ワーナー・ブラザーズ
テンプレート:Infobox ワーナー・ブラザーズ・エンターテインメント(Warner Bros. Entertainment, Inc.、略称 Warner Bros.)は、アメリカ・ハリウッドの映画会社・映画スタジオ。タイム・ワーナーの子会社。本社をカリフォルニア州バーバンクに置いている。
目次
概要
映画スタジオのワーナー・ブラザーズ・スタジオ(Warner Bros. Studios)、映画製作会社ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ(Warner Bros. Pictures)、テレビ番組製作会社ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン(Warner Bros. Television)、アニメーション製作会社ワーナー・ブラザーズ・アニメーション(Warner Bros. Animation)、ワーナー・ホーム・ビデオ(Warner Home Video)、アメリカン・コミックス出版社のDCコミック、2006年にCBSとともに立ち上げたテレビの全国ネットワーク・CWテレビジョンネットワーク(The CW Television Network)を所有する。
日本法人はワーナー エンターテイメント ジャパン株式会社(Warner Entertainment Japan, Inc.、東京都港区西新橋1丁目2番9号日比谷セントラルビル)。同社は「ブラザーズ」ではなく「ブラザース」と表記している。
年表
- 1923年 ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟によって設立される。
- 1927年 初のトーキー『ジャズ・シンガー』を発表し、公開する。
- 1930年代経済恐慌のあおりを受けて経営難に陥るが、世相を受けたギャング映画のヒットで乗り切る。
- 1956年 1950年代以前の作品をアソシエイテッド・アーティスツ・プロダクション(a.a.p.)に売却する(カサブランカ、ルーニー・チューンズ、等)。
- 1967年 独立プロダクション「セブン・アーツ」と合併する。
- 1969年 駐車場会社「キニー・ナショナル・サービス」の傘下となる。
- 1989年 親会社「Warner Communications(キニー・ナショナル・サービスより改称)」が巨大出版社「タイム」と合併し、タイム・ワーナーが設立される。
- 1995年 1950年代以前のワーナー、1985年以前のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー、RKO、a.a.p.の主なフィルム・ライブラリーとCNNを所有していたターナー・コミュニケーションが会社の傘下に入る。
- 2000年 親会社タイム・ワーナーがインターネットのプロバイダー最大手のAOLに買収され、「AOLタイム・ワーナー」となる。
- 2002年、ITバブル崩壊、新興勢力の拡大を受けAOLが業績不振となり、親会社内での影響力が衰退、社名が「タイム・ワーナー」に戻される。2009年12月、AOL部門は正式に分離される。
歴史
創業期
ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟はポーランドからの東欧系ユダヤ人移民労働者であった。19世紀末に両親とともにドイツ・ハンブルクを経て、アメリカ大陸に渡りカナダのオンタリオ州ロンドンに移住し、全部で8人の兄弟姉妹が貧困の中で父の経営する靴修理屋を手伝いながら生活していた。
兄弟はそれぞれの趣味と才能を伸ばし、長兄ハリーは店を拡大、ジャックは歌手として修行に励み、サムは職業を転々とするが、20世紀初頭の映画の創生時、ハリーはその魅力に取り憑かれて映写技師となった。彼は1903年に兄弟と興行会社を組み、ジャックのパフォーマンス付きで映画興行業を開始、オハイオ州やペンシルベニア州の鉱山町を巡業した。同1903年にはペンシルベニア州ニューキャッスルに劇場をオープン、その後1904年、ピッツバーグで配給会社を設立しエクスチェンジ業(→スタジオ・システム)に進出して収益を上げた。しかし1908年、発明王トーマス・エジソンが、映画配給を独占するトラスト「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー」(Motion Picture Patents Company, MPPC, 別名エジソン・トラスト)を設立したことで映画館は大きな打撃を受ける。エジソンは、保有する多数の映画関係の特許をたてにし、トラスト参加各社の作る映画を上映する度に映画館から料金を徴収した。トラストの圧力によって多数の映画業者が配給網を絶たれ、ワーナー兄弟も一度は業界から手を引く。
