松村文雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年8月10日 (日) 16:35時点における222.228.29.7 (トーク)による版 (映画)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

松村 文雄(まつむら ふみお、1948年1月18日 - )は、特撮テレビドラマ作品の撮影技師東京都出身。

経歴

東京都立羽田工業高等学校在学中から映画界入りを志し、クロード・ルルーシュ監督のフランス映画『男と女』をきっかけに映画カメラマンの仕事に興味を持つ[1]

卒業後、当初はPR映画会社が出した新聞の三行広告を読んだ事がきっかけで、業界入り。その後NMCを経てフリーカメラマンとなり、国際放映が制作していた『ワイルド7』で初のテレビドラマの撮影助手を務める。その後も『宇宙鉄人キョーダイン』、『透明ドリちゃん』、『Gメン'75』などで撮影助手を務める。『仮面ライダー (スカイライダー) 』で撮影監督としてデビューした。

その後は宇宙刑事シリーズなどを経て、『星雲仮面マシンマン』で初のメインカメラマンに就任。特撮作品を仕事の中心としながらも、『あぶない刑事』、『ホテル』シリーズ、2時間ドラマやVシネマ作品など一般作品も多く手がける。制作会社では東映近藤照男プロダクションとの繋がりが深い。

現在はスーパー戦隊シリーズをメインで担当する一方、仮面ライダーシリーズの劇場版『仮面ライダー電王』や近年の平成仮面ライダーシリーズのパイロット作品を多数手掛けるなど、幅広く活躍している。

