チッキ

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チッキとは、陸海の運輸業者による「託送手荷物」のうち、鉄道による手荷物輸送、またはその手荷物のことである。手荷物の預り証を示す英語の check(チェック・チェッキ)からチッキと呼ぶ。同様の意味をもつ ticket が訛ってチッキと呼ばれた、という説もある。

この項では、便宜的に託送手荷物全般についても記述する。

歴史

「チッキ」は本来、上記のように「手小荷物輸送」のうち「手荷物」やその輸送を意味するが、鉄道荷物輸送が広く行われていた当時、一般の用語法として必ずしも「手荷物」と「小荷物」を厳格に区別せず、比較的あいまいに「手小荷物またはその輸送」を指す形で用いられる傾向が少なからずあった。以下はこの用語法に基づく形で記述する。

JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)で、最寄りで受発送の手続きをしていた鉄道小荷物や託送手荷物、または鉄道小荷物の受発送を指した。

上記の語源に示されるように、乗客の手荷物の託送に起源を有する。鉄道の発達とともに、乗客とは関係なく輸送される小荷物の取り扱いもなされるようになり、次第にこちらのほうが比重を増し、小口の荷物や要急送品、新聞週刊誌等の輸送手段として定着していった。専用列車の時刻は一時期、市販の旅客用時刻表にも時刻が掲載されていた。

明治時代から長年、郵便小包とともに小口荷物輸送の一翼を担っていたが、1976年昭和51年)にヤマト運輸が「宅急便」の名称で宅配便サービスを開始したことにより取り扱い個数が減少に転じた。これに対抗するため1982年(昭和57年)には集配サービスを付加した「宅配鉄道便Q」(人気漫画「オバケのQ太郎」をキャラクターに起用)を開始し、1985年(昭和60年)にはさらに取次店での荷物引受サービスを加えた「ひかり宅配便」の取り扱いを開始したものの凋落に歯止めはかからず、1986年(昭和61年)に鉄道小荷物サービスが廃止された。

この後、駅構内で旅客の手荷物を車廻りまで運ぶ独特の服装の赤帽も姿を消した。

一方、1981年(昭和56年)から、新幹線で荷物を輸送する「レールゴー・サービス」も開始され、1986年(昭和61年)からはこれに集配サービスを付加した「ひかり直行便」も開始された。

なお、東海道山陽新幹線利用の「レールゴー・サービス」は、2006年平成18年)3月のダイヤ改正で廃止されたが、2003年(平成15年)5月に「ひかり直行便」と同様のサービスを始めた西濃運輸の「カンガルー超特急便」は2009年(平成21年)8月までサービスを継続していた(名古屋駅の事務所はレールゴーの事務所の一角に仕切りを設けたものであったものを継続使用していた)。

四国旅客鉄道(JR四国)管内では、関連会社の四鉄運輸により、特急列車を利用した小荷物輸送サービス(高松 - 松山・松山 - 宇和島・高松 - 高知・高松 - 徳島の各区間に限る。高松・松山での接続輸送は可能)が提供されている。

鉄道小荷物については「客車便」という呼び方もあった。客車の一種である荷物車を使用し、旅客列車扱いのダイヤで運行されることに着目した呼称で、貨物列車に比較して高速であり、所定ダイヤで運行されるため輸送日数にも確実性があることを意味するものであった。ヤード輸送方式時代の貨物列車は貨車の集結状況によってどの列車に組成されるかが不確実であり、輸送日数が不安定なのが大きな欠点であった。

手順

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右側にあるのは手小荷物窓口だった。(渡島砂原駅
ファイル:Hayabusa Station Percel Window.jpg
隼駅に再現された手小荷物貨物取扱所

「手小荷物」とひとくくりに表現されることも多いが、託送手荷物と小荷物とでは当然ながら相違があった。

託送手荷物は、旅客が鉄道や船舶などの交通機関を利用する際に駅から駅またはから港の区間で旅客の手に余る重さ・嵩(かさ、体積)の手荷物等を駅や港の窓口で受付して輸送会社が預かる。小荷物との違いは乗車券が必要であり、自宅などへの配達が可能であった。この時に手荷物の引換券が渡される。

小荷物について、当時の国鉄の営業規則では次のようになっていた。

  • 1個30キロまで、大きさ2立方メートルまで。
  • 受付は小荷物取り扱い駅で8:00 - 20:00まで。
  • 所要日数は受付日1日+輸送距離400キロごとに1日。
  • 運賃は乗車券の計算同様、輸送ルートの距離を計算して運賃表に当てはめて算出。
  • 配達はするが、配達可能駅と配達可能エリアを別に指定。それ以外は駅留(駅まで取りに出向く。受付時間は8:00~20:00)。
  • 荷物は厳重に荷造りした上、荷受人・荷送人を書いた紙などを荷物本体に貼ると共に、同じ内容を書いた荷札をくくりつけなければならない。

