種村直樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - )は、日本作家随筆家評論家

元々は毎日新聞記者だったが、1973年に鉄道に関連する記事執筆を専業とするフリーのライターとなり、レイルウェイ・ライターと称している。鉄道に関するルポルタージュ、時事評論紀行文推理小説などを数多く発表している。

滋賀県大津市出身。滋賀県立大津東高等学校(現・滋賀県立膳所高等学校)、京都大学法学部卒業。現在は、東京都足立区竹ノ塚に在住。

代表作は、「鉄道旅行術」「気まぐれ列車で出発進行」「日本国有鉄道最後の事件」「『青春18きっぷ』の旅」など。

略歴

毎日新聞社の国鉄担当記者であった1972年に、その豊富な鉄道知識と新聞記者としての取材、執筆能力から、当時の『鉄道ジャーナル』の竹島紀元編集長に抜擢され、「列車追跡」など同誌のメインとなる特集記事を執筆するようになったほか、連載コラム欄も持つようになる。フリーとして独立後は、「社会派」を標榜する鉄道ジャーナルに、東北新幹線青函トンネルの開業、日本国有鉄道の終焉とJRの発足や、瀬戸大橋青函トンネルの建設といった、時代の節目となった出来事のルポを多数執筆。その時代の鉄道の記録を残している。

また、乗車券などの規則に詳しく、また、鉄道の旅を単なる手段ではなく、鉄道旅行自体を様々な手法で楽しむことができるということを広めたことでも知られるなど、鉄道ファンや、鉄道旅行愛好者向けの著作も多く、その守備範囲は鉄道に関する広い分野に及ぶ。

主な業績と評価

気まぐれ列車と汽車旅

特に鉄道に乗り、気が向いたで降り、降りた駅の周辺を歩き、温泉や無名な旧跡を回り、再び鉄道へ乗るという「気まぐれ列車」と種村が呼んでいる旅の手法は、古来,鉄道旅行愛好者の間で行われていた旅の手法を種村が活字化し、紹介したものである。 第三次鉄道ブームの到来とともに、鉄道による旅行が見直されたが、その際、このような旅の手法が汽車旅という名前でさまざまな媒体から提示され、ムックが多数発行されるようになった。

汽車旅ゲーム

加えて、「汽車旅ゲーム」と種村が呼んでいる旅のスタイルがある。テーマを決めて、何日間も車中泊で列車を乗り継ぎ、日本を縦断する「乗り継ぎ旅」やルールを決めて駅や郵便局、温泉などを巡る「ラリー旅」はその一例である。種村は日本国有鉄道末期に鉄道線・連絡船バス線を組み合わせた「最長片道切符の旅」を挙行しているが、これも「汽車旅ゲーム」の延長から発想されたものである。

日本列島外周気まぐれ列車

種村のライフワークとして「日本列島外周気まぐれ列車」がある。日本列島の海岸線にそって、なるべく陸路の公共交通機関を使用しながら反時計回りに一周するという企画で、1980年6月に東京都中央区日本橋を出発。2009年6月6日に出発地の日本橋に戻り、完結した[1]

旅の模様は『旅と鉄道』誌上に休刊まで連載していた。同誌の休刊後は、2010年に枻出版社発行のムック『鉄道ひとり旅ふたり旅』において連載を再開した[2]が、同誌も休刊したため、種村自身による連載は未完となっている。

旅行貯金

郵便局で貯金をし、通帳では本来空欄となる支払高の欄に、郵便局名のゴム印を押してもらい収集する旅行貯金という郵便貯金愛好家の中で行われていた趣味を著作で紹介、実践したことでも知られる。

その他

ほかにもラジオディスクジョッキー朗読を吹き込んだレコードセルビデオの監修など、様々な分野で活躍している。1981年には、CBCラジオで1年間、「ばつぐんジョッキー」金曜日のパーソナリティを担当した。また、国鉄末期から大須賀敏明と推理小説を執筆し、鉄道の記述に正確なことから注目を集めたが、『秋山郷発 謀殺列車』を最後に新刊は刊行されていない。

特徴

種村の文章は、他者の文章と比べると、様々な点で「独特」である。このことが、賛否両論の様々な意見を生み出す結果となっている。

ファンクラブと手紙

第一に、強固な読者層を持つ。元々は自らの書籍で乗車券制度に関する質問を手紙で受け付けたことに端を発する。この質問の手紙を見た種村の友人が読者の会を構成することを提案し、本人が同意したため、「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」と称する一種のファンクラブ組織が創設された。種村はこのファンクラブをフルに活用して書籍を執筆している。特に「汽車旅ゲーム」は会員が中心となって企画を立て、参加し、その様子を種村が書籍化するというスタイルが取られた。

  • また、読者からの手紙・質問には殆ど返答を出すことでも知られる。ただ、独自の封筒と便箋に直筆でなされる返答が、昔の新聞記者独特のたいへんな悪筆であり、自らの著作で「読者に出した手紙が読めないという苦情をもらうことがある。」[3]と自分で紹介しているほどである。

