大槻ケンヂ

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox Musician 大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 - )は、日本ロックミュージシャン作家。本名、大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は、オーケン

東京都中野区野方出身。有限会社オーケン企画所属。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」[1]など。身長178cm。

概要・来歴

  • 少年時代、中学の同級生内田雄一郎と共に漫画家を目指していたが、(本人が「世界で一番好きなバンド」と語ったこともある[2]キング・クリムゾンピンク・フロイドら王道のプログレッシブ・ロックYMOヒカシューP-MODELなど当時のニュー・ウェーヴ遠藤賢司頭脳警察JAGATARAザ・スターリンINUらの日本語詩のロックパンクなどに影響を受け、次第に音楽の世界へと興味を持ち始める。ちなみに最も影響を受けた漫画家蛭子能収諸星大二郎であった。
  • 1979年、内田の誕生日会での余興の延長線上として、友人数人とバンド「ドテチンズ」(ザ・ドンズ)を結成。当初はエレクトーンを担当していた内田以外に楽器の演奏が出来るメンバーがおらず、大槻は健康器具の青竹を打ち鳴らしたりしていた。ドテチンズは中学卒業と共に解散。
  • 1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)、大槻はボーカルベース作詞を担当。ほぼ同時期、内田の高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がドテチンズの音源を聴いて面白がり、大槻と内田とケラの三人でカラオケユニット「空手バカボン」を結成、1983年にケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビュー。後に筋肉少女帯もナゴムからリリースを重ね(ごく初期の段階で、大槻がベースを弾きながらだと歌えないことが発覚したため、当初はキーボードだった内田雄一郎にベースのポジションを任せている)、1980年代後半からのバンドブームに乗ってメジャーデビューする。初期の売り文句は「親から革パンツを買ってもらうロッカー」。詳細は当該記事を参照。
  • 比較的初期から同バンドのフロントマン兼宣伝塔として『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを始めとする様々なメディアに露出し、『徹子の部屋』などのテレビ番組にも出演する。『徹子の部屋』初回登場の際は、極度の緊張で聞かれた内容を上手く表現できなかったという。
  • レコード会社を数社移籍しつつ、ソロ活動や「UNDERGROUND SEARCHLIE」「1980年代の筋肉少女帯」といったユニット活動の後、1999年に筋肉少女帯を脱退、新バンド「特撮」を結成して音楽活動を続ける。また、ソロ活動時に大槻のバックバンドを務めていた石塚BERA伯広(qyb、元筋肉少女帯、元SOFT BALLETサポート)や小畑ポンプすかんち)、佐藤研二(石窟寺院など、元マルコシアス・バンプ)と共にアングラロマンバンド「電車」を組んだ他、「オーケン&ニセ特撮」「大槻ケンヂ&ヤングス」「大槻ケンヂと名前は何でもいい」といった企画バンドで各種イベントにも多数出演。現在も、アンプラグドユニットや、バンド形式ながら大槻以外のメンバーを固定しない「大槻ケンヂス」、ジャズアニメ・特撮ソングといったイベントへのゲスト参加などで、積極的にソロでのライブ活動を行っている。
  • 縁のあるミュージシャンやサブカル系のゲストを招いて新宿ロフトプラスワンにて行われるトークイベント「のほほん学校」も、1998年から定期的に行われている。
  • 筋肉少女帯時代の一部のメンバーとは一時決別状態であったが、イベントなどを通じ「仲直り」し、2006年7月に復帰。12月に筋肉少女帯復活ライブを行った。同年12月25日付で『大槻ケンヂと特撮ファンクラブ』より特撮のバンド活動休止が発表されるが、後に新しい所属事務所・オーケン企画より、活動休止ではなく、あくまで充電期間である、との説明が行われる。特撮としてのバンド活動は行われていないが、大槻ソロでの音源録音やライブでは、特撮メンバーと共に行われることがある。
  • 1990年代前半から筋肉少女帯として活躍する傍ら文筆活動も始めている。小説に『新興宗教オモイデ教』『グミ・チョコレート・パイン』『ステーシー』などがある他、『オーケンののほほん日記』など多くのエッセイを著している。作家活動における文体は、昭和軽薄体を意識している。日本SF作家クラブの会員でもあるが、本人によれば幽霊部員状態が続いているという。
  • 2007年現在、筋肉少女帯への復帰以降から小説執筆は止まっているが、対談やエッセイの連載は続けている。
  • 2008年6月21日で筋肉少女帯デビュー20周年を迎え、現在も精力的に活動中。
  • 2011年4月1日から特撮としてのバンド活動も再開した。

