スターどっきり(秘)報告

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:基礎情報 テレビ番組スターどっきりテンプレート:MacJapanese報告』(スターどっきりまるひほうこく)は、1976年から1998年までフジテレビ系列局で放送されたドッキリバラエティ番組である。

概要

当初は『夜のヒットスタジオ』からトレードという形で三波伸介を迎えてのレギュラー番組(木曜 20:00 - 20:54)として1976年4月1日にスタートした[1]。その後、1979年4月13日に金曜 20:00 - 20:54へ移動し『スターどっきり生放送』というタイトルで放送されたが、同年9月に終了した。

その後の1980年頃に『火曜ワイドスペシャル』内で『オールスターどっきりテンプレート:MacJapanese報告』として不定期に放送。1982年4月にレギュラー放送が復活したが、プロ野球中継で中断する事が多く、半年で終了。その後は再び特番形式で『木曜ファミリーワイド』→『金曜おもしろバラエティ』→『火曜ワイドスペシャル』内で放送された。同年10月7日放送の『火曜ワイドスペシャル スターどっきりテンプレート:MacJapanese報告 秋の超新作超豪華版!』を最後に特番形式はとりあえず終了となる。

1997年4月14日からは『スターどっきり大作戦』とタイトルを変えて月曜 19:00 - 20:00にレギュラー番組として放送されたが、同年9月15日に終了。そのため、再び特番化されて『テンプレート:MacJapanese報告』にタイトルを戻し、1998年まで数回放送された。BGMも当初(一部は『オールスター』や第2期から)から変わらず使用された。2001年10月に傑作集『2001スターどっきり☆傑作スペシャル!25年の秘蔵映像全て見せます』が放送された。

ジャニーズ事務所や、バーニングプロダクションなどといった大手芸能事務所のスターが続々と出演して人気を博したが、レギュラー放送時代は、仕掛人の若い女性が乳房や下着姿などを露出するシーンが多かった等で低俗番組としてPTAから槍玉に上がり1978年にはワースト番組のベストテンに入れられてしまった。

2002年以降は放送されていないが、同局の他番組で番組コンセプトが再現したような企画やパロディ企画の放送が行われることもある。2009年から2011年には本番組を踏襲した『お笑い芸人どっきり王座決定戦スペシャル』が放送され、2013年には『ザ・ドキドキどっきり』がそれぞれ放送された。

出演者

司会(番組内では「キャップ」と呼称)

  • 初代:三波伸介 - 1976年4月~1982年末(1982年12月に急逝)
    • 1979年9月まではレギュラー放送。
    • 三波急逝後は、芳村真理おりも政夫司会による臨時編成の総集編企画を1回挟み、暫くの間は小野ヤスシ(「チーフリポーター」名義、1983年初冬~春)→谷啓(「代理キャップ」名義、1983年春~夏)→堺正章(「代理キャップ」名義、1983年秋~冬)→井上順(「代理キャップ」名義、1984年初冬~春)を代理司会者に起用して番組を続行。
  • 2代目:立川清登 - 1984年春~1985年末(1985年12月に急逝)。
    • レギュラー番組時代にレポーターとして出演。三波の死去から1年が経過したタイミングで番組カラーの転換を模索していたスタッフの意向に応じる形で新キャップとして番組に復帰した。
    • 尚、立川は当時、コンサートや舞台活動の都合で番組収録への参加を見合わせることも多々あり、その際には小野ヤスシや後に立川の後任として起用されることになる露木茂が代理キャップとして番組の進行に当たっていた。
  • 3代目:露木茂(当時フジテレビアナウンサー) - 1986年初冬~1988年春
    • 当初は新キャップのキャスティングが確定するまでのリリーフ登板であったが、視聴者や番組出演者の受けが予想外によかったことから、そのまま正式の番組キャップとして定着。
  • 4代目:小野ヤスシ - 1988年春~1996年秋
    • 番組開始当初よりレポーターとして出演。三波急逝後は数回に渡って代理司会を務めるなど、番組の顔として絶大な存在感を発揮し、番組の人気安定に大きく貢献。その功績を買われる形で正式のキャップとして起用されることになった。
    • 尚、小野はキャップ昇格後も回によっては「若手のレポーターに見本を示す」という大義の下で自らレポーターを買って出ることもあった。
  • 5代目:KinKi Kids堂本剛堂本光一)/田代まさし松本明子 - 1997年4月~9月
    • 18年ぶりに『スターどっきり大作戦』としてレギュラー番組化された際に抜擢される。尚、「キャップ」格のキャストとして扱われていたのはKinki Kidsのみだが、事実上のメイン進行は「チーフレポーター」格の田代、松本が担当していた。
  • 6代目:志村けん中山秀征 - 1998年
    • 1997年のレギュラー版終了後に放送された特番の司会を数回担当。
  • 7代目:露木茂(司会としては12年ぶり)、菊間千乃(当時フジテレビアナウンサー) - 2001年SPのみ

