全日本GT選手権

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ファイル:NSX-MugenGT500.JPG
JGTC参戦車両
(2000年 GT500チャンピオン車両)

全日本GT選手権(ぜんにほんジーティーせんしゅけん、Japan GT Championship, JGTC)は1994年から2004年に掛けて行われた自動車レースの1カテゴリーで、SUPER GTの前身である。

概要

ファイル:JGTC Weight Handicap Sticker 30kg.jpg
ウエイトハンデを負っていることを示すステッカー 予選・決勝の上位成績マシンには重りの搭載を課すことによって、同クラス内の全マシンの実力の拮抗を図っている。上位成績を重ねるごとにウエイトハンデも増す規定の為、当然ながら、勝ち続けることは困難になってくる。
  • 1993年より「全日本GT選手権レース」として開催された。JGTCは、年間数レースを日本を中心に海外でも開催し、参加チーム、ドライバー、はその成績毎にポイントを獲得し、その年間トータルのポイントでシリーズチャンピオンを決定する。当時ル・マン24時間レース等で主流になりつつあったGT車両によるレース[1]で、市販四輪車に改造を施した車両のレースであり、ル・マン24時間などのレギュレーションを参考に始まったものが、日本独自のカテゴリーに変化していった。
  • 初年度は日本自動車連盟(JAF)のN3規定で開催されたものの、エントリーした車は2台のみで、レースも全9戦中4戦のみ開催だった[2]。それでもレース成立条件が出走2台以上、シリーズ成立条件が全3戦以上開催と緩かったため、シリーズは成立し影山正彦がチャンピオンに輝いた。
  • 2つのクラスを設置しており、GT500クラス(1995年までは第1部門又はGT1)はJGTCのトップクラスで、約500PSの車両で争われる。このクラスの車両は、富士スピードウェイ鈴鹿サーキットなど長い直線を持つコースでは最高車速が約300km/hにせまる迫力ある走りを見せ、国際的にも注目されている。参加チームの多くは国内外で活躍し、国際的にも通用するレーシングチームや、自動車メーカーによるワークス活動が盛んである。
  • GT300クラス(1995年までは第2部門又はGT2)は、約300PSの車両で争われる。このクラスはパワーが低い分、改造個所が少なく済むため、有力なプライベートチームが参加し、車両間の格差も少なく、常に激しいレース展開をみせている。
  • 初期の頃はグループB規定やIMSAシリーズ等の車両が参戦していた時期もあったが、後年はそうでもなかった。
  • 参加車両の競争力を均衡させるため、レギュレーションの改正が頻繁に行なわれた。そのため海外メーカーの車両が継続的に参戦することは難しく、国内メーカーの為のレースとなってしまった。その傾向は特にGT500クラスで顕著で、今までの日本のツーリングカーレースと同様に参加メーカーの減少、車種の減少、プライベートチームの参加が困難になると言った弊害が出た[3]
  • シリーズチャンピオンを獲得した翌年には、GT500は「1」、GT300は「0」のカーナンバーを付けることが出来る[4]
  • シリーズの海外進出には積極的で、2000年よりマレーシアセパンサーキットでレースを開催(2000年2001年はオールスター戦、2002年からはシリーズ戦)したほか、2004年にはアメリカでもオールスター戦を開催した。2005年より国際シリーズ化したことからJAFの管轄下から離れ、全日本選手権がかけられなくなり、名称もSUPER GTへ変更された。

