天皇の一覧

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天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇およびその他の天皇の一覧である。

概要

歴代天皇は、初代・神武天皇から今上天皇まで、125代が挙げられる。この125代のうち、第37代・斉明天皇は第35代・皇極天皇の、第48代・称徳天皇は第46代・孝謙天皇の、それぞれ重祚(一度退位した天皇が再び位に就くこと、再祚)であるため、総数は123人となっている。

ただし、南北朝時代に、北朝京都)で即位した天皇(光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇、及び後円融天皇の5代、5人)は、この125代の天皇には数えられないものの、皇室祭祀等においては天皇と扱われる。このため、現在に至る天皇の総数は128人と数えられることもある。

なお、「天皇」(てんのう、すめらみこと、すめろき)という名称は、7世紀後半に在位した第40代・天武天皇の頃に、それまでの「大王」(おおきみ)に代わって用いられ始めたと考えられている。また冷泉天皇(在位967969年)以後、光格天皇(在位17911817年)の時に諡号が復活するまで、安徳天皇を唯一の例外として、天皇号は生前も死後も正式には用いられなかった。例えば後水尾天皇明正天皇は崩御後「後水尾院」「明正院」と呼ばれ、これらを一律に「後水尾天皇」「明正天皇」とすべて置き換えたのは明治維新後のことである[1]

初期天皇の実在性

初代・神武天皇から十数代の初期天皇の実在性については、諸説ある。現代の考古学及び歴史学においては、初期天皇は典拠が神話等であり、その実在性が疑問視されている。

第15代・応神天皇以降を実在確実とする説

第二次世界大戦後、実在したことが確かであるとされた最古の天皇は、3世紀後半から4世紀初めにかけて在位したとされる第15代・応神天皇である。また、第10代・崇神天皇から第14代・仲哀天皇までは、実在説と非実在説があり[2]、初代・神武天皇から第9代・開化天皇までは、非実在説が有力であった。なお、第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までは、『日本書紀』に『旧辞』的記述(事績等に関する記述)がないため、欠史八代(闕史八代)と呼ばれる。

これらの見方によれば、初代・神武天皇、第10代・崇神天皇、第15代・応神天皇が特に研究対象として重視された[3]

第26代・継体天皇以降を実在確実とする説

1970年代以降の歴史学界では、『古事記』や『日本書紀』における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。このため、6世紀前半に在位したとされる第26代・継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、第21代・雄略天皇を別として、実在の可能性が薄いという見解がある。この見解によれば、第22代・清寧天皇、第23代・顕宗天皇、第24代・仁賢天皇、第25代・武烈天皇も非実在だという。

雄略天皇に関しては埼玉県行田市稲荷山古墳の副室から出土した金錯銘鉄剣の「獲加多支鹵大王」を雄略天皇の名である「大泊瀬幼武」と解しその証とする説がある。この説に則れば考古学的に実在が実証される最古の天皇である。

なお、『古事記』に事績が記されていない第24代・仁賢天皇から第33代・推古天皇までの天皇を指す「欠史十代」も参照のこと。

考古学と初期天皇の実在性

テンプレート:独自研究 天皇を中心とした政治勢力であるいわゆるヤマト王権(大和王朝、大和朝廷)の発祥地については、出雲(島根県)、吉備岡山県)、あるいは九州など、諸説あるも不明である。しかし、このヤマト王権が、奈良盆地の東南部、現在の奈良県桜井市にある三輪山近くの大和(あるいは柳本)に本拠地を置いたとき、大きく発展したことは確からしいとされるテンプレート:誰2。この本拠地は、古代都市と言ってよい規模で、纏向遺跡(まきむくいせき)はその遺構と推定される。遺跡の調査結果から、この古代都市は3世紀前半に建設され始め、4世紀末には使われなくなったと考えられている。

その後の420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。この時代から、510年頃までに、6・7人の在位期間の短い王が次々と立ち、ヤマト王権は混乱した。そして、最終的に6世紀前半に継体天皇が立って王権は安定し、この時代に王権の力は強くなったと考えられる。

歴代天皇の確定

歴代天皇を確定するための基準が定まったのは、大正時代末期のことである。このとき示された基準によって、「歴代天皇は125代、123人。」という現在の歴代天皇の形が確定している。

歴代天皇の厳密な確定が要請されたのは、明治時代になってからである。明治時代には、天皇を中心とする中央集権国家体制の整備が進められ、1889年(明治22年)には、その根本規範として大日本帝国憲法が公布された。同憲法では、歴代の天皇を指す「皇祖・皇宗」が、天皇の地位の正当性(正統性)と、天皇が総攬する統治権の淵源として重視された(告文、憲法發布勅語、および上諭など)。このため、歴代天皇の在りようが論じられ、その確定が行われた。

歴代天皇の確定にあたっては、江戸時代水戸藩で編纂された『大日本史』、およびその編纂過程で発展した水戸学尊王論の考え方が大きな影響を与えた。これらの思想に基づいて在るべき歴代天皇の姿が論じられ、歴代天皇は確定された。なお、いくつかの観点から、それまでの歴代天皇(帝)から変更された部分もある。主な基準、観点、および変更された点は次の通り。

