「太平記 (NHK大河ドラマ)」の版間の差分
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2014年8月4日 (月) 00:50時点における最新版
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『太平記』(たいへいき)は、NHKで1991年に放送された第29作目の大河ドラマである。放送期間は1991年1月6日 - 12月8日で、全49回。
目次
作品内容と反響
鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱期を、室町幕府初代将軍・足利尊氏を主人公に描いた物語。原作は1950年代末から執筆された、吉川英治晩年の作品である『私本太平記』。吉川作品の大河ドラマ化は、1972年(昭和47年)の『新・平家物語』以来で、通算3度目となる。主役の真田広之は、1987年(昭和62年)の『独眼竜政宗』以来4年ぶりの大河ドラマ出演で、2度目の出演にして主役に抜擢された。脚本は池端俊策と仲倉重郎(後半の一部)が担当しており、共に大河ドラマ初執筆。また番組の終了後に、各回にちなんだ名所旧跡を紹介するコーナー「太平記のふるさと」が設けられた。このコーナーは翌年以降の大河ドラマでも継承され、「紀行」コーナーとして定着することになる。
原作をもとに、足利尊氏の挙兵から鎌倉幕府滅亡、建武の新政、南北朝動乱を経て尊氏の死までを描く。NHK大河ドラマでは初めて南北朝動乱を本格的に取り上げた作品であるが、全49回のうち中盤の山場となる鎌倉陥落の第22回までが鎌倉時代、南北朝成立の第38回までが建武新政期となる配分で、南北朝時代が描かれたのは最後半の10数回程度であった。
群馬県太田市には武家屋敷のオープンセットが作られ、足利、新田、楠木館のシーンが撮影された。また、栃木県足利市には鎌倉や京都の町並みを再現したオープンセットが作られ、中盤の山場となる第22話「鎌倉炎上」の撮影にも使用された。本作のために撮影された「火を噴く大道芸人」や「炎上する門」などのシーンは、その後の大河ドラマにも流用されている。
本作の特徴の一つとして、病死する登場人物(足利貞氏、後醍醐天皇、清子、尊氏ら)の最期を直接描くシーンが皆無という点がある。病死の場合、息絶える瞬間を映す事が無く全てナレーションによる説明に留まっている。一方、討死、殺害、自害するシーンは数多くあったが、中には、千種忠顕のようにいつの間にか退場(史実では湊川の戦い後の京都攻防戦で討死)という人物もあった。
また、大河ドラマに登場する皇族や公家の言葉遣いは、1988年の『武田信玄』(信玄の正室三条の方とその侍女八重)以降、部分的・断片的に御所言葉が採用されることがあったが、歴代の大河ドラマの中でも皇族や公家が多く登場する本作では御所言葉ではなく標準語に近い言葉を話し、物腰や語尾等で武士や庶民との違いを描いていた。御所言葉は、1998年の『徳川慶喜』以降大河ドラマに定着した。
プロデューサーのインタビュー記事によると、局内でも時期尚早であるとの意見があったものの、機が熟して取り上げられる時期が来るものでもないだろうとの判断から、本格時代劇として制作されるに至ったとのことである。その後も、この時期に関する大河ドラマは本作以外に存在しない[1]。
平均視聴率は26.0%、最高視聴率は34.6%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)[2]。
2008年に完全版DVDが発売された。
登場人物
室町幕府・北朝
足利一族
- 足利又太郎→足利高氏→足利尊氏:雨笠利幸→真田広之
