天皇の一覧
天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇およびその他の天皇の一覧である。
概要
歴代天皇は、初代・神武天皇から今上天皇まで、125代が挙げられる。この125代のうち、第37代・斉明天皇は第35代・皇極天皇の、第48代・称徳天皇は第46代・孝謙天皇の、それぞれ重祚(一度退位した天皇が再び位に就くこと、再祚)であるため、総数は123人となっている。
ただし、南北朝時代に、北朝(京都)で即位した天皇(光厳天皇、光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇、及び後円融天皇の5代、5人)は、この125代の天皇には数えられないものの、皇室祭祀等においては天皇と扱われる。このため、現在に至る天皇の総数は128人と数えられることもある。
なお、「天皇」(てんのう、すめらみこと、すめろき)という名称は、7世紀後半に在位した第40代・天武天皇の頃に、それまでの「大王」(おおきみ)に代わって用いられ始めたと考えられている。また冷泉天皇(在位967–969年)以後、光格天皇(在位1791–1817年)の時に諡号が復活するまで、安徳天皇を唯一の例外として、天皇号は生前も死後も正式には用いられなかった。例えば後水尾天皇や明正天皇は崩御後「後水尾院」「明正院」と呼ばれ、これらを一律に「後水尾天皇」「明正天皇」とすべて置き換えたのは明治維新後のことである[1]。
初期天皇の実在性
初代・神武天皇から十数代の初期天皇の実在性については、諸説ある。現代の考古学及び歴史学においては、初期天皇は典拠が神話等であり、その実在性が疑問視されている。
第15代・応神天皇以降を実在確実とする説
第二次世界大戦後、実在したことが確かであるとされた最古の天皇は、3世紀後半から4世紀初めにかけて在位したとされる第15代・応神天皇である。また、第10代・崇神天皇から第14代・仲哀天皇までは、実在説と非実在説があり[2]、初代・神武天皇から第9代・開化天皇までは、非実在説が有力であった。なお、第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までは、『日本書紀』に『旧辞』的記述(事績等に関する記述)がないため、欠史八代(闕史八代)と呼ばれる。
これらの見方によれば、初代・神武天皇、第10代・崇神天皇、第15代・応神天皇が特に研究対象として重視された[3]。
第26代・継体天皇以降を実在確実とする説
1970年代以降の歴史学界では、『古事記』や『日本書紀』における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。このため、6世紀前半に在位したとされる第26代・継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、第21代・雄略天皇を別として、実在の可能性が薄いという見解がある。この見解によれば、第22代・清寧天皇、第23代・顕宗天皇、第24代・仁賢天皇、第25代・武烈天皇も非実在だという。
雄略天皇に関しては埼玉県行田市の稲荷山古墳の副室から出土した金錯銘鉄剣の「獲加多支鹵大王」を雄略天皇の名である「大泊瀬幼武」と解しその証とする説がある。この説に則れば考古学的に実在が実証される最古の天皇である。
なお、『古事記』に事績が記されていない第24代・仁賢天皇から第33代・推古天皇までの天皇を指す「欠史十代」も参照のこと。
考古学と初期天皇の実在性
テンプレート:独自研究 天皇を中心とした政治勢力であるいわゆるヤマト王権(大和王朝、大和朝廷)の発祥地については、出雲(島根県)、吉備(岡山県)、あるいは九州など、諸説あるも不明である。しかし、このヤマト王権が、奈良盆地の東南部、現在の奈良県桜井市にある三輪山近くの大和(あるいは柳本)に本拠地を置いたとき、大きく発展したことは確からしいとされるテンプレート:誰2。この本拠地は、古代都市と言ってよい規模で、纏向遺跡(まきむくいせき)はその遺構と推定される。遺跡の調査結果から、この古代都市は3世紀前半に建設され始め、4世紀末には使われなくなったと考えられている。
その後の420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。この時代から、510年頃までに、6・7人の在位期間の短い王が次々と立ち、ヤマト王権は混乱した。そして、最終的に6世紀前半に継体天皇が立って王権は安定し、この時代に王権の力は強くなったと考えられる。
歴代天皇の確定
歴代天皇を確定するための基準が定まったのは、大正時代末期のことである。このとき示された基準によって、「歴代天皇は125代、123人。」という現在の歴代天皇の形が確定している。
歴代天皇の厳密な確定が要請されたのは、明治時代になってからである。明治時代には、天皇を中心とする中央集権国家体制の整備が進められ、1889年(明治22年)には、その根本規範として大日本帝国憲法が公布された。同憲法では、歴代の天皇を指す「皇祖・皇宗」が、天皇の地位の正当性(正統性)と、天皇が総攬する統治権の淵源として重視された(告文、憲法發布勅語、および上諭など)。このため、歴代天皇の在りようが論じられ、その確定が行われた。
歴代天皇の確定にあたっては、江戸時代に水戸藩で編纂された『大日本史』、およびその編纂過程で発展した水戸学、尊王論の考え方が大きな影響を与えた。これらの思想に基づいて在るべき歴代天皇の姿が論じられ、歴代天皇は確定された。なお、いくつかの観点から、それまでの歴代天皇(帝)から変更された部分もある。主な基準、観点、および変更された点は次の通り。
- 明治時代以前は、神功皇后を第15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外した。『大日本史』が採った立場に基づくものである。
- 初代・神武天皇から第62代・村上天皇までは、崩御後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼ばれていたが、第63代・冷泉天皇から第118代・後桃園天皇までは、「○○院」(例では、「冷泉院」)と呼ばれ、「○○天皇」とは呼ばれていなかった(ただし、安徳天皇と後醍醐天皇を除く)。この「天皇」号が復活するのは第119代・光格天皇のときからである。明治時代になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められ、以後、「○○院」という呼称は廃された[4]。
- 壬申の乱で敗れた大友皇子は、天皇として数えられていなかったが、『大日本史』が「大友天皇」として歴代に列した。明治に入って、即位が確認されたとされ、1870年(明治3年)に「弘文天皇」の諡号を追贈した。現在では非即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたい。
- 第47代「淡路廃帝」に対しては、1870年(明治3年)に「淳仁天皇」の諡号を追贈した。
- 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、1870年(明治3年)に「仲恭天皇」の諡号を追贈した。
- 1911年(明治44年)には明治天皇の裁定により、南朝の2代2人(後村上天皇、後亀山天皇)を正統な天皇と認め、従来の第96代・光厳天皇から第100代・後円融天皇までの5代5人を北朝として正統から外した。また、後小松天皇の在位期間を、1392年(明徳3年)の南北朝合一以後のみとした。これも、『大日本史』が採った立場に基づくものである。
