国鉄DE10形ディーゼル機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:鉄道車両 DE10形ディーゼル機関車(ディーイー10がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が開発・設計した中型ディーゼル機関車である。

概要

ローカル線の貨客列車牽引や入換用途を主目的として開発された。1966年(昭和41年)から1978年(昭和53年)までに合計708両が製作され、日本各地のローカル線で蒸気機関車を置き換え、動力近代化を促進した。

ロード・スイッチャー支線客列車の牽引と入換を兼用する機関車。)としては、1957年(昭和32年)からDD13形が使用されていた。同形式は軸重14tで線路規格の低い支線区への入線が難しく、暖房蒸気発生装置 (SG) 非搭載で旅客列車への使用に制約がある、軸数が少なく重入換の用途では制動力に不足[1]があるなどの短所を内包しており、支線区や入換用途でディーゼル機関車を汎用的に使用するための設計手法が模索されていた。

1962年(昭和37年)に本線用ディーゼル機関車DD51形でDML61系1,000PSV型12気筒ディーゼル機関の実用化がなされると、同系統の機関を1基搭載とした中型機の構想が具体化した。エンジンや変速機を1系統とするなど、部品点数の削減で保守性の向上と軽量化を図り、支線区でも広汎に使用できる機関車を目標としたもので、これは1963年(昭和38年)と1965年(昭和40年)の2回に分けてDD20形として試作されたが、軸重過大や粘着性能不足に起因する空転多発などの欠点が顕在化し、量産化は断念された。

DD20形の試用結果を受け、軸重・牽引性能と汎用性の両立を実現するため開発されたのが本形式である。動軸を5軸として13t級の軽軸重を実現し、3軸+2軸の台車配置・前後非対称の車体構造など、広汎に使用可能とするための設計が随所に盛り込まれた。

入換作業はもとより、臨時列車貨物列車の牽引までをこなす高い汎用性から、国鉄の一形式単独としては唯一JR7社すべてに継承され使用されてきたが、近年では客車列車や貨物列車を牽引する機会が減少しており、東海旅客鉄道(JR東海)では全車が廃車されている。

構造

※各部機器配置の説明にあっては、ボンネットの長い側を「1端側」短い側を「2端側」と記述する。

  1. 転送 Template:Right

運転室を中央に、前後に機器類を収納するボンネットを配し、DD13形やDD51形と同様な凸型車体である。本形式は駆動機関が1台であるため、機器配置や重量配分の観点から1端側のボンネットが長い前後非対称の配置で、運転室が中心にない「セミ・センターキャブ」と呼称される形態である[2]

長い側(1端側)のボンネット内にはエンジンなどの駆動系と冷却系の機器を配置し、短い方(2端側)のボンネット内には軽油燃焼式のSGを配置する。運転室のボンネット上面側に設けた煙突は1端側がエンジンの排気用、2端側はSGの排気用である。運転台側面下部には通票キャリア受器(タブレットキャッチャー)を設け、受器の前後2箇所に長方形のゴム製保護板を設ける。このため、側面の車両番号標記は受器の直下位置に移されている。外部塗色は車体が朱色4号、車体上部・屋根部がねずみ色1号で、塗装の境界部には白色の帯を車体全周に配する。

室内の運転台は横向きに(出入り口の反対側に、出入り口に向けて)2か所配置される。これは、入換作業や短区間の折返し運転を主目的としたため、運転士が座ったまま首を動かすだけで運転方向の切替が可能な設計である。運転席は人間工学を取り入れた視認性・操作性に配慮した仕様で、操作系は左手側にマスコンハンドル、右手側にブレーキ弁を配置した電車と同じ配置にした。また、ブレーキ弁は新性能電車と同様にハンドル角度に応じてブレーキ力が決まるセルフラップ式を採用している。入換の誘導員から運転士がどちらの運転台に着座しているか即座に判断できるよう、使用中の運転台側が点灯する橙色の知らせ灯が運転席側面に装備される。