  • 明治時代以前は、神功皇后を第15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外した。『大日本史』が採った立場に基づくものである。
  • 初代・神武天皇から第62代・村上天皇までは、崩御後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼ばれていたが、第63代・冷泉天皇から第118代・後桃園天皇までは、「○○院」(例では、「冷泉院」)と呼ばれ、「○○天皇」とは呼ばれていなかった(ただし、安徳天皇後醍醐天皇を除く)。この「天皇」号が復活するのは第119代・光格天皇のときからである。明治時代になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められ、以後、「○○院」という呼称は廃された[4]
  • 壬申の乱で敗れた大友皇子は、天皇として数えられていなかったが、『大日本史』が「大友天皇」として歴代に列した。明治に入って、即位が確認されたとされ、1870年(明治3年)に「弘文天皇」の諡号を追贈した。現在では非即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたい。
  • 第47代「淡路廃帝」に対しては、1870年(明治3年)に「淳仁天皇」の諡号を追贈した。
  • 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、1870年(明治3年)に「仲恭天皇」の諡号を追贈した。
  • 1911年(明治44年)には明治天皇の裁定により、南朝の2代2人(後村上天皇後亀山天皇)を正統な天皇と認め、従来の第96代・光厳天皇から第100代・後円融天皇までの5代5人を北朝として正統から外した。また、後小松天皇の在位期間を、1392年(明徳3年)の南北朝合一以後のみとした。これも、『大日本史』が採った立場に基づくものである。
    • 南朝の義良親王は天皇とされていなかったが、「後村上天皇」とした。
    • 南朝の熙成親王は天皇とされていなかったが、「後亀山天皇」とした[5]
  • 1926年(大正15年)には大正天皇(実質は摂政皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇))の裁定で、南朝の寛成親王を「長慶天皇」とした。この寛成親王については、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていたが、高野山に納められた願文に「太上天皇寛成」の宸筆署名があることなどの史料によってその即位が確認されたとされ、天皇としたものである。

