タツノコプロ

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テンプレート:Infobox 株式会社タツノコプロテンプレート:Lang-en-short)は、アニメーションの企画・制作および版権管理を主な事業内容とする日本企業日本動画協会正会員。

漫画等の原作をもとにしないオリジナルアニメを得意とし、そのため作品にかかわる権利の9割以上を自社単独で保有している。1962年10月、「株式会社竜の子プロダクション」(たつのこプロダクション)として設立。2013年2月、通称として使用してきた「タツノコプロ」に商号変更。1970年代を中心に、多くの人気作品を世に出した。コーポレート・キャラクターはタツノオトシゴである。

沿革

  • 1962年(昭和37年)
    • 10月19日 - 漫画家吉田竜夫が、自身のマネージャーを務めていた弟の吉田健二らと共に「株式会社竜の子プロダクション」(以下、「タツノコプロ」)を設立。竜夫の末弟で漫画家の九里一平(本名: 吉田豊治)も、竜夫と健二に勧められるまま参加。3兄弟が代表権を持つ取締役に就任し、竜夫が社長、健二が専務、九里が常務となった。当時の所在地は東京都国分寺市。当初は吉田竜夫の漫画の版権やアシスタントの管理をするための漫画専門のプロダクションだった。創設時には、辻なおき望月三起也中城健が参加した。
  • 1964年(昭和39年)
    • タツノコプロへ東映動画からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれ『宇宙エース』の企画が立てられるが、著作権の配分を巡って紛糾し制作開始直前に企画が中止となるタツノコプロが原作と演出、東映動画が作画以降の作業を分担する計画であった。企画中止の後、東映動画は独自に『宇宙パトロールホッパ』を制作した[1][2]。このとき、タツノコ側からはアシスタントの原征太郎と吉田兄弟の友人の漫画家笹川ひろしが東映動画で3か月のアニメーター養成研修を受けた。
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月 - タツノコプロ単独制作により『宇宙エース』がテレビアニメ第1作として放送開始。モノクロ作品。吉田兄弟、笹川ひろし、原征太郎を中心に新たに奥田誠治、坪田力蔵、西岡たかし、木下敏治、東映動画から美術の中村光毅虫プロダクションから脚本家の鳥海尽三らが加わる。その他、新聞の募集広告で約60名のスタッフが集まる。
  • 1966年(昭和41年)
    • 2月 - 鳥海永行が入社、当時は文芸部がなかったため演出部に所属。
  • 1967年(昭和42年)
    • 4月 - カラー作品第1号『マッハGoGoGo』が放送開始。以後、吉田竜夫が原作を務めた作品と『いなかっぺ大将』などの他の原作者による作品を並行しながらアニメ制作を続ける。主に『科学忍者隊ガッチャマン』などのSFアクションヒーロー物を制作する一方、スラップスティックギャグや家庭向け作品を多く制作する。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1975年(昭和50年)
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月7日 - 子会社のアニメフレンドを設立。
    • 9月5日 - 吉田竜夫社長が肝臓がんのため45歳で死去。
      • 吉田竜夫が体調を崩した前後から、タツノコプロ草創期のメンバーを中心に社外への人材流出が起きる[3]
    • 9月21日 - 吉田健二取締役が第2代社長に就任。
  • 1978年(昭和53年)
    • アニメーター養成機関、タツノコアニメ技術研究所を設立。
  • 1983年(昭和58年)
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)
  • 1987年(昭和62年)
    • 吉田健二社長が退任し、タツノコプロを退社。九里一平が第3代社長に就任。健二前社長は退任後、独自のプロダクション「遊エンターテインメント」を設立。同社でテレビアニメ『横山光輝 三国志』の制作に関わる。
    • 12月、竜の子制作分室が独立して有限会社アイジータツノコ(現: プロダクション・アイジー)が設立される。設立にあたり、タツノコプロは資本金の20%にあたる100万円を出資[5]。この資本関係は1993年(平成5年)に一旦、解消しているが[6]2010年(平成22年)には逆にプロダクション・アイジーがタツノコプロの株式を11.2%取得して資本関係が復活している。
    • 赤い光弾ジリオン』が日本アニメ大賞の「ファン大賞」(作品賞・男性キャラクター賞・女性キャラクター賞の3賞)を独占。
  • 1990年(平成2年)
    • 杉井興治率いるタツノコアニメ技術研究所が、アニメーション21結成に参加して独立。
    • 9月 - アニメフレンドを解散。
    • ロビンフッドの大冒険』の放映がNHK衛星第2テレビで開始、タツノコアニメが初めてNHKで放映される。

