青田典子

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テンプレート:女性モデル 青田 典子(あおた のりこ、1967年昭和42年〉[1]10月7日 - )は、日本タレント女優、元アイドル歌手である。かつての女性アイドルグループ 『C.C.ガールズ』のひとりとしても知られる。 グレートデン所属。

本名;玉置 典子(たまき のりこ)、旧姓・森田(もりた)。

人物

愛媛県松山市生まれ[1]。松山市立津田中学校、東京都立八王子東高等学校を経て、東洋女子短期大学中退。

現在の夫は、音楽グループ 『安全地帯』の玉置浩二

経歴

「森田典子」

初め青田は、テレビの人気深夜番組 『オールナイトフジ』(フジテレビ)に、現役女子大生らによる女性グループ 『シーエックス』の一員として、本名「森田 典子」としてレギュラー出演した[2]

「森陽子」

1986年(昭和61年)から翌年にかけては「森陽子」名義での活動実績があり、男性雑誌 『BUNTA』や、『月刊プレイボーイ』のグラビアページでは、ヌードも披露している。

バブル期にあたるこの頃、「遊ぶことが仕事だった」生活を送っており、毎日のようにディスコに顔パスで通い、VIPルームに出入りしていた。当時はVIP客が「帰りのタクシー代に」と渡した現金(青田によれば10万円が多かったという)を生活費に流用していた。中には肉体関係を求めて「一晩1,000万円でどうか」と札束を積む者もいたという(丁重に断ったという)。 しかし、タレントとして芽が出ずにいたこともありプライドが傷付いていた時期でもあったという。また、芸能活動で得られるギャラだけでは生活が儘ならず会員制のクラブでホステスとして勤務していたこともある。


C.C.ガールズ

1990年平成2年)、オスカープロモーションが主催したコンテスト、「日本美人大賞」に出場して準グランプリを受賞した。翌年、同コンテストの上位入賞者で結成された女性グループ、『C.C.ガールズ』の初代メンバーとなり、芸能界デビュー。当時の愛称は、「てんこ」だった[3]。同年日本テレビ音楽祭新人賞、1993年(平成5年)にはゴールデン・アロー賞グラフ賞、1994年(平成6年)には「JAL沖縄キャンペーンガール」、1995年(平成7年)にはハット(帽子)グランプリ特別賞を受賞した。


グループ卒業後

C.C.ガールズは1998年(平成10年)11月に卒業、その後青田はソロでの女優・タレント活動を開始し、映画Vシネマのヒロインクラスの役を務めるほか、バラエティーのMCなど幅広く出演した。

2004年(平成16年)頃からは、「結婚を諦めて」(本人談)なりふり構わず仕事の幅を広げ、バラエティ番組『ロンドンハーツ』に出演。「格付けしあう女たち」のコーナーで、そのキャラクターから「L'amant(ラマン)青田」、「バブル青田」と呼ばれ人気になり、2005年(平成17年)冬スペシャルでは、バブルを代表する画家、ラッセンにヌードの絵を描いてもらった。また同コーナーでの決めゼリフ、「ジーザス・クライスト(Jesus Christ)テンプレート:Color」が大爆笑をとりブレイクした。さらに、「バブル青田」の名前での歌手活動も行った(下記項目参照)。これら、「負け犬」の自虐的キャラクターを演じ、『芸恋リアル』では彼氏を募集し、年下の男性とつきあうことにもなった青田であるが、この時期実際には交際相手の実業家がおり、結婚・離婚も経験していた(下記項目参照)。

バラエティ番組で人気を得ていた当時には、連続ドラマへの出演は激減していたが、2007年(平成19年)4月からは、『孤独の賭け〜愛しき人よ〜』、『地獄の沙汰もヨメ次第』(共にTBSテレビ)、『ドリーム☆アゲイン』(日本テレビ)と、3クール連続でドラマ出演した。


私生活

2007年(平成19年)5月、当時、いつまでも結婚できない『負け犬』として自虐的キャラクターをアピールしていた青田について、実際には結婚歴があることが女性雑誌に報じられた[4]。それは、青田が2004年(平成16年)11月に1歳年下の実業家と結婚、翌年10月に離婚していたという内容であった。

その事実を認めたオスカープロモーションは、「当時の状況を考えると、それほどのものではないと判断、報告が先延ばしになってしまった」とした。また、これについて会見した青田は、その実業家とはその後もお互いの家を行き来する「恋人状態」であることを告白、記者会見で涙を流した。