しかし映画製作の夢を秘め続けたサムは、再び兄弟を説得して1918年にハリウッドに映画スタジオを構え、ハリーたちはニューヨークで資金調達や配給を行った。1923年、ワーナー兄弟はワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズを会社登記する。
映画製作の最初の一歩は、脚本家アヴェリー・ホップウッド(Avery Hopwood)の1919年のブロードウェイ演劇『ゴールド・ディガーズ(The Gold Diggers)』の権利購入であったが、会社成長のきっかけは第一次世界大戦後にある兵隊がフランスから連れ帰った一匹の犬リン・チン・チン(Rin Tin Tin)であった。この犬を主人公にした映画「名犬リンチンチン」シリーズは1924年以降26本作られ、ワーナー・ブラザーズをハリウッド有数のスタジオへと押し上げた。
これらの成功によりウォール街からの投資を受けるようになり、1924年には同じユダヤ系資本のゴールドマン・サックスから巨額の融資を得た。この資金で、1897年以来の歴史を持つハリウッドの先発スタジオで全国規模の配給網も所有していたヴァイタグラフ(Vitagraph Company)を1925年に買収、さらにラジオ放送にも進出し、ロサンゼルスのKFWBをはじめいくつかの都市に放送局を誕生させた。また映画業界を荒れ狂っていた劇場建設・買収の競争にも参入した。
トーキーとカラー映画の導入
ヴァイタグラフが進めていた音声と映像が同期したディスク式有声映画システム、ヴァイタフォンの開発を引き継いだワーナーは、1926年よりこのシステムを利用して音楽や効果音のある有声映画の製作を開始した。1927年10月、ワーナーはこれをさらに進めて部分的にせりふのある世界初の映画である『ジャズ・シンガー』を配給した。これがトーキーの始まりであり、映画界にセンセーションを巻き起こす出来事であった。しかしながら『ジャズ・シンガー』公開前にトーキー開発に熱心だったサム・ワーナーが死去、彼の葬儀のためワーナー兄弟は『ジャズ・シンガー』のプレミアに出席することはできなかった。
この映画の成功による得た資金でワーナーは、大手配給会社スタンレーを1928年に買収する。スタンレーが3分の1を所有していたワーナーのライバルである大手映画製作・配給会社ファースト・ナショナル(First National Pictures)の買収に王手をかけた。ウィリアム・フォックス率いるフォックス・フィルム(20世紀フォックスの前身)との激しい買収合戦の末、1929年にファースト・ナショナルの経営権を得ることに成功した。しかし大恐慌が映画業界を直撃、ワーナーはファースト・ナショナルと合併し、ファースト・ナショナルがロサンゼルス近郊のバーバンクに所有していたスタジオに移転した。裁判所は合併を認めたものの、1938年まで毎年何本かの映画をファースト・ナショナルの名義で製作・配給するようワーナーに要請し、その後30年間にわたり「ワーナー・ブラザーズ=ファースト・ナショナル(A Warner Bros. - First National Picture.)」名義での製作が行われた。
1928年、ワーナー・ブラザーズは初の全編音声付きトーキー『Lights of New York』を製作し成功を収めた。これ以後、映画業界はトーキー製作になだれ込む。1929年にはアメリカのメジャー映画スタジオはみなトーキーを製作するようになっていた。1929年、ワーナー・ブラザーズはテクニカラーを使用した『エロ大行進曲(On with the Show)』を製作、それまで二色式カラー映画や無声テクニカラー映画は発表されていたが、全編音声付・全編カラー映画はこれが最初だった。同年、同様のカラー映画『ブロードウェイの黄金時代(Gold Diggers of Broadway)』を製作しこの年一番の人気を博し、1939年まで各地の劇場で続映され続けるほどのヒットになった。これ以後、ワーナーは1931年までの間に数多くのカラー映画を製作する。これらの映画はいずれもミュージカルであったが、1931年に各地の観客がミュージカル映画に飽きてしまい、ワーナーは多くのミュージカルの製作を中止し、すでに製作した映画をコメディとして宣伝するはめとなった。観客はカラー映画をミュージカルと同一視してしまったため、ワーナーほか各社はカラー映画の製作を行わないようになった。ワーナーはテクニカラー社とあと2本カラー映画を製作する契約が残ってしまっていたため、ミステリー映画初のカラー作品『ドクターX(Doctor X)』(1932年)と『肉の蝋人形(Mystery of the Wax Museum)』(1933年)が製作された。