人物

  • 東京都立田柄高等学校出身(1期生)、日本デザイナー学院中退、(実質二浪で)東京国際大学へ進学、その後中退。
  • 父、母、兄の4人家族。父は信用組合の理事で支店長をしていた[3]。兄はTVカメラマンの大槻慎一(1964年 - 2012年10月[4][3][5]。父方の伯父は松竹を経てフリーとなった映画監督大槻義一(おおつき よしかず、1927年7月26日 - 2011年12月[6][7]。特に両親は大槻のエッセイにも度々登場しており、その時々で面白おかしくエピソードが披瀝されている。大槻いわく父は「石橋を叩いても渡らない」几帳面な人間で、母は「イー加減」「アバウト」で大らかな人間である。筋肉少女帯が売れ出した頃、ライブに出かける際、母親に「ケンちゃんコロッケ揚げたてだから、食べていきなさい!」と呼び止められたり、感謝の意も込め収入からまとまったお金を渡すも、父親は息子が仕事にあぶれても収入が得られるようにとそれを元手に賃貸アパートを購入するなど、家人のおよそロックとはかけ離れた庶民臭さを嘆いている。
  • アーティスト名の表記を大槻ケンとしたのはKENZI&THE TRIPSのケンヂを真似たものである[8]
  • 19701980年代にヒットしたサブカル誌「ビックリハウス」の常連投稿者(ハウサー)だった。当時の年齢は13歳。「ビッグムーン大槻」というペンネームで、「ジャパベン合衆国」というコーナーでは外務大臣の地位を得ていた。
  • 「気弱な文学青年」という自己形容の通り、普段は穏やかでユーモラスだが、議論の際にはストレートな物言いを見せる一面もある。1990年頃、伊集院光のラジオ番組にゲストで呼ばれた際、当時伊集院が心酔していた催眠術に対して生放送中に疑問を呈し、当時の深夜放送界での盟友であった伊集院と数年間の絶縁関係に陥った(後に伊集院とは和解している)。また、「オタク」という言葉が確立する以前、『オールナイトニッポン』のパーソナリティ時代に、今で言うところのアニメオタク達を「アニマー」と名付けて批評したところ、リスナーとの間で激しい論争となった。
  • 1990年代のバンドブームの最中を第一線で過ごした人物として、バンドブーム時代の追っかけギャル達の生態やヴィジュアル系と言われるバンド群に関して、小説やエッセイ、対談などで多く言及している。また自分自身(筋肉少女帯)を「Xは光、筋少は影」などとしてヴィジュアル系の元祖であることも自書やエッセイでほのめかしている。
  • 26歳からの3年間、タイで食べたオムレツに入っていたマジックマッシュルームがきっかけで心的外傷後ストレス障害に悩まされる[9]
  • 快獣ブースカのぬいぐるみを我が子と称して多数所持しており、寝食を共にするほど。特撮ではブースカをモデルにした「文豪ボースカ」という曲を制作、ライブのMCにもボースカ(ブースカ人形)を参加させている。
  • エッセイなどで臆面もなく「スケベー」と自認する。幼少時に水に濡れてスーツがテカテカになっていたウルトラセブンを観て性に目覚めたと語る。また、第39・40話「セブン暗殺計画」での夕日に照らされる十字架張りされたセブンに勃起したとも発言している。バンド結成以前は女性との縁も皆無で交際のきっかけさえ掴めずポルノ雑誌やビニ本、アダルトビデオで性欲を処理、バンドを結成してインディーズで話題になるまで全くモテなかったと言う。また初体験の相手はデビューしてから彼を取り巻きはじめた『ナゴムギャル』(ナゴムレコードファンの女の子)で、言い寄ってきた女性ファンらとその都度性交目的の交渉を行っていた。バンドブームが隆盛するに従い、スタッフがバンドメンバーに女性ファンを手配するようになり、さらにはロックバンドとの性交渉目的の女性ファン(ファック隊)にまで手を広げる。数多の女性遍歴を自著やトークなどにおいて赤裸々に語っており、性経験を題材にしたエッセイ『愛の履歴書』や『バンドマンの恋人になる方法』を著している。噂に基づく推測で「千人斬り」と目されてきたが、テレビ番組『美しき青木・ド・ナウ』にゲスト出演した際、大槻は「千人も斬ってないから300人くらいに直しておいて」と訂正を求めた。童貞時代の性に対する執着と妄想を熱心に語る反面、言い寄ってきた女性らに「自分だけは特別でありたいと願う自己顕示欲を満たす代償行為としてのセックスではないか」と述べている。
  • 「物品販売も大事」と悟り、バンド活動と共に販売促進に勤しむ面もある。
  • 容姿を何度か大きく変えており、筋肉少女帯メジャーデビュー直後位までは黒髪を逆立ててメガネを着用していたが[10]、アルバム『猫のテブクロ』の頃からは長髪を右へ流して後ろ髪はしばることが多くなり、2000年代の頃からモヒカン刈りになった。また、80年代の終わり頃から顔の左側にひび割れのような模様を描くようになり、以降の大槻のトレードマークになった[11]

