宮古島市
テンプレート:Infobox 宮古島市(みやこじまし)は沖縄県宮古列島に位置する市。2005年(平成17年)10月1日、平良市と宮古郡伊良部町・上野村・城辺町・下地町の5市町村が合併(新設合併)して誕生した。沖縄県宮古事務所(旧・宮古支庁)所在地。
目次
地理
気候
熱帯雨林気候や、それに限りなく近い温帯湿潤気候となっており、一年を通して高温多湿である。
- 気温 - 最高35.3℃(1971年(昭和46年)7月16日)、最低6.9℃(1967年(昭和42年)1月16日)
- 最大降水量 - 908.1ミリ(1959年(平成12年)9月15日)
- 最大瞬間風速 - 85.3メートル(1966年(昭和41年)9月15日)
- 夏日最多日数 - 259日(1998年(平成10年))
- 真夏日最多日数 - 128日(1971年(昭和46年))
- 猛暑日最多日数 - 2日(1971年(昭和46年))
- 熱帯夜最多日数 - 127日(2013年(平成25)、1998年(平成10年))
- 冬日最多日数 - 0日(1938年(昭和13年) - )
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字名一覧
住所表示はいずれも字名の前に旧市町村名がつく。字名が旧町村名と同一の場合も同じ(字伊良部→伊良部字伊良部、字上野→上野字上野)。
平良地域 いずれも旧市名の「平良」が字名の頭につく(例:字西里→平良字西里)。
- 池間(いけま) - 池間島
- 大浦(おおうら)
- 大神(おおがみ) - 大神島
- 狩俣(かりまた)
- 久貝(くがい)
- 島尻(しまじり)
- 下里(しもさと)
- 荷川取(にかどり)
- 西里(にしざと)
- 西仲宗根(にしなかそね)
- 西原(にしはら)
- 東仲宗根(ひがしなかそね)
- 東仲宗根添(ひがしなかそねぞえ)
- 前里(まえざと) - 池間島
- 松原(まつばら)
城辺地域 いずれも旧町名の「城辺」が字名の頭につく(例:字福里→城辺字福里)
- 新城(あらぐすく)
- 下里(しもざと)
- 下里添(しもざとそえ)
- 友利(ともり)
- 長間(ながま)
- 西里添(にしざとそえ)
- 比嘉(ひが)
- 福里(ふくざと)
- 保良(ぼら)
上野地域 いずれも旧村名の「上野」が字名の頭につく(例:字上野→上野字上野)
- 上野(うえの)
- 新里(しんざと)
- 野原(のばる)
- 宮国(みやぐに)
下地地域 いずれも旧町名の「下地」が字名の頭につく(例:字上地→下地字上地)
- 上地(うえち)
- 嘉手苅(かでかり)
- 川満(かわみつ)
- 来間(くりま) - 来間島
- 洲鎌(すがま)
- 与那覇(よなは)
伊良部地域(伊良部島) いずれも旧町名の「伊良部」が字名の頭につく(例:字長浜→伊良部字長浜)
- 池間添(いけまそえ)
- 伊良部(いらぶ) 一部下地島にまたがる
- 国仲(くになか) 一部下地島にまたがる
- 佐和田(さわだ) 一部下地島にまたがる
- 仲地(なかち) 一部下地島にまたがる
- 長浜(ながはま)
- 前里添(まえざとぞえ)
沿革
詳細の歴史は旧平良市、他の関係旧町村、または宮古島を参照。
- 明治末期までの間切制時代は平良間切・下地間切・砂川間切の3つに分かれていた。
- 1908年4月1日 - 島嶼町村制施行に伴い、平良・下地・砂川の3間切と多良間島をもって平良村、下地村、城辺村、伊良部村の4村が成立
- 1913年2月14日 - 平良村多良間島(水納島も含む)が多良間村として分村
- 1924年2月1日 - 平良村が町制施行、平良町となる
- 1947年2月1日 - 城辺村が町制施行、城辺町となる
- 1947年3月7日 - 平良町が市制施行、平良市となる
- 1948年8月1日 - 下地村東部が上野村として分立
- 1949年1月1日 - 下地村と上野村の一部が町制施行、下地町となる
- 1956年 - 宮古空港が開港。
- 1959年9月 - 台風14号が宮古島を通過、同島での最低気圧が908.1ミリバール(ヘクトパスカル)と観測(宮古島台風)。
- 1961年 - 農業を目的として大神島から集団離島。島の人口は半減した。
- 1964年 - 琉球放送が平良市久貝にラジオの中継放送局を開局(1150kc、2005年にFM中継局に転換したため廃止)
