ルパート・マードック
テンプレート:Infobox 人物 キース・ルパート・マードック(Keith Rupert Murdoch、1931年3月11日 - )は、オーストラリア系アメリカ人の実業家。
メディア・コングロマリットのニューズ・コーポレーション(現在ではエンターテインメント関連事業は21世紀フォックス、出版関連事業は新しいニューズ・コーポレーションに分社化)を所有することから世界的なメディア王として知られる。21世紀フォックス及びニューズ・コーポレーションの株主、代表取締役という立場でテレビや新聞、映画、雑誌、音楽産業、インターネットなどを中心とした世界に散らばるメディア企業を率いている。長年オーストラリアを拠点としていたが、1986年にアメリカ合衆国でFOXテレビを創設した際に連邦通信規則との関係でアメリカに帰化した。
目次
経歴
生い立ち
オーストラリアのビクトリア州メルボルンに、1931年に生まれる。ジャーナリストであった父のキース・マードックテンプレート:Enlinkはオーストラリアの名門社会の一員で、第一次世界大戦での報道で活躍し、当時のオーストラリア首相ビリー・ヒューズの個人的なアドバイザーでもあった。またメルボルンの新聞「ザ・ヘラルド」などを所有し、オーストラリア一政治的影響力の強い新聞社社長・メディア経営者となった。キースは1928年にエリザベス・ジョイ・グリーン(後のエリザベス・マードックテンプレート:Enlinkと結婚し、息子ルパートと三人の妹をもうけた。キースはルパートの少年時代の不出来さに不満を持っており、息子が自分のあとを継ぐことを絶望視していた。ルパートはキースに反抗的であった。母エリザベスは98歳まで生き、生涯ルパートに強い影響力を持った。
ルパートはメルボルン郊外のジーロングにある名門校ジーロング・グラマー・スクールテンプレート:Enlinkで学び、オックスフォード大学のウースター・カレッジテンプレート:Enlinkへ進学し、学生新聞「チャーウェル(Cherwell)」で広告を販売していた。
メディア界へ
1952年、父キースの急死によりルパートは学業半ばでオーストラリアに戻り、父の跡を継いでメディアグループのオーナーになろうとしたが、相続税を払った後にはザ・ヘラルドなどの主要な事業は残っておらず、アデレードの新聞「ザ・ニューズテンプレート:Enlink」などがかろうじてルパートの手元に残った。ザ・ニューズの社長となったルパートは、アデレード近くで起きた少女殺人事件で逮捕されたアボリジニのマックス・スチュワートテンプレート:Enlinkの冤罪と死刑反対を主張し大キャンペーンを行った。この結果スチュワートは冤罪が認められ釈放され、ルパートは大いに名を上げたが、このキャンペーンの実際の功労者は編集長のローハン・リヴェットであった。
ニューズ・コーポレーションの設立
マードックはザ・ニューズ紙をもとに持株会社ニューズ・リミテッドを創立し、オーストラリア各地の新聞を買収して1970年代にはオーストラリア有数のメディア・グループへと成長させた。1964年にはオーストラリア初の全国紙「ジ・オーストラリアン」を発行し、政治的影響力も高めている。また1969年にはロンドンのザ・サン買収。毎号カラーのヌード写真を掲載するなど一部の顰蹙を買いつつも労働者階級の人気を得ることに成功。1970年代には同じく英国のメディア王であったロバート・マクスウェルと激しく争いながら英米各地の新聞を次々買収し、1979年に現在の持株会社、ニューズ・コーポレーションを設立した。
1980年代にはイギリスの名門紙タイムズ、アメリカの映画会社20世紀フォックスの買収、アメリカでのテレビ・ネットワークFOXの設立など事業を拡大し、その経済力・政治的影響力は世界規模に拡大している。1987年にはかつて父が所有し本拠としていたヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズ社テンプレート:Enlinkの買収についに成功し、父のメディア王国を取り戻した。
2005年には当時世界最大のSNS・MySpaceを買収。その影響力をネットの世界にまで拡大させている。
2011年7月、「ニュース・オブ・ザ・ワールド」の盗聴事件に絡み(同紙はこれが原因で廃刊)、ニューズコーポレーションCEOとしてイギリス下院の調査委員会に召喚された。 テンプレート:Main
2012年7月22日、子会社のニューズ・インターナショナル社は、マードックが傘下の英有力紙の経営陣から退いたことを明らかにした。
ニューズ・コーポレーションの分社化
2013年6月28日、ニューズ・コーポレーションがエンターテインメント分野を主に担う21世紀フォックスと出版分野を主に担う新しいニューズ・コーポレーションに分社化された。両社の最高経営責任者(21世紀フォックスでは会長も兼務)を引き続き務める。
人物