1990年代以降は、社外に去っていた笹川ひろし、多田喜久子らかつてのスタッフを呼び戻し、旧作のリメイクを中心に作品発表を続けた。

  • 1995年(平成7年)
    • 吉田健二前社長がタツノコプロに復帰、初代会長に就任。
  • 2000年(平成12年)
    • タイムボカンシリーズ17年ぶりの新作、『怪盗きらめきマン』がテレビ東京系で放映される。
  • 2004年(平成16年)
    • 映像作家の紀里谷和明が『新造人間キャシャーン』を自ら監督を務めて実写映画化(『CASSHERN』)。ただし、タツノコプロは原作者としてクレジットされただけで、制作には一切関与していない。
    • 3月、東京工科大学との共同プロジェクトにより制作した『Sky Kids BOOBY』が東京国際アニメフェア一般公募部門で優秀作品賞を受賞する。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月31日 - 吉田竜夫初代社長が「東京国際アニメフェア2005 第1回特別功労賞『日本のアニメを作った20人』」を受賞。竜夫の長女・すずか(イラストレーター・デザイナーとしてタツノコプロで活動)が代理で受け取る。
    • 5月 - 創立40周年記念作品『鴉 -KARAS-』制作。
    • 6月末 - 大手玩具メーカータカラ(現: タカラトミー)が吉田家から株式の88%を取得、タカラ傘下に。
    • 7月1日 - 吉田健二会長と九里一平社長が退任。吉田洋子、吉田富子ら一族の役員も全員退任し、吉田家がタツノコプロの経営から離れる。成嶋弘毅専務が第4代社長に就任。
    • 7月 - 『Sky Kids BOOBY』が関西国際空港関空展望ホール(スカイビュー)のスカイミュージアム内スカイキッズルームにて関空オリジナル映像として上映される。
    • 10月2日 - 九里一平前社長が「第10回アニメーション神戸」特別賞を受賞。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月25日 - 『鴉 -KARAS-』が「東京国際アニメフェア2006 第5回東京国際アニメアワード」オリジナルビデオ部門優秀作品賞を受賞。
    • 4月 - 『アクビガール』の放映がtvkなどのUHF局で開始。『怪盗きらめきマン』以来6年ぶりに通常の地上波テレビ放送で放映されたタツノコアニメ(単発のスペシャル番組は除く)となる。
  • 2007年(平成19年)
    • 『科学忍者隊ガッチャマン』『ヤッターマン』の実写映画化が発表される。
    • 10月 - 『ヤッターマン』が30年ぶりにリメイクされることが決定。
  • 2008年(平成20年)
  • 2009年(平成21年)
    • 3月7日 - 実写映画版『ヤッターマン』公開。
    • 6月2日 - 『タツノコ VS. CAPCOM』の海外版『TATSUNOKO VS. CAPCOM ULTIMATE ALL-STARS』がE3において各媒体社よりベストファイティングゲーム賞を受賞。
    • 8月22日 - アニメ映画版『ヤッターマン』公開。
    • 11月 - 実写映画版『ヤッターマン』の第2作品目の企画がスタートする。
  • 2010年(平成22年)
  • 2011年(平成23年)
    • 4月 - 『C』がフジテレビ系列で放送開始され、約26年ぶりとなる同系列での新作作品となる。また、テレビ東京系列で『SKET DANCE』・『プリティーリズム・オーロラドリーム』が放送開始され、3作品がほぼ同時期に開始された。
    • 11月19日 - 創立50年の1年前を迎えたのを期に2013年11月19日までを“50周年期間”とし、様々な記念事業を行うことを発表。
  • 2012年(平成24年)
    • 4月1日 - 佐藤慶太社長が退任、田中修一郎が第6代社長に就任[8]
  • 2013年(平成25年)
  • 2014年(平成26年)
    • 1月29日 - 日本テレビ放送網がタカラトミーが保有する株式のうち、発行済み株式54.3%を取得し子会社化すると発表。タカラトミーは引き続き株式20%を保持し、提携関係を継続する[12][13]
    • 1月31日 - 田中修一郎社長が退任。桑原勇蔵が第7代社長に就任。

