日本教職員組合
テンプレート:労働組合 日本教職員組合(にほんきょうしょくいんくみあい、英語:Japan Teachers' Union)は、日本の教員・学校職員による労働組合の連合体である。略称は、日教組(にっきょうそ)。教員の労働組合連合体としては日本最大であり、日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。また、民主党の主な支持団体の一つであり、同党に組織内候補を輩出している。
目次
概要
日本の教職員組合の中で最も歴史が古く、規模も最大である[1]。日本国憲法や改正される前の教育基本法の精神を基本に、民主主義教育の推進と教職員の大同団結をめざすとしている。
教職員の待遇改善・地位の向上、教職員定数の改善をはじめとする教育条件の整備などを主な目的として活動している。2007年の教育基本法改定、教員免許更新制導入に反対する運動など、教育課題に直接関係する活動のほか、政治的な活動も行っており[2]、入学式や卒業式で国旗掲揚及び国歌斉唱を強制する文部科学省の指導[3]に対しては、「強制」であるとして批判的な立場をとる[4]。こうした日教組の政治色の強い活動に対しては様々な批判や指摘がなされている[5]。
日教組の政治活動が大きな問題となった例としては、日教組系の山梨県教職員組合による政治献金問題や、教職員組合の政治活動問題などがある(詳細は下記の『教職員組合の政治活動への批判』などを参照)。
かつては社会党・総評ブロックの有力単産であり、組織的に日本社会党を支持していた。現在では民主党を基軸に社会民主党も支持している(現在、日教組の組織内国会議員8人が民主党所属)が、岩手県、大分県など社会民主党を軸に支持するところや、広島県のように新社会党を支援するところもある(大分県の例については大分県教職員組合を参照)。
NGOであるEducation International(EI)に加盟している[6](EIには米国の全米教職員組合など世界のほとんどの教職員組合がメンバーで[7]ある)。
「国立・公立・私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、大学、高等専門学校、専修学校、各種学校などの教職員で構成する組合と、教育関連団体スタッフによる組合を単位組織とする連合体組織」と、自己規定している。現状では小学校、中学校、高等学校の教職員が組合員の大半を占めている。
文部科学省が毎年10月1日に実施している教職員団体への加入状況調査や、厚生労働省が毎年6月30日に実施している労働組合基礎調査などから、日教組の加入者数が緩やかな減少傾向にあることが明らかになっている[8]。
現状
日教組の組織の形態は法人格のない社団であり、そのことに起因する活動範囲、権利能力及び財産管理など(団体名義による契約締結及び口座開設並びに登記などができないこと)の問題を改善するために法人格取得への動きがあるが、その実現は現在もなお難航している。ただし、公式ウェブサイトのドメインjtu-net.or.jpは「公益法人」として取得している。
かつては日本の学校教育に大きな影響力を持ち、文部省(現在の文部科学省)が教育行政によるトップダウン方式で均質かつ地域格差のない教育を指向するのに対し、現場の教員がボトムアップ方式で築く柔軟で人間的な教育を唱え、激しく対立した。その後、1995年(平成7年)に日本教職員組合は文部省(当時)との協調路線(歴史的和解)へと方針転換を表明した。
組織内候補として日本民主教育政治連盟(日政連)に所属する議員を推薦して、国会に送り込んでおり、連合に所属する産別の中では、政治的影響力は大きいとされる。国会議員では衆議院議員に横路孝弘、参議院議員には輿石東、那谷屋正義、神本美恵子らがいる。
組織
本部組織
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地方組織
独立機関・所属機関
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組織率
公立小・中・高等学校における組織率及び組合員数は、文部省及び文部科学省発表による。単組数は直接的な下部組織のみ。
- 1958年(昭和33年):86.3%(調査開始時)
- 2003年(平成15年):30.4%、76単組、組合員数約31万8,000~33万人
- 2004年(平成16年):29.9%、76単組、組合員数約31~32万2,000人
- 2006年(平成18年):28.8%、76単組、組合員数約29万6,000人
- 2007年(平成19年):28.3%、76単組、組合員数約29万人
都道府県で組織率に格差があり、山梨県、静岡県、愛知県、新潟県、福井県、三重県、兵庫県、大分県、北海道、大阪北部・大阪東部などで比較的高い組織率を保つ一方、栃木県、岐阜県、和歌山県、愛媛県など、ほぼゼロのところ、京都府のように、100人前後を組織するにとどまっているところもある。また、2007年10月1日現在の新採用教職員の加入者数は5,560人(約21.7%、前年比0.2ポイント減)。
厚生労働省による「労働組合基礎調査」によれば、私立学校教員や大学教員、教員以外の学校職員を含んだ組織人員は約28万5,000人(2008年6月30日現在)[9]。
組合歌
- 日本教職員組合歌 作詞:今井広史、作曲:佐々木すぐる
正式な組合歌は「日本教職員組合歌」であるが、2007年現在、集会などでよく歌われているものは、日教組が公募して「君が代」に代わる国歌として1951年に選ばれた「緑の山河」である。
歴史
第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)は、「民主化の一環」として1945年12月に教員組合の結成を指令した。既に11月には京都や徳島で教職員組合が結成されていた。12月には全日本教員組合(全教。翌年より「全日本教員組合協議会」)が、また翌年、教員組合全国同盟(教全連)が結成された。これら2つの組織に大学専門学校教職員組合協議会を加えて、組織を一本化する機運が生まれ、1947年(昭和22年)6月8日に奈良県高市郡(現在の橿原市)橿原神宮外苑で日本教職員組合の結成大会が開かれた。大会では、日教組の地位確立と教育の民主化、民主主義教育の推進を目指すと定めた3つの綱領を採択し、6・3制完全実施・教育復興に向けての取り組みを開始するとした。