自身が所有するFOXネットワークの人気番組で、様々な米英の有名人が本人役でゲスト出演する「ザ・シンプソンズ」においては'「わしが世界征服を企む悪のメディア王、ルパート・マードックである」[1]というセリフを喋った事もあり、ユーモアには一定の理解を示す人物(シンプソンズのスタッフをはじめ、FOXネットワーク等の関係者には民主党支持のリベラル派で反マードックを表明する者も少なくないにもかかわらず)[2]。
また、映画『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』に登場する、中国での視聴権獲得のため英中間に戦争を起こさせようと画策するメディア王・エリオット・カーヴァーは彼がモデルとされている[3]。
政治的スタンス
1970年代半ばまでは、ルパート・マードックのグループ各紙はオーストラリア労働党やイギリス労働党支持だったが、その後はオーストラリア自由党やイギリス保守党支持に回る。政治的には保守を代表しているとされる。
一般的に傘下のメディア企業が親米・親イスラエルなどの姿勢をとり、これまでロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャー、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ、デービッド・キャメロンといった新保守主義・新自由主義の政治家を支持してきたため、マードック本人も保守主義者だと言われている。
しかし、彼は1975年までは左派であった。その後は保守に転向する。但し、イギリスでは労働党のブレアが政権に就くと、これまでの保守党支持を翻して労働党支持を表明したり、オーストラリアでも労働党党首を支持している。チベット亡命政府指導者のダライ・ラマ14世を攻撃するなど親中派であること、2008年のアメリカ大統領選挙では共和党の支持率の低迷から当時の民主党の大統領選候補者だったヒラリー・クリントン支持に回るなど、風見鶏的な姿勢も目に付く。また、反王制であることも有名で、特にイギリス王室に対する報道は激烈である。本人は自分自身を「リバタリアニズムの信奉者」だとしている[4]。
結婚歴
彼はこれまでに3回結婚している。1956年にパトリシア・ブッカーと結婚し一女(プルーデンス・マードック)をもうけたが1967年に離婚した。この結婚に関しては彼は多くを述べていない。同年、社員でエストニア移民出身の若い女性、アンナ・トルフと結婚し、エリザベス(1968年生まれ)、ラクラン(1971年生まれ)、ジェームズ(1972年生まれ)の二男一女をもうけている。1969年、すでにメディア王となりイギリスに乗り込んでいた彼の資産を狙ってアンナ夫人の誘拐が企てられたが、誘拐犯はまちがえて重役のアリック・マッケイの夫人マリエルを誘拐し殺害してしまった。[1] [2]
アンナ夫人とは1999年に離婚し17億ドルにのぼる慰謝料を支払った。その半月後、当時70歳のマードックは当時30歳のウェンディ・デンテンプレート:Enlink(鄧文迪、1969年に中国徐州に生まれ広州で育ち、米国に留学したあと、香港のスターTVの副社長を務めていた)と結婚している。ウェンディーとの間にはグレース(2001年生まれ)とクロエ(2003年生まれ)の二女が生まれている。2013年6月、ウェンディ・デンとの離婚をニューヨーク州高等裁判所に提出した。[5]
エリザベス、ラクラン、ジェームズの三人はそれぞれニューズ・コーポレーション内の重役となり父の後継者の座を争ったが、次男ジェームズを除く二人はすでにグループを離れ独自のビジネスを進めており、ジェームズが後継者とみなされている。エリザベスは一度離婚し、イギリスの中堅規模の広告会社「フロイド・コミュニケーションズ」の創設者でジークムント・フロイトの曾孫にあたるマシュー・フロイトテンプレート:Enlink(1963年生まれ)と結婚している。
脚注
外部リンク
- テンプレート:Twitter
- ルパート・マードックのメディア戦略 「ダーティー・ディッガー」から世界のメディア王へ
- Forbes.com – 2004 Forbes 400: #27, Keith Rupert Murdoch
- Ketupa.net – Media Profiles: Rupert Murdoch
- Woopidoo – Rupert Murdoch 経歴と語録
- TIME.com: Rupert Murdoch from Oct. 25, 1999 issue of TIME magazine; by William Shawcross
- マードック家家系図
- ハリウッド・レポーター紙とのインタビュー
- Interview with Australian radio presenter Alan Jones
- 所有するメディア一覧
- K. Rupert Murdoch – SourceWatch
- Bruce Page の著書『マードック群島 The Murdoch Archipelago』の書評(Godfrey Hodgson)
- ロンドン・ワッピングでの新聞印刷工場争議の後日譚, 2006年1月15日付オブザーバー紙