- 1926年(大正15年)には大正天皇(実質は摂政の皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇))の裁定で、南朝の寛成親王を「長慶天皇」とした。この寛成親王については、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていたが、高野山に納められた願文に「太上天皇寛成」の宸筆署名があることなどの史料によってその即位が確認されたとされ、天皇としたものである。
歴代天皇の一覧
- 凡例
- この表は、大正時代に歴代天皇として確定され、現在広く知られている歴代天皇の一覧である。宮内庁のサイトに掲載される天皇一覧[6]と同一である。
- 天皇名については、宮内庁サイト内の表記[6]と同一である。丸括弧( )内の表記は、宮内庁サイト内の天皇陵紹介ページにおける表記[7]と同一であるが、JIS標準漢字(JIS X 0208)外の異体字が含まれているため、Unicode表のBMP(基本多言語面、0面)が表示できるブラウザ環境でなければ正しく表示されない。
- 天皇名の読みについては、宮内庁サイト内の表記[6]と同一である。丸括弧( )内の表記は歴史的仮名遣に基づいた表記である。
- 新暦が施行された1873年(明治6年)1月1日以前の日付については、各時代に用いられた旧暦の日付である(ただし6世紀以降の天皇については年を西暦に直してある。また、生年月日と没年月日は西暦、享年は数え年、明治天皇以降は満年齢とした)。
- 6世紀以前の天皇の生没年・在位期間については、武烈天皇以前は実態不明であるが、『日本書紀』の記述を掲載した(歴史学において史実とは考えられていないことに注意)。継体天皇から崇峻天皇までは『古事記』・『日本書紀』に記述される在位期間を機械的に西暦に置き換えた年代である(ただし日付は旧暦とした)。
- 在位の欄には、第50代・桓武天皇以前の天皇については即位の日付(天皇となった後、即位式が挙行された日)を示し、即位に先立って践祚した第51代・平城天皇以降の天皇については践祚の日付(天皇となった日)を示す。
代 | 天皇名 漢風諡号 ・追号 |
諡号・追号の読み | 画像 | 諡号・追号の別 諡号・追号の由来 |
在位期間 | 備考 | 生年月日 - 没年月日 享年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 神武天皇 (神武天皇) |
じんむ | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
神武天皇元年1月1日 - 同76年3月11日 (日本書紀による) |
神話上の人物と考えられている。 | 庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日 127歳没(日本書紀による) |
2 | 綏靖天皇 (綏靖天皇) |
すいぜい | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
綏靖天皇元年1月8日 - 同33年5月10日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 神武天皇29年 - 綏靖天皇33年5月10日 84歳没(日本書紀による) |
3 | 安寧天皇 | あんねい | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
綏靖天皇33年7月15日 - 安寧天皇38年12月6日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 綏靖天皇5年 - 安寧天皇38年12月6日 67歳没(日本書紀による) |
4 | 懿徳天皇 (懿德天皇) |
いとく | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
懿徳天皇元年2月4日 - 同34年9月8日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 綏靖天皇29年 - 懿徳天皇34年9月8日 77歳没(日本書紀による) |
5 | 孝昭天皇 | こうしょう (かうせう) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
孝昭天皇元年1月9日 - 同83年8月5日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 懿徳天皇5年 - 孝昭天皇83年8月5日 114歳没(日本書紀による) |
6 | 孝安天皇 | こうあん (かうあん) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
孝安天皇元年1月7日 - 同102年1月9日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 孝昭天皇49年 - 孝安天皇102年1月9日 137歳没(日本書紀による) |
7 | 孝霊天皇 (孝靈天皇) |
こうれい (かうれい) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
孝霊天皇元年1月12日 - 同76年2月8日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 孝安天皇51年 - 孝霊天皇76年2月8日 128歳没(日本書紀による) |
8 | 孝元天皇 | こうげん (かうげん) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
孝元天皇元年1月14日 - 同57年9月2日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 孝霊天皇18年 - 孝元天皇57年9月2日 116歳没(日本書紀による) |
9 | 開化天皇 | かいか (かいくゎ) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
孝元天皇57年11月12日 - 開化天皇60年4月9日 (日本書紀による) |
欠史八代の一。 | 孝元天皇7年 - 開化天皇60年4月9日 111歳没(日本書紀による) |
10 | 崇神天皇 (崇神天皇) |
すじん (すうじん) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日 (日本書紀による) |
最初の実在の可能性がある天皇。 | 開化天皇10年 - 崇神天皇68年12月5日 119歳没(日本書紀による) |
11 | 垂仁天皇 | すいにん | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
垂仁天皇元年1月2日 - 同99年7月14日 (日本書紀による) |
崇神天皇29年1月1日 - 垂仁天皇99年7月14日 139歳没(日本書紀による) | ||
12 | 景行天皇 | けいこう (けいかう) |
諡号 淡海三船による一括撰進 |
景行天皇元年7月11日 - 同60年11月7日 (日本書紀による) |
垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日 147歳没(日本書紀による) | ||
13 | 成務天皇 | せいむ | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
