久慈市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox 久慈市(くじし)は、岩手県北東部に位置し、北上山地を背に太平洋に面する市。市の中心部は久慈湾の奥部にある。
目次
概要
- 三陸復興国立公園の北部に位置し、国内最北端の海で漁をする「北限の海女」の町。また、世界有数かつ国内最大のコハクの採掘産地としても知られ、琥珀博物館もある(国内唯一の採掘地との表記もしばしば見受けられるが、実際には久慈市以外でも採掘例はある)。
- 167万キロリットルを貯蔵する日本地下石油備蓄株式会社久慈事業所(久慈国家石油備蓄基地)には日本初の地下水族科学館「もぐらんぴあ」と石油文化ホールを併設する(もぐらんぴあは東日本大震災で全壊、タレントで魚類学者のさかなクンや全国の水族館からの援助により市内駅前で「もぐらんぴあ まちなか水族館」として開館した)。
- 文化面にも力を入れており、1999年(平成11年)2月には黒川紀章の設計で音響重視型の多目的ホールと創造型小劇場を持つ久慈市の芸術文化の総合拠点施設「アンバーホール」が開館(館長・アリオン音楽財団理事長 江戸京子)、世界的指揮者である小澤征爾など著名人が公演している。
- 600年以上の歴史をもつといわれる久慈秋祭りが9月第3金曜日から日曜日の3日間盛大に行われ、大勢の観光客が訪れる。
- 200年の歴史を持つ小久慈焼きの窯元では、毎年5月に開催される「小久慈焼陶芸まつり」が盛況。
- 2006年(平成18年)12月末には長内川で日本への飛来が非常に珍しい「ナキハクチョウ」が羽を休め、全国各地から愛鳥家が観察に訪れた。
- 柔道の神様といわれた三船久蔵柔道十段の生誕の地であり、柔道が盛んである。久慈市は「柔道のまち」をキャッチフレーズに、岩手国体柔道競技の開催、久慈市立三船記念館(昭和33年開館・その後移転)を開設し、かつては久慈市が、三船十段杯国際柔道大会を開催したほか、東北地区レベルの柔道大会や強化合宿の招致を積極的に行っている。特に毎年9月に行われる三船十段杯争奪柔道大会は50年以上の歴史を持ち、東北地区から優秀な選手が久慈に集まってくる。また三船記念館柔道スポーツ少年団は東北でもトップレベルで全国的にも上位に進出している。
- 野球も盛んであり、各年代に渡ってアマチュア野球のレベルは高い。社会人野球チーム・スポーツ少年団野球チームともにレベルが高く、高校野球は1979年夏に久慈高等学校が、1993年夏には久慈商業高校が甲子園に出場し、川上投手(現中日)率いる徳島商業と死闘を演じた。近年は有力選手の市外流出が激しく、市内高校野球部はあまり振るわない。2012年には久慈中学校野球部が東北中学校野球大会で優勝し第34回全国中学軟式野球大会に出場した。
- 久慈市営プールではミュンヘンオリンピックに出場する選手が強化合宿を行った。
- 東北文化学園大学付属久慈幼稚園は建築家として有名なウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計事務所によるものである。
- 2013年度前期(4月 - 9月)放送のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』において、ドラマの舞台の1つである架空の市「北三陸市」の場面のロケが各地でおこなわれたことにより、放送開始以後観光客は増加、また関連イベントも開催された[1]。
地理
- 山:遠島山、天神森、深田金山、黒森、小倉山、女和佐羅比山、男和佐羅比山、平庭岳、遠別岳、明神岳、マネドコ山、寒長根山、伊茂屋山、高畑山、宇部ヶ森、多々良山
