自動車競技

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav

自動車競技(じどうしゃきょうぎ)あるいは自動車レース(じどうしゃレース)テンプレート:Lang-en-short)は、モータースポーツのうち、自動車を用いて行われる競技である。自動車競技は四輪の自動車あるいはそれに準ずる車両による競技に対して主に呼称され、オートバイやそれに準ずる車両の競技に対してはオートバイ競技モーターサイクルレース(テンプレート:Lang-en-short)などと呼ばれる。

概要

テンプレート:独自研究 自動車競技は、操る人の動体視力や、車の状態を瞬間的にわかる感性、天候や気象によって変化する空気や路面状態、そして車両に対応するドライバーのマシンコントロール能力によって技術力と車両の性能を競う。一般的に自動車文化の発祥でもあるヨーロッパ、アメリカを中心に自動車競技が強く根付いているが、国によって文化や国民性、あるいは偏見などによって自動車競技の扱い方はさまざまである。日本においては自動車競技に対しての認識が薄いとされている。また、ヨーロッパを中心とした競技ではあるがスイスのように国内でレースを行うことを禁止しているために周辺のヨーロッパ諸国と比較して文化が根付いていない地域もある。

自動車競技の大半は「速さ」を競う競技[1]であるが、これは基本的に「速く走る」ことと同時に「相手よりも早く無事に目的地につく」という2つの本質がある。したがって、競技によってはファステストラップという最速でサーキットを周回することを1つの名誉としたレースもあるが、ル・マン24時間レースなどのようにゴールできないと完走扱いとならない(表彰の対象とならない、ポイントを与えないなど)」という競技もある。また、スタントではないため、ゴール後の車検で車体の激しい破損などが判明すれば得点を得られない場合がある。ただ自動車競技の中には、ドリフト競技(車両の挙動の美しさを競う)、燃費競争(速さではなく燃費を競う)など、速さ以外のものを競う競技もある。

国際自動車連盟(FIA)およびその傘下団体公認の大会に出場するにはFIAの傘下にある各国の自動車協会から発行された自動車競技ライセンスが必要である。また、車両本体以外にも、ヘルメットレーシングスーツなどの安全保護具から備品などを揃え、そして車両を改造して性能を向上させる費用など資金を要する競技でもある。レースによってはその主催者が制定した条件によって出場が認められる車両が定められており、一般乗用車で参加できるジムカーナダートトライアルの下位クラス、低価格でサーキットを走行する催し(走行会、フリー走行)、レンタルで乗れるカート (Kart) など、初心者や個人クラスでも比較的手軽に参加できる分野もある。また、世界各地に気軽な走行ができるミニサーキットが点在している。

大規模はレース競技になると莫大な資金が必要となる。また、ルールや競技の性質上で車両の設計や改造、整備などを行うために人員が必要となるため、車両の操縦を行うドライバー個人での参加は実質不可能となる。したがって大規模なレースでは「レーシングチーム」という組織を結成して競技に参加するのが一般的となっている。

レーシングチームには大まかに分けて2種類がある。1つは自動車メーカーによるレーシングチームである。自動車メーカーが自動車競技に参戦する理由にはその「恩恵 = メリット」である。代表的なメリットとして、自社およびその製品(車両)に対する大きな宣伝効果を得ることができる点が挙げられる。また極限状態でレースを行うことで得られるデータやノウハウをそのまま市販車にフィードバックすることで、より消費者に満足される製品を開発するための手助けとなる相乗効果も期待される。このように自動車メーカーそのものが自動車競技に参戦することを「ワークスチーム(ワークス体制とも)」と呼ぶ。しかし、その反面に景気やそのメーカーの株価の低下によって株主の反対によっての撤退や、車両規定の変更により撤退を余儀なくされることもあるなど、大企業になればなるほど企業幹部や上層陣の意向だけではレースを続けることができないという点もあり、自動車メーカーによる参戦にも一定の問題は残っている。

逆にもう1つは自動車メーカーではない企業や個人が資本投資を行い人員を集めてレースチーム組織を結成することである。これを「プライベートチーム(プライベーターとも)」と呼ぶ。プライベートチームのメリットとしては、景気や戦績を抜きに自らの精神力が不屈である限り参戦することが可能な点である。しかし、レースに参戦するためには多額の資金を必要とする。

自動車競技の特徴として、レースに参戦を続けるためには、あるいは車両性能の向上のためにどうしても資金が必要な競技でもある。そのためにレーシングチームはスポンサーという出資者を募る必要がある。スポンサーには資本的なスポンサーと技術的なスポンサーがある。スポンサーによる応援によってレーシングチームの運営や車両性能の向上が図られる。これらの恩恵を受けた見返りとして車両やレーシングスーツなどにスポンサーの名前やロゴを掲載するため、一種の広告としての役割を担う。これはF1においてロータスが先駆けて行ったため、これが派生して「走る広告塔」という言葉も生まれた。

また、レース毎によってホモロゲーションという規約が存在する。一般的にホモロゲーションは車両規約であり、レースによっては道路運送車両法の保安基準に適合する範囲内の改造であればレース参加を認めるものや、保安基準に適合しないために参加するためにさまざまな規約を設けるものも存在する。一般的にレースに参加する競技車両は改造車であり、公道を走行することが禁じられる範囲にまで改造(あるいは製造)された車両はトランスポーターという輸送車両を使用して競技会場に向かうことを義務付けられている。車両の高性能化に伴い競技に不要な装備などの除去やエキゾーストパイプも高性能化のために触媒や消音機を取り除いてしまうなどの行為がホモロゲーションに違反とするものであればレースによっては参加を認められないものもある。この他、特殊なホモロゲーションにはワークスチームは一定期間に一定以上の自動車生産台数を超えていないとレースに参加できないなどといった条項が存在するものもある。

歴史

自動車競技の起源

自動車レース、すなわち自動車競技の起源として伝えられているのは1887年4月28日にフランスパリで行われたもので、その内容はヌイイ橋からブローニュの森までの約2kmを走行。優勝者はド・ディオン・ブートン社の自動車をドライブしたジョルジュ・ブートンであった。彼はアルベルト・ド・ディオン伯爵と共にド・ディオン・ブートン社を共同設立した人物でもあり、また、これをレースと呼ぶにはほど遠い内容であったとも伝えられる。

テンプレート:Double image stack 記録として残る自動車競技は1894年7月22日に開催された、127kmのパリ - ルーアン・トライアルである。この企画は、フランスの大衆新聞「ル・プティ・ジュルナル」が、当時同社自身も主催するなど人気のあった自転車レースの延長上に、新しい乗り物である自動車での競技を発案したものであった。先述のような試みはあるものの、ほとんど実績がないイベントであったために危険性についての考慮などさまざまな論議を呼んだ。レースの内容はパリを出発した各車がルーアンに設けられたフィニッシュラインをどの車が最初に通過するか?というものを競う内容で、参加費用に10フランを徴収した。なお、この大会の事前登録には102名もの公募が集まった。

ただし、書類上の提示などで要件を満たしていないなどのオーナーもあって、25台でレースを行うこととした[2]。その後、4台がレース参加が不可能となり最終的には21台でのレースが開催された。参加した多くのドライバーがプジョーパナール、ド・ディオン・ブートン社の車両とそのオーナーであったが、1880年製すでに製造後10年以上経過していたアメデー・ボレー父子の大型蒸気バス「ラ・ヌーヴェル」(La Nouvelle)も参加した[3]。このレースの結果、パリ - ルーアン間を最初にフィニッシュしたのは自ら製作させたド・ディオン・ブートン車を運転するアルベルト・ド・ディオン伯爵であり、タイムは6時間48分、平均時速は約19km/hであった。ただし彼の車は蒸気自動車であり、当時としては強力高速だがボイラーに燃料をくべる助手が同乗せねばならないという実用上のハンデがあった(さらにド・ディオン伯の車はスピードを出し過ぎ、途中で畑に突っ込むアクシデントも起こしたが、レースは続行できた)。速度や安全性などについて審議をされた結果、これからはガソリン車を売り込みたいという、運営側の思惑もあり、優勝者はガソリンエンジン車のプジョー Type 3を操縦し、ド・ディオンに遅れること3分30秒でフィニッシュして2着となったジョルジュ・ルメートル[4]とされた。ド・ディオンは2着扱いとなったた。なお21台中完走は17台で、4台はエンジントラブルなどでリタイヤした[5]

ファイル:Panhard-levassor.jpg
パナール・ルヴァッソール Type A。左の人物がエミール・ルヴァッソールであり、ルネ・パナールらと共にこの車を設計した

自動車競技黎明期

前述の通り、パリ - ルーアン間のレースは世界最初のレースと記録されるが、各車のスタートがバラバラであったために公平性にも問題があった。パリ-ルーアントライアル参加者たちの主要メンバーの発起で計画され、その問題を改善して行われたのが1895年6月11日-13日にかけて開催された耐久レースパリ - ボルドー - パリトライアル」(en:1895 Paris–Bordeaux–Paris)である。これはパリからボルドーに向かい、ここをチェックポイントとし、パリに再び戻るという内容で、のべ走行距離は1178kmに達する過酷なロングランレースであった。レースの特徴は全ての競技参加者がパリを一斉にスタートした点にあったが、まだ長距離レースに対する安全確保の想定は不備で、休憩や運転者交替、夜間走行などに関する拘束規定は設けられなかった。そのため電気ヘッドライトもない時代でありながら夜間走行が強行され、強制的な休憩設定がないために極端な長時間運転を続けるドライバーも見られた。

レースの重要な結果は、22台の参加車に対し完走した9台のうち、今回も参加して最下位で完走したボレーの蒸気自動車「ラ・ヌーヴェル」以外の8台が、すべてガソリン自動車であった事実である。さらに、優勝候補であったド・ディオン蒸気自動車複数台はすべて中途リタイアした。これはガソリン自動車の蒸気自動車に対する優位性を、如実に示した事件であった。

