新幹線200系電車

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テンプレート:鉄道車両 新幹線200系電車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびこれを承継した東日本旅客鉄道(JR東日本)が設計・製造・保有した新幹線電車である。1982年(昭和57年)に開業した東北・上越新幹線の初代営業用車両。

概要

200系は、1982年昭和57年)の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、962形試験車を基本として量産化され1980年(昭和55年)に発表された。100系1985年登場)よりも発表が早いにもかかわらず系列・形式番号が200系と大きいのは、200系の登場当時の付番体系が、東北・上越新幹線系統の車両の百の位には偶数を、東海道山陽新幹線系統の車両の百の位には奇数を与えるようなものだったためである。

なお、系列番号が定められた新幹線電車は本系列が最初である。後に0系と呼ばれることとなる東海道新幹線の新幹線車両にはその当時は系列番号がつけられておらず、単に「新幹線電車」が正式名称だった。同系列には200系の登場により初めて「0系」と命名された。

国鉄分割民営化後には200系にも100系と同様の2階建て車両が登場した。

2013年(平成25年)3月15日限りで定期営業運転を終了し、同年6月までに全車が廃車となった。1980年から1991年までの200系の総生産両数は700両だった。なお、本系列の廃車によって国鉄時代に製造された新幹線が本線上から全て姿を消した。

構造

200系は落成時の営業最高速度に従って番台が区分された。具体的には、1980年から製造された基本番台は営業最高速度が210km/hであるのに対し、1983年以降に製造された1000・1500・2000番台では、いずれも240km/hとなっていた。 なお、基本番台の中にも240km/hおよび275km/hの走行対応が可能なように改造された車両が存在していた。

車体

ファイル:Snow Separate Room.jpg
雪切り室への外気取り入れ口

200系の先頭車には、2種類の前面形状のものがあり、一つは国鉄時代に製造された0系に似た「丸目丸鼻」(ラウンドノーズ)のもの、もう一つは国鉄分割民営化後に製造された100系に似た「流し目」(シャークノーズ)のもの(200番台、2000番台)である。なお、0系に似た先頭車の運転側の窓は、0系と同じく2枚の状態で製造されていたが、JR化後の1999年(平成11年)から1枚式のものに交換されていった。また、200番台は225形もしくは226形中間車からの改造車、2000番台は新製車である。

200系のデザインは0系から派生したものである。0系からの違いは、車体下部まで一体のボディーマウント構造とした。そのため、車体は2重床構造となり、床下機器はボディー底面に搭載することで耐雪・耐寒性を向上させた[1]。0系と同様に普通鋼製車体のままこの構造を採用すると重量が過大となることから、200系の車体はアルミ合金製となった。200系は、951形を設計のベースとし、構体骨組は加工性や溶接性に優れた7N01(Al-Zn-Mg)を、車体外周部には耐食性に優れた5083(Al-Mg)を、車体側面部から屋根にかけての曲線部には7N01よりも押し出し加工性に優れた7003(Al-Zn-Mg)を使い分けることで、構体重量7.5t(0系比3tの軽量化)を実現した[2]。ただし後年登場した2階建て車両(248形・249形)は、製造コストや電動機非搭載の観点から普通鋼製となった。

電動機を冷却する際に、外気とともに取り込んだ雪を分離するために、雪切り室が設けられた。先頭部のスカートはスノープラウと一体化した形状である。豪雪地帯を走ることから、線路面上に積雪があっても支障なく走行出来るよう設計され、確認試験も行われた。

車体塗装は、クリーム色をベースに窓の部分に緑14号の帯を配した。この色使いは寒冷地を走行するため雪解けの新芽のイメージから選んだとされている。登場時には「緑の疾風(みどりのはやて)」の愛称があった。

走行機器

電源・制御装置

テンプレート:Vertical images list テンプレート:Sound 主回路制御は0系の低圧タップ制御に替えて、架線からの交流25kVを主変圧器の2次巻線を不等6分割(1:1:2:2:2:2)し、それにサイリスタと呼ばれる半導体素子とダイオードを取付けたブリッジ(整流回路)を取付けて、6分割構成としたサイリスタ・ダイオード混合ブリッジとし、それにより整流・制御された直流電源で主電動機を駆動するサイリスタ位相制御[3]が採用されている[4]

MM'ユニットを採用し、M車(221形・225形)には主制御器と抵抗器が、M'車(222形・226形)には主変圧器・整流装置・補助電源装置・空気圧縮機・集電装置が搭載される。

主制御器は、発電ブレーキにおいて抵抗器を使用したバーニアチョッパ制御が行われるため、電動カム軸方式(CS47)を採用しており[5]、転換カムと抵抗カムのほかにフリーホイールダイオードや過飽和変流器を搭載している[5]。重量は940kgである[5]

主変圧器(TM202)は2,350kVAの容量を備え送油風冷式である[5]。主回路用の二次巻線は2,100kVA、補助電源回路用の三次巻線は250kVAの定格容量を備える[5]。シリコーン油とポリアミド絶縁物を主体とする特別A種絶縁を採用することにより、0系で使用されているものと比較して容量比で64%の小型・軽量化がなされており、ボディーマウント構造や耐寒性材料の採用により、耐寒耐雪対策が図られている。また、点検する部品を車体の一側面に集中させて向けることにより、保守や点検を容易にしている[5]。その他にも、ボディーマウント内の空気を電動送風機の送風による冷却風が主変圧器の油冷却器を介して車外に排風することにより、主変圧器の冷却に使用されるシリコーン油が冷却されだけでなく、車内に搭載された主変圧器や主整流器から発生する熱による周辺の温度上昇を抑止できる。


主電動機(MT201)は直流直巻式である。連続勾配や降雪時の走行抵抗増加対策で連続定格出力が230kWに増強され、冷却方式をファンによる冷却方式から雪切り装置による他力通風方式に変更することにより[5]、冷却ファンは取り除かれ、開いたスペースを活用して鉄心を20mm延長し、MT200Bと同寸法ながら出力を向上させた[5]。さらに、ブラシ(整流子)には、長さ68mmの長尺ブラシを採用して、ブラシ摩耗代を長くしており、軸受構造には、第2グリース室を設けて潤滑寿命を長くすることにより、無保守走行距離の延長[6]を図っている[5]

台車

電動車台車はDT201、付随車台車はTR7002と呼称され、電動車は0系と同等のものを装着する。着雪による動作不良を防ぐために、バネ部分にカバーが装着されている。

ブレーキは、電動車では0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空圧油圧変換式ベンチレーテッド車輪ディスクブレーキを使用する。H編成組成時に新製された2階建て車両の248・249形は200系唯一の付随車であったが、同じく付随車2階建て車両を有していた100系とは異なり、渦電流ブレーキを設置せず、ディスクブレーキを車軸に2枚設置した。

IS式軸箱支持装置、枕バネは0系と同様に採用された。

集電装置

集電装置は0系から引き続き下枠交差型パンタグラフが採用された。PS201と呼称される。集電舟(架線と接触する部分)が可動式となった微動すり板を採用したことにより架線追従性が向上し、台枠をFRP製にすることで誘導障害の低減を図った[5]。さらに、降雪対策として押上げ力を5.5kgから7.5kgまで向上させた[5]

当初の200系の編成では電動車の各ユニットごとに1基のパンタグラフが搭載されていたが、走行時の騒音源となっていた。これを解決するためには、車両間に特高圧引通線を引き通し、そこにパンタグラフを繋げて、使用するパンタグラフを少なくして列車の電動車の各ユニットに架線からの電気を供給することであるが、東北・上越新幹線はAT饋電方式を使用しており、BT饋電方式でトロリー線に設けられたブースターセクションが無いため、交流電源の周波数の位相差により、パンタグラフの間で特高圧引通線を介して電気が流れトラブルを発生させることが無いため、実施が可能であり、F・H・K編成では天井に這わせた高圧ケーブルによる特高圧引通線を車両に引き通して、ケーブルヘッドにより車両間を接続することにより、パンタグラフの実使用数を削減することにした。0系とは違い、車両に設置されている空調室外機が車端部2箇所に集約されているため、200系ではこの様な引き通しが可能になった。なお、使用しないパンタグラフの一部は、折り畳んで予備として車体に搭載したままにされた。

この引き通し線は、新製時から引き通しがなされている1000番台車両の場合はすべて山側(列車を南北に延ばした際の西側)に設置された。しかし、新製後に改造して設置された0番台車両(E編成から改造されてF編成に編入されたものなど)のうち、225形などの奇数形式では引き通し線は海側(同、東側)に、226形などの偶数形式では山側に設置されている。

パンタグラフカバーは、常時使用のパンタグラフでは、四方から囲む形で、予備のパンタグラフは、車両サイドのカバーが省略されている。

運転台

0系ではアナログ指針式の速度メーターであり、故障機器の状況は人間が故障個所まで行き対処しなければならなかったのに対し、本系列では、運転台にいながらにして機器の遠隔解放ができるシステムが装備された。日本の鉄道車両では初めて運転台キャラクタディスプレイによるモニタ支援装置を装備した。9.6kbpsのFSK (Frequency Shift Keying) モデム伝送によるもの。ドットマトリクスによる片仮名アルファベット数字のみを、8行×33文字(合計264文字を同時に表示可能)で表示していた。