歴代天皇の一覧

テンプレート:JIS2004

凡例
  • この表は、大正時代に歴代天皇として確定され、現在広く知られている歴代天皇の一覧である。宮内庁のサイトに掲載される天皇一覧[6]と同一である。
  • 天皇名については、宮内庁サイト内の表記[6]と同一である。丸括弧( )内の表記は、宮内庁サイト内の天皇陵紹介ページにおける表記[7]と同一であるが、JIS標準漢字(JIS X 0208)外の異体字が含まれているため、Unicode表のBMP(基本多言語面、0面)が表示できるブラウザ環境でなければ正しく表示されない。
  • 天皇名の読みについては、宮内庁サイト内の表記[6]と同一である。丸括弧( )内の表記は歴史的仮名遣に基づいた表記である。
  • 新暦が施行された1873年(明治6年)1月1日以前の日付については、各時代に用いられた旧暦の日付である(ただし6世紀以降の天皇については年を西暦に直してある。また、生年月日と没年月日は西暦、享年は数え年、明治天皇以降は満年齢とした)。
  • 6世紀以前の天皇の生没年・在位期間については、武烈天皇以前は実態不明であるが、『日本書紀』の記述を掲載した(歴史学において史実とは考えられていないことに注意)。継体天皇から崇峻天皇までは『古事記』・『日本書紀』に記述される在位期間を機械的に西暦に置き換えた年代である(ただし日付は旧暦とした)。
  • 在位の欄には、第50代・桓武天皇以前の天皇については即位の日付(天皇となった後、即位式が挙行された日)を示し、即位に先立って践祚した第51代・平城天皇以降の天皇については践祚の日付(天皇となった日)を示す。
天皇名
漢風諡号
・追号
諡号・追号の読み 画像 諡号・追号の別
諡号・追号の由来
在位期間 備考 生年月日 - 没年月日
享年
1 神武天皇
(神武天皇)
じんむ 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
神武天皇元年1月1日
- 同76年3月11日
(日本書紀による)
神話上の人物と考えられている。 庚午1月1日
- 神武天皇76年3月11日
127歳没(日本書紀による)
2 綏靖天皇
(綏靖天皇)
すいぜい 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
綏靖天皇元年1月8日
- 同33年5月10日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 神武天皇29年
- 綏靖天皇33年5月10日
84歳没(日本書紀による)
3 安寧天皇 あんねい 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
綏靖天皇33年7月15日
- 安寧天皇38年12月6日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 綏靖天皇5年
- 安寧天皇38年12月6日
67歳没(日本書紀による)
4 懿徳天皇
(懿德天皇)
いとく 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
懿徳天皇元年2月4日
- 同34年9月8日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 綏靖天皇29年
- 懿徳天皇34年9月8日
77歳没(日本書紀による)
5 孝昭天皇 こうしょう
(かうせう)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
孝昭天皇元年1月9日
- 同83年8月5日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 懿徳天皇5年
- 孝昭天皇83年8月5日
114歳没(日本書紀による)
6 孝安天皇 こうあん
(かうあん)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
孝安天皇元年1月7日
- 同102年1月9日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 孝昭天皇49年
- 孝安天皇102年1月9日
137歳没(日本書紀による)
7 孝霊天皇
(孝靈天皇)
こうれい
(かうれい)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
孝霊天皇元年1月12日
- 同76年2月8日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 孝安天皇51年
- 孝霊天皇76年2月8日
128歳没(日本書紀による)
8 孝元天皇 こうげん
(かうげん)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
孝元天皇元年1月14日
- 同57年9月2日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 孝霊天皇18年
- 孝元天皇57年9月2日
116歳没(日本書紀による)
9 開化天皇 かいか
(かいくゎ)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
孝元天皇57年11月12日
- 開化天皇60年4月9日
(日本書紀による)
欠史八代の一。 孝元天皇7年
- 開化天皇60年4月9日
111歳没(日本書紀による)
10 崇神天皇
(崇神天皇)
すじん
(すうじん)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
崇神天皇元年1月13日
- 同68年12月5日
(日本書紀による)
最初の実在の可能性がある天皇。 開化天皇10年
- 崇神天皇68年12月5日
119歳没(日本書紀による)
11 垂仁天皇 すいにん 諡号
淡海三船による一括撰進
垂仁天皇元年1月2日
- 同99年7月14日
(日本書紀による)
崇神天皇29年1月1日
- 垂仁天皇99年7月14日
139歳没(日本書紀による)
12 景行天皇 けいこう
(けいかう)
諡号
淡海三船による一括撰進
景行天皇元年7月11日
- 同60年11月7日
(日本書紀による)
垂仁天皇17年
- 景行天皇60年11月7日
147歳没(日本書紀による)
13 成務天皇 せいむ 諡号
淡海三船による一括撰進
成務天皇元年1月5日
- 同60年6月11日
(日本書紀による)
景行天皇14年
- 成務天皇60年6月11日
107歳没(日本書紀による)
14 仲哀天皇 ちゅうあい 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
仲哀天皇元年1月11日
- 同9年2月6日
(日本書紀による)
成務天皇18年?
- 仲哀天皇9年2月6日
53歳?没(日本書紀による)
摂政 神功皇后
(神功皇后)
じんぐう 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
神功皇后元年10月2日
- 同69年4月17日
(日本書紀による)
テンプレート:要出典範囲。それ以前までは第15代天皇として扱われていた。 成務天皇40年
- 神功皇后69年4月17日
100歳没(日本書紀による)
15 応神天皇
(應神天皇)
おうじん 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
応神天皇元年1月1日
- 同41年2月15日
(日本書紀による)
仲哀天皇9年12月14日
- 応神天皇41年2月15日
111歳没(日本書紀による)
16 仁徳天皇
(仁德天皇)
にんとく 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
仁徳天皇元年1月3日
- 同87年1月16日
(日本書紀による)
神功皇后57年
- 仁徳天皇87年1月16日
143歳没(日本書紀による)
17 履中天皇 りちゅう 諡号
淡海三船による一括撰進
履中天皇元年2月1日
- 同6年3月15日
(日本書紀による)
仁徳天皇24年?
- 履中天皇6年3月15日