線路規格の低い「丙線」での使用を考慮し軸重を13t以下に抑え、かつ、重量のある列車の入換作業にも使用可能な粘着力を得るため軸数を5軸に増加し、すべてを動軸とする。台車は推進軸の関係で無心皿となっており、3軸 + 2軸の構成で、3軸台車は曲線区間での横圧を低減するため各軸箱がリンクで連結され各1軸が独立して左右動できる連接構造である。このため、UIC式などの軸配置表記は3軸台車の各軸を独立軸と見なし「AAA-B」となる。軸受を車輪の内側に配し、台車枠は減速機と一体化したインサイドフレーム方式で、軸箱支持装置は外側からは見えない。

運転整備重量は65.0tで、DD13形(4軸56.0t)より増加しながらも5軸配置のため軸重は14t → 13tに減少し、さらに線路規格の低い簡易線を除いた大部分のローカル線で使用が可能となった[3]。また車軸数の増加で得られるブレーキ力が強化され、入換使用時のブレーキ力不足問題も解消された。重連総括制御装置をもち、一般仕様の全車が[4]重連運転可能である。DD51形とも総括制御により重連運転が可能だが、最高速度は75km/hに制限される。

エンジンはV型12気筒ディーゼル機関のDML61ZA形 (1,250ps / 1,500rpm) を1基搭載する。これはDD51形用DML61Z形の給気冷却器(インタークーラー)の回路を別系路とし、ピストンを強化して定格出力の引き上げを図った機関で、液体変速機もDD51形同様のフォイト式を基に高低2段の速度切替が可能なDW6形を搭載する。これは特性の異なる3組のコンバータと2組の速度切替弁を内蔵し、これらを随時切り替えることで走行特性を本線での列車牽引(高速段: 最高85km/h)・入換作業(低速段: 最高45km/h)の双方に最適化する仕様である。冷却系機器は1端側前位に放熱器送風機を設ける。過熱対策としてSG用の水を放熱器に散布する機構(ウォータースプレー)も備えており、側面の放熱器カバー上部に片側5組の撤水口を設ける。

番台区分

基本番台

SG付きで、1966年 - 1970年に158両 (1 - 158) が日本車輌製造汽車製造川崎重工業(以下、900番台を除き同一)で製作された。

1 - 4は試作車で、鋼板溶接構造の台車枠を持つDT132形(3軸)、DT131C形(2軸)を装備する。1端側ボンネットの放熱器カバーは中桟のない一枚形状で、2端側台枠上部の側面機器箱は運転台から車体端部に達する長い形状である。

1967年製の5以降が量産車で、台車は鋳鋼製台車枠のDT132A形(3軸)、DT131E形(2軸)に変更された。放熱器カバーは中桟を2本配した形状に変更され、2端側の側面機器箱は容積を縮小した。

12 - 19は入換専用とするため、蒸気発生装置 (SG) を搭載せず準備工事のみの仕様で製作された。

1987年の国鉄分割民営化に際しては4両のみ四国旅客鉄道(JR四国)に継承されたが、1989年に除籍された。国鉄清算事業団からの購入車などが一部の私鉄で残存している。 テンプレート:-

500番台

ファイル:JNR DE10-500 20071019 001.jpg
DE10形500番台(503号機)
放熱器上部に撤水機構のない初期型
(2007年10月)

1968年 - 1970年に74両 (501 - 574) が製作された。

基本仕様は基本番台の5以降と同一で、構内入換・貨物列車に用いるためSGを非搭載とした番台区分である。2端側機器室内のSG設置空間にコンクリートの死重、運転席下部の水タンク設置空間に鋼板を積み、基本番台と重量をあわせ牽引力を確保している。

SGの水タンクを装備せず、初期製作の501 - 519では放熱器の撤水機構を装備しない。520以降は専用の水タンク (1000 L) を新たに設置し、基本番台と同様の撤水機構を装備した。

