』〔第23回「1万人の第九」公式サイト(2005年;平成17年)より〕・『インターネット申し込みの流れ(2010年)』〔第28回「1万人の第九」公式サイト(2009年;平成21年)より〕《以上、何れもインターネットアーカイブにて残存(2013年12月30日閲覧)》から
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 『ログイン及び新規登録画面(2011年;トップページ)』 - 『1万人のフロイデ倶楽部』〔第29回「1万人の第九」公式サイト(2011年;平成23年)附設;インターネットアーカイブにて残存(2013年12月30日閲覧)〕
- ↑ 合唱参加募集要項の中の”グループ参加”項に於いて、2005年(平成17年)開催分に係るそれには、2004年(平成16年)開催分に係るそれと比較して、「条件:20人以上100人以下の…」の文言の前に「申し込みフォームを送付しますので、下記事務局までお申し込みください。」という文言が追加されているのがわかる《→『合唱参加募集要項(2004年)』〔第22回「1万人の第九」公式サイトより〕・『合唱参加募集要項(2005年)』〔第23回「1万人の第九」公式サイトより〕;左記2サイト何れも2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存》
- ↑ 現在もインターネット上に残存する2012年(平成24年)開催の第30回公演以降のデータによると、岩手県内設置会場にて受講希望の場合にはIBC岩手放送宛に、宮城県内設置会場にて受講希望の場合には東北放送(TBC)宛に、福島県内設置会場にて受講希望の場合にはテレビユー福島(TUF)宛に、それぞれ申し込む。郵送申込の場合には各放送局毎に定められた宛先にハガキを郵送し、ネット申込の場合は各放送局に於いて開設されている「1万人の第九with東北」特設サイト内に設けられた合唱参加応募フォームより入力送信することにより、応募することが出来る
- ↑ 14.0 14.1 14.2 『2012年開催分表紙ページ(合唱団募集バージョン)』・『2013年開催分表紙ページ(合唱団募集バージョン)』・『2013年開催分合唱参加者募集要項ページ』〔以上、東北放送Webサイトより(インターネットアーカイブ)〕から
- ↑ 希望クラス申告範囲の表記について、2010年(平成22年)開催分に係る『インターネット申込の流れ』ページ内では”第1~第3希望”との表記が見えるのに対し、2011年(平成23年)開催分に係る『1万人のフロイデ倶楽部』トップページのところに掲載されていた登録要領に於いては”第1から第5まで希望クラスが全員同一の場合…”との表記が見える《『インターネット申込の流れ(2010年)』〔第28回「1万人の第九」(2010年;平成22年)公式サイトより〕・『ログイン及び新規登録画面(2011年)』〔第29回「1万人の第九」(2011年;平成23年)公式サイト附設『1万人のフロイデ倶楽部』より〕{何れも2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存}》
- ↑ 16.0 16.1 16.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 『合唱団募集(2009年)』 - 第27回「1万人の第九」公式サイト(MBS公式サイト内)より《2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存》
- ↑ 18.0 18.1 『さんぽみち:”(13)「凌雲閣跡碑」・(14)「旧梅田東小学校」”』 - 『茶屋町ドットコム』より
- ↑ 『兵庫県民小劇場』 - 兵庫県芸術文化協会Webサイトより
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」~響け!歓喜の歌声』PP.64 - 67・73
- ↑ 『新たに東京クラスを開設! 歓喜の歌の輪が広がる!』 - 第21回「1万人の第九」公式サイトより《2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存》
- ↑ 『レッスンクラス一覧(2003年)』 - 第21回「1万人の第九」(2003年;平成15年)公式サイトより《2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存》
- ↑ 『再編前のレッスンクラス一覧(2005年)』〔第23回「1万人の第九」(2005年;平成17年)公式サイトより〕、および『再編後のレッスンクラス一覧(2006年)』〔第24回「1万人の第九」(2006年;平成18年)公式サイトより〕《以上、何れも”2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存”》をそれぞれ比較参照のこと
