北近畿タンゴ鉄道宮福線

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宮福線(みやふくせん)は、京都府宮津市宮津駅から京都府福知山市福知山駅に至る北近畿タンゴ鉄道鉄道路線である。北近畿ビッグXネットワークの一角で「X」の右斜め上を担っている。路線の起点は宮津であるが[1]時刻表では福知山から宮津へ向かう列車を下り、奇数の列車番号としている。

概要

福知山駅 - 宮津駅間を短絡し、京都・大阪方面から日本三景天橋立を始めとする丹後半島への観光アクセス路線となっている。福知山駅 - 大江駅間は由良川に沿って進み、大江駅 - 宮津駅間は全長3,215 mの普甲トンネルを始めとするトンネルの連続で山を越える。

宮福線は全線が電化されているが、北近畿タンゴ鉄道は電車を所有していないことから、快速を含む普通列車気動車で運行されている。電車は西日本旅客鉄道(JR西日本)から乗り入れてくるのみである。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ): 30.4 km
  • 軌間: 1,067 mm
  • 駅数: 14駅(起終点駅含む)
  • 複線区間: なし(全線単線)
  • 電化区間: 全線(直流1500 V)
  • 閉塞方式: 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
  • 認可最高速度: 130 km/h
  • 最小曲線半径: 400 m
  • 最急勾配: 25 パーミル

運行形態

京都駅新大阪駅方面から特急列車が宮福線を経由して宮津線に直通運転されている。運行列車と使用車両は以下の通り。

普通列車・快速列車は、基本的に線内のみの運行(ほぼ毎時1本程度)で、ほぼすべての列車が福知山 - 宮津間を通しで運転しているが、観光型列車「丹後あおまつ号」が宮津線に直通して福知山 - 天橋立間および西舞鶴 → 福知山間に運行されているほか、平日と土曜日のみ夕方に福知山 - 大江山口内宮間の区間列車が1往復設定されている。車両はMF100形・MF200形(福知山運転支区所属)が使用されているが、宮津線に直通する列車はKTR700形・KTR800形西舞鶴運転区所属)も使用されている。また1往復はJR西日本福知山電車区所属の113系115系が使用されている。

使用車両

特急列車は「運行形態」を参照。自社車両はすべて気動車

現用車両

自社車両

JR西日本の車両

過去の使用車両

自社車両はすべて現用中。

JR西日本の車両

  • 電車
    • 183系 - 特急列車の回送を兼ねたもの。一部の車両のみ乗車可能で、グリーン車の設定はなかった。
  • 気動車

歴史

福知山と宮津を結ぶ鉄道計画は古くからあり、1887年(明治20年)には関西鉄道が由良を経る経路で測量するが、実現しなかった。1892年(明治25年)には宮津側で宮津商港鉄道期成同盟会という運動が起るが、これも実現しなかった。さらに1896年(明治29年)には丹後鉄道株式会社の計画が、1906年(明治39年)には宮津電気鉄道株式会社の計画が出たが、いずれも経済的な事情などにより断念した[2]

その後、国の手により宮津線の建設が進められ、これにより宮津にひとまず鉄道がつながった。これに合わせる形で、福知山から由良川沿いに鉄道を建設して国鉄線に連絡し、福知山と宮津を結ぼうとする計画が起き、北丹鉄道が設立された。1919年(大正8年)5月に免許を取得し、当初の宮津線の建設計画が舞鶴から真壁峠を越えて志高で由良川を渡河し、左岸沿いに河口へ下る計画であったことに合わせて、当時の丸八江村(現・舞鶴市)でこの宮津線へ接続する計画とされた。ところが志高での宮津線の架橋に対して、橋が水流の障害となって発生する洪水への懸念から上流の住民から反対運動を起こされ、宮津線は由良川の右岸を下って河口部で渡河する計画に変更されてしまった。このため、まず北丹鉄道は河守(現・大江駅付近)までを1923年(大正12年)9月に完成させ、さらに由良まで延伸して宮津線に接続する計画としたが、第一次世界大戦後の不況に直面するなどして資金難から延長工事は断念されてしまった。その後、宮津鉄道株式会社が大江山地を越えて河守 - 宮津間を結ぶ計画を立て、1924年(大正13年)に「開業の上は北丹鉄道と合併すべし」の条件付きで免許を取得したが、これも経済的な事情により断念となった[3]