リポーター

三波伸介前期キャップ時代

三波伸介後期 - 露木茂キャップ時代

小野ヤスシキャップ時代

スターどっきり大作戦以降

どっきりの仕掛け人

どっきりにはまった芸能人

お笑いタレント

グループアイドル

個人タレント

スタッフ


レギュラー版時代のネット局


※なお、『スターどっきり大作戦』時代にはこの中の一部の局のみの放送となっている(ローカルセールス扱いのため)。

主な仕掛け

ここでは、レギュラーどっきりを紹介する。

瞼の父

  • 初期にあったコーナー。
  • 男性芸能人の前に見知らぬ子連れの女性が現れ、「ご存知ですか?3年前の○○温泉で知り合った者です。その時に出来た子供がこれです。(子供に)坊や、この人が本当のパパですよ」などと言って、男性芸能人を無理矢理父親にしてしまう。
  • 三波伸介や小野ヤスシもやられたことがある。
  • コーナーナレーションは芥川隆行

寝起き

  • 番組最大の名物コーナー。
  • リポーターが女性芸能人(稀に男性も)の寝ている部屋にこっそり忍び込み、寝起きを観察する。
  • リポーターが田代まさしになった後は、リポーターも騙される事が多くなった(例:布団を開けると、ダンプ松本らが寝ていた)。

ジェットコースター

  • 初の絶叫マシンどっきり。
  • としまえんにあるジェットコースター「サイクロン」(2009年現在も存在)にリポーターと芸能人が乗って、インタビューする。
  • この後、「マンボNo.5」のリズム(合いの手は週変わり)に乗って、目茶苦茶に再生する。

ショートどっきり

  • 単発小ネタ集。

ブーブーインタビュー

  • 初のショートどっきり。
  • 芸能人にインタビューさせると見せかけ、ブーブークッションが仕掛けられている椅子に座らせて、「ブーッ!!」と音を鳴らせる。
  • 第1期では中期以後、CM開けに(騙されゲスト)「○○もどっきり!」(三波)「スターどっきりテンプレート:MacJapanese報告」と言ってから、椅子に座らせると、そこにはブーブークッションが仕掛けられているというパターンが定着した。

肝試し

  • 夏に行われる限定コーナー。女性芸能人をターゲットにして、様々な仕掛けの肝試しをする。
  • とんねるずも仕掛け人役で登場した事が有る。

ゴリラが出たぞ!!

  • エレベーターが開くと、そこから着ぐるみのゴリラが現れて、芸能人を驚かす。ほかにも、壁がぶっ壊れて北尾が現れて驚かすのもある。

コラおじさん

  • ショートどっきりの中でも、一番の人気コーナー。
  • 芸能人が歩いていると、カンカン帽を被った男が現れ、振り向きざまに「コラ!!」と怒鳴りつける。

シルビアちゃん

  • 男性芸能人が歩いていると、脇から「シルビア」というすごいブス女が現れて、芸能人に抱き付く。

カーミネーター

爆発テレビ

  • 芸能人が、マジシャンが出演しているテレビを見ている。そして画面中のマジシャンが「3・2・1」とカウントダウンをすると、突然「ドカ〜ン!!」という爆発音と共に、テレビが大爆発を起こす。

お色気

  • 芸能人が楽屋で待機していると、若い女性が「失礼します」といってコーヒーを運んでくる。女性の姿はブラウスのボタンを2つ、3つ外した状態で、なおかつノーブラといういでたちであり、胸元を見た芸能人の反応を見るネタ。大川栄策でのものが有名。

その他

  • 第1期木曜時代には、視聴者への投稿クイズが有った。これは、アイキャッチ時にある芸能人の顔を魚眼レンズで映し、EDで前回の投稿クイズの正解と当選者を発表した後、レポーターの1人がヒント(かなりバレバレのヒントだった)を出して、今回映した顔が誰かを当てるというものであった。

脚注

  1. この時は『木曜ビッグイベント』(もくようビッグイベント)という冠名称が着いた。

外部リンク

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  • この間、1982年10月 - 1996年10月に不定期放送。

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