- 主人公。青年時代にはアクのない「誰からも好かれる」人物として描かれた。建武の新政が始まった中盤以降は、朝敵となったことを恥じて戦いから離れたりするなど、やや屈折も見せた。
- 赤橋登子:沢口靖子
- 尊氏の正室。青年時代の高氏は赤橋家に母・清子の仕組んだ「見合い」によって知り合い、歌のやり取りを通して、登子のことが気に入った。尊氏とは戦などにより離れ離れの生活をすることが多く、またストーリー前半では婚家の足利家と実家の北条家との板挟みとなり、後半では不知哉丸(足利直冬)の存在に心を乱されるも、夫婦仲は良好であった。
- 足利貞氏:高野八誠→緒形拳
- 尊氏の父。当代きっての御家人・足利家の当主として、北条家・幕府側から常に監視される立場にあった。幕府との協調と、源氏の棟梁としてのプライドの板ばさみの中、血気盛んな高氏をなだめながら、密かに天下取りを託していた。倒幕を夢見ながら実現する前に病死した。
- 上杉清子[3](尊氏の母):藤村志保
- 貞氏の妻であり尊氏の母。京の上杉家出身で和歌や文学に精通している。忍従する貞氏を支え、天下争乱の渦に巻き込まれてゆく尊氏・直義兄弟を優しく見守る。死の間際まで兄弟の行く末を案じていた。
- 足利家時(尊氏の祖父):小形竹松
- 足利直義:高橋守→高嶋政伸[4]
- 尊氏の弟。兄に北条との対決をけしかけるなど、血気盛んな印象が強くなっている。一方で愚直な人物としての一面も描かれている。常に兄の傍らにあって支えていたが、次第に兄とは道を違えて争うようになり、最後は兄よる毒殺を受け入れて死亡する。
- 不知哉丸→足利直冬:山崎雄一郎→筒井道隆
- 尊氏の庶長子で後に直義の養子となる。高氏(当時)が藤夜叉と京都で密会した後に生まれた子とされている。戦を嫌い、我が子が武将になることを望まない藤夜叉の気持ちを汲んで、武門から遠ざけようとする父からの処遇に愛情を感じることが出来ずに反感を抱き、事あるごとに父に反発し、やがて幼少の頃から目をかけてくれた叔父の直義と結びつき、尊氏たちの大きな脅威となる。
- 千寿王→足利義詮:稲葉洋介→森田祐介→片岡孝太郎
- 尊氏と登子の間に生まれた長男で足利家の嫡男。倒幕時には北条の人質として鎌倉に留められていたが、尊氏が反旗を翻した時に母とともに脱出し、鎌倉攻撃の際には義貞と合流、幼児ながら尊氏の名代として名目上の総大将となった。その後は長く父母と離れて鎌倉府にて諸事にあたっていた。父に呼ばれ上洛してからは、都からの逃亡の際に上皇の身柄確保を失念したり、独断で対立する桃井直常の暗殺を謀ったりするなど迂闊な行動が多く、尊氏や次第に権勢を強める高師直と対照的に、性格も短気で単純な人物として描かれた。
- 光王(尊氏と登子の間の次男):枝松拓矢
足利方武将
- 佐々木道誉:陣内孝則
- 尊氏の盟友。この時代を象徴する「ばさら大名」の代表。高氏が京都に行った際に花夜叉一座を紹介したり、高氏が侍所で尋問に遭った際に証人として高氏を救う証言をしたり、高氏が倒幕の意思を固めた際にはその説明を受けたりしている。生涯にわたって尊氏にとっての盟友的存在であり、要所を占める重要人物となっている。
- 高師直:柄本明
- 足利家の執事で、一見能面の表情で惚けた雰囲気を見せながらも大きな権勢を振るった。そのことが直義との対立を招き、やがて観応の擾乱を引き起こす。
- 高師泰:武内伸一郎→塩見三省
- 師直の兄。弟という説もあるが、本作では兄という説を採用している。師直以上に直情的かつ傲慢な振る舞いを見せる。
- 高師氏(師直の祖父):安部徹
- 足利家の執事。高氏の祖父家時、父貞氏の代に仕え、家時の切腹を貞氏と共に見届けた。塩屋宗春の一党を小山氏に引き渡すかどうかで足利家が紛糾した際、冷静かつ現実的な意見を以て貞氏を諭した。