1950年6月に北朝鮮が韓国に突如侵攻したことで朝鮮戦争が勃発し、連合国軍最高司令官のマッカーサーは国家警察予備隊の創設を指令、再軍備に道を開き、日本を「反共の砦」と位置づけた。また日本政府も連合国軍による占領終了に伴う主権回復を前にして、「日の丸」「君が代」「道徳教育」復活など、一部から戦前への「逆コース」といわれる教育政策を志向し始めた。戦後教育見直しや再軍備への動きの中で、日教組は、1951年1月に開いた中央委員会で「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンを採択し文部省の方針に対立する運動を開始した。また、1951年11月10日、栃木県日光市で第1回全国教育研究大会(教育研究全国集会=全国教研の前身)を開き、毎年1回の教育研究集会を開催、現在に至っている。
その後も、「教師の倫理綱領」を定めて新しい教員の姿を模索する一方、文部大臣(現在の文部科学大臣)と団体交渉を行ってきた。
「教育の国家統制」や「能力主義教育政策」に反対する立場を取り、1956年(昭和31年)における教育委員会が住民による公選制から首長による任命制に移行することへの反対、1958年(昭和33年)における教員の勤務評定を実施することへの反対、1961年(昭和36年)における日本の全国統一学力テスト実施への反対、1965年(昭和40年)における「歴史教科書問題」をめぐる裁判(家永教科書裁判)の支援などを行った。
また、同じく「教育の国家統制」に反対する立場から1950年(昭和25年)以降、国旗掲揚と国歌斉唱の強制に対して反対している(なお、この様な方針を掲げる教職員組合は世界では日本のみである)。
国政においては、日教組の政治組織である日本民主教育政治連盟は、1956年の総選挙で日本社会党などから推薦候補20人(うち、日教組組織内候補13人)を当選させ、1956年の参院選では10人を当選させた。
1974年の春闘では、本部委員長をはじめ21人が逮捕され、12都道府県13組合999か所が捜索を受けた。この事件を前後して教師のストライキ実施方法で日教組内で対立をもたらし、また1980年代末の労働戦線統一の論議にて組織内が分裂し、除名問題が起きたことから89年11月、全日本教職員組合協議会(1991年以降全日本教職員組合)などが結成されるなど[10]、日本教職員組合を構成していた多くの組合員や一部の単位労働組合(単組)が脱退した(詳しくは、#離脱・独立を参照)。
1994年(平成6年)には、日本社会党の路線変更に伴い、それまで社会党を支持していた日本教職員組合も方針を変更し、文部省(現在の文部科学省)と協調路線をとることに決定し、文部省と和解した。2002年度(平成14年度)から翌年度にかけて施行された文部省告示の学習指導要領では、日本教職員組合がこれまでに取り組んできた「自主的なカリキュラムの編成」運動における「総合学習」の考え方に近いとも考えられる「総合的な学習の時間」が新設された。
時代の変化とともに対立から協調へと変化しており、特に20世紀末から21世紀始めにかけては、日本教職員組合と文部科学省との長期の対立に終止符が打たれたのではないかという捉え方もされている[11]。
離脱・独立
- 全日本高等学校教職員組合
日教組は組合員の多くが小学校や中学校の教職員であることから、小・中学校重視の活動を続けてきた。これに不満を持っていた高等学校組合員も多く、文部省の打ち出した高校教員優遇政策に乗り、多くの高等学校の組合が日教組を離脱した。これは当時の高等学校教職員組合のほぼ半数に当たる。1950年(昭和25年)4月8日に全日本高等学校教職員組合(略称は全高教、現在の日本高等学校教職員組合)を組織した。
- 全日本教職員組合
1980年代後半、日本教職員組合が日本労働組合総連合会(連合)への加盟の是非をめぐり、三つどもえの対立(いずれも日教組内の三分の一の勢力を持っていた)が激化した。
- 加盟に賛成していた主流右派
- 加盟に消極的な主流左派
- 強硬に反対していた反主流派
その過程で東京都教組の査問問題[12]や日教組四百日抗争[13]など、組織上の混乱が発生した。そして主流左派の妥協により、連合加盟が確実となった1989年(平成元年)9月の定期大会を反主流派のほとんどが欠席した[14]ことで分裂は決定的なものになり、反主流派の大半は日本教職員組合から脱退して全日本教職員組合協議会を結成、全労連に加盟した。1991年(平成3年)3月6日、協議会・全教は同じく全労連加盟組合だった日高教一橋派と組織統合し、新組織全日本教職員組合(全教)を結成した。
日本教職員組合から離脱した単位労働組合は、青森県・埼玉県・東京都・岐阜県・奈良県・和歌山県・島根県・山口県・香川県・愛媛県・高知県の教職員組合の11組合である。京都府・大阪府・兵庫県の教職員組合は組合が分裂した。これらの県以外を対象区域としている組合については、各都府県の教職員組合から離脱したこととされている。
日教組は、反主流派の離脱を「日本共産党の分裂策動」として強く非難した。脱退した単組があった都府県のうち、義務教育の教職員を組織する組合についてはすべての都府県、高等学校の教職員を組織する組合にあっては約半数の府県で、日教組中央の方針を支持する教職員による新しい組合の「旗揚げ」を支援した[15][16]。
- 全国大学高専教職員組合
大学教職員組合は、「大学部」という形で日教組に加盟してきたが、大学教組の側では独立した単位組合として認めるよう要求し、日教組中央と対立してきた。 反主流派が全教を結成して日教組を離脱するのと相前後して、大学部も日教組大会をボイコット、新たに全国大学高専教職員組合(全大教)を結成し、日教組から事実上独立した。国公労連(日本国家公務員労働組合連合会)にオブザーバー加盟。日教組は1990年(平成2年)から翌年にかけて各大学教職員組合の脱退を相次いで承認した。あわせて日教組は日教組方針を支持する大学教職員を組織して日本国公立大学高専教職員組合(日大教)を新たに発足させた。しかし日大教の組織拡大は一部の大学、附属校を除き前進せず、日大教の組織拡大は事実上停止した。現在の日教組と全大教は、全大教の大会や教研集会に日教組が来賓あいさつをしたり、給与問題での日教組、日高教と全大教との共同行動が行われたりするなど、一定の共闘関係を築くようになっている。