趣味・嗜好

サブカルチャーの様々な方面に関心があり、それらに関する多くの著作の他に、歌詞や小説にアイディアとして取り入れられている。

  • 特にUFOに関しては本人もマニアを自称するほど詳しく、一時期は心療内科の医師から「UFO禁止令」を出されたほどであったという。関連書籍も「百冊以上」読んできた識者とも言えるこだわりようだが、本人はUFOのみならず超常現象全体について「単純に「ある」「ない」だけで考えるのは馬鹿げている」「超常現象に関わった人々の人間ドラマ、その数奇さが面白い」という持論がある。
  • 学生時代は昼食を抜いたり学校をサボったりして名画座や「黙壺子フィルムアーカイブ」に通い詰めたほどの映画好きであり、アート・シアター・ギルドアメリカン・ニューシネマといった自身の作風ともリンクする陰鬱なものから、いわゆるB級映画やバカ映画までを幅広く見てきている。
  • 特撮漫画への愛着も深く、自身の創作においても特撮番組のテーマソングを歌ったり漫画を描いたりといった経験があるほか、エッセイでも言及が幾度もなされている。
  • プロレス古武道を中心とした格闘技ファンでもあり、興行や大会などに足を運ぶ事もある。日米レスリングサミット1990年4月13日)では、当時の恋人と思われる女性との2ショットを写真週刊誌に掲載されたことがある。不安神経症を患ったことをきっかけに心身のリハビリとして[12]実際に極真会館(大山派。当時)で空手を習っていた時期もあるが、上達はしなかったという。ただ、極真会館に在籍したままグローブ着用顔面殴打有りの新空手の試合にチャレンジするなどして、習い事としての格闘技のハードルを下げる活動を福昌堂の雑誌ムックで行っていた。2013年8月には筋肉少女帯の大ファンであるプロレスラー入江茂弘の入場曲「タチムカウ-狂い咲く人間の証明-」を両国国技館で本人の入場に合わせてLiveパフォーマンスを行った。[13]
  • 小学5年生から読書に目覚め、探偵小説SFを読みふけって育った。この時から江戸川乱歩作品に精通しており、アルバム名や歌詞の中に作品のフレーズを多く引用している他、自らが乱歩に向けた手紙を歌詞の中に入れるなど、大の乱歩ファンとして知られている。自身のファンに向けて、乱歩の短編小説「二銭銅貨」で用いられた暗号を使用してメッセージを書いたことなどもある。作家業においても、エッセイでは怪人二十面相明智小五郎に、明智の妻・文代、小林少年といった、乱歩の代表作『少年探偵団シリーズ』の人物関係などの考察や、それを基にした短編小説を発表している。過去には『世界・ふしぎ発見!』の乱歩特集でミステリーハンターとして出演した他、近年ではNHKの江戸川乱歩作品考察番組への出演(2005年)や、同局『名作平積み大作戦』にてプレゼン(2006年)を行ったりしている。
  • シャーロック・ホームズに没頭した時期もあり、ホームズが体得していた謎の東洋格闘技・バリツとは、当時のイギリスで教えられていた柔術を取り入れた護身術・バーティツなのではないかという仮説をエッセイ中で述べ、ホームズの子孫とモリアーティ教授の子孫がバリツを駆使して戦う短編小説の発表もしている。
  • 他に文学関係では、中原中也寺山修司などの影響も強く受けており、エッセイでは三島由紀夫谷崎潤一郎澁澤龍彦などの耽美的な作家にも言及している。特に中原に関しては、筋肉少女帯の「スラッシュ禅問答」「リルカの葬列」の歌詞の中に『サーカス』や『春日狂想』を引用したり、筋肉少女帯のアルバム『キラキラと輝くもの』に収録されている「サーチライト」では自ら「中也のパクリはもうやめたのかい?」と自虐的な表現として用いたことがある。
  • 読書家が嵩じて文筆業を始めたが、小説においては星雲賞を二年連続で受賞、初の詩集に大塚英志が解説を寄稿、エッセイにおいては鹿島茂[14]坪内祐三[15]松岡正剛[16]の賛をうけるなど、文芸の分野でもある程度の評価を得ている。