たとえば走行中は、2行目に「ウンテンジョウタイ」、4行目に「TIME 00:00:00 キロ 12.2」、5行目に「SPEED 206 ノッチ B 3 」、6行目に「ATC 110 ジョウヨウ * 」7行目に「カイホウ」などのように表示されていた。

これらは21世紀初頭の現在においても通用する設備であり、乗務員の作業が大幅に軽減された。

車内設備

普通車の座席は0系と同様の海側3列の合計横5列配置で、0系で試行されたオレンジ基調の簡易リクライニングシート (D-23, D-32) が採用された。本系列では座席前後間隔は980mm、3列座席は集団離反で回転出来ないものとなった。後年、モケットは交換された。

1987年(昭和62年)に登場した200, 2000番台は100系と同じ1,040mm間隔となり、フリーストップ式のリクライニングシート、3列座席も回転出来るようになった。ただしこの200, 2000番台は先頭車のみで、当時、中間車は3列座席回転不可能だったため、格差が生じていた。

後年、JR東日本は3列席を「本体部のみ回転」させる方式を考案した。これは両端の手すりを残して回転させるもので、座席間隔を広げることなくフリーストップのリクライニングシート化を実現させた。まずは1990年(平成2年)にH編成の中間車のうち、指定席普通車となる車両を座席交換し、さらに該当車両は拡大した。なお、この方式は西日本旅客鉄道(JR西日本)も0系で採用した。

後述のK編成リニューアルに関しては、簡易リクライニングだったものに関してはE4系と同等品に交換された。普通車の3列座席も全体が回転する構造となっているが、両端のひじ掛けを曲げる、背すりを鉛直にするなどの工夫で座席間隔980mmのまま回転可能とした。既に「本体部のみの回転」だったものに関してはモケットの張り替えのみが行われた。

空調機器は多雪地域・寒冷地を走行する事から冷房専用のAU82形となり屋根上の車体端部に設置した、暖房は電気ヒーターを別に使用した。これは、0系のAU56・57 (ヒートポンプ式)では比較的温暖地の東海道・山陽でも暖房能力が不足気味であった事から変更された。

形式および車種

本系列に属する各形式名とその車種は以下のとおり。

付随車である248形と249形以外は、奇数形式と偶数形式でペアを組んでMM'ユニットを構成する。

新製車両

215形 (Ms)
グリーン席。偶数各形式とペアを組んで使用される。主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
221形 (Mc)
普通席を備える制御電動車。偶数各形式とペアを組んで使用される。東京向き運転台、便所、洗面所、業務用室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。ラウンドノーズとシャークノーズの先頭車形状が存在する。
222形 (M’c)
普通席を備える制御電動車。奇数各形式とペアを組んで使用される。八戸・新潟向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。先頭形状は221形と同じ。1991年以降、-25, 26, 30, 34, 35, 1001 - 1003, 1501 - 1510, 1512, 1515, 1517, 1518には400系もしくはE3系との併結用に分割・併合装置が先頭に納められている。
225形 (M, Mk)
普通席を備える中間電動車。偶数各形式とペアを組んで使用される。便所、洗面所を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。グリーン車215形を普通車化したものは、100番台を名乗る。車販準備室を備えている車両は400,1400番台を名乗り、略号も「M」ではなく、「Mk」とされた。
226形 (M')
普通席を備える中間電動車。奇数各形式とペアを組んで使用される。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。
237形 (Mb)
半室ビュッフェを備える中間電動車。便所、洗面所、身障者対応設備を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
248形 (T'sbd)
グリーン席とカフェテリアを併設する2階建て付随車。1階にカフェテリア、2階にグリーン席が設置された。249形とともに、200系唯一の普通鋼製の車体である。H編成でしか使用されなかったため、6両のみの製造にとどまった。
249形 (Tsd)
普通席とグリーン席を併設する2階建て付随車。1階には1人用グリーン個室が3室と2人用グリーン個室が1室、4人用普通個室が5室、2階はグリーン席が設置された。248形とともに、200系唯一の普通鋼製の車体である。H編成でしか使用されなかったため、6両のみの製造にとどまった。
形式 車両番号 定員 製造数 製造総数 備考
215 1 - 36 52名 36両 57両
1001 - 1021 21両 車内設備は0番台と同様。
221 1 - 36 45名 36両 59両
1001 - 1003 3両 車内設備は0番台と同様。
1501 - 1518 50名 18両 車内設備は0番台とほぼ同様。
2001, 2002 2両 シートピッチを1,040mmに拡大。
222 1 - 36 55名 36両 59両
1001 - 1003 3両 車内設備は0番台と同様。
1501 - 1518 60名 18両 車内設備は0番台とほぼ同様。
2001, 2002 2両 シートピッチを1,040mmに拡大。
225 1 - 72 80名 72両 171両
401 - 436 70名 36両 売店付き。
1001 - 1042 80名 42両 外観、車内設備は0番台と同様。
1401 - 1421 70名 21両 外観、車内設備は400番台と同様。
226 1 - 180 95名 180両 285両
1001 - 1105 105両 外観、車内設備は0番台と同様。
237 1 - 36 28名 36両 57両
1001 - 1021 21両 外観、車内設備は0番台と同様
248 1 - 6 40名 6両 6両
249 1 - 6 55名 6両 6両

改造車両

この他、長期に渡る使用の過程で、運用の見直しなどにより以下の各形式について改造による番台区分が発生している。特に記載のない場合、普通車のシートピッチは980mmである。

215形 (Ms, Mhs)
100番台
普通車225形をグリーン車化したもの。当初は900番台 (901, 902) を名乗っていた。
225形 42 57
215形 901 → 101 902 → 102
200番台
普通車225形を半室グリーン車化したもの。シートピッチは、全席グリーン車と同じ1,160mmに統一。
225形 44 17
215形 201 202
300番台
グリーン車215形を半室グリーン車化したもの。シートピッチは、全席グリーン車と同じ1,160mmに統一。
215形 10 19 20 21 22 23 24
215形 301 302 303 304 305 306 307
221形 (Mc)
200番台
普通車225形を先頭車化したもの。先頭形状は100系に似たデザインで、窓枠の改造やシートピッチを1,040mmに拡大の上3列側の座席も回転可能にされた。
201 - 204はH編成に組み込まれ、車体側面にピンストライプが追加されていた。
225形 43 7 8 25 26 1011 69
221形 201 202 203 204 205 206 207
222形 (M'c)
200番台
普通車226形を先頭車化したもの。先頭形状は100系に似たデザインで、窓枠の改造やシートピッチを1,040mmに拡大の上3列側の座席も回転可能にされた。
201 - 204はH編成に組み込まれ、車体側面にピンストライプが追加されていた。
226形 104 42 44 62 64 1017 1019
222形 201 202 203 204 205 206 207
225形
100番台 (Mcon)
225形400番台の車販準備室を車掌室に改造したもの。101 - 105の5両のみ改造。
225形 407 1404 430 1407 426
225形 101 102 103 104 105
110番台 (Mcon)
グリーン車215形を普通車化したもの。111の1両のみ改造。窓と座席の配置がずれている。
215形 1004
225形 111
200番台 (Mpk)
ビュッフェ車237形を普通車化した201 - 205の5両のみ改造。
237形 1004 34 27 36 31
225形 201 202 203 204 205
210番台 (Mpk)
普通車225形に車販準備室、電話室、車椅子対応設備を設置した211の1両のみ改造。
225形 1007
225形 211
450番台 (Mpk)
普通車225形0番台に車販準備室、電話室、車椅子対応設備の設置、シートピッチ拡大をしたもの。窓配置はシートピッチに合わせられている。451 - 453の3両のみ改造。
225形 40 18 13
225形 451 452 453
460番台 (Mpk)
普通車225形400,1400番台に電話室と車椅子対応設備の設置をしたもの。461 - 463の3両のみ改造。
225形 435 1409 1406
225形 461 462 463
470番台 (Mpk)
ビュッフェ車237形を普通車化したもの。シートピッチを1,040mmに拡大。471 - 477の7両のみ改造。
237形 10 19 20 21 22 23 24
225形 471 472 473 474 475 476 477
480番台 (Mpk)
ビュッフェ車237形を普通車化したもの。481,482の2両のみ改造。
237形 29 28
225形 481 482
490番台 (Mpk)
ビュッフェ車237形を普通車化したもの。480番台の車両とは、車販準備室と業務用室の位置が異なる。491 - 507の17両のみ改造。
237形 30 1007 1006 1009 26 35 1012 1002 1001 1021 1010 1018 1020 1003 1013 1011 1015
225形 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507
237形 (Mb)
100番台
普通車225形をビュッフェ車化したもの。101, 102の2両のみ改造。当初は901, 902を名乗っていた。
225形 41 53
237形 901 → 101 902 → 102

製造・編成の推移

それぞれの概要は以下のとおりである。

E編成

ファイル:221-1 Sendai General Shinkansen Depot 20060729.JPG
221-1
新幹線総合車両センター 2006年

12両編成、ラウンドノーズの前面形状。東北・上越新幹線開業開始と同時に投入された編成。210km/h走行対応。開業直後に仙台第一新幹線運転所新潟新幹線第一運転所にそれぞれ18編成ずつの計36編成(E1 - E36編成)が配置された。