レースの勝者はパナール2気筒車に乗るエミール・ルヴァッソール1843年1月21日 - 1897年4月14日)で47時間47分(※:文献によっては48時間47分とも)で完走した。この時ルヴァッソールは、ほとんど途中休憩をとることなく、自身の運転によって全区間を不眠不休で走りきったという。当時の自動車性能から考慮してもこの記録は驚異的な速さであり、自動車競技黎明期の偉大な記録の一つといっても過言ではない[6]。なおこのレースにはタイヤメーカー・ミシュラン創業者のミシュラン兄弟が番外で参加、自作の自動車用空気入りタイヤを装備したダイムラーに大量のスペアチューブを載せて出走したが、ともかく完走はしたものの、途中20回以上もパンクを繰り返す災難に遭った。

ファイル:Providence Horseless Carriage Race 1896.jpg
ロードアイランド州クランストンナラガンセット・トロット競馬場で開催された「馬なし馬車レースHorseless Carriage Race)」スタート直前の様子
(※:写真は1896年9月26日)

1895年11月28日にアメリカ国内で初開催となる自動車レースが行われた。イリノイ州シカゴから市街地南部、一部エバンストンを走る長さ87.48kmの走行距離を競った。このレースは大吹雪によって悲惨なレースとなり、多くの競技参加者が脱落した。優勝者はフランク・デュリエで記録は10時間23分であった[7]。1896年には後述されるサーキット開催の原型ともいえる競馬場を利用したレースが開催される。そのため、こうしたレースを「Horseless Carriage Race = 馬なし馬車レース」と呼ばれ、特にアメリカでは自動車競技に対してこのように呼称された[7]

ファイル:DuryeaBrothers.jpg
デュリエ兄弟。向かって左がチャールズ、右がフランク。(※:1908年頃の写真)

自動車競技を定期的なイベントとして開催する事になったのは1897年のニースで、3月後半から「スピードウィーク」と呼ばれるスケジュールを立てて定期開催された。スプリントレース、ドラッグレースヒルクライムなどの多くの自動車競技がここで始まった。

ファイル:Gordon Bennett 1904.jpg
ゴードン・ベネット・カップに出場するリシャール・ブラシエ(1904年)

国際レースの登場

国際レースとしての最初の自動車競技は、1900年から1905年まで6回にわたって開催されたゴードン・ベネット・カップである。最初の大会はパリ - リヨン間の速さを競った。これらの大会中、1900年、1901年、1904年、1905年の4回をフランス勢が制し、1902年大会でイギリスネイピア & サン車が勝利した。優勝者の国で翌年開催されることになっており、1903年の大会がイギリス初の国際自動車競技会場となった。ただし開催されたのは正式にはアイルランドキルデア州。この年のゴードンベネットカップを制したのはドイツメルセデスであったため、翌1904年はドイツ国内のタウヌスで開催された。1905年最後の大会はフランスのクレルモン=フェランのオーヴェルニュ地域圏を周回する競技(※:後にシャレード・サーキットとなった)で開催され、リシャール・ブラシエに乗るレオン・テリーが前年に続き2連覇した[8]

ブリティッシュグリーン(※:ブリティッシュレーシンググリーン、BRGカラーとも)は1902年大会で優勝したネイピアの車に施されていた色であり、これに由来して深みのある独特なオリーブグリーン色がその後のイギリスにおける自動車競技に伝統するナショナルカラーとなった。

テンプレート:Main
ファイル:1906 French Grand Prix Szisz.jpg
1906年に初開催されたフランスグランプリの様子。先頭を走るのはルノーを駆るフェレンク・ジス。

一方、フランスでは1901年ポーで開催されたレースでは、クラス毎に分けた取り組みがなされた。軽量クラスに与えられた「グランプリ・デュ・パレ・ドール(テンプレート:Lang-fr-short)」、重量(最速)クラスに与えられた「グランプリ・ド・ポー(テンプレート:Lang-fr-short)」と賞の名前に初めて「グランプリ」が使用された。グランプリは「テンプレート:Lang-en-short = グランドプライズ」すなわち「大賞・最高賞」を意味する言葉であり、これが起因して今日では最高位レースにグランプリという名称が使用されるようになった。1906年にフランス自動車クラブ(テンプレート:Lang-fr-short)が主催して「フランスグランプリ」が開催される。一般公道を使用するレースは後述する1903年に開催されたパリ~マドリード間レースでの死亡事故によって禁止されていたが、ゴードン・ベネット・カップをヒントに公道を閉路として使用した「クローズドロードレース」としてル・マンで開催され、1周103.18kmを12周、合計1238.16kmで争われるレースであった。その後1907年、1908年、1912年はディエップにて、1913年はアミアン、1914年はリヨン第一次世界大戦が勃発するまで開催された。余談ではあるが、終戦後の最初のフランスグランプリは1921年に再びル・マンに戻され、現在のサルト・サーキットの原型となる場所で開催された。また、ポーも1930年に国際レースとしてフランスグランプリが開催された場所でもある。ポーは1933年より「ポー・グランプリ」と呼ばれ、開催されなかった1934年、1940年から1946年、1956年、そして2010年を除いてF1、F2、F3、WTCCなどなんらかの国際競技が開催されるなどこれらの都市はフランスにおけるレースの聖地となっている。

ファイル:1908 New York to Paris Race, Roberts.jpg
ニューヨーク~パリ間レースに出場するトーマス・フライヤーの車両と、ドライバーのジョージ・シャスター、クルー達。
(写真は1908年2月12日)

その他、国際レースとして超長距離レースが行われるようになった。1907年には北京~パリ間レースが開催され、北京からスタートして、パリまで14994kmを横断するレースだった。参加した車両は合計5台でイタリアからはイターラ1台、オランダからはスパイカー1台、フランスからは三輪自動車のコンタル1台と蒸気自動車のド・ディオン・ブートン2台が参加した。6月10日にスタートし、62日かけてイターラのボルゲーゼ公爵がゴールし優勝した。なお、優勝賞品はG.H.MUMMシャンパン1本だけだった[9]。 翌1908年にはニューヨーク~パリ間レースが開催された。参加したのはイタリアのザスト、ドイツのプロトス、アメリカのトーマス・フライヤー、そして今回もフランスからド・ディオン・ブートン、モトブロックシゼール=ノーダンの3台が出場し、合計6台で争われた。2月12日にニューヨークをスタートしてアメリカ大陸を横断した後にシアトルから日本横浜へ渡航し、敦賀まで480km縦断した[10][11]。余談だがこのレースが記録に残る日本で初めて自動車競技が行われた瞬間である。そこから日本海を渡りウラジオストクに上陸してシベリアを横断する形でユーラシア大陸を東から西へ駆け抜けパリに向けて距離にして22000kmを旅するものであった。最初にゴールしたのは7月26日にパリに到着したドイツのハンス・コーペンであったが、途中通過しなければならない箇所(現在で言うチェックポイント)を通過していなかったため、正式な優勝は7月30日にゴールしたトーマス・フライヤーを駆るアメリカのジョージ・シャスターであった。 この自動車競技は「偉大なレース」として数えられ、後のラリーラリーレイドの原型となった。

ファイル:Marcel Renault 1903.jpg
ルノーの自動車を駆るマルセル・ルノー。豪快にコーナーを曲がる様子。(※:写真は1903年パリ - マドリードレース)

公道レースからサーキットの誕生へ

フランスを中心とした自動車競技は大きな成功を収めていたが、自動車性能の向上は同時に危険性をはらむものでもあり、上記の通りそのほとんどのレースが市街地レースや都市間レースであったため、危惧された通り、パリ - マドリード間のレースでルノーの共同創設者であるマルセル・ルノー (1872年 - 1903年5月25日)が観客を巻き込む事故を起こした。この事故により観客を含む死者は9名、マルセルも重体となり翌日に31歳の若さで亡くなった。事態を重く見たフランス政府は多くの自治体における公道レースの禁止を発表するなど、大きな波紋を呼んだ[12][13]

上記の事故がヨーロッパのみならず、アメリカ国内においてのサーキット建設に拍車をかけたといわれている。サーキットの意味は日本語で「閉路」となり、すなわち「閉ざされた道路」という競技場である。

自動車競技の歴史において記録に残る最も古くに競技場にて開催された場所はナラガンセット・トロット競馬場である[14]。この競技場はトロット競馬場であるが、1896年9月26日に10台の自動車を用いて「Horseless Carriage Race = 馬なし馬車レース」として開催された。 ただし、当時ナラガンセット・トロット競馬場にて自動車競技が行われた背景には、むしろ安全性よりも様々な形態の自動車性能を見極めるための観客の志向や「馬なし馬車レース」という名称でもわかるとおり見世物としての要素が強かったとされる。 現存する世界最古のサーキットはミルウォーキー・マイルであり、1903年以来現在でも自動車競技が開催されている。このサーキットも元は競馬場として1876年に創業されたものであり、それを自動車競技のサーキットとして使用したのが始まりである[15]

ファイル:Brooklands Members' Banking from bridge.jpg
現在のブルックランズサーキット。当時のままの路面を残している。現在はブルックランズ美術館として営業している。

自動車競技を目的として最初に創業したサーキットはイギリスのサリーにあったブルックランズサーキットであった。1907年6月の創業以来、多くのレースがここで行われた。全長4.43 kmのコースでバンク角は最大30°コース幅は100フィートにも及ぶ広大さを誇る完全舗装サーキットであった[16]。ブルックランズは当時の最高基準で建設されたサーキットであり、当時としては路面状況が非常によく、自動車、オートバイ、三輪自動車などを問わずあらゆるジャンルの自動車競技が開催された。世界最高速記録の樹立や500マイルレースなどの耐久レースも行われ、自動車の信頼性、性能のそれぞれの向上に大きな役割を担ったサーキットともいえる。ブルックランズは1939年に後述する第二次世界大戦の影響によって航空機の生産が念頭となったために同年8月7日のレースを最後に閉鎖したが[17]、自動車競技専用のサーキット建設とそこで開催されたレースの興行的な成功と、それを利用することによって自動車性能が飛躍的に向上と工業技術力の向上、さらには四輪自動車のみならずオートバイにおいても高い安全性を提供できたことからも、ブルックランズに続いて各国各地でサーキット建設が行われるようになった。

テンプレート:Main
ファイル:Brooklands 1930.jpg
ブルックランズサーキットでのレーススタートの様子。ル・マン式スタートで出走している。
(写真は1930年)