- その他の教職員組合
連合結成に伴う教組運動の分岐は全教や全大教の結成にとどまらなかった。東京教育労働者組合(アイム'89)[17]、千葉教育合同労組、大阪教育合同労組など、全労協に加盟する小規模の教職員組合もいくつかの地域で結成された。
日教組の関係した活動に関する論議
日教組の活動をめぐっては、教育および教育行政のあり方を巡って、しばしば議論の対象となってきた。
君が代不斉唱 不起立問題
テンプレート:Main 1996年(平成8年)頃から教育現場において、当時の文部省の通達により日章旗(日の丸)の掲揚と、「君が代」の斉唱の指導が強化された。日教組などの反対派は憲法が保障する思想・良心の自由に反するとして、「日の丸」の掲揚、「君が代」の斉唱は行わないと主張した。1999年(平成11年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に校長が自殺し、「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱を求める文部省通達の実施を迫る教育委員会とそれに反対する教職員との板挟みになっていたことが原因ではないかと言われた。これを一つの契機として「国旗及び国歌に関する法律」が成立した。国会での法案審議の際、政府は「この法を根拠に国旗掲揚・国歌斉唱の強制はしない」と答弁しているが、文部科学省は同法を根拠に教育現場を「指導」しており、国旗掲揚・国歌斉唱を推進する側との対立は続いている。
日教組傘下では、一部の単組で国旗掲揚・国歌斉唱の強制に反対する運動が存在しており、こうした活動を保守派ジャーナリズムがしばしば取り上げるほか、個人の立場で国旗・国歌問題で反対運動に加わる教員について、「日教組の活動」として語られることがある。一方、多くの地域では、日教組加盟組織がそれらの課題に取り組もうとせず、事実上黙認状態であることに対して、反対を貫けと主張する陣営から強い批判を受けている。
教育基本法改定反対運動
2006年(平成18年)、安倍内閣は、「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」を盛り込んだ教育基本法改正案を国会に提出した。日教組はこの法案に強く反対し、国会に教育基本法調査会を設けて慎重審議を求める署名運動を展開、200万筆を集めた。また、労働組合・市民団体と共に「教育基本法改悪ストップ!全国集会」とデモを繰り返し開催し、国会前での座り込みなどを行った。また、一部の組合員は、国会前での「ヒューマン・チェーン(人間の鎖)」その他の集会に参加した。この集会には全国の多数の組合員が参加したが、授業のある平日に行われていたため批判もあった。この点について日教組は、「集会に参加した組合員は年休を取り、他の教員に補講等を頼んでいる」と説明した。
ゆとり教育の推進
「ゆとり教育」については、日教組と違った思惑の推進派も存在する(三浦朱門を参照)。
教職員組合の政治活動への批判
北海道教職員組合の政治献金問題をきっかけに、自民党などから教職員組合の政治活動に関する批判がなされた。これに対し、2010年3月に行われた日教組の臨時大会において、中村譲委員長は「教職員組合の政治活動が許されないとの議論はまったく誤り」として、日教組の政治活動は正当だと強調した。また、教員の政治活動に罰則規定を設けるべきだという意見についても、「教育に政治的中立性が求められるのは当然だが、罰則規定を設けるのは、(世界人権宣言などの)国際的な常識などを無視した時代錯誤の考え」と批判した[19]。
教研集会全体集会の中止
- 2008年2月2日から3日間の日程で開催された第57次教育研究全国集会(全国教研)において、初日の午前中に開催予定だった開会式を兼ねた全体集会が、中止された。1951年にこの集会が開かれるようになってから、初めての出来事であった。これは、会場として予約していたグランドプリンスホテル新高輪が使用を拒否したためである。会場の予約は2007年3月に行われたが、ホテル側が右翼団体による妨害活動を理由として同年11月に解約を通告した[20]。
- 日教組側は右翼団体の妨害活動が行われることは事前に知らせていたとして提訴し、裁判所は東京地方裁判所、東京高等裁判所のいずれも解約の無効と、使用させる義務があることを確認する仮処分を決定した。しかし、この仮処分にホテル側は従わなかった[21]。
- 主要紙は相次いで社説を発表し[22]、言論・集会の自由に関わる問題としてホテル側を厳しく批判したほか、日弁連会長も2月8日、談話を発表し、ホテルの対応を批判した[23]。連合は2月1日付けでホテル側の対応を遺憾とする事務局長談話を発表した[24]ほか、2月15日にはプリンスホテル系列の施設を利用しないよう呼びかけることを決めた。
- 2月18日の衆議院予算委員会における民主党・山井和則委員の質問に対して鳩山邦夫法務大臣が「ご指摘のあった案件、というような個別の案件については法務大臣としてコメントすることは差し控えたいと思っております。あくまで一般論、あくまで一般論として申し上げればいかなる紛争であれ裁判所が公正な審議を経た上で出した裁判、それを無視してあえてこれに反する行動を取られる当事者がもしいらっしゃるとすれば、法治国家にあるまじき事態であると私は考えております」と述べ、舛添要一厚生労働大臣は同ホテルが集会参加者の約190室分の予約を取り消したことについて「旅館業法に違反している[25]疑いが濃厚だ」と述べた。
- 2月21日、港区は旅館業法違反の疑いでホテル側から事情聴取を行った。
- 2月26日、ホテルの経営陣らが「考えを説明したい」と初めて記者会見に臨んだ。この会見でプリンスホテルの親会社である西武ホールディングスの後藤社長は「憲法は集会の自由を保障しているが、個人の尊重もうたっている。集会当日と前日には周辺の学校で7000人が受験に臨んでおり、街宣車が押し寄せたら取り返しのつかぬ事態になった」と述べ、集会が招く混乱については「予約を受けた時点で調べておくべきだった。反省している」と述べた。また港区からの事情聴取についてホテル側は「集会と宿泊は一体となっており、共に解約した」と説明した。
