西武百貨店
西武百貨店(せいぶひゃっかてん)は、セブン&アイ・ホールディングス傘下の株式会社そごう・西武が運営する百貨店。また、株式会社西武百貨店は、2009年7月31日までこれを運営していた企業である。
2009年8月1日に、株式会社西武百貨店が、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社そごうと3社合併したことで、現在の運営会社になっている。合併前の株式会社西武百貨店は、かつての総合流通グループセゾングループの中核企業で、以前は旧第一勧銀グループ(現:みずほグループ)の一員でもあった。もともとは西武鉄道と同一のグループであったが、西武鉄道創業者堤康次郎の死後、現在の西武グループとセゾングループに分裂した。
概要
ファッションの総合商社
辻井喬のペンネームを持った小説家でもある堤清二は、日本の百貨店で、最初にパリにオフィスを構え、エルメス、イヴサンローラン、1962年にはピエール・カルダンと並ぶコンチネンタル・ルックの旗手としてパリで人気を博していたテッド・ラピドスと提携、1975年 - 1976年にかけての第一次アルマーニブームや欧米の高級ブランドをいち早く取り入れ、時をほぼ同じくしてヨーロッパの高級DCブランドを次々に導入。1984年にはついに、海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社「大沢商会」を傘下に収めたことで、事実上、国内高級ブランドのホールセールを独占。ファッションの総合商社『西武』が完成する。こうして西武は、日本一ブランド力のある百貨店の名をほしいままにした。
ソニア・リキエル、ミッソーニ、ジャンフランコ・フェレ、ルイフェローなどの日本代理店になり、ケンゾー、イッセイミヤケ、タケオキクチ(メンズビギ)などを最初に導入したのも西武である。シブヤ西武(現:西武渋谷店)には、幻のシュップ『カプセル』を設置し、デビュー間もない川久保玲(コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎、イッセイミヤケ、タケオキクチら、新手のデザイナーらを後押しした。プライベートブランドの開発でも当時、日本ではまだ無名であったラルフローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。また、時代を先取りし過ぎていたために閉館した『SEED館』の試みは、現在では一般的であるセレクト型編集売場の先駆けでもあった。ちなみに、エルメス・ジャポンとラルフローレン・ジャパンの筆頭株主は西武百貨店であった。
また「イメージ戦略」を打ち出し、『おいしい生活』、『不思議大好き』など糸井重里らによる名キャッチコピーでも知られた。更にはパルコ、ロフト、無印良品、コンラン卿と提携した家具・インテリア専門館「ハビタ館」、世界中のレコードが入手できるといわれた「WAVE」、西武が設立に関わったFMラジオ局「J-WAVE」、大型書店「リブロ」、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛け、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」、高級スーパー「ザ・ガーデン自由ヶ丘」、日本初の総合スポーツ専門館「西武スポーツ館」、リボン館、PAO館などの異業態を次々に起こし、セゾン美術館、銀座セゾン劇場、渋谷パルコ劇場、パルコ・クアトロ、東京テアトル、パルコ出版など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。それは、セゾン文化[1]と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。
ブランド力を生かして店舗網を拡大。また、同じセゾングループの西友が西武百貨店のブランド力を生かし『西武』を名乗った百貨店型店舗を運営し、全国に西武網が拡大した(西友運営の『西武』は1998 - 2000年にかけてLIVINに改称)。
一方、日本百貨店経営協議会 (JMA) 事務局により地方百貨店の系列化も目指した。
有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ
1992年、和田繁明が会長に就任。堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表。この中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。
バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコ等セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、更に最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して一千億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。この手腕が買われ、2000年に民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうの社長に和田が抜擢された。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れる手法で(しかし、西武百貨店とそごうとの資本提携は行わずに)そごうの経営再建を進めた。このことが、図らずも、のちに西武百貨店とそごうが経営統合するにいたる大きなきっかけとなった。
西武百貨店の再建に明るい兆しが見えて来た所で、西洋環境開発の不良債権処理をめぐりセゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも経営不安がささやかれた。このとき、西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた「株式会社十合」であった。2003年から2004年にかけ後藤高志らの支援で十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で西武百貨店を完全子会社化し、株式会社十合がミレニアムリテイリングに商号変更したことで、そごうと西武百貨店の経営統合が実現。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになった。この事業持株会社方式の経営統合が、双方ののれん(屋号)を維持しながら経営の合理化を実現した点で、のちに行われた大手百貨店どうしの経営統合に少なからず影響を与えている。
なお、関西地区(東海=愛三岐も含む)の西武百貨店は1976年(昭和51年)に開店した大津店を皮切りに西武百貨店関西によって運営されていたが、業績不振により西武百貨店(本社)へと統合された。しかし、その後も関西地区での業績は伸びず、関西の西武百貨店のシンボル的存在でイトマン事件の舞台になった「つかしん(塚新)店」(現グンゼタウンセンター つかしん、尼崎市、1985年開店)が2004年5月9日に閉鎖される遠因ともなった。
その後、再建を確かなものとするためにミレニアムリテイリングは野村プリンシパル・ファイナンスなどを引受先とする増資を行い、事業持株会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパル・ファイナンスと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、2005年12月にミレニアムリテイリングの代表であった和田はセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた。その結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大の流通グループが誕生した。
セブン&アイ・ホールディングス傘下へ
2006年6月にセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収、完全子会社(百貨店事業の中間持株会社化)となり、西武百貨店とそごうはセブン&アイグループの一員となった。
セブン&アイグループ入り後しばらくは、そごうとともに独立色が保たれていたが、2009年2月には、百貨店では極めて珍しいイトーヨーカ堂・セブン-イレブンで扱われているプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」が池袋本店の食品売り場(デパ地下)に導入された。最終的に両社の全店舗に導入される予定である[2]。日経によると、百貨店の売上不振の原因が高額商品に偏りすぎているため、日常的なアイテムであるPB商品を導入して品揃えを増やして、売り上げを高めるためと報じている。同年8月1日、そごうがミレニアムリテイリングと西武百貨店を吸収し、「そごう・西武」が発足。そごうとの提携開始から9年目で一社化となった。