- ↑ 2010年までレッスン会場として使用されてきた、大阪市北区に所在する「梅田東学習ルーム体育館」が2011年3月を以て閉鎖され、その代替として翌2011年(平成23年)より「アネックスパル法円坂(5階”パレストラ”及び7階”なにわのみやホール”)」・「クレオ大阪東ホール」の計3施設の使用を開始している《→『レッスンクラス一覧(2010年)』〔第28回「1万人の第九」(2010年;平成22年)公式サイトより〕・『レッスンクラス一覧(2011年)』〔第29回「1万人の第九」(2011年;平成23年)公式サイトより〕{以上、何れも”2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存”}》
- ↑ 例えば、大阪市営地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅及び同地下鉄四つ橋線・肥後橋駅を最寄り駅としている「大阪倶楽部4階ホール」を会場とするレッスンクラスには「淀屋橋A」や「淀屋橋B」等というクラス名が付されている『レッスンスケジュール』 - 第31回「1万人の第九」公式サイト(MBS公式サイト内)より《2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存》
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.66 - 67
- ↑ 『奈良の第九、33年で終演へ/不況で市民合唱団が解散』(→アーカイブ) - 四国新聞Web版・2001年12月22日付け掲載記事
- ↑ レッスン会場に於いて合唱参加者に対し手交される案内文書に「度重なるご変更はお受けできません」との記載も為されている
- ↑ 例えば、割り当てられたレッスンクラスが”12回クラス”(初心者向けクラス)に属するクラスである場合、「必要出席回数」は「12-2=10(回)」となる《2013年開催分(平成25年;第31回公演)に於いて》
- ↑ 30.0 30.1 概ね11月以降に各レッスン会場に於いて掲出される本レッスン開講案内に、その旨の記載が為されている
- ↑ 31.0 31.1 31.2 『2012年東北合唱団レッスンスケジュール』・『2013年東北合唱団レッスンスケジュール』〔何れも現在はインターネットアーカイブに残存(2013年12月31日閲覧)〕 - 東北放送(TBC)Webサイトより
- ↑ 『第26回「1万人の第九」(2008年)公式サイト=トップページ』(MBS公式サイト内;2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブ内に残存)より
- ↑ 『第27回「1万人の第九」(2009年)公式サイト=トップページ』・『同チケット情報ページ』(何れもMBS公式サイト内)より《現在は何れもインターネットアーカイブ内に残存〔但しテキストデータ(ページ中程から下にかけての部分)のみ;ページ上部に見える画像部分に埋め込まれている”開催日時”表記とは食い違っているので注意〕》
- ↑ 34.0 34.1 毎日放送(MBS)Webサイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『サントリー1万人の第九HISTORY』・”2008年~「歌のある星へ」”ページより
- ↑ 『10000人の交換絵日記2010・トップページ』(インターネットアーカイブ;テキストデータのみ残存)の最上部に掲載の『最善のオーケストラ。』(2010年12月3日11時45分付け掲載記事・記事執筆者「佐渡裕」)より
- ↑ 毎日放送(MBS)Webサイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『サントリー1万人の第九HISTORY』・”1999~2007年「新たなるチャレンジ」”ページより
- ↑ 『第30回「1万人の第九」(2012年)公式サイト=トップページ』(MBS公式サイト内;2013年12月31日閲覧→現在はインターネットアーカイブに残存)より
- ↑ 38.0 38.1 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.25 - 26・118 - 120
- ↑ 前者の例としては2003年(平成15年)開催分に於ける「山本太郎」や2004年(平成16年)・2005年(平成17年)両開催分に於ける「ユンソナ」が存在し、後者の例としては2006年(平成18年)開催分に於ける「優香」が存在する。また2013年(平成25年)開催分に係るドキュメンタリーでは、当年開催分のステージに於いて新たに司会進行役として招請されたフリーアナウンサー・羽鳥慎一が番組進行役として登場すると共に、「第九」を書いた作曲家ベートーヴェンに関するレポーター役として新たに女優・松岡茉優を起用するなど、いわば前者と後者の両方のケースが混在する格好となっている
- ↑ 『番組情報”1万人の第九~山本太郎「第九」を歌う”』より。なお、当該番組の音声部分にはドルビーラボラトリーズ社が開発したサラウンド音声技術「Dolby Pro Logic II」が用いられている《→『日本初!Pro Logic II音声によるTV放送番組を株式会社毎日放送が制作』〔ドルビーラボラトリー社=2003年12月17日付プレスリリース(現在はインターネットアーカイブ内に残存)〕・『毎日放送、地上アナログ初のPLII放送を23日に実施』(『AV Watch』2003年12月19日付け掲載記事;→アーカイブ)》