- 4月15日、港区はプリンスホテルの「宿泊拒否」が旅館業法違反にあたるとして口頭による厳重注意を行った。
- 一連の騒動について、日教組はホテル側に損害賠償として2億9000万円を請求した。2009年7月控訴審で日教組はホテル側から1億2500万円の慰謝料を受け取る判決が得られた。
日教組系の単組の関係した活動に関する論議
日教組系の単組の活動をめぐっても、しばしば議論の対象となってきた。
ストライキの実施
日教組は教育行政に関する文部省や教育委員会の決定の多くに反対してきたが、その手段としてストライキを用いることがあった。近年では、1998年(平成10年)7月10日の東京都教育委員会による管理運営規則改正に反対した都高等学校教職員組合(都高教)と都公立学校教職員組合(東京教組)による時限ストや、2001年(平成13年)3月21日の北海道教職員組合(北教組)による、1971年(昭和46年)に北海道教育委員会と北教組が結んだ労使協定(46協定)の一部削除に反対する時限ストや、2008年(平成20年)1月30日の北教組による、査定昇給制度導入に反対する時限ストなどがあった。
地方公務員である教職員は、地方公務員法第37条により、いかなる争議行為も禁止されている。しかし、教職員の争議行為を一律に禁止すること自体が、日本国憲法第28条に違反するとする反論もある。
山梨県の事例
輿石東と山教組の関係について
山梨県教職員組合(略称:山教組)は、民主党の輿石東参院幹事長(当時)の2004年夏に行われた参議院議員選挙に向けて、校長、教頭を含む小中学校教職員らから組織的に選挙資金を集めたとして、産経新聞に報道された。
産経新聞は、この資金集めが山教組の9つの地域支部や傘下の校長組合、教頭組合を通じ、「カンパ」や「選挙闘争資金」の名目で、山教組の指令により、半強制的に実施されていると報じた。同紙には複数の教員による「資金は輿石東への政治献金として裏口座でプールされた」という証言が掲載された。教員組合による選挙資金集めは、教員の政治活動などを禁じた教育公務員特例法に違反する疑いもあるほか、献金には領収書も発行されておらず、政治資金規正法(不記載、虚偽記載)に抵触する可能性も指摘された。山梨県教育委員会は、山教組委員長や校長ら19人を処分したが、文部科学省は再調査を求めた。
また国会でもこの問題が取りあげられ、「法令が禁じた学校での政治活動だ」との追及がなされた。その後、山教組幹部ら2人が政治資金規正法違反で罰金30万円の略式命令を受け、山梨県教育委員会も24人に対し、停職などの懲戒処分を行った。山教組幹部らは「教育基本法改正を前に狙い撃ちされた」と批判したが、こうした山教組の姿勢には批判の声もあがった。また、全国で日教組の組織率が低下している中、山教組は100%近い組織率を維持している[5]。
山教組が呼びかけた募金について
産経新聞の報道によると、2009年5月に開催された、山梨県教職員組合(山教組)の定期大会で「子どもの学び保障救援カンパ」が採択され、主にあしなが育英会奨学金への寄付を名目として約1億7000万円が集まったが、実際にあしなが育英会に寄付された金額はそのうちの7000万円のみであった。残りの1億円については日教組が加盟する日本労働組合総連合会(連合)に寄付され、その後連合から日教組に助成金として3750万円が交付されたとされる。[26]。 この報道に対し連合と日教組側は、寄付金の使途は就学支援に限定し、募金の趣旨に沿っているので問題ないとしている。(寄付金の連合経由での使用は募金の要項でももとから明記されている) [27]。
北海道の事例
北海道滝川市でのいじめ調査に対する妨害
2005年、滝川市立江部乙小学校にて、小学6年生の女子児童がいじめを苦にして自殺した。(滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件)
この事件について、北海道教育委員会が2006年12月にいじめの実態の調査を実施しようとしたが、北海道教職員組合の執行部は、同組合の21ヶ所の支部に対して調査に協力しないよう指示していたことが報道され、いじめの隠蔽であると批判された。校長は減給、教頭と当時の担任教諭は訓告となった。
法務省札幌法務局も事件について調査した結果、この事件を人権侵害事件であると認定した。
北海道教職員組合の政治資金規正法違反事件
2010年2月15日、北海道教職員組合(北教組)が民主党の小林千代美衆議院議員に対し第45回衆議院議員総選挙の選挙対策費用として1600万円を渡したことに関し札幌地検は政治資金規正法違反容疑で札幌地検が札幌市中央区の北教組本部や小林千代美の選挙対策委員長を務めた北海道教職員組合委員長代理の自宅マンションなど数ヶ所を家宅捜索[28]し、翌3月1日に北海道教職員組合の委員長代理、同書記長、及び会計委員の3人と小林陣営の会計責任者を同法違反の疑いで逮捕した[29][30]。
なお、同事件に対し北教組は札幌地検に対し「不当な組織弾圧」とした資料を配付しただけで事件への説明は無く、「外部からの問い合わせには一切答えないように」と道内支部に対しかん口令を敷いた[31]。
広島県の事例
テンプレート:See also 日教組は、前述の通り、教育現場での国旗掲揚・国歌斉唱の文部科学省の指導に対して強制だとして強硬に反対してきた。 1999年(平成11年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に校長が自殺した。「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を求める文部省通達の実施を迫る教育委員会とそれに反対する教職員との板挟みになっていたことが原因ではないかといわれた。
同じ広島県で、2003年(平成15年)3月には、小学校の校長が自殺する事件があった。この校長は広島県尾道市の小学校に勤務し、同県が進めていた民間登用制により着任した元銀行員であった。
