川合俊一

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テンプレート:男性モデル 川合 俊一(かわい しゅんいち、1963年2月3日 - )は、元プロビーチバレー選手(元インドア全日本男子代表主将)。

現職は、日本ビーチバレーボール連盟会長・日本バレーボール協会強化事業副本部長[1]ケイブロス代表取締役社長・タレントバレーボール解説者

新潟県西頸城郡青海町(現:糸魚川市)出身。8歳から東京都大田区本羽田で育つ。明治大学付属中野高等学校日本体育大学体育学部体育学科卒業。

身長195cm。体重100kg。血液型A型。妻は女優の中野みゆき湘南ベルマーレビーチバレーチームヘッドコーチの川合庶は実弟。

来歴

1981年明大中野高等学校を卒業。

1985年日本体育大学を卒業し、富士フイルムに入社。熊田康則井上謙と共に「バレーボール界のビッグ3」と言われ[2]、日本男子バレーボール界をリードした(ポジションはセンタープレーヤー)。

1989年、当時監督の南将之の依頼で全日本の主将に就任。前年のソウル五輪で引退するつもりだったが、それまでバレー人生でキャプテンを一度もやったことがなかったこともあり、翻意したという[3]

1990年3月、富士フイルムを退社し、インドアバレーボールから引退。その後、日本人初のプロビーチバレーボール選手として世界各地のツアーに参戦する傍ら、スポーツキャスターとして、1992年から7年間、日本テレビ独占!!スポーツ情報』のキャスターを担当した。

1994年、パリコレクションにモデルとして出演[4]

1997年9月女優中野みゆきと結婚。

2007年4月1日付で、日本ビーチバレー連盟会長に就任。

タレント活動の他に湘南ベルマーレスポーツクラブ・ビーチバレーチーム代表を務めている。

2010年12月、出身地である新潟県糸魚川市が日本でのジオパークに指定されたことから、ジオパーク大使に任命された。

人物

芸能界での愛称は「俊ちゃん」である。ダウンタウン浜田雅功SMAP中居正広久本雅美中山秀征からよくそう呼ばれている。

選手時代は、甘いマスクと前髪を垂らしたサイドバック(サイドリーゼント)のヘアスタイルで、女性の人気を集めた。そのこだわりの前髪を固めるのにヘアスプレーを毎回1本使い切っていた。

潔癖症な性格である。家族間で同じ歯磨き粉を使うのがダメ(『ダウンタウンDX』で発言)。また、家に来客があった時、お客さんの一人がお尻丸出しでソファに座ってしまい、そのソファを処分した程である(『メレンゲの気持ち』より)。自宅には風呂が二つある(本人用と夫人用)。

警戒心・防犯意識が強く、寝室にスタンガン、3段警棒、木刀、手錠を備えている[5]。また、幼少時に停電が多かった教訓から、自宅の各所に複数の懐中電灯を常備している[6]

弟の川合庶によると、一緒に飛行機に乗る度にハイジャック対策会議を行い、色々と指示を出してくるのが面倒くさいとのこと。また、自宅で妻の中野みゆきと共に強盗を撃退する為の模擬訓練を行っているとのことで、妻が強盗に捕まったというシチューエーションで、強盗に対して川合が「妻が死んだら保険金が1億円入るから、それを山分けしよう」と取引を持ち掛けると、妻が「あの人(川合)が死んだら保険金が私に3億円入るから」と強盗に取引を持ち掛け、川合と妻が「そんな風に俺(私)のことを見てたのか!」と憤慨して夫婦喧嘩になり、強盗が呆れている隙に撃退するという寸劇の練習を妻と行っているとのこと。[7]

麻雀が好きで、『THEわれめDEポン』(フジテレビ系)では過去4回優勝している。

個人投資家としても活動しており、テレビ出演時に投資に関連したトークをすることもある。妻の父親が証券会社の役員であり、義理の父親に色々と教えてもらったことがきっかけで投資を始めたとのこと。