1次車(1980/10 - 11・48両)
  • E1 - E4編成
2次車(1981/1 - 3・60両)
  • E5 - E9編成
3次車(1981/7 - 10・156両)
  • E10 - E22編成
4次車(1981/12 - 1982/3・84両)
  • E23 - E29編成
5次車(1982/3 - 8・84両)
  • E30 - E36編成

基本番台のE1 - E36編成は1980年(昭和55年)から1982年(昭和57年)までに432両製造された。

編成中に連結されている225形のうち、5号車には車販準備室を備える225形400番台の車両が連結された。

基本番台 編成表(落成時)
  テンプレート:TrainDirection  
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 製造区分 製造年次 製造メーカー
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュッフェ車 普通車
E1 1 1 1 2 401 3 1 4 1 5 2 1 1次車 1980 日本車輌
E2 2 6 3 7 402 8 2 9 2 10 4 2 川崎重工業
E3   3 11 3 12 5 3 日立製作所
3 13 6 14 403 15   近畿車輛
E4 4 16 7 17 404 18 4 19 4 20 8 4 東急車輛
E5 5 21 9 22 405 23 5 24 5 25 10 5 2次車 1981 日本車輌
E6 6 26 11 27 406 28 6 29 6 30 12 6 川崎重工業
E7 7 31 13 32 407 33 7 34 7 35 14 7 日立製作所
E8 8 36 15 37 408 38 8 39 8 40 16 8 近畿車輛
E9 9 41 17 42 409 43 9 44 9 45 18 9 東急車輛
E10 10 46 19 47 410 48 10 49 10 50 20 10 3次車 日本車輌
E11 11 51 21 52 411 53 11 54 11 55 22 11
E12 12 56 23 57 412 58 12 59 12 60 24 12
E13 13 61 25 62 413 63 13 64 13 65 26 13 川崎重工業
E14 14 66 27 67 414 68 14 69 14 70 28 14
E15 15 71 29 72 415 73 15 74 15 75 30 15
E16 16 76 31 77 416 78 16 79 16 80 32 16 日立製作所 
E17 17 81 33 82 417 83 17 84 17 85 34 17
E18 18 86 35 87 418 88 18 89 18 90 36 18
E19 19 91 37 92 419 93 19 94 19 95 38 19 近畿車輛
E20 20 96 39 97 420 98 20 99 20 100 40 20
E21 21 101 41 102 421 103 21 104 21 105 42 21 東急車輛
E22 22 106 43 107 422 108 22 109 22 110 44 22
E23 23 111 45 112 423 113 23 114 23 115 46 23 4次車 日本車輌
E24 24 116 47 117 424 118 24 119 24 120 48 24 川崎重工業
E25 25 121 49 122 425 123 25 124 25 125 50 25 1982
E26 26 126 51 127 426 128 26 129 26 130 52 26 日立製作所
E27 27 131 53 132 427 133 27 134 27 135 54 27 1981 近畿車輛
E28 28 136 55 137 428 138 28 139 28 140 56 28 1982 東急車輛
E29 29 141 57 142 429 143 29 144 29 145 58 29
E30 30 146 59 147 430 148 30 149 30 150 60 30 5次車 日本車輌
E31 31 151 61 152 431 153 31 154 31 155 62 31
E32 32 156 63 157 432 158 32 159 32 160 64 32 川崎重工業
E33 33 161 65 162 433 163 33 164 33 165 66 33
E34 34 166 67 167 434 168 34 169 34 170 68 34 日立製作所
E35 35 171 69 172 435 173 35 174 35 175 70 35 近畿車輛
E36 36 176 71 177 436 178 36 179 36 180 72 36 東急車輛

1983年(昭和58年)に製造された1000番台の6次車・E37 - E39編成は240km/h対応で、落成後すぐにF1 - F3編成に改番された。詳細はF編成を参照。

F編成登場後は240km/h対応ATC改造やブス引通しといった対応工事を施したうえで車両番号そのままにF編成化されたり、短編成化されてG編成を組成した。

1991年5月9日 - 6月25日にかけて、7号車と11号車の入れ替えを実施。それ以後はグリーン車が11号車となった[7]。これは同年6月20日の東京駅乗り入れ開始当時新幹線ホームが1面2線のみだったため、E・F編成での自由席の位置を東北新幹線(1 - 4号車)と上越新幹線(5 - 8号車)としたためである。

E・F編成 編成表(1991年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 ビュッフェ車 普通車 グリーン車 普通車

1993年(平成5年)9月にF編成組み換え改造が完了したことに伴い消滅した。

F編成

ファイル:Shinkansen 200kei F17.jpg
F17編成
(1990年ごろ 大宮駅)
ファイル:Shinkansen200.jpg
F19編成
(2006年3月4日)

1983年(昭和58年)11月にデビュー。12両編成。240km/h走行対応。6 - 10次車グループの1000番台・1500番台で構成された。

6次車(1983/11 - 12・36両)
  • E37 - E39編成→F1 - F3編成

1000番台の最初のグループである6次車・E37 - E39編成は1983年(昭和58年)に36両製造され、年内にF1 - F3編成に改番された。

7次車(1984/6 - 11・132両)
  • F4 - F14編成
8次車(1984/11 - 1985/2・60両)
  • F15 - F19編成
9次車(1985/4・24両)
  • F20・F21編成

F4 - E21編成は上野延伸に伴う増発用として1984年(昭和59年)から1985年(昭和60年)までに216両製造された。7次車より先頭車(221・222形)の業務用室縮小により各車の定員が5名増加し、1500番台を名乗った。中間車は1000番台の続番とされた。

1000・1500番台 編成表(落成時)
  テンプレート:TrainDirection  
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 製造区分 製造年次 製造メーカー
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュッフェ車 普通車
E37
→F1
1001 1001 1001 1002 1401 1003 1001 1004 1001 1005 1002 1001 6次車 1983 近畿車輛
E38
→F2
1002 1006 1003 1007 1402 1008 1002 1009 1002 1010 1004 1002 川崎重工業
E39
→F3
1003 1011 1005 1012 1403 1013 1003 1014 1003 1015 1006 1003 日立製作所
F4 1501 1016 1007 1017 1404 1018 1004 1019 1004 1020 1008 1501 7次車 1984 日本車輌
F5 1502 1021 1009 1022 1405 1023 1005 1024 1005 1025 1010 1502 日立製作所
F6 1503 1026 1011 1027 1406 1028 1006 1029 1006 1030 1012 1503 川崎重工業
F7 1504 1031 1013 1032 1407 1033 1007 1034 1007 1035 1014 1504 東急車輛
F8 1505 1036 1015 1037 1408 1038 1008 1039 1008 1040 1016 1505 近畿車輛
F9 1506 1041 1017 1042 1409 1043 1009 1044 1009 1045 1018 1506 川崎重工業
F10 1507 1046 1019 1047 1410 1048 1010 1049 1010 1050 1020 1507 日本車輌
F11 1508 1051 1021 1052 1411 1053 1011 1054 1011 1055 1022 1508 日立製作所
F12 1509 1056 1023 1057 1412 1058 1012 1059 1012 1060 1024 1509 近畿車輛
F13 1510 1061 1025 1062 1413 1063 1013 1064 1013 1065 1026 1510 東急車輛
F14 1511 1066 1027 1067 1414 1068 1014 1069 1014 1070 1028 1511 川崎重工業
F15 1512 1071 1029 1072 1415 1073 1015 1074 1015 1075 1030 1512 8次車 日本車輌
F16 1513 1076 1031 1077 1416 1078 1016 1079 1016 1080 1032 1513 日立製作所
F17 1514 1081 1033 1082 1417 1083 1017 1084 1017 1085 1034 1514 川崎重工業
F18 1515 1086 1035 1087 1418 1088 1018 1089 1018 1090 1036 1515 1985 東急車輛
F19 1516 1091 1037 1092 1419 1093 1019 1094 1019 1095 1038 1516 近畿車輛
F20 1517 1096 1039 1097 1420 1098 1020 1099 1020 1100 1040 1517 9次車 日本車輌
F21 1518 1101 1041 1102 1421 1103 1021 1104 1021 1105 1042 1518 川崎重工業

また、同時にE編成7本(E30 - E36)に240km/h対応を施してF編成(F51・F52・F61 - F65)に繰り入れられた。F61 - F65編成は当初ATC改造のみだったため、高圧引き通し工事終了後にF53 - F57編成に改番された。このあともE編成からF編成への改造が進み、最終的にはF1 - F21・F30 - F43・F51 - F59編成が揃った。

10次車(1987/3・4両)
  • 221-2001・2002
  • 222-2001・2002

1987年(昭和62年)3月、100系と同じシャークノーズの2000番台先頭車(10次車)が川崎重工業で4両製造され、F52・F58編成に組み込まれた。翌1988年には中間車を改造したシャークノーズの200番台先頭車2両がF42編成に組み込まれた。これら3編成にはピンストライプが入る塗装となった。

F編成 編成表(1988年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュッフェ車 普通車
F42 225-43
→201
131 45 112 427 133 27 134 27 135 54 226-104
→201
F52 2002 151 61 152 431 153 31 154 31 155 62 2002
F58 2001 136 55 137 428 138 28 139 28 140 56 2001
  • 太字:新製車