鉄道小荷物輸送は、旧国鉄だけでなく地方や、大都市圏の一部の私鉄でも行われていた。また、旧東京地下鉄道(現・東京地下鉄銀座線)でも昭和初期に旧国鉄との連絡運輸を開始したのを機にチッキの取り扱いを開始したが、約10年間に発送が3個、到着が5個という状態だったため、1950年(昭和25年)にチッキ扱いは廃止された[1]

2008年現在、島根県一畑電車では、自社線内のみにおいて、小荷物を取り扱っている。 テンプレート:節stub

費用

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昭和初期から戦前まで使用された、職員用の小荷物運賃表

重量や輸送距離により変動するが、1959年当時は運送距離の遠近に関わらず115円で、配達をしてもらう場合は30円加算された。また、発送駅から到着駅までの運賃は旅客同様最短距離によるが、私鉄駅からの発送の場合は私鉄線の運賃も加算された。

テンプレート:節stub

今日的な評価

日本の鉄道からは託送手荷物は姿を消したが、航空機高速バス離島航路においては乗客の手荷物を預かって輸送(通常は乗客と同じ便で)するサービスが常識となっている。性格は託送手荷物そのものである。いずれも客室が狭いことや、保安上の理由によるものであるが、ターミナルで荷物を持って移動する負担が減る等、乗客にもそれなりの利便性がある。

九州地方のいくつかの大手バス事業者では、九州産業交通がかつて一般路線バスによる小荷物輸送を行っていたほか、都市間バスによる小荷物輸送すら、長い歴史を持ちながら現在も行われ続けている。

日本の鉄道においては、その旅客輸送密度の高さ故に荷物輸送のためのスペース・人員・ダイヤを確保できなくなったのが実情である。客室にも相対的にゆとりがあり、乗車中の手荷物託送の必要性は航空機や高速バス程には高くないが、乗り降り、ターミナル移動時等を含めると必要性が認められることも少なくない。

託送手荷物のもう一つの機能である「駅から目的地へ(またはその逆)の手荷物配送」については、いくつかの取り組み事例が見られる。個別施設によるサービス提供が多いが、地域で横断的に行われている取り組みとして注目されるものに、大分県由布市由布院温泉の「ゆふいんチッキ」がある。これは由布院観光総合事務所(由布院温泉観光協会と由布院温泉旅館組合が共同運営)が2003年7月から提供しているもので、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線由布院駅前(受付所を開設)と各宿泊施設との間で手荷物託送を行う。自家用車の観光地乗り入れを減らすために鉄道の利便性を高める目的で始められ、一定の効果も認められている。名称は国鉄時代のチッキを意識して名づけられたものとのことである。

2005年3月からは、神奈川県足柄下郡箱根町箱根湯本地区で同様な手荷物託送を行う「箱根キャリーサービス」が、箱根登山バスにより開始されている。

また、鉄道荷物会社(下記「その他」を参照)であった企業によるサービス提供の例として、西日本旅客鉄道(JR西日本)グループのジェイアール西日本マルニックス京都大阪両市内で提供しているキャリーサービスが挙げられる。これは、京都駅と京都市内の旅館の間、および新大阪駅ユニバーサルシティ駅と大阪市六区内のホテルとの間で手荷物託送を行う(宿泊施設から駅への配送は京都市内のみ)もので、旧国鉄のチッキの市内配送の名残りそのものと見ることもできる。

その他

国鉄の小荷物営業に関連して、駅構内での荷物積み下ろし業務や、トラックによる駅からの荷物集配業務等を受託する国鉄の関連企業があり、「鉄道荷物会社」と呼ばれていた。日本全国で21社存在したが、鉄道小荷物営業廃止の影響を受け、転廃業する社も生じた。存続している企業には「ジェイアール東日本物流(旧・東京鉄道荷物)」「ジェイアール西日本マルニックス(旧・大阪鉄道荷物)」等がある。

2011年になって、宅配便事業者であるヤマト運輸が軌道事業者の京福電気鉄道と提携して、ヤマト運輸の宅急便荷物を京福の路面電車に載せて集配を行うシステムを開始した[2]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 大野鐵「手荷物の託送制度(チッキ)」『伊予鉄が走る街今昔 坊っちゃん列車の街 松山の路面電車定点対比50年』JTBパブリッシング、2006年、ISBN 4-533-06410-8

関連項目

外部リンク

  • 種村直樹『新・地下鉄ものがたり』日本交通公社、1987年、46頁
  • クロネコヤマトの宅急便電車 Response.、2011年5月19日