70歳没(日本書紀による)
18 反正天皇 はんぜい 諡号
淡海三船による一括撰進
反正天皇元年1月2日
- 同5年1月23日
(日本書紀による)
仁徳天皇24年?
- 反正天皇5年1月23日
75歳?没(日本書紀による)
19 允恭天皇 いんぎょう 諡号
淡海三船による一括撰進
允恭天皇元年12月
- 同42年1月14日
(日本書紀による)
仁徳天皇64年?
- 允恭天皇42年1月14日
78歳没(日本書紀による)
20 安康天皇 あんこう
(あんかう)
諡号
淡海三船による一括撰進
允恭天皇42年12月14日
- 安康天皇3年8月9日
(日本書紀による)
履中天皇2年?
- 安康天皇3年8月9日
56歳没(日本書紀による)
21 雄略天皇 ゆうりゃく
(いうりゃく)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
安康天皇3年11月13日
- 雄略天皇23年8月7日
(日本書紀による)
埼玉県稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に雄略の実名と思しき名前が刻まれており、実在はほぼ確実視されている。 允恭天皇7年12月
- 雄略天皇23年8月7日
62歳没(日本書紀による)
22 清寧天皇
(淸寧天皇)
せいねい 諡号
淡海三船による一括撰進
清寧天皇元年1月15日
- 同5年1月16日
(日本書紀による)
允恭天皇33年?
- 清寧天皇5年1月16日
41歳?没(日本書紀による)
23 顕宗天皇
(顯宗天皇)
けんぞう 諡号
淡海三船による一括撰進
顕宗天皇元年1月1日
- 同3年4月25日
(日本書紀による)
允恭天皇39年
- 顕宗天皇3年4月25日
38歳没(日本書紀による)
24 仁賢天皇 にんけん 諡号
淡海三船による一括撰進
仁賢天皇元年1月5日
- 同11年8月8日
(日本書紀による)
允恭天皇38年
- 仁賢天皇11年8月8日
50歳没(日本書紀による)
25 武烈天皇 ぶれつ 諡号
淡海三船による一括撰進
仁賢天皇11年12月
- 武烈天皇8年12月8日
(日本書紀による)
仁賢天皇2年
- 武烈天皇8年12月8日
18歳没(日本書紀による)
26 継体天皇
(繼體天皇)
けいたい 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
507年2月4日?
- 531年2月7日?
実在が確実な最初の天皇。継体天皇以後の系図はほぼ正確とされている。 450年?
- 531年3月10日?
82歳?没(日本書紀による)
27 安閑天皇 あんかん 諡号
淡海三船による一括撰進
531年2月7日?
- 535年12月17日?
  466年?
- 536年1月25日?
70歳?没(日本書紀による)
28 宣化天皇 せんか
(せんくゎ)
諡号
淡海三船による一括撰進
535年12月?
- 539年2月10日?
  467年?
- 539年3月15日?
73歳?没(日本書紀による)
29 欽明天皇 きんめい 諡号
淡海三船による一括撰進
539年12月5日?
- 571年4月15日?
  509年?
- 571年5月24日?
63歳没(日本書紀による)
30 敏達天皇
(敏達天皇)
びだつ 諡号
淡海三船による一括撰進
572年4月3日?
- 585年8月15日?
  538年?
- 585年9月14日?
48歳?没(日本書紀による)
31 用明天皇 ようめい 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
585年9月5日?
- 587年4月9日?
  540年?
- 587年5月21日?
享年48歳?没(日本書紀による)
32 崇峻天皇 すしゅん 諡号
淡海三船による一括撰進
587年8月2日?
- 592年11月3日?
  553年?
- 592年12月12日?
40歳?没(日本書紀による)
33 推古天皇 すいこ 諡号
淡海三船による一括撰進
592年12月8日
- 628年3月7日
初の女帝。推古天皇から在位の年月が正確になると考えられている。この天皇から日本は完全に歴史時代に入る。 554年?
- 628年4月15日
75歳没
34 舒明天皇 じょめい 諡号
淡海三船による一括撰進
629年1月4日
- 641年10月9日
  593年?
- 641年11月17日
49歳?没
35 皇極天皇 こうぎょく
(くゎうぎょく)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
642年1月15日
- 645年6月14日
女帝。 594年
- 661年8月24日
68歳没
36 孝徳天皇
(孝德天皇)
こうとく
(かうとく)
諡号
淡海三船による一括撰進
645年6月14日
- 654年10月10日
  596年
- 654年11月24日
59歳没
37 斉明天皇
(齊明天皇)
さいめい 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
655年1月3日
- 661年7月24日
皇極天皇重祚。女帝。 594年
- 661年8月24日
68歳没
38 天智天皇 てんじ
(てんぢ)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
668年1月3日
- 671年12月3日
中大兄皇子として有名。661年7月24日称制したため、日本書紀においては天智天皇元年は皇極天皇崩御翌年の662年とされる。 626年
- 672年1月7日
46歳没
39 弘文天皇 こうぶん 諡号
明治3年追贈
671年12月5日
- 672年7月23日
明治3年に追号されて第39代天皇として認められたが、実際に即位したか否かには議論がある。 648年
- 672年8月21日
25歳没
40 天武天皇 てんむ 70px 諡号
淡海三船による一括撰進
673年2月27日
- 686年9月9日
  631年?
- 686年10月1日
56歳?没
41 持統天皇 じとう
(ぢとう)
70px 諡号
淡海三船による一括撰進
690年1月1日
- 697年8月1日
女帝。686年9月9日に称制。 645年
- 703年1月13日
58歳没
42 文武天皇 もんむ 70px 諡号 697年8月1日
- 707年6月15日
  683年
- 707年7月18日
25歳没
43 元明天皇 げんめい 諡号
淡海三船による一括撰進
707年7月17日
- 715年9月2日
女帝。 661年
- 721年12月29日
61歳没
44 元正天皇 げんしょう
(げんしゃう)
諡号
淡海三船による一括撰進
715年9月2日
- 724年2月4日
女帝。 680年
- 748年5月22日
69歳没
45 聖武天皇 しょうむ
(しゃうむ)
70px (生前の尊称) 724年2月4日
- 749年7月2日
  701年
- 756年6月4日
56歳没
46 孝謙天皇 こうけん
(かうけん)
(生前の尊称) 749年7月2日
- 758年8月1日
女帝。 718年
- 770年8月28日
53歳没
47 淳仁天皇 じゅんにん 諡号
明治3年追贈
758年8月1日
- 764年10月9日
淡路廢帝を改む。 733年
- 765年11月10日
33歳没
48 称徳天皇
(稱德天皇)
しょうとく (生前の尊称) 764年10月9日
- 770年8月4日
孝謙天皇重祚。女帝。 718年
- 770年8月28日
53歳没
49 光仁天皇 こうにん
(くゎうにん)
諡号 770年10月1日
- 781年4月3日
継体天皇(第26代)以降では、歴代最高齢即位(62歳)。 709年11月18日
- 782年1月11日
73歳没
50 桓武天皇 かんむ
(くゎんむ)
70px 諡号 781年4月3日
- 806年3月17日
異称、柏原天皇。 737年
- 806年4月9日
70歳没
51 平城天皇 へいぜい 追号
在所(地名)
806年3月17日
- 809年4月1日
異称、奈良天皇。 774年9月25日
- 824年8月5日
51歳没
52 嵯峨天皇 さが 70px 追号
譲位後の在所
809年4月1日
- 823年4月16日
  786年10月3日
- 842年8月24日