成務天皇元年1月5日 - 同60年6月11日 (日本書紀による) |
景行天皇14年 - 成務天皇60年6月11日 107歳没(日本書紀による) | ||
14 | 仲哀天皇 | ちゅうあい | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
仲哀天皇元年1月11日 - 同9年2月6日 (日本書紀による) |
成務天皇18年? - 仲哀天皇9年2月6日 53歳?没(日本書紀による) | |
摂政 | 神功皇后 (神功皇后) |
じんぐう | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
神功皇后元年10月2日 - 同69年4月17日 (日本書紀による) |
テンプレート:要出典範囲。それ以前までは第15代天皇として扱われていた。 | 成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日 100歳没(日本書紀による) |
15 | 応神天皇 (應神天皇) |
おうじん | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日 (日本書紀による) |
仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日 111歳没(日本書紀による) | |
16 | 仁徳天皇 (仁德天皇) |
にんとく | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日 (日本書紀による) |
神功皇后57年 - 仁徳天皇87年1月16日 143歳没(日本書紀による) | |
17 | 履中天皇 | りちゅう | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
履中天皇元年2月1日 - 同6年3月15日 (日本書紀による) |
仁徳天皇24年? - 履中天皇6年3月15日 70歳没(日本書紀による) | ||
18 | 反正天皇 | はんぜい | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
反正天皇元年1月2日 - 同5年1月23日 (日本書紀による) |
仁徳天皇24年? - 反正天皇5年1月23日 75歳?没(日本書紀による) | ||
19 | 允恭天皇 | いんぎょう | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
允恭天皇元年12月 - 同42年1月14日 (日本書紀による) |
仁徳天皇64年? - 允恭天皇42年1月14日 78歳没(日本書紀による) | ||
20 | 安康天皇 | あんこう (あんかう) |
諡号 淡海三船による一括撰進 |
允恭天皇42年12月14日 - 安康天皇3年8月9日 (日本書紀による) |
履中天皇2年? - 安康天皇3年8月9日 56歳没(日本書紀による) | ||
21 | 雄略天皇 | ゆうりゃく (いうりゃく) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
安康天皇3年11月13日 - 雄略天皇23年8月7日 (日本書紀による) |
埼玉県稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に雄略の実名と思しき名前が刻まれており、実在はほぼ確実視されている。 | 允恭天皇7年12月 - 雄略天皇23年8月7日 62歳没(日本書紀による) |
22 | 清寧天皇 (淸寧天皇) |
せいねい | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
清寧天皇元年1月15日 - 同5年1月16日 (日本書紀による) |
允恭天皇33年? - 清寧天皇5年1月16日 41歳?没(日本書紀による) | ||
23 | 顕宗天皇 (顯宗天皇) |
けんぞう | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
顕宗天皇元年1月1日 - 同3年4月25日 (日本書紀による) |
允恭天皇39年 - 顕宗天皇3年4月25日 38歳没(日本書紀による) | ||
24 | 仁賢天皇 | にんけん | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
仁賢天皇元年1月5日 - 同11年8月8日 (日本書紀による) |
允恭天皇38年 - 仁賢天皇11年8月8日 50歳没(日本書紀による) | ||
25 | 武烈天皇 | ぶれつ | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
仁賢天皇11年12月 - 武烈天皇8年12月8日 (日本書紀による) |
仁賢天皇2年 - 武烈天皇8年12月8日 18歳没(日本書紀による) | ||
26 | 継体天皇 (繼體天皇) |
けいたい | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
507年2月4日? - 531年2月7日? |
実在が確実な最初の天皇。継体天皇以後の系図はほぼ正確とされている。 | 450年? - 531年3月10日? 82歳?没(日本書紀による) |
27 | 安閑天皇 | あんかん | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
531年2月7日? - 535年12月17日? |
466年? - 536年1月25日? 70歳?没(日本書紀による) | ||
28 | 宣化天皇 | せんか (せんくゎ) |
諡号 淡海三船による一括撰進 |
535年12月? - 539年2月10日? |
467年? - 539年3月15日? 73歳?没(日本書紀による) | ||
29 | 欽明天皇 | きんめい | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
539年12月5日? - 571年4月15日? |
509年? - 571年5月24日? 63歳没(日本書紀による) | ||
30 | 敏達天皇 (敏達天皇) |
びだつ | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
572年4月3日? - 585年8月15日? |
538年? - 585年9月14日? 48歳?没(日本書紀による) | ||
31 | 用明天皇 | ようめい | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
585年9月5日? - 587年4月9日? |
540年? - 587年5月21日? 享年48歳?没(日本書紀による) | |
32 | 崇峻天皇 | すしゅん | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
587年8月2日? - 592年11月3日? |
553年? - 592年12月12日? 40歳?没(日本書紀による) | ||
33 | 推古天皇 | すいこ | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
592年12月8日 - 628年3月7日 |
初の女帝。推古天皇から在位の年月が正確になると考えられている。この天皇から日本は完全に歴史時代に入る。 | 554年? - 628年4月15日 75歳没 | |