自殺の原因としては職場環境の違いによるストレスや就労時間の多さなどが考えられたが、現場教員による「突き上げ」が原因であるとする主張も、県内保守派を中心としてあった。さらに、広島県は、文部科学省が行った「是正指導」までは広島県教職員組合(広教組)と広島県高等学校教職員組合(広高教組)と部落解放同盟とを中心に、「解放教育運動」の盛んな地域であった。それは文部科学省の「国旗・国歌強制政策」への反対運動にも結びついていた。この運動について、これに反発する保守派は「教育現場では校長に対する『突き上げ』となっており、それはいじめにも等しい」と主張した。
広島県では1970年(昭和45年)から現在まで12人以上の校長・教育関係者が自殺しており、これらの一部は「解放教育運動の影響は少なからず存在する」とする発言もあった(宮沢喜一の国会発言など)。なお、同事件が発生した後、ネット上の一部で広教組が「殺人集団」と誹謗されたり、広教組本部が入っているビルの玄関に銃が撃ち込まれる事件が起きたりもした。
東京都の事例
「病休指南」ととられかねない記事の掲載
産経新聞の記事によると、東京都公立学校教職員組合の機関紙「WEEKLY 東京教組」の2009年12月8日付の紙面に「かしこく病休をとる方法」との見出しがつけられた記事が掲載された。記事内容は、勤勉手当など手当の休日数による減額割合や、昇給に影響しない休日日数など、組合員が不利にならない最低限度の減額で最大日数の効率的な病休の取り方等、「病休指南」ととらえられかねないものであった。東京都教育委員会は「教員の病休が深刻な問題となっている状況で、不必要な病休を増長しかねない」として訂正記事の掲載を求めた。東京教組側は記事の意図について、「組合員に病休制度を理解させることにあり、病休を勧めるものではない」とした上で、「真意と異なる見出しを付けたことを反省している」と釈明した[32]。
批判
御用組合的体質の指摘
現場教員のほとんどが加入している組織率の高い都道府県では、組合役員を経験することが、管理職や教育委員会への登用など、出世のための定番コースとなるという、民間企業労組の労使協調路線に類似した人事が行われている事例も存在する。愛知県教員組合がこの典型例である。このような地域では、組合役員が当局とのトラブルを怖れ、組合員の不満を率先して抑圧し、有効なチェック機能を果たさない、単なる御用組合に堕しているという批判もなされている。
また、日本教職員組合の思想や方針をめぐっては意見の内部統一がとれずに組合の一部が分離・独立したことが何回かあり、そのようにして作られた日教組とは別の教職員組合[33]もいくつか存在する。(後述)
批判者による「教育荒廃の元凶」論
55年体制下では革新勢力と連携し自民党政権の文教政策としばしば激しく対立してきた経緯から、自民党[34]の政治家などから日教組が「今日の教育荒廃の元凶」であるとの批判がある。また、産経新聞などの一部メディアも同様の論調である。
近年行われた批判の主な具体例には次のようなものがある。
- 山田宏は杉並区長在任当時、「自分達の権利だけを主張している日教組は、すでに保護者から見放されており、そのような態度を改めない限り、組織率低下もこのまま続いていくであろう[35]、日本の教育が悪化した原因は日教組にある」と、日教組を批判している[36]。
- 2005年、当時の外務大臣であった町村信孝(125代の文部大臣であり、初代の文部科学大臣でもあった)もNHK内の番組において、日本の教育がなぜ近現代史を詳しく取り扱わないのかという疑問に対し、戦後の教職員組合がマルクス・レーニン主義的な教え方をしたがるため、文部省が衝突を避けるために近現代史はあまり取り扱わないようにしたのだ、と述べた[37]。
中山成彬の発言に関する論争
2008年9月には、国土交通大臣に就任直後の中山成彬(第5・6代の文部科学大臣)が、「(贈収賄事件のあった)大分県の教育委員会のていたらくなんて日教組ですよ。」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。」「(日教組が強いから)大分県の学力は低い。」「日教組は日本のガン」「解体しなければいけない」などの批判を行った[38]。中山は「日本は単一民族」などの発言もしていたため、日教組や野党だけでなくマスコミ[39]や、与党からも批判[40][41]され、国土交通大臣を辞任する結果となった[42]。中山は他の発言に関しては訂正や謝罪をしたが、日教組批判については「事実」であり、撤回するつもりはないと語った[43]。
- この発言の後で行われたJNNの世論調査では、中山の発言に関する国民の反応はほぼ半分に割れ、賛否両論が拮抗する結果となった[44]。
- 当時大阪府知事であった橋下徹大阪市長は中山の一連の日教組に対する批判に対し「本質を突いている」と支持の立場をとり日教組を批判した[45]。
- 朝日新聞は「日教組の活動が強いところは学力が低い」との中山の主張に対して、「そのような関係は見受けられない」と紙面で批判した[46]。
- 産経新聞は、「日教組の強さを勝手に組織率に置き換えている」と批判した上で、「日教組の組織率の高さと組合運動の強さが正比例しているわけではない。組織率が高くても、イデオロギー色が薄く互助組合のようなところもある。」と、組織率と組合活動の過激が比例しているわけではないとの解説を載せつつ、「日教組が強いとは、質の問題であり、イデオロギー色の強い活動をどれだけしていて、闘争的な組合員がどれだけ全体に影響を持っているかということであり、低学力地域には日教組が強い地域が多い」と反論した[47][2]。
- 高崎経済大学教授の八木秀次が、「日教組の強さと、学力には相関関係があり、国民が肌で感じてきたことだ」との意見を述べた[2]。
- 三重大学教授の奥村晴彦(情報教育)は、朝日新聞の記事[46]について、「恣意的に13道府県のデータを選ぶのではなく、全都道府県のデータを使うべきである」と指摘した[48]。産経新聞の記事[47]については、「恣意的に選んだ科目の得点ではなく、総合点を使っている」「恣意的に選んだ県ではなく、学力ベスト10・ワースト10の県を使っている」として、この点においては朝日新聞より評価しながらも、同記事の根幹の主張である「『参議院比例区での日教組組織内候補者』の得票数が多いところは学力が低いのではないか」という見方に対しては「(学力)上位10県と下位10県の票数÷有権者数の平均」と、「全国学力テストの成績」とのt検定を行ったところ、P値が0.273であることを示し、統計的には有意な差がないとして、中山や産経新聞の主張を否定する考えを表明した[49]。