自動車会社の成功と国家技術力競争

現在、国際自動車連盟Fédération Internationale de I'Automobile, FIA)の前身となる国際自動車公認クラブ協会(Association Internationale des Automobile Clubs Reconnus, AIACR)が設立されたのは1904年であるが、毎年恒例の会議の中で特に議題になっていたのが自動車会社の自動車レースへの関心の高さであった。 それまでのレースの興行的な成功と、フランスやドイツ、イギリス、イタリア、アメリカなどの自動車会社の成功はすなわち自動車会社の技術力の象徴として扱われたため、自動車の技術発展と同時に自社の宣伝効果にも莫大な意義があるということは明白だったからである。そのためAIACRは自動車選手権の必要性を認め1923年に「ヨーロッパグランプリ」という名目で前年にイタリアに完成したばかりのサーキットであるアウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァで初開催した。このヨーロッパグランプリは1930年までの間にフランスのリオン、ベルギーのスパ・フランコルシャン、スペインのサン・セバスティアンなどで開催された。

国際的な注目を得た自動車会社はナショナルカラーで塗られ、自動車を使った工業先進国の技術力の高さを表した。この傾向は特に1930年代に入ってからナチス・ドイツのメルセデス(現在のメルセデス・ベンツ)、アウディアウトウニオン)が自国の技術力を他国に見せつける国威発揚の場として使われた。ヨーロッパにおける自動車の速度記録は1928年にイギリスのマルコム・キャンベルが記録した281.44km/hを最後となっていたが、ナチス・ドイツでは1934年にメルセデス・ベンツ W25を駆るルドルフ・カラツィオラが317.460km/hを記録。また、アウトウニオンはフェルディナント・ポルシェを起用してアウトウニオン・Pワーゲンを開発。1937年にはベルント・ローゼマイヤーがアウトウニオン・Pワーゲンを駆って401.9km/hを記録した。 しかし、ヨーロッパを中心とした世界情勢に暗雲が立ち込め第二次世界大戦が勃発し、ヨーロッパにおけるグランプリは1939年から終戦まで開催されることはなかった。南米では1940年から1942年まで開催され、1940年にサンパウログランプリと冠してブラジルインテルラゴス・サーキットで開催された。1941年にはブラジルでリオデジャネイログランプリとアルゼンチンブエノスアイレスグランプリが開催され、1942年にはプエノスアイレスに加えサンタフェグランプリが開催された。その後は大戦の世界的な激化により終戦まで全てのグランプリが中止された。

終戦からFIAの発足。「フォーミュラ」の誕生

第二次世界大戦後に最も早く開催されたレースは1945年9月9日にブローニュの森で開催されたパリ杯である。優勝者はブガッティを駆るジャン=ピエール・ワイミルであった。彼はフランス陸軍の兵役がまだ残っていたため、レースに出場する為に陸軍に許可をとって出場した。

1946年には国際競技としてフランスのサン=クルー、スイスのジュネーヴ市街地、イタリアのトリノで3カ国のグランプリとその他17グランプリの計20グランプリが開催された。当時自動車競技部門を統括していた下部組織である、国際スポーツ委員会(Commission Sportive Internationale, CSI)によって最高峰のシングルシーターによる自動車競技の発足を目指した。それまでにあったグランプリという国際競技でありながら、新しい定義の競技の必要性が講じられ戦後の自動車競技における新しい「規格」を由来に「Formula = フォーミュラ」と名付けられ、いくつかの階級に分ける案が認められた。その理由に戦前におけるグランプリにて3.0リッタースーパーチャージャー付きエンジンと、4.5リッター自然吸気エンジンの2つが混在していたこともあり、すでにカテゴリの分裂が起きていた。性能差の是正から3.0リッタースーパーチャージャー付きエンジンを廃止し、1.5リッタースーパーチャージャー付きエンジンと、4.5リッター自然吸気エンジンのどちらかの使用というルールとなり、このエンジン使用規約が1950年に初開催されるフォーミュラ1の最初のルールとなった。 また、1949年までは「Championship = 選手権」というものがなかったが、フォーミュラ1で初めて年間戦績を競う世界選手権方式が採用された。

政治的な動きとしては、1947年に国際自動車公認クラブ協会(AIACR)を前身とした国際自動車連盟FIA)が設立された。

ファイル:Lotus Cars and lorry for Le Mans 29.07.1956.tif
ル・マン参戦用の車両。
(※:写真は1956年、ロータス・エンジニアリングの車両「イレブン」)

スポーツカー世界選手権の誕生

自動車競技の多様性は形態が限りなく市販車に近いスポーツカーレースにまで発展していった。前述のフォーミュラ1はフォーミュラカーを使用したシングルシーターによる比較的短距離(スプリント)なレースであり、選手権の内容もドライバーを重視したものであった。これに対し市販車ないし市販を前提に開発した車両、つまりは運転席と助手席が存在するスポーツカーを使用したレースは自動車製造業者(マニファクチュアラー)が主体のものとなった。したがって、自動車性能を示す一つである耐久性も考慮され、大変長距離(エンデュランス)なレースとなるが、こうしたレースはそれまでにミッレミリアスパ・フランコルシャン24時間レースル・マン24時間レースRACツーリストトロフィーといった伝統的なものが存在していたが、それぞれのレースに主催団体が違っていた為にそれまで選手権としての統一が実現しなかった。 その為、こうした耐久レースを統一したものとして1953年にスポーツカー世界選手権World Sportscar Championship)」が発足された。 初開催となった1953年は上記の伝統的なレースに加え、近年に発足されたセブリング12時間レースニュルブルクリンク1000kmカレラ・パナメリカーナ・メヒコを合わせて計7戦が開催された。

世界ラリー選手権の誕生

1973年に「世界ラリー選手権」が発足された。 その後も多くの自動車競技カテゴリが発足され、現在に至るまで自動車競技は自動車業界全体の活性化に大きな役割を担い続けている。 テンプレート:節stub


競技への参加形態

参加形態の分類

参加形態には大まかに分けて3つの形態に分類される。

自動車製造会社が自社の資金を使用して、特別車(ワークスマシン)で参加する。長所としては豊富な資金力と自動車製造会社というあらゆる設備が整った母体を背景に自動車競技に参入できるため、一般的に強豪チームとして成果を上げやすい。その反面に景気や企業の業績、世界情勢など2次的な影響を受けやすい。代表的な例としては株主に対する配慮であり、業績不振によって株主の反感を喰らい自動車競技から撤退を余儀なくされるなどの短所もある。
自動車製造会社が注目するチーム(選手)にワークスマシンを貸与し、参加(させる)。下記のプライベーターが高い実績によって試験的に技術提携を結ぶ形式でもある。長所は自動車製造会社側もチーム(選手)側にもメリットがあり、自動車製造会社側はワークス体制と比べて資金の投資が軽減でき、チーム(選手)側も自動車製造会社からのさまざまな恩恵によって運営資金を軽減できる点である。逆に短所はそれぞれの運営方針の違いや温度差で制限が発生する点である。自動車製造会社側も、チーム(個人)側の運営方針について思うような指針を求められない場合もあり、逆にチーム(個人)側も自動車製造会社側が求める要求をさまざまな思惑によって飲めない場合もある。それぞれにノウハウや主義などの要素が交錯するために、効果も副作用もワークスとプライベーターの中間的な位置付けになってしまう傾向がある。
  • 個人(プライベーター)
個人(チーム)で市販車を購入および調達し、参加する。長所としては、個人(チーム)の運営能力やノウハウだけで競技を行うことができるため、さまざまな制約から解き放たれている点である。個人(チーム)が得た貴重なレースデータを共有することなく隠蔽が行える点である。プライベーターは自動車競技において一般的に不利であると言われており、短所としては部品や車体などの購入や調達も自動車製造会社側の恩恵を受けることなく実費を支払わなければならない。それら自動車製造会社もワークス、セミワークスに与える部品、車体と差別化させた物を供給する傾向もある。したがって、大規模なカテゴリになればなるほどプライベーターはワークスよりも高いノウハウと資金力が必要とされると言われており、潤沢な資金力を作り出すことができるなんらかの「母体」が必要とされる。
ファイル:Renault garage.jpg
スポンサーのロゴが多く張られているルノーF1チームのピット(※:写真は2005年アメリカGP

スポンサーシップ

スポンサーシップテンプレート:Lang-en-short)とは「後援」を意味し、その名の通りチームや選手に対して技術や資金を提供することである。こうした資金と技術提供者をスポンサーと呼ぶ。自動車競技におけるスポンサーは、大きく分けて「テクニカルスポンサー」と「コマーシャルスポンサー」の2つが存在する。

自動車競技において、選手、チームが優秀な成績をあげることは、その選手、チームに携わる自動車製造会社製品(車両本体やパーツも含める)、あるいは当該企業のイメージアップにも繋がる。したがって該当する車種の販売にも大きな影響を与える。そのため製造各社はさまざまなかたちで競技参加者を支援しており、個人の参加車にもサポートをする。先述のセミワークスもこれに該当し、車体だけでなく部品供給などの恩恵を与えることでこれらの当該企業の営利的な目的にもなる。こうしたことからもセミワークス体制は「テクニカルスポンサー」を受けたプライベーターという解釈も可能である。

また、競技の参加にはほとんどの場合多額の資金やメカニック・エンジニアなどのスタッフが必要になるため、競技参加者は自動車製造会社だけではなく、広く経済社会全体からスポンサーを見つける努力を行う事が常となる。スポンサーによる資金の提供を受けた場合は、野球サッカーなどの他のスポーツを例に見ても分かるように、選手のユニフォームなどに企業のロゴや提供する団体の名前が掲載される。これと同様に、自動車競技においてもレーシングスーツや車体にスポンサーのステッカーを貼る、あるいは塗装するなどをして広告とする。これを「コマーシャルスポンサー」と呼ぶ。

ファイル:HillGraham19690801Lotus-Nordkehre.jpg
グラハム・ヒルが駆るロータス・49。自動車競技史初のスポンサーカラーである(※:写真は1969年

自動車競技におけるスポンサーは1960年台後半に入ってから行われるようになり、F1のチーム・ロータスに代表するように車体にスポンサー企業や団体を掲載し、さらにメインスポンサーが求めるカラーリングで車両を塗装する「スポンサーカラー」という手法も確立した。その収入によってより強力なチーム体制を身につけることに成功した背景から、自動車競技は「走る広告塔」と比喩されるまでになった。