34 | 舒明天皇 | じょめい | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
629年1月4日 - 641年10月9日 |
593年? - 641年11月17日 49歳?没 | ||
35 | 皇極天皇 | こうぎょく (くゎうぎょく) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
642年1月15日 - 645年6月14日 |
女帝。 | 594年 - 661年8月24日 68歳没 |
36 | 孝徳天皇 (孝德天皇) |
こうとく (かうとく) |
諡号 淡海三船による一括撰進 |
645年6月14日 - 654年10月10日 |
596年 - 654年11月24日 59歳没 | ||
37 | 斉明天皇 (齊明天皇) |
さいめい | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
655年1月3日 - 661年7月24日 |
皇極天皇重祚。女帝。 | 594年 - 661年8月24日 68歳没 |
38 | 天智天皇 | てんじ (てんぢ) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
668年1月3日 - 671年12月3日 |
中大兄皇子として有名。661年7月24日に称制したため、日本書紀においては天智天皇元年は皇極天皇崩御翌年の662年とされる。 | 626年 - 672年1月7日 46歳没 |
39 | 弘文天皇 | こうぶん | 諡号 明治3年追贈 |
671年12月5日 - 672年7月23日 |
明治3年に追号されて第39代天皇として認められたが、実際に即位したか否かには議論がある。 | 648年 - 672年8月21日 25歳没 | |
40 | 天武天皇 | てんむ | 70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
673年2月27日 - 686年9月9日 |
631年? - 686年10月1日 56歳?没 | |
41 | 持統天皇 | じとう (ぢとう) |
70px | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
690年1月1日 - 697年8月1日 |
女帝。686年9月9日に称制。 | 645年 - 703年1月13日 58歳没 |
42 | 文武天皇 | もんむ | 70px | 諡号 | 697年8月1日 - 707年6月15日 |
683年 - 707年7月18日 25歳没 | |
43 | 元明天皇 | げんめい | 諡号 淡海三船による一括撰進 |
707年7月17日 - 715年9月2日 |
女帝。 | 661年 - 721年12月29日 61歳没 | |
44 | 元正天皇 | げんしょう (げんしゃう) |
諡号 淡海三船による一括撰進 |
715年9月2日 - 724年2月4日 |
女帝。 | 680年 - 748年5月22日 69歳没 | |
45 | 聖武天皇 | しょうむ (しゃうむ) |
70px | (生前の尊称) | 724年2月4日 - 749年7月2日 |
701年 - 756年6月4日 56歳没 | |
46 | 孝謙天皇 | こうけん (かうけん) |
(生前の尊称) | 749年7月2日 - 758年8月1日 |
女帝。 | 718年 - 770年8月28日 53歳没 | |
47 | 淳仁天皇 | じゅんにん | 諡号 明治3年追贈 |
758年8月1日 - 764年10月9日 |
淡路廢帝を改む。 | 733年 - 765年11月10日 33歳没 | |
48 | 称徳天皇 (稱德天皇) |
しょうとく | (生前の尊称) | 764年10月9日 - 770年8月4日 |
孝謙天皇重祚。女帝。 | 718年 - 770年8月28日 53歳没 | |
49 | 光仁天皇 | こうにん (くゎうにん) |
諡号 | 770年10月1日 - 781年4月3日 |
継体天皇(第26代)以降では、歴代最高齢即位(62歳)。 | 709年11月18日 - 782年1月11日 73歳没 | |
50 | 桓武天皇 | かんむ (くゎんむ) |
70px | 諡号 | 781年4月3日 - 806年3月17日 |
異称、柏原天皇。 | 737年 - 806年4月9日 70歳没 |
51 | 平城天皇 | へいぜい | 追号 在所(地名) |
806年3月17日 - 809年4月1日 |
異称、奈良天皇。 | 774年9月25日 - 824年8月5日 51歳没 | |
52 | 嵯峨天皇 | さが | 70px | 追号 譲位後の在所 |
809年4月1日 - 823年4月16日 |
786年10月3日 - 842年8月24日 57歳没 | |
53 | 淳和天皇 | じゅんな (じゅんわ) |
追号 譲位後の在所 |
823年4月16日 - 833年2月28日 |
異称、西院の帝。 | 786年 - 840年6月11日 55歳没 | |
54 | 仁明天皇 | にんみょう (にんみゃう) |
諡号 | 833年2月28日 - 850年3月19日 |
異称、深草天皇。 | 810年 - 850年5月6日 41歳没 | |
55 | 文徳天皇 (文德天皇) |
もんとく | 70px | 諡号 | 850年3月19日 - 858年8月27日 |
異称、田邑の帝。 | 827年 - 858年10月7日 32歳没 |
56 | 清和天皇 (淸和天皇) |
せいわ | 70px | 追号 譲位後の在所 |
858年11月7日 - 876年11月29日 |
異称、水尾天皇。 | 850年5月10日 - 881年1月7日 31歳没 |
57 | 陽成天皇 | ようぜい (やうぜい) |
70px | 追号 譲位後の在所 |
876年11月29日 - 884年2月4日 |
869年1月2日 - 949年10月23日 82歳没 | |
58 | 光孝天皇 | こうこう (くゎうかう) |
70px | 諡号 | 884年2月5日 - 887年8月26日 |
異称、小松天皇。 | 830年 - 887年9月17日 58歳没 |
59 | 宇多天皇 | うだ | 70px | 追号 譲位後の在所 |
887年8月26日 - 897年7月3日 |
臣籍降下するも、後に皇族に復帰し即位。 | 867年6月10日 - 931年9月3日 65歳没 |
60 | 醍醐天皇 | だいご | 70px | 追号 山陵 |
897年7月3日 - 930年9月22日 |
出生時は臣籍、後に皇族に復帰し即位。 | 885年2月6日 - 930年10月23日 46歳没 |
61 | 朱雀天皇 | すざく | 70px | 追号 譲位後の在所 |
930年9月22日 - 946年4月20日 |
923年9月7日 - 952年9月6日 30歳没 | |
62 | 村上天皇 | むらかみ | 70px | 追号 山陵 |
946年4月20日 - 967年5月25日 |
926年7月14日 - 967年7月5日 42歳没 | |
63 | 冷泉天皇 | れいぜい | 追号 譲位後の在所 |
967年5月25日 - 969年8月13日 |
950年6月12日 - 1011年11月21日 62歳没 | ||
64 | 円融天皇 (圓融天皇) |
えんゆう (ゑんゆう) |
追号 在所(寺名・庵号) |
969年8月13日 - 984年8月27日 |