57歳没
53 淳和天皇 じゅんな
(じゅんわ)
追号
譲位後の在所
823年4月16日
- 833年2月28日
異称、西院の帝。 786年
- 840年6月11日
55歳没
54 仁明天皇 にんみょう
(にんみゃう)
諡号 833年2月28日
- 850年3月19日
異称、深草天皇。 810年
- 850年5月6日
41歳没
55 文徳天皇
(文德天皇)
もんとく 70px 諡号 850年3月19日
- 858年8月27日
異称、田邑の帝。 827年
- 858年10月7日
32歳没
56 清和天皇
(淸和天皇)
せいわ 70px 追号
譲位後の在所
858年11月7日
- 876年11月29日
異称、水尾天皇。 850年5月10日
- 881年1月7日
31歳没
57 陽成天皇 ようぜい
(やうぜい)
70px 追号
譲位後の在所
876年11月29日
- 884年2月4日
  869年1月2日
- 949年10月23日
82歳没
58 光孝天皇 こうこう
(くゎうかう)
70px 諡号 884年2月5日
- 887年8月26日
異称、小松天皇。 830年
- 887年9月17日
58歳没
59 宇多天皇 うだ 70px 追号
譲位後の在所
887年8月26日
- 897年7月3日
臣籍降下するも、後に皇族に復帰し即位。 867年6月10日
- 931年9月3日
65歳没
60 醍醐天皇 だいご 70px 追号
山陵
897年7月3日
- 930年9月22日
出生時は臣籍、後に皇族に復帰し即位。 885年2月6日
- 930年10月23日
46歳没
61 朱雀天皇 すざく 70px 追号
譲位後の在所
930年9月22日
- 946年4月20日
  923年9月7日
- 952年9月6日
30歳没
62 村上天皇 むらかみ 70px 追号
山陵
946年4月20日
- 967年5月25日
  926年7月14日
- 967年7月5日
42歳没
63 冷泉天皇 れいぜい 追号
譲位後の在所
967年5月25日
- 969年8月13日
  950年6月12日
- 1011年11月21日
62歳没
64 円融天皇
(圓融天皇)
えんゆう
(ゑんゆう)
追号
在所(寺名・庵号)
969年8月13日
- 984年8月27日
  959年4月12日
- 991年3月1日
33歳没
65 花山天皇 かざん
(くゎざん)
70px 追号
在所(寺名・庵号)
984年8月27日
- 986年6月23日
  968年11月29日
- 1008年3月17日
41歳没
66 一条天皇
(一條天皇)
いちじょう
(いちでう)
70px 追号
在位中の皇居の宮名
986年6月23日
- 1011年6月13日
  980年7月15日
- 1011年7月25日
32歳没
67 三条天皇
(三條天皇)
さんじょう
(さんでう)
70px 追号
譲位後の在所
1011年6月13日
- 1016年1月29日
  976年2月5日
- 1017年6月5日
42歳没
68 後一条天皇
(後一條天皇)
ごいちじょう
(ごいちでう)
追号
加後号
1016年1月29日
- 1036年4月17日
1008年10月12日
- 1036年5月15日
29歳没
69 後朱雀天皇 ごすざく 追号
加後号
1036年4月17日
- 1045年1月16日
1009年12月14日
- 1045年2月7日
37歳没
70 後冷泉天皇 ごれいぜい 追号
加後号
1045年1月16日
- 1068年4月19日
  1025年8月28日
- 1068年5月22日
44歳没
71 後三条天皇
(後三條天皇)
ごさんじょう
(ごさんでう)
70px 追号
加後号
1068年4月19日
- 1072年12月8日
  1034年9月3日
- 1073年6月15日
40歳没
72 白河天皇 しらかわ
(しらかは)
追号(遺諡)
譲位後の在所
1072年12月8日
- 1086年11月26日
  1053年7月7日
- 1129年7月24日
77歳没
73 堀河天皇 ほりかわ
(ほりかは)
追号
在位中の皇居の宮名
1086年11月26日
- 1107年7月19日
  1079年8月8日
- 1107年8月9日
29歳没
74 鳥羽天皇
(鳥羽天皇)
とば 70px 追号
譲位後の在所
1107年7月19日
- 1123年1月28日
  1103年2月24日
- 1156年7月20日
54歳没
75 崇徳天皇
(崇德天皇)
すとく 70px 諡号 1123年1月28日
- 1141年12月7日
讃岐院を改む。 1119年7月7日
- 1164年9月14日
46歳没
76 近衛天皇
(近衞天皇)
このえ
(このゑ)
追号
在位中の皇居の宮名
1141年12月7日
- 1155年7月23日
  1139年6月16日
- 1155年8月22日
17歳没
77 後白河天皇 ごしらかわ
(ごしらかは)
70px 追号
加後号
1155年7月24日
- 1158年8月11日
  1127年10月18日
- 1192年4月26日
66歳没
78 二条天皇
(二條天皇)
にじょう
(にでう)
70px 追号
在位中の皇居の宮名
1158年8月11日
- 1165年6月25日
  1143年7月31日
- 1165年9月5日
23歳没
79 六条天皇
(六條天皇)
ろくじょう
(ろくでう)
追号
譲位後の在所
1165年6月25日
- 1168年2月19日
歴代最年少即位(生後7か月)。歴代最年少譲位、歴代最年少上皇(2歳)。 1164年12月28日
- 1176年8月23日
13歳没
80 高倉天皇 たかくら 70px 追号
譲位後の在所
1168年2月19日
- 1180年2月21日
  1161年9月23日
- 1181年2月6日
21歳没
81 安徳天皇
(安德天皇)
あんとく 70px 諡号 1180年2月21日
- 1185年3月24日
後鳥羽天皇と在位一部重複。歴代最年少崩御(8歳)。 1178年12月22日
- 1185年4月25日
8歳没
82 後鳥羽天皇
(後鳥羽天皇)
ごとば 70px 追号
加後号
1183年8月20日
- 1198年1月11日
隠岐院、さらに顕德院を改む。安德天皇と在位一部重複。 1180年8月6日
- 1239年3月28日
60歳没
83 土御門天皇 つちみかど 70px 追号
譲位後の在所
1198年1月11日
- 1210年11月25日
異称、土佐院、阿波院。 1196年1月3日
- 1231年11月6日
36歳没
84 順徳天皇
(順德天皇)
じゅんとく 70px 諡号 1210年11月25日
- 1221年4月20日
佐渡院を改む。 1197年10月22日
- 1242年10月7日
46歳没
85 仲恭天皇 ちゅうきょう 諡号
明治3年追贈
1221年4月20日
- 1221年7月9日
九條廢帝、後廢帝を改む。在位期間最短(78日間)。 1218年10月30日
- 1234年6月18日
17歳没
86 後堀河天皇 ごほりかわ
(ごほりかは)
70px 追号
加後号
1221年7月9日
- 1232年10月4日
  1212年3月22日
- 1234年8月31日
23歳没
87 四条天皇
(四條天皇)
しじょう
(しでう)
70px 追号
在所(葬家の邸宅を在所に擬す)
1232年10月4日
- 1242年1月9日
  1231年3月17日
- 1242年2月10日
12歳没
88 後嵯峨天皇 ごさが 70px 追号(遺諡)
加後号
1242年1月20日
- 1246年1月29日
  1220年2月26日
- 1272年2月17日
53歳没
89 後深草天皇 ごふかくさ 追号(遺諡)
加後号
1246年1月29日
- 1259年11月26日
  1243年6月28日
- 1304年8月17日
62歳没
90 亀山天皇
(龜山天皇)
かめやま 70px 追号(遺諡)
譲位後の在所
1259年11月26日
- 1274年1月26日
  1249年7月9日
- 1305年10月4日
57歳没
91 後宇多天皇 ごうだ 70px 追号(遺諡)
加後号
1274年1月26日
- 1287年10月21日
  1267年12月17日
- 1324年7月16日
58歳没
92 伏見天皇 ふしみ 70px 追号
譲位後の在所
1287年10月21日