「とき」用E編成の10両G編成化で生じた余剰車とF52編成からの先頭車両を組み込んでF66編成が組成された。F66編成のグリーン車とビュッフェ車は225形普通車からの改造車215-102・237-102が組み込まれた。後にF59編成となり、さらにF91編成に改造された。詳細はF90 - F93編成を参照。

200番台先頭車はさらに6両改造され2階建て車両を12両製作し、1991年(平成3年)3月改正に合わせF42・F43・F52・F55・F57・F58編成から16両編成のH1 - H6編成6本が組成された。これら6編成はピンストライプが入る塗装としている。

1991年5月9日 - 6月18日にかけて、7号車と11号車の入れ替えを実施。それ以後はグリーン車が11号車となった[7]テンプレート:-

ファイル:200-f tohoku.jpg
F5編成(小山駅)

1992年までにG・K編成組成で先頭車両捻出のため、中間車6両をシャークノーズの200番台先頭車に改造しF5・F8・F40編成に組み込む。これら3編成は標準塗装としている。

F編成 編成表(1992年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 ビュッフェ車 普通車 グリーン車 普通車
F5 225-26
→205
1021 1009 1022 1405 1023 1010 1024 1005 1025 1005 226-64
→205
F8 225-69
→207
1036 1015 1037 1408 1038 1016 1039 1008 1040 1008 226-1019
→207
F40 225-1011
→206
121 49 122 425 123 50 124 25 125 25 226-1017
→206

F編成は主に東京駅 - 盛岡駅間の「やまびこ」で使われていたが、H編成とともに2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正で定期運用を終了。その後臨時列車などに充当されることがあり、上越区間の「Maxとき・たにがわ」(E1系使用列車)の代走運用に入った事例もあった。

2007年(平成19年)まで新潟新幹線車両センターDS-ATCを搭載するF19編成が残存していたが、同年3月25日燕三条駅で開催された「さよなら200系F19編成展示会」を最後に運用を離脱し、5月9日に新幹線総合車両センターへ廃車回送され、5月11日に廃車[8]、F編成は消滅した。

F80編成
ファイル:200 F80 Asama Ueda 19980218.jpg
第二千曲川橋梁をわたるF80編成(1998年2月18日)

12両編成、ラウンドノーズの前面形状。240km/h走行対応。F17編成を改造して付番されたものである。車両番号に変化はない。

1998年(平成10年)2月長野オリンピックの臨時輸送用に、長野新幹線乗り入れのための発電ブレーキ容量増大・電源周波数50Hz/60Hz切り替え装置を搭載した。また、市販の時刻表においては「200系車両で運転」の注釈があった。電源周波数切り替え装置は臨時輸送終了後の同年11月までに撤去されている。

2004年(平成16年)6月18日付けで廃車となり、本系列による長野新幹線乗り入れ可能車両は消滅した。

F80編成 編成表(1998年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 ビュッフェ車 普通車 グリーン車 普通車
車両番号 17 81 33 82 417 83 34 84 17 85 17 18
臨時あさま時刻表
下り列車 東京 上野 大宮 高崎 軽井沢 長野 運転日
あさま603号 7時34分 7時40分 8時00分 8時25分 8時44分 9時11分 2月7 - 22日
あさま609号 13時20分 13時26分 13時47分 14時14分 14時33分 15時00分 2月7 - 22日
あさま613号 19時44分 19時50分 20時11分 20時40分 20時59分 21時25分 2月7, 9, 10,
12 - 14, 16 - 21日
上り列車 長野 軽井沢 高崎 大宮 上野 東京 運転日
あさま602号 11時19分 11時47分 12時05分 12時30分 12時50分 12時56分 2月7 - 22日
あさま608号 16時24分 16時52分 17時10分 17時38分 17時58分 上野終着 2月7 - 22日
あさま616号 22時03分 22時30分 23時10分 23時30分 23時36分 2月7, 9, 10,
12 - 14, 16 - 21日
F90 - F93編成

12両編成、ラウンドノーズの前面形状。上越新幹線下り上毛高原駅 - 浦佐駅間で275km/h走行に対応するためにF54, F59, F14, F16編成を改造して付番されたものである。車両番号には変化はない。

具体的な改造内容は下記の通り。

  • ATCの240信号を275に読み替えるトランスポンダ搭載[9]
  • 72%弱め界磁回路の追加[9]
    • 概ね、210km/h以上の速度で弱め界磁制御が行われる[10]
  • 275km/hからの7ノッチフルブレーキによる抵抗器の温度上昇を防ぐため、ブレーキカム軸進段停止装置の追加[9]
  • ブレーキ距離確保のために、ブレーキパターンを変更[9]
  • 222形運転台の計器板をデジタル化、信号「240」の「245」読み替え[9]
    • 275km/h運転を実施するのは下り列車のみなので、その時の運転台となる222形のみ実施
  • 6, 8号車のパンタグラフを撤去し、通常時では4, 10号車のパンタグラフのみで対応[9]
  • パンタグラフ数の減少に伴い、集電容量向上のためにパンタグラフの導線を交換[9]
  • 騒音低減のためにパンタグラフと特高圧引き通し線部分にカバーを装着[9]
  • 騒音低減のため、運転台側窓を平滑化[9]
  • 台車車輪検査の厳格化
    • 車輪径は通常は910mmであり、磨耗などで850mmまで減少されると交換となるがF90番台編成は880mm以下での交換となった[11]
  • 発電ブレーキの容量増加[11]
  • 基礎ブレーキディスク圧力の向上[11]とブレーキディスクとライニングの材質の変更(鋳鉄 → 鍛鉄)[9]
  • 空転・滑走検知装置の出力調整の変更[9]

1997年(平成9年)3月22日500系が山陽新幹線で最高300km/hでの営業運転を開始するまで、日本の営業列車としては最高速の275km/hでの運転を行っていた。ATCの信号現示が200系F90番台編成の場合は「275」、300系の場合は「270」であることから1992年(平成4年)に営業運転を開始した300系より速かったと言われていた[12]。実際には、ATCの頭打ち速度は300系も275km/h[13]だったためATCの抑止速度で考えた場合最高速は同速ということになるが、営業速度で考えた場合にはこのF90番台編成が最速であった。なお、この275km/h運転時には越後湯沢駅に停車することができなかった。

275km/h運転は1999年(平成11年)12月4日まで続けられた[14]2002年(平成14年)にまず、F90, F92編成が廃車された。同年に東北新幹線開通20周年記念として「想い出のあおば号」がF93編成によって運行された。その後、残ったF91, F93編成も2004年(平成16年)に廃車となり、200系での275km/h走行編成は消滅した。

F90 - F93編成 編成表(1992年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 ビュッフェ車 普通車 グリーン車 普通車
F90 33 161 65 162 433 163 66 164 33 165 33 33
F91 31 127 47 117 423 113 51 142 225-53
→902
→102
132 225-57
→902
→102
31
F92 1511 1066 1027 1067 1414 1068 1028 1069 1014 1070 1014 1511
F93 1513 1076 1031 1077 1416 1078 1032 1079 1016 1080 1016 1513
F編成の推移
元編成 該当編成 その後の編成
E37 - E39 F1 - F3 K41 - K43
新造車 F4 - F9
新造車 F10 - F13 K44 - K47
新造車 F14→F92
新造車 F15 K48
新造車 F16→F93
新造車 F17→F80
新造車 F18 K49
新造車 F19
新造車 F20, F21 K50, K51
E1 - E3, E5, E6,
E11, E14 - E17,
E25
F30 - F40
E26 G26 F41
E27 G27 F42 H5
E29 G29 F43 H1
E30 F51
E31 F52 H3
E32 F61 F53
E33 F62 F54→F90
E34 F63 F55 H6
E35 F64 F56
E36 F65 F57 H2
E28 F58 H4
余剰車 F66 F59→F91
  • 一部編成には新造車・他編成からの組替車を含む。

G編成

ファイル:Shinkansen series 200 (early type) JPN.jpg
G47編成
(1990年ごろ 新潟駅)

上越新幹線の「とき」(当時は各駅停車タイプ)や東北新幹線の各駅停車タイプの「あおば」(1997年(平成9年)に消滅)の利用率の状況から、E編成の一部を10両編成に減車した編成、後に8両編成に短縮された。全車ラウンドノーズの前面形状。

国鉄分割民営化直後の1987年(昭和62年)4月から「とき」用に、E10・E20 - E24・E26・E27・E29編成の3・4号車が抜かれて(E23編成のみ5・6号車抜き取り)順次10両に短縮された(G10・G20 - G24・G26・G27・G29編成)。

同年に225形普通車4両からグリーン車2両とビュッフェ車2両に改造する工事が行われ、グリーン車の215-901, 902、ビュッフェ車の237-901, 902が落成した。年内に215-101, 102・237-101, 102に改番されF66編成(後のF59編成→F91編成)とG48編成に組み込まれた。

G編成(10両編成)「とき」 編成表(1987年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュッフェ車 普通車
G10 10 46 410 48 10 49 10 50 20 10
G20 20 96 420 98 20 99 20 100 40 20
G21 21 101 421 103 21 104 21 105 42 21
G22 22 106 422 108 22 109 22 110 44 22
G23 23 111 45 112 23 114 23 115 46 23
G24 24 116 424 118 24 119 24 120 48 24
G26 26 126 426 128 26 129 26 130 52 26
G27 27 131 427 133 27 134 27 135 54 27
G29 29 141 429 143 29 144 29 145 58 29

