お召し列車

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テンプレート:Mbox お召し列車(おめしれっしゃ)とは、天皇皇后皇太后が使うために特別に運行される列車である。なお、天皇・皇后・皇太后以外の皇族のために運行する列車は御乗用列車(ごじょうようれっしゃ)と呼ぶ。

概要

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お召し仕様のC51 201(1940年撮影)

お召し列車・御乗用列車のための専用の車両(皇室用客車)があるが、普段は特急など一般の列車に使われている車両を天皇が乗るための臨時列車として運転する場合もあり、後者の場合も天皇・皇后・皇太后・皇族が使うことになるために運行するため、お召し列車・御乗用列車にあたる。

しかし、定期列車を使う場合、たとえば新幹線「のぞみxx号」の○号車を借り切る場合には、天皇・皇后・皇太后が使うことになったとしても天皇・皇后・皇太后のために運転する列車ではないため、お召し列車には含まれない。

車両

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C57 139 準鉄道記念物。名古屋機関区所属機、お召し列車18回牽引。お召し装備での復元(リニア・鉄道館 2013)
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お召し列車として使用される
E655系「なごみ」
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貴賓車クロ157-1(特急色)
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お召し列車牽引用として発注されたEF58 61
ファイル:JNR EF58 61 omeshi.jpg
EF58 61牽引お召し列車(1984年)
ファイル:EF58-61DD51-842.jpg
お召列車用機関車EF58-61とDD51-842

第二次世界大戦後の車両としては、貴賓車として造られたクロ157形がお召し列車としても用いられた。

お召し列車を牽引する機関車には、運転を担う機関区の中でとくに状態の良い車両が選ばれる。運転頻度の高い地区においてはお召し指定機関車というものが在り、過去には28861(8620形), C51 236, C51 239(品川機関区), C51 276(梅小路機関区), C57 126新鶴見機関区), C59 108(梅小路機関区), ED53 1, ED53 2(東京機関区), EF53 16, EF53 18(予備EF53 17, いずれも東京機関区)、EF81 81田端運転所[1]などが定められていた。

また、EF58 61東日本旅客鉄道(JR東日本)に在籍)およびEF58 60は、とくにお召し列車牽引用としてメーカーに発注された指定機関車である。従来、電気機関車が牽引の場合、トラブルを防ぐ観点から必ず重連で運用されていたが、EF58形以降は単機での牽引となった。なお、EF58 61が日立製作所、EF58 60が東芝製で、車体側面にステンレスの飾り帯を廻すなどお召し用として特別な仕様で造られている[2]。このうち、EF58 60は廃車。EF58 61は運用から外され「廃車対象の保留車」として機関区にて留置中。このほか、JR東日本のDD51 842は、同社管内の非電化路線で運転されるお召し列車の指定機となっており、通常もお召し用の装飾を残したまま運用されている。

お召し列車一編成を「一号編成」と呼ぶ。このうち実際に天皇・皇后が乗車する車両を御料車という。地方での運転などのため編成を長距離にわたり回送する場合は、回送中に傷や汚れが付着するのを防ぐため、御料車にのみ車体全体に覆いをかけることが多い。

「一号編成」とクロ157形の老朽化に伴い、新たに交直両用E655系電車「なごみ(和)」2007年7月に落成した。基本は6両編成であるが、間の特別車両 (E655-1) を外した5両編成で一般の団体乗客向けにも運転されている。また電源供給用のディーゼル発電機を備えており、非電化区間ではディーゼル機関車による牽引が考えられている。お召し運用としては、2008年11月12日にデビューした。

新幹線では、0系100系を除き特別な編成が備えられているわけではないが、グリーン車両が防弾ガラスとなっているものが幾つかあり、それが使われる。 テンプレート:Main

国鉄時代は在来線でお召し列車が運転される場合、北海道四国を含め「一号編成」を全国各地に回送して使われていたが、国鉄分割民営化後は「一号編成」が在籍していたJR東日本を除き、他のJR各社は旅客営業に用いている車両を特別に整備して使うことになった。民営化後に「一号編成」がJR東日本以外の線区で使われたのは、1987年5月24日に唐津線で運転された時だけである[3]