座り込み・デモへの批判
日教組が教育基本法改正の反対運動に対して約3億円の資金を投入したことや、授業のある平日に年休をとって国会や議員会館の前で行ったデモや座り込みなどの抗議活動について、「高い給料をもらいながら政治活動していいのか」(中川昭一)、「民間企業で働く多くの社会人は常識が邪魔してできないでしょうね」(清谷信一)などの批判がある[50]。 また、自民党系の教職員団体である全日本教職員連盟は「国会の後ろで座り込みをやったりデモをやったりするのは、本来の教師の姿ではない」と批判している[51]。 これに対して日教組側は、「教育現場への不当な介入に反対しているだけ」などと反論している[52]。
自衛官や警察官への職業差別および、その子弟へのいじめ
日本教職員組合の組合員の中には、自衛官や警察官への差別意識を持つ者、彼らの子供を差別的に扱う者がいたとして、組織としての日教組の体質と結び付けた批判もある。
佐々淳行は自著や産経新聞において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を非難するばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪し始め、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという[53][54][55]。
また、同紙社会部次長・大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている[56]。
特定の思想と歴史認識
ジェンダーフリー思想
ジェンダーフリー思想に基づいて推進している男女教育や性教育の事例に対して、行き過ぎているとの批判が存在する。
都議が告発した東京で行われた性教育の例[57]は日本文化チャンネル桜の番組でも批判された。
正論2003年4月号「これは本気だぞ!「男女平等」教育の真の狙いは革命にあり」(本誌小島新一)の記事においても、ジェンダーフリー思想による行き過ぎた男女教育や性教育を批判している(小学四年生が学ぶ「自慰のマナー」や、女子はズボン、男子はスカート等)[58]。
日教組加盟の一部単組では、学校において男子を「君」ではなく「さん」付けで呼名することを推進しているが、一部の教師や保護者からは違和感や懸念も示されている[59]。
授業における思想・歴史認識の強制
日教組は、国旗国歌の掲揚などについては「思想の強制」として批判を展開しているが、日教組加盟の一部教師が持つ思想については生徒へ強要しているとの指摘がある。
2012年1月に開催された教研集会では、授業で原子力発電所の危険性を挙げた後、学科ごとに、原発に“賛成”か“反対”かを問う調査を実施した仙台市の高校における事例が報告された[60]。調査の結果“反対”が少ない学科があったことについて、「教職員の授業における操作的射程は意外と成功しなかった」との報告もなされた[60]。また、中学校の授業で「百人斬り競争」を歴史的事実として教えていることが報告された[61]。これについて藤岡信勝は、中国のプロパガンダを教えている点で問題であり、学習指導要領にも反すると批判した[62]。
日教組と北朝鮮
日教組は支持政党である日本社会党が朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美した時期があった[63]。
指導者・幹部による北朝鮮礼賛
1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した[64]。同年、制度検討委員だった岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた[65]。
槙枝は、最も尊敬する人物として金日成をあげ、1991年(平成3年)には北朝鮮から親善勲章第1級を授与されている[66]。
晩年、拉致を知ってからは、家族が北朝鮮の話題をふっても乗らなくなったという。息子の一臣は「あの国を許せないという思いが募り、自分のミスジャッジに整理がつかなくなったのでは」と語っている。
主体思想との関連
テンプレート:See also 北朝鮮の公式政治思想である主体思想を信奉する団体日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会では日教組関係者が歴代会長職を務めており、2006年には福島県教組委員長、日教組副委員長を歴任した同会の清野和彦会長一行が朝鮮総連中央会館を訪問し、朝鮮総連の徐萬述議長から同会の主催で行われる「日朝友好親善を深めるための第30回全国交流集会」に送られてきた朝鮮対外文化連絡協会名義の祝旗を伝達されている[67]。
北朝鮮による日本人拉致問題への対応
日朝首脳会談への評価
日教組は2002年の日朝首脳会談を受けて「拉致問題を含めた懸案事項については、日本の国民感情からも直ちに納得できるものではないが、日朝の首脳が国交の樹立への交渉再開に合意したことを評価したい」とする声明を発表し、「日本が侵略、植民地支配を行ってきた国々とのあいだで共有できる歴史認識の確立、それらの国々の個々人を含めた戦後補償の実現、アジアの平和共生のための運動を引き続き推進していきたい」とコメントした[63]。
拉致問題に対する姿勢
2003年1月25日から28日にかけて奈良県で開催された第52次教育研究全国集会では、北朝鮮による日本人拉致問題を主題にした報告は皆無で、「北朝鮮の国家犯罪は過去の日本の朝鮮統治で相殺される」とする認識が目立った[68]。日朝関係への言及が多い「平和教育」の分科会では、「小泉内閣は拉致問題を最大限利用し、ナショナリズムを煽り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」(東京教組)、「いたずらに拉致問題や不審船問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。真相究明・謝罪・補償を訴えることは被害者家族の心情を考えれば当然のことだが、そこで頭をよぎるのは日本の国家が1945年以前におこなった蛮行である。自らの戦争加害の責任を問わずしてほかに何が言えようか」(大分県教組)などの発言があった[68]。