ギャング映画とヘイズ・コード
『リン・チン・チン』シリーズ以来多くの脚本を手がけ、プロデュースも行っていたダリル・F・ザナックの下で、大不況の影響を受けていた1930年代のワーナーは、ギャングの抗争を報じる新聞の見出しを切り抜いたような('torn from the headlines')ギャング映画で名をはせるようになった。ワーナーは1920年代の都会的で洗練されたスター達に代わり、ジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ブロンデルなど、乱暴な語り口の労働者タイプのスターを多く起用し、リアルなギャング路線で成功をおさめる。一方、こうしたギャング映画のヒットにより宗教団体などが青少年への悪影響や表現規制を叫ぶようになり、1930年に制定された自主規制規定のヘイズ・コードが1934年には厳格適用されるようになってしまった。
ザナックが1933年に退社し20世紀映画(20世紀フォックスのもうひとつの前身)を設立したあとは、ワーナーはより洗練された路線に方向転換し、女性向けメロドラマ、剣戟映画、ベストセラーの映画化などを製作し、ケイ・フランシス、ベティ・デイヴィス、エロール・フリンらを起用した。1934年以降のヘイズ・コード強化による検閲により、コード適用以前もっとも成功していたスタジオのひとつだったワーナーは打撃を受けた。検閲を避けるために歴史映画や倫理的・理想的人物を描いた映画などに方向転換するが、コード強化以前のスターらは次第に出番が少なくなり、ワーナーらしさやワーナーの輝きは薄らいでいった。
カートゥーン製作
ワーナーのアニメーション(カートゥーン)映画製作は1930年より、レオン・シュレジンガー(Leon Schlesinger)所有の独立スタジオの下で開始された。シュレジンガーのパシフィック・アート・アンド・タイトル社はワーナーの映画のタイトルやサイレント映画の字幕などを製作していたが、ヒュー・ハーマン(Hugh Harman)とルドルフ・アイジング(Rudolf Ising)というディズニー出身の有能なアニメーターを社外から招き、カートゥーン製作に乗り出した。彼らはジャズを使って過激なギャグ(この後のヘイズ・コード適用後は不可能になった)を交え、黒人少年ボスコを主役にした『ルーニー・テューンズ』(Looney Tunes)、および『メリー・メロディーズ』(Merrie Melodies)などのヒットシリーズを作り上げた。1933年にハーマンとアイジングが製作環境や契約でもめてシュレジンガーのもとを去った後はジャック・キング(Jack King)やフリッツ・フリーレング(Friz Freleng)らが白人少年バディを主役にカートゥーン映画を作り続けた。
やがて漫画家志望の青年テックス・エイヴリー(Tex Avery)が加わりターマイト・テラス(Termite Terrace)という小さなスタジオをシュレジンガーから任されると、ターマイト・テラスは数々の過激なアニメーションを製作し、バッグス・バニーやダフィー・ダック、トゥイーティーなどなど現在知られる人気キャラクターが次々と生み出された。シュレジンガーのアニメーション会社は1944年にワーナー本体に買収され、以後バッグス・バニーやダフィー・ダックはワーナーのイメージキャラクターとなるに至っている。
黄金時代の終わり
1940年代のワーナーはベティ・デイヴィスやジョーン・クロフォードらを起用した女性向け映画によって、第二次世界大戦下でも多くの観客を集めた。またハンフリー・ボガートがスターとなり、戦後はローレン・バコールやドリス・デイらが新たなスターとなった。1948年1月5日、パサデナで1月1日に行われたローズボウルとローズパレードの模様を伝えるニュース映画をカラーで提供し、これが最初のカラーでのニュース映画となった。
1940年代を通じ、ワーナーは反トラストをめぐる「アメリカ合衆国対パラマウント映画」裁判の当事者となった。この裁判は、映画スタジオと映画配給網をあわせて所有していた寡占大手五社が、競争を抑制するトラストを組んでいるとして司法省と連邦取引委員会が起こしたものだった。連邦最高裁判所は1948年に審問を行い、映画会社側が敗訴した。この結果、ワーナーを含む五社は垂直統合を禁じられ配給網を切り離し売却することを強いられた。これがブロック・ブッキング制度を終わらせ、撮影所システムの崩壊の始まりとなり、1970年代半ば(『ジョーズ』『ロッキー』『スター・ウォーズ』などブロックバスター映画の時代)まで続く凋落の一因となった。