- 1966年9月 - 台風18号が宮古島を通過、同島の最大瞬間風速が85.3m/sと観測。この記録は日本での観測史上最大の記録である(第2宮古島台風)。
- 1967年12月22日 - 沖縄放送協会(OHK・現在のNHK沖縄放送局)が宮古島をはじめ先島諸島で沖縄本島に先駆けてテレビ放送を開始(KSDY・US9ch、復帰後1976年まではNHK沖縄宮古総合テレビジョンとなる。なお沖縄本島では1年遅れて放送が開始された)。
- 1968年9月 - 台風16号が宮古島を通過、死傷者を出す大きな被害だった(第3宮古島台風)。
- 1972年6月 - NHKがラジオ第1と第2の放送を沖縄本島と同時に開始。
- 1975年4月 - 宮古島の県道平良与那覇線(西里 - 上地)、城辺下地線(現在の同路線名の県道とは別ルート)、平良保良線(福里 - 保良)が国道に昇格され国道390号となる。同島では初の国道となる。
- 1976年12月22日 - NHKテレビの沖縄本島・日本本土との同時放送が開始(同時に教育テレビ・FM放送も開始される)。また電話も沖縄本島や日本本土と即時通話可能になった。
- 1978年5月 - 宮古島初のケーブルテレビ局である宮古島有線テレビ(現在の宮古テレビ)が開局。
- 1978年12月 - 宮古空港 - 那覇空港間にジェット機(ボーイング737)が就航。
- 1982年4月1日 - 伊良部村が町制施行、伊良部町となる
- 1985年4月 - 第1回宮古島トライアスロン大会開催。
- 1989年7月 - 宮古空港と初の本土直行便となる東京(羽田空港)便が就航。
- 1992年1月 - 宮古島 - 池間島間に池間大橋が開通。
- 1992年2月 - 宮古島で初のプロ野球オープン戦開催(中日-大洋戦)。
- 1993年2月 - プロ野球オリックスが宮古島で初のキャンプを実施。
- 1993年12月16日 - 琉球放送と沖縄テレビが宮古島など先島諸島でテレビ放送開始。
- 1995年2月 - 宮古島 - 来間島間に来間大橋開通(農道橋として建設され、日本一長い農道橋となる)
- 2001年7月 - 宮古地区全6市町村で宮古地区市町村合併研究会発足
- 2002年4月 - 宮古地区合併協議会発足
- 2002年7月20日 - 宮古島初のコミュニティFMとなるエフエムみやこ開局
- 2003年9月 - 台風14号が宮古島を通過。
- 2005年10月1日 - 平良市・城辺町・下地町・上野村・伊良部町の合併により発足。
- 2008年 - 環境保全と産業振興の両立を目指して「エコアイランド宮古島宣言」を行う。[1]
- 2009年 - 日本政府により環境モデル都市に認定。[2]
- 2012年10月〜2013年3月 - NHK連続テレビ小説『純と愛』の舞台として全国放送される。[3]
- 2013年2月 - 横浜FCのキャンプにおける羽田―宮古空港間の選手・スタッフ移動で排出される二酸化炭素22㌧に対し市の排出権 (宮古森林組合の植樹・育林など)を活用しカーボン・オフセットを実施。[4]
- 2013年10月 - 島内の太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーを最大限効率的に利用することを目的とした「宮古島市全島エネルギーマネジメントシステム(EMS)実証事業」(通称:すまエコプロジェクト)をスタート。[5]
- 2014年1月 - エネルギーセキュリティの確保やCO2の排出削減を目的とした「宮古島市来間島再生可能エネルギー100%自活実証事業」(通称:来間島再生可能エネルギー100%自活実証事業)をスタート。[6]
- 2014年1月 - 宮古島市のビジョンである「エコアイランド宮古島」の実現に向けて、「宮古島市小型電動モビリティ等の活用に係る社会実験プロジェクト」をスタート。[7]
- 2014年7月7日 - 台風8号による暴風・波浪特別警報が発表される。
行政
- 市長
合併の経緯
多良間村を含む宮古列島の6市町村は、2001年(平成13年)7月に「宮古地区市町村合併研究会」を設置し、2002年(平成14年)4月には法定合併協議会に移行した。協議会では合併期日を2005年(平成17年)1月1日、新市名を「宮古市」としたが、多良間村では2004年(平成16年)2月に行われた住民投票の結果、反対票が賛成票を上回ったため離脱を表明し、合併協議は暗礁に乗り上げた。
