キルギス
- キルギス共和国
- Кыргыз Республикасы (キルギス語)
Киргизская Республика (ロシア語) -
キルギスの国旗 キルギスの国章 (国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:キルギス共和国国歌
- キルギスの位置
公用語 キルギス語、ロシア語 首都 ビシュケク 最大の都市 ビシュケク 通貨 ソム(KGS) 時間帯 UTC (+5)(DST:(+6)) ISO 3166-1 KG / KGZ ccTLD .kg 国際電話番号 996 </dd> </dl> キルギス共和国(キルギスきょうわこく)、通称キルギスは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和制国家である。首都はビシュケク(旧名フルンゼ)。かつての正式国名はキルギスタンであり、改称以降も別称として公式に認められている。
北から時計回りにカザフスタン、中華人民共和国、タジキスタン、ウズベキスタンと国境を接する。ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、独立国家共同体 (CIS) 加盟国である。
目次
国名
テンプレート:出典の明記 正式名称はキルギス語では Кыргыз Республикасы(Kyrgyz Respublikasy; クルグズ・レスプブリカス)、ロシア語では Киргизская Республика(Kyrgyzskaia Respublika; キルギースカヤ・リスプーブリカ)。別称は Кыргызстан(Kyrgyzstan; クルグズスタン)。
1991年の独立時にキルギス語の国名を Кыргызстан Республикасы(Kyrgyzstan Respublikasy; クルグズスタン・レスプブリカス)としたが、1993年に憲法を改正して正式国名を現行の Кыргыз Республикасы に改めた。ただし、国名変更以降も旧称 Кыргызстан が別称として公式に認められている。
公式の英語表記は Kyrgyz Republic。別称 Kyrgyzstan。
日本語の表記はキルギス共和国。通称キルギス。漢字による当て字は吉爾吉斯。
クルグズ(キルギス)の語源は「кырк(クィールク)」が40の意味で、40の民族を指し、また中国人にかつて「гунны(グンヌィ、匈奴)」と呼ばれていた背景から、それらを合わせてクルグズとなったと言われている。 ちなみに、テュルク系言語で40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する「クゥズ」をあわせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり、中央アジアに広く伝えられるアマゾネス伝承との関連をうかがわせる。したがって、「40の民族」というよりも、「40の部族」ないし「40の氏族」という意味のほうが適切である。
日本語名のキルギスは、ロシア語表記の「Киргиз」に由来する。
独立時に、キルギスのロシア語表記・英語表記は、キルギス語の自称に基づいた Кыргыз・テンプレート:En に改められたが、日本語ではそのままキルギスと呼びつづけ、正式国名の日本語名はキルギスタン共和国と表記された。その後のキルギス共和国への国名変更を経て、依然キルギスと通称されている。タジキスタンやカザフスタンなどにみられる「~スタン」とは、ペルシア語で「~が多い場所」を意味する言葉である。詳しくはスタンを参照されたい。
本項では「キルギス」の国名を使用するが、中央アジアの研究者には正確な発音に近い「クルグズ」と表記すべき、との声もある。
歴史
- 古代 - キルギス人の祖先は、シベリアを南北に流れるエニセイ川上流に定住していたと考えられている
- 1世紀ごろ - 匈奴の支配下に入る。
- 6世紀 - 突厥の支配下に入る。
- 7世紀 - 唐の支配下に入る。
- 8世紀 - 回鶻の支配下に入る。
- 9世紀 - 回鶻を滅ぼす。
- 13世紀 - モンゴル帝国の支配下に入る。
- 16世紀 - キルギス民族が現在のキルギス共和国の領域に移住。
- 19世紀初頭 - キルギス民族はウズベク系のコーカンド・ハン国の支配下に入った。
- 1865年 - 北キルギジアがロシア帝国に併合される。
- 1867年 - トルキスタン総督府を設置。
- 1876年 - コーカンド・ハン国(Kirgizia)がロシア帝国に併合される。