1953年、ワーナー・シアター・ホールディングスはスタンレー・ワーナー・シアターズとして分離された。ワーナーの映画だけで年間上映スケジュールを埋める映画館網を失った以上、年に多数の映画製作は不要となり、高い契約キャストやスタッフを抱えることもできなくなった。ワーナーは創業50年目で撮影所システムの崩壊に直面し、バーバンクの広大な製作スタジオを、銀行を中心とした買手グループに売却した。1956年、スタジオ売却取引が完了した直後、ハリー・ワーナーとアルバート・ワーナーは、銀行主導のグループの背後にいた投資家がワーナー四兄弟の末弟、ジャック・ワーナーだったことを知った。ファミリービジネスだった映画会社を自分ひとりの管理下に置いたジャックに対し兄弟は怒り、家族関係に亀裂が入り、以後生涯にわたりハリー、アルバート、ジャックは互いに口を利くことはなかった。1956年、さらにワーナーはアニメも含む1948年以前の作品を配給会社アソシエーテッド・アーティスツ・プロダクションズ(Associated Artists Productions、a.a.p.)に売却してしまう(a.a.p.は1958年にユナイテッド・アーティスツに買収され、1981年にはユナイテッド・アーティスツは破産しMGMに買収された。さらにテッド・ターナーがMGM/UAを買収して直後に売却したが、古いワーナー作品の版権はターナーが手許に残した)。
ワーナーは『悪い種子(The Bad Seed)』『軍曹さんは暇がない(No Time for Sergeants)』『メイム叔母さん(Auntie Mame)』『ジプシー(Gypsy: A Musical Fable)』など、ヒットした演劇やミュージカルの映画化に再び専念したほか、『サンセット77(77 Sunset Strip)』『マーベリック(Maverick)』などのヒットドラマを放つテレビドラマ製作部門が成功したことで立ち直った。1958年には音楽出版社ワーナー・ブラザーズ・レコードを立ち上げてこれも成功させたが、1960年代初頭には映画部門の不振は誰の目にも明らかだった。スタジオがプロデュースする映画はほんのわずかで、ほとんどはワーナーと他社の共同出資(施設提供、資金出資、配給の実施)による映画やインディペンデント映画の配給などであった。
1967年、ジャック・ワーナーは老化と時代の流れに屈し、映画会社の経営と音楽ビジネスを7800万ドルでカナダ人投資家のエリオット・ハイマンとケネス・ハイマン兄弟に売却し、彼らが経営する独立プロダクション、セヴン・アーツ・プロダクションズ(Seven Arts Productions)と合併する。彼らは、1956年にワーナー作品の版権を買ったアソシエーテッド・アーティスツ・プロダクションズの当時の経営者であった。社名はこの後、ワーナー・ブラザーズ=セヴン・アーツ(Warner Bros.-Seven Arts)に変わる。
スティーブ・ロスの時代
2年後の1969年、資金難のハイマン兄弟はスティーブ・ロス(Steve Ross)が率いる複合企業群「キニー・ナショナル・カンパニー(Kinney National Company)」の買収提案を受け容れた。
スティーブ・ロスはニュージャージーの葬儀場チェーン経営者の娘と1954年に結婚して業務を拡大し、駐車場経営のキニー社を買収合併。以降、キニー社はレンタカー、オフィス清掃、建設業、芸能エージェンシーと手を広げ大企業となっていった。キニーは自動車盗難の多発地帯としても知られるニューアークの地名である。またニュージャージー州は1950年代にギャングのアブナー・ツヴィルマンが政治家と労働組合へ絶大な影響力を持った土地としても知られる。ロスの周囲にも「いかがわしい連中」が集まっており、仲間を裏切れない彼の弱点は後にキニーの財務スキャンダルという事態を招く。
1967年にスティーブ・ロスはハリウッドの芸能エンジェシー大手だったアシュリー・フェイマス(Ashley-Famous)を買収した。ア社のテッド・アシュリーは芸能ビジネスよりケーブルテレビ事業が儲かると考え、映像事業へ転進するための資金力あるパートナーを探していた。アシュリーは資金難にあったワーナー・ブラザーズ=セブン・アーツを買収するアイデアをロスへ打診、ワーナーはキニー社に買収されて以降アシュリーが経営者となり、社名は再度ワーナー・ブラザーズ(Warner Bros. Pictures)に戻った。
駐車場経営をめぐる財務スキャンダルの後、1972年に親会社キニー・ナショナル・カンパニーは葬儀場や駐車場など娯楽以外の分野を分離し、社名をワーナーにちなんでワーナー・コミュニケーションズ(Warner Communications)に変更した。これ以降のロスは超人的な精力を傾け『買収ゲーム』を繰り広げることになる。ロス語録は数え切れないが最も有名な一つがこれである。
"If you're not a risk-taker,you should get the hell out of business." 失敗しない奴はクビにする。
