石橋蓮司

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テンプレート:ActorActress 石橋 蓮司(いしばし れんじ、1941年8月9日 - )は、現在の東京都品川区出身の俳優演出家。身長178cm。血液型AB型。「劇団第七病棟」主宰。特技は日本舞踊。妻は緑魔子

来歴・人物

建具職人だった父と母が離婚し、母、姉、弟の四人と戸越連れ込み旅館で育つ[1]日本大学高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。

中学生時代の1954年から劇団若草に所属し、映画『ふろたき大将』に主演でデビュー。大学中退後の1965年劇団青俳の養成所に入所。

1968年、共に青俳を脱退した劇作家の清水邦夫、演出家の蜷川幸雄、俳優の蟹江敬三岡田英次真山知子らと劇団現代人劇場を旗揚げする。1971年に現代人劇場が解散した後、1972年に清水、蜷川、蟹江と劇結社「櫻社」を結成。1974年に蜷川が商業演劇に活動の幅を広げたのを機に櫻社が解散した後は、1976年緑魔子と劇団第七病棟を旗揚げする。第七病棟の公演では、使われなくなった建物を劇場に改造して唐十郎山崎哲の作品を上演し、その多くで自ら演出を手掛けている。

テレビ、映画にも多数出演し、降旗康男の監督作品には互いのキャリアの初期から40年にわたって出演を続けているほか、深作欣二篠田正浩市川崑神代辰巳田中登ら多くの著名な監督に起用され続けてきた。三池崇史監督作品の常連でもある。悪役からコミカルな役柄まで幅広く演じており、テレビのドキュメンタリー番組のナレーションやNHKの人形劇など、声の仕事でも知られる。

1990年公開の映画『浪人街』では純情で正義感に富み、居合抜きの達人でもある母衣権兵衛役を演じ、見事な殺陣が高く評価された。同じ黒木和雄の監督作である『竜馬暗殺』などで共演した原田芳雄とは親しく、原田は「石橋蓮司は俺の知っている役者の中でも最高の役者だ」と賛辞を送っているテンプレート:要出典

テレビのトーク番組やバラエティ番組にはほとんど出演しないが、2008年1月に俳優の竹中直人がホストを務めるラジオ番組『竹中直人ハードボイルド・ソーセージ』にゲスト出演した際には、子役時代の話や1970年代の新宿ゴールデン街でのエピソード、蜷川幸雄、原田芳雄、松田優作などの芝居仲間について語っている。

2008年には、東映が実施する若手俳優の育成を目標とした「東映大学」プロジェクト(東映作品に重点的に出演する機会を若手俳優に与える)の校長に就任している。

出演作品

映画

1950年代
  • ふろたき大将(1955年) 石橋蓮名義
  • 暁の合唱(1955年) - 斎村銀二郎
  • 33号車応答なし(1955年)
  • 幼きものは訴える(1955年) - チャリ坊
1960年代
  • 少年漂流記(1960年) - 志賀
  • 越後つついし親不知(1964年) - 坊ちゃん
  • 狼と豚と人間(1964年) - ヒロシ
  • ダニ(1965年) - 三郎
  • かも(1965年) - 守男
  • 網走番外地シリーズ
    • 網走番外地 望郷篇(1965年) - ピン公
    • 網走番外地 北海篇(1965年) - 夏目
    • 網走番外地 悪への挑戦(1967年) - 一郎
    • 網走番外地 吹雪の斗争(1967年) - 吉
  • 流れ者仁義(1965年) - 弘
  • 非行少女ヨーコ(1966年) - ナロン
  • 悪童(1966年) - 影山
  • 地獄の掟に明日はない(1966年) - 次郎
  • 男なんてなにさ(1966年) - 中山
  • 決着 (おとしまえ)(1967年) - 蓮太郎
  • 現代やくざ 与太者の掟(1969年) - まさる
  • やくざ刑罰史 私刑(1969年) - 蝮の六
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代

舞台

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

関西テレビ放送

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

ゲスト・単発出演

スペシャル

オリジナルビデオ

劇場アニメ

CM

その他

受賞歴

脚注

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テンプレート:日本アカデミー賞最優秀助演男優賞 テンプレート:キネマ旬報ベスト・テン助演男優賞 テンプレート:毎日映画コンクール男優助演賞 テンプレート:ブルーリボン賞助演男優賞

テンプレート:パナソニックドラマシアター 水戸黄門 主要キャスト
  1. 木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 41頁