さらに下地町でも議会が合併に慎重となり、2004年(平成16年)8月には多良間村を除く5市町村での法定協議会設置案を否決(4市町村が可決)し、9月には合併協議からの離脱を表明、また上野村でも下地町を除く合併に異論が出たため離脱を表明し、平良市・城辺町・伊良部町で法定協議会を設置した。
2004年(平成16年)12月になり下地町と上野村が合併協議に復帰(3市町の法定協議会に復帰)し、新市名は「宮古市」「宮古島市」「琉宮市」の中から「宮古市」に決定したが、岩手県宮古市から事前照会が無かったとして見直しを要請されたため、2005年(平成17年)2月から3月にかけて新市名を問う住民アンケートを実施。その結果「宮古島市」が「宮古市」を上回ったため、最終的に「宮古島市」が新市名に採用された。
2005年(平成17年)3月15日には合併協定調印に漕ぎ着けたが、伊良部町では直後に審議が行われた合併関連議案を否決した(4市町村は可決)。合併特例法の期限が迫る中、4市町村では急遽、伊良部町を除く法定協議会を設置したが、3月25日に伊良部町議会は合併関連議案を一転して可決し、当初の予定通りの合併が実現した。
市の組織
合併に伴い市内に5つの庁舎(旧平良市役所、旧城辺町役場、旧下地町役場、旧上野村役場、旧伊良部町役場)が存在することになるため、宮古市地区市町村合併協議会では分庁方式を採用する方向であった。分庁方式では各庁舎に業務部門を設置することになるが、離島である伊良部町に業務部門を設置することで生じる問題点や、分庁方式となった場合の行政サービスの低下を懸念する声などがあり、伊良部庁舎は伊良部総合支所として設置することになった。このため宮古島市では分庁方式と総合支所方式が並立する形で業務を行っている。
- 平良庁舎
- 総務部(総務課、財政課、税務課、市民生活課、納税課※2006年10月1日新設)
- 企画政策部(企画調整課、秘書広報課、地域振興課、情報政策課)
- 平良支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 城辺庁舎
- 福祉保健部(生活福祉課、介護長寿課、健康増進課、国民健康保険課、環境保全課)
- 城辺支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 下地庁舎
- 建設部(都市計画課、道路建設課、住宅課、下水道課、港湾課、空港課)
- 下地支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 上野庁舎
- 経済部(農政課、むらづくり課、農地整備課、水産課、観光商工課)
- 農業委員会
- 上野支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 伊良部庁舎
- 伊良部総合支所(総務課、市民課、福祉保健課、経済課、水産観光課、建設課)
国の行政機関
- 内閣府
- 沖縄総合事務局平良港湾事務所
- 沖縄総合事務局宮古運輸事務所
- 沖縄総合事務局宮古財務出張所
- 沖縄総合事務局平良統計・情報センター
- 法務省
- 財務省
- 厚生労働省
- 農林水産省
- 那覇植物防疫事務所平良出張所
- 国土交通省
- 大阪航空局下地島空港事務所
- 大阪航空局宮古空港・航空路監視レーダー事務所
- 第十一管区海上保安本部石垣海上保安部宮古島海上保安署(2007年4月1日組織名変更)
- 宮古島地方気象台
- 防衛省
- 宮古島分屯基地(防空レーダー施設)
- 自衛隊沖縄地方協力本部宮古島出張所
県の行政機関
- 沖縄県宮古事務所
- 沖縄県警宮古島警察署
- 宮古農林水産振興センター
- 福祉保健部宮古福祉保健所
- 土木建築部宮古土木事務所
- 土木建築部下地島空港管理事務所
- 教育委員会宮古教育事務所
警察
- 宮古島警察署(旧宮古警察署)
市議会
宮古島市議会は定数28人。2005年(平成17年)11月13日に合併後初めての市議選が行われた。11月25日に開かれた宮古島市初の臨時議会にて友利恵一が議長に選出。
経済
産業
- 主な産業
- 農業:サトウキビ、タバコ、マンゴーをはじめとした果物類(トロピカルフルーツ)など。
