ポルトガルの歴史
テンプレート:出典の明記 ポルトガルの歴史は現在のポルトガル共和国の領域で展開した歴史である。古代にはローマ帝国の支配をうけ、中世にはゴート人、イスラム勢力の支配を受けた。レコンキスタの進行した、12世紀にポルトガル王国が成立し、13世紀にはほぼ現在の領域が確定した。その後、海外へと植民地を獲得して隆盛を極めたのち、ナポレオン戦争で王制は動揺した。近代には共和制に移り、さらに独裁政権、無血クーデターによる民主化と激動の歴史を歩んだ。なお、ポルトガルの海外における発展はポルトガル海上帝国に記す。
目次
歴史
古代とローマ支配
この地域には新石器時代の紀元前4500年頃には人が定住していた。ケルト人系のテンプレート:仮リンクと呼ばれる先住民が独自の文化をもって暮らしていたが、紀元前12世紀にはフェニキア人が沿岸部に到来し、続いて紀元前8世紀ごろにはギリシア人が植民した。古代ローマとカルタゴの間でポエニ戦争がはじまるとイベリア半島はカルタゴの軍事拠点となった。ポエニ戦争が終結すると、ローマはすでに属州にしているヒスパニアに続いて、紀元前155年にはイベリア半島奥地への征服戦争であるルシタニア戦争(紀元前155年-紀元前139年)を展開した。ルシタニ族は抵抗したが、紀元前139年に族長テンプレート:仮リンクが殺されてローマの征服は完了し、「属州ルシタニア」となった。
西ゴート王国とイスラム支配とレコンキスタ
5世紀の初頭には衰退の進んだローマではゲルマン人の反乱が相次ぎ、彼らはローマに侵入してきた。属州ルシタニアにもスエビ族、アラン族などが侵入して王国を建設した。その後西ゴート人がイベリア半島全域に王国を建設し、この時期にキリスト教も国教とされ繁栄した。7世紀にイスラム教のもとに結束したアラブ人が各地へと征服戦争を展開し始めると、彼らは北アフリカからジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島に侵攻し西ゴート王国を滅ぼした。以後、後ウマイヤ朝などイスラム勢力の支配が長く続くが、キリスト教勢力は山間部などに小王国を建設し、捲土重来を企図していた。
10世紀頃からレオン王国、アストゥリアス王国などがレコンキスタ(ポルトガル語ではルコンキシュタ)と呼ばれる「国土回復運動」を展開し始めた。1095年、カスティーリャ=レオン連合王国のアルフォンソ6世は、娘婿でブルゴーニュ家のアンリ・ド・ブルゴーニュ(エンリケ・デ・ボルゴーニャ)にポルトゥカーレ伯領を与えた。これがポルトガルの起源である。
アンリの子アフォンソ・エンリケスは、宗主国カスティーリャ=レオン連合王国と戦い、1129年にポルトゥカーレ公として自立した。エンリケスは1139年のオーリッケの戦いでムラービト朝軍に大勝したのを機に独立を宣言、ポルトガル王を自称した。ローマ教皇の口添えもあり、カスティーリャ王国は1143年にこれを承認、ポルトガル王国が成立した。ポルトガル最初の王朝ブルゴーニュ王朝である。1179年に教皇アレクサンデル3世から正式な承認を得て、ポルトガル王国は国際的に認められた。
1147年にアフォンソ1世は、第2回十字軍のイングランドからの分派の助けを得てリスボンを攻略し、一挙に版図を拡大した。1162年にはベジャが、1166年にはエヴォラが彼の統治下に入った。その後もレコンキスタは進められ、13世紀中頃にはイスラム勢力を駆逐し、現在の領土を形作った。
ポルトガル王国の盛衰
レコンキスタ完成後、ポルトガルでは商業や学芸が盛んとなった。リスボンは北海と地中海を結ぶ交易拠点として栄えた。1290年には、ディニス1世によってコインブラ大学が設立された。
14世紀のペストの流行はポルトガルに危機をもたらした。1358年にブルゴーニュ家が断絶すると、ジョアン1世がアヴィス王朝を開いた。ジョアン1世は交易に力をいれ、子のエンリケ航海王子に北アフリカのセウタを占拠させた。エンリケ航海王子はアフリカ航路の開拓に力を入れ、バルトロメウ・ディアスによる喜望峰到達を実現させた。ジョアン2世の時代にはヴァスコ・ダ・ガマによってインド航路が開かれ、カブラルがブラジルに到達した。その後香料諸島や日本へも進出し、ポルトガルは東方貿易で大いに繁栄した。1559年には、イエズス会によってテンプレート:仮リンクが創設された。イエズス会の影響の下、エヴォラは対抗改革の中心となり、ここで教育を受けた多くの宣教師たちが布教のために世界へ渡って行った。