1988年(昭和63年)3月には、さらに2両を抜いて8両編成化が実施された。このとき捻出された中間車を用いてG26・G27・G29編成は再度12両編成化され、F41 - F43編成を名乗ったほか、余剰車を使用した2代目G27編成・G28編成が組成される。同時に、グリーン車の半室化工事とビュッフェ車の普通車化(含車販準備室・車椅子対応設備)工事が実施されている。この組替で新たにE9編成がG9編成になっている。G9・G10編成は後にG25編成・2代目G26編成に改番されている。

G編成(8両編成)「とき」 編成表(1988年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
215形
(Mhs)
226形
(M')
225形
(Mpk)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車

普通車
普通車
G20 20 96 420 98 20
→303
100 237-20
→473
20
G21 21 101 421 103 225-17
→202
105 18
→452
21
G22 22 106 422 108 22
→305
110 237-22
→475
22
G23 23 111 19 47 10
→301
115 237-10
→471
23
G24 24 116 424 118 24
→307
120 237-24
→477
24
G9
→G25
9 41 409 43 23
→306
45 237-21
→476
9
G10
→G26 II
10 46 410 48 21
→304
50 237-21
→474
10
G27 II 27 49 20 109 225-44
→201
99 40
→451
27
G28 28 107 39 97 19
→302
102 237-19
→472
28

1989年(平成元年)11月からは、「あおば」用としてG40 - G48編成の8両編成8本が組成された。E4・E7・E12・E13・E8・E18・E19編成から普通車ユニット4両を抜いてG40 - G43・G46 - G48編成が、余剰車を用いてG44・G45編成が組成された。なお、G48編成のグリーン車とビュッフェ車は225形普通車からの改造車215-101・237-101が組み込まれた。

G20番台(新潟新幹線第一運転所配置)は半室グリーン車ビュッフェなし、G40番台(仙台総合車両所配置)は全室グリーン車・ビュッフェあり(ただし非営業)という違いがあった。なお例外は全車普通車のG45編成(新潟配置)で、1992年にグリーン車が組み込まれた。

G編成(8両編成)「あおば」 編成表(1989年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(Mb)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車 ビュッフェ車 普通車
G40 4 16 404 18 4 20 4 4
G41 7 31 14 32 7 35 7 7
G42 12 56 412 58 12 60 12 12
G43 13 61 413 63 13 65 13 13
G44 29 34 23 57 9 19 9 29
G46 8 36 408 38 8 40 8 8
G47 18 86 418 88 18 90 18 18
G48 19 91 419 93 225-42
→901
→101
95 225-41
→901
→101
19
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mcon)
226形
(M')
225形
(Mpk)
222形
(M'c)
座席 普通車
G45 36 59 24 33 407
→101
17 13
→453
36
G45編成(8両編成)「あおば」 編成表(1992年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
225形
(Mpk)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
車両番号 36 59 24 33 29 17 13
→453
36

最高速度が210km/hのままで高圧引き通しの改造はなされず(パンタカバーは設置)、このグループから廃車が始まった。

1997年(平成9年)6月1日付けでG43編成のうち226-61と225-413の2両が廃車となった。これは200系の中で初めての廃車となった。 226-63のみ925形試験車「ドクターイエロー」の軌道検測車921-32に改造されたが、残りの5両は保留車となった上同年10月6日付廃車になった[15]1999年(平成11年)3月までに全廃されている[14]

H編成

ファイル:Shinkansen 200kei H5 13car.jpg
13両編成のH5編成
(1990年ごろ 大宮駅)

1990年代東北新幹線フラッグシップ車両として、「スーパーやまびこ」の通称で親しまれた東京駅 - 盛岡駅間の速達「やまびこ」を中心に使用された編成である。100系タイプのシャープな前面形状の先頭車両(H3, H4が2000番台、他は先頭車化改造の200番台)・100系に似た側面の緑のピンストライプ塗装・2階建て車両を2両組み込んだ16両の長編成が特徴で、F43・F57・F52・F58・F42・F55編成を元としたH1 - H6までの6編成が組成されていた。ただしMM'ユニットの構成上、2階建て車両が100系(8・9号車)とは異なり9・10号車となっている。245km/h走行対応。

2階建て車両(1990/6 - 7・6両)
  • 249-1 - 6

1990年(平成2年)6月23日、F編成の6, 7号車の間に2階建て車両(新製249形)1両を組み込んだ13両編成で営業運転を開始した。2階建て車両にはグリーン席普通個室が備えられていた。この時点ではH6編成の先頭車両がシャークノーズの200・2000番台ではないため、ラウンドノーズの先頭車両にピンストライプが入った珍しい編成となった。

249形は1990年6 - 7月に6両が東急車輛で製造された。

H編成(13両編成) 編成表(1990年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
249形
(Tsd)
215形
(Ms)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車
普通車
グリーン車 普通車 ビュッフェ車 普通車
H1 225-7
→202
141 48 119 429 143 1 29 144 29 145 58 226-42
→202
H2 225-8
→203
176 71 177 436 178 2 36 179 36 180 72 226-44
→203
H3 2002 151 61 152 431 153 3 31 154 31 155 62 2002
H4 2001 136 55 137 428 138 4 28 139 28 140 56 2001
H5 225-43
→201
131 45 112 427 133 5 27 134 27 135 54 226-104
→201
H6 34 166 67 167 434 168 6 34 169 34 170 68 34
  • 太字:新製車
2階建て車両(1990/12 - 1991/3・6両)
  • 248-1 - 6
ファイル:200 H6 Yamabiko 43 Tokyo 20020601.jpg
H6編成
(2002年6月1日 東京駅)

1991年(平成3年)3月8日、東北新幹線の東京開業を前に2階建て車両1両(新製248形)を9 - 10号車間に、普通車(225, 226形、E編成からの転用)2両を4 - 5号車間に挿入して16両編成となった。東北新幹線の歴史上では現在まで唯一の貫通16両編成であるが、当時最長12両編成対応だった上越新幹線に入線することはできなかった。2階建て車両248形にはグリーン席カフェテリアが備えられていた。

なお13両編成で10号車となっていた237形は、16両化で新たに挿入された248形内のカフェテリアと供食設備が重複することから同年6月以降から、車椅子対応設備を持つ225形200番台(H2編成のみ種車が225形1000番台であったことから210番台を名乗る。他の車両は237形が種車)に改造された。また同時に、H6編成の先頭車両もシャークノーズの221-204, 222-204に交換された。これで捻出されたラウンドノーズの先頭車はK30編成に組成された。

248形は1990年12月 - 1991年3月に6両が日本車輌で製造された。

H編成(16両編成) 編成表(1991年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
249形
(Tsd)
248形
(T'sbd)
215形
(Ms)
226形
(M')
225形
(Mpk)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車
普通車
グリーン車
普通車
グリーン車 普通車
H1 225-7
→202
141 48 119 15 37 429 143 1 1 29 144 237-36
→204
145 58 226-42
→202
H2 225-8
→203
176 71 177 16 39 436 178 2 2 36 179 1007
→211
180 72 226-44
→203
H3 2002 151 61 152 37 92 431 153 3 3 31 154 237-27
→203
155 62 2002
H4 2001 136 55 137 35 87 428 138 4 4 28 139 237-31
→205
140 56 2001
H5 225-43
→201
131 45 112 36 89 427 133 5 5 27 134 237-34
→202
135 54 226-104
→201
H6 225-25
→204
166 67 167 38 94 434 168 6 6 34 169 237-1004
→201
170 68 226-62
→204
  • 太字:新製車

グリーン車が過剰となっていたことやK編成の組成のため、11号車のグリーン車は2000年(平成12年)から普通車への入替が行われ、225形100番台(車掌室付き。H6編成のみ215形を種車としたため110番台。それ以外は225形400番台を改造)に置き換えられた。

H編成(16両編成) 編成表(1992年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
249形
(Tsd)
248形
(T'sbd)
225形
(Mcon)
226形
(M')
225形
(Mpk)
226形
(M')
225形
(M)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車
普通車
グリーン車
普通車
普通車
H1 225-7
→202
141 48 119 15 37 429 143 1 1 407
→101
144 237-36
→204
145 58 226-42
→202
H2 225-8
→203
176 71 177 16 39 436 178 2 2 1407
→104
179 1007
→211
180 72 226-44
→203
H3 2002 151 61 152 37 92 431 153 3 3 1404
→102
154 237-27
→203
155 62 2002
H4 2001 136 55 137 35 87 428 138 4 4 426
→105
139 237-31
→205
140 56 2001
H5 225-43
→201
131 45 112 36 89 427 133 5 5 430
→103
134 237-34
→202
135 54 226-104
→201
H6 225-25
→204
166 67 167 38 94 434 168 6 6 215-1004
→111
169 237-1004
→201
170 68 226-62
→204

2000年(平成12年)12月[16]から2003年(平成15年)11月30日まで、マッサージ店の「てもみん」を展開するグローバルスポーツ医学研究所との提携で普通個室を使用して「トレインマッサージ」を営業する列車も存在した[16]