ワーナー・コミュニケーションズは娯楽事業への投資を進め、1976年にはビデオゲーム会社アタリを、さらに遊園地経営会社シックスフラッグスを買収した。ただしロスは性格的に活字とコミックは関心が薄かったので買収したDCコミックは会議の議題になっても熱心ではなかった。1980年代初期には乗っ取り王のルパード・マードックがワーナーに対するM&Aを狙ったことで「ポイズンピル」「ホワイトナイト」を駆使した攻防戦も世間をにぎわせる。アタリはワーナー傘下に入って以降、ワーナー・コミュニケーションズの利益のかなりの部分を占めるグループの稼ぎ頭になったが、企業文化の違いで創業者が追い出され、経営が迷走した。後に、ゲーム市場の崩壊(日本で言ういわゆる「アタリショック」)が起こると、ワーナー・コミュニケーションズ自体の株価も低落した。
しかし映画観客の減少はやまず、ワーナーの新経営陣はスターの集客力に頼る戦略をとった。当時の大スターたちとの映画共同製作を進めたが、その中にはポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、バーブラ・ストライサンド、ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッドらの名もあった。この努力によりスタジオは1970年代と1980年代を乗り切った。
1971年から1987年末まで、ワーナーの国際配給はコロンビア映画との共同事業であり、いくつかの国ではワーナー・コロンビア連合は他社の映画も配給していた。ワーナーは1988年以降ウォルト・ディズニー・ピクチャーズと組み、1993年にディズニーが独自にブエナ・ビスタ・インターナショナルを設立するまで続いた。
ロスは人当たりがよく腹が太く情熱的であり、最も親しい関係にあったスティーブン・スピルバーグは、もし選べるならば実の父よりも父であって欲しい人物であるとしていた。スピルバーグの人間的な成長にとってもロスは欠かせなかった。
タイム・ワーナー
1989年、派手でスター頼みのワーナー・コミュニケーションズと、タイムで有名な上流階級的な出版グループ・タイムとが統合し、メディアグループ・タイム・ワーナーが誕生したことは世間を驚かせた。1995年、タイム・ワーナーはCNN創業者テッド・ターナー率いるターナー・ブロードキャスティング・システムと合併、これによりタイム・ワーナーはターナーが持っていた1948年以前のワーナーのフィルム・ライブラリーを取り戻したほか、MGMやRKOなどの旧作のライブラリも手に入れた。一方、アタリゲームズやシックスフラッグスなどの事業は売却した。タイム・ワーナーは2000年にAOL社に買収されAOLタイム・ワーナーとなったが、その後ITバブル崩壊でAOLの資産は減少、社内の影響力も衰退し2002年、社名がタイム・ワーナーに戻された。AOLは社内の1部門となったが、2009年12月、正式に分離された。
1995年、ワーナーはシカゴの新聞・テレビ網グループトリビューン・カンパニーと、地上波テレビネットワークワーナー・ブラザーズ・テレビジョン・ネットワーク(WBネットワーク)を設立、ニッチ市場であったティーンエイジャーを狙った『バフィー ~恋する十字架~』や『ドーソンズ・クリーク』などの学園ドラマでヒットを飛ばした。さらに『チャームド』『7th Heaven』などの家族向けドラマの成功でWBは脚光を浴びたが、三大ネットワークやそれに次ぐ躍進を見せたFOXとの差は縮まらなかった。2006年、CBSとタイム・ワーナーは、CBS傘下のUPN(United Paramount Network)とワーナー傘下のWBの両地上波ネットワークを解散して新たなネットワーク、CWテレビジョンネットワークを立ち上げた。
映画事業では、1990年代末に『ハリー・ポッター』シリーズの映画化権を買い、2001年の『ハリー・ポッターと賢者の石』以降ワーナーのドル箱シリーズとして10年間続いた。また、ワーナーは有力な監督やプロデューサーが率いる多くの中小プロダクションと共同製作や配給を行ってきた。アンブリン・エンターテインメント(Amblin Entertainment)、モーガン・クリーク・プロダクションズ(Morgan Creek Productions、現在はユニバーサルと製作)、リージェンシー・エンタープライズ(Regency Enterprises、現在は20世紀FOXと製作)、ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ(Village Roadshow Pictures)、レジェンダリー・ピクチャーズ(Legendary Pictures)、シルバー・ピクチャーズ(Silver Pictures、ダークキャッスル・エンタテインメント Dark Castle Entertainmentはその一部)、ゲフィン・フィルム・カンパニー(Geffen Film Company)など、多数のヒットメーカーがワーナーと組んで映画製作を行っている。