959年4月12日 - 991年3月1日 33歳没 | ||
65 | 花山天皇 | かざん (くゎざん) |
70px | 追号 在所(寺名・庵号) |
984年8月27日 - 986年6月23日 |
968年11月29日 - 1008年3月17日 41歳没 | |
66 | 一条天皇 (一條天皇) |
いちじょう (いちでう) |
70px | 追号 在位中の皇居の宮名 |
986年6月23日 - 1011年6月13日 |
980年7月15日 - 1011年7月25日 32歳没 | |
67 | 三条天皇 (三條天皇) |
さんじょう (さんでう) |
70px | 追号 譲位後の在所 |
1011年6月13日 - 1016年1月29日 |
976年2月5日 - 1017年6月5日 42歳没 | |
68 | 後一条天皇 (後一條天皇) |
ごいちじょう (ごいちでう) |
追号 加後号 |
1016年1月29日 - 1036年4月17日 |
1008年10月12日 - 1036年5月15日 29歳没 | ||
69 | 後朱雀天皇 | ごすざく | 追号 加後号 |
1036年4月17日 - 1045年1月16日 |
1009年12月14日 - 1045年2月7日 37歳没 | ||
70 | 後冷泉天皇 | ごれいぜい | 追号 加後号 |
1045年1月16日 - 1068年4月19日 |
1025年8月28日 - 1068年5月22日 44歳没 | ||
71 | 後三条天皇 (後三條天皇) |
ごさんじょう (ごさんでう) |
70px | 追号 加後号 |
1068年4月19日 - 1072年12月8日 |
1034年9月3日 - 1073年6月15日 40歳没 | |
72 | 白河天皇 | しらかわ (しらかは) |
追号(遺諡) 譲位後の在所 |
1072年12月8日 - 1086年11月26日 |
1053年7月7日 - 1129年7月24日 77歳没 | ||
73 | 堀河天皇 | ほりかわ (ほりかは) |
追号 在位中の皇居の宮名 |
1086年11月26日 - 1107年7月19日 |
1079年8月8日 - 1107年8月9日 29歳没 | ||
74 | 鳥羽天皇 (鳥羽天皇) |
とば | 70px | 追号 譲位後の在所 |
1107年7月19日 - 1123年1月28日 |
1103年2月24日 - 1156年7月20日 54歳没 | |
75 | 崇徳天皇 (崇德天皇) |
すとく | 70px | 諡号 | 1123年1月28日 - 1141年12月7日 |
讃岐院を改む。 | 1119年7月7日 - 1164年9月14日 46歳没 |
76 | 近衛天皇 (近衞天皇) |
このえ (このゑ) |
追号 在位中の皇居の宮名 |
1141年12月7日 - 1155年7月23日 |
1139年6月16日 - 1155年8月22日 17歳没 | ||
77 | 後白河天皇 | ごしらかわ (ごしらかは) |
70px | 追号 加後号 |
1155年7月24日 - 1158年8月11日 |
1127年10月18日 - 1192年4月26日 66歳没 | |
78 | 二条天皇 (二條天皇) |
にじょう (にでう) |
70px | 追号 在位中の皇居の宮名 |
1158年8月11日 - 1165年6月25日 |
1143年7月31日 - 1165年9月5日 23歳没 | |
79 | 六条天皇 (六條天皇) |
ろくじょう (ろくでう) |
追号 譲位後の在所 |
1165年6月25日 - 1168年2月19日 |
歴代最年少即位(生後7か月)。歴代最年少譲位、歴代最年少上皇(2歳)。 | 1164年12月28日 - 1176年8月23日 13歳没 | |
80 | 高倉天皇 | たかくら | 70px | 追号 譲位後の在所 |
1168年2月19日 - 1180年2月21日 |
1161年9月23日 - 1181年2月6日 21歳没 | |
81 | 安徳天皇 (安德天皇) |
あんとく | 70px | 諡号 | 1180年2月21日 - 1185年3月24日 |
後鳥羽天皇と在位一部重複。歴代最年少崩御(8歳)。 | 1178年12月22日 - 1185年4月25日 8歳没 |
82 | 後鳥羽天皇 (後鳥羽天皇) |
ごとば | 70px | 追号 加後号 |
1183年8月20日 - 1198年1月11日 |
隠岐院、さらに顕德院を改む。安德天皇と在位一部重複。 | 1180年8月6日 - 1239年3月28日 60歳没 |
83 | 土御門天皇 | つちみかど | 70px | 追号 譲位後の在所 |
1198年1月11日 - 1210年11月25日 |
異称、土佐院、阿波院。 | 1196年1月3日 - 1231年11月6日 36歳没 |
84 | 順徳天皇 (順德天皇) |
じゅんとく | 70px | 諡号 | 1210年11月25日 - 1221年4月20日 |
佐渡院を改む。 | 1197年10月22日 - 1242年10月7日 46歳没 |
85 | 仲恭天皇 | ちゅうきょう | 諡号 明治3年追贈 |
1221年4月20日 - 1221年7月9日 |
九條廢帝、後廢帝を改む。在位期間最短(78日間)。 | 1218年10月30日 - 1234年6月18日 17歳没 | |
86 | 後堀河天皇 | ごほりかわ (ごほりかは) |
70px | 追号 加後号 |
1221年7月9日 - 1232年10月4日 |
1212年3月22日 - 1234年8月31日 23歳没 | |
87 | 四条天皇 (四條天皇) |
しじょう (しでう) |
70px | 追号 在所(葬家の邸宅を在所に擬す) |
1232年10月4日 - 1242年1月9日 |
1231年3月17日 - 1242年2月10日 12歳没 | |
88 | 後嵯峨天皇 | ごさが | 70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1242年1月20日 - 1246年1月29日 |
1220年2月26日 - 1272年2月17日 53歳没 | |
89 | 後深草天皇 | ごふかくさ | 追号(遺諡) 加後号 |
1246年1月29日 - 1259年11月26日 |
1243年6月28日 - 1304年8月17日 62歳没 | ||
90 | 亀山天皇 (龜山天皇) |
かめやま | 70px | 追号(遺諡) 譲位後の在所 |
1259年11月26日 - 1274年1月26日 |
1249年7月9日 - 1305年10月4日 57歳没 | |
91 | 後宇多天皇 | ごうだ | 70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1274年1月26日 - 1287年10月21日 |
1267年12月17日 - 1324年7月16日 58歳没 | |
92 | 伏見天皇 | ふしみ | 70px | 追号 譲位後の在所 |
1287年10月21日 - 1298年7月22日 |
1265年5月10日 - 1317年10月8日 53歳没 | |
93 | 後伏見天皇 | ごふしみ | 70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1298年7月22日 - 1301年1月22日 |
1288年4月5日 - 1336年5月17日 49歳没 | |
94 | 後二条天皇 (後二條天皇) |
ごにじょう (ごにでう) |
70px | 追号 加後号 |
1301年1月22日 - 1308年8月25日 |