また日教組は、拉致問題を扱った教科書について「北朝鮮敵視」であると批判した[69]。
北朝鮮および朝鮮総聯の教職員との交流
日教組は2003年度の運動方針に、北朝鮮の官製教職員団体である朝鮮教育文化職業同盟との交流を掲げていた[63]。
日本国内では、朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)とも連携しており、交流集会・研究会を共催している[70]。
2007年2月24日に開催された「第8回日本・朝鮮教育シンポジウム」において、日教組の代表は「日教組は嫌がらせから在日朝鮮人生徒を朝鮮学校の教員とともに守っていきたい」と述べた[70]。
加盟組合
教職員組合
特定の単組が独立していない限り、小・中学校の教員の他、障害児担当教員、養護教員、実習教員、現業職員、事務職員、栄養職員、臨時採用の教職員が加盟している。基本的には市町村立の小中学校の教職員が加盟しており、一部の県教組では、高校教員など、義務制以外の教員を組織する部門を、内部の構成組織としている。
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高等学校ほかの教職員組合
特定の単組が独立していない限り、高等学校の教員の他、特別支援学校教員、養護教員、実習教員、現業職員、事務職員、臨時採用の教職員が加盟している。基本的には都道府県立の高等学校や特別支援学校の教職員が加盟する。
高等学校
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高等学校・特別支援学校
- 静岡県高等学校しょうがい児学校ユニオン
- 沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(沖縄県高教組)
特別支援学校
事務職員
大学・高等専門学校の教職員組合
- 日本国公立大学高専教職員組合(日大教)
私立学校の教職員組合
- 日本私立学校教職員組合(日私教)
- 東京私立学校教職員組合(東私教)
その他
- 三重県教職員組合(三教組)は、長年に渡り組織率100%を誇っており、三重県知事になるには「三教組の支援が無ければなれない」とまで言われた。現在はそれほどの影響力は無いが、それでも組織率は90%を超えている。
- 宮城高校教育ネットワークユニオン(宮城ネット)は日教組から脱退した宮城高等学校教職員組合(宮城高教組)から脱退、後に再加盟した。
主な刊行物
- 『月刊JTU』(アドバンテージサーバー、組織外からの購入もできる。)
- 『日本の教育』(全国教育研究集会の報告、一ツ橋書房から毎年一冊刊行。)
- 『私たちの教育課程研究 国語教育』(一ツ橋書房 、奥田靖雄・国分一太郎・小野牧夫・遠藤豊吉・田宮輝夫・野村篤司、1968年)
- 『教育課程改革試案』(中央教育課程検討委員会、一ツ橋書房 、1976年)
- 『国語・文学の教育』(国分一太郎・小野牧夫・田宮輝夫・鈴木康之・横森サチ子・須田清・宮下久夫・加藤光三・安藤操・乙部武志・永易実・高井久美・石川宏子、一ツ橋書房、1978年11月)
- 『日教組60年 ゆたかな学びを求めて』(アドバンテージサーバー,2007年, ISBN 4-901927-45-0)
参考文献
日本民主教育政治連盟のメンバーである国会議員
脚注
関連項目
- 日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会(外郭団体)
- 全日本教職員組合
- 全日本教職員連盟(自民党系の教職員組合)
- 教員 - 学校職員
- PTA
- 同和教育(人権教育)
- 教育労働運動
- 教職員組合
- 労働組合 - 職員団体
- 日本労働組合総連合会
- 日本教職員組合問題究明議員連盟
- 全国教職員労働組合(韓国の教職員労働組合。黒田勝弘は「韓国の日教組」と呼んだ)
- 部落解放同盟(共に解放教育運動を推進)
- 日本社会党(以前の支持政党)
- 民主党(現在の支持政党)
- 社会民主党(もう一つの支持政党)
- 護憲
- 反戦運動
- 反核運動
- 教育塔
- 戦後民主主義
- 日本国憲法
- 横路節雄
- 自虐史観
- 偏向教育
外部リンク
- e-station (日本教職員組合, JTU)
- 日本教職員組合 国立大学・公的機関交流センター (日教組UPIセンター, JTU)
- 日本国公立大学高専教職員組合 (日大教, JPUU)
- ↑ 文部科学省の調査によれば、教職員組合加入者(教職員全体の半数弱)全体の中で日教組組合員の占める割合は約6割、新採用教職員の中で教職員組合に加入する者(新採用教職員全体の4分の1強)のうち日教組の占める割合は約8割である。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 『SAPIO』2008年11月26日号
- ↑ 文部省が根拠とする国歌国旗法は定義法であり、首相答弁でも強制はされないとされている
- ↑ しかし1995年から国旗掲揚や国歌斉唱の反対を棚上げし、文部科学省、自民党との対決路線から対話路線に方針転換した。これにより組織内は一部は混乱しているとも言われている(『報道特集』2007年7月1日TBS)
- ↑ 5.0 5.1 毎日新聞2006年12月17日付記事より
- ↑ EI教育インターナショナルの概要
- ↑ Education International
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「MHLW2008
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 日本大百科全書(小学館) 大野喜実・川崎忠文
- ↑ http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jnk01?smode=dtldsp&detail=S19970609008