- ↑ 第21回「1万人の第九」(2003年)公式サイト・トップページ(MBS公式サイト内;2004年2月16日付けでインターネットアーカイブに保存済)より
- ↑ 当該番組は、前月(2008年12月)に放映された『1万人の第九 with CHEMISTRY』と違い、公演後半部(第2部)をメインに据えて制作されたもので、放映当年(2009年)に於ける国際エミー賞(アメリカ)に入賞した他、ワールドメディアフェスティバル2009(ドイツ)でも金賞を受賞した。なお、国際エミー賞への出品のため、当該番組の英語吹き替え版『Ode to Joy 10,000 Voices Resound!』も別途制作されている《→『1万人の第九TV放映のお知らせ』(→アーカイブ)〔ヴァイオリニスト・NPO法人「アゴラ音楽クラブ」広報理事、水野(島本)真梨子のブログ=2009年01月23日付け掲載記事〕・『番組の歴史~MBSのあゆみ』(→アーカイブ)・『制作局制作一部長・越智暁』(→アーカイブ)〔以上、MBS公式サイト内MBS人事ポータルサイトより〕・『ドイツ「ワールドメディアフェスティバル2009」』(→アーカイブ)〔『ユニ通信』第5424号(2009年5月21日)より〕》
- ↑ 『2011年11月21日~27日・放送番組種別表』(→アーカイブ) - テレビユー福島(TUF)Webサイトより
- ↑ 副題として「ウィーンでじぇじぇじぇ!?この名曲、いつ聴くか?年末でしょ!SP」というキャッチコピーが添えられている
- ↑ 例として、2011年(平成23年)開催分に係る放送分に於ける「鈴木亮平」、及び翌2012年(平成24年)開催分に係る放送分に於ける「篠山輝信」が存在する
- ↑ 例えば2008年放映分に関しては『年末に音楽はいかが 第2弾』〔北陸放送(MRO)社内ブログ『6.1ちゃんねる』2008-12-19付け掲載記事〕にて、また2009年放映分については朝日新聞〔大阪本社版(関西圏発行分)〕・2009年12月19日付夕刊第2面掲載小記事『1万人と槇原 第九を歌う』にて、それぞれ放映を予告していた。
- ↑ 予約申込分に係る発送時期については、BD版取扱が始まった第30回公演(2012年;平成24年)以降現在に至るまで、CD版とDVD版については年内発送対応となっているが〔BD版取扱開始以前も同様だった〕、BD版のみ年明け以降(CD・DVD両版より約1ヶ月遅れ)の発送とされている《毎年公演会場に於いて配布される音楽ソフト類予約申込用紙に於ける掲載内容(発送予定日)から》
- ↑ 例えば、2008年開催の第26回公演に係るライヴ収録DVDには、第1部ゲスト出演者CHEMISTRYによる演奏楽曲を初め、第1部で演奏された楽曲は一切収録されなかったが〔CDに限り第1部演目のうちのオープニング曲演奏のみ収録〕、その一方で、第28回公演(2010年;平成22年)及び第29回公演(2011年;平成23年)それぞれ係るライヴ収録DVDには、何れも、第1部ゲスト出演者・平原綾香による演奏楽曲を初め、第1部で演奏された楽曲は全て収録されている
- ↑ 「1万人の第九」の部分について、ロゴマーク内では「1万人の16px九」と表記されている
- ↑ 第31回公演(2013年)に於いて「SUNTORY 10000 Freude」のアルファベット主体の3単語を中心に構成するロゴが発表されている。このロゴは前記3単語が上から順番に折り重なる格好のつくりになっているが、その更に下に”サントリー1万人の第九”が付くものと”Beethoven's 9th”が付くものの2種類が存在する。このうち前者は公式サイトや『フロイデ倶楽部』、Twitter内公式ページなど幅広く使われているのに対し、後者はFacebook内公式ページに於いて使われているのみである。なお、ロゴ構成をアルファベット主体とした理由について主催者側は「世界中の人にこのコンサートの感動を届けたいという思いから」と説明している《→「ロゴが変わりましたよー」のお話。(Facebook内「サントリー1万人の第九」公式ページ・2013年4月2日付け掲載記事)》。
- ↑ 51.0 51.1 実際には、交流相手である都市(ウィーンやボンとか)の住民の中から公募等を経て合唱団を組織し来日、本興行に迎え入れている。詳細は「交流・メディア実績~海外」項を参照
- ↑ 当時東西ドイツ再統一から間もない頃のベルリンから「ベルリン・バッハ合唱団」名義にて現地市民による合唱団90名を招請、公演前半(第1部)ではベートーヴェンとバッハの作品を合唱し、後半(第2部)では「1万人の第九特別合唱団」(当時)等と共に「第九」演奏に参加した。こうした一連の流れは、第6回公演に於いて「ウィーン室内合唱団」が、第7回に於いて「ボン市フィルハーモニー合唱団」が、それぞれ招請された際と類似している《→『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』(PP.173 - 174)、『1983~1990年「1万人の誕生」』(MBS公式サイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『サントリー1万人の第九HISTORY』より) 》