- 1298年7月22日
  1265年5月10日
- 1317年10月8日
53歳没
93 後伏見天皇 ごふしみ 70px 追号(遺諡)
加後号
1298年7月22日
- 1301年1月22日
  1288年4月5日
- 1336年5月17日
49歳没
94 後二条天皇
(後二條天皇)
ごにじょう
(ごにでう)
70px 追号
加後号
1301年1月22日
- 1308年8月25日
  1285年3月9日
- 1308年9月10日
24歳没
95 花園天皇 はなぞの 70px 追号(遺諡)
譲位後の在所
1308年8月26日
- 1318年2月26日
  1297年8月14日
- 1348年12月2日
52歳没
96 後醍醐天皇 ごだいご 70px 追号(遺諡)
加後号
1318年2月26日
- 1339年8月15日
南朝初代天皇。 1288年11月26日
- 1339年9月19日
52歳没
97 後村上天皇 ごむらかみ 70px 追号
加後号、明治44年追贈
1339年8月15日
- 1368年3月11日
南朝第2代天皇。 1328年
- 1368年3月29日
41歳没
98 長慶天皇 ちょうけい
(ちゃうけい)
諡号
大正15年追贈
1368年3月11日
- 1383年10月
南朝第3代天皇。 1343年
- 1394年8月27日
52歳没
99 後亀山天皇
(後龜山天皇)
ごかめやま 70px 追号
加後号、明治44年追贈
1383年10月
- 1392年閏10月5日
南朝第4代天皇。 1350年?
- 1424年5月10日
75歳?没
北朝1 光厳天皇
(光嚴天皇)
こうごん
(くゎうごん)
70px 追号(遺諡)
在所(寺名・庵号)
1331年9月20日
- 1333年5月25日
1313年8月1日
- 1364年8月5日
52歳没
北朝2 光明天皇 こうみょう
(くゎうみゃう)
70px 追号(遺諡)
在所(寺名・庵号)
1336年8月15日
- 1348年10月27日
  1322年1月11日
- 1380年7月26日
59歳没
北朝3 崇光天皇 すこう
(すくゎう)
追号(遺諡) 1348年10月27日
- 1351年11月7日
  1334年5月25日
- 1398年1月31日
65歳没
北朝4 後光厳天皇
(後光嚴天皇)
ごこうごん
(ごくゎうごん)
70px 追号(遺諡)
加後号
1352年8月17日
- 1371年3月23日
  1338年3月23日
- 1374年3月12日
37歳没
北朝5 後円融天皇
(後圓融天皇)
ごえんゆう
(ごゑんゆう)
70px 追号(遺諡)
加後号
1371年3月23日
- 1382年4月11日
  1359年1月11日
- 1393年6月6日
35歳没
北朝6
100
後小松天皇 ごこまつ 70px 追号(遺諡)
加後号
1382年4月11日
1392年10月5日
- 1412年8月29日
  1377年8月1日
- 1433年12月1日
57歳没
101 称光天皇
(稱光天皇)
しょうこう
(しょうくゎう)
追号
2つの漢風諡号を合わせて追号とした号
(稱德+光仁)
1412年8月29日
- 1428年7月20日
  1401年5月12日
- 1428年8月30日
28歳没
102 後花園天皇 ごはなぞの 70px 追号
加後号
1428年7月28日
- 1464年7月19日
異称、後文德院。 1419年7月10日
- 1471年1月18日
53歳没
103 後土御門天皇 ごつちみかど 追号
加後号
1464年7月19日
- 1500年9月28日
  1442年7月3日
- 1500年10月21日
59歳没
104 後柏原天皇 ごかしわばら
(ごかしはばら)
追号
加後号
1500年10月25日
- 1526年4月7日
  1464年11月19日
- 1526年5月18日
63歳没
105 後奈良天皇 ごなら 70px 追号
加後号
1526年4月29日
- 1557年9月5日
  1497年1月26日
- 1557年9月27日
61歳没
106 正親町天皇 おおぎまち
(おほぎまち)
70px 追号
在所(二條殿)の面する町名
1557年10月27日
- 1586年11月7日
  1517年6月18日
- 1593年2月6日
77歳没
107 後陽成天皇 ごようぜい
(ごやうぜい)
70px 追号
加後号
1586年11月7日
- 1611年3月27日
  1571年12月31日
- 1617年9月25日
47歳没
108 後水尾天皇 ごみずのお
(ごみづのを)
70px 追号(遺諡)
加後号
1611年3月27日
- 1629年11月8日
  1596年6月29日
- 1680年9月11日
85歳没
109 明正天皇 めいしょう
(めいしゃう)
追号
2つの漢風諡号を合わせて追号とした号
(元明+元正)
1629年11月8日
- 1643年10月3日
女帝。 1624年1月9日
- 1696年12月4日
73歳没
110 後光明天皇 ごこうみょう
(ごくゎうみゃう)
70px 追号
加後号
1643年10月3日
- 1654年9月20日
  1633年4月20日
- 1654年10月30日
22歳没
111 後西天皇 ごさい 70px 追号
加後号
1654年11月28日
- 1663年1月26日
  1638年1月1日
- 1685年3月26日
48歳没
112 霊元天皇
(靈元天皇)
れいげん 70px 追号(遺諡)
2つの漢風諡号を合わせて追号とした号
(孝靈+孝元)
1663年1月26日
- 1687年3月21日
  1654年7月9日
- 1732年9月24日
79歳没
113 東山天皇 ひがしやま 70px 追号
山陵
1687年3月21日
- 1709年6月21日
  1675年10月21日
- 1710年1月16日
36歳没
114 中御門天皇 なかみかど 追号
在所に近い宮門
1709年6月21日
- 1735年3月21日
  1702年1月14日
- 1737年5月10日
36歳没
115 桜町天皇
(櫻町天皇)
さくらまち 70px 追号
譲位後の在所
1735年3月21日
- 1747年5月2日
  1720年2月8日
- 1750年5月28日
31歳没
116 桃園天皇 ももぞの 70px 追号 1747年5月2日
- 1762年7月12日
  1741年4月14日
- 1762年8月31日
22歳没
117 後桜町天皇
(後櫻町天皇)
ごさくらまち 追号
加後号
1762年7月27日
- 1770年11月24日
女帝。 1740年9月23日
- 1813年12月24日
74歳没
118 後桃園天皇 ごももぞの 70px 追号
加後号
1770年11月24日
- 1779年11月9日
  1758年8月5日
- 1779年12月6日
22歳没
119 光格天皇 こうかく
(くゎうかく)
70px 諡号 1779年11月25日
- 1817年3月22日
  1771年9月23日
- 1840年12月11日
70歳没
120 仁孝天皇 にんこう
(にんかう)
70px 諡号 1817年3月22日
- 1846年2月6日
  1800年3月16日
- 1846年2月21日
47歳没
121 孝明天皇 こうめい
(かうめい)
70px 諡号 1846年2月13日
- 1866年12月25日
  1831年7月11日
- 1867年1月30日
37歳没
122 明治天皇 めいじ
(めいぢ)
70px 追号
一世一元の制による
1867年1月9日
- 1912年7月30日
  1852年11月3日
- 1912年7月30日
59歳没
123 大正天皇 たいしょう
(たいしゃう)
70px 追号
一世一元の制による
1912年7月30日
- 1926年12月25日
  1879年8月31日
- 1926年12月25日
47歳没
124 昭和天皇 しょうわ
(せうわ)
70px 追号
一世一元の制による
1926年12月25日
- 1989年1月7日
履中天皇(第17代)以降では、在位期間最長(62年2週間)。 1901年4月29日
- 1989年1月7日
87歳没
125 今上天皇 きんじょう
(きんじゃう)
70px   1989年1月7日 - 関東の地で即位した初の天皇。 1933年12月23日 -