1285年3月9日 - 1308年9月10日 24歳没 | |
95 | 花園天皇 | はなぞの | 70px | 追号(遺諡) 譲位後の在所 |
1308年8月26日 - 1318年2月26日 |
1297年8月14日 - 1348年12月2日 52歳没 | |
96 | 後醍醐天皇 | ごだいご | 70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1318年2月26日 - 1339年8月15日 |
南朝初代天皇。 | 1288年11月26日 - 1339年9月19日 52歳没 |
97 | 後村上天皇 | ごむらかみ | 70px | 追号 加後号、明治44年追贈 |
1339年8月15日 - 1368年3月11日 |
南朝第2代天皇。 | 1328年 - 1368年3月29日 41歳没 |
98 | 長慶天皇 | ちょうけい (ちゃうけい) |
諡号 大正15年追贈 |
1368年3月11日 - 1383年10月 |
南朝第3代天皇。 | 1343年 - 1394年8月27日 52歳没 | |
99 | 後亀山天皇 (後龜山天皇) |
ごかめやま | 70px | 追号 加後号、明治44年追贈 |
1383年10月 - 1392年閏10月5日 |
南朝第4代天皇。 | 1350年? - 1424年5月10日 75歳?没 |
北朝1 | 光厳天皇 (光嚴天皇) |
こうごん (くゎうごん) |
70px | 追号(遺諡) 在所(寺名・庵号) |
1331年9月20日 - 1333年5月25日 |
1313年8月1日 - 1364年8月5日 52歳没 | |
北朝2 | 光明天皇 | こうみょう (くゎうみゃう) |
70px | 追号(遺諡) 在所(寺名・庵号) |
1336年8月15日 - 1348年10月27日 |
1322年1月11日 - 1380年7月26日 59歳没 | |
北朝3 | 崇光天皇 | すこう (すくゎう) |
追号(遺諡) | 1348年10月27日 - 1351年11月7日 |
1334年5月25日 - 1398年1月31日 65歳没 | ||
北朝4 | 後光厳天皇 (後光嚴天皇) |
ごこうごん (ごくゎうごん) |
70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1352年8月17日 - 1371年3月23日 |
1338年3月23日 - 1374年3月12日 37歳没 | |
北朝5 | 後円融天皇 (後圓融天皇) |
ごえんゆう (ごゑんゆう) |
70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1371年3月23日 - 1382年4月11日 |
1359年1月11日 - 1393年6月6日 35歳没 | |
北朝6 100 |
後小松天皇 | ごこまつ | 70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1382年4月11日 (1392年閏10月5日) - 1412年8月29日 |
1377年8月1日 - 1433年12月1日 57歳没 | |
101 | 称光天皇 (稱光天皇) |
しょうこう (しょうくゎう) |
追号 2つの漢風諡号を合わせて追号とした号 (稱德+光仁) |
1412年8月29日 - 1428年7月20日 |
1401年5月12日 - 1428年8月30日 28歳没 | ||
102 | 後花園天皇 | ごはなぞの | 70px | 追号 加後号 |
1428年7月28日 - 1464年7月19日 |
異称、後文德院。 | 1419年7月10日 - 1471年1月18日 53歳没 |
103 | 後土御門天皇 | ごつちみかど | 追号 加後号 |
1464年7月19日 - 1500年9月28日 |
1442年7月3日 - 1500年10月21日 59歳没 | ||
104 | 後柏原天皇 | ごかしわばら (ごかしはばら) |
追号 加後号 |
1500年10月25日 - 1526年4月7日 |
1464年11月19日 - 1526年5月18日 63歳没 | ||
105 | 後奈良天皇 | ごなら | 70px | 追号 加後号 |
1526年4月29日 - 1557年9月5日 |
1497年1月26日 - 1557年9月27日 61歳没 | |
106 | 正親町天皇 | おおぎまち (おほぎまち) |
70px | 追号 在所(二條殿)の面する町名 |
1557年10月27日 - 1586年11月7日 |
1517年6月18日 - 1593年2月6日 77歳没 | |
107 | 後陽成天皇 | ごようぜい (ごやうぜい) |
70px | 追号 加後号 |
1586年11月7日 - 1611年3月27日 |
1571年12月31日 - 1617年9月25日 47歳没 | |
108 | 後水尾天皇 | ごみずのお (ごみづのを) |
70px | 追号(遺諡) 加後号 |
1611年3月27日 - 1629年11月8日 |
1596年6月29日 - 1680年9月11日 85歳没 | |
109 | 明正天皇 | めいしょう (めいしゃう) |
追号 2つの漢風諡号を合わせて追号とした号 (元明+元正) |
1629年11月8日 - 1643年10月3日 |
女帝。 | 1624年1月9日 - 1696年12月4日 73歳没 | |
110 | 後光明天皇 | ごこうみょう (ごくゎうみゃう) |
70px | 追号 加後号 |
1643年10月3日 - 1654年9月20日 |
1633年4月20日 - 1654年10月30日 22歳没 | |
111 | 後西天皇 | ごさい | 70px | 追号 加後号 |
1654年11月28日 - 1663年1月26日 |
1638年1月1日 - 1685年3月26日 48歳没 | |
112 | 霊元天皇 (靈元天皇) |
れいげん | 70px | 追号(遺諡) 2つの漢風諡号を合わせて追号とした号 (孝靈+孝元) |
1663年1月26日 - 1687年3月21日 |
1654年7月9日 - 1732年9月24日 79歳没 | |
113 | 東山天皇 | ひがしやま | 70px | 追号 山陵 |
1687年3月21日 - 1709年6月21日 |
1675年10月21日 - 1710年1月16日 36歳没 | |
114 | 中御門天皇 | なかみかど | 追号 在所に近い宮門 |
1709年6月21日 - 1735年3月21日 |
1702年1月14日 - 1737年5月10日 36歳没 | ||
115 | 桜町天皇 (櫻町天皇) |
さくらまち | 70px | 追号 譲位後の在所 |
1735年3月21日 - 1747年5月2日 |
1720年2月8日 - 1750年5月28日 31歳没 | |
116 | 桃園天皇 | ももぞの | 70px | 追号 | 1747年5月2日 - 1762年7月12日 |
1741年4月14日 - 1762年8月31日 22歳没 | |
117 | 後桜町天皇 (後櫻町天皇) |
ごさくらまち | 追号 加後号 |
1762年7月27日 - 1770年11月24日 |
女帝。 | 1740年9月23日 - 1813年12月24日 74歳没 | |
118 | 後桃園天皇 | ごももぞの | 70px | 追号 加後号 |
1770年11月24日 - 1779年11月9日 |
1758年8月5日 - 1779年12月6日 22歳没 | |