西日本旅客鉄道(JR西日本)管内の直流電化区間でのお召し列車には281系はるか」が、非電化区間でのお召し列車には14系サロンカーなにわ」が充てられることが多く、後者の場合、天皇・皇后が乗車する最後尾車両・スロフ14形にはさまざまな対策工事や他の車両よりとくに念入りな保守が行われている。また、他の地区や私鉄などでは原則として特急用の車両(特急用車両がなければ、最新または最良の設備を持つ車両)をお召し列車運用時に限り、特別に改造または整備して使われる。

お召し列車の運転回数が多い近畿日本鉄道(近鉄)では、かつては特急車を改装し、天皇が乗車する場合には御座所を設けていた(12400系のサ12551号車など)。しかし、平成に入ってから21000系「アーバンライナー」などJRのグリーン車に当たる特別席を設けている車両を改造し、御座所は設けなくなった。

2008年現在JRに在籍している車両のうち、新幹線や特急用のグリーン車には防弾ガラスなどを備えているVIP対応車があり、お召し列車として運行する場合に多く使われる。代表的なのは「サロンカーなにわ」やJR東日本新潟車両センターに在籍していたサロ489-1051・1052[4]だが、対テロの観点から当該の車両番号は公表されていない場合も多く、見かけは普通のグリーン車用の車両であるため、判別はつきにくい。

運行

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お召列車運転当日の乗務員の点呼風景
1977年6月24日 品川

お召し列車には列車番号はなく、ダイヤ上でも「お召し」である。ただし現在のJR東日本では列車の運行管理をコンピュータで行うので、お召し列車にも列車番号を与えている。下りは9001、上りは9002という列車番号が使われることが多いが、必ずしもそうであるわけではない。新幹線の場合は、一般の団体臨時列車と同じ列車番号が付けられることが多い。

お召し列車の運行には「三原則」があるといわれている。

  1. 他の列車と並んで走ってはならない。
  2. 追い抜かれてはならない。
  3. 立体交差では上の線路をほかの列車が走ってはならない。

このため臨時に他の列車の時間調整を行なうほか、事故などの不測の事態に備えてダイヤ作成担当者がお召し列車に添乗する。

戦前にはお召し列車の10分程前に先導列車が運行され、先導列車が通過後はポイント操作が許されないなど特別の配慮がとられた。21世紀初頭の現在でも同じ措置をとる場合がある(後述の記載も参照、とりわけ鉄道ファンなどから「露払い列車」と呼ばれることが多い)。

お召し列車担当の運転士は、運転区間を管轄する車両基地内で技術・勤務態度・人間性を踏まえて選ばれる。とくに衝撃のない発車や停止、数秒の狂いもない運転、数センチのズレも許されない停止位置など、通常の列車に比べて極めて細かい運行が求められるため、運転技術がとくに優れている運転士が選ばれている。

移動日や時刻は官報によって公に示されている。ただし通常の列車の場合もあるので、必ずしもお召し列車による運行とは限らない。あくまで皇族の行事参加および移動を掲載しているためである。

お召し列車は原則として夜には運転されない。長い時間をかけた戦前には途中の御用邸などで泊まりながら移動していた。例外は、1947年(昭和22年)12月11日姫新線林野15時42分発、東京翌6時57分着で運転された、お召し列車唯一の夜行列車である。また1946年(昭和21年)6月6日 - 7日銚子市を訪れた時には、戦災で天皇が泊った邸宅旅館などが銚子に残っていなかったことから、銚子駅の先に在った貨物駅である新生駅に御料車を引き込んで、その中で泊ったことがある。2012年現在まで、天皇が御料車内で泊ったことが認められるのはこの2件のみである[5]

その他

元号平成となってからは、ダイヤの変更などで国民に迷惑をかけるといった今上天皇の意向やその他の事情によって、行幸は一般の定期列車や臨時列車の一部の車両や航空機政府専用機民間機)を利用することが多くなったことから、専用車両を用いたお召し列車が運行されることは少なくなっており、国賓接待の一環としての性格が強くなっている。また、同じ理由で原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)を使うことも少なくなっている。

お召し列車も団体専用列車の範疇に含まれるため、運行は定期列車の間を縫って走らせ、運賃・料金も当局から然るべく支払われている。お召し列車を運行するにあたっては、事前の準備や警備などにも多くの経費がかかるが、慣例として当日のお召し列車運行そのものにかかった経費のみを宮内庁が支払っている。日本国有鉄道(国鉄)時代はお召し列車の運賃は無料であったが、国鉄分割民営化にあたり、民間鉄道で伊勢神宮へのお召し列車を頻りに運行していた近畿日本鉄道に実情を問い合わせて、それに合わせる形で経費を計算することになった。また、宮内庁がお召し列車の運転を申し込む窓口は、運転線区にかかわらずJR東日本が担っている。これは民営化直前に、当時の国鉄運転局列車課長が宮内庁の問い合わせに対し、「おそらく皇居に近い東京駅を管轄する東日本会社が担当するだろう」と答えたことが慣例となって続いている[6]