- 観光:透明度の高い海とサンゴによる白い砂浜が象徴的で、ビーチリゾートや各種マリンスポーツが人気。海岸線沿いにゴルフコースが数ヶ所あり、水平線を望む景観で人気のスポット(海沿い特有の強い潮風のため比較的高難度)。観光客向けの大規模施設はさほど多くなく、レンタカーなどを移動手段とした景勝地巡りが主な観光コースとなり、コース周辺に小規模な飲食品店・土産物店などが点在する。
- 酒造:宮古島市内には7つの酒造所(池間酒造・沖之光酒造・菊之露酒造・多良川・千代泉酒造・渡久山酒造・宮の華)がある。
- 化学工業:りゅうせきがサトウキビを原料とするバイオマスエタノール製造プラントを建設しており、バイオマス燃料自動車実用化の実証実験を開始している。
市内に本社を置く主な企業
- スタジオアールエフ:日本のアニメ制作会社としては珍しく、沖縄県の離島である宮古島市に本社が存在する。事実上、3DCGアニメーション制作は東京スタジオが行い、スタジオアールエフ本社は福祉関連の業務を行っている。
姉妹都市・提携都市
国内
- 津山市(岡山県):1965年3月15日 姉妹都市締結(旧平良市と)
- 世田谷区(東京都):友好都市締結(旧平良市と)
- 室蘭市(北海道):1998年8月3日 交流都市締結(旧平良市と)
- 上越市(新潟県):姉妹都市締結(旧城辺町と)
- 耶麻郡西会津町(福島県):友好都市
- 鳴門市(徳島県):親善交流都市
- 加茂郡白川町(岐阜県):2004年 交流都市締結(旧下地町と)
海外
- テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国・ハワイ州マウイ郡:1965年6月24日 姉妹都市締結(旧平良市と)
- テンプレート:Flagicon 台湾・基隆市:2007年6月28日 姉妹都市締結(宮古島市)
地域
人口
教育
高等学校
|
中学校
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|
小学校
|
|
特別支援学校
医療
観光・文化
景勝地
ビーチ・海岸
- 砂山ビーチ(平良)
- パイナガマビーチ(平良)
- 与那覇前浜(下地)
- 吉野海岸(城辺)
- 新城海岸(城辺)
- 保良泉ビーチ(城辺)
- イムギャーマリンガーデン(城辺)
- 長間浜(下地・来間島)
- 中の島(伊良部・下地島)
- 渡口の浜(伊良部)
- 佐和田の浜(伊良部)
史跡
博物館
- 宮古島市総合博物館
植物園
美術館
- 恵子美術館
ホール・集会場
- マティダ市民劇場
- 宮古島市立中央公民館
- 宮古島市立伊良部公民館
- 宮古島市立下地公民館
- 宮古島市立久松地区公民館
- 宮古島市立西原地区公民館
- 宮古島市立下崎地区公民館
- 池間島離島振興総合センター
- 伊良部島離島振興総合センター
- 来間島離島振興総合センター
- 城辺農村環境改善センター
- 上野農村環境改善センター
- 下地農村環境改善センター
体育施設
- 宮古島市総合体育館
- 宮古島市民球場
- 勤労者体育センター(野球場)
- 城辺運動公園(野球場)
- 宮古島市城辺陸上競技場
- 宮古島市農業者トレーニングセンター
- B&G海洋センター
- 佐良浜スポーツセンター
- 宮古島市上野体育館
- 下地勤労者体育センター
その他
交通
空港
2000m級滑走路をもち中型ジェット機離着陸可能だが、現在は小型ジェット機とプロペラ機の発着のみとなっている。東京などへの年間旅客数は約100万人(2007年)。
2014年現在、定期便は就航していない。かつて乗員訓練空港として使われたが、2014年現在は訓練もほとんど行われていない。3000m級滑走路をもつこの空港を拠点にして、沖縄米軍基地移転先を考えてみてはどうかとの案もある[8]。
バス
- 共和バス(伊良部島内)
- 八千代バス・タクシー
- 宮古協栄バス
道路
|
港湾
船舶
出身有名人
- 下地玄信(日本公認会計士協会創設者、旧平良市)
- 下地幹郎(政治家、衆議院議員、旧平良市)
- 下地暁(宮古島大使、ミュージシャン、旧城辺町)
- 下地勇(ミュージシャン、旧平良市)
- 垣花正(ニッポン放送アナウンサー、旧平良市)
- 上里一将(プロサッカー選手、旧平良市)
- 上里琢文(プロサッカー選手、旧平良市)
- 狩俣昌也(プロバスケットボール選手)
