マイ・フェア・レディ
『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)は、1956年3月15日に1962年9月26日までブロードウェイで公演され、6年6ヵ月に及ぶ2717回のロングラン公演となったヒットミュージカルのタイトル。 原作は、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』(Pygmalion)。ブロードウェイの初演ではジュリー・アンドリュースがヒロイン役を務めた。作詞・脚本アラン・ジェイ・ラーナー、作曲フレデリック・ロウ。
原作者のバーナード・ショーはミュージカル化に否定的だったため、彼が存命であった1950年までは上演することができなかった。また、出演女優には100万ドルのギャラが支払われると前もって公表されていた。
公演が成功した後の1964年には、オードリー・ヘップバーン主演で映画化もされた。
ストーリー
第1幕
オペラがはねたばかりのコヴェント・ガーデン・オペラハウス前。イライザ・ドゥーリトルという花売り娘が、売れ残りの花をさばくために駆けずり回っている。その姿を見ながら一心にノートを書きなぐる男がいた。彼の名はヘンリー・ヒギンズ教授。一流の言語学者で、下町上がりの成金に上流階級の話し方を教えて生計を立てている。彼が「どんなに下世話な花売り娘でも、自分の手にかかれば半年で舞踏会でも通用するレディに仕立て上げられる」というのを聞き《Why Can't The English? 「なぜイギリス人は英語が話せない?」 》、イライザは猛烈な興味を示す《Wouldn't It Be Loverly?「素敵じゃない?」 》。
翌朝、ヒギンズの家に「下町流」に着飾ったイライザが現れる。「手も顔もちゃんと洗ってきたんだよ」と、自分を一人前のレディに仕立てるよう頼むイライザだが、ヒギンズは最初は袖に振る。しかし、居合わせたヒギンズの友人で言語研究家のピッカリング大佐が、「もし成功したら、イライザの授業費を全額持つ」と言い出したため、ヒギンズは俄然乗り気になり、イライザの教育を引き受けることにする。
数日後、イライザの父アルフレッドが、ヒギンズの家にやってくる《With A Little Bit Of Luck「ほんの少し運が良けりゃ」 》。彼はイライザがヒギンズに囲われたものと思い込み、それをダシに金をせびりにやって来たのだ。一度は追い返そうとしたヒギンズだが、アルフレッドの話を聞くうちに彼の「道徳観」にいたく感じ入り、6ポンドを渡して帰す。そればかりか、アメリカの投資家に彼を「イギリス一の中間階級道徳家」として推薦する手紙までしたためてしまう《I'm An Ordinary Man「僕は普通の男だ」》。
ヒギンズによるイライザの訓練は困難を極めた《Just You Wait「今に見てろ」 》。しかしヒギンズはついに、イライザに上流階級の話し方をマスターさせることに成功した《The Rain In Spain「スペインの雨」》。狂喜乱舞するヒギンズとイライザ、そしてピッカリング《I Could Have Danced All Night「踊り明かそう」》。彼らは勢いに乗って、ヒギンズの母親がボックスを持つアスコット競馬場に乗り込む《Ascot Gavotte「アスコット・ガヴォット」》。しかし、イライザの社交界デビューは散々なものになった。彼女は上品な話し方こそ身に着けていたが、中身は下品な花売り娘のままだったからだ。イライザの言動のせいで大恥をかき、おまけに母親にまで「人間でお人形遊びをしている」と罵倒され、ヒギンズは雪辱に燃えて自宅へと戻った。だが、ボックスでイライザと同席した貧乏貴族の令息フレディ・アインスフォード=ヒルは、ヒギンズの家まで彼女を追いかけ、彼女に会えるまで玄関の前で待ち続ける決意を固めたのだった《On the Street Where You Live「君の住む街角」》。
第2幕