現代においても、お召し列車の運行については沿線や駅の警備のほかに、下に記した事柄のごとく細心の注意が払われていることが多い。

  • 車両が故障した時の代替として予備車を用意する。
  • 通常の車両を使用する場合でも塗装を塗り直したうえでフラットをなくすために車輪の削正(適正な踏面形状への削り直し)を施工し、窓を防弾ガラスにする(新規製造時にVIPの乗車を考慮し、あらかじめすべてまたは一部の窓を防弾ガラスにしておく例もある)。また、警察用無線の設置スペースが確保されている。
  • 本列車の運行の直前に特別の回送列車(指導列車。通常は単行機関車列車)を走らせ、線路上に問題がないことを確認する(通称「露払い」)。過去には営業用列車が担当[7]した事もある。

列車の性格上、極めて厳しい警備が行われるが、沿線で写真を撮る事が縛られているわけではなく、お召し列車を撮る鉄道ファンも少なくない。

車両前面に方向幕が備えられている車両をお召し列車として運行する場合、方向幕には何も示さない。一般には白無地一色の幕を示すが、クロ157の牽引を183系1000番台が担っていた時はクリーム色一色の幕を示して運転していた。なお、LED搭載車の場合は「団体」と示す場合がある。

平成の主な運転記録

1993年(平成5年)
1994年(平成6年)
1996年(平成8年)
ファイル:JR East EF58 61 omeshi ryomo line.jpg
1996年10月24日に両毛線で運転されたお召し列車
1997年(平成9年)
1999年(平成11年)
2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
ファイル:JNR DD51 842 20011014.jpg
2001年10月14日に石巻線で運転されたお召し列車
2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
ファイル:JRQ Kiha185 on Omeshi-ressha 20061030.jpg
2006年10月30日撮影、唐津線のお召し列車
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
ファイル:Tsukuba-Express-TX-2000-2168.jpg
2009年11月3日撮影、つくばエクスプレスまつりにて公開された、お召し装飾が施された2168編成
2009年(平成21年)
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)
  • 10月31日山陰本線鳥取駅 - 倉吉駅間(片道) 本務機DD51 1186+DD51 1179+サロンカーなにわ5両(露払いDD51 1183)[11]
  • 11月13日中央本線東京駅 - 甲府駅間(片道) E655系6両
    当初は今上天皇皇后恩賜林御下賜100周年記念行事出席に伴うお召し列車として運転が予定されていたが、天皇の気管支炎による体調不良のため、皇太子徳仁親王が天皇の名代として同行事に出席するための運転となった。
    この場合、前述にもある通り本来は「御乗用列車」となるが、JR東日本の広報担当は「今回は陛下の名代ということもあってお召し列車としての運転となった」と説明、そのためお召し列車と同等の装飾を施しての運転となった[12]
    なお、14日にも同区間で復路の運転が予定されていたが、皇太子はそのまま公務で長野県へ向かったために運転は取り消しとなった。
ファイル:JR East E655 imperial train 20121006 Musashisakai.jpg
2012年10月6日に中央本線で運転されたお召し列車
2012年(平成24年)
  • 7月19日上越新幹線東京駅 - 越後湯沢駅間(往復) E2系8両(使用N2編成、予備N12編成)[13]
  • 9月28日:東海道新幹線東京駅 - 岐阜羽島駅(片道) N700系16両
  • 9月30日:東海道新幹線岐阜羽島駅 - 東京駅(片道) N700系16両
    当初は10月1日に運転が予定されていたが、台風17号の影響で予定より前倒しての帰京となったため30日に運転された。
  • 10月6日中央本線東京駅 - 甲府駅間(往復) E655系6両
  • 10月12日:東海道新幹線東京駅 - 岐阜羽島駅(往復)N700系16両
2013年(平成25年)
  • 3月25日:東海道本線東京駅 - 伊豆急行線下田駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)
  • 3月28日:伊豆急行線下田駅 - 東海道本線東京駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)
  • 10月27日九州新幹線熊本駅 - 新水俣駅間(往復)N700系8両(使用R8編成、予備R9編成)
2014年(平成26年)