2006年2月期の西武百貨店全店における、国内百貨店事業単体の営業利益率は、4.18%で百貨店業界2位。ちなみに1位が大丸の4.4%、3位が阪急百貨店の4.06%である。西武百貨店池袋本店の年間来店客数テンプレート:いつは東京ディズニーリゾート(約2.6千万人)を上回る7千万人で日本第1位。
沿革
- 1933年に日本橋の呉服店系老舗百貨店の白木屋(1662年創業)と京浜電気鉄道が共同で設立した京浜百貨店が、1935年に「京浜デパート池袋分店」として、「菊屋デパート」の名称で池袋駅東口に出店したデパートが始まり。
- 1940年、西武鉄道の前身・武蔵野鉄道が「菊屋デパート池袋分店」を買収。武蔵野デパートと改称。
- 1943年、武蔵野食糧株式会社に商号変更(「武蔵野デパート」の店名は変わらず)。
- 1947年、帝都百貨店の吸収を行い、株式会社武蔵野デパートと商号変更[3]。
- 1949年4月27日、株式会社西武百貨店と商号変更(店名も「西武百貨店」に変更)。
- 1952年9月20日、西武百貨店第一期開店。その後、順次増改築を繰り返し、大規模なターミナル型デパートとなって行く。
- 1955年、堤清二が取締役店長に就任。
- 1956年6月13日、軽井沢店開業。
- 1956年、社内マーケット部門として「西武ストア」設立。
- 1957年6月8日、 沼津店開店。 9月24日、鎌倉店開店。
- 1962年3月14日、ロサンゼルス店開店。
- 1963年4月、西武ストアを株式会社西友ストアとして分離。(後にセゾングループを離脱し、ウォルマート傘下となる)[4]
- 1963年8月22日、この日定休日だった池袋店で火災、7人死亡。原因は消毒作業員(未成年)の隠れタバコの不始末。2日後の8月24日に、冠水商品の大安売りを告知したところ、約5万人が殺到したため中止となった。
- 1964年3月、日本百貨店共同仕入機構発足。地方百貨店との業務提携開始。
- 1967年9月22日、船橋店開店。
- 1968年2月、池袋店に隣接する東京丸物(池袋ステーションビル)を買収し、再建に乗り出す。東京丸物は1969年6月閉店。11月23日 パルコとして開業。 1970年4月、株式会社パルコに社名変更。(後にセゾングループを離脱し、J.フロント リテイリング傘下となる)
- 1968年4月19日、渋谷店開店。
- 1969年11月14日、大宮店開店。
- 1970年6月11日、静岡店開店。 10月29日、八王子店開店
- 1971年、父・堤康次郎は政治家になって実業を離れていたが、鉄道・流通一体となった「西武企業グループ」の全国展開を目指し、いまだ手腕を振るっていた。しかし、父の死後は相続問題により「西武鉄道グループ」と「西武流通グループ」(後のセゾングループ)に分裂。安定基盤である鉄道や不動産を失ったことで、流通グループは<西武>を名乗りながらも、単独の道を歩みはじめる。
- 1970年代以降、増田通二が開発したパルコの成功にヒントを得た「文化戦略」を打ち出す。
- 1971年4月27日、株式会社西武百貨店関西設立。6月17日、宇都宮店開店
- 1973年11月15日、西武百貨店関西高槻店開店 (当初の開店は9月末を予定していたが、直前に放火による火災が発生し、開店が延期された。)
- 1975年9月、池袋店が全面改装し、西武美術館開館。新CIが導入された。
- 1975年9月、緑屋(月賦百貨店)と資本提携。 1980年8月、緑屋は西武クレジット(後のクレディセゾン)に社名変更。1981年6月、西武流通グループのクレジット・ファイナンス基幹会社としてスタート。1982年8月、西武カード(後のセゾンカード)発行開始。[5] 信販ノウハウを活かしたハススカード導入で顧客の会員化を目指した。
- 1976年11月16日、西武百貨店関西大津店開店。
- 1980年、日本百貨店共同仕入機構を日本百貨店経営協議会(JMA)に改称。
- 1982年、西武ライオンズが初のリーグ優勝&日本一になり各店で優勝セールを行う。
- 1983年、池袋西武が売上高日本一へ(他店舗の売上高などを含む[6])。
- 1984年10月6日、有楽町マリオンに西武百貨店が進出。なお、二期ビル(有楽町西武地下2 - 4階など)が完成したのは1987年。