- ↑ 53.0 53.1 MBSラジオが朝方に放送する『ありがとう浜村淳です』が1993年(平成5年)に放送開始20周年を迎えたことを記念して本興行への合唱出演を番組内で企画、当年及び翌1994年(平成6年)の2年間にわたり番組独自で「ありがとう合唱団」と称する合唱団を結成し、当該番組のメインパーソナリティを務めるタレントで映画評論家の浜村淳と共に合唱出演した。この「ありがとう合唱団」の結成は、両開催年それぞれに於いて放送された当該番組の中で本興行への合唱参加者を独自に募集、これに応じたリスナー有志によって為されており、人員規模は両開催年分ともに50名であった《第12回公演に係るライヴ収録ビデオソフトの映像〔第1部のステージに立ち、トークを展開する浜村の姿などが映っている〕、及び「1万人の第九」公式サイト(MBS公式サイト内)附設『サントリー1万人の第九HISTORY』・”1991~1998年「1万人の響」”ページから》
- ↑ MBSテレビでかつて放映されていた深夜番組『あどりぶランド』を通じ、当時の毎日放送アナウンサー有志と『あどりぶランド』視聴者有志により結成された合唱団。1994年開催の第12回公演に係るライヴ収録ビデオソフトの映像から。
- ↑ 当時鉄骨だけが残っていた南三陸町防災対策庁舎跡の前から出演。そこで自作の詩『高台へ』(詩集『詩ノ黙礼』から)を朗読し、中継回線を通じて東北会場(宮城学院女子大学講堂)そして大阪の主会場(大阪城ホール)へと届けられた《実際には、これに主会場のステージでスタンバイしていたスーパーキッズ・オーケストラが演奏する『G線上のアリア』の音を乗せた上で届けられている》
- ↑ 毎日放送(MBS)Webサイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『サントリー1万人の第九HISTORY』・”1991~1998年「1万人の響」”ページより
- ↑ 音楽の都・ウィーンに赴いて地元合唱団のメンバーと共に歌うなど体当たりで「第九」と向き合ったり、ウィーン中央墓地に建立するベートーヴェンの墓参りをしたりする姿などが紹介されている
- ↑ 当該公演当日にシークレットゲストとしてステージ上に招かれていた八木裕と矢野燿大(何れも当時阪神タイガース選手)を前にして、居合わせたユースオケや合唱団を山本自身が指揮して阪神の球団歌「六甲おろし」を演奏して見せた
- ↑ 『テレビ放送直前』(アーカイブ) - 『鈴木亮平のの第九日記(10000人の交換絵日記2011)』2011年12月22日=11:37付け投稿記事より
- ↑ 第28回公演(2010年)に際しても深夜番組『ナルハヤ!』(MBS;放送終了)の一企画として合唱参加することになりレッスンを受けていたが〔合唱参加表明は鈴木アナ社内ブログ『普通が一番』2010年9月16日付掲載記事(→アーカイブ)の中で著している〕、本番当日に風邪を患っていたため参加取り止めとなった
- ↑ 61.0 61.1 松本麻衣子アナウンサーのブログ『松本麻衣子のここ・そこ・まいこ!』(MBS社内ブログ)・2012年12月度掲載記事ページ(→アーカイブ)最下部『30万人の第九』(2012年12月5日更新)より
- ↑ 実際に朗読したのは、当該作品の1803年改稿版をベートーヴェンが引用し且つ「第九」終楽章に於ける声楽(独唱及び合唱)導入部分に使用する歌詞として書き直したもの。その冒頭部分(「第九」終楽章に於いて最初にバリトン・ソロが歌唱する部分)にはベートーヴェン自身が新たに創作した一節が加えられている
- ↑ 2012年(平成24年)開催の第30回公演に係るプログラム冊子から
- ↑ 64.0 64.1 2013年(平成25年)開催の第31回公演に係るプログラム冊子から
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.47 - 49
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.49・51 - 52
- ↑ 朝比奈が文化勲章を受章した1994年に開催された第12回公演に彼自身がゲストの一人として招かれており、その第1部に於いてステージ中央後方から姿を現したのだが、その際、当時の司会進行役の一人だった岩城潤子から“「1万人の第九」の生みの親”と紹介されている。第12回公演ライヴ収録ビデオソフトの映像から。
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.59 - 61
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P63
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.61 - 62
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.64 - 67・73
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P75