JRへの承継車はないが、国鉄清算事業団からの購入車が一部私鉄で残存している。 テンプレート:-

900番台

ファイル:DE10-901.JPG
DE10 901
1991年 宮原運転所公開時

大規模操車場での重入換用試作車として、1967年に1両 (901) が本形式では唯一となる日立製作所で製作された。

SGは非搭載、死重を積み重量を70tに増やして軸重をDD13形と同じ14tに引き上げている。運転席2端側は煙突を省略し、中央寄り2枚の正面窓を拡張している。2端側ボンネットは一般車より幅が狭く、前照灯の間隔も短い。入換専用とするために重連総括制御装置は装備しない。

試用結果を踏まえ、量産車はDE11形として製作された。一時、無線操縦装置を取付けて武蔵野操車場で試験を実施した時期もある。長らく吹田操車場で入換作業に使用したが廃車となり、現存しない。

1000番台

1969年 - 1973年に210両 (1001 - 1210) が製作された。

基本番台の機関の設計を変更し、燃料噴射ポンプや予燃焼室の形状を改良して出力を向上したDML61ZB形 (1350PS / 1550rpm) を搭載した区分で、全車がSGを搭載する。

1972年製の1153以降は3軸台車の揺れ枕支持機構を変更し構造を簡素化したDT141形[5]に変更した。1973年製の1188以降は運転室の天井に扇風機を設け、屋根上に扇風機カバーが突出している。

1500番台

ファイル:JRH DE10 1715.jpg
DE10 1715
(2009年8月14日 / 札幌運転所)

1970年 - 1978年に265両 (1501 - 1765) が製作された。

SGを装備しない500番台の機関を1000番台と同一のDML61ZB形に変更した区分で、積載する死重は運転台直下のものもコンクリート製に統一している。

1000番台と同時期に仕様変更が行われ、3軸台車のDT141形装備は1972年製の1550以降、運転室の扇風機設置は1973年製の1569以降になされている。

1000番台の製作終了後も本区分は1978年まで製作され、製作の次期により1端側放熱器カバーの3分割化や[6]・ナンバープレートのブロックプレート化、扇風機カバーの平滑化、2端側正面下部通風口の廃止などの変更がなされている。 テンプレート:-

3000・3500番台

ファイル:JRF-DE10 3510.jpg
DE10 3510
(2013年4月11日 / 小牛田駅)

東日本旅客鉄道(JR東日本)は除雪用としてモーターカーの導入を進めていることから、余剰となったDE15形(機関車部)が、日本貨物鉄道(JR貨物)に売却され、本形式への改造工事を施したものである。ラッセルヘッドの連結が不要となったことから、ラッセルヘッドを連結する密着連結器や電気連結器、空気配管の装備を全て撤去している。また保安装置もJR貨物対応のものとされた。

改造された車両のうちDE15形1000番台を種車とするものはDE10形3000番台に、DE15形1500・2500・2550番台を種車とするものはDE10形3500番台へと改番された。

2009年8月27日に大宮車両所を3511号機(旧DE15 1539)が出場、9月7日には3501号機(旧DE15 1510)が出場した。

仕様区分

本形式は新造時や転属の際に、使用地域の気候条件を考慮した各種装備が付加された。配置された気候条件によって以下の仕様がある。

一般型(暖地仕様)
気候が温暖な地域に配置された標準的な仕様である。スノープラウは省略されることが多い。関東・中京・近畿・九州地区に配置されたものに見られる。
A寒地仕様
気候が極めて寒冷な地域で使用するための装備群で、主な追加装備は耐雪ブレーキ・スノープラウ・旋回窓・ジャンパ栓や砂撒管の凍結防止用加熱装置などである。北海道・東北地区の各線区や高山本線などに配置された。
B寒地仕様
気候が寒冷な地域で使用するための装備群で、主な追加装備はA寒地仕様に準じるが、旋回窓は装備せず、電熱式のデフロスタワイパーを装備する。耐雪ブレーキも装備しない。山陰を中心とした中国地区・中央本線磐越東線などに配置された。