- 川:久慈川、長内川(久慈川支流)、夏井川、宇部川、高家川、田沢川、鳥谷川、馬渡川、岩井川、戸呂町川、日野沢川、沢山川、遠別川、川又川、瀬月内川、小国沢川
- 沼:新井田沼
- ダム:滝ダム(海が見えるダム、観光遊覧船あり)、県営瀬月内ダム、遠別ダム
気候
梅雨から夏にかけて吹く北東風「やませ」の影響を強く受ける地域として知られており、8月の平均気温は21.6℃と夏は非常に冷涼である。太平洋に面しているため、冬は雪が少なく日照時間が比較的長い。ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属する。 一方、内陸にある旧山形村地区は1月の平均気温が-3.1℃と冬は寒さが厳しく、亜寒帯湿潤気候の中でも本州では珍しいdfbに属する。記録最低気温は2月が一番低く、次に3月、1月と続く。以下の出典は[2]。
旧久慈市
- 最高気温極値 (1976/11〜) 36.0℃(2007年8月15日)
- 最低気温極値 (1976/11〜) -17.7℃(1978年2月15日)
旧山形村地区
- 最高気温極値 (1977/10〜) 35.6℃(2012年7月31日、2010年8月6日)
- 最低気温極値 (1977/10〜) -21.7℃(1978年2月17日)
歴史
- 縄文時代から平安時代の平沢I遺跡、中長内遺跡から多くの琥珀が出土し、竪穴式住居内からは玉の未成品や破片などが発見され琥珀玉工房を含む集落であることが明らかになった。また奈良県の平城京跡、藤原京跡等から久慈産の琥珀が出土していることから、久慈地方との交易があったことが推測されている。
- かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、現在の久慈市域を含めて糠部郡が建郡された。文治5年(1189年)藤原泰衡が滅びると奥州は源頼朝の支配下に入り、関東御家人への恩給が行われたが、糠部郡に関する記録はなく、寛元4年(1246年)北条時頼が「陸奥国糠部五戸」の地頭代職に左衛門尉平盛時を補任したことが初めてである。
- 元弘4年(建武元年 1334年)陸奧国府の北畠顕家は南部師行に対して信濃前司入道(二階堂行珍)の代官を久慈郡に入部させよと命じており、平泉藤原氏の時期から、現在の久慈市域(九戸郡の一部)とほぼ一致する郡域が古代閉伊郡から分離独立したものとみられる。鎌倉末期には糠部、岩手、久慈、津軽四郡など北条氏所領群の一角をなしていたと推定される。
- 室町後期から戦国末期には久慈郡は久慈氏の統治下にあった。諸説あるが、久慈氏から大浦氏の養子となり弘前藩祖となった大浦為信(後の津軽為信)がいる。戦国末期の当主、久慈備前守直治は九戸信仲の三男中務政則を娘婿としたため、天正19年(1591年)9月、九戸政実の乱において、豊臣秀次率いる上方軍に対して九戸政実の陣営に加わり、九戸城籠城により奮戦したが、和議謀略により敗北、主だった首謀者達とともに栗原郡三迫岩ヶ崎(現 宮城県栗原市)に送られ処刑され久慈氏の本宗は断絶した。現在は戦国期平山城の久慈城跡が残る。
- 寛永11年(1634年)盛岡藩領の糠部郡は、北郡、二戸郡、三戸郡、九戸郡に分割された。
- 寛文4年(1664年)に盛岡藩から八戸藩が分立され、久慈市域は八戸藩領となった。久慈地方には大量の砂鉄があり中国地方と並ぶ二大鉄産地として藩の財政を支えた。
- 天保4年(1833年)の大飢饉(天保の大飢饉)に際して、八戸藩は領民救済をせず、領民の一日の食料を精白しない稗三合と定め、それ以外の穀物は市場の実勢を無視し強制的にすべて藩札で安く買い上げることを布告した。 天保5年(1834年)12月に入って是川村を皮切りに、久慈通・軽米通に一揆が広がり、集結した2千人の一揆勢が久慈街道を法螺貝の音轟かせながら八戸城下鍛治町および周辺村々に結集し、最終的には8千人規模になっていたと言われる。一揆の訴願書には70以上の願書を出して、野村軍記の引き渡しと稗三合一件の撤回を要求した。野村軍記は起こった総百姓一揆の責任を負わされて入牢して八戸で獄死した。(稗三合一揆)