- 高師重(師直の父):辻萬長
- 足利家の執事。高氏の父貞氏に仕え、厚い信頼を得ていた。病に倒れた貞氏が家督を高氏に譲るのに合わせ、自らも執事の座を息子の師直に譲った。
- 高師行(師直の叔父):左右田一平
- 赤松則村→赤松円心(尊氏支持の武将):渡辺哲
- 後醍醐の倒幕に呼応し、六波羅陥落などに功を上げるが、護良親王派であったことから阿野廉子や後醍醐から冷遇されて新政に失望し、己を理解し礼遇してくれた尊氏に従っていくことになる。
- 赤松則祐(則村の長男):斎藤拓→斎藤志郎
- 一色右馬介/柳斎:横山勇→大地康雄
- 北条氏に滅ぼされた吉見一族の残党である塩屋一党の生き残り。ほぼ全編にわたって尊氏に付き従った側近中の側近。「具足師柳斎」と名乗って直冬母子を見守っていた時期もある。
- 吉良貞義(尊氏の配下):山内明
- 足利分家十九家の当主の一人で三河一門の統領。高氏の出陣に備え兵馬を整え領内へ迎える。唐突に北条討ちを告げられ、複雑な思いを抱きながらも宗家への忠誠を誓い承諾する。高氏からは「じい」と呼ばれている。
- 桃井直常(直義の配下・側近):高橋悦史
- 主君・直義亡き後は直冬を守り立てて尊氏に反旗を翻したため、義詮に命を狙われかけた。これを逆手にとって室町幕府を揺るがそうと画策。最後まで抗戦を進言するが直冬が終戦を決意したため不本意ながらもこれを受け入れた。
- 石塔頼房(尊氏の配下):内山森彦
- 細川顕氏(尊氏の配下):森次晃嗣
- 尊氏晩年の側近。細川家当主。室町幕府が創設された際の功労者の一人で、征夷大将軍となってからの尊氏を支えた。観応の擾乱や直義、直冬らの内紛の収拾に尽力、義詮の強力な後ろ盾となった。
- 細川和氏(尊氏の配下):森山潤久
- 細川頼春(尊氏の配下):芹沢名人
- 細川師氏(尊氏の配下):松本公成
- 畠山国清(尊氏の配下):久保志郎
- 大友氏時(尊氏の配下):速見領
- 土岐頼遠(尊氏の配下):下元史朗
- 今川範国(尊氏の配下):ドン貫太郎
- 塩冶高貞(尊氏の配下):峰三太→浅野和之
- 西台(塩冶高貞の妻):相川恵理
- 南宗継(尊氏の配下):樫葉武司
- 南重長(尊氏の配下):河原さぶ
- 上杉憲房(清子の兄、尊氏・直義の伯父):藤木悠
- 上杉重能(尊氏の配下):谷嶋俊
- 上杉能憲(重能の養子):梶原浩二
- 少弐頼尚(尊氏支持の武将):加地健太郎
- 土岐頼兼:田辺年秋
- 阿蘇惟時:舟久保信之
- 淵辺義博(直義の配下):佐々木敏
- 斎藤利泰(直義の配下):伊藤哲哉
- 彦部十郎(高師直の配下):田口トモロヲ
持明院統他
- 光厳天皇(持明院統の天皇):園田智章→辻輝猛
- 光明天皇(持明院統の天皇・光厳の弟):海野義貞
- 守邦親王(鎌倉幕府将軍):吉川英資
- 西園寺公宗(親北条派の公家):長谷川初範
- 勧修寺経顕(光厳の側近):草薙幸二郎
南朝・吉野政権
大覚寺統
- 後醍醐天皇(大覚寺統の天皇):片岡孝夫
- 高氏が京都を訪れた際に偶然天皇に出会った。序盤では鷹揚で雅な気品に満ちた君主として描かれ、中盤以降は肖像にも見える髭を生やして野趣な趣きを表し、朝敵討伐に対する執念を見せた。尊氏とは最終的に敵対関係となり、足利討伐を遺勅するが、尊氏個人のことは本来認めており、敵対関係になるのも不本意であったことも描かれている。
- 阿野廉子(後醍醐の愛妃、後村上・恒良・成良親王の母):原田美枝子
- 護良親王(後醍醐の皇子):堤大二郎
- 鎌倉幕府打倒に活躍したが、尊氏を力量を認めていたがゆえに事あるごとに敵視し、後醍醐天皇の意志にも反したために疎まれ、鎌倉の直義に預けられた後に殺害される。
- 宗良親王(後醍醐の皇子):八神徳幸
- 尊良親王(後醍醐の皇子):新岡義章