作風・表現技法

自著の中で、学生時代の列車愛称板窃盗事件(現行犯逮捕されたが不起訴)や取材中の遭難騒動、家族も含めたプライベートを正直に告白するという一面もあり、この文章スタイルも賛否両論である。

また、自著の中では「もそもそ」「ぞっとしない」「よろしくない」「由(よし)」「〜しておく」「○○氏(窓口氏、改札氏など)」「の字」といった、種村独特の定型句が多く登場する。こうした特有の言い回しも、鉄道ファンの間では支持する者と批判的な者とに意見が割れる。これは種村と同じように鉄道旅行を書籍化し、種村との親交も深かった宮脇俊三が、比較的誰にでも親しまれている[4]のとは、大きく異なる[5]

入院とその後

2000年にはクモ膜下出血を発病し入院したが、退院後の体調は順調に回復している。入院の際に、不摂生だった生活を改善し「ヤニーズ」を標榜するくらいのヘビースモーカーだったが、タバコは一切断ち切り、旅行先から病院に検査結果を問い合わせる電話をするくらい、健康に気を遣うようになった。

退院後の執筆内容

ただ、クモ膜下出血の後遺症も災いし、退院後の文章は精彩を欠いていることを本人も認めている[6]。体力的な都合もあり、同誌でのハードな取材はなくなり、「○○の駅百選」に選ばれた駅や私鉄などのローカル線を訪問するゆとりのある旅の記事が中心となっていた。

『鉄道ジャーナル』誌2006年3月号において、1973年7月号から続いていた「鉄道記事ざっくばらん」欄の執筆者()が種村であることを公表した。また、この欄は2006年1月号以降、以前から記名(これも連載開始当初は()としていた)となっていた「レイルウェイ・レビュー」欄および「DIARY」欄とともに見開き2ページにまとめ、「Railway Writer's COLUMN」とされた。しかし、『鉄道ジャーナル』誌におけるこれら3編の連載も2006年7月号(通巻477号)をもって、休載(事実上の終了)となった。最後の「レイルウェイ・レビュー」は「『レビュー』33年395回の終局-日本の鉄道の変容を見つめて-」とのタイトルで締めくくっているが、同誌の最後では不本意な休載に未練を残している。それ以外の記事執筆は継続したが、『鉄道ジャーナル』誌での掲載は同年10月号をもって終了し、以後は2007年9月発売分から月刊誌に移行した『旅と鉄道』誌に掲載されることになった。

『鉄道ジャーナル』誌での連載コラム終了から一か月経った2006年6月に発売された『旅と鉄道』誌の2006年夏号で、1976年から長期連載していた「種村直樹の汽車旅相談室」も終了した。文末には不本意な「打ち切り」であることを告白しているが、一方で文章に対する批判があることも承知していた。文面からは「モノ書き」にとって仕事を奪われたことの悔しさを滲ませている。「日本列島外周気まぐれ列車」については今後も継続掲載する予定であったが、『旅と鉄道』誌が2009年2月号をもって休刊することが決定したため、こちらも(同誌での掲載は)完結せずに終了することになった。

2010年に入ってからの新刊は『気まぐれ バス旅 出発進行』(クラッセ)のみである。

SiGnal

種村直樹の親族とその友人によって2004年2月2日に創業されたSiGnalと称する出版社が存在している。この出版社は自費出版なども扱うことになっているが、2009年時点での事業は種村直樹の復刻本を出版すること、自社で買い上げた種村直樹の廃刊本を格安で販売すること、「外周新報」と称する『日本列島外周気まぐれ列車』に関するミニコミ誌を発行することである。その他、ゲームの監修なども行っている。

年表

連載掲載誌

  • 鉄道ジャーナル(鉄道ジャーナル社、2007年10月号まで)
  • 旅と鉄道(鉄道ジャーナル社、2009年2月号(休刊号)まで)
  • 日本経済新聞(水曜日夕刊、コラム「急行列車は終着駅へ」、2008年4月〜)

作品リスト

出版社別、順不同。

実業之日本社

  • 種村直樹の周遊券の旅
  • 旅のABC
  • 気まぐれ列車で出発進行
  • 気まぐれ列車の時刻表
  • 気まぐれ列車は各駅停車
  • 気まぐれ列車にご招待
  • 気まぐれ列車と途中下車
  • 気まぐれ列車も大増発
  • 気まぐれ列車や汽車旅ゲーム
  • 気まぐれ列車が大活躍
  • 気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥
  • 気まぐれ列車で行こう 瀬戸内・四国スローにお遍路
  • 種村直樹の汽車旅事典
  • 日本の鉄道なるほど事典
  • 種村直樹の汽車旅相談室
  • 種村直樹の汽車旅相談室Part3
  • さよなら国鉄最長片道きっぷの旅
  • ブルーガイドブック:美ガ原・霧ケ峰・蓼科
  • ブルーガイドブック:四国

