普連土学園中学校・高等学校
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普連土学園中学校・高等学校(ふれんどがくえん ちゅうがっこう・こうとうがっこう、Friends School)は、東京都港区三田四丁目(「聖坂」上)に所在する中学校・高等学校。小規模な女子校であり、学校法人普連土学園によって設置・運営されている。
概要
1887年(明治20年)、当時アメリカ合衆国に留学中だった内村鑑三と新渡戸稲造の助言で、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアのキリスト友会(クエーカー)の婦人伝道会が女子教育を目的として創設した。現在でも日本国唯一のキリスト友会の教育機関である。校名の「普連土」(戦前は「普聯土學園」と書いた)は、津田仙(津田塾大学の創立者津田梅子の父)が、「普(あまねく)世界の土地に連なる」、転じて「この地上の普遍、有用の事物を学ぶ学校」であるようにとの思いから命名したとされる。2009年(平成21年)現在の学校長は浜野能男である。 教育理念の核として、クエーカーの言葉である内なる光と神の種子を掲げている。
一学年約135名、3クラス(1クラス45名)の編成で比較的少人数の学校である。
校舎は、2003年にDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。
校歌
作詞・室生犀星 作曲・川村信義
制服(校服)
沿革
- 1882年(明治15年) - 米国フィラデルフィア市の友会派(クエーカー)により「友會婦人外國傳道協會」を設立。
- 1885年(明治18年) - 新渡戸稲造と内村鑑三の助言により学校設立が決定される
- 1887年(明治20年) - フレンド女學校開校
- 1889年(明治22年) - 三田功運町聖坂上(現所在地)に新校舎落成。津田仙により「普聯土女學校」と命名される。
- 1902年(明治35年) - 失火により校舎焼失、
- 1903年(明治36年) - 授業再開、新校舎落成
- 1923年(大正12年) - 後援会発足
- 1928年(昭和3年) - 校旗・校服(セーラー)制定
- 1937年(昭和12年) - 創立50周年記念式典
- 1943年(昭和18年) - 校内モンペ着用、戦時中の敵性語規制に伴い「聖友女學校」に改称
- 1944年(昭和19年) - 学徒動員令、学校工場開設
- 1945年(昭和20年) - 空襲により校舎全焼
- 1946年(昭和21年) - 9月授業再開
- 1947年(昭和22年) - 給食復活、新学期制により中学校開設。「普聯土女學校」の旧名に改称
- 1948年(昭和23年) - 新制普連土学園高等学校を開設、第一期校舎落成
- 1951年(昭和26年) - 学校法人に組織変更、二期制を採用
- 1987年(昭和62年) - 創立100周年
- 2006年(平成18年) - 新校舎「120周年記念館」完成
主な卒業生
- 佐藤千夜子(歌手)
- 倉野麻里(テレビ東京アナウンサー)
- 新珠三千代(女優)
- 森周子(社会学者佐賀大学准教授)
- 難波康子(登山家)
- 保木本由起(声優)
- 岡田苑子(元アナウンサー)
- 遠藤玲子(フジテレビアナウンサー)※一時在籍
- 小林麻美(元女優、歌手、モデル)
- 三ツ橋敬子(指揮者)
- 坂崎千春(絵本作家)
脚注及び参照