- 川満寿史(プロバスケットボール選手)
- 末広尚希(ロックバンド・gulff、旧城辺町)
- 池間正樹(ロックバンド・gulff、旧平良市)
- 佐渡山武士(ロックバンド・gulff、旧平良市)
- 知念かおり(囲碁棋士、旧平良市)
- 下地正晃(navy&ivory・ボーカル)
- 金井喜久子(作曲家)
- 島袋脩(バスケットボール選手・大分ヒートデビルズ)
- 砂川恵理歌(歌手・旧城辺町)
- 伊良部秀輝(元プロ野球選手)
- 友利勝良(プロゴルファー)
- 友利新(医師・旧平良市)
- 友利南海(医師・旧平良市)
- 友利健哉 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・群馬クレインサンダーズ所属):旧伊良部町
- 池間誠(経済学者、一橋大学名誉教授、元日本国際経済学会会長・旧平良市)
- 猪澤海(野球選手)
- ロマのフ比嘉(本名:比嘉 一博)(3DCGアニメーション作家、演出家、映画監督)
マス・メディア
新聞
放送
- NHK沖縄放送局の送信所および沖縄県内にある民放の送信所が存在する。NHK沖縄放送局送信施設入り口には現在も、OHK沖縄放送協会の看板跡が残る。
- 宮古テレビ(ケーブルテレビ・1978年(昭和53年)に宮古島有線テレビとして開局)
- エフエムみやこ(コミュニティFM・76.5MHz) 2006年(平成18年)よりFM沖縄の番組も一部ネット
- 琉球放送(RBCiラジオ)、ラジオ沖縄(ROK)のFM中継局がある
(RBCiラジオはかつてAMの中継放送局で独自のコールサインをもち、那覇の親局とは別に独自の番組を放送したことがあるが、夜間の外国・本土からの混信によりFM波に切り替えて、中継局も宮古島の久貝から伊良部島へ移した)。 - 民放テレビについては、1992年12月にRBCと沖縄テレビ放送(OTV)が共同で開設した宮古島中継局が開局されるまでの間は一切視聴できなかったため、宮古テレビで在京キー局の番組、さらにはRBCとOTVの夕方のニュース番組までも録画・空輸して時差放送されていた。中継開局後は直接受信、および宮古テレビ再配信で視聴可能となった。
- しかし、琉球朝日放送(QAB 1995年10月開始)だけは開局後もしばらく宮古島中継を行わなかったため、長らく系列局のある県ながら視聴できない状態が続いたが、2009年にデジタル放送での開局が決まり、同時に宮古テレビでも再配信開始となった(ただしアナログ中継はなかったため、宮古テレビ視聴者を対象としてデジアナ変換による放送が行われた)
- 島内の支局としては、NHK沖縄放送局のほかに、RBC琉球放送や沖縄テレビ放送などが存在する。また、宮古テレビ内には、在京キー局である日本テレビ放送網、テレビ朝日の伝送設備がある。
宮古島中継局周波数一覧
(ラジオ)
所在地 | NHK1 | NHK2 | NHKFM | RBCi | ROK |
---|---|---|---|---|---|
宮古島 | 1368 | 1602 | 85.0 | 82.7 | 84.1 |
- 周波数単位はNHKAMはkHz、NHKFMと民放ラジオはMHz。
- NHKは平良(宮古島)、民放(RBCi・ROK)は伊良部(伊良部島)にある。
- 出力はNHKAMと民放ラジオは100W、NHKFMは1kW。
(テレビ)
所在地 (ID) |
総合 (1) |
教育 (2) |
RBC (3) |
OTV (8) |
QAB (5) |
---|---|---|---|---|---|
宮古島 | 17 | 13 | 14 | 15 | 16 |
- 単位はCH、IDはリモコンキーID。
- いずれも平良(宮古島)にある。出力はいずれも100W。
イベント
- 宮古島100kmワイドーマラソン(1月)
- オリックス・バファローズ春季キャンプ(2月)
- 八重干瀬まつり(4月)
- 全日本トライアスロン宮古島大会(4月)
- ビーチバレー宮古島大会(6月)
- サニツ浜カーニバル(7月)
- オリオン・ビアフェスタ(7月)
- 宮古まつり(7月)
郵便・電話
郵便
郵便の集配業務は宮古郵便局が行っており、郵便番号は以下の通りとなっている(郵便番号の右のカッコ名は一元化前の受け持ち局)。民営化前には宮古島内には宮古郵便局をはじめ、橋で結ばれている池間島を含め5つの集配郵便局(旧市町村ごと、ただし平良市内は大神島含む宮古島と池間島に分かれる)があったが、合併により集配業務を宮古郵便局に一元化した。