運用の変遷・現況

テンプレート:節stub

国鉄時代

1966年製の試作車4両は暖地仕様 (1・2) を松山機関区に、B寒地仕様 (3・4) を一ノ関機関区に配置し試験運用を開始した。

主に支線区の旅客列車・貨物列車のほか、各地の車両基地や操車場で入換に重用されたが、中には短区間ながら「あかつき」の早岐 - 佐世保間や「日本海」「つるぎ」の米原 - 田村間で特急仕業にもついた。

1975年の動力近代化完了以降は、旅客列車の電車・気動車化、貨物輸送量の減少による支線区の貨物列車廃止、さらには線区自体の廃止などもあって列車牽引の運用は減少に転じ、1984年の貨物輸送体系転換では操車場の機能見直しから入換用途も減少した。基本番台・500番台を中心に大量に淘汰が開始され、機能停止した操車場に休車の本形式が多数留置されることとなった。

1987年の国鉄分割民営化に際しては、約半数の361両が旅客6社・貨物会社に承継された。

JR北海道

ファイル:JRH DE10 1660.jpg
DE10 1660ノロッコ塗装
2011年8月20日
塘路駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)には23両が承継された。各地で入換に使用するほか、急行「天北」(名寄 - 稚内)運用や釧網本線の貨物列車運用にも使用された。

2010年4月時点で函館運輸所に7両、旭川運転所に2両、釧路運輸車両所1両の計10両が配置されている。旭川配置車は主に札幌運転所での入換に使用されるほか、釧路配置車は「ノロッコ号」に使用される。函館運輸所配置車のうち4両は、青函トンネル区間の非常時救援用としての役割を兼ねている。

テンプレート:-

JR東日本

ファイル:JNR DE10-1129 20090505.jpg
ATS-P設置のため、2端側も観音扉に改造されたJR東日本のDE10

東日本旅客鉄道(JR東日本)には68両が承継された。主に各配置区を中心とした入換作業や工事臨時列車、工場への入出場列車の牽引に使用される。

2010年4月現在では、青森車両センターに8両、秋田車両センターに3両、長岡車両センターに2両、高崎車両センター高崎支所に2両、宇都宮運転所に14両、郡山総合車両センターに5両の合計34両が配置されている。このうち高崎車両センター配置の1705号機の塗装はぶどう色2号と白帯になっており、イベントや臨時列車牽引に使用される機会も多いが、近年は本線で運転される機会は無くなり、「SLみなかみ」などSL列車被牽引客車の入換仕業での運用に留まっている。また、郡山総合車両センター配置で会津若松派出所に常駐する1124号機は、1972年 新潟県弥彦神社参拝に伴う越後線弥彦線でのお召し列車本務牽引機としての充当経歴を持っている。

高崎支所で主に構内入換やイベントに充当される2両を除き、首都圏の本形式はDE11形とともに全て宇都宮運転所に集中配置し、宇都宮のほか大宮総合車両センター田端運転所(田端・尾久地区)・水戸運輸区木更津派出などの各拠点に常駐する。他地域と同様、車両基地内での入換や工事臨時列車などでの使用が主だが、JR貨物に貸し出されて貨物運用に付く場合がある。なお、大宮に常駐する1099号機は、大宮総合車両センター及びJR貨物大宮車両所に入場する車両の入換のため、連結器を双頭連結器に交換している。

また、首都圏に配置されている車両の全てと、他地域でも一部の車両は保安装置がATS-Pの区間を走行するため、2端側ボンネット内にATS-P機器を搭載している。この機器の設置及び整備のために2端側も1端側と同様の観音扉に改造しており、他社が保有するDE10とは表情が異なっている。