エピソード

モテ男伝説

  • 当時の「モテ男伝説」は凄まじく、以下本人がテレビ番組等で語ったものについて示す。
    • バレーボールを始めた中学生時代から、長身も相まってモテ始め、毎日げた箱にラブレターが靴が入らないぐらい入っていた。
    • 休み時間になると、ラブレターを持ってくる下級生と、それを阻止しようとする同じクラスの女子が、毎日バトルを繰り広げていた。それが嫌になって、男子校である明大中野高等学校に進学した。
    • 富士フイルムに入社し、全日本で活躍する頃には人気が全国に広まり、それとともに本人宛に送られてくるプレゼントの量も増えていった。本人が当時住んでいた寮には、プレゼント部屋が2部屋も設置されていた。
    • バレンタインデーにはチョコレートが4トントラックで4台分届いた。
    • 練習が終わると毎日六本木のクラブに飲みに出かけ、飲み代もクラブのママや客の奢りだったという。またこの頃自然と芸能人に知り合いができはじめ、引退後に始めるタレント活動の基礎を築いた。

珍解答・珍発言

  • 1990年代前半には、日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『マジカル頭脳パワー!!』『スーパークイズスペシャル』において様々な珍解答ぶりを見せた。
    • 『SHOW by ショーバイ!!』の「何を作ってるのでしょうか?」で、最後の最後、どう見ても春巻きが出来上がった状態なのに、川合は勢い余って「はるさめ!」と答えてしまった(ちなみにその次の問題の正解は、なんと川合が不正解だった「春雨」であった)。
    • 同じく『SHOW by ショーバイ!!』で、ある日本語のことわざを当てる問題では、高田純次が「に交われば赤くなる」と答えて不正解だったのにも拘わらず、その直後に川合はボタンを押し、自信持って大声で「しゅにまじわればあかくなる!」と高田と全く同じ不正解を続けて解答。高田は「さっき俺が言ったじゃん!」と大笑い、逸見政孝も「4回か5回前だったら分かりますよ、今言ったばっかりなのに…」と呆れ返っていた。
    • その後も同番組で「どんなを捕まえるのでしょうか?」の問題では、屋外に捕まえるための仕掛けを作っている映像が流れているにもかかわらず、川合は「虫でしょ?サナダムシ!!」と自信満々に解答。山城新伍は「あのな、真田虫は腹の中にいるんだよ!腹の中に!!」と呆気に取られるなど、会場全員を爆笑の渦に巻き込んでいた。
    • さらに『SHOW by ショーバイ!!』で、職業を当てるクイズの正解が「薬剤師」だった時、薬剤師という言葉を知らず「ヤクザの石かと思った」と発言し、周囲を呆れさせた。

バレーボール関連

  • 川合がバレーボール選手からタレントになったのは、引退後に大学の後輩である瀬戸山正二アメリカを旅しながら今後のことを考えていた時に、ロサンゼルスビーチバレーに出会ったのがきっかけである。帰国後、「面白いから日本で流行らせたい。ならばテレビに出た方が手っ取り早い」と思い、つながりのあるテレビ局に声を掛けた。それからタレント活動を始めていく上で、バラエティー番組からスポーツキャスターなど仕事の幅が広がり、そして今日に至るという。また、引退後は会社(富士フイルム)に残って仕事をすることも出来たのだが、自分自身にサラリーマンは向いていないこと、机一つとっても自分のサイズに合わないなどの理由もあったという。
  • 川合が代表を務める湘南ベルマーレスポーツクラブ・ビーチバレーチームでは、テレビでのキャラクターからは想像できないぐらいの「鬼コーチ」ぶりを発揮している。川合が練習に来るという情報を聞くと、怖くてさっさと帰ってしまう選手も存在する。
  • バレー中継の解説者を1997年から行っており、当初は手厳しい言葉が多く、特にアジア対決(韓国・中国)においては「負けただけでは許されない」という言葉も飛んでいた。しかし現在、批判は皆無になっており、逆に善戦した試合は褒め称える場面が多くなった。
  • バレーボール選手時代を知らない若年層からは、最初からタレント・司会者として認知されることが多いが、それについて川合は「それはそれで嬉しい」と語った。