- 恒良親王(後醍醐の皇子):大河原梓
- 成良親王(後醍醐の皇子):長谷川宙
- 義良親王→後村上天皇(後醍醐の皇子):細山田隆人→西垣内佑也→黒樹洋
楠木家
- 楠木正成(河内の豪族、尊氏の盟友・ライバル):武田鉄矢
- 自らも鍬を持って農作業に携わる、ほがらかな田舎の土着武士だが、戦の際には、優れたゲリラ戦の手腕を見せる。後醍醐帝に対し尊敬の念を抱き続け、戦略家としての才を持ちながら大の戦嫌いで、事を起こすに慎重な姿勢をとる。尊氏の人柄・器量・立場は理解していた人物であり、尊氏と敵対関係になることを患い厭うていた。
- 武田自身、忠臣のイメージが強いこの役の話が来た時は躊躇したが、本作での扱いが「河内の気のいいおっさん」と聞いて承諾したテンプレート:要出典。
- 楠木正季(正成の弟):赤井英和
- 兄と対照的な、武士らしい武士。劇中では配下などから専ら「龍泉寺殿」という通称で呼ばれ、プロボクサー出身の赤井らしく敵兵をパンチングで倒す演出もあった。千早城に忍び込んだ「ましらの石」も一発殴られている。
- 久子(正成の正室):藤真利子
- 楠木正行(正成の長男):北代隼人→加藤盛大→中村繁之
- 和田五郎(楠木正成の配下):桜金造
- 神宮寺正房(楠木正成の配下):でんでん
- 恩智左近(楠木正成の配下):瀬川哲也
- 正成に仕える古参の老臣。正成と共に苦難を共にする。
新田家
- 新田小太郎→新田義貞(尊氏の盟友・ライバル):近藤大基→萩原健一→根津甚八
- 倒幕戦争では高氏と行動を共にしたものの、尊氏が後醍醐天皇に背くと、朝廷側の総大将として尊氏と敵対することになるが、尊氏個人には友・好敵手としての感情も最期まで持っていた。
- 当初は萩原健一が演じたが病気のため途中降板し、根津甚八に交代した。
- 脇屋義助(義貞の弟):石原良純
- 保子(義貞の正室):あめくみちこ
- 岩松経家(新田一族):赤塚真人
- 堀口貞満:門田俊一
- 勾当内侍(新田義貞の恋人):宮崎萬純
南朝方公家・武将
- 北畠親房(後醍醐側近の長):近藤正臣 (テンプレート:要出典範囲)
- 武家による統治を嫌い、後醍醐に対しては批判的な面もあるが、共に朝廷政治の顕現を目指した。後醍醐亡き後も南朝の重鎮として尽力し、尊氏を悩ませる。
- 北畠顕家(親房の長男):後藤久美子
- 弓の名手で、天才的な軍事能力を持った美少年であったと言われ、その人物像に近付けるべく女性アイドルの抜擢となった。
- 千種忠顕(後醍醐の側近):本木雅弘
- 帝の近臣として常に傍らにあり、幕府に追いつめられた際は帝を守って落ち延びた。隠岐配流などの苦境でも行動をともにし、忠実に仕えている。公家でありながらも戦闘能力に長けている。
- 一条行房(後醍醐の側近):相原幸典
- 名和長年(伯耆国の武将):小松方正
- 倒幕の後半、後醍醐帝を船上山へ招く武将というよりは豪商と呼ぶに似つかわしい派手な装いと老獪な振る舞いを見せる。帝を崇め、心から忠誠を誓おうとした楠木正成と異なり、損得感情で帝に従うような打算的な人物。倒幕後は楠木と共に一介の土豪から廷臣に成り上がり、南朝方の重鎮として重きをなす。護良親王の捕縛に際しては中心人物となる。湊川合戦で勢いづいた足利勢が京へ進軍してくると、その防衛線上で奮戦し打ち取られている。
- 日野俊基(後醍醐の側近):榎木孝明
- 倒幕計画の中心人物。山伏に姿を変えて諸国を旅する途中、高氏と出会い、鎌倉に不満を抱える高氏に京の素晴らしさを説く。京でも高氏と会い、その後の高氏の思想・行動に大きな影響を与えた。
- 日野資朝(後醍醐の側近):佐藤文裕
- 日野資名(後醍醐の側近、のち北朝方):須永慶
- 四条隆資(後醍醐の側近):井上倫宏
- 坊門清忠(後醍醐の側近):藤木孝