ファイル:R03618.jpg
寝台特急「あけぼの」を牽引する
DE10 1649

一時期は特急列車の運用が存在した。1990年から開始された山形新幹線福島 - 山形間建設工事による迂回措置で、寝台特急「あけぼの」が同年7月より奥羽本線から陸羽東線経由に変更されたために小牛田 - 新庄間を重連で牽引した。1997年3月ダイヤ改正で同列車が上越線羽越本線経由に変更され、当該運用は終了している。ただし、天候不良に伴う迂回措置で「あけぼの」を奥羽本線・北上線経由にて牽引する事態は最近でも発生している。

東日本大震災により石巻港駅にいたDE10 1199とDE10 3503が被災、大破した。

2013年2月4日、高崎車両センター配置のDE10 1698が、定期検査のため秋田総合車両センターへEF81 141牽引による回送中、上越線 津久田駅 - 岩本駅間を走行中に床下より出火し、約1時間半後に消し止められた。

テンプレート:-

JR東海

東海旅客鉄道(JR東海)には13両が承継された。静岡運転所に配置され、名古屋車両区の構内や静岡県下の各駅で入換に使用された。

同社所属の本形式は、台車など床下の各機器を灰色に塗装していた。

2008年度内に美濃太田車両区配置の1521が廃車されたことにより、JR東海所属の本形式は消滅した。 テンプレート:-

JR西日本

西日本旅客鉄道(JR西日本)には49両が承継された。2010年4月時点で25両が在籍。富山地域鉄道部に11両、福井地域鉄道部に1両、梅小路運転区に2両、網干総合車両所宮原支所に2両、豊岡鉄道部に1両、岡山電車区に2両、後藤総合車両所に3両、下関総合車両所に3両を配置。

後藤総合車両所の1161は奥出雲おろち号塗装となり、2010年4月より専用機として使用される。梅小路運転区の1156は、嵯峨野観光鉄道の予備機として専用塗装となっている。かつて宮原総合運転所の1152はきのくにシーサイド用として専用塗装となっていたが、同列車の廃止により原色に戻されている。

JR四国

四国旅客鉄道(JR四国)には基本番台機4両を含む37両が承継された。「アイランドエクスプレス四国」牽引用の専用塗装機も存在した。

発足当初に多数存在した50系客車主体の客車列車は、直後より気動車に置き換えられ、基本番台機を含む多数が淘汰された。以後も残存機が貨物列車や団体専用列車の牽引に使用されたが、石灰石専用列車の廃止や予讃線観音寺 - 伊予市間の電化延伸に伴う貨物列車運用のJR貨物への移管、団体専用列車の減少により稼動車は減少している。

2010年4月時点で臨時列車・工事列車などの不定期列車牽引用として、高松運転所の2両のみが在籍する。

JR九州

九州旅客鉄道(JR九州)には19両が承継された。2010年4月時点で熊本車両センターに7両、鹿児島総合車両所に1両の計8両が在籍する。一時は同社のジョイフルトレインパノラマライナーサザンクロス」の専用機として塗装変更された車両も存在した。

特異な運用として、非電化区間で電車を牽引する運用が存在した。485系電車で運転されていた特急有明」について、1987年から毎日運転の臨時普通列車として豊肥本線熊本 - 水前寺)に乗入れが開始され、専用機として1755が使用された。サービス電源供給用電源車として、当初はスハフ12形、後に電源搭載改造を施したヨ8000形28000番台を連結して牽引・推進運転が行われた。同機は、後に485系電車に合わせたクリーム4号+赤2号の「国鉄特急色」に変更されている。

1988年に783系電車(ハイパーサルーン)が「有明」での使用を開始すると1756が専用機として追加され、同機はハイパーサルーンの配色に合わせたライトグレー+赤帯、1端側先頭部に「ハイパーサルーン」ロゴを配した塗装に変更された。1994年7月に肥後大津駅まで電化が完了したため、当該運用は終了している。