邦画事業への参入
テンプレート:See also 1993年にマイカルとの合弁事業として、ワーナー・マイカル・シネマズを立ち上げ、本格的な日本国内でのシネコン事業に参入した頃からコンテンツ確保のための邦画事業を画策し、1998年に日本テレビ、東芝との合弁事業としてトワーニを立ち上げ、2000年の『さくや妖怪伝』を皮切りに計4作品を製作・配給するが、興行的な失敗を繰り返し、2004年に『キューティーハニー』の製作・配給をもってトワーニは解散する。
しかしその後も独自の邦画配給を諦めず、2006年に配給した日本テレビ制作の『デスノート』シリーズの大ヒットを契機として本格的に邦画に参入し、その後も配給会社が負うリスクが最小で済む製作委員会方式の作品が主流になった事も追い風となり、配給作品における邦画の占める割合が年々増加しつつある。
また、ホームビデオ事業においても国内のファミリー層向けコンテンツの確保のため、映画のみならず『相棒』のようなTVドラマ作品、『巨人の星』や『金田一少年の事件簿』のようなTVアニメーション作品、『探偵!ナイトスクープ』や『志村けんのバカ殿様』などの人気バラエティ番組のDVDリリースも積極的に行っている。
主なグループ企業
- ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ Warner Bros. Pictures(1923年)
- ワーナー エンターテイメント ジャパン Warner Entertainment Japan(1992年)
- ダークキャッスル・エンタテインメント Dark Castle Entertainment(1999年) ホラー映画
- ワーナー・インディペンデント・ピクチャーズ Warner Independent Pictures(2003年) インディペンデント映画
- ニュー・ライン・シネマ New Line Cinema (1967年)1996年にタイム・ワーナー傘下になり、2008年にワーナーに吸収されその一部門となった
- ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン Warner Bros. Television(1955年) テレビ番組製作
- テレピクチャーズ・プロダクションズ Telepictures Productions
- CWテレビジョンネットワーク The CW Television Network(2006年) テレビ放送網
- ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン・ネットワーク The WB Television Network(1996年 - 2006年) CWの前身
- ワーナー・ホーム・ビデオ Warner Home Video 家庭用ソフト販売
- DCコミック DC Comics 漫画出版社
- ワーナー・ブラザーズ・アニメーション Warner Bros. Animation(1933年) アニメーション映画・番組製作
- ハンナ・バーベラ・プロダクション Hanna-Barbera Cartoons, Inc.(1944年 - 2001年) ワーナー・ブラザーズ・アニメーションに併合
- カートゥーン・ネットワーク・スタジオ Cartoon Network Studios(1994年) ハンナ・バーベラが設立したアニメ会社で、ターナー・ブロードキャスティング・システム子会社。ハンナ・バーベラの消滅後、その末裔となっている
- ターナー・エンタテインメント Turner Entertainment(1986年)
- キャッスル・ロック・エンターテインメント Castle Rock Entertainment(1987年) 映画・テレビ製作会社
主な映画
洋画
- グレムリン
- グレムリン2 新・種・誕・生
- アイ・アム・レジェンド
- アイズ・ワイド・シャット
- 最高の人生の見つけ方
- アウト・フォー・ジャスティス
- アウトブレイク
- 赤ずきん
- アルゴ
- アントブリー
- アンノウン
- イエスマン “YES”は人生のパスワード
- 硫黄島2部作
- 一枚のめぐり逢い
- イルマーレ
- インセプション
- インターステラー
- インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
- インビクタス/負けざる者たち
- インフォーマント!
