THE夜もヒッパレ
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『THE夜もヒッパレ』(ザ・よるもヒッパレ、英称:THE NIGHT OF HIT PARADE)は、1995年4月15日から2002年9月21日まで日本テレビ系列で毎週土曜22:00 - 22:54(JST)に放送されていた音楽バラエティ番組。1996年10月から2000年9月までの間はCS★日テレでも放送されていた。
本番組の前身であり、1994年4月16日から1995年3月18日まで放送された『夜もヒッパレ一生けんめい。』( - いっしょう - )についても、本項目で併せて記述する。
目次
番組概要
番組タイトルの「ヒッパレ」は「ヒットパレード」の略。
1994年4月、土曜23時台前半に放送されていた音楽バラエティ『夜も一生けんめい。』を発展拡大させた『夜もヒッパレ一生けんめい』が、それまで読売テレビ制作枠であった土曜22時台にてスタート。当初は前半30分を『夜もヒッパレ』として、後半30分を『夜も一生けんめい。』としてそれぞれ放送していたが、翌1995年4月より前半部の『夜もヒッパレ』を単独の1時間番組として『THE夜もヒッパレ』にリニューアルした。
内容
毎週、邦楽トップ10の曲を出演者がカラオケ形式で歌っていくのが主な内容で、順位はCD売上・カラオケ・有線放送・番組へのはがきリクエストから集計。今井美樹の『DRIVEに連れてって』(1997年7月5日放送の第1位)など、オリコンでTOP10に入らなかった楽曲が第1位になったこともある。逆に、オリコンでTOP10に入った楽曲であるにもかかわらず、番組で歌われないこともある。例えば、坂本龍一の『energy flow』は楽曲に歌詞が無かったために、『「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ』は出演者が歌いたがらなかったために、鈴木あみの『alone in my room』や青色7の『青いスポーツカーの男』などは、番組(レギュラー放送)が3週以上休みのために、Kiroroの『Best Friend』 などは不明で、それぞれランクインせずに、歌われることはなかった。また、hitomiの『LOVE 2000』(2000年の年間99位)のようにレギュラーのチャートではランク入りしなかったが、年間TOP100に入って初めて歌われた曲もあった。
ランキングはボード回転(いわゆる「パタパタ」)で発表しており、往年の『ザ・ベストテン』(TBS系)を彷彿させるものになっていた。進行役の赤坂がFM放送のコンセプトに基づいた基本的な楽曲解説と曲紹介を行ってから出演者の歌唱がスタート。歌唱終了後、三宅や中山をはじめとするレギュラー陣がスタンディングオベーションで招き入れ、難易度やキーと言った楽曲の感想や近況を語る。その間に適宜赤坂が割込み、次曲紹介やコーナーチェンジをする、という構成だった。
注目すべき点はこのカットインのタイミングで、番組の小気味よい進行に大きく寄与することになった。このカットインの手法は夜も一生けんめい。のライブコーナーのマイクの奪い合いから引き継がれた手法で、マイクの奪い合いの間次々と歌唱も演奏も巧みに入れ替わる構成とそれに追従する出演者のレベルの高さも特筆すべきものであった。
また、『THE夜もヒッパレ』として1時間枠になってからは、30分枠としての『夜もヒッパレ』時代にはなかったライブコーナー(かつての「夜も一生けんめい。」に似たもの)や中山秀征が11位 - 100位から1曲をピックアップして紹介する注目曲コーナー『秀ちゃんの注目ボード』などが設けられた(注目曲コーナーは1999年6月最終週より、発売前の新曲を紹介する『HOT HIT TUNE』に模様替えし、2002年1月からは『ヒッパレプラス1』に変わった)。
合い言葉は「見たい、聴きたい、歌いタイ!」(オープニングとベスト3発表のCM明けにコール。後にオープニングと第1位発表のCM明けに変更された)。この合い言葉をコールするときに登場する鯛のオブジェは、『夜も一生けんめい。』時代の鯛のオブジェをもとに、デザインをアレンジして新しく作ったものである。
『夜もヒッパレ一生けんめい』の第1回放送の1曲目を飾ったのは、山根康広の『Get Along Together』で、和田アキ子が歌った。この時の第1位は、広瀬香美の『ロマンスの神様』で、梨花とマルシアが歌った。ちなみに、『THE夜もヒッパレ』として1時間枠になってからの1曲目はMANISHの『煌めく瞬間に捕われて』で、飯島直子が歌った。この時の第1位はtrfの『Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜』で、麻倉未稀と庄野真代が歌った。