与えた影響

  • 筒井康隆は自身の編纂したアンソロジー『人間みな病気』に「屋上」(『リンウッド・テラスの心霊フィルム』中の散文)を収録。後に同じく墜落死をテーマとした扱った短篇ホラー「二度死んだ少年の記録」(『最後の伝令』『驚愕の曠野(自選ホラー傑作集2)』所収)を発表している(作中冒頭で大槻についての言及があるほか、「ヒントは大槻くんからももらった」とも言っていた[17])。
  • 新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクター・綾波レイのデザインは筋肉少女帯の「何処へでも行ける切手」の歌詞をイメージソースにしてデザインしたもの、とキャラクターデザインを担当した貞本義行がインタビューや自身が手がける漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』の単行本2巻巻末で語っている。また、綾波レイの声・話し方のイメージは「福耳の子供」(『仏陀L』収録)のアウトロに収められた女性のモノローグを参考にした、と『スキゾ・エヴァンゲリオン』で本人がその影響を示唆する発言をしている。余談だが、当の漫画版2巻には綾波が単行本版『くるぐる使い』を読んでいるカットがある。
  • ビジュアルノベルというジャンル名の由来にもなったアダルトゲーム『』では、シナリオ担当の高橋龍也が大槻の処女小説『新興宗教オモイデ教』を脚本を考える際の下敷きにしたと発言している。
  • 荒木飛呂彦の長編作品『ジョジョの奇妙な冒険』第四部「ダイヤモンドは砕けない」には、筋肉少女帯の曲の歌詞からの引用や、当時の大槻のルックスを参考にしたキャラクター・音石明(スタンドはレッドホットチリペッパー)が登場している。
  • 藤田和日郎の短編集「暁の歌」に収録されている「空に羽が…」では筋肉少女帯の「機械」から出典となっており、内容も同曲を漫画にしたような内容となっている。
  • 漫画家との関わりが多く、比較的著名なところでは山田花子和月伸宏平野耕太奥瀬サキ新井理恵私屋カヲル大岩ケンヂなどが影響を公言している。また『グミ・チョコレート・パイン』(佐佐木勝彦・清水沢亮)や『くるぐる使い』(大橋薫)、『ステーシー』(長田ノオト)などがコミカライズされており、オリジナル原作の漫画では『女王様ナナカ』(画:西炯子)がある。
  • 若手作家では滝本竜彦遠藤徹が影響を公言しており、また中沢健のデビュー作はグミ・チョコレート・パインにインスパイアを受けて書かれた童貞青春小説『初恋芸人』であった。大槻もその内容には感銘を受けて本の帯に推薦文を書いている。

逸話

  • メジャーデビューの際、アポロンに『文化放送のレコード室にあるの全部ダビングしていいから』と口説かれたと語る[18]
  • 井上陽水奥田民生を引き合わせた。井上から「君も含めて奥田とデーモン小暮を交えて飲みたい」と頼まれたことが始まり[19]
  • ミュージシャンとしての活動歴は長いが、スタジオの仕組みについては未だによくわかっていないことを2007年4月6日放送の『MUSIC JAPAN』第1回に筋肉少女帯で出演した際に自他共に認めた。橘高文彦がレコーディング作業をし、ボーカル録り以外完成していたとある曲をインストゥルメンタルにすることを他のメンバーと同意していたところ、大槻が詩の朗読を入れたいと言い出した。当時のスタジオは48チャンネル使え、更にもうひとつのスタジオとも繋いでいたため96チャンネル使えたが、今更収録するのも面倒臭かったため「スタジオで使えるチャンネルは限られていて、君の歌を入れる場所はない」と嘘をつき、大槻を納得させたことを明かした。
  • JASRACによる音楽独占管理が批判に上がる際、よく引き合いに出されるのが通称「オーケン事件」であった。自身が作詞した「高円寺心中」をエッセイに載せたところ、JASRACに歌詞の使用料を求められ[20]、しかも印税として還元されなかったという話である。大槻本人が「使用料を徴収されたことはない。都市伝説だと思う」と公式に否定している[21]
  • 冴島奈緒結城ゆかり共演のアダルトビデオ「女教師の下着」(1989年4月24日 マドンナメイト)に生徒役で出演したことがある。絡みシーンはない。AV出演したことを宝島に掲載され、それが大槻ケンヂ本人であることを1989年6月28日の伊集院光のオールナイトニッポンにゲスト出演した際告白している。
  • オールナイトニッポンのパーソナリティーを担当した際、当初はプレッシャーから放送前に毎回のようにブロン液を一気飲みしたり、飲酒して放送していたと後に告白している[22]

作品

筋肉少女帯の作品に関しては筋肉少女帯の当該項目を、特撮の作品に関しては特撮の当該項目を参照。

シングル

  • オンリー・ユー (1995年2月22日)
  • あのさぁ (1995年6月21日)
  • プカプカ (1996年8月7日)