記録

在位期間の長い天皇

  • ただし、継体天皇(第26代)以降に限る。
  1. 昭和天皇(第124代): 22660日(62年)
  2. 明治天皇(第122代): 16604日(45年6か月)
  3. 光格天皇(第119代): 13641日(37年4か月)
  4. 後土御門天皇(第103代): 13211日(36年2か月)
  5. 後花園天皇(第102代): 13133日(35年11か月)

在位期間の短い天皇

  1. 仲恭天皇(第85代): 78日(2か月)
  2. 弘文天皇(第39代): 226日(7か月)
  3. 用明天皇(第31代): 596日(1年7か月)
  4. 光嚴天皇(北朝1代): 625日(1年8か月)
  5. 花山天皇(第65代): 677日(1年10か月)

高齢で即位(践祚)した天皇

  1. 光仁天皇(第49代): 61歳10か月(62歳)
  2. 今上天皇(第125代): 55歳0か月
  3. 光孝天皇(第58代): 54歳(55歳)

年少で即位(践祚)した天皇

  1. 六條天皇(第79代): 7か月(2歳)
  2. 安德天皇(第81代): 1歳4か月(3歳)
  3. 四條天皇(第87代): 1歳7か月(2歳)
  4. 土御門天皇(第83代): 2歳1か月(4歳)
  5. 仲恭天皇(第85代): 2歳6か月(4歳)