第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)5月に宮津鉄道建設促進期成同盟会が結成され、北丹鉄道の国有化と残された宮津 - 河守間の建設を求める運動が開始された。この運動の結果、1953年(昭和28年)に鉄道敷設法別表79号の2に宮津 - 河守間が宮守線として追記され、予定線となった。その後調査線、建設線と昇格し、1964年(昭和39年)4月22日に工事実施計画の指示、1966年(昭和41年)3月25日に工事実施計画認可が行われ、日本鉄道建設公団(鉄道公団)により10月1日に着工となった。工事実施計画によれば、宮守線は全長17.6 kmで、宮津、喜多、辛皮、大江山口、丹後二股の5つの駅が予定され、建設費は32億5500万円と試算されていた[4]

1971年(昭和46年)9月には、線内最長の普甲トンネルが貫通するなど順調に工事が進められた。ところが、宮守線が接続するはずであった北丹鉄道は、モータリゼーションの進展による乗客の減少に加え、沿線の河守鉱山の休山(1969年(昭和44年))に伴って貨物輸送量も減少し、1971年に営業休止、1974年(昭和49年)に廃止となってしまった。これでは宮守線は盲腸線となってしまい意味がなくなることから、福知山までの建設を求める運動が起こり、これによって1975年(昭和50年)7月の鉄道敷設法改正により「京都府宮津ヨリ河守ニ至ル鉄道」は「京都府宮津ヨリ福知山ニ至ル鉄道」に変更となった。1978年(昭和53年)12月には福知山までの区間が工事線となり、宮守線を改め宮福線の工事実施計画の策定作業が始められた[5]

しかし日本国有鉄道(国鉄)の経営悪化に伴い、特定地方交通線の廃止促進や新規地方交通線の建設凍結を定めた日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が成立し、1980年(昭和55年)12月27日施行されたことにより宮福線の建設工事は中断された。建設続行の基準は輸送密度が4,000 人/日以上とされていたが、宮福線の開業後の推定の輸送密度は2,300 人/日であった。工事凍結の時点で、用地取得率56 %、路盤工事進捗率55 %となっていた[6]

これに対して地元ではあくまで鉄道としての建設続行を考え、国鉄再建法の規定に基づき第三セクターでの引き受けを目指すことにした。このために1982年(昭和57年)9月22日に宮福鉄道株式会社が設立され、12月24日に宮福線の地方鉄道事業免許を取得し、1983年(昭和58年)2月28日に宮福線の工事が再開された。概算工事費は218億1200万円へ変更となった。こうして1988年(昭和63年)7月16日に宮福線が開業となった。その後、国鉄宮津線が特定地方交通線として廃止対象になったことから、地元ではこれを第三セクターに転換して存続させることにし、宮福鉄道を1989年(平成元年)8月1日に北近畿タンゴ鉄道株式会社に改称して、1990年(平成2年)4月1日に宮津線をJR西日本から引き継いだ[7]

宮福線の開業により、京都・大阪から宮津・天橋立へ向かう直通ルートができたことで北近畿の鉄道事情が大きく改善された。従来は、たとえば京都→天橋立の移動は、綾部駅と西舞鶴駅で二度のスイッチバックを伴うこととなり、時間的・心理的な遠さが存在していた。

当初は非電化で開業し、普通列車・快速列車が主体の運転で、特急列車の運転は極めて限られたものであった。その後、周辺のJR路線の電化が進展して特急列車の乗り入れを増加させるには電車を走らせられるようにする必要があること、高速道路網の整備を前に高速化する必要性があることなどから、電化・高速化の検討が始まった。鉄道整備基金の適用条件とするためには、最高速度を130 km/hにする必要があり、681系の性能を基に試算を行った。実際に投入されたのは485系(後に改造されて183系)となったことから、将来的な速度向上を実施との前提で鉄道整備基金の適用を受けており、実際の最高速度は120 km/hであるが認可最高速度は130 km/hとなっている。分岐器の交換と信号設備の改良による一線スルー化、曲線のカント向上と緩和曲線の延伸、電化などの工事が行われ、1996年(平成8年)3月16日に開業を迎えている。開業を前にした試運転では681系が使用され、予定通り130 km/hを達成できることが確認されている[8]

