ビジーフォー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Redirect テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox Musician ビジーフォーは、1978年に結成されたコミックバンドビージーフォーは間違い。コミックソングものまね・アメリカナイズされたコントなどを得意とする。

概要

誕生から解散まで

デビュー当時は渡辺プロダクション(現在のワタナベエンターテインメント)に在籍していた。前身は、1977年に結成の「いそがしバンド」である。名前のビジーはbusyから来ており、「仕事がたくさん来て忙しくなるように」という願いが込められている。

メンバーは、リーダーの島田与作(異名:イタッケ島田、ベース)、グッチ裕三ボーカル)、スリム冬樹(現モト冬樹ギター)、ウガンダ(ウガンダ・トラドラム)の四人。ウガンダがボーカルの時は、グッチがドラムを叩いていた。間違われることが多いが、エド山口は加入していない(別のバンド、「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダー)。

当時のネタとしては、歌謡曲やらオールディーズの替え歌で「ウガンダ=デブ、モト冬樹=ハゲ、島田与作=若作り」を歌に交えて、イジって笑いを取っていた。

歌(コーラス)・演奏がうまいコミックバンドとして人気を得るが、メンバーの方向性の違いなどを理由に1984年頃解散、島田は引退し、ウガンダはピン芸人となる。

ビジーフォー・スペシャル

しばらくのブランクを経た後、島田とウガンダの抜けた跡に新たにウーロン茶(ベース)、ロバよしお(ドラム)、そして紅一点(キーボード)の三人が加わり、ビジーフォー・スペシャルとして再スタート。

この頃から本格的にものまねを始め、1983年から出演のフジテレビものまね王座決定戦では最多の5回の優勝を果たし、ものまねブームの立役者となる(中心メンバーのグッチとモトのペアの出演だけでも「ビジーフォー・スペシャル」として表記される)。

その他、夜も一生けんめい。NTV)などで活躍した。

のちにロバよしおが辞め、エデン東(ドラム)が加入、マネージャー兼見習いメンバーとして北海龍が参加している。

なお、ビジーフォー・スペシャルになってからもビジーフォーと呼ばれることがあった。

分裂

1992年にグッチは「グッチ裕三とグッチーズ」を、モトらは新メンバーを加え「モト冬樹とナンナラーズ(結成当初はモトとフリーマーケット)」を立ち上げて以降は主に各個に活動しており、グループとしては実質休業状態にある。「ものまね王座決定戦」や「夜もヒッパレ一生けんめい」などでは引き続きグループ名が表記されていたが、番組終了以降はテレビ出演しても個人名でしか表記されなくなった[1]

解散の真相

解散の理由は清水アキラの著書によれば「金の縺れ」であるという。ものまね王座決定戦では再三不仲ぶりがネタにされていた。

実際、アゴ勇が2008年のウガンダ死去に関連した日刊ゲンダイによるインタビューの中で、メンバーの不仲を暗に語っている[2]。1980年代後半、当時のフジテレビ社屋の近くにあったウガンダの自宅にアゴは居候していた。ウガンダ宅は山田邦子ジャガー横田森公美子ブラザー・コーンなど数多くのタレントが出入りし、いわゆる溜まり場になっていたにもかかわらず、アゴはビジーフォーの面々を見かけなかったという。

2011年12月31日「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にて久々に復活した。

メンバー

ビジーフォー

1947年生。リーダー。元・GSグループ「ザ・クーガース」メンバー。現在は音楽会社経営。
  • グッチ裕三(ボーカル)
初期は高田〝グッチ〟裕三名義。
  • モト冬樹(ギター)
初期は武藤〝スリム〟冬樹→武藤〝モト〟冬樹名義。
  • ウガンダ(ドラムス)
ウガンダ・トラの頁を参照。

ビジーフォースペシャル

  • グッチ裕三(ボーカル)
  • モト冬樹(ギター)
  • ウーロン茶(ベース)
1956年生。本名:佐藤知己。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。現在は有限会社「チャイメイツ」経営。
本名:松川美子。メンバーからは本名で呼ばれる。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。
初代ドラマー。途中で脱退。
二代目ドラマー。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。
1962年生。本当はマネージャーだがメンバーとともに出演。元押尾川部屋力士。

ものまねレパートリー

シングル

出演番組

※現在は全て放送終了

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

テンプレート:Reflist
  1. 所謂、ビジーフォーは1992年以降番組限定のユニット扱い。
  2. テンプレート:Cite news