自動車競技はチームとは別にドライバー個人に対しスポンサーが付く場合も少なくないのが特徴である。これを「パーソナルスポンサー」と呼ぶ。パーソナルスポンサーはコマーシャルスポンサーの一種であり、このスポンサーを見込んでプライベーターチーム側がドライバーに対する契約締結条件するケースも珍しくはない。これは、自動車競技という競技の特性における側面の1つでもあり、チーム運営にかかるコストが莫大であるために資金力が重要になる傾向がある。スポンサーになる企業もその広告費の高さから比較的大きな企業に限られ、特にチームの競争力を高めたいという考えや、あるいは資金不足があらわになったチームはドライバーの自動車競技の能力よりも、チームの運営状況を改善してくれるドライバーを好まれる場合が多いためである。したがって、下位カテゴリから上位カテゴリに昇格を目指す新人ドライバーは、それまで戦ってきたカテゴリでの特筆される実績とプラスして、スポンサーを要求される。

このようにスポンサーを要求され、その力によってシートを得たドライバーをペイドライバーテンプレート:Lang-en-short)とも呼ばれる。通常はドライバーもスポーツ選手と同じく一つの職業であり、彼らと同等に戦果や奮闘の対価としてチーム側から契約金や年俸などが支払われ利益を得るのが常ではあるが、ペイドライバーの場合は反対にチーム側からの支払いを一切受けることない、あるいはごくわずかな年俸などを得てチームのレギュラーシートに座る[18]。しかし、その見返りとしてペイドライバーが持ち込んだスポンサー企業がチームに付き、その企業がスポンサー料をチーム側に支払う。 こうしたドライバーは自身が得る利益よりも支払い(Paying)の額が明らかに大きいためペイドライバーと揶揄されるようになった[19]

これらの事から、時としてスポンサー目当ての新人ドライバー契約が問題視される場合もある反面[20]、プライベーターのマネジメント能力と新人抜擢能力が評価されるケースもあり、こうしたプライベーターでチームの競争力以上の大きな活躍をすることで、将来的に選手個人に対して強豪チームからオファーが訪れ引き抜かれてゆく、あるいは古参ドライバーが加齢による身体能力の低下などによって引退するなどを行い、そのシートに新たな新人が自らの能力を挑戦する意義を見出してスポンサーと共に自身の昇格を目指すという登竜門的な意味もある。 また、自動車競技においてのチーム側の考えとしては、財政的理由と才能の間での正しいバランスを見つけることがチーム運営上の重要事項であるため、ペイドライバーについては評価が分かれる[19][20][21]

スポンサー企業の傾向としては、以前はマールボロを代表とするタバコ企業が豊富な資金力を背景に自動車競技と強い関係を結び付けていたが、1980年代後半よりEU諸国から始まったたばこ広告規制強化によって、たばこ広告の縮小を始める。この規制はイギリスで最初に行われ、F1においてもイギリスGPではタバコ銘柄の名称を記載する行為を禁止した[22]。この風習は後の喫煙問題によってEU諸国に広がり、現在ではヨーロッパ諸国全土においてたばこ広告の掲載は禁止されている。近年では車体に描かれる図柄がたばこ広告に似ている、あるいはサブリミナル効果としてタバコを連想させるというだけで問題視される傾向にあり、事実上たばこ広告は完全排除されている[23]。この他にも、アルコール飲料のスポンサーも、飲酒運転アルコール依存症などの問題で規制される傾向にある[24]

競技の場所

自動車競技の競技が行われる場所を以下に示す。

ファイル:2008 Indy 500 video.ogv
インディ500の様子。
アスファルト舗装されたコースで、閉路になっているために一般的に複数周回を走行し規定周回を走行することで完走となる。サンドトラップやグラベルエリア、ランオフエリアなどを設けられたサーキット(※:イタリアではアウトドローモ)、楕円形のコースを周回する「オーバル」もこれに含まれる。通常の公道よりも舗装が競技向けに作られているのも特徴。
F1からラリーまでさまざまな競技を行う。競技が可能な道路幅と路面状況であることが開催の条件となる。公道といっても様々で、アスファルト舗装された平坦な路面が通常であるが、古い街並では石畳などもある。通常は一般車両が走行するため、交通量が多い箇所になればなるほど路面に轍状の起伏ができやすくサーキットと比較すると滑りやすい。カテゴリによっては一部の公道を閉鎖してサーキット型の競技を執り行う場合や、スタート地点とフィニッシュ地点が別となる都市間競技など行うなどのケースがある。
シンガポール市街地コースバレンシア市街地コースのようにレースを行うことを前提として公道が整備されることもある。
  • 非舗装路面・自然環境など
一般的にオフロードダート砂漠草原雪上(氷上も含む)などを指す。ラリーやオートバイのトライアル競技などに使用され、砂や泥でタイヤのグリップ力が弱まるために当然ながら滑りやすい。公道コースと同じように車両が周回できるようにコースを造って競技を執り行うものや、スタート地点からフィニッシュ地点までコースを制定するもの、あるいはスタートとフィニッシュ、チェックポイントは設けてあるものの、完走するまでの行程でどこを走行しても許可される競技も存在する。

自動車競技においては、閉ざされたコースを周回して走行タイムを計測、最速を競うことがレースの基本で、最高峰カテゴリ「フォーミュラ1 (F1)」は日本でもよく知られている。一方、 世界ラリー選手権 (World Rally Championship = WRC)に代表されるラリーや、ダカール・ラリーに代表されるラリーレイドは、サーキットではなく、公道およびオフロードなどにコースを設定し、規定時間内でより速く完走を競うもので、ロードイベントと呼ばれる。 競技の中にはル・マン24時間レースを開催するサルト・サーキットのように、サーキットと公道を併用して一つのコースとして行われるものもある。近年、サーキットは安全に競技および観戦できるよう、セーフティエリアを確保した設計が義務付けられている。それに比べ、公道で行われる場合は、十分なセーフティエリアを設けることが難しい場合が多い。

競技の種類

主に自動車競技競技とは、大きく分けて3つに分類されるが、その分類に属しないものもある。

レース・ロードレース
レース場やサーキット、あるいは区間閉鎖された公道などの舗装されたクローズドコースにて同時に複数台がスタートし順位を競う。日本ではレースを4輪競技、ロードレースを2輪競技として呼称する場合が多い。これらの競技で代表的なものは、2輪・4輪競技それぞれに存在するグランプリなどがある。ロードレースには2種類の競技形式があり規定の周回数を早く終わらせた者が優勝のスプリントレースと規定時間内に多く周回重ねた者が優勝の耐久レースがある。ほとんどのカテゴリにおけるレース(ロードレース)は、決勝の開始前に「フリー走行」と呼ばれる練習走行的なレースイベントが存在する。各者・各車両はこのフリー走行にてコースを把握してミスをしない限界に限りなく近い走行法や、車両が持つポテンシャルの限界に限りなく近い性能を引き出すために「セッティング」と呼ばれる細やかな車両調整が行われる。よって、1周あたりのライバル差が僅差となり、周回辺りわずかか0.1秒単位の速度差を埋めようと試みることを目的とする。それらをドライバー各自が適切な状態にした上で「公式予選」というレースイベントが開始され、その順位が後の「決勝」のスタート順に反映する。決勝のスタートは当然ながら予選で優秀な成績を収めた上位ほど有利である。レースのスタート方式は1周のフォーメーションラップ後に一旦停車を行った状態からシグナルレース旗によって一斉にスタートを行う「スタンディングスタート方式」と、フォーメーションラップからそのまま車両が加速した状態でスタートを行う「ローリングスタート方式」がある[25]
その他にも過去にはル・マン24時間レースで採用されていた「ル・マン方式」というスタート方法もある。ル・マン方式とは車両までドライバーが歩く(駆け寄り)そして速く車両を動かした順にレースをスタートする方式であるが、ジャッキー・イクスがその危険性について苦言を呈し続けた結果、現在のル・マンでは廃止されている。このル・マン方式のスタート方法を踏襲しているのが2輪ロードレースのスタート方式である。スタートの方法は現在ではクラッチスタート方式を採用し、車両まで向かったライダーがセルスターターおよび、キックによるスタートを行って発進する。以前は車両のエンジンがかかっていない状態から各ライダーが押しながらエンジンを起動させる押しがけスタート方式であったが、押しがけの危険性を憂慮して1987年からクラッチスタート方式に切り替わった[26][27]
テンプレート:Main
ラリー・ラリーレイド
決められた区間を決められた時間で正確に走ることが要求されるロードセクションと、決められた区間の走行タイムを競うスペシャルステージ(SSと呼ぶ)からなるが、どちらか一方の要素のみで構成される場合もある。ラリーとラリーレイドは似て非なる競技であり、「本来はタイムを競う競技ではない」ということが念頭に置かれるためにレースとも厳密には違う。スタート方式に関してはラリーもラリーレイドも同じであり、予め主催者側によって公示されたもの及び、大会ランキングなどによってスタート順が決められる。SSのスタート順は直前のタイムコントロール(TCと呼ぶ)を通過順に1分間隔で行われる[28]
ラリーレイドでは先述のSSとほぼ同じ役割を担う区間であるコンペティションセクション(CSと呼ぶ)が設けられている。
4輪競技におけるラリー・ラリーレイドにおける最大の特徴は車両運転手であるドライバーと、進路案内や走行速度指示などの補佐を行う「コ・ドライバー」という2名が車両に搭乗して行う点である。ラリードライバーに求められる運転技術はレーシングドライバーに求められる技術と異なる点が多く、競技の特性上、悪路に対する走破技術はもとよりレースにおける「フリー走行」のような練習走行が基本的に存在しないためにドライバー自身の運転感覚、視界からの情報、あるいはコ・ドライバーからのナビゲートによる聴覚からの情報、そして出走順によっては先行車両により非舗装路面が刻々と変化してゆく点もあり、これらの総合的な瞬時の判断から高い臨機応変力が求められる。ドライバーとコ・ドライバーの信頼関係も非常に重要と言われ、1つの車両で行うチームプレイとも言える。
2輪競技などで行われるラリーレイドは1人で砂漠を走破する技術や度胸、独自の感性や機械的トラブルや人的トラブルに巻き込まれない幸運も求められる。したがって、2輪ラリーレイドは最も危険な自動車競技の1つとして語られることも多く、その根底にはほぼ毎年のように死者を出していることが挙げられる[29]
テンプレート:Main
トライアル競技
決められた区間をいかに速く正確にゴールするかを競う。本来はトライアルとは「タイムトライアル」 (テンプレート:Lang-en-short)つまりは時間への挑戦を意味し古来はダービーボート自転車競技におけるレースを指したことから、これが派生して欧米では2輪自動車における競技もタイムトライアルと呼称した。その後、「トライアル = Trial」だけで試練・試みという意味を持つ事から2輪自動車による複雑な地形(人工的に作られる場合もある)を、いかに足をつかずに走破するかを競う競技をトライアルと呼ぶ。日本では2輪以外でもいくつかの4輪競技においても「トライアル競技」と呼ばれる。代表的な競技ではスラローム競技であるジムカーナや、加速競争であるドラッグレースなどがこれにあたる。ダートトライアルという呼称は和製英語であり、欧米ではダートトラックと呼ぶ。したがってその略称である「ダートラ」のほうが本来は呼称として正確である。
テンプレート:Main
その他
以上の分類に属しないものとして、ドリフト走行による車両姿勢の美しさを競うドリフト競技、一定の速さを保った上で燃費の優劣を競う燃費競争(エコラン)などがある。学生フォーミュラ(フォーミュラSAE全日本学生フォーミュラ大会など)では、車の速さ以外に設計そのものやプレゼンテーションも評価対象とされ、それらの総合点で順位を決定する。またそもそも動力を持たないカートで争われるソープボックスレースでは、車の見た目の派手さが競技の重要な要素の一つとなっている。