なお、2006年(平成18年)9月からは民営化を視野に入れた業務効率化により、従来は伊良部郵便局が行っていた集配業務も宮古郵便局に一元化された。「従前のサービスは低下させない」と謳っていた政府と郵政公社であったが、「書留やゆうパック等の当日再配達の受付締切時刻が大幅に短縮され、日中留守にする家庭では事実上再配達が翌日以降になってしまう」「ポストの郵便物収集回数が1日1回となってしまった」等、実際には伊良部島住民には大幅なサービス低下となっている。
宮古郵便局は本土復帰前は那覇局や八重山局と同じく「中央郵便局」であった。また同名の郵便局が岩手県宮古市にもある。
- 宮古郵便局:906-00xx(宮古、大口事業者は906-85xx、906-86xx、906-87xx)、906-01xx(城辺)、906-02xx(沖縄上野)、906-03xx(下地)、906-042x(池間)、906-05xx(伊良部)
無集配郵便局 テンプレート:Col 簡易郵便局 テンプレート:Col
電話
宮古島のうち旧平良市内は復帰前から自動ダイヤル化(旧市内に限り)されていたが、それ以外の地域の自動ダイヤル化は1976年(昭和51年)の沖縄本島との海底ケーブル開通とほぼ同時に行われ、同時に沖縄県内や日本本土との市外通話も可能になった(それまでは現在では自動コレクトコールの番号である「106」などをダイヤルして交換手に頼まなければ通話ができなかった。これは逆に他地域から旧平良市へかけるときもそうだった)。
市外局番はダイヤル化当初数年間は旧平良市の宮古島内のみ09807で、池間島は098075、旧下地町と旧上野村は098076、旧城辺町は098077、旧伊良部町は098078と別々だったが、1983年(昭和58年)頃に多良間村(当初は098079)も含め09807に統一された。さらに2002年(平成14年)12月には電話会社の新規参入で市内局番1桁では逼迫する恐れが出てきたため市外局番を現在の0980となり(多良間村も含む)、市内局番が従来の70番台に加え、60番台も使用可能になったものの未だに60番台は使用していない。また単位料金区域(MA)は多良間村を含め沖縄宮古MAであり、同じ0980を市外局番にもつ沖縄本島北部(名護市以北)の名護MAや石垣市などの八重山MAへは同じ局番でも市外通話となり、市外局番からダイヤルすることになる。長年同じ沖縄県内の沖縄本島や石垣島とはかなり距離があるため、通話料金もかなり割高だったが1980年代後半にようやく沖縄県内の市外通話料金が特例で隣接扱いとなり、沖縄本島や石垣島などへ通話料金は日中3分20円(10円で話せる時間は1分半、公衆電話は1997年より42.5秒)となった。
宮古島市内の市外局番の変遷
- 平良(池間島を除く) 09807-X(1976 - 2002)→0980-7X(2002 - )
- 池間島 098075(1976 - 1983)→09807-5(1983 - 2002)→0980-75(2002 - )
- 下地・上野 098076(1976 - 1983)→09807-6(1983 - 2002)→0980-76(2002 - )
- 城辺 098077(1976 - 1983)→09807-7(1983 - 2002)→0980-77(2002 - )
- 伊良部島(下地島も含む) 098078(1976 - 1983)→09807-8(1983 - 2002)→0980-78(2002 - )
※沖縄宮古MA全域で1990年代以降、市内局番の空き番号である「4」(現在は「74」)が使用可能になり、下4桁の加入者番号の頭1 - 2桁で使用地域を分けている。
※平良地域は1990年代以降、従来の市内局番2または3(現在の72また73)が満杯になったため池間島向けの市内局番の5(現在の75)が使用可能になった(ただし加入者番号は3000 - 9999)。また市内局番72のうち加入者番号5000番台は宮古島北部の字狩俣と島尻、大神島で使用されている。
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 産経新聞 2009年12月30日記事