- 1922年 - ソビエト連邦が成立。
- 1910年代~1920年代 - ソビエトの支配下に入り、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の一地域となる。
- 1924年 - 中央アジアに位置する共和国の国境が整理され、ソビエト連邦内のテンプレート:仮リンクとなる。
- 1925年 - キルギス自治州に改称。
- 1926年 - キルギス自治ソビエト社会主義共和国 (1926-1936)に改称。
- 1936年 - ソビエト連邦を構成するキルギス・ソビエト社会主義共和国となる。
- 1991年テンプレート:08月31日 - ソビエト連邦のクーデターにより独立を果たす(キルギスタン共和国)。
- 1991年12月21日、独立国家共同体 (CIS) に参加。
- 1992年テンプレート:03月テンプレート:0 - 国際連合に加盟。
- 1992年テンプレート:05月テンプレート:0 - 独自通貨であるソムを導入、国際通貨基金 (IMF) に加盟、独立国家共同体 (CIS) の集団安全保障条約に調印。
- 1993年テンプレート:0 - 新憲法下で現国名(キルギス共和国)に改称。
- 1995年12月テンプレート:0 - 大統領選挙でアスカル・アカエフが再選された。
- 1996年テンプレート:02月テンプレート:0 - 大統領の権限大幅に拡大する憲法改正案が国民投票により賛成94.5%で可決された。
- 1999年テンプレート:0 - 「ウズベキスタン・イスラーム運動」のゲリラがクルグズスタン南部に侵入する事件が起こる。キルギス日本人誘拐事件(8月23日 - 10月25日)。
- 2003年テンプレート:0 - 憲法改正の国民投票実施。これにより憲法を改正し二院制から一院制に移行することが決定。
- 2005年テンプレート:03月テンプレート:0 - チューリップ革命。議会選挙の不正疑惑をきっかけに、南部で強権的なアカエフ大統領に対する野党側の反政府運動が激化。反政府運動は首都のビシュケクまで拡大し、野党勢力が大統領府を占拠。アカエフ大統領が逃亡し政権が崩壊した後、野党勢力は暫定政権を樹立したと報じられる。
- 2005年テンプレート:0[[4月4日|4月テンプレート:04日]] - アカエフ大統領、正式に辞任。
- 2005年テンプレート:07月10日 - クルマンベク・バキエフが大統領選挙で圧勝し、大統領に就任。
- 2010年テンプレート:0 - 景気低迷や政府によるメディア規制が起こる中、首都ビシュケクを中心に野党側による反政府運動が激化。4月7日に野党勢力が大統領府を占拠し、翌8日に元外相のローザ・オトゥンバエヴァが臨時政府樹立を発表、5月19日に暫定大統領に就任。6月27日に行われた国民投票で信任されたことで臨時から正式な政府に移行としたと宣言。
- 2011年12月テンプレート:01日 - 大統領選挙などを経て、アルマズベク・アタンバエフが大統領に就任。
政治
政体
政治体制は共和制であり、国民による直接選挙で大統領と議員が選出される。
行政府
テンプレート:Main 大統領の任期は6年で、再選は禁じられている。大統領は議会の承認に基づき首相を任命する。大統領は議会の承認があれば閣僚を任免できる。大統領が不在の場合は議会の議長が代行する。
立法府
テンプレート:Main 議会「ジョゴルク・ケネシ」は、120議席の一院制。2005年に新憲法が発布される以前、1994年10月から2005年1月までは二院制であり、上院に相当する定数60議席の立法議会と、下院に相当する45議席テンプレート:疑問点の国民代表議会に分かれていた。
政党
政党の活動は自由であり、キルギスタン民主運動、キルギスタン共産主義者党、農民党など約40の政党がある。
近年の政情
テンプレート:Main テンプレート:Main 2005年2月と3月の総選挙の腐敗が欧州安全保障会議により指摘されたことを直接のきっかけとして、2005年3月24日にアスカル・アカエフ大統領の辞任を求める大規模な抗議行動が行われた。政権は崩壊し、大統領が逃亡した後、議会の議長が代行を務める暫定政権が樹立された(チューリップ革命)。
2005年7月10日に行われた大統領選挙で、「国民のために働く質の高い政府を作る」と訴えたクルマンベク・バキエフが大統領に当選した。民主化を目指す人物が大統領に就任したことで、中央アジアの他の長期独裁政権にも影響を与える可能性もあるといわれたが、「民主化の希望の星」だったバキエフも、プーチン流独裁に陥ったとされた。政敵やジャーナリスト襲撃が相次ぎ、暗殺事件は次々と迷宮入りになっている。景気が停滞していたことや、政府によりメディア報道が閉鎖されるなどが起こり[2]、バキエフ大統領に対して不満が高まっていた。