テンプレート:Main

競技車両の種類

四輪自動車においての競技車両の違いは大きく分けて3種類に分類される。フォーミュラ系(オープンホイール)とプロトタイプ系(スポーツカーレース)、そして市販車改造車系(ツーリングカー及びラリーカー)である。近年はソーラーカーを利用したレースも盛んに行われており、FIAにより代替エネルギーカップのレギュレーションが制定されている。

フォーミュラ系

車両の4輪のタイヤがフェンダーによって覆われず剥き出しになっている車両、ドライバーの頭部が外部に露出している車輌、ドライバー1名のみしかシートに座ることができない車両を主に指す。このことからオープンホイール、シングルシーターとも呼ばれる。完全に競技専用車輌として設計されており、前照灯やブレーキランプなどの保安部品は装備していない[30]。スプリントレースに特化した車両となっており、競技場所はサーキット、オーバル(円形〜楕円形コース)、公道であり、つまりは路面が舗装された平坦なコースでのみで競技が行われる。

タイヤが露出しているため空気抵抗は大きいが、車輌重量が軽く、運動性能に優れている。また、タイヤ交換を非常に迅速に行える利点もある。空気力学を元に、トラックとの密着性と高める効果を目的とした「ウイング = テンプレート:Lang-en-short」と呼ばれる、車両前後に大きな翼状のエアロパーツを装備している。カテゴリによっては、地面効果によって強力なダウンフォースを獲得するグラウンド・エフェクト・カーの使用が認められている。低速サーキットでは大きなダウンフォースを発生させ、高速サーキットでは最高速を重視するなど、エアロパーツの設計や設定次第でマシンの特性を柔軟に変化させることが出来る。

(※:主なカテゴリー F1GP2インディカースーパーフォーミュラF3 など)

スポーツカー系・プロトタイプ系

スポーツカー系およびプロトタイプ系の車両は、フォーミュラ系の車両と大きく異なる。根本的な違いはタイヤはフェンダーで覆われており、そして実際には使用しないが助手席が設けられた2座席車であり、UNECEが制定するECEレギュレーションに基づく保安基準(※:日本における道路運送車両法の保安基準もこれに準拠)であるヘッドライトテールライト・ブレーキランプの装着が義務付けられている点である。スポーツカーレースでは、これらの車両をグランド・ツアラー、グランツーリスモテンプレート:Lang-en-short , テンプレート:Lang-it-short)と呼ばれ、即ち「GTカー」とはその略称である。GTとは「大旅行」を意味しており、これが派生してアメリカSCCAにおけるトランザムシリーズの名称ように" Trans-AM = Trans-America = アメリカ横断 "という意味になぞられる。 したがって、上記のことからスプリントに特化したフォーミュラ系の車両とは異なり、主に耐久レース(長距離レース)用のマシンであることがうかがえる。

ファイル:MAZDA787B.jpg
レナウン・チャージ・マツダ787B1991年ル・マン24時間レース優勝車)

プロトタイプ系の車両は一見は市販車のような形状をしているが、フォーミュラ系と同様に純粋なレース専用車両ではある。先述のECEレギュレーションには適合するように車両の保安基準は準拠しているものの、市販車とは全く別物の形状をしている。これを「プロトタイプレーシングカー」と呼ぶ。これらのプロトタイプレーシングカーは世界耐久選手権ルマン・シリーズなど耐久レースのカテゴリに多く活躍する。プロトタイプとはその名の通り「試作機」の意味であり、本来は「市販車ではないが、将来の市販化を前提にした少量生産(ゆえに高性能)の試作スポーツカーであり、開発テストのためレースに出ている」というのが原義となる。したがって、同じスポーツカーであってもGTカーとは性質も意味合いも異なる。

スポーツカー系カテゴリの中にはさまざまなものがあり、近年は再編化されつつある分野の競技でもある。以前までFIA直下のGTカー選手権はFIA GT選手権であり、1つのレースにGT1からGT4までの4つのクラスの車両が競技を行っていたが、自動車会社の相次ぐ撤退などによりGT1クラスの車両が事実上不在となり2010年より国際選手権として新たにFIA GT1世界選手権が開かれた。これに伴い以前のFIA GT選手権を母体としてFIA GT2ヨーロッパ選手権(2011年より開催)、FIA GT3ヨーロッパ選手権、さらにはGT4まで細分化が図られている。

日本においては、全日本GT選手権を継承して国際競技化したSUPER GTなども市販車を改造したGTカー選手権に当てはまる。又、プロトタイプレーシングカーの分野では、ルマン・シリーズのルールに準拠した全日本スポーツカー耐久選手権がある。

(※:主なカテゴリー WECル・マン24時間レースルマン・シリーズアメリカン・ル・マン・シリーズ全日本スポーツカー耐久選手権SUPER GT など)

ツーリングカー系

ツーリングカーレースに使用される車両は、その名の通り町で見かけるような市販車をレース用に改造した車両である。ルールは国によって異なり、あるいは前述のスポーツカー系の車両やいわゆる「GTカー」とほぼ同義に捉えられる点も多い。本項では一般的に「ツーリングカー」と呼ばれているレース、及び車両について記述する。

ツーリングカー競技に参戦する車両は、参戦する車両(自動車会社)が標準として定めるボディを基礎とし、これをルールによってエンジン、サスペンション、ブレーキ、ホイールとタイヤなど変更が許される範囲の物が使用される。空力パーツは、通常は車両の前後にスポイラーやウイングが設けられ、レース参戦予算の高騰化と参戦者同士のレーススピードに対する開きを抑制するために斬新な技術を利用が禁止されるなどをしている。レース優勝者は通称「鉛のトロフィー」と呼ばれるウェイト(バラスト)を次戦から装着してレースに挑まなければならず、これも参戦者同士のスピード差を抑制するルールである。

自動車競技の中で最も基本的でポピュラーなカテゴリーの1つとも言え、上記の事からもレース観戦者側から見ても内容が判りやすく白熱しやすい、あるいは参戦者側などにも見た目から分かり易いものとなっており、イギリスツーリングカー選手権ドイツツーリングカー選手権など自動車競技が盛んなイギリス、ドイツなどでは高い人気を博している。参戦費用が比較的廉価でありながらもレース自体の奥深さからF1を引退した後に自身の新境地としてツーリングカーに参戦するドライバーも多く、こうした事から観戦者の関心もメーカー側の宣伝に対する費用対効果も相して高いことからもさまざまなメーカーがスポンサーとして参入しやすいのも特徴である。

ツーリングカーレースは、レースを個人で行うものから複数人で1つの車両を操縦又は同乗し競技を行うものもある。レース距離もスプリントから24時間耐久まで(フォーミュラ系ではインディ500の806kmが最大距離)がある。

(※:主なカテゴリー WTCCDTMBTCCスーパー耐久 など)

ファイル:Petter Solberg - 2006 Cyprus Rally.jpg
2006年のキプロス・ラリーの様子。(※:写真はインプレッサを駆るペター・ソルベルグ

ラリーカー

ラリーカーはツーリングカーと共通点が非常に多い。それは、同じく市販車両をベースに改造している点が挙げられ、あるいはその形状もツーリングカーに良く似ている。しかし、競技の特性上サーキット内だけでレースを行うのではなく、舗装された公道(ターマック)から平坦な砂利道(スムースグラベル)、さらには人間の頭大の岩が転がる荒れた砂利道(ラフグラベル)などの悪路を市販車の設計段階では考えられない速度で走行するため、車体にはツーリングカーに使用される車両以上の頑強な補強が求められる。ラリーに使用される車両はまず一度完全に分解され、内装には頑強なスチール製のパイプフレームが組み込まれる。これによって車体の耐衝撃性を高める効果と同時に、車体剛性が飛躍的に高まるためにドリフト走行がしやすい基本的な車両構造となる。 ボンネット内は熱対策が施される。カテゴリによってホモロゲーションの違いがあり改造可能は様々ではあるものの、ラリー競技は比較的低速な状態でエンジンを高回転に回す必要があるため、その対策も必須となる。先述のような悪路を常識では考えられない速度で走破するため、車の下回り(オイルパンやデフ)を保護するためのアンダーガードを装着しているのが特徴である。さらに上記の場所を走行するため、サスペンションもストローク量が大きい物を装着し、車高も走行する路面の状況に合わせて高くするときも低くするときもある。ラリーカーもツーリングカーと同じく2席のシートが設けられているが、ラリー・ラリーレイドではこのシートにコ・ドライバーが座る。彼らはドライバーに情報を送るためにペースノートや資料を読み上げる必要性があり、そのためにナビランプと呼ばれるコ・ドライバーの手元のみを照らす照明器具が装備されているのも特徴である。ギアボックスに関してはどのカテゴリの車両よりも低い速域で非常に高い値のギアレシオのギアが装着される傾向がある[31]。リアウィングに関しては低速域から高いダウンフォースを発揮できる構造の物が求められるため、そうした要求を発揮するために「スプリッターリアウイング(※:通称、本棚ウィング[32])」などラリー用に作られた独自の形状をしたウィングが使用される[33]