長寿の天皇

  1. 昭和天皇(第124代): 87歳8か月
  2. 後水尾天皇(第108代): 84歳2か月(85歳)
  3. 陽成天皇(第57代): 80歳9か月(82歳)
  4. 靈元天皇(第112代): 78歳2か月(79歳)
  5. 白河天皇(第72代): 76歳(77歳)

短命の天皇

  • 崩御時の満年齢。括弧内は数え年。
  1. 安德天皇(第81代): 6歳4か月(8歳)
  2. 四條天皇(第87代): 10歳10か月(12歳)
  3. 六條天皇(第79代): 11歳7か月(13歳)
  4. 仲恭天皇(第85代): 15歳7か月(17歳)
  5. 近衞天皇(第76代): 16歳2か月(17歳)

歴代天皇以外の関連人物一覧

追尊天皇の一覧

薨去の後に天皇の尊号を諡された者である。崇道天皇を除き、薨後にその子が天皇に即位したことによる。

  • 岡宮天皇 - 草壁皇子。40代天武天皇の皇太子で、42代文武天皇・44代元正天皇の父。即位前に病没し、「岡宮御宇天皇(おかみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「長岡天皇」とも。
  • 崇道尽敬皇帝 - 舎人親王。47代淳仁天皇の父。子の即位により「崇道尽敬皇帝」を追尊。単に「尽敬天皇」とも。
  • 春日宮天皇 - 志貴皇子。49代光仁天皇の父。子の即位により「春日宮御宇天皇(かすがのみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「田原天皇」とも。
  • 崇道天皇 - 早良親王。50代桓武天皇の弟で廃太子(785年(延暦4年)薨去)。800年(延暦19年)、「崇道天皇」の尊号を受ける。
  • 陽光院太上天皇 - 誠仁親王。106代正親町天皇の東宮。即位前に没。太上天皇、院号「陽光院」を追尊。「陽光天皇」とも。
  • 慶光天皇 - 閑院宮典仁親王。119代光格天皇の父。1884年(明治17年)、贈太上天皇、諡号「慶光天皇」を追尊。 → 尊号一件

皇位に就かなかった太上天皇の一覧

一説に天皇とされる者の一覧

天皇に準ずる立場にあった者の一覧

天皇またはそれに准ずる立場を称した者・擁立された者の一覧

  • 塩焼王 - 天武天皇の孫で、新田部親王の子。天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。しかし、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
  • 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年(天慶3年)、関東に独立勢力を築き上げ、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
  • 恒良親王 - 96代後醍醐天皇皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
  • 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
  • 足利義満 - 室町幕府3代将軍准三宮(三宮(皇后・皇太后・太皇太后)に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
  • 金蔵主(中興天皇) - 後南朝の初代天皇とされる。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御(※ ただしこのことは同時代史料では確認できず、後世の付会である。小倉宮「実仁」なる人物も、101代称光天皇の実名と混同したもので、実際には存在しない)。
  • 自天王(尊秀王) - 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松氏の遺臣により暗殺される(※ 長禄の変で南朝の宮と称する兄弟が討たれたのは事実だが、系譜、実名ともに不明であり、ここに書いてあることは後世史料によるもので、信ずるに足りない。但し南帝を称した事は確かである)。
  • 南天皇 - 後南朝の3代天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、その傷が元で熊野の光福寺にて崩ず(※ これもまた後世の伝説によるもので、同時代史料とはあわず、史実ではない)。
  • 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。
  • 北白川宮能久親王 - 日光輪王寺門跡時代の1868年(明治元年)、奥羽越列藩同盟により「東武皇帝」に推戴されたとの説がある。アメリカ公使が本国に報告しているほか、当時の新聞に同様の記事がある[8]

天皇だと自称した人物の一覧

この節の参考文献は、下記の通り[9]

架空の天皇

実在か架空かの議論のある天皇については、#初期天皇の実在性を参照のこと。

  • 桐壺帝 - 源氏物語の登場人物。作中第一の帝。
  • 朱雀帝 - 同じく源氏物語の登場人物。作中第二の帝。
  • 冷泉帝 - 同じく源氏物語の登場人物。作中第三の帝。
  • 今上帝 - 同じく源氏物語の登場人物。作中第四の帝。
  • 一院 (前の朱雀院) - 同じく源氏物語の登場人物。物語開始前の時点の帝。
  • 先帝 - 同じく源氏物語の登場人物。物語開始前の時点の帝。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 渡辺浩『東アジアの王権と思想』東京大学出版会、1997年、7-8頁。
  2. 初代・神武天皇の事跡は、第10代・崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。
  3. 歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いるのは、この3代3人のみである点も注目される。
  4. なお、第111代「後西院」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている。すなわち、「西院」は地名であって、院号ではないことから、機械的に「院」を省くのは誤りではないかとする。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。第53代・淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため、同天皇の異称が「西院」とされ、「後西院」はその加後号である。
  5. なお、後亀山天皇の場合には室町幕府の強い意向などもあり、1394年に「太上天皇」の尊号が贈られていたが、北朝ではあくまでも正式な天皇ではなく、後高倉院の先例に倣った尊称天皇として扱われていた。
  6. 6.0 6.1 6.2 構成 - 宮内庁
  7. 神武天皇から昭和天皇までの124ページ。
  8. ニューヨーク・タイムズ 1868年10月18日号に「JAPAN: Northern Choice of a New Mikado(日本:北部が擁立した新帝)」とある
  9. 『天皇家歴史大事典』(別冊歴史読本新人物往来社、2000年)211頁以下、保阪正康『天皇が十九人いた』(角川文庫、2001年)14頁以下。