- 1985年3月、西武流通グループから「西武セゾングループ」と改称してからは急成長を遂げ、地方百貨店との提携や、西友運営の西武店(LIVINの項目参照)などで店舗網を増やし、西武鉄道沿線やコクド(現・プリンスホテル)の拠点を抜け出し、全国制覇が実現した。1989年10月には、<西武>を廃し「セゾングループ」と改称、独立色はより鮮明となった。
- 1995年10月、高級スーパーのシェルガーデンを子会社化し、池袋西武の地下二階に「ザ・ガーデン自由が丘」の名称で初めて導入。
- 1996年6月、クラブ・オンメンバーズシステム導入。8月、株式会社ロフト設立、分社化。
- 1997年10月、情報化促進貢献企業として「通産大臣賞」受賞。
- 1997年12月25日、浜松店が閉店。
- 1998年10月、ロイヤルスカンジナビア社(デンマーク)との間で業務提携。
- 1999年4月、イルムス池袋を池袋西武にオープン(1号店)
- 1999年、アメリカ最大の高級百貨店「ノードストローム」社と国内販売権契約。
- 2000年、伊藤忠商事株式会社と事業協力で業務提携。「株式会社有楽町西武」を吸収合併。
- 2001年、株式会社西洋環境開発株式会社を清算し、「セゾングループ」が実質的に崩壊する。
- 十合と包括的業務提携を締結。株式会社イルムスジャパン設立、分社化。
- 2002年2月、十合・西武統合商品部 (SSMG) 発足。
- 2003年2月、私的整理に関するガイドラインに基づく再建計画成立。5月、株式会社十合が筆頭株主となる。6月、ミレニアムリテイリンググループ発足。
- 2004年、「株式会社本金西武」を吸収合併。
- 2004年9月、ミレニアムリテイリングの完全子会社となる。
- 2005年9月、池袋西武を「西武池袋本店」に名称変更。
- 2006年、有楽町西武構造改善。「ビューティー館」と「ファッション館」。
- 2007年、シブヤ西武を約80億をかけて改装。日本最大のブランド数のラグジュアリーゾーンやビューティーゾーンを設け、食料品を扱うデパ地下を再開。
- 2007年9月14日、所沢西武リニューアルオープン。自主編集売場やビューティーゾーン、食のゾーンを展開。
- 2008年から2010年には、“ファッションの西武”の復権を賭け、総額400億を掛けて池袋西武構造改善。東京メトロ副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙う。
- 2009年8月1日 - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更(店名は、「そごう」「西武百貨店」を維持)。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。同時に店舗表記もこれまでの「○○西武」から「西武○○店」に全店舗統一された。
- 2010年12月25日 - 有楽町店が閉店。
- 2013年1月31日 - 沼津店が閉店。
- 2013年3月1日 - ロビンソン春日部店・小田原店が西武春日部店・小田原店に転換。
店舗
※西武百貨店公式ページ記載順
関東
池袋本店
- 豊島区南池袋1-28-1 西武鉄道池袋駅 売場面積81,623m2。
- 開店:1940年3月(武蔵野デパート)
- セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」の位置づけ。(注:「旗艦店」ではない)[7]
- 池袋本店の営業利益率は10%に達する。年間来店客数は約7千万人に達し、集客数・店頭売上高とも国内屈指の数値である[8]。
- ファッションに関心が高い顧客層に根強い人気があり、前述のように“ファッションの西武”と呼ばれ、MDや売場編集能力も高い。1999年にはデンマークのインテリアショップのイルムスと提携して、『イルムス館』(現:別館)をオープンさせ、スカンジナビアモダンの流行のさきがけをつくった。また、池袋本店のデパ地下は、ザ・ガーデン自由が丘を出店させるなど、昔から他を圧倒する品揃えと人気があり、デパ地下ブームの火付け役になった。
- 日経MJの2002年の調査や、インターワイヤードの2005年の調査では、首都圏人気デパ地下ナンバーワンにも選ばれている。としまえんや庭の湯、ラクーアなどが近いことから水着の売上枚数も国内有数である。