秋田新幹線開業とE2系への世代交代に伴って運用の場を狭め、H1 - H3・H6の4編成は2004年(平成16年)5月までに廃車とされた。

間合い運用で「なすの」にも使用されていたが、この場合グリーン車は閉鎖、普通車は全車自由席となることがあった。

200番台、2000番台のトップナンバー車を先頭車としていたH4・H5編成 (221-2001・222-2001・221-201・222-201) は、F編成とともに2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正で定期運用から離脱した。その後、2階建て車両(248形と249形)を含む5, 6, 9, 10号車を廃し、1, 2, 3, 4, 7, 12, 15, 14, 13, 8, 11, 16号車の順に、全車普通席の平屋建て12両編成(上越新幹線乗り入れを想定)に組み替えられた後、2004年(平成16年)8月、市販の時刻表で「グリーン車なし 12両」と表記される多客期臨時列車で運用された。この2編成も前者が2005年(平成17年)5月28日付けで、後者も同年8月28日付でそれぞれ廃車された。

H編成(12両編成) 編成表(2004年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mpk)
226形
(M')
225形
(Mcon)
222形
(M'c)
座席 普通車
H4 2001 136 55 137 428 139 56 140 237-31
→205
138 426
→105
2001
H5 225-43
→201
131 45 112 427 134 54 135 237-34
→202
133 430
→103
226-104
→201

K編成

10両編成。2013年(平成25年)まで残存していた編成であり、すべての先頭車がラウンドノーズの前面形状。240km/h走行対応。400系およびE3系併結用連結器および自動解結装置搭載。秋田新幹線との連結運用は1999年(平成11年)12月4日まで、 山形新幹線についても2001年(平成13年)9月20日までK編成による連結運用が設定されていた。自動解結装置などは同年9月21日以降はK編成による連結運用が消滅したため使用されていなかった。

8両K編成

1992年(平成4年)に山形新幹線の400系併結用として8両編成のK編成が生まれた。F4, F6, F7, F9, F41, F51, F56編成とその他保留車からK1 - K11の11編成が組成された。

8号車の222形には併結用連結器および自動解結装置が搭載されている。非常用連結器カバーからスカート上部にかけて開閉部が設けられ、その左右に前方確認用のセンサーが設置されている。

組成当初は、K1, K4, K6, K8 - K10編成の7号車に237形ビュッフェ車を連結していたが、1992年9月から順次225形490番台に改造された。

K編成(8両編成) 編成表(1992年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
215形
(Ms)
226形
(M')
225形
(Mpk)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
K1 1501 146 60 149 30 150 237-30
→491
1501
K2 1502 147 59 1028 36 1027 435
→461
1502
K3 1503 1042 1017 172 28 173 1406
→463
1503
K4 1504 1026 1012 1029 1006 1030 237-1006
→493
1504
K5 1505 1043 1013 1032 31 1033 237-28
→482
1505
K6 1506 1031 1014 1034 1007 1035 237-1007
→492
1506
K7 25 1016 1008 1018 34 1020 237-29
→481
25
K8 26 171 70 174 35 175 237-35
→496
26
K9 30 126 52 129 26 130 237-26
→495
30
K10 34 1041 1018 1044 1009 1045 237-1009
→494
34
K11 35 148 46 114 27 128 1409
→462
35
10両編成化とF編成からの編入
ファイル:K24 Asahi 306 Nippori 20020802.jpg
K24編成
(2002年8月2日 日暮里駅付近)

秋田新幹線開業後の1998年(平成10年)11月にF編成のK編成化と既存K編成の10両化が行われた。

F1 - F3・F10 - F13・F15・F18・F20・F21編成から7, 8号車を抜き取り、3号車と5号車を入れ替えて10両に短縮した編成には新たにK41 - K51が付番された。なお、10両編成化される前の1996年(平成8年)から1998年(平成10年)にかけて対象編成の237形ビュッフェ車の客室化と222形先頭車両への400系およびE3系併結用連結器および自動解結装置が実施された。

K1 - K11編成は、5号車と7号車(グリーン車と普通車)を入れ替え、K41 - K51編成組成時に生じた余剰車を新5・6号車として4・5号車間に挿入し10両編成となった。その際、編成番号がK21 - K31に改番されている。

K編成(10両編成) 編成表(1998年)
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mpk)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
K21 1501 146 60 149 1036 1089 237-30
→491
150 30 1501
K22 1502 147 59 1028 1002 1004 435
→461
1027 36 1502
K23 1503 1042 1017 172 1006 1014 1406
→463
173 28 1503
K24 1504 1026 1012 1029 1026 1064 237-1006
→493
1030 1006 1504
K25 1505 1043 1013 1032 1004 1009 237-28
→482
1033 31 1505
K26 1506 1031 1014 1034 1030 1074 237-1007
→492
1035 1007 1506
K27 25 1016 1008 1018 1022 1054 237-29
→481
1020 34 25
K28 26 171 70 174 1040 1099 237-35
→496
175 35 26
K29 30 126 52 129 1042 1104 237-26
→495
130 26 30
K30 34 1041 1018 1044 1024 1059 237-1009
→494
1045 1009 34
K31 35 148 46 114 1020 1049 1409
→462
128 27 35
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mpk)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
K41 1001 1001 1401 1002 1001 1003 237-1001
→499
1005 1001 1001
K42 1002 1006 1402 1007 1003 1008 1002
→498
1010 1002 1002
K43 1003 1011 1403 1012 1005 1013 1003
→504
1015 1003 1003
K44 1507 1046 1410 1047 1019 1048 237-1010
→501
1050 1010 1507
K45 1508 1051 1411 1052 1021 1053 237-1011
→506
1055 1011 1508
K46 1509 1056 1412 1057 1023 1058 237-1012
→497
1060 1012 1509
K47 1510 1061 1413 1062 1025 1063 237-1013
→505
1065 1013 1510
K48 1512 1071 1415 1072 1029 1073 237-1015
→507
1075 1015 1512
K49 1515 1086 1418 1087 1035 1088 237-1018
→502
1090 1018 1515
K50 1517 1096 1420 1097 1039 1098 237-1020
→503
1100 1020 1517
K51 1518 1101 1421 1102 1041 1103 1021
→500
1105 1021 1518
リニューアル工事
ファイル:JR East Shinkansen 200(renewal).jpg
K51編成
(2008年7月5日 大宮駅)

1990年代後半に入ると多くの車両が耐用年数とされる15年を迎えていたが、経済情勢もあって全ての200系を短期間で置き換えるのは困難であった。そのため、1999年(平成11年)4月から2002年(平成14年)にかけて、E2系への置き換えと並行してK編成の一部(K21・K25・K26・K41 - K44・K46 - K49・K51編成)について10年程度の使用を考慮した延命工事を施工した。工事内容は下記の通り。

ファイル:とき 電光表示.jpg
行先表示器(リニューアル完了後)
  • 普通車座席をE4系と同等な回転可能なものに、グリーン車座席をE2系と同等なものに交換
    • 普通車座席が既に回転可能なものになっている場合、モケットの変更のみ実施
  • 天井パネル・照明グローブ・腰板・床敷物などの内装を大きく変更[17]
  • 客室妻部に情報案内装置を設置
  • 窓ガラスのグリーンガラス化と窓キセがロールカーテン内蔵のFRP製に変更
  • 便所が洋式・和式併設にされ、洗面所および便所手洗浄器をセンサー式に変更
  • 運転台周りのガラスを滑らかな曲面形状のものに変更
  • 骨組など力のかかる部分の補強
  • 台車枠および枠ばりをすべて新品に交換
  • 信頼性維持のためプリント基板など劣化した電子部品の交換
  • 車体塗装はE2系に良く似た「飛雲ホワイト」と「紫苑ブルー」のツートーンを基調に、境界部に「200系を表す」緑色の帯が入るカラーリングに変更
  • 行先表示板を発光ダイオード使用のものに変更

なお、この工事実施による車両番号の変更は行われていない。

2004年(平成16年)10月23日新潟県中越地震で脱線したK25編成(下記参照)は翌2005年(平成17年)3月25日付けで廃車された。同年10月19日、JR東日本では事故の教訓を残すため同編成の一部を福島県白河市総合研修センター内に移設して静態保存すると発表[18]。当初は先端部カバーが外された状態で新潟新幹線車両センターの車庫内に留置されていたが、2007年(平成19年)11月10日の新潟新幹線車両センター公開において、K25編成は編成順がばらばらになった状態で同センター内に露天で留置されていることが確認された。両先頭車のみ前面に養生シートがかかっているが、他の車両にはシートがない状態であった。2012年(平成24年)頃になって、1号車の221-1505を残して解体された。2013年(平成25年)現在、養生シートで包まれた状態で野外に留置されている。

K編成の中で最後まで原形であった(リニューアル工事がなされなかった)編成はK31編成である。リニューアルK編成のDS-ATC搭載工事が完了するまで予備編成として残っていた。2004年に発生した新潟県中越地震の発生による臨時運用に充当されたほか、上越新幹線での脱線事故で使用不能となったK25編成の代替として置き換えのE2系J69編成が落成するまでの間使用された。2006年1月11日に廃車となった[19]。K31編成10号車の222-35は埼玉県さいたま市大宮区鉄道博物館に展示されている。

ファイル:200 K47 Tanigawa 410 Omiya 20110106.jpg
復元塗装色K47編成
(2011年1月16日 大宮駅)