- 万里小路宣房(後醍醐の側近):新井量大
- 万里小路藤房(後醍醐の側近):大和田獏
- 後醍醐帝の勅使として楠木正成を訪ね、挙兵を促した。
- 万里小路季房(後醍醐の側近):渕野俊太→滝沢英行
- 結城宗広(南奥州の武将):中山正幻
- 吉田定房(後醍醐の側近):垂水悟郎
- 後醍醐帝の側近であり乳父。正中の変では逸る帝を諭し、元弘の変においては日野俊基らの謀反を鎌倉幕府に密告した。
- 二条道平(後醍醐の側近):宮本充
- 洞院公賢(後醍醐の側近、のち北朝方):山崎豊
- 洞院実世(後醍醐の側近):森松條次
- 文観(僧侶・後醍醐の側近):麿赤兒
- 高氏が京の寺で偶然にも帝と遭遇する場面に居合わせた。帝がその際詠んでいた和歌は文観が所望したものである。一癖ある存在感を見せ、後醍醐帝崩御の後も南朝方の武士団を結集させ足利に対し報復の機会を狙いつづける執念を見せた。
鎌倉幕府
北条一族
- 北条高時(北条一族の長、第14代執権):片岡鶴太郎
- 腐敗する幕府・北条家の象徴であり、闘犬と田楽にうつつを抜かす暗君。長崎親子の専横に幕府をかき乱される事に心を痛めて、円喜殺害を目論むが失敗に終わり、執権職を退く。
- 偉大な祖父・時宗や父・貞時と比べて、自分が執権として相応しい人間ではないことを自覚し、自虐的な思いを持っていたことを吐露する場面があり、新田軍が鎌倉に迫った折には、最後の戦いに赴く守時の真意を見抜いて擁護して送り出す。また問題を解決に導く力はないが、長崎親子や評定衆よりも冷静に状況判断することも多いなど、単純に暗君として片付けることができない一面も描かれている。
- テンプレート:要出典範囲。
- 赤橋守時(北条一族、第16代執権、尊氏の義兄):勝野洋
- 幕府最後の執権であり、尊氏の正室・登子の兄である。高氏の理解者として描かれ、高氏の倒幕の意思を悟りながら黙認していたのではないかという行動をしばしば起こす。義弟が謀反を起こしたことで周囲に白眼視され蟄居を命じられるも、大船方面に迫ってきた新田軍への防衛戦に向かうことを自ら志願し、壮烈な戦いを仕掛ける。北条家の出自である立場上、尊氏たちと敵対関係になったが、個人的には高氏ら倒幕側に付きたい思いも抱いていた。
- 北条貞顕→金沢貞顕(北条一族、第15代執権):児玉清
- 貞氏の正室の兄で、尊氏の義理の伯父にあたる。足利貞氏と親しく、足利家の立場を理解し、北条家と足利家の争いを避けようと奮闘する一方で、時には長崎円喜以上に足利家の離反を警戒し、足利家の京都出陣には猛反対した。一族の滅亡時には子の貞冬に介錯をさせた。
- 金沢貞冬(北条一族):香川耕二
- 金沢貞将(北条一族):久野真平
- 大仏貞直(北条一族):山中康司
- 大仏高直(北条一族):河西健司
- 北条茂時(北条一族):神谷まさひろ
- 北条泰家(北条一族、高時の弟):緑川誠
- 北条仲時(北条一族、六波羅探題北方):段田安則→刀坂悟
- 北条時益(北条一族、六波羅探題南方):世古陽丸
- 北条範貞(北条一族):鶴田忍
- 名越高家(北条一族):小山昌幸
- 覚海尼(高時の母):沢たまき
- 円喜暗殺の失敗から次第に屈折してゆく息子に代わり、幕政に深く関与してゆく。15代執権となった貞顕と対立を深める。
- 春渓尼(覚海尼の侍女):木村夏江
- 覚海尼の名代で東慶寺に篭もる高時を見舞い、北条家の最期に立ち会った。
- 顕子(高時の愛人):小田茜
- 童女の姿をしている。セリフがほとんど無いのが特徴。東慶寺にて高時のあとを追って自刃する。
鎌倉幕府御家人・御内人
- 長崎円喜(先代の北条家内管領):フランキー堺