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P87。なお「ハース効果」に関しては『音像定位、ハース(Haas)効果』を参照
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.93 - 94
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.113・115・120・138
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P166
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P113
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P128
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』P178
- ↑ ちなみにこの第4回公演では、他に鹿児島・金沢の2カ所とも中継回線を結び、前出のサントリーホールと共に同時進行による「第九」演奏を行った《→『1万人の第九HISTORY”1983~1990年「1万人の誕生」”』(MBS「サントリー1万人の第九」公式サイトより;→アーカイブ)》
- ↑ 当時は1972年(昭和47年)に建てられた旧館(初代ドイツ館)として存在した。その後、老朽化等を理由に1993年(平成5年)に建て替え等が行われている
- ↑ 82.0 82.1 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.162 - 166
- ↑ 但し後半の「第九」演奏では、大阪会場(大阪城ホール)と東京会場(サントリーホール)とで各々独立して行っていた《東京会場は『「サントリー1万人の第九」第25回記念~サントリーホールの第九』というタイトルの下で開催されていた→公演レポート”サントリーホールの第九”(サントリーホールWebサイトより;現在は外部ウェブアーカイブサイト内に残存)》
- ↑ 2012年(平成24年;第30回公演)以降開催分については「with 東北」の後ろに西暦年を示す4桁の数字が追加されている《例えば2012年開催分では「サントリー1万人の第九 with 東北2012」》。また「with 東北」の代わりに「with TOHOKU」と表記されることもある
- ↑ 2011年(平成23年)開催の第29回公演および2013年(平成25年)開催の第31回公演それぞれに係るプログラム冊子から
- ↑ MBSが属するTBS系列にて全国放映されるニュース番組『Nスタ』や『TBSニュースバード』(CS放送局・TBSニュースバード制作)の中でも同様に報じられることがある
- ↑ 現在、当該番組は関西圏内(近畿広域圏)に於いては放映されていない
- ↑ 『価格.com~テレビ紹介情報』サイトに於ける情報検索結果より《キーワード指定”サントリー 1万人の第九”(”サントリー”と”1万人の第九”の間に半角スペースを挿入)》
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.166 - 167
- ↑ 公演開催当時は”西ドイツの首都ボン”として機能していた
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.171 - 172
- ↑ 第22回公演(2004年;平成16年)の第1部ゲスト出演者「ミッシャ・マイスキー」、第22~28回各公演及び第30回公演(2012年;平成24年)以降の「第九」バリトン独唱「キュウ・ウォン・ハン」等が存在する
- ↑ 『2012年新春・MBS社長記者会見<資料>』(→アーカイブ) - 毎日放送(MBS)Webサイト内『ちゃやまち広報室』より
- ↑ 『「サントリー1万人の第九 with 東北」テレビ放送のお知らせ』(インターネットアーカイブ) - 『U-TIMES 全国大学情報ポータルサイト』2011年12月22日付け宮城学院女子大学発掲載記事
- ↑ 『ドキュメンタリー「1万人の第九」〜響け!歓喜の歌声』PP.56 - 57
- ↑ 『「サントリー 健康緑茶フラバン茶」特許取得 ― 900mlペットボトル新発売、さらに販売チャネルも拡大 ―』 - サントリー・2004年8月31日付けニュースリリース(No.8888)
- ↑ 『交換絵日記』過去開設分のうち2011年(第29回公演分)までの開設分については、それらの内容の一部について現在でもインターネット・アーカイブに於いて、テキストデータのみではあるが、閲覧可能となっている《→2002年(第20回)日記総合ポータル ・ 2002年(第20回)日記部分のみ ・ 2003年(第21回) ・ 2004年(第22回) ・ 2005年(第23回) ・ 2006年(第24回) ・ 2007年(第25回) ・ 2008年(第26回) ・ 2009年(第27回) ・ 2010年(第28回) ・ 2011年(第29回)》
- ↑ Twitter内に於ける主催者側公式コメント - 2013年8月22日付け