久大本線では普通客車列車の牽引に使用されていたが、1999年に客車列車の全面気動車化により消滅した。また豊肥本線で運行されていた「あそBOY」の補助機関車あるいは代替機としても使用された。

2010年8月NHKがデジタル放送普及のために企画した鉄道による九州一周プロジェクト「BSデジタル号がゆく!〜ブルートレイン 九州一周の旅〜」(9月3日 - 5日)で運行される臨時列車「BSデジタル号」の牽引に熊本車両センター配置の1753が起用されることになり、塗装を黒基調のオリジナル塗装へ変更した[7]。当形式での「BSデジタル号」の牽引は、全行程のうち人吉駅 - 鹿児島中央駅 - 門司港駅間(肥薩線日豊本線鹿児島本線・日豊本線・久大本線日田彦山線・日豊本線・鹿児島本線経由)で行われた。また2012年11月には同じく熊本車両センター配置の1638が1753と同じ色に塗り替えられた[8]。これらの塗り替えられた機関車は臨時列車などのほか、クルーズトレイン「ななつ星in九州」の回送時にも使用される。

JR貨物

日本貨物鉄道(JR貨物)には151両が承継された。2011年2月末時点で118両が在籍する。入換仕業がメインであるが、一部は本線で貨物列車の牽引を行う。

JR貨物には構内入換専用として「入換動車」扱いとされた車両がある。当該車は各種検査時期の延伸、釣合管・ジャンパ栓の作用停止などの処置が加えられている。一部の車両はえんじ色に黄色の警戒色が入った入換専用色に塗装変更されており、札幌貨物ターミナル駅などで使用されている。

本形式に代わる入換用新型機関車の開発[9]も進められており、2010年3月に後継機であるハイブリッド機関車、HD300形の試作車が落成した[10]

2009年に、JR東日本より除籍となったDE15がJR貨物に譲渡され、大宮車両所にてDE10 3000・3500番台として改造された。2012年2月1日時点では、仙台総合鉄道部に3500番台4両、東新潟機関区に3000番台1両・3500番台5両が配置されている。

譲渡車・同形車

本形式は汎用機として大量に製作されたことから、臨海鉄道や専用線で使用する目的で譲渡された車両や、同一仕様の機関車を自社発注して使用する例が各地で見られる。これはDD13形と同様の傾向であるが、国鉄・JR各社がDD13形を淘汰したのに対し、専用線・臨海鉄道などでは2機関4軸駆動のDD13形タイプを引き続き使用する例は少なくない[11]。1機関の本形式は機関故障時の冗長性に劣ることや、各軸独立構造の台車など特殊な仕様の機構を保守できる体制が整っていない事業体が多い[12]などの理由が挙げられる。

本形式および同形機を使用するおもな事業体を以下に示す。車両の仕様等、詳細は各リンク先を参照されたい。

  • 十勝鉄道 - JR東日本より譲渡された1543が在籍。側面ナンバーはブロック式から切文字貼付式に変更されている。
  • 真岡鐵道 - JR東日本より譲渡された1535が在籍。SL列車の回送や客車列車牽引に使用される。2010年には部品確保用として1014(←関西フレートサービス←JR四国アイランドエクスプレス四国専用機)を購入。
  • わたらせ渓谷鐵道 - JR東日本より譲渡された1537と1678が在籍しトロッコ列車牽引などに使用される。車籍はないが部品確保用に1682も購入している。
  • 衣浦臨海鉄道 - DE10形と同型のKE65形が在籍。新製したものと国鉄清算事業団から購入したものとがある。
  • 樽見鉄道 - 全車とも2007年11月までに廃車・解体・譲渡されている。上記の衣浦臨海鉄道からの譲渡車もあった。
  • 西濃鉄道 - 国鉄清算事業団から購入した148の車番を501に変更した1両が在籍。基本番台車としては唯一、2013年10月現在稼働しているものである。
  • 嵯峨野観光鉄道 - 元JR西日本の1104が在籍。トロッコ列車牽引に使用される。
  • ジェイアール貨物・北関東ロジスティクス(旧・高崎運輸) - 倉賀野駅及び熊谷貨物ターミナル駅の構内入換用。
  • ジェイアール貨物・関西ロジスティクス(旧・関西フレートサービス) - 元JR貨物の1082が在籍。大阪貨物ターミナル駅の構内入換用。