1580年にアヴィス家が断絶するとスペイン王フェリペ2世がポルトガル王となり、事実上スペインの支配下に置かれた。この結果多くの植民地を失い衰退したが、1640年には独立を回復した(ポルトガル王政復古戦争・ブラガンサ王朝)。その後ジョアン3世、ジョアン4世の頃にポルトガルは植民地経営などに力を入れ、往時の繁栄を取り戻した。
ポルトガルの近代
18世紀末から19世紀初頭における、フランス革命及びナポレオン戦争と続くヨーロッパの混乱はポルトガルにも波及した。ナポレオン1世は大陸封鎖令に従わないポルトガルにフランス軍を侵攻させ、その結果ポルトガル王室はブラジルのリオデジャネイロに遷都した。フランス軍はポルトガル占領に成功したが、イギリスの介入と民族主義の高まりによって内戦が勃発し「半島戦争」が展開された[1]。
ナポレオン戦争後、ポルトガルは独立を回復したが、1822年、ポルトガル王太子ドン・ペドロを皇帝ペドロ1世に擁立してブラジル帝国が独立、ポルトガルは最大の植民地を喪失した。一方本土では自由主義、民主主義の思想が高まりを見せ、1832年から1834年にはポルトガル内戦が勃発した。1910年の革命で王制は倒れ、共和国となった[2]。
サラザールの独裁
第一次世界大戦では連合国側につき、戦勝国となった。しかし、その後の労働運動の激化や大恐慌により政治・経済が混迷を極める中、1932年に経済学者のサラザールが首相に就任した。サラザール政権は第二次世界大戦では中立を維持し、巧みに戦争の影響を回避する政策を展開した。しかし戦後は、アフリカの植民地における独立運動の弾圧や、国内においてはエスタド・ノヴォと呼ばれる権威主義的独裁体制のもと、秘密警察や検閲などによる国民の政治・言論活動の抑圧を行った。これらの行為は、当然のことながら、隣国スペインのフランコ独裁などと並んで、国際社会による批判にさらされることともなった。しかし当時は冷戦下にあり、多くの西側諸国は、イベリア半島の「共産化」を怖れるという消極的理由で、結局はこれらの独裁政権を認めていた[3]。
民主化と現在
1968年のサラザールの引退後、カエターノ政権が成立。独裁体制は維持されようとしていたが、1974年4月25日、「カーネーション革命」と呼ばれる青年将校によるクーデターが勃発。カエタノがテンプレート:仮リンク将軍に政権を委譲。デ・スピノラは秘密警察や検閲を廃止する民主化政策を矢継ぎ早に断行し、「20世紀最長の独裁政権」は終わりを告げた。
1975年以降モザンビーク、アンゴラなどアフリカの植民地が次々に独立。植民地支配を基盤とした「海上帝国」としてのポルトガルの体制は終わりを迎えようとし、「ヨーロッパへの回帰」が進められた。1986年には欧州共同体に加盟。さらに1987年ソアレスとシルバ首相による中道左派政権が誕生し、堅調な経済政策を布いた。この年には中華人民共和国との協議でマカオの返還が決定し、1999年にマカオが中国に返還された。
年表
前史
- 紀元前26年 オクタビアヌスのローマ軍、ルシタニア征服
- 410年 ゲルマン人の一派、スエビ族・アラン族の侵入
- 477年 西ゴート族の侵入
- 711年 イスラム帝国軍侵入
- 997年 レコンキスタによりポルト奪還
- 1064年 コインブラ奪還
- 1094年 フランス王家傍系の貴族アンリ・ド・ブルゴーニュ(エンリケ)、ポルトゥカーレ伯・コインブラ伯に封じられる
- 1096年 エンリケの子アフォンソ・エンリケス、ポルトゥカーレ伯に推戴される
- 1131年 アフォンソ・エンリケス、コインブラに遷都
ブルゴーニュ王朝時代
- 1143年 アフォンソ・エンリケス、アフォンソ1世として即位、ポルトガル王国成立
- 1147年 イングランド十字軍の援助によりリスボン占領
- 1179年 ローマ教皇、ポルトガル王国を承認
- 1212年 ナバス・デ・トロサの戦い、イスラム軍の侵攻を撃破
- 1255年 アフォンソ3世、リスボン遷都
- 1290年 コインブラ大学創設
- 1294年 対英通商条約
- 1348年 ポルトガルにペスト蔓延
- 1355年 アフォンソ4世、王子ドン・ペドロ(ペドロ1世)の愛人イネスを殺害
- 1383年 ベアトリス即位、反カスティーリャ革命(~85年)
アヴィス王朝時代
- 1385年 ジョアン1世、アヴィス王朝を創始。アルジュバロタの戦いでカスティーリャ王国軍撃破
- 1386年 ウィンザー条約
- 1415年 北アフリカの港セウタを攻略。カナリア諸島発見
- 1420年 マデイラ諸島発見
- 1427年 アゾレス諸島発見
- 1444年 ヴェルデ岬発見
- 1460年 エンリケ航海王子没
- 1482年 ギニアにミナ商館開設
- 1488年 バルトロメウ・ディアス、喜望峰発見