特色

キャラクター造形

タツノコプロのアニメ企画作りはまずキャラクター作りから始まっており、タツノコプロから産まれたキャラクターは根強い人気を誇る。1992年(平成4年)にバンダイが発売した『宇宙の騎士テッカマンブレード』のプラモデル通商産業省(現:経済産業省)のグッドデザイン賞を受賞したり、2003年(平成15年)にタカラが発売したタツノコプロの歴代ヒーローをモデル化した「ミクロマン2003」が発売直後に売り切れたりしている。

元来吉田竜夫の作品は『忍者部隊月光』など、劇画タッチのアクション物として知られており、アニメーションにもその作風が発揮されていた。吉田竜夫、九里一平、天野嘉孝らの描いたアメリカンコミックを思わせるカラフルでスタイリッシュ・肉感的なキャラクターは作品の海外輸出を強く意識した結果だと言われている。1960年代の代表作である『マッハGoGoGo』はアメリカに輸出され "Speed Racer" の題で人気を博し、一部のアメリカ人がアメリカ製のアニメーションだと信じていたとの逸話も残すほどだった。アクションものとともにタツノコプロの2本柱となった笹川ひろし監督によるギャグもの『ハクション大魔王』「タイムボカンシリーズ」も根強い人気でキャラクター商品に人気があるが、こちらもアクションものと同様にデザインはバタくさく、美術設定などは日本を感じさせない無国籍風の作りとなっている。

1990年代の苦境は1970年代の人気作品を続々とリメイクする企画によって作品をリリースして凌いだ。タツノコオリジナルキャラクターにはアニメをはじめとする各種映像関連業界やコンテンツ業界の内外にもファンが多く、1973年(昭和48年)に製作された『新造人間キャシャーン』が、30年を時を経て2004年(平成16年)に『CASSHERN』の題で実写映画化され、上述の通り『科学忍者隊ガッチャマン』『ヤッターマン』も日活で実写映画化が計画され[14]、『ヤッターマン』は2009年(平成21年)3月7日に公開された。さらにアメリカでも、2005年(平成17年)に映画会社ワーナーブラザーズによって『マッハGoGoGo』が『スピード・レーサー』の名で実写映画化される動きが伝えられ、2008年(平成20年)7月5日に日本で公開が始まった。

映像

科学忍者隊ガッチャマン』では、特にハイクオリティな映像にこだわり、CGが無い時代に、セル画は1万枚を超えたこともあった。これには吉田の難しいキャラクターを描ける、宮本貞雄、須田正己二宮常雄湖川友謙といったアニメーターの力もあった。

映像の表現については、セルアニメーションにこだわらない貪欲さを見せ、実写映像を撮影あるいは、フィルムを購入して、アニメに挿入するなどした。東洋現像所(現・IMAGICA)に導入されたばかりの映像効果スキャニメイトをいち早くアニメに導入したのはタツノコプロである[15]。これは初期のCGとも評されるもので、アナログ処理による画像を変形させる効果が、『タイムボカン』シリーズのタイムトラベルシーン、1975年(昭和50年)製作の『宇宙の騎士テッカマン』のオープニング演出など、いくつかのタツノコプロ作品で使われた。