アルバム

  • ONLY YOU(1995年3月8日)
  • I STAND HERE FOR YOU(1995年8月23日)
  • わたくしだから(1996年8月21日)
  • スケキヨ(1998年4月22日) - UNDERGROUND SEARCHLIE 名義
  • アオヌマシズマ(1998年5月21日) - UNDERGROUND SEARCHLIE 名義
  • THE BEST OF KENJI OHTSUKI(1998年) - ベスト盤
    • (オンリー・ユー/ジェロニモ/ワインライダー・フォーエバー/プカプカ/あのさぁ/海千山千/ののの唄/天プラ/モンブランケーキ/もうがまんできない/君は千手観音/タンゴ/天使/がんばったがダメ/Guru)
  • 猫対犬〜オーケン・ソロベストR(1999年) - ライブ盤
    • (とん平のヘイ・ユー・ブルース/未青年/僕の宗教へようこそ!/私はみまちゃん/横隔膜節/猫見に行ったら犬がいた/オンリー・ユー/恋人よ逃げよう世界はこわれたおもちゃだから/高円寺心中/パヤパヤ/とん平のヘイ・ユー・ブルース)
  • 対自核-自己カヴァー(2002年) - セルフカバー盤
    • (Guru/ボヨヨン伝説〜ボヨヨンロック〜日本印度化計画〜元祖高木ブー伝説〜これでいいのだ〜踊るダメ人間/カーネーション・リインカネーション/風車男ルリヲ/詩人オウムの世界/あのさぁ/モンブランケーキ/少年、グリグリメガネを拾う/孤島の鬼/夢見るショック!仏小僧/サボテンとバントライン/蜘蛛の糸/天使/Guru return/初回版 Bonus Track:機械/オッパイマンの唄(オリジナル盤))
  • プライベート・アンプラグド(2004年)
    • (猫のリンナ/町のスケッチ/犬を手離す/青ヒゲの兄弟の店/香菜、頭をよくしてあげよう/妖怪にご用心/おやすみ)
  • ミッドナイト・プラグレス・カフェ(2009年) - セルフカバー盤
  • Sleep well tonight(2009年) - 自作小説朗読CD

参加作品

  • ウッドストック、S伝説(1985年) - 巻上公一プロデュース『都に雨の降る如くII』(東芝EMI)に大槻モヨコ名義で田口トモロヲとのデュオ「チワワ」として参加。作曲は上野耕路巻上公一
  • BRAIN BREAKERS - 大槻モヨコ名義で作詞、ヴォーカルで参加。「SHI-TA-I!! HOT MENUS-TEIYU CONNECTION'87」(capten records)収録
  • シティロマンス(1987年) - ナゴム時代の盟友人生のシングル『LOVE』にゲストボーカルで参加。石野卓球との唯一の音源上の共演である。
  • ボヨヨンロック(1989年) - 内田雄一郎とのユニット「まんが道」として。
  • 神智学無き戦い(1993年) - アニメ『剣勇伝説YAIBA』のED。(作詞:大槻ケンヂ/作曲:網倉一也/編曲・歌:カブキロックス
  • コボちゃんグルー(1993年) - アニメ『コボちゃん』のOP。「おーつきけんじとエマニエル5」(筋肉少女帯とは別編成)として。
  • METAL DRAGON(1998年) - カンフー映画の曲のメタル・カバー・アルバムにアルバム内唯一のオリジナル曲「メタル・ドラゴン」にボーカルとして。
  • 鞄(2003年) - RIDER CHIPSのフィーチャリングボーカリストとして。
  • 踊る赤ちゃん人間(2006年) - アニメ『NHKにようこそ!』のED。橘高文彦とのユニット「大槻ケンヂと橘高文彦」として。
  • 大槻ケンヂと橘高文彦ライブ ザ・仲直り! そしてその後の展開は? 筋肉少女帯 復活!?(2006年) - 「大槻ケンヂと橘高文彦」として。
  • GO! リュウケンドー(2006年) - 特撮テレビ番組『魔弾戦記リュウケンドー』のOP(30話より)にボーカルとして。
  • 人として軸がぶれている(2007年) - アニメ『さよなら絶望先生』のOP。野中藍井上麻里奈小林ゆう沢城みゆき新谷良子とのユニット「大槻ケンヂと絶望少女達」として(ただし、声優以外の録音メンバーは特撮と同一の構成である)。「絶望先生」OPに関しては同一メンバー。
  • 空想ルンバ(2008年) - アニメ『俗・さよなら絶望先生』のOP。「大槻ケンヂと絶望少女達」として。元々は「俺の値段を誰が決めた」というタイトルだった、と本人が語っている[23]
  • 豚のご飯(2008年) - アルバム『絶望大殺界』収録。小林ゆうとのユニット「大槻ケンヂと木村カエレ」として。プロデュースはNARASAKI。
  • プライド オブ アンダーグラウンド(2008年) - 『ポアロのあと何分あるの?』放送300回記念で作成された番組のテーマソング。「ポアロ feat.大槻ケンヂ」として。
  • あくびの戦士がふぁー(2008年) - パソコンゲーム『スマガ』の挿入歌。プロデュースはNARASAKI。同ゲームのサウンドトラック『Sumaga Music Galaxy』にフルサイズ収録。
  • かくれんぼか鬼ごっこよ(2008年) - 「大槻ケンヂと絶望少女達」として。
  • GO!!俺ら(2009年) - パソコンゲーム『スマガスペシャル』の挿入歌。同ゲームのサウンドトラック『Cosmic Disco』にフルサイズ収録。
  • 林檎もぎれビーム!(2009年) - アニメ『懺・さよなら絶望先生』のOP。「大槻ケンヂと絶望少女達」として。
  • Crush Tears I(2010年) -ロックバンド『Crush Tears』のアルバム。「再起動ダンディズム」を作詞、ゲストヴォーカルとしても参加。
  • We Love Bakufu Slump (2011年)- 爆風スランプのトリビュートアルバムにボーカリスト「謎のボーカリスト・サンプラザ高円寺くん」として参加。プロデュースはファンキー末吉