2010年4月7日、首都ビシュケクを中心に野党勢力による数千人規模の反大統領デモが勃発。政府軍側の発砲により大規模な武力衝突となり、死者は少なくとも75人、負傷者は1000人以上に達した。野党勢力は内務省や国家治安局、国営テレビ局などを占拠した。翌日8日、バキエフは南部へ逃亡しその後大統領を辞職してベラルーシに亡命した。北部を中心に実権を掌握した野党勢力は元外相のローザ・オトゥンバエヴァを首班に臨時政府樹立を宣言した。
軍事
国際関係
テンプレート:Main テンプレート:節stub アメリカ合衆国とロシアの基地がある。それぞれ支援を受けている。
地理
国土全体の40%が標高3000mを超える山国。国土は東西に長く、中国との国境には天山山脈が延びる。南に位置するタジキスタンに向かってパミール高原が広がる。
国土の中央など東西に山脈が走り、国土を数多くの峡谷に分断している。最高峰は、中国国境にそびえるポベティ山(Pobeda または Jengish もしくは 勝利峰、7439m)、ついでハン・テングリ(Khan-Tängri または Kan-Too、6995m)である。4000m級の峰は珍しくない。
主な河川は、シルダリア川支流のナルイン川。主な湖は国内北東部に位置するイシク湖 (Isik-Köl)。東西180km、南北60km、周囲長700kmに及ぶ。湖面の標高は1600m。イシク湖とナルイン川は水系が異なる。
ビシュケクと第2の都市オシュ、中央部のナルインにはソ連共和国時代に大規模な灌漑施設が敷設されているため、綿花を中心とした耕作に向く。これらの灌漑地はシルダリア川、ナルイン川の支流から水を得ている。
気候
隣国のカザフスタンや中国とは異なり、国内に砂漠は存在せず、この地方の中では気候に恵まれている。人の居住に適した東西に伸びる渓谷部分はケッペンの気候区分では、夏季に雨が少ない温帯の地中海性気候 (Cs) に相当する。これは、イタリアのローマやアメリカ合衆国サンフランシスコと同じ気候区である。山地は亜寒帯湿潤気候 (Df) 、特に高地は高山気候 (H) となる。天山山脈をはさんで南方の中華人民共和国と、テスケイ・アラ・トー山脈をはさんで北方のカザフスタンには、ステップ気候 (BS) と砂漠気候 (BW) が広がる。
実際に降水量を比較すると、天山山脈の100km南方に位置する中国新疆ウイグル自治区喀什(カシ、カシュガル)の年降水量は60mmだが、ビシュケク(北緯43度、標高800m)の降水量は450mmに達する。これはローマやサンフランシスコと同水準である。ビシュケクの平均気温は、1月に-3度、7月に25度である。
地方行政区分
キルギスは7つの州 (oblast) と1つの特別市 (shaar) から成り立つ。州はさらに地方 (raion) に分かれる。地方長官は中央政府が任命する。aiyl okmotu と呼ばれる自治体は、最大で20程度の集落から構成されており、選挙で選ばれた村長のほか議会が設置されている。
主要都市
経済
農業および牧畜、鉱業が主である。農業は主として輸出品目にもなっている綿花、タバコの栽培が活発に行われている。鉱業は金、水銀、アンチモンなど。1997年に採掘がはじまったクムトール鉱山は、世界屈指の金鉱山である。また水銀(ハイダルカン鉱山)は2002年のデータで世界第3位の産出量を誇っている。
ソ連から独立後は、観光産業に早くから注力する。旧ソ連邦でも先駆けてヨーロッパや日本からの観光目的の入国に際し、査証不要を打ち出した。
キルギスは石油製品、天然ガスを輸入し、水力発電による電力、葉タバコ、綿を輸出している。ただし、金の輸出が急速に伸びている。2000年における輸入相手国は、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、アメリカ合衆国、中華人民共和国の順。輸出相手国は、ドイツ、ウズベキスタン、ロシア、中華人民共和国、スイス。キルギスの対日本への貿易は2012年の財務省貿易統計によると輸入57.6億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)、輸出0.8億円(アルミニウム及び、同合金)となっている。
キルギスに対する2000年における主要援助国(団体)は、日本、アジア開発銀行、世界銀行、アメリカ合衆国、国際通貨基金の順である。日本の援助額は5500万米ドル。