アスコットでの失敗から6週間後。地獄のような特訓の末、イライザの再デビューの日がやって来た。場所はトランシルヴァニア大使館の舞踏会。ヒギンズやピッカリングの心配をよそに、イライザはトランシルバニア皇太子からダンスの相手に指名されるという快挙をやってのける。途中ヒギンズの弟子だというハンガリー人・カーパシーにゆすりまがいの詮索を受けるも、イライザは見事にだまし通した。イライザは花売り娘からレディへと、鮮やかな変身を遂げていたのだった。
こうして、実験は成功に終わり、賭けはヒギンズの勝利となった。舞踏会から帰宅し、互いの健闘をたたえあうヒギンズとピッカリング《You Did It「でかしたぞ」》。しかしその2人の横で、イライザは静かに唇を噛み締めていた。彼女はまさに今、自分が単なる実験用のハツカネズミであったことに気づいたのだ。実験を通して、彼女の中には一人の人間としての自我が目覚めていた。しかしヒギンズは、彼女を一人の人間として扱ってはくれなかった。そしておそらくこれからも。
一人きりになった実験室で泣き崩れるイライザ。スリッパを取りにヒギンズが戻ってくる。イライザはヒギンズにスリッパを投げつけ、それをきっかけに大ゲンカが始まる。原因がわからないヒギンズ《A Hymn To Him「男の賛歌」》。「この家に自分の居場所はない」。そう感じたイライザは、こっそり家を出て行く。
外に出たイライザは、待ち構えていたフレディと一緒に《Show Me「証拠を見せて」》自分の故郷コヴェント・ガーデンの青物市場に向かう。しかし、昔の花売り仲間たちは、レディとなったイライザに気づくことはなかった。絶望に駆られるイライザの前に現れたのは、ピカピカのモーニングで着飾った父親の姿だった。聞けば、ヒギンズがアメリカの投資家に出した手紙のせいで、彼は投資家の遺産相続人となり、年4,000ポンドの金を受け取ることになってしまったのだ。その上、翌朝には愛人との結婚式まで控えているという。それでも彼は「イライザを引き取ることは出来ない」と言い張る。そしてイライザに「お前なら一人でもやっていける」と、励ましになっていない励ましの言葉をかけるのだった《Get Me To The Church On Time「時間通りに教会へ」》。
翌朝、イライザがいないことに気づいたヒギンズは大慌て。彼女に秘書的な役も負わせていたので、スケジュールが一切わからなくなってしまったのだ。イライザが逃げ込んでいたのは、ヒギンズの母親の家だった。イライザの理解者となってくれる者は、もう彼女しかいなかったのだ。2人が話し込んでいるところに、ついにヒギンズが怒鳴り込んでくる。ヒギンズの母はわざと、息子をイライザと2人きりにした。イライザはヒギンズに「あなたのことは好きだが、人間として扱ってくれない以上、もう一緒にはいられない」と告白する《Without You「あなたなしでも」》。しかしヒギンズは、ますますへそを曲げてイライザを突っぱねる。結局イライザは再びヒギンズの前から姿を消し、ヒギンズは母親の前でイライザを散々馬鹿にしてから家路に着いた。
しかし、ヒギンズは気づいていた。イライザが自分と同等の人間になっていたこと、そして、いつの間にかイライザのことが好きになっていたことに。しかし、自分はイライザを拒絶した。なぜなら、彼にとって女は一人前の人間ではなかったからだ。それでもなお、彼女の面影は頭の中から離れない…《I've Grown Accustomed To Her Face「忘れられない彼女の顔」》。
帰宅したヒギンズは、研究室の椅子で独り想いにふける。録音してあったイライザの声を流しながら。
突然再生が止まり、聞きなれた声がこう言った。「手も顔もちゃんと洗ってきたんだよ」。
ヒギンズは応えた。「私のスリッパはいったい…どこだい?」
劇中歌
第1幕
- なぜイギリス人は英語が話せない? (Why Can't the English?)
- 素敵じゃない? (Wouldn't It Be Loverly?)