楽曲提供

出演

テレビ

TVアニメーション

CM

ほか多数

テレビドラマ

映画

  • ファンシィダンス(1989年)
  • Kanojyo No Jijyou(1989年)
  • ![ai-ou] 主演(1991年)
  • TARO! TOKYO 魔界大戦(1991年、警備員役)
  • ワンルーム・ストーリー(1991年、路上詩人役)
  • RAMPO ゲスト出演(1994年、タクシー運転手役)
  • 無頼平野 -昭和侠客外伝-(1995年、奇術師役)
  • スーパーカミング(1995年)
  • ジャングル大帝 劇場版(1997年、声優-船員A役)
  • レックス・ザ・ラント (3)(2001年、声優)
  • ステーシー (2001年、原作、特別出演)
  • 人形劇 新・八犬伝 劇場版 (2003年、特典映像に出演)
  • アイデン&ティティ (2003年、カメオ出演)
  • スーパーカミング 完全版(2003年)
  • シベリア超特急5 (2005年、芥川龍之介役)
  • 怪奇!!幽霊スナック殴り込み (2006年、のぞき魔役)

オリジナルビデオ

  • 女教師の下着(1989年、バスケ少年役) ※アダルトビデオ
  • ザ・人面犬(1990年、司会者)
  • 空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜(1990年、ドス竜役-主演)
  • バトルガール(1991年、ガンマン役)
  • 永井豪 漫画家生活25周年ビデオ「GO-V」(1992年、インタビュアー)
  • 企画DVD「インドカレー屋のテレビ」(2006年、コメンタリー)

ラジオ

書籍

小説

  • 新興宗教オモイデ教(1992年)
  • くるぐる使い(1994年)
    • 短編集。文庫化もされたが現在は絶版。文庫版装画は高橋葉介
    • 表題作「くるぐる使い」が第25回星雲賞日本短編部門受賞、吉川英治文学新人賞候補となった。2006年「ネムキ」にて大橋薫により漫画化。
    • 収録作の一つ「のの子の復讐ジグジグ」は「くるぐる使い」に続き第26回星雲賞日本短編部門受賞。
    • 筋肉少女帯のアルバム『UFOと恋人』に、収録短編と同じモチーフの楽曲が多数収録されている。
  • ステーシー ―少女ゾンビ再殺談(1997年)
    • 単行本のイラストを担当した長田ノオトによって1998年に漫画化。
    • 友松直之監督により『STACY』の題で2001年に映画化。主演は加藤夏希。作者である大槻も特別出演。
    • 月蝕歌劇団により2004年に舞台化。
    • 作者である大槻自身の手による外伝短編が複数存在している。それら全てを併録した完全版として『ステーシーズ ―少女再殺全談』が2008年に角川文庫より発売。装画は富崎NORI。
    • 筋肉少女帯のアルバム『ステーシーの美術』に、「再殺部隊」や「リテイク」など本作とモチーフが共通とおぼしき楽曲が多数収録されている他、特撮でも「死人の海をただよう」のように世界観を共有している楽曲がある。
    • 末満健一の脚本・演出により『ステーシーズ 少女再殺歌劇』の題で2012年に舞台化。主演はモーニング娘。
  • リンダリンダラバーソール ―いかす!バンドブーム天国(2002年)
    • バンドブームを描いた、エッセイの要素が強い自伝的小説。
    • 喜安浩平の脚本・演出により2008年に舞台化。主演はAAA西島隆弘。2009年には西島隆弘主演で再度、舞台化された。
  • グミ・チョコレート・パイン(1993年〜2003年)
    • 『グミ編』・『チョコ編』・『パイン編』から成る3部作。イラストは三作とも江口寿史が担当。
    • 当初は「半自伝的小説」としていたが、現在では作者本人が「自伝」という言葉を否定している。
    • 佐佐木勝彦・清水沢亮によって漫画化されている。
    • ナゴムレコードの主催であり、原作や漫画版でも登場人物のモデルとして登場しているケラリーノ・サンドロヴィッチ監督により2007年に映画化。主演は石田卓也黒川芽以。ED曲は同じくナゴムレコードにメンバーが所属していた電気グルーヴの「少年ヤング」。
    • 未完の外伝「放浪編」あり。
  • ロッキン・ホース・バレリーナ(2004年)
    • 特撮のミニアルバム『夏盤』に、本作のイメージソングが多数収録されている。装画は浅田弘幸
  • 大槻ケンヂ短編集「ゴスロリ幻想劇場」(2005年)
  • ロコ!思うままに(2006年)
    • 短編集。特撮のベスト・アルバム(及び、その表題楽曲)と同名(作品たちの関係性は高くはない)。表紙イラストもアルバム・ジャケットと同じものを使用。
  • 縫製人間ヌイグルマー(2006年)
    • 特撮の楽曲「戦え!ヌイグルマー」の歌詞を基にしている。イラストも「戦え!ヌイグルマー」が収録されているアルバム『ヌイグルマー』のジャケットを担当したD[di:]
    • 井口昇監督によりヌイグルマーZの題で2014年に映画化。主演は中川翔子
  • 筋肉少女帯物語
    • 未完作品。1990年代の筋肉少女帯における出来事を綴った自伝小説。
  • 神様のチョイスはKISS(2006年)