歴代チャンピオン

ドライバーズ(マシン) チームズ
GT1 Class/GT500 Class GT2 Class/GT300 Class GT1 Class/GT500 Class GT2 Class/GT300 Class
1994年 テンプレート:Flagicon 影山正彦
カルソニック スカイライン
テンプレート:Flagicon 小幡栄
KORG KEGANI ポルシェ
HOSHINO RACING KEGANI RACING
1995年 テンプレート:Flagicon 影山正彦
(カルソニック スカイライン)
テンプレート:Flagicon 石橋義三/テンプレート:Flagicon 星野薫
(欧州車販売の
外国屋スカイライン)
TEAM TAISAN 石橋義三
1996年 テンプレート:Flagicon ジョン・ニールセン/テンプレート:Flagicon デビッド・ブラバム
ラーク マクラーレンF1GT-R
テンプレート:Flagicon 鈴木恵一/テンプレート:Flagicon 新田守男
(タイサン ポルシェ RSR)
チーム ラーク マクラーレンGT-R TEAM TAISAN Jr.
1997年 テンプレート:Flagicon ペドロ・デ・ラ・ロサ/テンプレート:Flagicon ミハエル・クルム
カストロール トムス スープラ
テンプレート:Flagicon 織戸学/テンプレート:Flagicon 福山英朗
(RS☆Rシルビア
TOYOTA Castorl TEAM RS-Rレーシングチーム
with BANDOH
1998年 テンプレート:Flagicon エリック・コマス/テンプレート:Flagicon 影山正美
(ペンズオイル ニスモGT-R)
テンプレート:Flagicon 鈴木恵一/テンプレート:Flagicon 舘信吾
つちやMR2
NISMO TEAM TAISAN Jr.
with つちや
1999年 テンプレート:Flagicon エリック・コマス
(ペンズオイル ニスモGT-R)
テンプレート:Flagicon 新田守男
(モモコルセ アペックスMR2)
TOYOTA Castrol TEAM TOM'S MOMOCORSE Racing Team
with Tsuchiya
2000年 テンプレート:Flagicon 道上龍
(Castrol 無限 NSX
テンプレート:Flagicon 福山英朗
シェルタイサンアドバンGT3R)
無限×童夢 プロジェクト TEAM TAISAN JR.
with ADVAN
2001年 テンプレート:Flagicon 立川祐路/テンプレート:Flagicon 竹内浩典
auセルモスープラ)
テンプレート:Flagicon 大八木信行/テンプレート:Flagicon 青木孝行
(ダイシン ADVAN シルビア)
NISMO TEAM TAISAN ADVAN
2002年 テンプレート:Flagicon 脇阪寿一/テンプレート:Flagicon 飯田章
エッソウルトラフロースープラ)
テンプレート:Flagicon 新田守男/テンプレート:Flagicon 高木真一
ARTAアペックスMR-S
無限×童夢 プロジェクト TEAM TAISAN ADVAN
2003年 テンプレート:Flagicon 本山哲/テンプレート:Flagicon ミハエル・クルム
ザナヴィ ニスモGT-R)
テンプレート:Flagicon 木下みつひろ/テンプレート:Flagicon 柳田真孝
ハセミスポーツ エンドレス Z
NISMO TEAM TAISAN ADVAN
2004年 テンプレート:Flagicon 本山哲/テンプレート:Flagicon リチャード・ライアン
(ザナヴィ ニスモZ)
テンプレート:Flagicon 山野哲也/テンプレート:Flagicon 八木宏之
(M-TEC NSX)
NISMO M-TEC CO.LTD.

2005年以降の歴代チャンピオンは、SUPER GTの項を参照のこと。

脚注

  1. 1993年まで行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦していたスカイライン GT-Rが、参戦できるカテゴリーを失ったために設立されたという話がある。
  2. 参加車両はGT1クラスがスカイラインGT-R、GT2クラスがシルビアと各クラス1台ずつのみであった。ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース(JSS)と混走であったが、4戦中1戦は参加車両不足で不成立となった。
  3. この問題は後のSUPER GTにおいても継続しており、解決の見込みは全く立っていない。
  4. 義務では無いため、GT500クラスは「1」を必然的に付けているが、GT300クラスで「0」を付けるケースは少ない。なお、SUPER GTも同様で、2006~2011年においてGT300クラスで「0」をつけるケースは見られていない。2012年に前年チャンピオンのGSR&Studie with TeamUKYOが「0」を使用している。

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

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