- ほんの少し運が良けりゃ (With a Little Bit of Luck)
- 僕は普通の男だ (I'm an Ordinary Man)
- 今に見てろ (Just You Wait)
- スペインの雨 (The Rain in Spain)
- 踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)
- アスコット・ガヴォット (Ascot Gavotte)
- 君の住む街角 (On the Street Where You Live)
第2幕
- でかしたぞ (You Did It)
- 証拠を見せて (Show Me)
- 時間通りに教会へ (Get Me to the Church on Time)
- 男の賛歌 (A Hymn to Him)
- あなたなしでも (Without You)
- 忘れられない彼女の顔 (I've Grown Accustomed to Her Face)
ミュージカル
ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』が原作。ただし原作とは結末が異なり、ヒギンズとイライザが結ばれることを暗示して終わる。これはミュージカル化の際初めて行われたものと言われることが多いが、実は1938年にレスリー・ハワードが監督・主演し、ウェンディ・ヒラーが共演した映画版『ピグマリオン』にも見られる。台本を書いたアラン・ジェイ・ラーナー自身も、ミュージカル化に際し映画版の要素を多く取り入れたと語っている。
My Fair Lady(マイ・フェア・レディ)のタイトルは、Mayfair lady(メイフェア・レディ)をコックニー訛りで表現してもじったものである。メイフェアは昔は閑静な住宅地、今は高級店舗がならぶロンドンの地区の名前である。原作のPygmalionは『ピグマリオン』とカタカナ表記されるが、英語で発音するときは『ピグメイリオン』なので注意。fairは「美しい、色白の、金髪の、金髪で色白の」といった形容詞で、皮肉として「口先だけの、うわべだけの」といった意味も持つ。ここでは日本語でしばしば用いられる慣用語での「フェア(公平・公正)」といったニュアンスはさほど観照しない。
年譜
- 1956年3月15日 、ブロードウェイのマーク・ヘリンジャー劇場にて初演。七年半にわたり2717回の公演を重ね、当時としては記録的なヒットとなった。また、トニー賞も最優秀ミュージカル賞、主演男優賞(ハリソン)など8部門で獲得している。
- 1963年9月、東宝により東京宝塚劇場で、日本初のブロードウェイミュージカルとして上演される。主演はイライザ役に江利チエミ、ヒギンズ役に高島忠夫。翌年には同じキャストで再演された。その後も上演され那智わたる、上月晃、雪村いづみ、栗原小巻がイライザを演じた。1990年以降は、大地真央がイライザ役を務め、繰り返し上演されていたが、2010年を最後にイライザ役を引退。2013年5月の日生劇場公演にて、霧矢大夢と真飛聖のイライザ役をダブルキャストで上演されている。
- 1963年の東京宝塚劇場の公演の時に、日本では初めてカーテンコールの習慣が始まったとされている。
キャスト
- ブロードウェイ初演(1956年3月15日)
- ヘンリー・ヒギンズ教授:レックス・ハリソン
- イライザ・ドゥーリトル:ジュリー・アンドリュース
- アルフレッド・P・ドゥーリトル:スタンリー・ホロウェイ
- ピッカリング大佐:ロバート・クート
- ヒギンズ夫人:キャスリーン・ネスビット
- 東宝版
公演年 | イライザ | ヒギンズ 教授 |
ピッカリング 大佐 |
ドゥーリトル | ヒギンズ 夫人 |
フレディ | ピアス 夫人 |
ゾルダン カーパシー |
アインス フォード ヒル夫人 |
トラン シルバニア 女王 |
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1963年 | 江利 チエミ |
