新幹線951形電車

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ファイル:951-1 Kokubunji Hikari Plaza 20060729.JPG
東京都国分寺市ひかりプラザ内に静態保存されている新幹線951形電車
ファイル:新幹線951形電車速度記録プレート.jpg
東京都国分寺市ひかりプラザ内にある新幹線資料館内部に展示されている、286km/h達成を記念するプレート

新幹線951形電車(しんかんせん951がたでんしゃ)とは、1972年3月の山陽新幹線岡山駅までの開業に伴い、日本国有鉄道(国鉄)が当時の営業運転での最高速度210km/hを超える250km/h運転の新型車両を開発するために、1969年3月に製作された2両編成の試験車両である。

形式

以下の1形式2両よりなる。

  • 951形951-1
新大阪向き制御電動車。川崎車輛製。
  • 951形951-2
東京向き制御電動車。日本車輌製造製。

車体

寸法は概ね既存の0系のそれを踏襲し、全長25m、全幅3,386mm、全高4,490mmである。

軽量化のために新幹線では初のアルミ合金製構体とし、車体剛性を確保するためにボディーマウント構造を採用、流線形の先頭部は空気抵抗軽減のために0系の約4.5mから約6.5mへ2m延伸された。また気密構造が採用され、山陽新幹線では六甲トンネルをはじめ長大トンネルが多数建設される計画であったことから、トンネル突入時などの気圧変動対策として新開発の連続換気装置を搭載[1]、0系では屋根に搭載されていた冷房装置は、ヒートポンプ式のAU91・AU92を床下にいずれか2基ずつ搭載として低重心化を図っている。

側窓は2席分を1枚とした広窓構成で、951-1では窓中央内側に細いピラーを立てて電動ベネシアンブラインドのガイドレールとしている。これに対し、951-2では電動横引きカーテンが採用されたため、センターピラーがない。

座席は0系同様の2列+3列構成の転換クロスシートで、試験車であることから一部を座席無しとして計測機器搭載スペースなどに充てている。

主要機器

0系後継系列の開発を念頭に置いて、設計時点での最新技術が投入されている。

主制御器

先行して在来線向けに設計されていたED77形711系といった交流電気機関車・交流電車での技術開発成果を生かし、新幹線としては初採用のサイリスタによる連続位相制御方式を採用する。これにより、力行・発電ブレーキの双方で連続的な制御が可能となり、従来のマスコンの段数指定による力行指令とブレーキ弁による制動指令の組み合わせに代えて、マスコンの速度指定による定速制御方式が採用された。

主電動機

主電動機は0系のMT200(端子電圧400V時連続定格出力185kW)と比較して大幅に出力アップしたMT916・MT917(端子電圧650V時連続定格出力250kW)が搭載された。駆動装置は0系同様、WNドライブを採用する。

台車

当初、車輪直径を0系用DT200の910mmから1,000mmに拡大し、後述するECBの支持高さを一定に保つ必要があったことなどから軸箱支持方式をIS式に代えて軸箱梁式としたDT9010・DT9011が試作されたが、これらはばね下質量が過大で1970年に実施された速度試験の際に通過後の軌道でPS枕木が割損するという事態が発生した。

このため、輪軸を中空軸構造としてばね下重量の軽減を図ったDT9012が試作され、1971年以降は台車をこれに振り替えている。

ブレーキ

951-1にブレーキ専用のチョッパ制御器と抵抗器を搭載、発電ブレーキが高速域から低速域まで安定的に作用するように設計されたほか、台車の各車軸間を結ぶ軸箱梁にECB(渦電流ブレーキ)を搭載、発電ブレーキで発生した電力を利用し、これを直下の軌条に作用させることで高速域でより強力な制動力が得られるようにした。もっとも、このレールブレーキとしてのECBにはさまざまな問題があり、後述の速度記録達成時にはこれを撤去してばね間質量を軽減した状態で試験が実施されている。

摩擦ブレーキとしては、指令と作用に空気圧ではなく油圧を使用する、電磁油圧ブレーキが採用されている。

パンタグラフ

山陽新幹線でのき電方式変更と、これによるパンタグラフ間隔の50mから100mへの拡大を睨んで、各車の連結面よりに1基ずつ下枠交差式パンタグラフを搭載する。いずれも0系用PS200を軽量化したものである。2両ともに集電装置が搭載されているが、実際には951-2のものが常用され、951-1のものは試験・非常用とされた。

運用

1969年4月から東海道新幹線新大阪 - 米原間などで新技術の機器などの試験が行われた後、1970年2月からは速度向上試験を開始した。だが、220km/h運転を目指した走行試験中に前述の枕木割損事故が発生、試験は一旦中止された。

その後、1971年に入って対策を施されたDT9012形台車が完成、試験が再開され、1972年2月24日、開業前の山陽新幹線相生 - 姫路間の上り線で、当時の日本国内の鉄道車両最高速度記録286km/hを達成した。

その後は961形の登場や国鉄の労使問題のためあまり試験されることもなく、1980年4月11日付で廃車された。廃車後は東京都国分寺市鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)に引き取られ、951-2は車両試験台に載せられた上で各種試験に使用され、2008年1月16日に研究所の敷地内に於いて解体された。相方の951-1は1991年に国分寺市に寄贈され、鉄道総合技術研究所の正門向かいの市複合施設「ひかりプラザ」の敷地内(屋外)で“新幹線資料館”として一般公開されており、座席や運転席に座れる。

脚注

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参考文献

外部リンク

テンプレート:日本の新幹線
  1. 従来は地上子の信号検出によりトンネル直前で換気口を塞ぐことで対策としていたが、この方式では長大トンネル走行中の換気に問題があったため、新たに連続換気装置が開発されたものであった。なお、この装置は0系でも山陽新幹線岡山開業後に製作された14次車以降で標準採用となり、在来車の一部についても追加搭載が実施されている。