シンジケーション

テレビアニメ進出当初からフジテレビとは関係が深く、土曜日の18時30分から19時の時間帯と日曜日の18時から18時30分の時間帯は一時期タツノコアニメが独占していた。しかし1983年(昭和58年)頃から日曜18時枠の廃枠や『イタダキマン』の不振をきっかけに関係はゆるやかながら縮小していき、1985年(昭和60年)の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後に以来四半世紀にわたりフジテレビでのアニメ制作は途絶えたままであったが、2011年(平成23年)4月から約26年ぶりとなるフジテレビ系列での新作アニメとなる『C』が放送された。

広告代理店の読売広告社(読広)の初のテレビ作品がタツノコプロの『宇宙エース』であり、以後も読広と組むことが多かった。初期には読広がタツノコプロの音響制作をし、読広の社員が予告のナレーション台本も担当[16]。多くのタイトルが読広の電波担当役員の松山貴之によって名付けられ、松山は読広退社後の1995年(平成7年)12月から1996年(平成8年)11月までタツノコプロの会長に迎えられる間柄でもあった[17]

社内体制

タツノコプロには企画から撮影まで社内のみで完結する一貫した制作体制が整っていた[18]。かつては東映動画や虫プロダクション(旧社)も同様の体制を保持していたが[19]、これらが合理化や倒産により外注化を拡大したり消滅したあとも、タツノコプロは長くこの体制を維持した。テンプレート:要出典範囲

外注プロダクションでは作画のタマ・プロダクションが貢献した[20]。後に韓国ルートを開拓し、子会社のアニメフレンドを設立した[21]

近年テンプレート:いつは制作本数の減少に伴い、他社と同様に、正社員を減らして作品ごとに契約スタッフを採用する形にし、スタジオ経営のスリム化を図っている。

キャラクター室
吉田竜夫社長が直轄していた独立性の高い部署。天野嘉孝、高田明美、下元明子が在籍。
企画文芸部
日活出身の脚本家、鳥海尽三が虫プロを経て移籍してきたのを契機に設立。鳥海尽三を部長に、小山高男、柳川茂らが所属した。
美術部
中村光毅が部長。美術デザイン、世界設定のみならず、メカニックデザインも行なった。大河原邦男、多田喜久子らが所属。
演出部
部長は笹川ひろし。原征太郎、鳥海永行、布川ゆうじ、押井守、真下耕一、うえだひでひと、西久保利彦らが活躍。タツノコプロでは演出が動画チェックも行なった[22]
出版部・版権部
版権管理の他、タツノコアニメのコミカライズ絵本、版権イラストを担当。天馬正人や内山まもるが在籍。
CM部
コマーシャルやPR映画などを制作。後に葦プロダクションを設立する佐藤俊彦、加藤博らが在籍した。

主な作品

テレビアニメ

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

OVA

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

劇場アニメ

1970年代

1980年代

2000年代

実写映画

ゲーム

その他

他社主導作品の共同制作

タツノコプロは『超時空要塞マクロス』、『無責任艦長タイラー』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『電脳コイル』などの制作にも携わった。しかし、これらの作品は外部企画による作品であり、あくまでも協力的立場での参加しただけで自社単独で権利を保有していないため、自社ウェブサイト上の作品リストには掲載されていない。また、『メタルファイト ベイブレード』のようにタツノコプロが実制作に携わっていても、自社ウェブサイト上の作品リストには掲載されていない作品がある。

出身者

タツノコプロOBが独立して設立した会社

関連文献

  • 岩切徹「漫画家九里一平 アニメ界のモックは何処へ」『AERA』2005年10月17日号、朝日新聞社
  • 笹川ひろし『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』ワニブックス、2000年、ISBN 4-8470-1358-1
  • 但馬オサム『世界の子供たちに夢を ~タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡~』メディアックス、2013年
  • 原口正宏・赤星政尚・長尾けんじ『タツノコプロ・インサイダーズ』講談社、2002年、ISBN 4-06-330179-6