高島忠夫 | 益田喜頓 | 八波 むと志 |
京塚昌子 | 藤木孝 | 浦島 千歌子 |
山茶花究 | 深緑夏代 | 打吹美砂 |
1964年 1月 |
八波むと志 /小鹿敦 | |||||||||
1964年 5月 |
小鹿敦 | |||||||||
1970年 | 那智 わたる |
宝田明 | フランキー 堺 |
丹阿弥 谷津子 |
沢木順 | 丸山博一 | 青木玲子 | |||
1973年 | 上月晃 | 平幹二朗 | 南美江 | 池田稔光 | 友竹正則 | 市川牡丹 | 青木玲子 | |||
1976年 | 雪村 いづみ |
宝田明 | 田中明夫 | 東郷晴子 | 松橋登 | 丸山博一 | 福田裕子 | 渡瀬 由美子 | ||
1978年 | 栗原小巻 | 財津一郎 | 曾我廼家 鶴蝶 |
青山孝 | 友竹正則 | 藤代佳子 | ||||
1979年 3月 | ||||||||||
1979年 10月 |
フランキー 堺 |
佐藤和男 | 谷雅子 | |||||||
1984年 | 神山繁 | 坂上二郎 | 青木純 | 三上直也 | 前沢保美 | |||||
1990年 | 大地真央 | 細川俊之 | 小野武彦 | 丹阿弥 谷津子 |
川崎麻世 | 三田和代 | 友竹正則 | 冨田恵子 | 一の宮 あつ子 | |
1993年 | 村井国夫 | 金田龍之介 | 上條恒彦 | 羽賀研二 | 荒井洸子 | 小野武彦 | 青木玲子 | |||
1994年 | ||||||||||
1997年 4月 |
草刈正雄 | 南風洋子 | 福井貴一 | 林美智子 | 三谷侑未 | |||||
1997年 5月 | ||||||||||
1999年 | 浜畑賢吉 | 丹阿弥 谷津子 |
川崎麻世 | 冨田恵子 | 菅野 菜保之 |
麻志奈 純子 | ||||
2002年 5月 |
尾藤 イサオ |
岡幸二郎 | 藤堂新二 | 小笠原 みち子 |
月丘夢路 | |||||
2002年 7月 | ||||||||||
2004年 | 上條恒彦 | ちあき しん | ||||||||
2005年 | 石井一孝 | 羽場裕一 | 草村礼子 | 浦井健治 | 春風ひとみ | 藤木孝 | ||||
2007年 | 花山佳子 | ちあきしん (二役) | ||||||||
2009年 | モト冬樹 | 姜暢雄 | 春風ひとみ | |||||||
2010年 | 升毅 | 上條恒彦 | 大空眞弓 | ちあきしん | コング桑田 | 出雲綾 | ちあきしん (二役) | |||
2013年 | 霧矢大夢 真飛聖 |
寺脇康文 | 田山涼成 | 松尾貴史 | 江波杏子 | 平方元基 | 寿ひずる | 港幸樹 | 麻生かほ里 | 麻生かほ里 |
ジャズ・アルバムとして
初公演と同年の1956年8月、ウエストコーストのドラマーであるシェリー・マンは、アンドレ・プレヴィンと組んで、ジャズのリメイク盤をリリースした。このアルバムが好評を博したことにより、その後、『ウエストサイド・ストーリー』をはじめとして、人気のミュージカル・トラックをまるまるジャズレコード化することがブームとなった。
関連書
- アラン・ジェイ・ラーナー 千葉文男訳 『ミュージカル物語:オッフェンバックから「キャッツ」まで』 筑摩書房 ISBN 4480871470
- 大江麻里子 『マイ・フェア・レディーズ:バーナード・ショーの飼いならされないヒロインたち』 慧文社 ISBN 4905849241
関連項目
- ショー・チューン
- ミー・アンド・マイガール
- ダットサン・フェアレディ - 1960年代の日本の乗用車。当時の日産自動車社長が本作品を鑑賞し、感銘を受けて自社の自動車に命名した。後に日産・フェアレディZとなる。
- 園田競馬場 姫路競馬場 - 発売締め切り前BGMの一部に、「With A Little Bit Of Luck」が使用されている。