- また、数多くの文化施設から次々に新鮮な企画が打ち出された。新進作家の小物を展示即売する「クリエイターズスペース」、ビデオ・舞踏・落語などのイベントが行われた「スタジオ200」、ソフトが豊富だった「ビデオポート」、ビデオ制作の「スタジオテック」、出張撮影が依頼できる「キネテック」、貴重盤の多い「ディスクポート」、演劇ショップの「ワイズフール」など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。
- 2008年から2010年には、“ファッションの西武”の復権を賭け、総額400億を掛けて構造改善・耐震化工事を実施。副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙った。この大改装の仕上げとして、地下1階の旧ルノートルカフェ部分には、新たに「光の時計口」を新設し、JR南口方面や地下鉄有楽町線方面から西武池袋線への乗り換え客をデパ地下へと誘導しやすい作りへ変更した。また、地下・地上すべてのエントランスにおいてリニューアル工事を行い、白を基調とした明るい感じへと刷新された。
- 旧セゾングループの象徴的なものでもあった、東池袋方面からも確認できる大看板からはLoft・PARCOの文字が消え、西武東口を出た箇所の壁面にある袖看板も新しいものに変更。また懸垂幕広告も以前は大看板のすぐ真下・8階部分まで掲示していたが、レストラン街リニューアルに伴い、8階部分の展望可能な窓を増やし、懸垂幕については7階の高さまでの掲示へと変更した。
- 長らく「イルムス館」として営業していた別館には、無印良品の旗艦店が新たに入居し、すべてのフロアの床面をリニューアルし、インテリアフロアとこども服フロアを入れ替えたりと、都内百貨店としては近年稀にみる大掛かりな改装となった。
- 最後に改装の締め括りとして、三越池袋店の閉鎖に伴い地下1階にて期間限定ショップとして仮入店していたLouis Vuittonが、旧第一勧銀池袋支店跡である、1階PARCO寄りに約14年ぶりに復活入店した。
- 西武百貨店と西武池袋線のりばが位置するのは池袋駅東口で、西口には東武百貨店池袋本店と東武東上線のりばが立地する。これは、たまたま池袋駅西口を起点にしていた東上線の前身である東上鉄道が後に東武鉄道に合併したのと、同様に池袋駅東口を起点にしていた武蔵野鉄道が西武鉄道に改称したことによるもので、全くの偶然である。このことは、同じ池袋に本店を構えるビックカメラがCMソングの歌詞としていたため、一般にもよく知られる[9]。
- 2008年6月に東京地下鉄(東京メトロ)副都心線が開業した際には、池袋の顧客が新宿・渋谷等の百貨店に流出するのを防ぐため、長年ライバル関係にあった東武百貨店と協力して様々な取り組みを行った[10]。
- 併設の池袋西武簡易郵便局は日本に唯一残ったシティポストである。
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渋谷店
- 渋谷区宇田川町21-1 A館とB館の売場面積の合計40,033m2。
- 1968年4月19日開店。初期は「シブヤ西武」と表記された。
- A館=渋谷松竹映画劇場、B館渋谷国際(東急系)跡。建物所有は松竹映画劇場株式会社で、全棟借りで入居。なお、開店初日のセレモニーには、ライバルでかつ渋谷に地盤を持つ東急グループ総帥(当時)五島昇も出席した。
- 両館の間にある井の頭通りの地下には暗渠化された宇田川が流れているため、両館のあいだには地下連絡通路はなく、代わりに3階、5階、屋上階に空中連絡路が設置された。
- 当初、シブヤ西武は、駅から離れているため集客・売上が伸び悩んだ[11]。東横百貨店のある渋谷駅から買い物客を呼び込むため、宇田川町一帯を魅力的な市街地に変身させる「街づくり」に着手した。1973年西武劇場、若年層にターゲットを絞ったファッションビル渋谷パルコ、1975年パルコパート2を開業。[11]。さらに 1986年シード館、1987年ロフト館など、新しいコンセプトの別館も開館。1985年THE PRIME、1986年クアトロ・バイ・パルコ等 セゾングループ全体で新しい商業ビルを続々オープン、公園通り、スペイン坂といった新ネーミングをつけることによって町のイメージも一新、「セゾン文化」の流行発信基地として成長させていった。