通貨はキルギス・ソムである。
交通
テンプレート:Main 国内にはバスと航空網が敷かれている。外国との間にはフラッグキャリアのキルギスタン航空が、ビシュケクのマナス国際空港からアジアとヨーロッパ各国に就航しているほか、同空港には各国の航空会社が乗り入れている。
鉄道はビシュケクからバルクチまでの国内線の他、ビシュケクとロシアやカザフスタンとの間に国際列車が運行されている。
国民
民族
テンプレート:Bar box 2009年の調査によると、キルギス人が70.9%、ウズベク人が14.3%、ロシア人が7.8%、その他が7%であり、その他にはドンガン人、ウイグル人、タジク人、トルコ人、カザフ人、タタール人、ウクライナ人、高麗人、アゼルバイジャン人などが含まれる多民族国家である。
地域による民族分布差も大きく、首都ビシュケクと周辺のチュイ州やイシク・クル州のカラコルを中心とした東部にはロシア人、ウクライナ人などスラブ系住民が多く、オシ州やジャララバード州、バトケン州などの西部、南部にはウズベク人やタジク人が、中国国境付近にはドンガン人やウイグル人が住む。一方、ナルイン州の住民はほとんどがキルギス人である。
独立前の1989年にはロシア人は全人口の21.5%を占めていたが、独立後国外流出が続き、現在テンプレート:いつは7.8%にまでに減少した。
言語
テンプレート:Bar box キルギス語が国家語、ロシア語が公用語とされている (憲法第10条第1項、第2項[3])。
1999年の国勢調査によると、キルギス語が65.2%、ウズベク語が14.7%、ロシア語が14.0%となっている。ウズベク語はオシ州やジャララバード州を中心にウズベク系住民の間で使われている。
ロシア語は独立以降公用語から除外されたウズベキスタンなどと違い、引き続き公用語に制定されている。これは、国の中枢を占めていたロシア人などのロシア語系住民の国外流出(頭脳流出)を防ぐためであり、現在テンプレート:いつでも山岳部を除く全土で通用し、教育、ビジネスや政府機関で幅広く使用される。特に首都ビシュケクとその周辺では多くの住民はロシア語を使って生活しており、キルギス語があまり上手に話せないキルギス人も少なくない。
その他、ドンガン語なども使われている。
宗教
宗教は、イスラム教が75%、正教が20%、その他が5%である。
文化
テンプレート:Main 敦煌で南北に分かれた「シルクロード」は喀什で合流後、再び南北に分かれる。南の道はタジキスタンに向かうが、北の道はキルギスの南部を通過する。首都ビシュケク近郊のトクマムの町には、バラサグン遺跡が残る。ここには砂漠を進む商隊の灯台として使われたと推定されているブラナの塔が残る。また周囲にはキルギス各地から集められた石人があり有名。
食文化
音楽
テンプレート:Main キルギス人の民族楽器は三弦のコムズが知られる。キュと呼ばれる器楽独奏曲ごとに伝説が残されており、伝統的な作法では、伝説を語った後、キュを演奏していた。
世界遺産
テンプレート:Main キルギス国内には、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。
祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 元日 1月7日 クリスマス(正教会) 2月1日 犠牲祭 移動祝日 3月8日 国際女性デー 3月21日 ノールーズ 5月1日 メーデー 5月5日 憲法記念日 5月9日 戦勝記念日 6月1日 子供の日 8月31日 独立記念日 11月7日 同意と和解の日 11月25日 断食明けの日 移動記念日 キルギス出身の有名人
- チンギス・アイトマートフ - 作家
- アスカル・アカエフ - 政治家、元大統領
- アクタン・アリム・クバト(アクタン・アブディカリコフ) - 映画監督
- ビタリ・クリチコ - プロボクサー
- ウラジミール・クリチコ - プロボクサー
- フェリックス・クロフ - 政治家、元首相
- ミハイル・シュヴィドコイ - 舞台演出家、教育者、政治家
- オルズベック・ナザロフ - プロボクサー
- イゴール・パクリン - 陸上選手
- ボリス・パンキン - 政治家
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Commons&cat テンプレート:Sister
- 政府
- 日本政府
- 観光
テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:上海協力機構 テンプレート:キルギス関連の項目