119 | 光格天皇 | こうかく (くゎうかく) |
70px | 諡号 | 1779年11月25日 - 1817年3月22日 |
1771年9月23日 - 1840年12月11日 70歳没 | |
120 | 仁孝天皇 | にんこう (にんかう) |
70px | 諡号 | 1817年3月22日 - 1846年2月6日 |
1800年3月16日 - 1846年2月21日 47歳没 | |
121 | 孝明天皇 | こうめい (かうめい) |
70px | 諡号 | 1846年2月13日 - 1866年12月25日 |
1831年7月11日 - 1867年1月30日 37歳没 | |
122 | 明治天皇 | めいじ (めいぢ) |
70px | 追号 一世一元の制による |
1867年1月9日 - 1912年7月30日 |
1852年11月3日 - 1912年7月30日 59歳没 | |
123 | 大正天皇 | たいしょう (たいしゃう) |
70px | 追号 一世一元の制による |
1912年7月30日 - 1926年12月25日 |
1879年8月31日 - 1926年12月25日 47歳没 | |
124 | 昭和天皇 | しょうわ (せうわ) |
70px | 追号 一世一元の制による |
1926年12月25日 - 1989年1月7日 |
履中天皇(第17代)以降では、在位期間最長(62年2週間)。 | 1901年4月29日 - 1989年1月7日 87歳没 |
125 | 今上天皇 | きんじょう (きんじゃう) |
70px | 1989年1月7日 - | 関東の地で即位した初の天皇。 | 1933年12月23日 - |
記録
在位期間の長い天皇
- ただし、継体天皇(第26代)以降に限る。
- 昭和天皇(第124代): 22660日(62年)
- 明治天皇(第122代): 16604日(45年6か月)
- 光格天皇(第119代): 13641日(37年4か月)
- 後土御門天皇(第103代): 13211日(36年2か月)
- 後花園天皇(第102代): 13133日(35年11か月)
在位期間の短い天皇
- 仲恭天皇(第85代): 78日(2か月)
- 弘文天皇(第39代): 226日(7か月)
- 用明天皇(第31代): 596日(1年7か月)
- 光嚴天皇(北朝1代): 625日(1年8か月)
- 花山天皇(第65代): 677日(1年10か月)
高齢で即位(践祚)した天皇
年少で即位(践祚)した天皇
- 六條天皇(第79代): 7か月(2歳)
- 安德天皇(第81代): 1歳4か月(3歳)
- 四條天皇(第87代): 1歳7か月(2歳)
- 土御門天皇(第83代): 2歳1か月(4歳)
- 仲恭天皇(第85代): 2歳6か月(4歳)
長寿の天皇
- 昭和天皇(第124代): 87歳8か月
- 後水尾天皇(第108代): 84歳2か月(85歳)
- 陽成天皇(第57代): 80歳9か月(82歳)
- 靈元天皇(第112代): 78歳2か月(79歳)
- 白河天皇(第72代): 76歳(77歳)
短命の天皇
- 崩御時の満年齢。括弧内は数え年。
- 安德天皇(第81代): 6歳4か月(8歳)
- 四條天皇(第87代): 10歳10か月(12歳)
- 六條天皇(第79代): 11歳7か月(13歳)
- 仲恭天皇(第85代): 15歳7か月(17歳)
- 近衞天皇(第76代): 16歳2か月(17歳)
歴代天皇以外の関連人物一覧
追尊天皇の一覧
薨去の後に天皇の尊号を諡された者である。崇道天皇を除き、薨後にその子が天皇に即位したことによる。
- 岡宮天皇 - 草壁皇子。40代天武天皇の皇太子で、42代文武天皇・44代元正天皇の父。即位前に病没し、「岡宮御宇天皇(おかみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「長岡天皇」とも。
- 崇道尽敬皇帝 - 舎人親王。47代淳仁天皇の父。子の即位により「崇道尽敬皇帝」を追尊。単に「尽敬天皇」とも。
- 春日宮天皇 - 志貴皇子。49代光仁天皇の父。子の即位により「春日宮御宇天皇(かすがのみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「田原天皇」とも。
- 崇道天皇 - 早良親王。50代桓武天皇の弟で廃太子(785年(延暦4年)薨去)。800年(延暦19年)、「崇道天皇」の尊号を受ける。
- 陽光院太上天皇 - 誠仁親王。106代正親町天皇の東宮。即位前に没。太上天皇、院号「陽光院」を追尊。「陽光天皇」とも。
- 慶光天皇 - 閑院宮典仁親王。119代光格天皇の父。1884年(明治17年)、贈太上天皇、諡号「慶光天皇」を追尊。 → 尊号一件
皇位に就かなかった太上天皇の一覧
- 後高倉院 - 守貞親王。86代後堀河天皇の父。皇位を経ずして太上法皇となり院政を執る。皇統譜では「後高倉天皇」。
- 後崇光院 - 伏見宮貞成親王。102代後花園天皇の父。生前に太上天皇尊号宣下、院号「後崇光院」。皇統譜では「後崇光天皇」。
一説に天皇とされる者の一覧
- 日本武尊 - 14代仲哀天皇の父。『常陸国風土記』において「倭武天皇」と記す例がある。
- 神功皇后 - 14代仲哀天皇の后で15代応神天皇の母。江戸時代までは歴代天皇の一人(15代)に数えられた。
- 菟道稚郎子 - 15代応神天皇皇太子。『播磨国風土記』に「宇治天皇」とある。
- 市辺押磐皇子 - 17代履中天皇皇子。23代顕宗天皇の父。『播磨国風土記』に「市辺天皇」とある。
- 飯豊青皇女 - 履中天皇の娘(異説あり)。22代清寧天皇の崩御後、23代顕宗天皇・24代仁賢天皇が皇位を譲り合っている間、天皇としての政務を行っていた。『扶桑略記』などに「飯豊天皇」とある。
天皇に準ずる立場にあった者の一覧
- 蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿 - 大臣。邸宅は「宮門(みかど)」と呼ばれ、子は親王に準じた扱いを受けた。
- 聖徳太子 - 『日本書紀』では「豊聡耳法大王」、「法主王」と記す例がある。『隋書』に記述された俀王多利思比孤は聖徳太子を指すとする説もある。
- 間人皇女 - 34代舒明天皇の皇女、36代孝徳天皇の皇后。37代斉明天皇の崩御後、38代天智天皇即位までの間即位していたとする説がある。『万葉集』の「中皇命(なかつすめらみこと)」は間人皇女のこととされる。
- 敦明親王(小一条院) - 67代三条天皇皇子。1016年(長和5年)、東宮。翌1017年(寛仁元年)東宮を退くも、院号宣下を受け太上天皇に准ずる。
天皇またはそれに准ずる立場を称した者・擁立された者の一覧
- 塩焼王 - 天武天皇の孫で、新田部親王の子。天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。しかし、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
- 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年(天慶3年)、関東に独立勢力を築き上げ、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
- 恒良親王 - 96代後醍醐天皇の皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
- 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、明から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
