田町駅 (東京都)
テンプレート:駅情報 テンプレート:Osm box 田町駅(たまちえき)は、東京都港区芝五丁目[1]にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線1路線のみである(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)が、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し[1]、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。また当駅は、JRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する[2]。
目次
歴史
年表
- 1909年(明治42年)12月16日 - 国鉄東海道本線 品川駅 - 烏森駅間の開通と同時に開業。旅客営業のみの旅客駅。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 芝浦口を開設。[3]。
- 1932年(昭和7年)7月28日 - 午後4時52分、到着していた山手線外回り電車の後部に2両を増結しようとしたところ、ブレーキが効かずに追突する事故が発生。増結車両の運転手1名と乗客6名が重軽傷を負う[4]。
- 1960年(昭和35年)6月15日 - 午後7時50分ごろ、京浜東北線桜木町行き電車が浜松町 - 田町間のレールが破損しているのに気づき停車し車掌らの誘導により乗客が線路上を歩いて田町駅方面へ向かっていたところ、横須賀線東京駅行き電車にはねられ4人が死亡する事故が発生[5]。
- 1968年(昭和43年)6月21日 - 都営浅草線の三田駅が開業し、同駅との乗り換え業務を開始。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)2月6日 - 東西自由通路が開通[7]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
- 1991年(平成3年) - 臨時改札口を開設[6]。
- 2000年(平成12年) - 東西自由通路を幅7mから16mへの拡幅する整備工事に着手[8]。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
- 2003年(平成15年) - 拡幅された東西自由通路が開通[8]。
駅名の由来
田町という駅名は、三田口(西口)周辺一帯に広がっていたかつての町名からとられたものである。『文政町方書上』によると、江戸時代に田畑が町屋へと移り変わったため、田町と呼ばれるようになったという。
明治初期は頭に芝を付けて「芝田町」と呼ばれていた(その後、1911年5月に「芝」の冠称が省かれる)。海岸に面した細長い範囲の町で、この海岸線に沿った海上防波堤の上に鉄道が敷設された。
1909年、この鉄道の新駅として、田町駅が芝田町一丁目に設置された。現在の芝浦口(東口)周辺一帯は当時まだ陸地ではなく、1913年に埋め立てられてから工業地帯へと変貌を遂げた。この芝浦口周辺は新芝町(後の西芝浦一丁目)と名付けられた。
駅名に採用された田町は、港区の発足した1947年に再び芝田町に町名変更となった。その後、住居表示実施に伴う町名・町域の変更により、1964年7月に一部が芝五丁目に、1967年4月に残りの全域が三田三丁目になり、地名としての田町は消滅した。
駅構造
島式ホーム2面4線を有する[10][11]地上駅で、橋上駅舎を有している。
京浜東北線と山手線は、田端駅から当駅まで、同一方向の電車は同じ島式ホームを共有する方向別複々線となっている[11]。東京方面から京浜東北線南行(横浜方面)と山手線外回りとの相互乗り換えをする場合、南隣の線路別複々線配置の品川駅ではなく当駅で乗り換えを行うことにより、階段などを使わずに乗り換えることができる。そのため、京浜東北線南行と山手線外回りの車内では当駅での乗り換えを促すアナウンスが流れる。
以前は乗降客が非常に多い割にホームが狭く、駅利用者が平日に集中するため、朝のラッシュ時にはホームに人が溢れがちで危険であった。さらには、バリアフリー化に合わせエレベーターやエスカレーターの設置の動きがあったが設置する充分なスペースが無かった。そのため、3・4番線ホームの拡幅、階段の増設・コンコースの増床等の駅構内の改良工事を行い、2004年に終了した[6]。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | テンプレート:Color京浜東北線 | 東京・上野・浦和・大宮方面 |
2 | テンプレート:Color山手線 | 東京・上野・池袋方面 |
3 | テンプレート:Color山手線 | 品川・目黒・渋谷・新宿方面 |
4 | テンプレート:Color京浜東北線 | 蒲田・横浜・関内・大船方面 |
山手線は内回り・外回り共に早朝のごく一部に当駅始発の電車がある。これらの電車は品川駅西側の留置線に置かれた車両を当駅まで回送し、始発電車となる。