2007年(平成19年)5月9日に、K47編成がオリジナル塗装に復元されて出場した。折しも上述のF19編成の廃車回送と同じ日であり、厳密にはリバイバルではなくオリジナル塗装が消滅していないことになる。この編成を使用して、年6月23日に東北新幹線開業25周年記念列車「やまびこ」931号が大宮から盛岡まで、また、11月10日には上越新幹線で団体臨時列車の「あさひ」190号と臨時列車の「とき」25号が、さらに同月15日には同線の開業25周年記念として「とき」318号がそれぞれ運転された。通常時は基本的に他のK編成と共通運用に入り、定期列車に使用されている。

2012年(平成24年)1月16日付で廃車となったK21編成には1982年製5次車が組み込まれており[20]、リニューアルを受けつつ30年近く運用されていた。新幹線車両としては非常に長期にわたって使用されていたことになる[21]。この廃車をもって、東北・上越新幹線開業時の車両は全車廃車となった。

2011年4月29日より、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の復興支援スローガンである「がんばろう日本! がんばろう東北!」(10号車)「つなげよう日本」(1号車)のステッカーが貼られた[22]

記念列車

想い出のあおば号

東北新幹線大宮開業20周年を記念して、2002年6月23日に大宮 → 仙台で運行された。ただし、駅電光掲示板では、「団体201号」と表示されていた。

F93編成が充当され、12号車の先端部カバーには「新幹線開業 祝 20周年」のマーキングが施された。また、休止していたビュッフェが、この日に限り復活し、記念グッズなどが販売された。その他、車内放送でも開業当時のもの(民謡チャイムなど)が使用された。

「想い出のあおば号」に合わせて、「あおばリレー号」(上野:9時55分 → 大宮:10時20分、田町電車区所属「踊り子」用車両+新前橋電車区所属編成「EXPRESS 185」による185系14両編成)も運転された。

列車 大宮 小山 宇都宮 那須塩原 新白河 郡山 福島 白石蔵王 仙台
想い出のあおば号 11時02分 11時19分 11時32分 11時48分 12時00分 12時18分 12時34分 12時47分 13時03分
F93編成(12両編成) 編成表
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 ビュッフェ車 普通車 グリーン車 普通車
定員 50 80 95 80 70 80 95 80 28 80 52 55
車両番号 1513 1076 1031 1077 1416 1078 1032 1079 1016 1080 1016 1513
復活とき号

上越新幹線大宮開業20周年を記念して、2002年11月16,17日に大宮駅 - 新潟駅間1往復の「復活とき号」が運行された。充当された編成はF80編成である。駅電光掲示板では、「団体408号」「団体409号」と表示されていた。

「復活とき号」に合わせて、「快速ときリレー号」(上野:9時32分 → 大宮:9時58分(11月16日)/大宮:12時07分 → 上野:12時33分(11月17日)、共に185系「踊り子」+「EXPRESS 185」)も運転された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成
復活とき号 11月16日 大宮 (10:44) → 新潟 (12:46) 熊谷高崎上毛高原越後湯沢浦佐長岡燕三条 F80
11月17日 新潟 (9:52) → 大宮 (11:50) 燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢、上毛高原、高崎、熊谷 F80
F80編成(12両編成) 編成表
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
237形
(Mb)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 ビュッフェ車 普通車 グリーン車 普通車
定員 50 80 95 80 70 80 95 80 28 80 52 55
車両番号 1514 1081 1033 1082 1417 1083 1034 1084 1017 1085 1017 1514
東北新幹線大宮開業25周年記念号

テンプレート:Double image aside 東北新幹線大宮開業25周年を記念して、2007年6月23日に「やまびこ931号」が大宮駅 → 盛岡駅間で運行された。

K47編成が充当された。車体塗装が200系オリジナルのカラーリング(白地に緑帯)に戻され、両先頭車の先端部カバーには「新幹線開業 祝 25周年」のマーキングが施された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成
やまびこ931号 6月23日 大宮 (10:30) → 盛岡 (13:18) 小山宇都宮那須塩原新白河
郡山福島仙台一ノ関
K47
K47編成(10両編成) 編成表
  テンプレート:TrainDirection
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式 221形
(Mc)
226形
(M')
225形
(Mk)
226形
(M')
225形
(M)
226形
(M')
225形
(Mpk)
226形
(M')
215形
(Ms)
222形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
定員 50 80 70 80 95 80 58 80 52 55
車両番号 1510 1061 1413 1062 1025 1063 505 1065 1013 1510
上越新幹線大宮開業25周年記念号

上越新幹線大宮開業25周年を記念して、2007年11月10,15日に「あさひ190号」「とき25号」「とき318号」が記念列車として運行された。

「東北新幹線大宮開業25周年記念号」と同じく、かつての車体塗装が復元されたK47編成が充当された。列車番号の25は「25周年」から、「あさひ190号」は1982年11月15日開業時の上り1番列車名からとられた。

「とき318号」の新潟発車前に出発式が行われたほか、大宮,熊谷,高崎,上毛高原,越後湯沢,浦佐,長岡,燕三条,新潟の各駅で記念入場券が販売された。また、これにあわせて同年11月10日に新潟新幹線車両センターで新幹線ご利用感謝祭が実施された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成 備考
あさひ190号 11月10日 新潟 (6:11) → 上野 (8:14)   K47 団体列車
とき25号 11月10日 大宮 (10:00) → 新潟 (12:07) 熊谷本庄早稲田高崎上毛高原
越後湯沢浦佐長岡燕三条
K47  
とき318号 11月15日 新潟 (9:36) → 東京 (11:04) 燕三条、長岡、越後湯沢、大宮、上野 K47 定期列車
東北新幹線大宮開業30周年記念号
ファイル:The departure ceremony of Tohoku shinkansen 30th anniversary train.jpg
東北新幹線大宮開業30周年記念号 2012年6月23日 大宮駅にて

東北新幹線大宮開業30周年を記念して、2012年6月23日に「やまびこ235号」が大宮駅 → 盛岡駅間で運行された。

25周年記念と同様、リバイバルカラーのK47編成が充当された。側面に貼付されていた復興推進キャンペーンのステッカーを剥し、「30th Anniversary」の車体側面装飾と「新幹線YEAR2012」のステッカー(1・10号車、いずれもE5系のイラスト)、先端部カバーのマーキングが施された。

「やまびこ235号」の大宮発車前に出発式典が行われたほか、車内チャイムは「ふるさとチャイム」が使用された。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成
やまびこ235号 6月23日 大宮 (9:09) → 盛岡 (12:02) 小山宇都宮那須塩原
郡山福島仙台古川一ノ関北上
K47

テンプレート:-

上越新幹線大宮開業30周年記念号

上越新幹線大宮開業30周年を記念して、2012年11月17日に「とき395号」が大宮駅 → 新潟駅間で運行された。

25周年記念と同様、リバイバルカラーのK47編成が充当された。先端部カバーには公募によって選ばれた「トキとシラコバト」のマーキングが施工され、側面には「新幹線YEAR2012」(1号車はE5系、10号車はE4系のイラスト)のステッカーが貼付された。

なお、「東北新幹線大宮開業30周年記念号」とは異なり、1号車の復興推進キャンペーンのステッカーは貼付されたままだった。

列車名 運転日時 運転区間 停車駅 使用編成
とき395号 11月17日 大宮 (9:58) → 新潟 (11:49) 熊谷高崎上毛高原
越後湯沢浦佐長岡燕三条
K47

テンプレート:-

ラッピング

2003年(平成15年)7月から2004年(平成16年)4月にかけて、残存していた一部の編成についてディズニーの部分的なラッピングが施され、『ドリームキャンペーン号』として運行していた。

2008年(平成20年)7月19日からは、「ピカ乗りサマー2008」キャンペーンPRラッピングの一環としてK43編成にポケモンラッピングが施された。これに関しては他の系列にも波及し、JR東日本の公式ホームページで2日後までの運行情報が公開された。

2009年(平成21年)7月18日から、2008年同様「ピカ乗りサマー2009」キャンペーンPRラッピングの一環としてK26,K49編成にポケモンのラッピングが施されている。

脱線事故

ファイル:200 K25 Toki 325 derailed 20041106.JPG
脱線事故の現場
(2004年11月6日撮影)

テンプレート:See also 2004年(平成16年)10月23日午後5時56分ごろ (JST) に発生した新潟県中越地震により、東京新潟行きの「とき」325号(K25編成)が時速約200kmで走行中、長岡駅手前約5kmの滝谷トンネル先の地点で被災し、10両中8両が脱線した。日本の新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となった。

航空・鉄道事故調査委員会からは中間報告が出されたものの、直後に発生したJR福知山線脱線事故の調査が優先されるなどして長らく最終報告がまとめられず、事故から3年経った2007年(平成19年)11月30日、調査委員会から最終報告書が発表された。当初は瞬間的に車体が浮き上がったものとされていたが、報告書では地震の揺れによって四股を踏んだような状態になり脱線に至ったものと結論付けられた。  (その後、200系K25編成の代替車両として、廃車予定だったリニューアル改造未施工車「K31」編成が2005年まで運用が継続された。そして2006年初頭に「K31編成が」廃車、その後代替車輛としてE2系新幹線(J69)編成が製造された。現在K31編成は10号車のみ大宮市に位置する「鉄道博物館」に保存されている)