(※:主なカテゴリ WRCIRCAPRCJRC など)

ファイル:Juan Pable Montoya ATL.JPG
ストックカーが使用される代表的なシリーズNASCARアーンハート・ガナッシ・レーシングモントーヤ車。
(※:写真は2009年。)

ストックカー系

アメリカにおけるレースでポピュラーな自動車競技車両の1つである。ひとえにストックカーとは「見た目が乗用車と同じマシン」という曖昧な定義からなされるため、ほぼ無改造の車両から完全なレーシングマシンまで存在する。後者に関してはツーリングカーに似ているが、ツーリングカーの様な市販車改造車両ではなくストックカーは完全な独自設計車両である。ただしGTカーのように最高技術の結晶のような車両かといえば違い、エンジンはOHVであることからも一見して現在の自動車テクノロジーから後退した構造に見受けられる。 しかし、その単純な構造から高い回転数と馬力を生み出し、大排気量エンジンから圧倒的なトルクが生み出される事から非常に高い水準の技術から造られているのが分かる。ストックカーは他のレーシングマシンと比較して重い車両であり、ほぼ市販車と変わらないくらいの重量を誇る。そのボディ構造はアルミニウムからなるパイプフレームにグラスファイバー製のボディを被せて完成する。

現在のストックカーはライト類(前照灯尾灯)が存在しているかのように見えるが、本来の市販車ならばライト類がある場所にその形状を模したシールや塗装を施しているだけであり、実際にはライト類は装備されていない。ドアの継ぎ目が見受けられないことから分かる通り、ドライバーの乗降は窓から行う。レースの性質上、ほかの車両と接触することが多いために比較的ボディ強度は高い。 代表的なストックカーレースはNASCARであるが、この他にIMCAなど開催されるストックカーレースもある。IMCA系のストックカーレースはダートトラックで行われることが多いが、根本的な構造はNASCARと変わりはない。

ストックカーの中でも旧車両を使用したレースなども開催され、こうしたものを「レイトカー( 英:late car ) と呼ぶ。レイトカーは古いストックカー車両を使用しているため、現在のストックカーのようにグラスファイバー製のボディを被せたりしたものは少ない。レイトカーの多くが前者にあたる「市販車改造車両」が多く、ライト類が装備されているものや、ドアの開閉が可能なものもある。ストックカーの歴史からみてこれらレイトカーのように古来は適合するホモロゲーションをクリアする事を前提に軽量化のためにボディを1度分解してその各ボディをに浸すことによってわずかでもボディを薄くして軽量化を施したり、市販品ならば使用しても良いというホモロゲーションルールから市販品でも非常に高価なものを装備するなど、参戦費用が莫大になっても少しでも速いマシンを手に入れるために工夫がなされていた。こうしたことからストックカーは市販車改造車両をベースとしたものであったが、レース参戦コストの高騰を抑制すべく考慮から比較的費用のかからない手法を模索していった結果、完全独自設計車両に進化していったことがうかがえる。

(※:主なカテゴリー NASCARIMCA など) テンプレート:Clear

トラック系

ファイル:Formula Truck 2006 Interlagos first lap.jpg
フォーミュラ・トラックの車両

レース用の貨物自動車(トラック、カミオン)も存在する。競技に使用されるトラックは、多くの場合競技専用に開発された車両が使用される。そのため見た目はトラックのように見えても、貨物自動車本来の「貨物を運ぶ」という機能は持たないのが一般的である[34]ラリーレイドではスペアパーツなどの運搬のために別途「サポートカミオン」と呼ばれる通常のトラックが投入されるが、それらは一応競技参加車両ではあるものの順位争いには参加しない(そもそも競技専用車両とは性能が違いすぎるため競走が成り立たない)。

トラックレースは日本ではあまり馴染みがないが、日本国外ではフォーミュラ・トラックやNASCARキャンピング・ワールド・トラック・シリーズなど、カテゴリが多数存在する(キャンピング・ワールド・トラック・シリーズはストックカー系にも分類される)。またラリーレイドでは、通常のラリーカーによって争われるクラス以外に競技用カミオンによって争われるクラスが設けられることが多く、特にダカール・ラリーにおけるカミオンクラスは一つの名物となっている。 テンプレート:Clear

ドラッグレース系

ファイル:CruzPedregonMcDonaldsDragster.jpg
ロングノーズ形状であるドラッグスターファニーカー。ベースはポンティアックファイヤーバード
ファイル:Janne Ahonen Dragster Hockenheimring 2010-08-14.jpg
ドラッグレースの典型的な車両であるドラッグスターのバーンアウト

1/4マイル(約402m = 約0.4km)という短い競技区間でのタイムを競う。競技はドラッグストリップと呼ばれる直線の専用レース場で行われる。スタート前にバーンアウト(バーンナウトとも)を行い、クリスマスツリーと呼ばれる電光スタートシステムに従ってスタートを切り、急激に加速、フィニッシュラインを越えると減速が行われる。上位クラスの車両ではブレーキが車両の加速力に見合わない設計になっているため、パラシュートを用いて空気抵抗による減速を行う。ボディ形状はオープンホイールやクローズドボディのスペースフレームからノーマル車両まで様々で、エンジンやその他の補機類に至るまで細かくクラス分けがされている。

最も速いクラスはトップ・フューエル、続いてファニーカーであり、これらのクラスはニトロメタンが90%を占める特殊な燃料を使用する。

北米ではストックカーに続く高い人気を誇る。

(※:主な主催団体 NHRA、IHRA、ANDRAなど) テンプレート:Clear

代替エネルギー

ソーラーカー電気自動車に代表される、内燃機関以外の動力を用いる自動車もレースに使用される。ソーラーカーの場合はレースに参加するチームがそれぞれ独自に車両を開発することが多い。電気自動車については、市販車を改造するタイプからフォーミュラカーまで様々なタイプのものが開発されている。

歴史的にはソーラーカーレースが1985年より行われており、著名なレースとしてワールド・ソーラー・チャレンジなどがある。2010年ごろからは電気自動車によるレースも徐々に開催されるようになっており、2014年からはFIAがフォーミュラEの名称で電気フォーミュラカーによるシリーズを開始する予定。 テンプレート:Clear

ドリフト系

市販車改造系の自動車競技には、比較的一般参加が容易なものの代表的な競技にドリフト系が挙げられる。特徴としては多くの競技参加者が自ら所有する車両を改造し、ドリフト走行に適した改造を施している点である。したがって、他の自動車競技よりも改造や競技参加のための資金が廉価で済む傾向がある。

ドリフト系競技の中で代表的な競技にとして、全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)の様に純粋にドリフト走行の技術を審査する競技が挙げられる。この競技はドリフト走行を行う上で初歩的な改造から上級者向けの改造まで様々なものがあるが、初歩的な方法として車両の前後のバランスを変えることから始める事も可能であり、そのためドリフトを始めるハードルは低い[35]。しかし、その反面にドリフトを行うには車両の動きをよく理解している必要もあり、自分が所持する車両を用いてかつ、その特性を見極めてセッティングを行っていかなくてはならない[36]。また、前述のD1グランプリのような大きな自動車競技大会に参加する車両の中にはツーリングカー競技に参加するほどのレベルにまで改造を施している場合もある。D1グランプリを含むドリフト審査競技は、競技の在り方が「速さを競う」ではなく、ドリフトの豪快さや美しさを競う審査方式であるため、ツーリングカー系やラリーカー系などの市販車改造系と根本的な改造方法が異なり、特に観客を魅せるドリフトを追求した改造方法となる。一般的にはブーストアップや後付けターボチャージャーに比較的小型のタービンを装備するなど小改造に留めておいたほうが、低回転域のトルクが稼げるためにドリフト走行はしやすくなるが、大きな大会に出場する程の車両になると、タイヤからの白煙を出しやすくするためにタービンを大型化するなどさらなる改造が施される。これはタイヤスモークを出すことがドリフト審査における加点対象であり、これらのことからもドリフト競技車両は単にドライバーがドリフトをしやすいように改造されただけでなく、観客に対していかに豪快で華麗なドリフトを魅せることができるかを追求して改造された車両であることが窺える。

(※:主な主催団体 全日本プロドリフト選手権フォーミュラ・ドリフトドリフトマッスル テンプレート:Clear

スラローム競技系

スラローム競技の代表格としてジムカーナが挙げられる。ジムカーナはモータースポーツライセンスの国内B級ライセンスで行える競技であり、競技も小規模なサーキットや舗装された広い駐車場などでも行うことができる。英語圏では「オートクロス」と呼ばれている競技とも非常に良く似ているが、一般的にジムカーナのほうが高い技術を要するといわれている。ドリフト系競技と同様に競技人口も多い[37]。その背景にはドリフト系と同じく他の自動車競技と比較してもハードルが低い競技であり、参加する車両も基本的には市販車を小改造したもので行われる。したがって参戦費用も廉価である。改造はサスペンションなどの足回りや車体剛性の強化、そしてブレーキの強化などがあげられる。サスペンションや剛性の強化はハンドリングの向上を主な目的とし、ブレーキの強化もサイドターンを行う場合に車両前方に荷重を移動しやすくさせるためである[38]。この他、ジムカーナはパイロンスラローム競技である為、競技参加車両が痛む可能性が低く安全性も非常に高い。したがって、衝撃に対する補強などはあまり行われない反面、競技車両を徹底的に軽量化されることもある[39]。これに対し、砂利や泥の上で行われるスラローム競技であるダートトライアルは、競技に使用される車両の特徴や改造方法はあまり変わらない、未舗装路面で競技が行われる為、ジムカーナ競技よりも保安装備を厳重にする必要がある[40]