1994年の番組開始から安定した視聴率を保ち、絶頂期には25%を超えていたが、2001年3月に番組オリジナルユニットとして人気だった「てん・むす」が解散し、同年の12月に柴田倫世が勇退し米倉涼子がアシスタントに起用されてから陰りが見え始める。
その後作られた後継ユニット「ゆたんぽ」が失敗した反面、三浦理恵子らによるユニット「ミニスカパン」が人気を博したものの、2002年9月21日の放送を最後に『夜もヒッパレ』時代と合わせて8年半、『夜も一生けんめい。』時代から数えるとこの番組シリーズは実に12年半に及ぶ歴史に幕を閉じた。最終回では番組開始からの歴代トップ100のランキングが発表され、第1位はサザンオールスターズの『TSUNAMI』で、番組出演者全員によって歌唱された。尚、番組終了までの総出演者数は11,921人であった。
放送終了から8年後の2010年6月にCS放送日テレプラスで放送決定した。(ただし、権利上の関係でプロモーションビデオを用いての今週のランキングのおさらいがカットや、1998年以降(知念里奈がレギュラーになった後)からの放送となっている。CS★日テレで同時放送されていた時はCM中以外、かぶせ放送を一切行うことなく、そのまま放送されていた。)放送されるのは全放送のうち49回。
出演者
※太字は「~一生けんめい。」から続投。
司会
- 総合司会
- 進行司会
- 男性
- 赤坂泰彦(1995.4 - 2002.9.21)
- 女性
※三宅・赤坂・マルシアは『夜もヒッパレ』からの続投。
レギュラー
- ビジーフォースペシャル(1995年4月 - 最終回、ライブコーナー以外は下記の2人のみ)
- 安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S(MAXのデビュー後も共に歌う際は1996年までSUPER MONKEY'Sとクレジットされていた)
- 知念里奈(1997年7月 - 最終回)
- SPEED(1995年11月 - 1999年9月。この番組でグループ名を公募)
- Hipp's(ダンサー)
- CLOUD→KRUD(ダンサー)
準レギュラー
- 八反安未果(1998年3月-2001年7月)
- Musical Academy(1999年10月 - 最終回まで準レギュラー出演)
過去のゲスト出演
番組内で結成された番組限定ユニット
- てん・むす(松田純、山川恵里佳、大谷みつほ、酒井彩名、有坂来瞳)
- ゆたんぽ(永田杏奈、藤本綾、加藤明日美、宮地真緒)
- オンセンズ(庄野真代、麻倉未稀)
- オーナーズ(白竜&美木良介)
- 野獣界(桑野信義&つのだ☆ひろ)
- 桑名正博&Musical Academy
- ぞーず(グッチ裕三&村下孝蔵)
- 備長炭(叶高fromサーカス&角田信朗)
- ミニスカパン(三浦理恵子&来栖あつこ&上良早紀)
- VOX-V(VOX-IVに1名加わる)
- 将棋隊(鶴久政治&香田晋)
- 大江戸(橋幸夫、桑野信義、桑名正博、にしきのあきら、つのだ☆ひろ)
エピソード
- オープニングで表記されるタイトルロゴは画面左に寄っていた。
- 歌手がオリジナル曲を歌うことは番組開始から1999年頃まで『ご法度』とされており、当時レギュラーだった安室や知念が持ち歌を歌おうとすると司会者が止めにかかる、というやり取りもよく見られた(それ以外ではライブの中継によるオリジナルの歌手の歌唱が見られることはあった。また、活動停止直前のwinkが出演した際には、ライブコーナーでオリジナル曲を数曲披露した。)。1999年以降はオリジナル曲が解禁されるようになり、2000年7月15日の「HOT HIT TUNE」でサザンオールスターズ『HOTEL PACIFIC』が取り上げられたときは本人がシークレットゲストとして登場して同曲を歌ったことがある。
- 中山の妻・白城あやかが宝塚歌劇団の出身だったこともあり、白城とゆかりのある人物(学年順に安寿ミラ、真矢みき、真琴つばさ、稔幸、姿月あさと、和央ようか、星奈優里、花總まり、朝宮真由、音羽椋、朝澄けい、久遠麻耶など)が出演したこともあった。なお、安寿・真矢・真琴・姿月・音羽は花組出身、稔・星奈・花總・朝宮・朝澄・久遠は星組出身、同期生の和央は雪組出身である。
- 毎回、9位から2位の間で3曲メドレーと称して一度に消化するコーナーがあり、曲の紹介時、1995年頃までは三宅が曲にまつわるギャグを飛ばし、1996年頃以降は赤坂が出題するクイズにゲスト2名と三宅が答えるも、ボケた解答をして赤坂に手持ちのブザーを「ブー」と鳴らされるのがお約束だった(正解する時も稀にあった)。
- 番組の初期は、一時期一世を風靡しながらも当時あまりテレビに出ていなかったベテランの実力派歌手(尾崎紀世彦・狩人・渡辺真知子など)を積極的に起用し、彼らが再評価されるきっかけを作った。