- インベージョン
- エクソシストシリーズ
- エグゼクティブ・デシジョン
- エクトプラズム 怨霊の棲む家
- エスター
- エデンの東
- L.A. ギャング ストーリー
- エルム街の悪夢
- 遠距離恋愛 彼女の決断
- エンジェル ウォーズ
- オーシャンズ トリロジー
- 王妃の紋章
- オール・ユー・ニード・イズ・キル
- 俺たちに明日はない
- かいじゅうたちのいるところ
- カサブランカ
- かぞくはじめました
- ガフールの伝説
- 華麗なるギャツビー
- カンナさん大成功です!
- キスキス,バンバン
- きみがぼくを見つけた日
- キャッツ & ドッグスシリーズ
- キャットウーマン
- クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア
- グーニーズ
- クラウド アトラス
- グラン・トリノ
- グリーン・ベレー
- グリーン・ランタン
- グリマーマン
- 刑事ニコ 法の死角
- ゲット スマート
- 黒蘭の女
- ココ・アヴァン・シャネル
- ゴシカ
- コップ・アウト 〜刑事した奴ら〜
- コンスタンティン
- コンテイジョン
- 最高の人生の見つけ方
- ザ・スピリット
- ザ・タウン
- THE 4TH KIND フォース・カインド
- ザ・ライト -エクソシストの真実-
- さらば、ベルリン
- しあわせの隠れ場所
- 幸せのレシピ
- J・エドガー
- JFK
- シャーロック・ホームズシリーズ
- ジャイアンツ
- ジャックと天空の巨人
- ジャズ・シンガー
- ジョイフル♪ノイズ
- 情熱の航路
- シリアナ
- 死霊館
- スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
- スーパーマンシリーズ
- スキャナー・ダークリー
- スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ
- スタンドアップ
- スピード・レーサー
- SPIRIT
- スペース・カウボーイ
- 300 〈スリーハンドレッド〉シリーズ
- セックス・アンド・ザ・シティ2
- セブンソード
- セブンティーン・アゲイン
- ゼロ・グラビティ
- 潜行者
- ゾディアック
- そんな彼なら捨てちゃえば?