- 末期の鎌倉幕府における実質的な最高権力者であり、専横を極めていた。反対勢力にさまざまな策謀を巡らし排除を図っている。一方で新田軍に鎌倉を攻撃される際、逃亡して再起を図ることを促す金沢貞顕の言葉を退け、最後まで鎌倉にとどまって戦う意思を示すという鎌倉武士らしい一面も見せている。北条一族・郎党の最期を見届けた後、自らも壮絶な切腹を遂げた。
- 長崎高資(円喜の長男、高時の内管領):西岡徳馬
- 父と同じく幕府内で専横を極め、幕政を混乱させる。なお、長崎円喜・高資親子の知名度は本作品の放送をきっかけに大きく高まっていったテンプレート:要出典。
- 二階堂道蘊(幕府政所執事):北九州男
- 安達泰盛(北条家外戚、のち粛清):加賀邦男
- ストーリーには絡まないものの、霜月の乱で粛清され北条家の専横の犠牲になった人物として、ドラマの冒頭に登場する。
- 宍戸知家(鎌倉軍の武士):六平直政
- 有力御家人の嫡子として、将軍御座所で将軍に仕えていた若き日の高氏の同僚。当時の北条一族の支配の下、鬱々としていた御家人の不満を代弁するかのような発言をたびたびもらす。
- 土肥佐渡前司(鎌倉軍の武士):大塚周夫
- 塩屋宗春(吉見残党の頭領):織本順吉
- 幕府に追討される吉見の残党の有力者。老若男女と十数名の塩屋一党を率い足利邸にたどり着く。貞氏の苦境を察して門外の北条勢へ決死の覚悟で討って出ることを決意。その際、貞氏らに自身の合戦ぶりを「見置いて人に語るべし」と言い残し最期をとげた。
その他
- 夢窓疎石:田武謙三
- 花夜叉/卯月(猿楽一座の座長、実は楠木正成の妹):樋口可南子
- 藤夜叉(花夜叉一座の一員、尊氏の恋人、直冬の母):尾羽智加子→宮沢りえ
- 直冬の生母。悲劇的な最期を遂げる。
- 猿(ましら)の石(花夜叉一座の一員):高山良→柳葉敏郎
- 藤夜叉の兄として育てられるが、藤夜叉には密かに恋心を抱いている。子供の頃の体験から足利家を憎み、京都に上る途中の高氏に対決を挑んだりした。後には楠木正成の赤坂・千早城攻防戦にも参陣するなど、要所で顔を出してくる。また、建武新政後は村の代官となり、派遣された目代の横暴に立ち向かうなど、新政の混乱・人心の離反を象徴する存在としても描かれる。第34回で清子から「不知哉丸を出家させる」という話を聞かされるシーンを最後に、全く登場しなくなる。足利家に対する憎しみは最後まで消えなかったが、藤夜叉を通して尊氏個人には悪口雑言を浴びせつつも、その人物としての器量は最終的に認めていた部分も示唆されている。
- 乙夜叉(花夜叉一座の一員):中島啓江
- 服部清次(花夜叉の息子、後の観阿弥-世阿弥の父):西岡秀記
- 二条の君(高師直の愛人):森口瑤子
- 殿の法印:大林丈史
- 権ノ大夫:大家兼臣
- 吉次:豊川悦司
- 花夜叉一座の新入りの団員で実は伊賀の刺客。高時が主催する高氏と登子の祝いの宴で演目を演じる際、長崎円喜暗殺の話を石にもちかける。
スタッフ
- 原作:吉川英治(「私本太平記」より)
- 脚本:池端俊策、仲倉重郎
- 音楽:三枝成彰
- 演奏:Cカンパニー
- テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
- テーマ音楽指揮:大友直人
- 監修:永原慶二、尾崎秀樹
- 風俗考証:鈴木敬三
- 建築考証:平井聖
- 衣装考証:小泉清子
- 殺陣・武術指導:林邦史朗
- 芸能考証:野村耕介
- 所作指導:猿若清方、猿若清三郎
- 馬術指導:日馬伸
- 文書考証:白井孝昌
- 美術コーディネート:上野慶三郎
- 舞楽指導:芝祐靖
- 題字:大鹿洋江
- 協力:栃木県足利市、群馬県太田市
- 語り:山根基世アナウンサー
- 語り(アバンタイトル):石澤典夫アナウンサー、石野倬アナウンサー
- 制作:高橋康夫、一柳邦久
- 演出:佐藤幹夫、門脇正美、田中賢二、榎戸祟泰、峰島総生、竹林淳、尾崎充信