- モト冬樹は、他人がステージで歌っている最中にステージ手前の砲丸が打ち上げられる演出が行われると、驚きと恐怖のリアクションを取ることが恒例となっていた。また、三浦理恵子がゲストの際は、三浦に接触を図ろうとするも未遂に終わるという恒例的な演出も行われた。余談だが、2001年5月5日に50歳の誕生日を迎えたとき、トップ10の曲のうち6曲のコーラス・演奏を担当し、さらに1曲(河村隆一の「Ne」)をソロで歌った。
- 数組のゲストが雛壇から立ち上がって歌う際、三宅裕司も加わろうとしていつも誰かのゲストに横取りされていた(角田信明、丸山茂樹、井上順、野口五朗、知念里奈など)。この演出は2001年春以来、スペシャルの恒例行事となった。
- SPEEDや前述の「てん・むす」など、番組で名称を募集していたユニットもいくつかあった。
- 小倉優子はこの番組に出演していた際は、現在のようなこりん星のネタは一切言わず、ただただハイテンションで饒舌なキャラであった。
- ラップが入る曲がランクインされて歌唱される際は、すべて赤坂(別人の時もある)がラップを担当した。
- THE夜もヒッパレ第3回放送でルー大柴が歌ったとき、あまりにパフォーマンスがひどく編集でカットされた。直後、三宅の名でお詫びのテロップが流れた(その後、ルーは2001年4月21日、2002年3月9日に浅井企画の後輩たちとゲストで出演した)。
- 1999年9月25日、鈴木あみの『BE TOGETHER』がランクインした際に、原曲を歌唱したTM NETWORKが同曲を歌った。
- 2001年2月17日、矢井田瞳の『I'm here saying nothing』をMejaが歌った。その後、Mejaは自国でこの曲のカバー曲をリリースした。
- 別人として異なる曲を歌ったゲストもいた(ローリー寺西 (現・ROLLY=寺西一雄)、MIE→未唯=アニメタル・レディーなど)。
- 酒井法子・工藤静香・松本明子・中村江里子・安室奈美恵など女性司会者が次々と結婚・出産などを迎えた。
- 同時ネット局のうち、南海放送のみ1995年3月まで制作局・日本テレビと異なり、愛媛県内の日産ディーラー会を中心としたスポンサー(ローカルセールス)で構成され、1995年4月のマストバイネット化に伴い、日本テレビと同じスポンサー(ネットワークセールス)に変更した(なお、日産ディーラー会などのスポンサーは木曜の「嗚呼!バラ色の珍生!!」に移行)。
歴代セット
- 右からメインステージ・ランキングボード・レギュラー席・ライブステージ(1995年4月~)となっている。
- 1994.4~1995.3(夜もヒッパレ一生けんめい。)
- 開始当時は前半(夜もヒッパレ)と後半(夜も一生けんめい。)のセットが隣り合わせになっているという設定で、レギュラー席後ろの「SATURDAY NIGHT」(特番時は「SPECIAL NIGHT」)のロゴを模した電飾パネルは前・後半で相互に裏返しになるようになっていた[1]。またロゴの脇にはそれぞれのセットに自由に行き来できる(という設定の)扉も設置されており、前半と後半の両方に出演するゲストがそこから移動するという演出もあった。
- また、メインステージはラジカセをイメージしたデザインであり、中央部のゲート(ここからゲストが登場する)上にモニターが9面(3×3)あり、そこには一面ずつ「HIT PARADE」のCG文字が止まったり、動いたりの繰り返しで映されている。
- レギュラー席は室町~江戸時代の城内を意識したセットになっており、開始してから半年間はカラフルな電球のついたスピーカー[2]がレギュラー席の右上に配置されていた。
- ランキングボード左側:曲名/アーティスト名・右側:歌ったゲストが表示される仕組みとなっており、その中間には円形(末期は正方形)のLEDインジケータがあり、ランクインされた曲の順位の変動を矢印(初登場・ランクアップの時は↑、ランクダウンの時は↓、先週と変わらない時は→)で表示していた。
- 1995.4~1996.9
- レギュラー席が大幅に変更され、電飾文字がアーチ状のものに囲まれた(1時間化のため、先代のような裏返し状態はなくなった)。
- メインステージは先代のものを手直ししただけ(左右に「HIPPARE」(特番時は「SPECIAL」、後述のライブステージでは特番時にも取り付けられる)の文字をかたどった電飾パネルが取り付けられたのみ)、また、ライブコーナー用(2階建ての演奏ブース付)のステージ(通称ライブステージ)も用意された。
- 1996.10~1998.9
- 先代のマイナーチェンジ版。
- レギュラー席:「SATURDAY NIGHT」の電飾パネルが大型パネル内に組み込まれ、上部に筆記体の「Super」のネオンが取り付けられた。
- ライブステージ:演奏ブースの桟の部分に「SATURDAY NIGHT」の電飾文字が組み込まれる。
- 1998.10~2000.3
- ここで初のフルモデルチェンジ。