エッセイ

  • オーケンののほほんと熱い国へ行く(1991年)
    • 生まれて初めて書き下ろした著書。
    • テレビの企画で訪れた初めてのインド旅行記とタイへの初めての一人旅の体験記。インド編とタイ編の2編で構成される。
  • のほほん雑記帳(1992年)
  • 行きそで行かないとこへ行こう(1992年)
  • ボクはこんなことを考えている(1993年)
    • 超常現象、プロレス、少女の心理(不思議少女やバンドの追っかけ等)などを自身の体験談に絡めて論じるエッセイ。
  • のほほん人間革命(1995年)
    • いわゆる「体験記」的体裁の文章が多いが、テーマがいささか風変わりである。
  • オーケンののほほん日記1992-1995(1996年)
  • エッセイ・SR311(1996年)
    • 文庫版では『猫を背負って街へ出ろ!』に改題。
  • 大槻ケンヂのお蔵だし(1997年)
  • わたくしだから(1998年)
    • 文庫版では『わたくしだから・改』に改題。シャーロック・ホームズが習得していた「バリツ」、またモリアーティ教授にホームズがかけた技の考察は本書による。
  • オーケンののほほん日記ソリッド(1999年)
  • オーケンの散歩マン旅マン(1999年)
  • のほほんだけじゃだめかしら?(1999年)
  • 90くん(2000年)
    • 文庫版では『90くんところがったあの頃』に改題。90年代のトピックを取り上げている。文庫版装画はみうらじゅん
  • 大槻ケンヂの読みだおれ ―大槻ケンヂのお蔵だしPart2(2001年)
    • 文庫版では『我が名は青春のエッセイドラゴン!』に改題。
  • オーケンのめくるめく脱力旅の世界(2001年)
  • 神菜、頭をよくしてあげよう(2003年)
  • オーケンの、私は変な映画を観た!!(2004年)
    • 文庫版では『変な映画を観た!!』に改題。
  • 綿いっぱいの愛を!(2005年)
  • 愛の履歴書(2005年)
  • 暴いておやりよドルバッキー(2007年)
  • 人として軸がブレている(2009年)
  • オーケンの、私は変な映画を観た!! 2(2009年)
  • 心の折れたエンジェル (2011年)
  • オーケンの、このエッセイは手書きです (2013年)
  • FOK46 突如40代でギター弾き語りを始めたらばの記 (2014年)

詩集

  • リンウッド・テラスの心霊フィルム ―大槻ケンジ詩集(1990年)
    • 筋肉少女帯の楽曲の歌詞と、書き下ろしの掌編を収録。
    • 当時は詩人として活動する際は「大槻ケン」名義になる事を表明していた為、著者表記は誤植ではなく意図的な物である。文庫版では『リンウッド・テラスの心霊フィルム』に改題、新装文庫版からは著者表記も「大槻ケンヂ」となっている。
    • 書き下ろされた散文詩の一つ「なつみさん」は清水厚監督により『NATSUMISAN』の題で2005年に映画化。主演は香奈
  • 大槻ケンヂ全詩歌集「花火」(2003年)
    • デビュー15周年記念。インディーズ最初期から本作付属CDまで、今まで楽曲として使用された全詩歌を収録。
    • ただし特撮の楽曲「あの娘が遊びに来る前に」「やってんだかわからない美術館」の二作の歌詞は未収録となっている。