交友関係

  • CHAGE and ASKAASKAと交流がある。『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレホンショッキングのコーナーで、ASKAが川合を次に指名していた。
  • 日本体育大学に在籍中、教育実習生として母校・明大中野で、当時中学生の花田勝(元大相撲力士第66代横綱・3代若乃花)を教えていたことがある。
  • 亀井静香と対談したことを、2010年4月7日付けのブログで明かしている。その際には手土産として寝癖直しのスプレーを持って行き、それを大臣の秘書は笑っていた。亀井大臣本人はニヤッと笑ったという。この出来事は2010年4月10日放送の読売テレビあさパラ!』でも話題にされ、川合がそのエピソードを話した。寝癖直しスプレーを持っていった理由は妻の中野みゆきに「亀井さんに会うの?なら寝癖直しスプレーを持って行ったら?」とすすめられたからである。

その他

  • 実家はトンカツ屋を経営している。
  • タモリのスーパーボキャブラ天国』(フジテレビ系)では、ホモネタばかりに興味を示したために、共演者のタモリヒロミによってホモ疑惑の噂が広がった。本人曰く「ホモじゃないけどホモ好き」。また、ゲイビデオに登場する「谷岡」という登場人物に顔が似ているため、街で若者に「谷岡さんだ」と呼ばれ、それについて調べてショックを受けたことがあると大竹まことのラジオ番組で話したことがある。
  • 人生が変わる1分間の深イイ話』の収録をすっぽかしたことがあり、代役として小島よしおが出演した(電話をしたところ、小島がオフであったため)。次の出演時にはノーギャラで出演した。
  • 高校生の進路情報サイトで、母校の明大中野高校の生徒と対談する企画があり、後輩に当たる男子バレー部の生徒に「高校生の時の夢は何でしたか?」と聞かれた際に、「その時はファッションにすごく興味を持っていたのでバレーボール選手をやりながら、ブティックをやれたらいいなと思っていた」と答えている。(2004年、日本ドリコム運営のサイトにて)
  • ますだおかだ増田英彦と一緒に街を歩いていたら、コブクロに間違われたことがある。
  • 1999年8月21日・22日放送の日本テレビ系24時間テレビ「愛は地球を救う」」で21日の時に募金箱を持ってゲスト出演した。その時、20世紀が終わりに近づくということで、「ありがとう20世紀」という何かに感謝を伝えるコーナーが設けられた。その際、川合は自ら松任谷由実のファンであると語り、ドライブ時には「中央フリーウェイ」をよく車の中で流していたと言った。また、バレーボール選手時代に腰を痛めてしまった際に落ち込んでしまった時には「水の影」という歌を聴いていたという。そんな川合のために、「守ってあげたい」が、その場にいたタレント陣により贈られた。

球歴・受賞歴

  • 所属チーム履歴
明治大学付属中野高等学校日本体育大学富士フイルム→プロビーチバレーボール
  • 受賞歴
    • 1986年 第19回日本リーグ ブロック賞、新人賞、ベスト6
    • 1987年 第20回日本リーグ、ベスト6
    • 1989年 第22回日本リーグ、敢闘賞、ベスト6

メディア

レギュラー

セミレギュラー・ゲスト

ほか多数

CM

その他の活動

関連項目

脚注

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外部リンク

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  1. フジテレビ バレーボールワールドカップ2011 レジェンドインタビュー第三回
  2. スポーツナビ “モテ男”川合、ガイチら、男子バレーのイケメンを紹介
  3. バレーボールワールドカップ2011 - フジテレビ
  4. その際に音楽プロデューサーの織田哲郎と出演しており、デビュー前の相川七瀬に会ったと『タモリのボキャブラ天国』で発言
  5. livedoor ニュース 誰だって波瀾爆笑 2009年11月8日放送
  6. フジテレビ 芸能人こだわり王講座 イケタク 2010年7月20日放送
  7. TBS内村とザワつく夜 身内だからこそ許せない!兄弟姉妹への不満爆発SP 2014年5月27日放送