エピソード

  • 助手だった時期には『シルバー仮面』『ウルトラマンレオ』に携わったこともあったが、「セットでずっと同じことをやってるのが性に合わない」ので、特撮の現場には全く興味がなかったという[2]
  • 仮面ライダー (スカイライダー) 』で本格的に撮影監督を任されるようになり、次回作の『仮面ライダースーパー1』にも引き続き参加するが、同時期に東映東京撮影所で制作していたドラマが打ち切りになってそのスタッフが大挙してやってきたため、フリーの契約カメラマンであった松村は外されることになった。その後、吉川進プロデューサーから、『宇宙刑事ギャバン』の撮影チーフ助手の誘いを受けるが、「一度キャメラマンをやっているから」また助手に戻る気が湧かず当初は依頼を固辞したという。後半に撮影監督をやらせてくれるならとの条件を出して、番組に参加した[2]。実際に、後半には撮影監督として番組を支えている。
  • 『宇宙刑事ギャバン』で初めて出会った小林義明監督には、よく可愛がってもらったという。もともとは佐伯孚治監督が小林に、「よくやってくれるキャメラマンがいる」と言ったのがきっかけであったといい、「人のつながり」に感謝したとのこと[2]
  • あぶない刑事』では撮影監督として、タイトルバックも撮っている。同番組への参加は『ワイルド7』の頃からの付き合いの長谷部安春からの誘いがあったからだった。同番組へ参加中、吉川プロデューサーから『仮面ライダーBLACK』の担当依頼があったが、『あぶ刑事』の現場が思いの他楽しかったため辞退した。が、「じゃあいったい、こっちは誰が撮るんだ」と吉川に怒られたという。結果的に、ライダーシリーズ初参加の小林義明が監督すると聞かされて新しいものが作れると予感したこともあり、『あぶ刑事』を途中降板して『BLACK』の撮影監督に就任している[3]
  • 『BATTLE & BATTLE クローンカプセル -CLONE CAPSULE-』(1992年、まじかるふぇいす)の監督は國米修市だが、旧知の仕事仲間からの依頼に、松村はノーギャラでカメラを回したという。
  • アクション演出では第一人者だった金田治が『特捜ロボ ジャンパーソン』で本編演出デビューを果たしたとき、金田より直々に撮影監督として指名を受けている。金田とは、宇宙刑事シリーズなどで親交が深かった。『ジャンパーソン』以後は監督とカメラマンで組む機会はなかったが、『劇場版 さらば仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン』で、およそ15年ぶりにコンビを組んだ[3]
  • アクション撮影の迫力は松村独特の味があり、多くのファンを獲得している。現東映取締役・白倉伸一郎は、東映入社以前より松村の個人的なファンであったという。
  • 白倉は『超光戦士シャンゼリオン』の撮影監督を松村に依頼し、松村も了承したが同時期に2時間ドラマの仕事が重なり、ドラマ制作会社の近藤照男プロダクションも許可しなかったため、松村の参加は第5話からになった。これについて白倉を裏切ってしまったと松村は長年悔いることになったため、後年白倉から『仮面ライダーアギト』の依頼があったとき「戦隊を捨ててまでも、『アギト』に行く」と決意したという[1]。当時松村は戦隊シリーズに参加していたが、そちらを途中降板してまで『アギト』に関わった。結果的には2年間近く仕事が暇になり生活が苦しくなったそうだが「やっと(白倉に対する)義理を果たした」とその結果には納得したという。
  • 役者陣、スタッフが皆口を揃えて、松村はとても厳格なカメラマンと評しており、「マシンガンボイス」とも称される[4]
  • 仮面ライダーBLACK RX』に出演した小山力也は、20年後のインタビューで「当初は(松村に)もう、ボロクソに言われたんですよ(笑)。でも、そのうちに褒めていただけるように」なったと回想する。「みんな、松村さんに怒られながら成長していく、というところがあった」とも話している[2]
  • 獣拳戦隊ゲキレンジャー』に主演した鈴木裕樹によると、松村と一年間いっしょに仕事をしたが、結局ただの一度も褒められることなく撮影を終了したという。『ゴーオンジャーVSゲキレンジャー』では松村に褒められた。同じく『ゲキレンジャー』に出演した荒木宏文は、クランクイン直後、松村に「お前はカメラを通すと綺麗に見えるよな」と一応「褒め言葉」らしきものを貰ったが、結果的にそれが最初で最後の「褒め言葉」であったとのこと。
  • 侍戦隊シンケンジャーVSゴーオンジャー 銀幕BANG!!』の撮影で碓井将大逢沢りなを撮影するときに雨天に見舞われた。そのとき松村は冗談ぽく「碓井が来ると毎回雨が降るなぁ」と声を掛けてきたので「イヤイヤ、りなちゃんのせいかもしれないですよ」と碓井も冗談ぽく返した。すると松村は「りなちゃんのせいにするんじゃないよ!」と真剣に怒り、碓井を唖然とさせ、逢沢を苦笑させた[5]
  • 天装戦隊ゴセイジャー』でゴセイジャー役の5人(千葉雄大さとう里香浜尾京介にわみきほ小野健斗)に対して人一倍厳しかったのが、松村であった。だが、第41・42話(『ゴセイジャー』における、松村の最後の登板となった)のオンエアを見た松村は、「みんな、うまくなったな」と漏らしたという[6]
  • 厳しい面ばかりがクローズアップされがちだが、『美少女戦士セーラームーン』は出演者に女性が多かったせいか、かなりソフトな態度でキャストに接していたという。しかし松村にとってはかなり苦痛の伴う現場であったようで、後年に「今思ってもぞっとします」と、苦労を吐露している[1]。東映・丸山真哉プロデューサーいわく、「この現場の松村さんは、僕らの知ってる松村さんじゃない」[7]
  • 役者に対して深い愛を持って臨んでいるという役者からの声もある。『救急戦隊ゴーゴーファイブ』に出演していた西岡竜一朗は日々の撮影で松村に怒鳴られていたが、ある日雨でびしょ濡れになる、というシーンを撮っていたとき、監督のカットの声が掛かったあと松村がスタッフに「オイ、何やってんだ、早くタオルを持って来いよ!」と言ってくれたという想い出をかつてインタビューにて語っていた。
  • 特撮作品を多数撮ってきたが、本人としては「こういうキャラクターものっていうのは、好きでも嫌いでもない」という。刑事ものをやりたいという思いもあるが、特撮がメインワークになったことに関しては「これもひとつの職人としての宿命かなって思いますね」と話している[1]
  • 近年は「自分が日芸とか出て社員で、社内のポジションにいたとしたら、自分を守るじゃない?(…)でも俺は高卒だし、そんな男がここまで来んだから、もう何も恐くない」と心境を吐露しており[2]、60歳を過ぎてからは日々の仕事を「これが最後」と思ってこなしているとのこと。監督やプロデューサーからもし引退を勧告されたら、現場を去る決意も出来ているという[1]

主な撮影作品

テレビ

映画

オリジナルビデオ

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

テンプレート:Reflist
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 『侍戦隊シンケンジャー INTERVIEW BOOK』(2009年 辰巳出版) 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "shinken"が異なる内容で複数回定義されています
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『東映ヒーローMAX』Vol.30(2009年 辰巳出版)
  3. 3.0 3.1 『東映ヒーローMAX SPECIAL さらば仮面ライダー電王』(2008年 辰巳出版)
  4. [1]
  5. [2]
  6. [3]
  7. [4]