創隆社

  • 乗ったで降りたで完乗列車
  • きしゃ記者汽車
  • どんじり駅への長い旅
  • 種村直樹の汽車旅日誌1982・1983
  • 種村直樹の続・汽車旅日誌1984・1985
  • 貴婦人C571の軌跡
  • 汽車旅日本列島

JTBパブリッシング(日本交通公社時代のものも含む)

  • 鉄道旅行術
  • 新版 鉄道旅行術
  • 最新 鉄道旅行術
  • 地下鉄物語
  • 新・地下鉄ものがたり
  • ブルー・トレイン全ガイド
  • 汽車旅十五題
  • 鈍行列車の旅
  • ローカル線の旅
  • 鈍行急行記者の旅
  • 遥かなる汽車旅
  • 快速特急記者の旅
  • 準急特快記者の旅 レイルウェイ・ライターの本

徳間書店

  • 日本縦断鈍行最終列車
  • 日本国有鉄道最後の事件
  • JR最初の事件
  • JR瀬戸大橋線の危機
  • トンネル駅連続怪死事件
  • JR「ガーラ湯沢」新雪事件
  • そばづくし汽車の旅
  • 軽井沢・奥大井連続怪死事件
  • 「青春18きっぷ」の旅
  • 「青春18きっぷ」の旅2
  • 「幻の駅」不在証明の謎
  • 日本縦断「郵便貯金」の旅
  • 秋山郷発 謀殺列車
  • ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行
  • 駅前温泉汽車の旅PART1
  • 駅前温泉汽車の旅PART2
  • 「銀づくし」乗り継ぎ旅
  • 日本縦断JRウオッチング
  • 日本縦断JR10周年の旅
  • 史上最大の乗り継ぎ旅
  • 日本縦断朝やけ乗り継ぎ列車

中央書院

  • 鉄道を書く 種村直樹自選作品集(1巻から5巻まで)
  • アメリカ大陸乗り歩き
  • 日本あちこち乗り歩き
  • バス旅 春夏秋冬
  • レールウェイレビュー 国鉄激動の15年
  • 汽車旅ベストコース
  • ぶらり全国乗り歩き
  • 新顔鉄道乗り歩き

自由国民社

  • 気まぐれ郵便貯金の旅
  • 新版 種村直樹の汽車旅相談室
  • 種村直樹の新汽車旅相談室汽車旅の基礎と運賃・料金篇
  • 種村直樹の新汽車旅相談室 トクトクきっぷ篇
  • 種村直樹の新汽車旅相談室 変更・トラブル・雑学篇
  • 駅の旅その1
  • 駅の旅その2

SiGnal

  • きしゃ汽車記者の30年―レイルウェイ・ライター種村直樹の軌跡―(当時は準備会)
  • 「青春18きっぷ」の旅 傑作選 (SiGnal)
  • JR新時代の軌跡―〈北斗星〉から〈はやて〉まで―
  • 北海道気まぐれ列車 (SiGnal)
  • 韓国気まぐれ列車 (SiGnal)
  • 追憶の夜行列車 (SiGnal)
  • 郷愁の鈍行列車 (SiGnal)
  • 悠久の急行列車 国鉄編 (SiGnal)
  • バスと歩きと離島航路-495日目のゴール-

その他の出版社

  • パイロット・鉄道マンへの道(ポプラ社鍛治壮一と共著)
  • 東京ステーションホテル物語(集英社
  • みんなで乗ろう 鉄道名人(集英社、マンガでマスター/子ども名人シリーズ)
  • 長浜鉄道記念館(東京創元社
  • 〈あさぎり〉秋田構造線(東京創元社)
  • 終着駅の旅(講談社
  • ミニ周遊券とお寺の旅(講談社)
  • 気まぐれ列車で出発進行(講談社、文庫)
  • 乗ったで降りたで完乗列車(講談社、文庫)
  • 時刻表から旅立つ(サンケイ出版
  • 駅前旅館ざっくばらん(サンケイ出版)
  • 新・国鉄2万キロの旅(廣済堂出版
  • おもしろ駅図鑑1東日本(保育社
  • おもしろ駅図鑑2西日本(保育社)
  • バスと歩きと離島航路 種村直樹「日本列島外周気まぐれ列車」の200日(外周200日記念誌刊行会)
  • バスと歩きと離島航路(2) 種村直樹「日本列島外周気まぐれ列車」の300日(外周300日記念誌刊行会)
  • 旅のついでに五千(石)局(同上)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連記事

外部リンク


このページはウィキプロジェクト 作家のテンプレートを使用しています。
  1. テンプレート:Cite web
  2. 日本列島外周気まぐれ列車 連載続行」レイルウェイ・ライター種村直樹公式BLOG、2010年6月20日
  3. 『気まぐれ列車』シリーズなど著作内で多数にて
  4. 宮脇の著作の文体は、独特な定型句はほとんど見られず、万人受けしているため。「宮脇俊三」の項目も参照
  5. 但し、著作を読んでいなければ、批判はできない。批判する者ほど著作をよく読んでいるから、完全に嫌われた存在ではないことを示している。
  6. 「鉄道ジャーナル」の「レイルウェイ・レビュー」で認めた