一方、2010年(平成22年)5月になると、音楽バンド 『安全地帯』の玉置浩二との交際が発覚した(93年に、玉置と交際していたが別れているため二度目の交際)。青田は翌6月、「玉置を献身的に支えたい」として芸能活動を休止、同7月に玉置と再婚した。


その他のエピソード

  • テレビのバラエティー番組に出演した青田は、本来「ひともんちゃく」と言うべきところを、「イチモツ」と発言した[5]。それまで勘違いをしていたらしい。これは番組内で「TV史上に残る珍事」だとされ[6]、「イチモツ青田」との命名がされた。
  • 高校の同級生には、夭逝したプロウィンドサーファー、飯島夏樹がいた。


バブル青田

バブル青田」は、青田の歌手としての別名である。青田は元々歌手志望だったが、C.C.ガールズ時代にリリースした曲(初期は「D.D.GAPS」のユニット名でリリース)はヒットしなかった。そこで『ロンブー』の田村淳が『ロンドンハーツ』(以下『ロンハー』)で青田を「バブル青田」としてソロCDデビューさせようと企画。プロデューサーは、淳と同じ吉本興業所属(当時)で、青田自身も大好きという小室哲哉だった[7]

小室は自身の全盛期だった1997年(平成9年)の未発表曲を提供[8]。作詞は、青田のカラオケの十八番である安室奈美恵の楽曲、『Chase the Chance』を作詞した前田たかひろ。タイトルは、そのまま『ジーザス』となった。

青田はカラオケBOXで練習をしたり、カウンターテナー米良美一などからボイストレーニングを受け、レコーディングに挑んだ。CDデビュー会見で『ロンハー』メンバーに初めて報告。またそこで同じ日に『ロンハー』で共演している熊田曜子もCDデビューすることが分かり、二人は一週間後の『オリコン』売り上げ記録で勝負し、負ければ故郷で『ジーザス』を披露する事に(結果、青田が12位、熊田が15位となり、熊田が自らの故郷・岐阜で披露)。さらに、幕張メッセでデビューライブを行うことも通達された。

振り付けはTRFSAMETSUCHIHARUが担当。ダンスレッスンを受け、ジュリアナ時代に流行した“ジュリ扇”を使ったダンスが完成した。曲の最後の決めポーズは「イナバウアー」ならぬ「イナバブル」。ライブに向け青木さやかと同じケビン山崎のジムで体を絞り、ウエストを68cmから60cmにしダイエットも成功。9000万円の費用を投じた幕張メッセのステージは見事成功。そこでCDジャケットが披露されたが、ジャケット撮影の時間がなかったため青田の運転免許証の写真(スッピン顔)が使われた。『ロンハー』共演者の青木さやかは『ジーザス』がお気に入りと公言している。

ディスコグラフィ

C.C.ガールズなどのグループ名義分については、同項目を参照のこと。

TENKO 名義

ミニアルバム

  • なみだ(2002年4月21日発売)

バブル青田 名義

シングル

DVD

  • 泡踊り(2006年12月20日発売)

電子書籍

写真集

  • 1993.09 『C.C.ガールズ vol.1』 撮影:野村誠一 講談社 ISBN 978-4063254044
  • 1995.11 『etrangre』 撮影:宮澤正明 ぶんか社 ISBN 978-4821120727
  • 1998.08 『青田典子 写真集』 撮影:渡辺達生 ワニブックス ISBN 978-4847024979
  • 2000.04 『xyz』 撮影:若杉憲司 バウハウスISBN 978-4894611801
  • 2002.01 『GLAMOROUS LOVE』 撮影:宮澤正明 フォーブリックISBN 978-4894616707
  • 2003.11 『aime-moi』 撮影:山内順仁 ブックマン社 ISBN 978-4893085429

出演

バラエティ

テレビドラマ

インターネット

映画

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 1.0 1.1 「森田典子」として活動していた当時の公称プロフィールは、誕生日を1966年(昭和41年)10月7日としている
  2. 同番組での青田には、ビキニ姿で垢すり中に乳首をポロリするお宝場面がある。
  3. メンバーに同じ「のりこ」である、原田徳子がいたため
  4. 女性セブン2007年5月31日
  5. ロンドンハーツ』(『格付けしあう女たち) 2007年12月11日放送
  6. 「イチモツ」には「男性器を指す隠語」としての意味もあるため。
  7. 実際の所は、淳も含めた番組サイドからのブッキングではなく、小室側から出た企画であるという説もある(番組内で「小室さんから声がかからなかったら実現しなかった」との発言有り)
  8. 後に1996年に訂正

関連項目

外部リンク