放送
放送日程
放送回 | 放送日 | 題 | 演出 | ||
---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1991年1月6日 | 父と子 | 佐藤幹夫 | ||
第2回 | 1991年1月13日 | 芽生え | |||
第3回 | 1991年1月20日 | 風雲児 | |||
第4回 | 1991年1月27日 | 帝 ご謀反 | 田中賢二 | ||
第5回 | 1991年2月3日 | 危うし足利家 | |||
第6回 | 1991年2月10日 | 楠木登場 | 佐藤幹夫 | ||
第7回 | 1991年2月17日 | 悲恋 | 榎戸崇泰 佐藤幹夫 | ||
第8回 | 1991年2月24日 | 妖霊星 | 佐藤幹夫 | ||
第9回 | 1991年3月3日 | 宿命の子 | 田中賢二 | ||
第10回 | 1991年3月10日 | 帝の挙兵 | |||
第11回 | 1991年3月17日 | 楠木立つ | 榎戸崇泰 | ||
第12回 | 1991年3月24日 | 笠置落城 | 峰島総生 | ||
第13回 | 1991年3月31日 | 攻防赤坂城 | 榎戸崇泰 | ||
第14回 | 1991年4月7日 | 秋霧 | 佐藤幹夫 | ||
第15回 | 1991年4月14日 | 高氏と正成 | |||
第16回 | 1991年4月21日 | 隠岐配流 | 田中賢二 | ||
第17回 | 1991年4月28日 | 決断の時 | 榎戸崇泰 | ||
第18回 | 1991年5月5日 | 帝の脱出 | |||
第19回 | 1991年5月12日 | 人質 | 佐藤幹夫 | ||
第20回 | 1991年5月19日 | 足利決起 | |||
第21回 | 1991年5月26日 | 京都攻略 | 榎戸崇泰 | ||
第22回 | 1991年6月2日 | 鎌倉炎上 | 佐藤幹夫 | ||
第23回 | 1991年6月9日 | 凱旋 | 峰島総生 | ||
第24回 | 1991年6月16日 | 新政 | 榎戸崇泰 | ||
第25回 | 1991年6月23日 | 足利尊氏 | 竹林淳 | ||
第26回 | 1991年6月30日 | 恩賞の波紋 | 佐藤幹夫 | ||
第27回 | 1991年7月7日 | 公家か武家か | 榎戸崇泰 | ||
第28回 | 1991年7月14日 | 開戦前夜 | 佐藤幹夫 | ||
第29回 | 1991年7月21日 | 大塔宮逮捕 | 峰島総生 | ||
第30回 | 1991年7月28日 | 悲劇の皇子 | 田中賢二 | ||
第31回 | 1991年8月4日 | 尊氏叛く | 門脇正美 | ||
第32回 | 1991年8月11日 | 藤夜叉死す | 榎戸崇泰 | ||
第33回 | 1991年8月18日 | 千寿王と不知哉丸 | 佐藤幹夫 | ||
第34回 | 1991年8月25日 | 尊氏追討 | 門脇正美 | ||
第35回 | 1991年9月1日 | 大逆転 | 榎戸崇泰 | ||
第36回 | 1991年9月8日 | 湊川の決戦 | 田中賢二 | ||
第37回 | 1991年9月15日 | 正成自刃 | 佐藤幹夫 | ||
第38回 | 1991年9月22日 | 一天両帝 | 門脇正美 | ||
第39回 | 1991年9月29日 | 顕家散る | 尾崎充信 | ||
第40回 | 1991年10月6日 | 義貞の最期 | 田中賢二 | ||
第41回 | 1991年10月13日 | 帝崩御 | |||
第42回 | 1991年10月20日 | 母の遺言 | 尾崎充信 | ||