- ダーク・シャドウ
- 第9地区(ギャガと共同配給)
- タイタンシリーズ
- 大列車強盗
- 脱出
- ダーティハリーシリーズ
- 旅するジーンズシリーズ
- タワーリング・インフェルノ(20世紀フォックスと共同で提供)
- チザム
- チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ
- 沈黙の戦艦及び続編
- チャーリーとチョコレート工場
- 電撃
- 逃亡者
- 追跡者
- ディセンバー・ボーイズ
- ディパーテッド
- ティム・バートンのコープスブライド
- TEKKEN -鉄拳-
- デュー・デート 〜出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断〜
- 時計じかけのオレンジ
- トルク
- トロイ
- ニューイヤーズ・イブ
- ニンジャ・アサシン
- ネバーエンディング・ストーリー第2章
- バージニア・ウルフなんかこわくない
- ハード・トゥ・キル
- 白鯨(現在はメトロ・ゴールドウィン・メイヤーが版権を保有)
- 白熱
- パシフィック・リム
- バットマンシリーズ
- ハッピー フィートシリーズ
- ハリー・ポッターシリーズ
- パリより愛をこめて
- バレンタインデー
- ハングオーバー!シリーズ
- ヒア アフター
- HERO
- ファイヤーウォール
- ファイヤーフォックス
- Vフォー・ヴェンデッタ
- フールズ・ゴールド/カリブ海に沈んだ恋の宝石
- 42 〜世界を変えた男〜
- ブラザーサンタ
- ブラッド・ダイヤモンド
- ブリット
- ブレードランナー
- フルメタル・ジャケット
- PROMISE 無極
- ベオウルフ/呪われし勇者
- ベンジャミン・バトン 数奇な人生
- 暴走特急
- 僕の彼女を紹介します(韓国の配給はCJ)
- 僕の、世界の中心は、君だ。
- 僕の大事なコレクション
- ポストマン
- ポセイドン
- ボディガード
- ホビット三部作
- マイ・フェア・レディ
- マッドマックス
- マディソン郡の橋
- マトリックスシリーズ
- マルタの鷹
- ミスタア・ロバーツ
- ミリオンダラー・ベイビー(日本では松竹が配給)
- 三つ数えろ
- ミルドレッド・ピアース
- メッセージ・イン・ア・ボトル
- 燃えよドラゴン
- 目撃
- ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
- モンスター上司
- ユー・ガット・メール
- 許されざる者
- 欲望という名の電車
- 四十二番街
- ラーメンガール
- ライセンス・トゥ・ウェディング
- ラストサムライ
- ラスト・ボーイスカウト
- ラッキー・ユー
- LOVERS
- ラブ・アゲイン
- ラブソングができるまで
- リーサル・ウェポンシリーズ
- リーピング
- リオ・ブラボー
- 理想の彼氏
- 理想の恋人.com
- 理由なき反抗
- レディ・イン・ザ・ウォーター
- 老人と海
- 蝋人形の館
- ロープ(現在はユニバーサル・ピクチャーズが版権を保有)
- ロック・オブ・エイジズ
- ロックンローラ
- ロビンフッドの冒険
- ロング・エンゲージメント
- ワールド・オブ・ライズ
- 悪い種子
次世代DVD戦争
Blu-ray DiscとHD DVDが争う次世代DVD戦争では、初めはHD DVD陣営だったが、2005年にBD-ROMのプレスコストがDVD並で済むと判明してからはニュー・ライン・シネマやパラマウント映画と共にBDにも参入する。その後は、一部のソフトをHD DVDのみで販売したり、HD DVD独自の映像特典を収録するなど、元々の陣営であったHD DVDに力を入れている傾向があった。Total Hi DefというBDとHD DVDの張り合わせディスクの発案をしたり、パラマウントが東芝とHD DVDへの独占供給を行うという契約を行った後も、長い間両陣営という立場を守ってきた。
しかし、2008年1月4日のCESを直前にBDへの一本化と、HD DVDは5月までに撤退することを発表し、これにより一挙に次世代DVD戦争はBD陣営に傾き、ワーナーに続こうとする企業が続発した(ウォルマートストアでのHD DVD製品撤去など)。一本化の理由として第一に『長期に渡って販売数はBDが優勢だったこと』を挙げ、また『長い目で見た映画産業とその健全性を守るため』と説明していた。この直接的な影響として、2008年2月19日、東芝はHD DVD事業を全面撤退することとなった。
オープニングロゴ
基本的にオープニングロゴとして使われたものには2種類ある
- クラシック・ロゴ
- WBの文字をあしらった楯のもの。現在までこのデザインが主流。
- モダン・ロゴ
- Wを象ったシルエットのもの(ワーナーミュージックのロゴと同じ)。72年から84年にかけて採用されていた。デザイナーはソール・バス。(9代目ロゴ)[1]
その他、ワーナー・ブラザーズ=セヴン・アーツ時代には盾風の枠の中でWの右端と7が合体したロゴが使用された。(1967年-1970年、6代目ロゴ)[2]