戦前

  • 単線区間の閉塞方法(同じ区間に同時に2つの列車を走らせない)として、通票閉塞方法が採用されていた時期に、お召し列車の機関士が、通過駅において授柱からの通票受け取りに失敗、再度取りに行くため、停車する事態になった。このトラブル以後、お召し列車は受け取りに失敗した場合、通票を谷底に落とした場合と同様、そのまま進行してもよいとの通達が出された。
  • 戦前は、お召し列車の通過中、沿線にいる者全員が最敬礼をした他、陸橋や丘陵などから見下ろすことまで「不敬である」として、官憲により規制された。また、それに限らず、不穏なものが天皇の目に入ることを避けるようにされた。1930年(昭和5年)11月に発生した富士瓦斯紡績川崎工場の争議では、この時に出現した煙突男が持っていた赤旗が、中国地方の陸軍演習視察から帰る途中のお召し列車[14]から見える可能性があったため、警察側が調停に入って労働者側の要求をほぼ受け入れ、煙突男は地上に下りた。お召し列車はその後に付近を通過した。
  • 運行トラブルから自殺者の出る事件となったこともある。陪乗していた、時の鉄道院総裁の原敬による記述が原敬日記の明治44年11月にあり、それによれば、次第は以下の通りである。久留米付近でおこなわれる軍の大演習を明治天皇が親臨されるため、7日新橋発の宮廷列車が運行され、静岡・姫路・三田尻でそれぞれ一泊した(当初は6日発、名古屋泊の予定であった)。10日、馬関(下関)での休憩と渡海後の休憩の後、12時半に門司を発車し車内で昼食の予定だったが、御料車が脱線したため復旧中で、休憩所で昼食を取った。発車は1時(13時)過ぎとなった[15]。降雨中だったため御料車を汚さぬようにとの配慮から、カバーを付けたまま側線から本線に入換えをしていたところ、カバーから垂れた紐が風で転轍てこを引掛けたために4輪が脱線した(ボギー車)ためであった。朝日新聞社「国鉄物語」によれば、すぐカバーを外せるよう紐をほどいてあったため垂れていたものという[16]。12日、門司駅の操車主任が馬関駅付近に行き轢死した、という報を受ける。自殺であった。16日発・19日着で帰京。22日、操車主任の死亡につき、宮中より遺族に対し、300円の下賜があり、原と宮内大臣渡辺千秋の相談で、「憫然に思召されて」の事とした。また、原はこの件で、お召し列車の運行体勢の改良を思案している。曽野綾子の「幸吉の行燈」[17]は、この事件と、別の運行トラブル(蒸気機関車の走り装置のクランクが停車地点で丁度死点となってしまい、さらにわずかながら上り勾配であったため、衝撃を与えずに引き出すことができず、発車できなかった、というもの[18][19]で、そちらは自殺者は出ていない。作中で曾野は、死点を外すためやむをえず後退した、と描写している)をヒントとした話ではあるが、戦後書かれたフィクションであるということに留意が必要である。「お召し列車運行に関わるわずかなトラブルでさえも、その社会的制裁は、家族を含めて一生つきまとうものであった。」といった印象もあるようである。
  • 天皇・皇后が、1両の御料車に同乗するようになったのは戦後のことで、それまでは原則として、それぞれに専用の御料車を連結し運転していた。乗車の際に皇后は、天皇の乗車をホームで見届けてから、乗車していたという。

世界各国のお召し列車

ファイル:Koninklijk rijtuig NL.jpg
オランダの王室専用客車

日本以外の各国でも、王室が存在する国には、日本のような「お召し列車」が運転されることがある、イギリスでは「ロイヤルトレイン」 (Royal Train) と呼ばれる列車が運転されることがある。

イギリス以外にも、オランダノルウェーのように、王室が存在する国においては、王室専用客車(御料車)が用意されているが、その扱いは控車まで含め専用客車が用意され、目的によって色々組み合わせ1編成とするもの(イギリス、ノルウェー)から、基本的に1両で構成され、通常の客車を前後に控車として連結し運用されるもの(オランダ)など様々である。タイ王国では王室専用駅も設置されている。