浜松町寄りに2・3番線への出入りが可能な留置線が1本設置されている。この留置線は当駅 - 新宿駅 - 田端駅間の列車の運転が行われた時に使用された。現在は、外回り当駅始発の方向転換で使用される。
改札口
- 当駅には北改札口と南改札口の2ヶ所があるが、両改札口は自由通路を挟んで相対している[10][11]。
- 北改札口内には、コンビニエンスストアNEWDAYSと、そば屋「あじさい茶屋」がある[12][13]。
- 南改札口内には、JR東日本系列のジェイアール東日本フードビジネス(ジェフビー)が運営するハンバーガー&ベーカリーカフェのチェーン店「R・ベッカーズ」[14]と、ブース型の売店がある。この売店は、森永製菓本社ビルが至近にあるため、2003年7月27日[9]から森永製菓が展開する商品ブランドとの広告コラボレートとして設置されている。当初は「森永チョコボール」の「キョロちゃん」をあしらった「キョロスク」と名付けられ[9]、2006年10月2日からは、巨大な「ウイダーinゼリー」を店の上に載せた「ウイダーステーション」に生まれ変わっている[15]。
- 南改札口内に、「エキュート(ecute)」を展開するJR東日本ステーションリテイリングの新たな駅ナカブランドとして「エキタマ」(後に1号店となる)を2008年3月にオープンさせた。また、同年7月に1号店の向かい側にエキタマ2号店をオープンさせたが、2013年3月22日に両店とも閉店した[16]。
- 改良工事が行われる前は、各ホーム品川寄り階段通路から接続する臨時改札口(出口専用)が三田口側地上に設置されていた[6]他、ペデストリアンデッキ側に20台以上の自動改札機が並ぶ三田口、三田口のすぐ脇の陸橋側に自動改札機数台が並ぶ芝浦口があった。
- 三田口側にみどりの窓口と指定席券売機が設置されている[10]。
駅設備
バリアフリー設備
トイレ
その他
- 芝浦口とそれにつながるペデストリアンデッキは港区が設置したもので、JRは管理しておらず、鉄道営業法に定める鉄道用地にあたらない[8]。駅の看板は、ペデストリアンデッキの入口ではなく駅舎の入口箇所に設置されている。
利用状況
2013年度の1日平均乗車人員は144,433人で、JR東日本の駅の中で第17位である。
近年の推移は下記の通り。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|
1992年 | 156,556 | [19] |
1993年 | 155,948 | [20] |
1994年 | 154,315 | [21] |
1995年 | 156,615 | [22] |
1996年 | 161,805 | [23] |
1997年 | 164,897 | [24] |
1998年 | 164,578 | [25] |
1999年 | 162,393 | [1] |
2000年 | 154,714 | [2] |
2001年 | 149,115 | [3] |
2002年 | 149,429 | [4] |
2003年 | 143,215 | [5] |
2004年 | 141,843 | [6] |
2005年 | 142,778 | [7] |
2006年 | 145,240 | [8] |
2007年 | 154,750 | [9] |
2008年 | 154,124 | [10] |
2009年 | 153,982 | [11] |
2010年 | 149,477 | [12] |
2011年 | 148,346 | [13] |
2012年 | 145,724 | [14] |
2013年 | 144,433 | [15] |
駅周辺
「三田口(西口)」と「芝浦口(東口)」の2ヶ所が設置されている[10][11]。詳しくは三田、芝(この2つは三田口)、芝浦(芝浦口)をそれぞれ参照のこと。
三田口
駅前を交通量の多い第一京浜(国道15号)が通っており、さらに日比谷通りとの交差点にも隣接しているなど交通の便がいいことから、上記の森永製菓や三菱自動車工業、日本電気、メタルワンなど幾つかの大企業の本社や外資系企業のオフィス、官公施設が点在しており、高層・超高層のビルが多い。とりわけ、日本電気は本社がある「NECスーパータワー」だけでなく、当駅周辺のビルに数多く分散して入居している。
三田口周辺には、慶應義塾大学や戸板女子短期大学、普連土学園中学校・高等学校を始めとして教育施設も多いため、学生街の様相も呈しており、飲食店など商業施設も集積している。そのためか、都市銀行の大部分の支店は三田口側に集約されている。
また、港区内の他地域と同様にボツワナやハンガリー、イタリアなど多数の国の大使館、寺や神社などの宗教施設が多数存在する。地形的には、20世紀に入り芝浦口側が埋め立てられるまでは海辺であった駅周辺を離れると丘が多く起伏に富んでおり、やや離れた丘陵地には高級住宅やマンションが多く建っている他、さらに近年は三田口側駅近辺にも高層高級マンションがいくつか建設されている。
なお、駅前のロータリーは非常に狭くなっている。その中にタクシー乗り場があるので、一般車両の進入はあまり見られない。
- 駅
- 官公施設
- 大使館
- 学校
- 医療施設
- 鈴木胃腸消化器クリニック
- 慶應義塾三田診療所
- 三田犬猫病院