- こういった一連の動向が東急グループにも波及、1979年ファッションコミュニティ109、1988年Bunkamura等が開業し、渋谷は東京一の最先端のファッション・タウンとして発展することになった。
- バブル経済崩壊後の1990年代前半、西武は小田急百貨店の母と子の原宿カリヨン館の成功を真似た 「シブヤPAO」を公園通り入口に開業した。しかしながらこの施設は数年で閉鎖され、建物は現在タワーレコード渋谷店となっている。
- 2007年3月 渋谷店は大規模改装を実施。高級品に特化した店舗として、高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」が設置された。さらに、54のブランドが出店する「ラグジュアリーゾーン」や、エステなどが揃う「ビューティーゾーン」を設けるなど、渋谷店独自の展開がなされた。また、地階の食品売場も「グルメマルシェ」として再開。翌2008年4月 開店40周年に際しては、デザイナーズブランドを一堂に集めて販売する「クリエーターズ・ウィーク」の開催などの各種イベントが行われた。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」
船橋店
- 千葉県船橋市本町1-2-1 船橋駅南口 売場面積34,649m2。
- 1967年9月22日開店。本格的な多店舗展開のスタートになった店舗。1977年に現在の建物に増築。
- 本館とロフト館からなり、本館と京成船橋駅直結の船橋フェイスビルは地下道で繋がっている。
所沢店
- 埼玉県所沢市日吉町12-1 ワルツ所沢 西武鉄道所沢駅西口 売場面積23,667m2。
- 1986年4月25日開店。所沢駅西口第一種市街地再開発事業。[12]
- 所沢市には西武ホールディングス本社があり、埼玉西武ライオンズ優勝時には記念セールが大々的に開催される。但し、現在の「そごう・西武」と「西武ホールディングス」には全く資本関係が無いので、あくまでスポンサーとしての関係である(そごう・西武はライオンズのスポンサーとして、各種セールを開催する権利を有している)。
- 2007年に改装を実施。「自主編集売場」「食のゾーン」「ビューティー&ケアゾーン」を設置した。
- 2012年3月30日 店長と正社員全員を女性とする新しい取り組みを開始。[13] 「性差別」に対する抗議の声も興った。[14]
筑波店
- 茨城県つくば市吾妻1-7-1 つくばクレオスクエア つくば駅直結 売場面積25,258m2。
- 1985年3月8日開店。つくば万博開催に合わせての開業だったが、2005年に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開通するまでは、公共交通機関はバス便のみだった。
- 学研都市の店らしく「ロボット・インフォメーション係」「自動倉庫」なども設置された。
- クレオスクエアはクレオ、モグ、キュートの3部構成で、クレオは イオンと「2核1モール」。キュートにはロフトも出店している。
東戸塚店
- 横浜市戸塚区品濃町537-1 オーロラシティ 東戸塚駅前 売場面積35,367m2。
- 1999年10月7日開店。郊外型「2核1モール」ショッピングセンターを展開するに当たって立ち上げたデベロッパー「株式会社ミレニアム企画」による第1号。当初は、オーロラモール及びオーロラモールアネックスは、株式会社ミレニアム企画の運営だったが、現在はオーロラモール及びオーロラモールアネックスについても西武百貨店の運営。東戸塚西武+オーロラモール、駐車場棟、オーロラモールアネックス、ダイエーで構成されている。[15]
春日部店
- 埼玉県春日部市粕壁東2-5-1 2-5-1、東武鉄道春日部駅東口徒歩7分。売場面積23,260m2。
- 1985年11月28日「ロビンソン百貨店春日部店」として開店。2013年3月1日に転換。
- セゾングループ時代にも出店する予定だったものの、建設計画中に開店時期を巡って契約を解除したため、代わってイトーヨーカ堂が「ロビンソン百貨店」として出店[16][17] 。
小田原店
- 神奈川県小田原市中里208。鴨宮駅より箱根登山バス利用10分。店舗面積31,200m2。
- 2000年9月28日にダイナシティウエストモール内に「ロビンソン百貨店小田原店」として開店したものを、2013年3月1日に転換。
- イーストモールのイトーヨーカドーとともに「2核1モール」を構成している。
- ちなみに、かつて小田原市中心部に存在した「志澤西武」とは全く無関係。