年表

  • 1953年(昭和28年):鉄道敷設法別表79号の2に宮守線宮津 - 河守間が予定線として記載される。
  • 1957年(昭和32年)4月:宮守線が調査線となる。
  • 1959年(昭和34年)11月:バス路線との比較を行ったうえとの条件付きで、宮守線が建設線となる。
  • 1964年(昭和39年)4月22日運輸大臣から鉄道公団に対して工事実施計画の指示。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月2日:北丹鉄道営業休止。
    • 9月:普甲トンネル貫通。
  • 1974年(昭和49年)2月28日:北丹鉄道廃止。
  • 1975年(昭和50年)7月:鉄道敷設法改正により、宮守線の計画が宮福線となる。
  • 1978年(昭和53年)12月:河守 - 福知山間工事線となる。
  • 1980年(昭和55年)12月27日:国鉄再建法施行に伴い工事凍結。
  • 1982年(昭和57年)
    • 9月22日:宮福鉄道株式会社設立。
    • 10月2日:国鉄再建法14条に基づく告示。
    • 12月24日:宮福鉄道が宮福線の地方鉄道事業免許を取得。
  • 1983年(昭和58年)
    • 1月5日:宮福線工事施行認可申請。
    • 1月20日:宮福線工事施行認可。鉄道公団による工事を申請。
    • 2月8日:鉄道公団に対して工事実施計画の指示を行う。
    • 2月28日:宮福線工事再開。
  • 1988年(昭和63年)7月16日:福知山 - 宮津間が開業。臨時急行「みやづ」が運転開始。
  • 1989年(平成元年)8月1日:宮福鉄道株式会社を北近畿タンゴ鉄道株式会社に改称。
  • 1993年(平成5年)
    • 4月16日:宮津 - 天橋立間鉄道電化・高速化事業の基本計画および鉄道施設変更認可申請。
    • 5月13日:福知山 - 宮津間鉄道電化・高速化事業 事業基本計画変更が認可。
    • 5月14日:福知山 - 宮津間鉄道電化・高速化事業 鉄道施設変更が認可。
    • 6月10日:福知山 - 宮津間鉄道電化・高速化事業 工事実地計画の指示、および鉄道整備基金事業が認定。
    • 7月21日:福知山 - 宮津間鉄道電化・高速化事業 起工式。
  • 1996年(平成8年)3月16日:福知山駅 - 宮津駅間が電化開業。急行「みやづ」が廃止され新大阪駅発着の特急「文殊」「タンゴディスカバリー」、京都駅発着の特急「はしだて」が運転開始。
  • 1999年(平成11年)10月2日:特急「タンゴディスカバリー」を「タンゴエクスプローラー」に改称・車種変更。
  • 2008年(平成20年)3月15日:自社車両による快速に「大江山号」の愛称を制定。
  • 2009年(平成21年)3月14日:観光型快速列車「大江山タンゴ悠遊号」が運転開始。
  • 2010年(平成22年)3月13日:「大江山タンゴ悠遊号」に代わり各駅停車の「大江山悠遊号」が運転開始。
  • 2011年(平成22年)3月12日:ダイヤ改正によりJRとの直通運転が縮小され、特急「文殊」「タンゴディスカバリー」が廃止[9]。快速を「大江山号」と、新設の観光型快速列車「大江山浪漫号」とする。特急「たんごリレー」が運転開始。
  • 2013年(平成25年)4月14日:「丹後あかまつ」「丹後あおまつ」運行開始[10]

駅一覧・接続路線

全駅京都府に所在。

凡例
●:全列車停車、▲:一部の列車が停車、|:全列車通過。
普通列車:各駅に停車するため省略。
線路…∧・◇:列車交換可能 |:列車交換不可能
駅名 駅間キロ 営業キロ 快速 特急 接続路線 線路 所在地
宮津駅 - 0.0 北近畿タンゴ鉄道宮津線 宮津市
宮村駅 1.5 1.5  
喜多駅 1.6 3.1  
辛皮駅 6.0 9.1  
大江山口内宮駅 3.7 12.8   福知山市
二俣駅 2.2 15.0  
大江高校前駅 2.0 17.0  
大江駅 0.9 17.9  
公庄駅 2.5 20.4  
下天津駅 2.4 22.8  
牧駅 2.5 25.3  
荒河かしの木台駅 2.2 27.5  
厚中問屋駅 1.4 28.9  
福知山駅 1.5 30.4 西日本旅客鉄道山陰本線福知山線

宮福線内の有人駅は福知山駅・大江駅・宮津駅の3駅(うち福知山駅と宮津駅が直営で、大江駅は民間への委託)で、それ以外の11駅はすべて無人駅である。

脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク

  • 国土交通省監修「鉄道要覧
  • 『三セク新線高速化の軌跡』pp.76 - 77
  • 『三セク新線高速化の軌跡』pp.78 - 79
  • 『三セク新線高速化の軌跡』pp.79 - 80
  • 『三セク新線高速化の軌跡』pp.80 - 81
  • 『三セク新線高速化の軌跡』p.81
  • 『三セク新線高速化の軌跡』pp.81 - 85
  • 『三セク新線高速化の軌跡』pp.86 - 110
  • テンプレート:PDFLinkインターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道福知山支社プレスリリース 2010年12月17日
  • 北近畿タンゴ鉄道観光型リニューアル列車 「丹後あかまつ号・丹後あおまつ号」の運行開始等について - 2012年3月22日、北近畿タンゴ鉄道