- 1494年 トルデシリャス条約
- 1497年 ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見
- 1500年 カブラル、ブラジル発見
- 1510年 アフォンソ・デ・アルブケルケ、ゴア占領
- 1536年 異端審問所設立
- 1578年 アルカセル・キビールの戦い
スペイン・ハプスブルク家同君連合時代
- 1580年 スペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世、ポルトガル王位も継承(フィリペ1世)
- 1588年 スペイン無敵艦隊の敗北
- 1598年 フェリペ3世即位(ポルトガル王としてはフィリペ2世)
- 1621年 フェリペ4世即位(ポルトガル王としてはフィリペ3世)
- 1637年 エヴォラの反乱
- 1640年 リスボン蜂起、再独立(ポルトガル王政復古戦争~1668年)。
ブラガンサ王朝時代
- 1640年 ブラガンサ公ジョアン4世ポルトガル王に即位、ブラガンサ王朝をひらく。
- 1654年 対英友好同盟条約調印
- 1664年 対オランダ和平条約締結
- 1693年 ブラジルで金鉱発見
- 1703年 メシュエン条約調印
- 1727年 ブラジルにコーヒー導入
- 1732年 ブラジル、ゴールド・ラッシュ
- 1755年 リスボン大地震
- 1756年 ポンバルの改革
- 1758年 イエズス会追放
- 1777年 マリア1世即位、ポンパル失脚
- 1789年 フランス革命
- 1807年 ジュノー将軍のフランス軍侵入、ポルトガル宮廷リスボン脱出、ブラジルへ向かう。
- 1808年 ポルトガル宮廷リオデジャネイロに遷都
- 1814年 ナポレオン没落、ポルトガル本国はイギリス軍の占領下に入る
- 1816年 イギリスのベレスフォード将軍、ポルトガル摂政として本国を支配(~20年)
- 1820年 ポルトで反英暴動始まる
- 1821年 ポルトガル宮廷ブラジルよりリスボンに帰還
- 1825年 ブラジル帝国の独立を承認
- 1828年 ドン・ミゲル(ミゲル1世)のクーデター
- 1832年 ポルトガル内戦(~34年)
- 1868年 スペイン共和主義革命。ポルトガルでも共和主義台頭
- 1908年 国王カルルシュ1世とルイス・フィリペ王子暗殺
- 1910年 共和主義革命
第一共和国時代
- 1910年 共和国成立
- 1911年 リスボン大学、ポルト大学創設
- 1914年 第一次世界大戦勃発、ポルトガル中立宣言。
- 1916年 対独宣戦布告
- 1917年 ファティマの聖母出現
- 1918年 北フランスでポルトガル軍大敗
- 1926年 軍事独裁開始、第一共和国崩壊
サラザール独裁体制時代
- 1928年 アントニオ・サラザール、蔵相に就任
- 1931年 金解禁実施
- 1932年 サラザール、首相に就任(~68年)
- 1933年 新国家エスタド・ノヴォ宣言(第二共和制)
- 1937年 ポルトガル、スペインのフランコ政権承認
- 1939年 ポルトガル、フランコ政権と友好不可侵条約
- 1940年 第二次世界大戦開始。ポルトガル中立宣言
- 1942年 日本軍、ポルトガル領ティモール島を占領。ポルトガルの中立侵犯。
- 1949年 北大西洋条約機構加盟 旧王族ドン・ドゥアルテ国内住居許可
- 1961年 サンタマリア号乗っ取り事件、アンゴラ植民地戦争開始、後モザンビーク、ギニアビサウに拡大、インド国民軍ゴア占領
- 1968年 サラザール首相、病により辞任、マルセロ・カエターノ首相就任。
- 1974年 カーネーション革命
第三共和国時代
- 1974年
- 4月 救国評議会樹立
- 5月 テンプレート:仮リンク将軍、臨時大統領就任。
- 9月 デ・スピノラ辞任。コスタ・ゴメス将軍、臨時大統領就任。
- 1975年
- 1976年 第三共和国憲法制定。大統領ラマーリョ・エアネス、首相マリオ・ソアレス就任。
- 1982年 憲法改正、革命評議会解散。
- 1986年
- 1988年 国営企業民営化始まる
- 1992年 マーストリヒト条約締結
- 1996年
- 1月 ジョルジェ・サンパイオ大統領当選
- 7月 ポルトガル語諸国共同体創設
- 1998年
- 1999年
- 2001年 ジョルジェ・サンパイオ大統領再選
- 2002年
- 1月 ユーロ流通開始
- 5月20日 東ティモールが名目的にはポルトガルから独立したことにより、名目上も植民地を完全に失う。
参考文献
脚注
注釈
出典
関連項目