- 大正時代に入り松方正義の五男である松方五郎の常磐商会が、日本最初の大規模な砂鉄処理工場を建設したが、操業間もなくチタンの分離に失敗して放棄した。1939年に川崎財閥(松方コンツェルン)の川崎重工業が久慈工場を開設、1950年製鉄部門が独立して川崎製鉄(現・JFEスチール)の製鉄所として操業した。高度経済成長期に銑鋼一貫製鉄所の千葉製鉄所を建設したこと等から1967年久慈製鉄所は廃止となった。現在はその跡地に出来た官庁街「川崎町」にその名を留めるのみである。
- 東日本大震災以前、1896年明治三陸津波、1933年昭和三陸津波、1960年チリ地震津波等過去にも津波が襲来した。明治三陸津波は侍浜村で最大波高26メートルとされ、旧侍浜村100人、旧久慈町400人、旧長内村125人、旧宇部村169人の死者が出ている。それらの経験から海岸部は高台集落が多い。津波だけではなく、1926年(昭和元年)1月に久慈町(当時)て224戸、終戦直前の1945年4月には950戸が焼失する大火が起きており、1945年の大火ではその2年前に完成した岩手県立久慈高等女学校(現在の久慈高校)校舎も焼け落ちた。また1983年4月には市内南部の山林から発生した火災が拡大、海沿いの61世帯が焼け出された。(久慈4.27大火)この火災では迅速な避難伝達により死者は出なかった。
年表
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、下大川目村・長久寺村・門前村と長内村の一部(第1地割・第5地割)が合併して南九戸郡久慈町が発足。
- 明治29年(1896年)3月29日 - 南九戸郡と北九戸郡が合併して九戸郡が復活。九戸郡久慈町となる。
- 昭和29年(1954年)11月3日 - 長内町・宇部村・大川目村・侍浜村・夏井村・山根村と合併し、(旧)久慈市が発足。
- 平成18年(2006年)3月6日 - (旧)久慈市、山形村と合併し、新制の久慈市が発足。
東日本大震災
平成23年(2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では久慈市内の震度は5弱だったが、この地震より波高8.6メートル、遡上高27.0メートル、河川遡上4キロメートルを記録した巨大津波に海岸部、平地部が襲われ、死者4名(うち1名は市外)、行方不明者2名が出た。建築物の被災状況は、全壊355棟、大規模半壊89棟、半壊410棟であり、小袖海岸にあった前年8月に完成した『小袖海女センター』が全壊[3]、日本地下石油備蓄久慈事業所(久慈国家石油備蓄基地)や併設する久慈地下水族科学館もぐらんぴあ等海岸工業地帯の施設及び工場が全半壊した。
行政
- 歴代市長(平成の大合併以前)
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 山内堯文 | 1954年 | 1978年 | 6期 |
2 | 久慈義巳 | 1978年 | 1979年 | 1期 |
3 | 久慈義昭 | 1979年 | 2003年 | 6期 |
4 | 山内隆文 | 2003年 | 2006年 | 1期 |
- 歴代市長(平成の大合併以後)
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 山内隆文 | 2006年 | 2014年 | 2期 |
2 | 遠藤譲一 | 2014年 |