- ↑ 『週刊労働ニュース』1980年5月19日号、同1980年9月3日号、同1981年5月25日号
- ↑ 『週刊労働ニュース』1986年9月8日号、同1987年3月16日号、同1988年2月8日号など
- ↑ 『週刊労働ニュース』1989年9月11日号
- ↑ http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jnk01?smode=dtldsp&detail=S19891218013
- ↑ http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jnk01?smode=dtldsp&detail=S19900305010
- ↑ 1989年、西多摩地区教職員組合として発足
- ↑ http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jnk01?smode=dtldsp&detail=S19950904022
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ グランドプリンス新高輪は、自民党が党大会の会場にも利用している。2008年にも、1月17日に党大会を開催したばかりだった。この時も右翼団体の街宣車が会場にやって来たが、それを理由にプリンスホテルが自民党の利用を断ったことはない(もっとも、右翼団体が、日教組に対しては自民党より遙かに力を入れているという事情はある)。
- ↑ 2008年2月3日付・読売新聞
- ↑ 『朝日新聞』2月2日、『毎日新聞』2月2日、『中日新聞』2月2日、『読売新聞』2月3日、『産經新聞』2月10日
- ↑ http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/080208.html 日教組ホテル利用拒絶に関する会長談話] 日本弁護士連合会サイト
- ↑ 「日教組・第57次教育研究全国集会(全体集会)中止の決定についての談話」[1]
- ↑ 旅館業法は、伝染病や違法行為の恐れがある場合を除いて、ホテルは宿泊を拒否できないと定めている。
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ その中で最大組織である全日本教職員組合は、連合に加盟した日教組を「右転落」し、「教え子を再び戦場に送る」組織に変質した、と批判している。
- ↑ あきれた教育現場の実態 自由民主党サイト
- ↑ 他の教職員組合でも組織率は低下している。[2]
- ↑ 2007年7月1日TBS『報道特集』より。
- ↑ 2005年8月15日NHK「日本のこれから」
- ↑ 例えば、「大分県教育委員会汚職事件」の直後であったからか、大分県が組織率が高い県であることとを結びつけて、勉強しない先生の子供でも教師になれるなどとも批判した。
- ↑ 【主張】中山国交相辞任 信頼失う言動くり返すな 産経新聞テンプレート:リンク切れ
- ↑ 「水差された」自民議員怒り…中山国交相は辞任後も持論テンプレート:リンク切れ読売新聞2008年9月28日22時54分
- ↑ 「発言として、はなはだ不適切。閣僚になられたら、されない種類の発言だ」と麻生太郎(時の内閣総理大臣)は述べた。[3] 朝日新聞2008年9月28日テンプレート:リンク切れ
- ↑ 保守系雑誌の正論2008年9月号では日教組にメスを入れろとの、日教組に対する批判もある。その中で大分県は日教組の影響が強い県としている
- ↑ 共同通信2008年9月27日
- ↑ 2008年9月27日,28日JNN世論調査: 「中山前国交相は辞めて当然?」
- ↑ 9月29日10時19分時事通信配信テンプレート:リンク切れ
- ↑ 46.0 46.1 「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし 朝日新聞2008年9月27日テンプレート:リンク切れ
- ↑ 47.0 47.1 組合と学力に関連性はあるか? 低学力地域は日教組票多く MSN産経ニュース2008年10月8日テンプレート:リンク切れ
- ↑ Okumura's Blog 2008年9月27日 日教組組織率と学力:補遺2008年12月30日閲覧
- ↑ Okumura's Blog 2008年10月11日 日教組票と学力 コメントでは産経の記者に対する批判も見られる2008年12月30日閲覧
- ↑ 「センセイ方は教育より政治がお好き」日教組、教基法改正阻止に3億円投入
- ↑ 全日本教職員連盟前委員長・三好祐司のコメント。『報道特集』(2007年7月1日TBS)
- ↑ 日教組公式ウェブサイトより
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 佐々淳行 『危機管理宰相論』 文藝春秋 テンプレート:要ページ番号
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 東京で実際に行われていた性教育
- ↑ 正論2003年4月号
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 60.0 60.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 63.0 63.1 63.2 『産経新聞』 2003年1月20日朝刊 『「北朝鮮」賛美、日教組の過去清算されず』
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 『世界』 1972年12月号「日朝交流の課題」より。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 朝鮮新報2006年9月12日付記事
- ↑ 68.0 68.1 『産経新聞』 2003年1月20日朝刊 『25日から日教組強研集会 「拉致めぐる」報告なし 戦争責任と相殺論目立つ』 ‐ 事前に公表された各分科会の報告書から。
- ↑ 日本教職員組合編『教科書白書2001』より。
- ↑ 70.0 70.1 テンプレート:Cite news