カフェ

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カフェテンプレート:Lang-fr-shortテンプレート:Lang-it-short)は、本来コーヒーの意味。転じて、コーヒーなどを飲ませる飲食店を意味する。ヨーロッパの都市に見られるある種の飲食店を意味し、特にパリウィーンのものが知られる。新聞や雑誌がそこで読め、時の話題について談笑し、情報交換のできる場所として親しまれている。

名称

各国語の表記・発音は以下の通り。

パリの典型的なカフェ

街路に面し、歩道にせり出してテーブルや椅子が置かれている。店内にはカウンターやテーブル席もある。一般的に、立ち飲みとカウンター席が最も安く、次に店内テーブル席となり、テラス席が一番高い(1物3価方式)。店のある場所やメニューによって違いがあるが、テラス席はカウンター席のおよそ2-3倍くらいと考えてよい。給仕は原則としてウェイターで、用を頼みたい時は「ムッシュ」(英語の「ミスター」相当)と呼びかける(「ギャルソン」という呼び方は現在では侮蔑語になるので使わない)。

カフェを頼むと、エスプレッソが出てくるため、日本でいう普通のコーヒーを注文する場合は、特に「カフェ・アロンジェ(Café allongé、“コーヒー、薄めで”)」と注文する必要がある。その他、ビールワインサンドイッチなどを置いている。

基本的にパリのカフェには有名店以外クーラーがないため、盛夏時は比熱の関係で涼しい店内テーブル席やカウンター席に座る人が多い。冬はもちろん店内席の方が暖かい。有名店には、冬でもテラス席に座りたい人のために、テラス用屋外ヒーターを設置している店もある。トワレは地下にあるのが普通である。

カフェ小史

ファイル:Café Central interior2, Vienna.jpg
ウィーンのカフェ・ツェントラル(Café Central)。
起源

エチオピア南西部にあったKingdom of Kaffa1390年1897年)からもたらされたと、Antonius Faustus Naironus[1]の著書 "De saluberrima potione cahve"(1671)[2] に記されている。17世紀にはエチオピアのコーヒーはモカに集積され、オスマン帝国へ納税してから出荷された。カフェやモカの語源は、現在のエチオピア南部諸民族州の少数民族の名前(テンプレート:仮リンク、Mocha/Sheka)に由来している。

イスラム圏
イスラム圏にはヨーロッパより古くからコーヒーを飲ませる店があった。16世紀にはサファヴィー朝オスマン帝国に普及が始まった。史上初めてのカフェが登場したのは、1554年コンスタンティノープル(現イスタンブル)だった。オスマン帝国でカフェは、トルコ語で「コーヒー」を意味する"Kahve"から転訛した"Kafe"の名称で知られた。
ウィーン
第二次ウィーン包囲で敗走したオスマン軍の陣営のコーヒー豆がポーランド・リトアニア共和国軍テンプレート:仮リンクへ払い下げられ、軍を退役したクルチツキは1686年にウィーンで初めてのカフェ「テンプレート:仮リンク」(テンプレート:Lang-de)を開業したと言われる。その後、18-19世紀に店舗の数も増え、かつて文学者や芸術家が通ったという名物カフェが観光名所になっている。
ロンドン
ロンドンでは17世紀後半からコーヒー・ハウスが流行した。こちらの方がパリのカフェよりも歴史は古いが、後にはパブに取って代わられた。
パリ
現存するフランス最古のカフェ(café)がパリのカフェ・プロコップで1686年の創業。18世紀に入るころには300軒ほどのカフェがあり、フランス革命前には700軒ほどになっていたという。ルソーディドロといった思想家のほか革命家や政治家もカフェに集まり、議論を行ったり、密議をこらす場面が見られた。カフェはフランス人の生活に根付いており、ヴェルレーヌランボーマラルメピカソなどの文化人、芸術家が出入りしたドゥ・マゴ・パリも有名。
ヴェネツィア
サンマルコ広場にあるカッフェ・フローリアン(Caffè Florian)は、Caffè Latteカフェラッテの発祥店でもある。1720年12月29日サン・マルコ広場に創業し、現在も同じ場所で営業している。当初はアッラ・ヴェネツィア・トリオンファンテ (Alla Venezia Trionfante) と名付けられたが、 現在では創業者であるフロリアーノ・フランチェスコーニ (Floriano Francesconi) の名をとって、フローリアンと呼ばれる。
向かい側の回廊には、1638年創業のカッフェ・クアードリがある。

イタリアのバール

バール(bar)は、イタリア・スペインなどの南欧にある軽食喫茶店の事を差す。食事にも重点をおいたリストランテ・バールから、コーヒー中心のカフェ・バール、 アイスクリーム中心のジェラテリア・バールなど様々なものがある。

カウンターで立ち飲みするスタイルで、バリスタがエスプレッソやカプチーノなどを作って提供する。朝食をとったり仕事帰りに気軽に立ち寄って一杯飲んでいく。軽食(パニーノ)や夏場ならジェラートなどが用意されている店も多い。公衆電話やトイレを備えるため、休憩所にも利用される。バスや電車の乗車券煙草くじ(主にトトカルチョの)などを売るタバッキ(日本でのコンビニエンスストアに近い)や、雑貨店など他の商店を兼ねている店も多い。

語源はバー(同じ綴り イタリアではラテン系読みになっているだけ)に由来するが、バーのように類が主ではなく、喫茶地域情報交換場所として使用されている。夜は酒類も注文可能なことが多い。古くは男性のみが集まる場所であったが、女性の社会進出に伴い女性単独での利用も当たり前となった。テーブル席を別メニューとして高い料金をとる場合[3]が多く、カウンターに比べてあまり利用されない。

日本のカフェ

ファイル:Old Nishimotogumi headquarters bld07n4272.jpg
近代建築を活用したカフェの例

日本では、明治時代の終わりに大阪の箕面市でコーヒーを提供する「カフェー・パウリスタ」が開店した。また、同時期、銀座にカフェー・プランタンが開業した。パリのカフェのような芸術家の集まるサロンを目指したが、本場のカフェでは男性が給仕をするのに対し、プランタンでは女給を置いた。これが評判になり、その後のカフェーといえば、社交喫茶など風俗営業の業態に変質していった。(→カフェー (風俗営業)の項)

現在ではほぼ喫茶店等飲食のできる、カフェバーインターネットカフェオープンカフェなどのような業種の総称として使われている。

2000年代よりカフェブームが起こった。

ギャラリー

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

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  • Antonius Faustus Naironusは17世紀のマロン派修道士で、テンプレート:仮リンク文字で書かれたアラビア語新約聖書を編集した。
  • ラテン語で記されている。
  • レストランの閉店時間でもバールは開いていることがあり、テーブル席はそれに代わる役割もある。