なお、これらの競技クラスによっては一部ではフォーミュラカーでも参加する場合もある。 テンプレート:Clear

燃費競争系

速さではなく燃費を競う燃費競争では、市販車やその改造車などを用いることは少なく、多くの場合専用車両が使用される。エンジンについては競技専用に開発される場合が多いが、ホンダ・カブなど燃費の良さで知られる市販車エンジンを改造して使用するクラスが設けられるレースもある。 テンプレート:Clear

その他

以上の分類に属しない車によるレース(代表例としてはミジェットカーレース(アメリカ独特の、ダートオーバルを専用マシンで走るレース)や、富士グランチャンピオンレースの後期(フォーミュラカーのモノコックにスポーツカー風のフルカウルを被せたマシンで競われた)など)や、上記の複数のカテゴリーのマシンが混在して参加するレース(ドラッグレースパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに代表されるヒルクライムなど)も存在する。

主な大会

主な四輪競技

主な自動車競技
競技車両の大別 シリーズ名 略称 競技の種類 特記事項
フォーミュラ系
(オープンホイール)
フォーミュラ1 F1 スプリント
インディカー・シリーズ INDY、又はICS スプリント 但し、インディ500のような長距離レースもあり。
スーパーフォーミュラ SF スプリント
GP2 ※:左に同じ スプリント 2005年よりスタートした自動車競技の1カテゴリー。2004年までの国際F3000選手権が衣替えして新しくスタートしたフォーミュラカーによる選手権である。
GP3 ※:左に同じ スプリント 2010年より開催されているフォーミュラカーによるワンメイクレースの自動車競技カテゴリである。
フォーミュラ・ルノー3.5 WSR スプリント ワールドシリーズ・バイ・ルノーの略称として「WSR」が用いられる傾向にある。ワールドシリーズ・バイ・ニッサンも当該カテゴリの前身にあたる。
A1グランプリ A1GP スプリント
フォーミュラ2 F2 スプリント 2008年に復活。
フォーミュラ3 F3 スプリント
国際フォーミュラ3000 F3000 スプリント 2005年よりGP2シリーズに移行。
ユーロF3000選手権 ユーロ3000
または、ユーロシリーズ3000
スプリント イタリアを中心にヨーロッパ各国を転戦するフォーミュラカーによるレースシリーズ。イタリアF3000が母体。2010年よりAuto GPシリーズに移行。
Auto GP AGP スプリント 2010年よりユーロ3000選手権から移行して設立された。
グランプリマスターズ - スプリント 2005年と2006年のみ。
チャンプカー・ワールド・シリーズ チャンプカー スプリント 2008年にIRLに統合され廃止。
スポーツカー系
プロトタイプ系
世界耐久選手権 WEC 耐久レース FIAACOが管轄しているスポーツカー選手権。
ル・マン・シリーズ LMS 耐久レース ACO(※:フランス西部自動車クラブ)が主催する。
アメリカン・ル・マン・シリーズ ALMS 耐久レース
アジアン・ル・マン・シリーズ アジア・ル・マン 耐久レース
グランダム - 耐久レース
全日本スポーツカー耐久選手権 JLMC 耐久レース ACOをプロモーターとして"Japan Le Mans Challenge"と呼称。その略称として「JLMC」と称される。2007年に終了。
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 JSPC 耐久レース 1992年に終了。
全日本GT選手権 JGTC スプリント 2004年まで全日本GT選手権、2005年よりSUPER GT。競技の方針がGTカーの概念でありながらツーリングカーの形式を取り、なおかつ日本独自の規定を織り込んでいるため、自動車競技の位置付けが曖昧であり一部ではツーリングカーとして見る向きもある。
(※:詳細はSUPER GT#コストの高騰を参照。)
SUPER GT ※:左に同じ スプリント
ル・マン24時間レース ル・マン 耐久レース 世界3大耐久レースの1つであり、世界3大レースの1つを兼ねる自動車レース最高峰の1つ。
デイトナ24時間レース DAYTONA 24 耐久レース デイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開催される。同じ世界3大耐久レースの中で唯一公道を一切使わない専用のサーキットのみを用いている。
セブリング12時間レース セブ12時間 耐久レース 現在はアメリカン・ルマン・シリーズの開幕戦として毎年3月中旬に開催される。
ツーリングカー系 世界ツーリングカー選手権 WTCC セミ耐久レース FIA管轄のツーリングカー選手権。
FIA GT1世界選手権 GT1 耐久レース
ヨーロッパツーリングカー選手権 ETCC スプリント[41] FIA管轄のツーリングカー選手権。
FIAクラス2規定。"European Touring Car Championshop"が2005年からWTCCに移行。現在のETCCは"European Touring Car Cup"であり、レースの内容もセミ耐久からスプリントに移行している。
スーパー耐久シリーズ スーパー耐久 耐久レース
国際ツーリングカー選手権 ITC スプリント 1996年に終了。
ドイツツーリングカー選手権 DTM スプリント クラス1規定。1994 - 1996年、2000年から開催。
ドイツスーパーツーリングヴァーゲン選手権 STW スプリント クラス2規定。1994 - 1999年に開催。
英国ツーリングカー選手権 BTCC スプリント クラス2規定。
全日本ツーリングカー選手権 JTC スプリント 1985年から1993年に開催された全日本ツーリングカー選手権グループA規定の3クラス制。
JTCC スプリント 1994年から1998年に開催された全日本ツーリングカー選手権。クラス2規定。
インターTEC 左に同じ スプリント 1985年から1998年まで富士スピードウェイで開催された。
レース・オブ・チャンピオンズ - スプリント 自動車競技の各カテゴリーのトップドライバーが参加する、ツーリングカーを使用した個人並びに国別対抗選手権。
スパ・フランコルシャン24時間レース スパ24時間 耐久レース (RACB)ベルギー王立自動車クラブが主催。ル・マン24時間レースデイトナ24時間レースと並ぶ世界3大耐久レースの1つ。近年はFIA GT選手権の1レースとして開催される。
ニュルブルクリンク24時間レース - 耐久レース 第1回のレースが開催されるとたちまち注目が集まり、今ではヨーロッパ中に中継されるほど人気が高い。
V8スーパーカー - スプリント 参戦車両は共にオーストラリア製の フォード・ファルコンホールデン・コモドアをベースに改造された車を使用。
ストックカー系 NASCAR ※:左に同じ その他[42]
ラリー系 世界ラリー選手権 WRC ラリー FIA管轄の選手権。
ラリー・モンテカルロ - ラリー WRCで開催されるイベントの1つ。
ラリージャパン - ラリー
プロダクションカー世界ラリー選手権 PCWRC
又はPWRC
ラリー WRCのカテゴリの1つ。
アジアパシフィックラリー選手権 APRC
アジパシ
ラリー WRC直下のラリーカテゴリ。日本ではラリー北海道が開催される。
インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ IRC ラリー
サファリラリー - ラリー 過去にWRC、IRCのイベントであった世界3大ラリーの1つ。「世界一過酷なラリー」とも言われる。現在はARC(アフリカンラリー選手権)のイベント。
全日本ラリー選手権 JRC ラリー
ダカール・ラリー -[43] ラリーレイド 過去のルートはパリ - ダカールや、パリ - ルカップなどあった。
ラリー・モンゴリア - ラリーレイド 2002年まで「ラリーレイド・モンゴル」の名称で開催。
ファラオラリー - ラリーレイド
ラリーアメリカ - ラリー 2005年より開催[44]
ジムカーナ 全日本ジムカーナ選手権 - タイムトライアル
ダートトライアル 全日本ダートトライアル選手権 - タイムトライアル
ドラッグレース NHRAチャンピオンシップ・ドラッグ・レーシング・シリーズ NHRA ドラッグレース
バギー系 全日本スーパーオフロードATV選手権レース - オフロードレース
北海道ATVチャンピオンシップレース - オフロードレース
オフロードレース全日本選手権大会 - オフロードレース
その他の四輪競技 富士グランチャンピオンレース 富士GC
GCなど
スプリント かつて日本で開催されていたレース。
鈴鹿1000km ※:左に同じ 耐久レース プロトタイプ、GTカー、ツーリングカーなど様々な使用車両変革を経て開催される耐久レース。
レーシングカート カート スプリント 小型のシングルシーターであるレーシングカートを使用したレース。多くのプロドライバーがこの競技の経験者である。
トラックレーシング - スプリント トラックを使用して行う重量級自動車競技。
ロッククローリング - オフロードレース 岩場をバギーカーなどの四輪駆動車をして目的地を目指す競技。
クラシックカーレース - スプリント クラシックカーを使用したレース。
X Games ※:左に同じ ラリー X Games自体はエクストリームスポーツの祭典であるが、この中で開催される四輪車両におけるX Gamesはラリー競技である。
D1グランプリ D1 ドリフト審査 ドリフト走行を行い、その迫力や美しさを競う競技である。従来の自動車競技の概念である「速さを競い、早く目的地に到着する」というものではない。
マイレージマラソン エコマラソン 省燃費レース いかに少ない燃料で走行距離を走るかを競うレース。「エコマラソン」とも呼ばれる。参加者は自製の車両を製作する。毎年レギュレーションが制定されており、世界時勢による環境に対する懸念や関心が高まる今日ではさまざまな規制が施されている。代表的なマイレージマラソンでは昭和シェル石油が主催するマイレージマラソンなどがある[45]
K4-GP 左に同じ 耐久レース 軽自動車を用いて行われるレースでレース未経験のアマチュアを対象としており勝負にこだわらず楽しむことを目的として開催されている。
モンスタージャム 左に同じ 迫力審査 モンスタートラックを用いて行われる自動車競技。基本的にはジャンプや着地などのアクロバットや着地の際の廃車を如何に破壊できたか?という審査方式であるが、一応は目的地に制限時間内に到着することを目的としている部分もあるためこの競技に「レース」としての要素もわずかながら存在している。
ファイル:Panorama Monaco 2007.jpg
モナコグランプリ開催直前の様子。多くの観客が集まるこのレースは、世界3大レースという名に恥じない「レースという名の祭典」と言っても過言ではない。(※:写真は2007年モナコGPにて。)