この経験が後年に生かされ、2011年3月11日発生の東日本大震災では東北新幹線仙台駅構内で試運転走行(約72k/hで走行)していたE2系(J69)編成の一部脱輪にまで被害を留める事となった。

引退に至る経過

本系列は1999年(平成11年)4月から2002年(平成14年)にかけて、2010年頃までの使用を想定したリニューアル工事を実施していたが、1982年の運用開始から既に30年が経過していた。また、リニューアル工事の完了から10年以上が経過し、老朽化が進んでいた。

2007年(平成19年)5月以降はリニューアル編成のみの運用となっていたが、2009年(平成21年)2月12日付けの産経新聞によると、E5系の増備により、本系列は順次廃車となり、E2系へ置き換える予定であると報じられていた[23]

K編成のリニューアル工事の施工により、他の新幹線よりも置き換え時期が10年以上伸びたことになる。

定期運用終了

ファイル:JRE E5 U2 200 K47.jpg
E5系との並び
(2012年10月21日)
新潟新幹線車両センターの一般公開

K25編成の事故廃車後、動きがなかったK編成であるが、2011年春から投入が開始されたE5系の増備進捗により運用を離脱する編成が出始めた。

まず、2011年11月19日のE5系3編成の投入により、200系の東北新幹線の大宮駅以北での定期営業運転は終了[24]。次いで2012年9月のダイヤ改正で一部がE4系に差し替えられた。さらに2013年1月26日から本系列充当列車の一部をE2系に置き換え[25]、残存した運用についても2013年3月16日実施のダイヤ改正で全てE2系に置き換え、これをもって定期営業運転を終了した[26]。この200系の撤退により、国鉄時代の新幹線車両、直流複巻電動機を使用した新幹線車両はすべて姿を消した。

上り定期運用最終列車は「とき342号」、下り定期運用最終列車は「とき347号」であった。

さよなら運転

200系の営業運転終了を記念し、2013年3月23日から4月14日にかけて、リバイバルカラーのK47編成を使用したさよなら運転が行われた。

「ありがとう200系」号(新白河駅→盛岡駅間往復)
2013年3月23日に東北新幹線・新白河駅→盛岡駅間往復で団体専用列車「ありがとう200系」号が運転された[27]
リバイバルカラーのK47編成が充当された。
列車名 運転日 運転区間(始発・終着時刻) 途中停車駅 使用
編成
備考
「ありがとう200系」号 3月23日 新白河(8:26)→ 盛岡(10:46) 郡山、福島、白石蔵王、
仙台、古川、くりこま高原
一ノ関、新花巻
K47 団体専用列車
盛岡(18:20) → 新白河(20:33)

テンプレート:-

さよなら200系やまびこ号
2013年3月30日に東北新幹線・盛岡駅→東京駅間で団体専用列車「さよなら200系やまびこ号」が運転された[28]
リバイバルカラーのK47編成が充当された。
盛岡発車前に出発式が行われたほか、車内では乗車記念品の配付が行われた。
当列車が東北新幹線仙台駅以北にて、200系最後の営業運転となった。
列車名 運転日 運転区間(始発・終着時刻) 途中停車駅 使用
編成
備考
さよなら200系やまびこ号 3月30日 盛岡(8:49)→ 東京(11:52) 新花巻、北上、水沢江刺
一ノ関、仙台、大宮、上野
K47 団体専用列車
仙台駅 - 盛岡駅間ラストラン

テンプレート:-

200系仙台宮城DC号
2013年4月6日に東北新幹線・上野駅→仙台駅間で団体専用列車「200系仙台宮城DC号」が運転された[29]
リバイバルカラーのK47編成が充当された。
列車名 運転日 運転区間(始発・終着時刻) 途中停車駅 使用
編成
備考
200系仙台宮城DC号 4月6日 上野(8:54)→ 仙台(10:45) 大宮、新白河 K47 団体専用列車

テンプレート:-

「ありがとう200系」号(仙台駅→上野駅間)
2013年4月13日に仙台駅→上野駅間で団体専用列車「ありがとう200系」号が運転された[30]
リバイバルカラーのK47編成が充当された。
当列車が東北新幹線大宮駅以北にて、200系最後の営業運転となった。
列車名 運転日 運転区間(始発・終着時刻) 途中停車駅 使用
編成
備考
「ありがとう200系」号 4月13日 仙台(7:17)→ 上野(9:28) 白石蔵王、福島、郡山、
新白河、大宮
K47 団体専用列車
大宮駅 - 仙台駅間ラストラン

テンプレート:-

「さよなら200系」号
2013年4月14日に新潟駅→東京駅、大宮駅→新潟駅間で団体専用列車「さよなら200系」号が運転された[31]
リバイバルカラーのK47編成が充当された。側面に貼付されていた復興推進キャンペーンのステッカーを剥がし、「Thank You 1982-2013 Series200」の惜別ラッピングが施工された。
下りの大宮発車前には出発式が行われ、花束贈呈やメッセージの披露が行われた。
当列車が上越新幹線区間および200系での最後の営業運転となった。
K47編成はこの直後の同年4月25日付で廃車された[32]
列車名 運転日 運転区間(始発・終着時刻) 途中停車駅 使用
編成
備考
「さよなら200系」号 4月14日 新潟(7:24)→ 東京(9:48) 燕三条、長岡、浦佐、
越後湯沢、上毛高原、高崎、
本庄早稲田、熊谷、大宮、上野
K47 団体専用列車
200系ラストラン
大宮(15:26) → 新潟(17:26)

テンプレート:-

この他、以下の臨時列車にも200系が使用された(ただし、K47編成の充当ではなかった)。

「春満喫TYO」号
2013年3月23日及び3月30日に新潟駅→上野駅間で団体専用列車「春満喫TYO」号が運転された[33]
両日ともK51編成の充当であった。
当列車がリニューアルカラーの200系で最後の営業運転となった。
このK51編成が最後まで残った200系で、同年6月3日付で廃車され、これをもって200系は廃系列となった。
列車名 運転日 運転区間(始発・終着時刻) 途中停車駅 使用
編成
備考
「春満喫TYO」号 3月23日・3月30日 新潟(7:31)→ 上野(9:30) 燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢、大宮 K51 団体専用列車

テンプレート:-

保存車両

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister テンプレート:-

外部リンク

テンプレート:日本の新幹線
  1. ただし、この方式は、機器のメンテナンス性は劣る難点があった。
  2. 鉄道車両における車体軽量化設計の実際 : 主として新幹線電車の車体について松田和夫、日本機械学會誌Vol.85, No.764(19820705)、pp. 716 - 721
  3. 200系では、電圧比1の巻線のブリッジをサイリスタによる位相制御とし、他の巻線のブリッジはオン・オフ制御によるバーニア制御の位相制御とすることにより、10分割ブリッジに相当する位相制御を実現している。
  4. テンプレート:Cite book
  5. 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 テンプレート:PDFlink富士時報 第55巻第6号(1982年)、富士電機
  6. ブラシは30万㎞まで交換不要、軸受構造は90万㎞まで点検不要。
  7. 7.0 7.1 テンプレート:Cite book
  8. テンプレート:Cite book
  9. 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 テンプレート:Cite book
  10. テンプレート:Cite book
  11. 11.0 11.1 11.2 テンプレート:Cite book
  12. テンプレート:Cite book
  13. 東海道・山陽新幹線のATCは220信号以上での抑止速度は現示速度+5km/h(300のみ+3km/h)であるのに対し、東北・上越・長野新幹線では現示速度=抑止速度のため。
  14. 14.0 14.1 テンプレート:Cite book
  15. テンプレート:Cite book
  16. 16.0 16.1 列車マッサージ廃止 東北新幹線、車両取替で - 共同通信、2003年11月29日。
  17. 客室とデッキを仕切るドアも交換されたが、ドア装置は種車の空気圧式を流用している。
  18. テンプレート:PDFlink JR東日本プレスリリース 2005年10月19日付
  19. テンプレート:Cite book
  20. 2号車の226-146、3号車の225-60、4号車の226-149、7号車の237-30改造の225-491、8号車の226-150、9号車の215-30。いずれも元E30編成の5次車で製造日は1982年3月30日
  21. 新幹線車両は高速で運転されることから10年 - 20年程度で廃車となるケースが多く、本系列より後に登場した100系・300系・400系・E1系はすでに全車が引退している。
  22. このうちK47編成は、2012年6月23日の「東北新幹線大宮開業30周年記念号」(やまびこ235号)の運転の際にラッピングが施されたため、復興推進のステッカーが剥がされていた。その後、1号車の「つなげよう日本」のステッカーのみを貼付して定期運用を行っていた。
  23. 青森延伸で東北新幹線刷新 新型E5系に統一、2階建て「MAX」姿消す 産経新聞 2009年2月12日テンプレート:リンク切れ
  24. テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
  25. テンプレート:Cite news
  26. テンプレート:Cite news
  27. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道 仙台支社
  28. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道 盛岡支社
  29. びゅうトラベルサービス「ありがとう200系新幹線 特別企画」を発売 - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2013年2月21日
  30. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道 仙台支社
  31. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道 新潟支社
  32. 「JR電車編成表2014冬」ISBN 9784330424132 p.360。
  33. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道 新潟支社
  34. テンプレート:PDFlink - 北海道旅客鉄道
  35. ドキュメント 200系新幹線車両輸送 - 新潟市ホームページ