第43回 | 1991年10月27日 | 足利家の内紛 | 榎戸崇泰 | ||
第44回 | 1991年11月3日 | 下剋上 | 佐藤幹夫 | ||
第45回 | 1991年11月10日 | 政変 | 田中賢二 | ||
第46回 | 1991年11月17日 | 兄弟の絆 | 榎戸崇泰 | ||
第47回 | 1991年11月24日 | 将軍の敗北 | 竹林淳 | ||
第48回 | 1991年12月1日 | 果てしなき戦い | 田中賢二 | ||
最終回 | 1991年12月8日 | 尊氏の死 | 佐藤幹夫 | ||
平均視聴率 26.0%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)[2] |
総集編
- 第1部「青春」
- 第2部「倒幕」
- 第3部「建武の新政」
- 第4部「南北朝動乱」
ソフトウェア
関連書籍
- 太平記 - 日本放送出版協会(絶版)
- 太平記のふるさと―NHKドラマ紀行 - 日本放送出版協会
CD
- NHK大河ドラマ「太平記」の音楽(オリジナル・サウンド・トラック) - ソニーミュージック(廃盤)
大河ドラマのテーマ曲をまとめた音源はそれまでにも発売されてはいたが、1本の単独ドラマの音楽集で、しかも劇中曲を含めたCDの発売は本作が初めてである。劇中曲はドラマで用いた音源をそのまま使っているのではなく、音楽を担当した三枝成彰がドラマ前半で作成した主要な曲を自身の手で組曲風に再構成した上で、オーケストラアレンジされたものが収録されている。演奏はNHK交響楽団ではなく大友直人指揮の東京交響楽団によるもので、テーマ曲の方も同楽団演奏のものが収録されている。脚本を担当した池端俊策がCDの解説文を書いている。
DVD
- 太平記 完全版 第壱集 - ジェネオンエンタテインメント株式会社
- 太平記 完全版 第弐集 - ジェネオンエンタテインメント株式会社
- 太平記 総集編 - アミューズソフトエンタテインメント株式会社
ゲーム
PCエンジン版
テンプレート:Infobox NHKエンタープライズより1992年1月31日に発売された。機種はPCエンジン。
なお、前年にインテックより同機種で「太平記」が発売されている関係上、「NHK大河ドラマ 太平記」と言うタイトルになっている。
内容はオーソドックスな戦略シミュレーションゲームで、シナリオ1「鎌倉幕府の滅亡」をクリアするとシナリオ2「南北朝の大乱」がプレイ可能になるがシナリオ1でプレイヤーは倒幕軍を、シナリオ2では南朝を操作するため両方のシナリオに連続性は無い。
2人同時プレイモードでは、プレイヤー2がそれぞれ北条軍・北朝を担当する。
メガドライブ版
セガより1991年12月13日に発売された。
脚注
- ↑ 皇室が積極的に関与する時代であるがため、南北朝・室町時代のドラマ化は戦後長年タブー視されてきただけでなく、歴史的にも極めて難解な権力闘争が繰り返される時期であるため、視聴者に十分な理解を得るための歴史的背景のドラマ化が困難であることから、そもそもこの時代を映像化した作品自体、戦後は数えるほどしかない(1958年の映画『楠公二代誠忠録』、1959年の連続テレビドラマ『大楠公』、1965年の映画『悪党』など)。
- ↑ 2.0 2.1 ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ
- ↑ 第1回と第2回のオープニングでは役名は「足利清子」となっていた。但し鎌倉時代後期には結婚で女性が改姓する習慣はまだ無く、4回以降では単に「清子」と紹介されるようになった。
- ↑ 当初、予定は緒形直人であったテンプレート:要出典。実現していれば父・拳と親子共演が実現するところだった。