世界三大レース

テンプレート:Main 下記の3つのレースは「世界三大レース」と呼ばれる。

これらのレースはそれぞれが「レースの象徴」といっても過言ではなく、同時に長き伝統のあるレースでもある。

インディ500が開催されるインディアナポリス・モーター・スピードウェイでは、平均時速が約350km/hに達する超高速のレースが3時間にわたって繰り広げられる。

モナコグランプリはモナコ公国の中心地であるモンテカルロ市街地コースで行われるレースである。F1マシンという超高性能車両を駆使して繰り広げられるこのレースは平均時速160km/h程度とF1では超低速コースではあるものの、コース幅が非常に狭く、エスケープゾーンもほとんどないためにミスが許されない。このようなレースを78周にわたって1時間40分近く繰り広げられるため、ドライバーの力量が大きく問われる屈指の難コースとして知られる。

ル・マン24時間レースが開催されるサルト・サーキットは1周が13.605kmのロングコースであり、これに加えて1つの車両を24時間かけて走り続ける耐久レースである。ドライバーの交代はあるものの、車両の性能はもとよりその信頼性も問われ、さらにはそれぞれのドライバーの運転能力以外に集中力の限界までも挑戦させる。

この世界3大レースのそれぞれで高い成績を誇るドライバーが分野別に存在するものの、世界3大レースの全てを制したドライバーは2012年現在でもグラハム・ヒルのみである。

旗の色の意味

テンプレート:Main 自動車競技ではレース中の主催者からドライバーへの情報提供や指示にを用いる。その色の意味は以下の通りである。掲示方法には、掲げたままの「静止」と、振る「振動」とがあり、両者で指示内容が異なる場合がある。

  • スタートフラッグ 国旗など - レースの開始を示す。国旗や主催クラブ旗を用いる。ただし国際格式のレースでは、信号機を点灯させて合図とする方法が大半である。
  • レッドフラッグ - レースの中止・中断を示す。
  • イエローフラッグ - 追い抜き禁止区間のはじまりを示す(コース外に事故車両がいる場合は一本振動、コース上に事故車両がいる場合は二本振動の場合もある)。
  • グリーンフラッグ - 前ポストの指示を解除。追い抜き禁止、オイルもれ、障害物散乱区間などの終わりを示す。
  • ブルーフラッグ - 掲示のみの場合、背後から速い車両が来ていることを示す。周回遅れの車両に振動で指示される場合、背後から周回数の多い車両が来ていることを示し、追い抜かせることを促す。
  • ブラックフラッグ - 番号と共に掲示され、該当車両へピットインを指示する。
  • ホワイトフラッグ - コース上にセーフティカー救急車など、低速走行する車両がいることを示す。NASCARインディカーなど一部のカテゴリー(主に北米)では、最終ラップに提示される。
  • チェッカーフラッグ 黒と白の市松模様(チェック模様) - レースの終了を示す。いわゆる「チェッカーフラッグ」。
  • オイルフラッグ 赤とオレンジの縦じま模様 - オイルフラッグ。路面が滑りやすい状況にあることを示す(状況が回復しなくても一定の時間で掲示を止める場合がある)。
  • オレンジボールフラッグ 黒地にオレンジ色の丸 - オレンジボールフラッグ。車番と共に掲示。当該車両にメカニカルトラブルが起こっていることを示す。
  • ホワイト&ブラックフラッグ 対角線で分割されたそれぞれの面に黒と白 - 車番と共に掲示。当該車両への警告旗。スポーツマンシップに反する行為などに対して警告される。

事故

近年では、車両規定の変更や新素材開発などによる競技車両の安全性の向上にとどまらず、レース場の設計上の安全性や医療体制の充実など、事故の発生防止と、事故の被害を最小限に抑える努力がなされている。その結果、大きな事故は減少し、事故による被害も縮小してきている。しかしこれらは、モータースポーツに限った話ではなく、下記の死亡事故に代表されるような事故による犠牲者の上に成り立っているといえる。

死亡事故

最初の死亡事故は1896年5月1日5月2日?)にペリグー近郊で開催された「ペリグー公道レース」にて事故死したマルキス(アンドレ)・ドゥ・モンティニャック侯爵が記録に残る初のレース死亡事故とされる[46]。前方を走る他の競技参加車両を追い越そうとモンティニャック侯爵が無謀な運転を行ったとされ、侯爵の車両は接触により横転し、この事故によってモンティニャック侯爵は死亡した。推定速度は40km/hだったと言われる[47]

観客を巻き込んだ死亡事故として初めて記録されるのは、自動車競技の歴史でも前述したマルセル・ルノーが起こした事故である。上記のモンティニャク侯爵の頃は平均時速25km/h程度で、40km/hでも危険な速度と言われていたが、1900年には既に平均時速は60km/hを超え、ルノーの事故の頃にはさらに自動車性能は著しい向上をみせ、レース参加者だけでなくその観戦者の人命について危惧された矢先の出来事であった。この事故によって国際的な世論にまで発展し、公道レースを認めない自治体が急増してサーキット建設の必要性が問われることとなった。

ファイル:Le Mans Memorial.JPG
サルト・サーキットの事故現場に置かれるメモリアルプレート。

ル・マン24時間レースにおいては、1955年6月11日に発生したメルセデス・ベンツの死亡事故が自動車競技における最大の死亡事故であるといわれる。 ドライバーのピエール・ルヴェーが駆るメルセデス・ベンツ 300SLRが爆発炎上し、ルヴェーと観客・スタッフ含む81名が死亡するというモータースポーツ史上最悪の惨事が発生した。また、この前後にもF1のアルベルト・アスカリがテスト中に事故死し、インディ500で3連覇を目指したビル・ブコビッチが多重クラッシュにより死亡するなど自動車競技に悲劇的な事故が連続し、ル・マンでの事故を契機にメルセデス・ベンツがレースの舞台から撤退するなどレース界に激震を走らせたが、レースに対する安全対策とマシンの性能抑制という意識改革をもたらすきっかけとなった。 テンプレート:Main

F1においてもドライバーやチーム関係者、そして観客を含めて多くの死亡事故が発生している。コース・マーシャルの配置が現在より乏しかった事と、マーシャルがレース開催中のサーキットを安易に横断することが当たり前だったことなどからトム・プライスの様な死亡事故も発生した。ジル・ヴィルヌーヴの事故のようにシートベルトの強度不足も相まって、マシンから宙に放り出されフェンスに叩きつけられて死亡、あるいはヨッヘン・リントのようにシートベルトそのものを装着する事を嫌って死亡事故の遠因となったものもあった。1994年サンマリノグランプリで発生したローランド・ラッツェンバーガーアイルトン・セナの死亡事故はレース後に事故の原因解明のためにサーキットが一時閉鎖された。またこの事故後、いくつかの箇所にシケインが新たに設けられた。 F1における死亡事故は枚挙に暇がないが、F1における多大な犠牲は医療体制の充実から事故の予防策、コースの安全性、速度規制など様々な取り組みを行うきっかけとなった。 テンプレート:Main



自動車競技を主題とした作品

映画

テンプレート:Columns-list

テレビドラマ

テンプレート:Columns-list

オリジナルビデオ

テンプレート:Columns-list

アニメーション

テンプレート:Columns-list

漫画

テンプレート:Columns-list

ゲーム

テンプレート:Columns-list

脚注

テンプレート:Reflist

参考書籍

《wikipedia内》

《その他》

関連項目

外部リンク

各国の自動車競技団体


テンプレート:モータースポーツ

テンプレート:自動車
  1. テンプレート:Citenews
  2. 応募車両の動力には「圧縮空気」「重力」「家畜動力併用」など、本気で出場する気があったのか疑わしい内容も多数存在したという。現実のレースに出場したのは蒸気自動車とガソリン自動車・オートバイだけであった。
  3. アメデー・ボレーと息子のアメデー2世およびレオンは、1873年以来長らく蒸気自動車を開発し続けていた。このレースでラ・ヌーヴェルは鈍足ながら十分な信頼性を示し、途中リタイアしたドライバーたちを拾ってルーアンまで完走している。
  4. 宇宙物理学者のジョルジュ・ルメートルではない。
  5. テンプレート:Citenews
  6. テンプレート:Citenews
  7. 7.0 7.1 テンプレート:Citenews
  8. テンプレート:Citenews
  9. テンプレート:Citenews
  10. テンプレート:Citenews
  11. テンプレート:Citenews
  12. テンプレート:Citenews
  13. テンプレート:Citenews
  14. テンプレート:Citenews
  15. テンプレート:Citenews
  16. テンプレート:Citenews
  17. テンプレート:Citenews
  18. 中にはテストドライバーとしてチームに在籍するだけでスポンサーがチームに付く場合もある。こうした事情は単にチーム側の実情だけでなく、スポンサー側の意向も反映している。
  19. 19.0 19.1 テンプレート:Citenews
  20. 20.0 20.1 テンプレート:Citenews
  21. テンプレート:Citenews
  22. 当時はスポンサーを行う事は合法であり、車体のロゴ、ヘルメット、レーシングスーツ、サーキット看板でロゴや銘柄を連想させるような図柄は随所に存在した。
  23. テンプレート:Citenews
  24. テンプレート:Citenews
  25. テンプレート:Citenews
  26. テンプレート:Citenews
  27. テンプレート:Citenews
  28. テンプレート:Citenews
  29. テンプレート:Citenews
  30. 追突防止用の後方ランプは装備しており、ウェットレースでは点灯が義務付けられる。
  31. テンプレート:Citenews
  32. テンプレート:Citenews
  33. テンプレート:Citenews
  34. HINO RANGER:パリダカマシンのすべて - TEAM SUGAWARA
  35. テンプレート:Citenews
  36. テンプレート:Citenews
  37. テンプレート:Citenews
  38. テンプレート:Citenews
  39. テンプレート:Citenews
  40. テンプレート:Citenews
  41. かつてのヨーロッパツーリングカー選手権はセミ耐久レース。
  42. スプリントカップ、ネイションワイドシリーズ、キャンピングワールドトラックシリーズ、カナディアンタイヤシリーズなど細分化がされており、それぞれのシリーズ、または開催されるサーキットで走行距離が異なる。一般的にスプリント競技からセミ耐久レースまで行われる。
  43. 現在はパリを使用しないルートであるが現在でも「パリダカ」と呼ばれることがある。
  44. テンプレート:Citenews
  45. テンプレート:Citenews
  46. テンプレート:Cite book
  47. テンプレート:Citenews