保存車両

展示・保存後に解体された車両

派生形式

本形式の基本構造を踏襲した形式は以下のとおりである。

DE11形
重入換用機関車
DE15形
除雪ラッセル車)兼用形入換用機関車
DE50形
本線用機関車。DD51形の後継機として試作検討され、本形式をスケールアップして大出力機関を搭載。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 鉄道ジャーナル社 『国鉄現役車両1983』 鉄道ジャーナル別冊No.4 1982年
  • 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 2000年12月号 No.694 特集・DE10・11・15形
  • 石井幸孝 『DD51物語 - 国鉄ディーゼル機関車2400両の開発と活躍の足跡』 (JTBパブリッシング、2004年) ISBN 453305661X
  • 四国鉄道学園 『新訂 DE10形ディーゼル機関車(量産形) 付DE11形』 (交友社、1967年)
  • ネコ・パブリッシング RailMagazine 2009年11月号(No.314)P162
  • 沖田祐作 編『機関車表 国鉄編II 電気機関車・内燃機関車の部』(ネコ・パブリッシング RailMagazine 2008年10月号(No.301)付録CD-ROM)

関連項目

テンプレート:Sister テンプレート:国鉄のディーゼル機関車 テンプレート:JR北海道の車両リスト テンプレート:JR東日本の車両リスト テンプレート:JR東海の車両リスト テンプレート:JR西日本の車両リスト テンプレート:JR四国の車両リスト テンプレート:JR九州の車両リスト テンプレート:JR貨物の車両リスト

テンプレート:真岡鐵道の車両
  1. 9600形等の蒸気機関車はテンダー台車も含めた6 - 8軸で制動がかけられたのに対し、DD13形は4軸しかないため、貨物扱い量の大きいヤードでは制動力不足が指摘されていた。
  2. このレイアウトは本形式試作の前年に試作されたDD20 2で初採用されたものを踏襲している。
  3. これによって、8620形C11形などの丙線で運用される蒸気機関車の完全な置き換えが可能となった。より低規格な簡易線用C56形C12形の置き換えにはさらに軽量なDD16形を開発する必要があったが、本形式が動力近代化計画の予定どおりの達成に果たした役割は非常に大きい。
  4. 重入換専用試作車の901は重連対応ではない。
  5. DE50形用3軸台車として開発されたDT140形を基本として、揺れ枕より上の車体との結合部分を本形式に適合させた構造である。
  6. 1000番台では1973年製の1210のみが放熱器カバー3分割仕様で製作された。なお、JR四国の1095号機など、後天的にこの3分割仕様に改造された車両がごく少数存在する。
  7. DE10 1753が黒色塗装に - 鉄道ファン railf.jp 2010年8月29日
  8. DE10 1638が黒色塗装に - 鉄道ファン railf.jp 2012年11月30日
  9. テンプレート:PDFlink による。
  10. テンプレート:PDFlinkによる。
  11. 後継の機関車をDD13形タイプで継続することとしたため、導入前提でサンプル購入したDE10形を解体処分した仙台臨海鉄道京葉臨海鉄道の例がある。
  12. 同系機を新製投入した臨海鉄道各社でも、全般検査時は国鉄・JRの工場に入場するのが常であった。
  13. ファームリゾート鶏卵牧場 - 公式サイトにて掲載