- レギュラー席の電飾パネルが廃止、安っぽい作りに。
- メインステージのゲート部分の電飾が電球・パネルからネオン(赤・緑)に変更(春・秋のスペシャル時は電球・パネルのまま)、両サイドに柱状の電飾オブジェが設置された。また、従来セットの左右に存在した「HIPPARE」の電飾パネルは左側のみ・横一列の配置に、代わって右側にはLEDモニターが設置された。
- 余談だが、5月29日~7月10日までの間はセットの順が左からメインステージ→ランキングボード→レギュラー席→ライブステージと逆になっていた。
- 2000.4~2001.12
- メインステージのゲート上のモニターが16面(4×4)に増量、「HIPPARE★LIVESHOW」と一面ずつ映された。また、LEDの電飾の使用が増加。
- レギュラー席、ランキングボード、ライブステージもマイナーチェンジした。
- 2002.1~最終回
- レギュラー席の「SATURDAY NIGHT」のパネルを大幅に変更、文字部分の裏にLEDが取り付けられ、ランキングボードも大幅に変更。
- また、メインステージ、ライブステージ、ランキングボードも小変更された。
- 最終回の時、メインステージ右側の「HIPPARE」の電飾パネルが「GOOD BYE」に変更された。
年間ランキング・特番での第1位獲得曲
年度 | 曲名 | 歌手名 |
1994年年間 | 恋しさと せつなさと 心強さと | 篠原涼子 with t.komuro |
1995年春スペシャル | 不明 | 不明 |
1995年秋スペシャル | WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~ | H Jungle with t |
1995年年間 | LOVE LOVE LOVE | DREAMS COME TRUE |
1996年春スペシャル | DEPARTURES | globe |
1996年秋スペシャル | LA・LA・LA LOVE SONG | 久保田利伸withナオミ・キャンベル |
1996年年間 | 名もなき詩 | Mr.Children |
1997年春スペシャル | YOU ARE THE ONE | TK presents こねっと |
1997年秋スペシャル | 硝子の少年 | KinKi Kids |
1997年年間 | CAN YOU CELEBRATE? | 安室奈美恵[3] |
1998年春スペシャル | 愛されるより 愛したい | KinKi Kids |
1998年秋スペシャル | 誘惑 | GLAY |
1998年年間 | 夜空ノムコウ | SMAP |
1999年春スペシャル | Winter,again | GLAY |
1999年秋スペシャル | フラワー | KinKi Kids |
1999年年間 | だんご3兄弟 | 速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団 |
2000年春スペシャル | TSUNAMI | サザンオールスターズ |
2000年秋スペシャル | 桜坂 | 福山雅治 |
2000年年間 | TSUNAMI | サザンオールスターズ |
2001年春スペシャル | Can You Keep A Secret? | 宇多田ヒカル |
2001年秋スペシャル | PIECES OF A DREAM | CHEMISTRY |
2001年年間 | 白い恋人達 | 桑田佳祐 |
2002年春スペシャル | Life goes on | Dragon Ash |
最終回スペシャル | TSUNAMI | サザンオールスターズ |
スタッフ
- 構成:町山広美、妹尾匡夫、飯田まち子
- 音楽:小田敏文
- 振り付け:八反田リコ
- TM:坂本親保→吾妻光良
- 美術プロデューサー:山浦俊夫
- 美術デザイン:道勧英樹
- 美術協力:日本テレビアート
- 編集:よしだ裕二(麻布プラザ)
- MA:岡崎博之(麻布プラザ)
- 音効:村田好次(佳夢音)
- TK:石橋葉子
- タイトル:浅葉克己
- スタイリスト:MINNIE CORPRATION
- 協力:オリコン、タイトー
- 制作進行→AP:高田優美
- ディレクター:千葉昭、田口雅治、松本直樹、川邊昭宏、南波昌人、佐藤正樹
- プロデューサー・ディレクター:三枝孝臣
- プロデューサー:高木章雄、寺内壮、村松宏、津田誠、五十嵐裕之
- チーフプロデューサー:渡辺弘、吉岡正敏、増田一穂
- 総合演出:菅原正豊
- 制作協力:ハウフルス
- 製作著作:日本テレビ
脚注
- ↑ 実際のセットは別々に作られており、あくまでも設定上のものである
- ↑ 当時の番組スポンサー(「夜も一生けんめい。」から続投)のものを改造したもの。
- ↑ 同年の年末特番で歌った。