中部
岡崎店
- 愛知県岡崎市戸崎町外山38-5 イオンモール岡崎 岡崎駅より名鉄バス戸崎町下車 売場面積15,387m2。
- 2000年9月22日開店。
- 郊外型「2核1モール」。ミレニアム企画によるイオンとのコラボレーション第1弾として取り組んだが、実績が予算を下回ったため、浜北店など後続計画は撤回。以降、イオンモールへの出店はしていない。また、のちに西武百貨店自体がセブン&アイ・ホールディングスの傘下となったため、結果的にライバル企業のショッピングモール内に入居する形となってしまっている。
関西
高槻店
- 大阪府高槻市白梅町4-1 オーロラシティ JR高槻駅前 売場面積38,964m2。
- 1974年11月15日開店。「西武タカツキショッピングセンター」として開店。
- 高槻市の「国鉄高槻駅前再開発事業」に対応して、1971年「株式会社西武百貨店関西」を設立しての1号店。
- 1973年に大規模小売店舗立地法が施行されたのを受けて、直営売場を削って各フロアに専門店を入居させる試みを行った。西友やパルコが同居しているような存在で、このスタイルは 大津店の他、西武春日井ショッピングセンター(西友百貨店事業部運営の春日井西武店、現在のザ・モール春日井)、西武津田沼ショッピングセンター(西友津田沼店と津田沼パルコ)などにも踏襲された。いわばモール併設型店舗の先駆けともいえる。それゆえ、あえて百貨店ではなくショッピングセンターと呼称していた。
- 当時、西武は関西では全くの無名の存在(当時ライオンズも西鉄所有だった)。入社試験に訪れた若者が「ニシタケ百貨店」と読み間違えて、面接官が苦笑いしたくらいだったという。
- 開業予定日4日前の1973年9月25日、工事中に火災発生。原因は警備員による放火。作業員等6名が死亡し、14名が重軽傷を負った。[18] 災い転じて、ニュース報道で一般に正しい読みが定着し、知名度も上がることになった。
- また 開店告知広告に、大村崑一家がビートルズの扮装で登場したことも話題になり、開店こそ遅れたものの、順調な滑り出しとなった。
- 店の並びには関西大学キャンパスがあることから、1階にはヤング・ファッションを配置。ファッションビル的な要素を持った郊外型百貨店が関西に無かったため 流行に敏感な若い層に支持されることになった。
- 1995年9月 団塊の世代のミセスをターゲットにリニューアル。
- 2004年9月10日全館リニューアル。百貨店ゾーンでは60のファッション・ブランドを新たに導入。それまで無かった「デパ地下グルメ」ストリートも新設された。西友は撤退、かわりに関西スーパーマーケットが入居している。一方専門店ゾーンでは、ユニクロの北摂一の大型店や紀伊國屋書店などが入居した。[19]
八尾店
- 大阪府八尾市光町2-60 オーロラシティ八尾 近鉄八尾駅前 売場面積38,169m2。
- 1981年5月27日開店。「西武八尾ショッピングセンター」として開店。ここも専門店ウェイトの高い店。
- 開店時のイメージキャラクターは、B&B (お笑いコンビ)。
- 隣接地に2006年12月4日アリオ八尾が開店し、接続することになった。セブン&アイ・ホールディングス2店でシナジー効果を狙った「2核1モール」関西1号店となった。
大津店
- 大津市におの浜2-3-1 西武大津ショッピングセンター 京阪膳所駅から500m 売場面積28,364m2。
- 1976年6月18日開店。滋賀県初の百貨店。京都-大津間は電車で10分の位置関係にあるため関西大手の進出が無かったが、滋賀県は西武グループ創始者堤康次郎の出身地ということで、西武流通グループ初期に出店した(近隣にパルコも出店している)。西武百貨店関西としては2号店。高槻店同様、郊外型ショッピングセンターのコンセプトが導入されている。同店は地階売り場が無く、食料品売り場は1階。日用ユースにも対応している。建物設計は菊竹清訓。
- 西武グループも同様の理由で大津プリンスホテルをにおの浜に展開している。
北海道・東北
旭川店
- 北海道旭川市1条通り8丁目右1号 旭川駅前 売場面積30,043m2。
- 1975年8月8日「西友百貨店事業部 旭川西武店」として開店(B館)。
- 1979年9月15日「旭川緑屋ショッピングセンターams旭川店」開店(A館)。
- 1981年9月1日、2店統合により改称。[20] 1988年、グループ再編により「西武北海道」の店舗になり、1997年、吸収合併により直営化された。