ロシアオーストリア中国など、帝政を廃止した国々においても、かつて帝室や王室が存在した当時にはお召し列車に相当する列車が運行されていた。中でも清朝西太后北京から奉天(現在の瀋陽)へ向かう際に乗車したお召し列車は、16両編成というその規模や、150人の料理人を乗せ狭い客車内にかまどを左右25基、計50基も据えさせたこと、合計100皿にもおよぶ彼女の食事のたびに長時間停車して他の列車を止めさせたことなど、エピソードにこと欠かない。

こうしたお召し列車に使用された御料車や貴賓車は、今でもその国や、かつてその国の植民地だった国の鉄道博物館に残っていることがある。もっとも西太后のお召し列車に使用された御料車は、彼女の死後張作霖の手に渡り、彼の専用列車に使用されていたが、張作霖爆殺事件の際に彼ごと関東軍に爆破されたので現存しない(一部が上海レストランに転用されているとの説もある)。

また2010年現在のオーストリアでは、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代に運行されていた皇帝フランツ・ヨーゼフのお召し列車の内装などを参考にした皇帝列車 (MAJESTIC IMPERATOR TRAIN) という名の一般の観光客向け企画列車が走っている。

なお、君主制から共和制に移行した国であっても、独裁者が国政を牛耳るような政治体制になった場合はしばしば似たような性格の鉄道車両が元首の命により整備され運行される。ヒトラー蒋介石総統専用列車を有していたし、スターリン毛沢東も国内の移動に専用客車を利用していた(ただし、蒋介石の専用客車は新製させたものではなく、日本が台湾に置き去りにした皇室用貴賓車の転用である)。

朝鮮民主主義人民共和国金日成金正日も特別列車を所有し、飛行での移動を機嫌うために、その列車で数度中国ロシアを訪問していた。

韓国においても、大統領専用客車がKTXに設置されている。当初は存在が非公開だったが、2011年2月11日光明駅付近で脱線事故が発生。その事故を起こした列車が、偶然にも大統領専用客車を組み込んだ編成ということで存在が広く知られた[20]。なお、一般列車として運行する場合は大統領専用客車は締め切り扱いとなっている。また、セマウル号客車を改造した大統領専用編成(慶福号)も存在する。

脚注

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:天皇項目
  1. 1985年4月26日つくば万博参加による2回のみ。その後は寝台特急北斗星」、「あけぼの」などに使用されるかたわら、お召し列車予備機やE655系電車初試運転時の牽引をつとめている。JR東日本在籍。
  2. 塗色については製造時は同型機と同様のぶどう色2号であったが、61号機は1966年のお召し列車運転直前の検査時から一号編成の塗色(暗紅色)に合わせた塗色に変えられた。大宮工場で調色したぶどう色2号を基に赤を混ぜて調色した特別色。
  3. このお召し列車は昭和時代最後のお召し列車でもあった。
  4. 両車とも2010年10月22日付で廃車。
  5. 白土 貞夫「天皇がご宿泊になった貨物駅 -総武本線新生駅-」『鉄道ピクトリアル』No.808(2008年9月)pp.67 - 71 電気車研究会
  6. 進士 友貞「国鉄最後のダイヤ改正 -JRスタートへのドキュメント-」交通新聞社 pp.290-292
  7. 1950年(昭和25年)3月から1961年(昭和36年)ごろまで東京駅発で運転する場合は「つばめ」(9時発)を指導列車の代わりとし、その10分後を特急に準じたダイヤで運行していた。
  8. 外国要人乗車の際は戦前は国旗を掲げて運転されていたが、戦後は国旗取り付けを行なっていなかった。
  9. テンプレート:Cite news
  10. 10.0 10.1 『鉄道ファン』2009年1月号 pp.83
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
  14. 天皇は岡山県宇野港から横須賀港までは軍艦で移動し、横須賀駅から東京駅までお召し列車を利用した。
  15. 「御召列車脱線」東京日日新聞 明治44年11月19日『新聞集成明治編年史. 第十四卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  16. 朝日新聞連載記事。同社より出版の単行本『国鉄物語』に収録
  17. 初出は「お召列車、後退せず」の題で、1967年講談社『別冊小説現代』第2巻第1号(1967年1月15日発売、新春特別号)、pp. 218-243
  18. 明治41年11月18日舞子駅
  19. 「聖上御乗の宮廷列車動かず」東京朝日新聞 明治41年11月19日『新聞集成明治編年史. 第十三卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  20. 時代錯誤の韓国大統領専用列車 朝日将軍の執務室 2011年2月16日(朝鮮日報 2011年2月15日からの記事引用)