対談集

  • 人生いろいろ 大槻ケンヂ人生対談集(1991年)
  • 超常事件簿(1995年)
  • 直撃!強くなりたい道!こんな経験、ボク初めてなんです(1996年)
    • 武道家との対談集。
  • トンパチ(1997年)
  • 偶像(アイドル)列伝 オーケンの私はあなたが好きでした(2000年)
  • 大槻ケンヂのザ・対談猫対犬(2002年)
  • オーケンのほほん学校(2005年)
    • 大槻が主宰しているイベント「のほほん学校」のベスト・トーク集。
  • 激突!大槻ケンヂ対美女軍団(2007年)
    • 映画雑誌「映画秘宝」で連載された映画女優との対談集。
  • 40代、職業・ロックミュージシャン 大人になってもドロップアウトし続けるためにキッチリ生きる、'80年代から爆走中、彼らに学ぶ「生きざま」の知恵(2013年)
    • 週刊アスキー」で連載された40代のロックミュージシャンとの対談記事『R40』全261回から大槻自身がセレクトした44本をまとめたもの。

その他

  • デーモン・オーケンのハッスル巌流島(1994年)
    • デーモン・オーケンのラジオ巌流島の番組本。
  • 大槻ケンヂのプロレス・格闘技世紀の大凡戦(2005年)
  • 筋肉少女帯自伝(2007年)
    • 活動再開後の筋肉少女帯メンバーとの共著。インタビュー形式。
  • 女王様ナナカ(2008年)
    • 原作:大槻ケンヂ、漫画:西炯子
    • 1993年「別冊少女コミック」特別増刊号「花林」に掲載。1996年に西炯子の同人誌として出版された。同人誌では、原作者である大槻の表記は「カレーライス師匠」となっていた。
    • 2007年に「月刊COMICリュウ」で連載再開。単行本が発売される。単行本では原作者表記は元に戻っている。
  • 大槻ケンヂ20年間わりと全作品(2008年)
  • 大槻ケンヂが語る江戸川乱歩 私のこだわり人物伝 (2010年)
  • サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法(2012年)

出典・脚注

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関連人物・項目

外部リンク

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  1. 「モヨコ」とは、夢野久作ドグラ・マグラ』の登場人物から引用されている
  2. 『オーケンののほほん日記ソリッド』におけるキング・クリムゾン来日公演に触れた記述。
  3. 3.0 3.1 週刊新潮」1990年1月11日号 より
  4. 水死:大槻ケンヂさんの兄、千葉沖で 毎日新聞 2012年10月20日閲覧
  5. 日本テレビ系『メレンゲの気持ち』出演時のトーク より
  6. キネマ旬報2006年6月下旬号「オーケンの映画と私 第14回 僕の映画のルーツは、親父と伯父と時々、木下恵介!?」 より
  7. 『日本映画人名事典 監督篇』(キネマ旬報社)より
  8. TBS系『はなまるマーケット』出演時のトークより
  9. 絶望に効くクスリ Vol.7 (ISBN 4-09-151092-2)第63夜 武装解除の野原(後編)。自身のエッセイ「神菜、頭をよくしてあげよう」によると、この一件以来キノコ類が食べられなくなってしまったという。
  10. シングル『高木ブー伝説』、アルバム『仏陀L』のジャケット
  11. アルバム『ステーシーの美術』のジャケットで、そのひび割れ模様がデザインとして使われている。
  12. 『直撃!強くなりたい道』(福昌堂)による。
  13. インライフ 男の履歴書 大槻ケンヂ
  14. 「私の読書日記」(『週刊文春』1997年7月24日号) WEB Davinci
  15. 『文庫本を狙え!』(2000年、晶文社)
  16. 松岡正剛の千夜千冊・第百七十六夜・大槻ケンヂ『ボクはこんなことを考えている』
  17. 『リンウッド・テラスの心霊フィルム』文庫版解説より。述・内田春菊
  18. 文化放送A&Gメディアステーション こむちゃっとカウントダウン2006年8月19日放送分など
  19. 『リンダリンダラバーソール』2002年3月(メディアファクトリー)P158-165
  20. 岡田斗司夫田中公平山本弘『史上最強のオタク座談会2 回収』音楽専科社、2000年、p.123など。
  21. 2008年11月20日に発売された雑誌「ぴあ」の連載にて。大槻ケンヂ『人として軸がブレている』ぴあ社、2009年に所収。
  22. 「オールナイトニッポン大百科」(主婦の友社1997年のインタビューより)
  23. オーケンブログ:1/23 不定期日記より
  24. 番組最後のコーナー、『絶望先生絵描き歌』に本人役の声で出演・歌唱、同時に絵描き歌に合わせて、自筆のイラストも披露している。