議会
議長:八重櫻友夫(やえざくらともお、平成23年(2011年)8月30日就任)
副議長:下舘祥ニ(しもだてしょうじ、平成23年(2011年)8月30日就任)
議員:定数は24人[4]。
- 梶谷武由、下川原光昭、藤島文男、上山昭彦、泉川博明、木ノ下裕治、畑中勇吉、砂川利男、山口健一、桑田鉄男、澤里富雄、中平浩志、小栁正人、堀崎松男、小倉建一、小野寺勝也、城内仲悦、下舘祥ニ、中塚佳男、八重櫻友夫、髙屋敷英則、宮澤憲司、大沢俊光、濱欠明宏
経済
産業
- 主な産業
- 主な企業
金融機関
マスメディア
このほかにも全国紙・地元テレビ局の通信員がいる。
郵便
テンプレート:Col 簡易郵便局 テンプレート:Col 郵便番号は以下の通りである。 テンプレート:Col
姉妹都市・提携都市
海外
- テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク(アメリカ合衆国インディアナ州)
- 旧・久慈市が1960年(昭和35年)姉妹都市提携
- テンプレート:Flagicon クライペダ市(リトアニア共和国クライペダ州)
- 旧・久慈市が1989年(平成元年)姉妹都市提携
地域
人口
教育
小学校
- 久慈市立久慈小学校 同校HP
- 久慈市立久慈湊小学校
- 久慈市立枝成沢小学校
- 久慈市立長内小学校
- 久慈市立小久慈小学校
- 久慈市立大川目小学校
- 久慈市立夏井小学校
- 久慈市立平山小学校
- 久慈市立侍浜小学校
- 久慈市立宇部小学校
- 久慈市立久喜小学校
- 久慈市立小袖小学校
- 久慈市立山根小学校
- 久慈市立山形小学校
- 久慈市立小国小学校
- 久慈市立霜畑小学校
- 久慈市立戸呂町小学校
- 久慈市立荷軽部小学校
- 久慈市立来内小学校
中学校
- 久慈市立宇部中学校
- 久慈市立三崎中学校
- 久慈市立山根中学校
- 久慈市立山形中学校 同校HP
- 久慈市立霜畑中学校
高等学校
特別支援学校
- 岩手県立久慈拓陽支援学校同校HP
交通
鉄道路線
バス
高速バス
路線バス
道路
高規格幹線道路(一般国道自動車専用道路)
一般国道
県道
主要地方道
一般県道
- 岩手県道124号久慈停車場線
- 岩手県道125号陸中夏井停車場線
- 岩手県道149号侍浜停車場線
- 岩手県道153号侍浜停車場阿子木線
- 岩手県道268号野田長内線
- 岩手県道272号戸田荷軽部線
- 岩手県道279号侍浜夏井線
- 岩手県道292号大野山形線
港湾
漁港
名所・旧跡・観光スポット
- 舟渡海水浴場
- 小袖海岸 - 『北限の海女』および『あまちゃん』ロケ地(袖が浜の灯台)
- 久慈駅前デパート - 『あまちゃん』ロケ地(北三陸市観光協会)
- 三陸鉄道久慈駅 - 『あまちゃん』ロケ地(北三陸鉄道北三陸駅)
- 侍浜岩場海水プール - 『あまちゃん』ロケ地
- つりがね洞
- 長泉寺の大銀杏
- 久慈渓流
- 不老の泉
- もぐらんぴあ
- 三船十段記念館
- 久慈琥珀博物館
- 小久慈焼
- たたら館
- 新山根温泉 べっぴんの湯
- 久慈城跡
- 北侍浜野営場
- アンバーホール
- 長内渓流
- 牛島
- 久慈平庭高原県立自然公園
- 内間木洞
- バッタリー村
- 道の駅くじ やませ土風館
- 久慈市歴史民俗資料室
祭事・催事
- 平庭高原スキー場まつり(2月)
- 水車まつり(5月)
- 小久慈焼陶芸まつり
- 琥珀まつり・千樹祭(5月)
- 平庭高原つつじ祭り(6月)
- 内間木洞まつり(2月・7月)
- 久慈みなと・さかなまつり(7月)
- 久慈大神宮胎内くぐり(7月)
- ガタゴン祭(8月)
- 平庭闘牛大会しらかば場所(8月)
- やませあきんど祭り(8月)
