赤坂泰彦

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テンプレート:Infobox 人物 赤坂 泰彦(あかさか やすひこ、1959年昭和34年)11月25日 - )は、日本のラジオDJタレント司会者俳優ミュージシャン作詞家である。血液型O型。

略歴

東京都生まれ。同目黒区で育ち、日本大学櫻丘高等学校卒業。

1982年(昭和57年)、ロックバンド「東京JAP」のドラマーとしてCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からデビュー。代表曲は「摩天楼ブルース」。バンド活動停止以降、憧れであったDJの道を本格的に志し、TBSラジオ等で活動を始める。

数本の深夜番組を担当。中でも『FMナイトストリートパジャマプレス』(JFN1988年10月〜1994年3月)で、同じJFNAラインの『スーパーFMマガジン』に勝るとも劣らない根強い人気を得る。1989年からTOKYO FMの夕方ワイド番組 『TOKYO POP ARENA(トーキョー・ポップ・アリーナ)』を担当。同番組は後に、『DANCE SHIP TOKYO(ダンス・シップ・トーキョー)』と改題され、3年半に亘って担当する。

1992年平成4年)『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)にキックベースの実況として出演し、独特の言い回しを披露していた。スタート当初は顔出ししていなかった為、視聴者から番組に「顔を見てみたい」の声が寄せられ顔を出し、それ以降、番組進行役として顔出し出演もするようになる。

またこの時期(1992年4月 - 1993年3月)、テレビ神奈川(TVK)の生放送音楽番組『ファンキートマト'92('93)』にも番組後半のレギュラーとして出演していた。

1993年平成5年)4月1日、TOKYO FM系『赤坂泰彦のMillion Nights』の放送が始まり、1994年に当番組での活躍が認められ、第31回ギャラクシー賞で、この年より個人賞から衣替えしたDJパーソナリティ賞を受賞した。[1]

1995年平成7年)4月25日、TOKYO FM 開局25周年記念特別番組『赤坂泰彦の東京・ニューヨーク25時間スペシャル』をニューヨークから生放送。この時、憧れのウルフマン・ジャックとダブルDJを行う。

1996年10月、初のAMラジオレギュラー番組としてニッポン放送で『オールナイトニッポン』の日曜版と冠された番組がオンエアされる。

1997年9月30日、『Million Nights』降板(番組自体は1999年3月に終了)。日本テレビ系『THE夜もヒッパレ』のMCなど、その後もテレビ、ラジオのレギュラー番組を多数抱える。

1998年長野五輪聖火ランナーとして長野県飯田市内を走る。

出演番組

テレビ

ラジオ

AM

FM

インタ-ネット

過去の出演番組

ラジオ

FM
AM

テレビ

テレビドラマ

CM

作詞

  • 尾崎家の祖母(おざきんちのばばあ)パート3 (まりちゃんズと共同作詞、1994年。行方不明<いがたふみあき>名義でプロデュースも行う)
  • ありがとう…勇気TOKIOの楽曲、1996年)

関連項目

外部リンク

脚注

  1. 第31回ギャラクシー賞受賞作品 放送批評懇談会公式ウェブサイト

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