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:タイムボカンシリーズ テンプレート:科学忍者隊ガッチャマン テンプレート:新造人間キャシャーン テンプレート:マグネロボシリーズ テンプレート:ハクション大魔王

テンプレート:日本テレビ放送網
  1. 『季刊ファントーシュ』7号、1977年、p.11。吉田竜夫インタビュー。
  2. 津堅信之『テレビアニメ夜明け前 知られざる関西圏アニメーション興亡し』ナカニシヤ出版、2012年、p.156
  3. 笹川ひろし『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』ワニブックス、2000年、pp.222-223
  4. その後も再放送やバラエティ番組のスペシャルでタツノコプロ作品の映像が扱われることはある。1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)にかけてフジテレビで放送された『あんみつ姫』はスタジオぴえろ制作でありタツノコ作品ではないが、タツノコプロの企画協力作品である。また、『ひらけ!ポンキッキ』のキャラクター・ガチャピンと『科学忍者隊ガッチャマン』とのコラボ企画『科学忍者隊ガッチャピン』もある。
  5. 梶山寿子『雑草魂 石川光久 アニメビジネスを買えた男』日経BP社、2006年、p.101
  6. 小黒祐一郎「この人に話を聞きたい 第六十九回 石川光久」『アニメージュ』徳間書店、2004年1月号
  7. 株式会社竜の子プロダクションの株式取得に関するお知らせ IG Port ニュースリリース、2010年6月5日閲覧。
  8. タツノコプロ 新社長に田中修一郎氏 タカラトミー発表 アニメ!アニメ!ビズ 2012年2月27日
  9. 2013.2.13 当社株主の異動に関するお知らせ 竜の子プロダクション公式サイト内 2013年2月13日
  10. 第七回声優アワード受賞者一覧 2013年3月1日閲覧。
  11. 竜の子プロダクション、商号変更で株式会社タツノコプロに アニメ!アニメ!ビズ 2013年3月18日
  12. 株式会社タツノコプロの子会社化,日本テレビ放送網,2014年1月29日
  13. 子会社の異動(株式譲渡)に関するお知らせ,タカラトミー,2014年1月29日
  14. 日活、タツノコプロの人気アニメーション 『ヤッターマン』と『科学忍者隊ガッチャマン』の実写映画化決定 日活株式会社 ニュースリリース 2007年4月10日付 2011年11月11日閲覧。
  15. 笹川ひろし『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』ワニブックス、2000年、pp.135-136
  16. 原口正宏、長尾けんじ、赤星政尚『タツノコプロ・インサイダーズ』講談社、2002年、pp.200-202。木村実、大野実インタビュー
  17. 原口正宏、長尾けんじ、赤星政尚『タツノコプロ・インサイダーズ』講談社、2002年、pp.196-197。松山貫之インタビュー
  18. Web現代「ガンダム者」取材班『ガンダム者 ガンダムを創った男たち』講談社、2002年、p.194。大河原邦男インタビュー。
  19. 豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』、TBSブリタニカ、2000年、p.104
  20. 原口正宏、長尾けんじ、赤星政尚『タツノコプロ・インサイダーズ』講談社、2002年、p.5
  21. 原口正宏「押井守検証インタビュー」『前略、押井守様。』野田真外編著、フットワーク出版、1998年、pp.248-250
  22. 原口正宏「押井守検証インタビュー」『前略、押井守様。』野田真外編著、フットワーク出版、1998年、p.292
  23. TBSの年末長時間番組「超える!テレビ」の1コーナー。
  24. オトナアニメ編集部編『あかほりさとる全書 “外道”が歩んだメディアミックスの25年』洋泉社、2012年、p.45
  25. 25.0 25.1 データ原口「STUDIO アニメーション21」『アニメージュ』1991年12月号、p.109