- 久慈納涼花火大会・灯籠流し(8月)
- 北限の海女フェスティバル(8月)
- 久慈秋祭(9月)
- 久慈地方産業祭(10月)
- 平庭闘牛大会もみじ場所(10月)
- ぐれっと山形街道祭・平庭市大感謝祭(10月)
- 滝ダム湖遊覧船就航(4月 - )
- まちの市日(3と8のつく日)
- 山根六郷くるま市(4月 - 12月)
- 二子朝市(6月 - 12月)
- 平庭市(6月 - 10月)
- 北三陸くじ冬の市(11月 - 2月)
出身有名人
- 大向美智子(女子プロレスラー)
- 三船久蔵(講道館柔道十段 柔道の神様と称された)
- 昆野睦武(明治時代柔道とボクシングの異種格闘技戦を行った柔道家)
- 柏崎克彦(国際武道大学教授 柔道世界選手権 金メダリスト)
- 小田為綱(幕末・明治期の教育家・政治家 原敬の藩校時代の師で自由民権運動にも参画)
- 小田観螢 (歌人)
- 菊原光治(地歌箏曲演奏家 古生田流菊原家5代目)
- 栃乃花仁(力士)
- 津軽為信(戦国時代の武将)
- 中屋敷哲也 - (俳優・スーツアクター「ミスター仮面ライダー」)
- たれやなぎ(俳優・希望王国いわて文化大使)
- ゆげみわこ(アーティスト)
- 畑浩治(衆議院議員)
- 大向美咲(海女)
- 加藤真輝子(テレビ朝日アナウンサー)
- 馬場葉子(ジャズピアニスト)
- 水無昭善(僧侶)
- 大庭和弥(騎手)
- すみれいこ(漫画家)
- 林下清志(痛快!ビッグダディ、旧山形村)
名誉市民
久慈市を舞台・モデルにした作品
- ラジオドラマ『北限の海女』 - 1959年(昭和34年)11月27日にNHKラジオ第1放送において放送されたラジオドラマ(原作:水木洋子、出演:荒木道子・原泉・賀原夏子)。北限の海女が全国的に注目されるきっかけをつくった。
- 『ロマンチック街道・恋に落ちて』 - 1988年 TBS において放送されたドラマ。久慈市を舞台に仕事一筋のサラリーマンが旅行中に巻き起こす、ちょっと危ないラブコメディ。草刈正雄が初の父親役を熱演した。反抗期の息子たちに手を焼きながら、次第に溝を埋めていく新米オヤジの戸惑いぶりを描きながら、国生さゆり扮する美貌の部下と、森山良子扮する偶然知り合った未亡人との恋の駆け引きをコミカルに綴る。出演:草刈正雄・森山良子・国生さゆり・松村雄基 ディレクター・監督 : 森田光則。
- 鉄道むすめ - トミーテックから女性運転士にして久慈をモデルとしたキャラクター「久慈ありす」が登場している。
- 『伊藤の話』 - 2007年にカエルカフェから公開された日本の映画作品である。主演は温水洋一。原作は小泉八雲の『伊藤則資の話』。大学教授として八戸大学に赴任した伊藤(温水洋一)の周囲で、不思議な出来事が頻発する。その根源が久慈市の琥珀館にあると言われ、そこに行ってみる。その帰りに怪しい屋敷に招待され、そこで伊藤は奇妙な体験をする。
- 『あまちゃん』- 2013年度前期(4月 - 9月)放送のNHK連続テレビ小説。「北三陸市」として作中に登場している。市内各地でロケがおこなわれ、関連イベントも開催されている。ドラマの舞台となったことで注目され観光客も増加している[5]。
- 司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の第3巻『陸奥のみち、肥薩のみちほか』-飛行機で東京から八戸に飛び、八戸に1泊後、久慈街道を経て久慈に至り、 太平洋沿いに八戸に戻りもう1泊した後、豊臣時代以降対立関係にあった弘前藩と盛岡藩の藩境まで足を延ばした。寒冷ゆえ米作に適さなかった陸奥地域の過酷な運命とそこで育まれた安藤昌益の農本的共産主義思想や、またこの地を旅した高山彦九郎や柳田國男について触れる。