- 宗教施設
- 郵便局・銀行・その他金融機関
- 宿泊施設
- 企業本社
- 森永製菓 本社
- 森永乳業 本社
- 三菱自動車工業 本社
- 日本電気 本社
- 長谷工コーポレーション 本社
- その他
芝浦口
駅開業後の1926年に開設された。当時、田町駅の乗降客数は1日約4万人を数え、その3分の1が芝浦方面の利用だったため鉄道省が総工費17,000円を投じ、約40坪の改札口が設置された[3]。
芝浦口側は、そのほとんどすべてが20世紀に入って埋め立てられた地であるために、橋梁を除き全体に扁平な土地で、運河も多い。さらに埋立地として新規開発された工業区域であることから、工場や倉庫、オフィスビルなどは多いものの、三田口側には多数存在する諸外国の大使館をはじめとする官公施設や宗教施設、教育施設は少なく、都営住宅や2000年代に入り新たに開発された高層マンションを除くと、住宅も少ない。
こうしたことから商業施設も少なく、かつては1990年代にはジュリアナ東京などの「ベイサイドエリア」へ向かう人々で賑わっていた芝浦口側も週末はやや閑散としている。一方で、工場や倉庫の跡地、新規埋立地に大規模な再開発も進んだことから状況は変わりつつあり、新三井製糖の工場や都電操車場の跡地に建設された芝浦アイランドなどの大規模な高層マンション群の分譲が進んだことから、住人の数が急激に増えている。
これらの変化を受けて、駅前は2004年に路線バスの乗り入れができるように整備され、都営バスとちぃばすのターミナルとして機能している。また、駅前にある港区立芝浦小学校の移転計画が進む他、スポーツセンターなど区民施設の改良や地下公共駐輪場の設置が行われている。2008年5月29日には、自由通路先のペデストリアンデッキに、視覚障害者向けの電子情報案内盤をNPOと港区が共同設置した。案内盤はタッチパネル式で、地図のボタンを押すと目的地までの道順を音声で案内する。また、各種イベント情報なども表示する。
- 官公施設
- 学校
- 医療施設
- 東京腋済会クリニック
- 芝浦船員保険診療所
- 郵便局・銀行・その他金融機関
- 港芝浦郵便局
- 芝浦海岸通郵便局
- さわやか信用金庫 芝浦支店
- 芝浦口側にあった都市銀行の有人店舗(旧東京三菱銀行・旧富士銀行・旧三和銀行・旧さくら銀行)はすべて三田口側の支店に統合され、現存しない(ATMコーナーのみ残存)。
- 企業本社
- ジャパンタイムス 本社
- TBWA博報堂 本社
- あすか製薬 本社
- JALインフォテック 本社
- フジエクスプレス 本社
- タツノ 本社
- トヨタテクノクラフト 本社
- 東京トヨペット 本社
- クラシエ 本社
- 沖電気 ビジネスセンター
- 宿泊施設
- ホテルJALシティ田町東京
- トレストイン
- グレイスリー田町
- ヴィラフォンテーヌ 東京三田
- その他
バス路線
三田口(田町駅前)
芝浦口(田町駅東口)
- 都営バス[26]
- ちぃばす
- 田町ルート 六本木ヒルズ行
- 芝ルート 新橋駅行
- 芝浦港南ルート 芝浦ふ頭駅・高浜橋・港南健康福祉館経由 品川駅東口行
- 車庫発着便 芝浦車庫行
- お台場レインボーバス(ケイエム観光バス)
- お台場地区循環
- 高速バス
渋谷方面は都営バス渋谷営業所を、五反田方面は都営バス品川営業所を、品川方面は都営バス品川自動車営業所および都営バス港南支所をそれぞれ参照されたい。
その他
戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では当駅東京寄りの内側線が留置線となっており、京浜東北線・山手線ともに外側線を走行し、田町 - 浜松町間で京浜急行線が内側に合流する形となっていた。この計画は対米戦により中止されたが、後に京浜東北線と山手線の分離運転工事(『東京縦貫複々線化工事』という)に活用された。
2014月6月3日、JR東日本が2020年の東京オリンピック開催に合わせ、田町駅と品川駅との間に新駅を暫定開業させると公式発表された。
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- テンプレート:Color京浜東北線
- テンプレート:Color快速・テンプレート:Color各駅停車
- テンプレート:Color山手線
- 浜松町駅 - 田町駅 - 品川駅
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite journal
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite journal
- ↑ 9.0 9.1 9.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 テンプレート:Cite web
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 16.0 16.1 16.2 テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 26.0 26.1 26.2 26.3 テンプレート:Cite web