- 足利義満 - 室町幕府3代将軍。准三宮(三宮(皇后・皇太后・太皇太后)に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、明より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
- 金蔵主(中興天皇) - 後南朝の初代天皇とされる。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御(※ ただしこのことは同時代史料では確認できず、後世の付会である。小倉宮「実仁」なる人物も、101代称光天皇の実名と混同したもので、実際には存在しない)。
- 自天王(尊秀王) - 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松氏の遺臣により暗殺される(※ 長禄の変で南朝の宮と称する兄弟が討たれたのは事実だが、系譜、実名ともに不明であり、ここに書いてあることは後世史料によるもので、信ずるに足りない。但し南帝を称した事は確かである)。
- 南天皇 - 後南朝の3代天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、その傷が元で熊野の光福寺にて崩ず(※ これもまた後世の伝説によるもので、同時代史料とはあわず、史実ではない)。
- 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。
- 北白川宮能久親王 - 日光輪王寺門跡時代の1868年(明治元年)、奥羽越列藩同盟により「東武皇帝」に推戴されたとの説がある。アメリカ公使が本国に報告しているほか、当時の新聞に同様の記事がある[8]。
天皇だと自称した人物の一覧
この節の参考文献は、下記の通り[9]。
- 葦原天皇 - 葦原金次郎。日露戦争期に葦原将軍、昭和10年代に葦原天皇を自称、奇抜な言動や行動で大衆や新聞記者に人気があった松沢病院の精神病患者。
- 伊藤天皇 - 伊藤清作、後南朝潜伏の地、奈良県吉野郡川上村出身。京都市で木材会社を経営。尚尊王の末裔を主張。
- 上村天皇 - 上村某。福岡県で、97代後村上天皇の末裔を主張。
- 葛尾天皇 - 松本忠致、福島県双葉郡葛尾村で、98代長慶天皇の直系子孫を主張。この地には、西陣南帝が応仁の乱後に潜伏していたとし、後南朝の伝承が多く残されている。
- 工藤天皇 - 工藤智久、長野県で1973年(昭和48年)に「智宮久仁親王」を自称し、明治天皇の曾孫を主張した。祖父が明治天皇の1878年(明治11年)の上田市行幸時の落胤であると称しマスコミの好餌となった。
- 熊沢天皇 - 現在までに6人が熊沢天皇を称した。
- 池端天皇 - 熊沢常光(常春)。護良親王の子の治広王の末裔と称し、元尾張藩藩士の家柄で、瀬部熊沢家の当主という。名古屋市にて、熊沢家本家を主張するが、まもなく没した。
- 国憲天皇 - 熊本県の農民。襤褸を身に纏い、常に手に数珠を弄っていたという。
- 酒本天皇 - 酒本正道。岡山県で、96代後亀山天皇の後裔を主張。
- 佐渡天皇 - 新潟県佐渡島の人か。84代順徳天皇の末裔を主張。
- 佐藤天皇 - 佐藤英壱郎。1948年(昭和23年)頃岡山県和気郡で、88代高倉天皇の第一皇子の直系を主張。元憲兵で、剣道五段、柔道五段、弓道二段、空手初段だったらしい。
- 璽光尊 - 戦後新たに天皇を名乗った人。元号を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてダグラス・マッカーサーに自らの皇居参内を命じ、やがて金沢に遷都し、私造紙幣をも発行した新興宗教の教祖。
- 外村天皇 - 外村光陽。ブローカー。1946年(昭和21年)名古屋市の繁華街で、96代後醍醐天皇の末流を主張し、名古屋行幸に来た昭和天皇を偽物と断じたが、郡衆に袋叩きに遭った。衆議院議員総選挙に立候補もしている。
- 竹村天皇 - 竹村稔。静岡県浜松市で、農業を営む。大覚寺統皇統の末裔を戦前から主張。1930年代後半に、元宮内大臣一木喜徳郎を始め内大臣等に「我こそ天皇である」と手紙を出し続けた所、一木に「いい加減にしろ」と一喝されたという。
- 田宮天皇 - 田宮仙海。京都市で、96代後醍醐天皇の末流を主張。
- 長田天皇 - 長田某。愛知県で、98代長慶天皇の子孫を主張。自分が、南朝35代目の天皇と名乗った。
- 長浜天皇 - 現在までに2人が長浜天皇を称した。
- 法の天皇 - 熊本県の人。81代安徳天皇の末裔を主張。印半纏の襟に「法天皇」と染め抜いたものをいつも着ていたという。
- 三浦天皇 - 三浦芳聖。愛知県豊川市で、98代長慶天皇の末裔で後醍醐天皇の皇子・尊良親王の生まれ変わりだと主張。「神風串呂」なる神道霊学を立ち上げ、「天皇は狸に祟られている」と吹聴した。
- 安川天皇 - 安川守(仮名という)。京都市で、112代霊元天皇の末裔を主張。
- 横倉天皇 - 1940年代後半に高知県吾川郡で81代安徳天皇の末裔を主張。
架空の天皇
実在か架空かの議論のある天皇については、#初期天皇の実在性を参照のこと。
- 桐壺帝 - 源氏物語の登場人物。作中第一の帝。
- 朱雀帝 - 同じく源氏物語の登場人物。作中第二の帝。
- 冷泉帝 - 同じく源氏物語の登場人物。作中第三の帝。
- 今上帝 - 同じく源氏物語の登場人物。作中第四の帝。
- 一院 (前の朱雀院) - 同じく源氏物語の登場人物。物語開始前の時点の帝。
- 先帝 - 同じく源氏物語の登場人物。物語開始前の時点の帝。
脚注
関連項目
外部リンク
- 宮内庁>天皇陵 - 歴代天皇の天皇陵、および歴代天皇に関する情報の一覧
- ↑ 渡辺浩『東アジアの王権と思想』東京大学出版会、1997年、7-8頁。
- ↑ 初代・神武天皇の事跡は、第10代・崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。
- ↑ 歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いるのは、この3代3人のみである点も注目される。
- ↑ なお、第111代「後西院」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている。すなわち、「西院」は地名であって、院号ではないことから、機械的に「院」を省くのは誤りではないかとする。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。第53代・淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため、同天皇の異称が「西院」とされ、「後西院」はその加後号である。
- ↑ なお、後亀山天皇の場合には室町幕府の強い意向などもあり、1394年に「太上天皇」の尊号が贈られていたが、北朝ではあくまでも正式な天皇ではなく、後高倉院の先例に倣った尊称天皇として扱われていた。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 構成 - 宮内庁
- ↑ 神武天皇から昭和天皇までの124ページ。
- ↑ ニューヨーク・タイムズ 1868年10月18日号に「JAPAN: Northern Choice of a New Mikado(日本:北部が擁立した新帝)」とある
- ↑ 『天皇家歴史大事典』(別冊歴史読本、新人物往来社、2000年)211頁以下、保阪正康『天皇が十九人いた』(角川文庫、2001年)14頁以下。