- A館の殆どがレディス、B館はメンズ、子供服の他、ロフト、無印良品、三省堂書店、HTBショップ、コンサドーレ札幌オフィシャル・ショップが入居。地下の食料品は A館が北海道名産品等 進物中心、B館が生鮮品、惣菜など家庭用中心となっている。尚、セゾン時代、A館8階にあった「amsホール(後.西武ホール)」は2009年から「道新文化センター」に、B館9階にあった「Studio9」は「日赤西武献血ルーム」に、同じくB館9階の「旭川コミュニティ・カレッジ」は「三省堂書店」に。2010年からB館10階に「旭川市民ギャラリー」が開設された。
- 2009年2月 セブン&アイ・ホールディングスは 不採算店として閉店を検討していたが、7月に丸井今井旭川店の撤退が決まったため、存続させることになった。[21] その際、上川郡東神楽町の旭川空港ターミナル売店も丸井今井に代わって出店することになった。このため当店が日本百貨店協会加盟の日本最北の百貨店となった。
秋田店
- 秋田市中通2-6-1 秋田中央ビルディング 秋田駅前 売場面積10,739m2(ザ・ガーデン自由が丘SEIBU部分を除く)。
- 1984年4月27日 本金と西友と合弁により「本金西武」として開店。
- 2005年3月1日 吸収合併により西武百貨店直轄店となった。
- 開業当初からイトーヨーカドー秋田店(後.ファッションビル「フォンテAKITA」)と隣接しており、地下連絡通路で繋がっている。そごう・西武が、セブン&アイグループ入りしてからは 合同セールも実施。また、フォンテにはザ・ガーデン自由が丘SEIBUやロフトが出店し、補完関係となっている。なお、2013年9月1日、ザ・ガーデン自由が丘SEIBUは、シェルガーデンからそごう・西武本体へ運営が移管され、西武秋田店内に同店への経路を示す案内看板が設置された。
北陸
福井店
- 福井市中央1-8-1 福井駅前 売場面積25,691m2。
- 1928年「だるま屋」として創業。セゾングループ資本参加後は、地域法人「だるま屋西武」「北陸西武」による運営期間を経て1993年、西武百貨店に吸収合併され直営店舗となる。西武百貨店運営の下でも長らく「だるまや西武」の名称であったが、2006年、「福井西武」へと改称された。
小型百貨店
2011年10月から展開を開始したセレクトショップ。GMSのイトーヨーカドー内に西武のサテライト・ショップを設けることによって、従来百貨店でしか扱っていなかったブランドを、より身近な場所で購入できるよう顧客の便宜を図った。また、仙台泉からは新戦略として「SEIBU KIREI」も導入。こちらもまた百貨店でしか扱えなかったブランド化粧品をコンサルティング販売する[22]。イセタン ミラーが首都圏の駅ビル中心なのに対し、地方都市郊外店からスタートさせた。
店舗
- 西武仙台泉ショップ(アリオ仙台泉2階:仙台市泉区泉中央1-5-1)2013年4月27日開店。
- 西武鷲宮ショップ(アリオ鷲宮1階)2012年11月22日開店。[23]
- 西武上尾ショップ(アリオ上尾1階)2013年6月29日開店。
- 西武葛西ショップ(イトーヨーカドー葛西店2階:江戸川区東葛西9-3-3)2012年10月5日開店。[24]
- 西武拝島ショップ(イトーヨーカドー拝島店2階:昭島市松原町3-2-12)2012年3月2日開店。
- 西武立場ショップ(イトーヨーカドー立場店:横浜市泉区中田西1-1-15)2012年4月27日開店。310m²[25]。
- 西武橋本ギフトショップ(アリオ橋本1階)2012年3月2日開店。
- 西武大和鶴間ショップ(イトーヨーカドー大和鶴間店2階:大和市下鶴間1-3-1大和オークシティ)2012年10月25日開店。
- 西武レディース、西武メンズショップ(アリオ松本:長野県松本市1-2-30)2011年12月16日開店。420㎡。
過去に存在した店舗
以下は、過去に存在した西武百貨店の店舗である(△は現在建物が解体された店舗)。
直轄店
関東
- 西武スポーツ吉祥寺
- 武蔵野市吉祥寺本町1-10-1いなりやビル
- 宇都宮店
- 本館 : 宇都宮市馬場通り2-3-12
- 1971年6月17日開店。2002年12月25日 閉店 [27]。
- 2003年11月「ラパーク長崎屋宇都宮店」が開店。2010年8月「MEGAドン・キホーテ ラパーク宇都宮店」に業態転換。
- ロフト館 : 宇都宮市曲師町2-8
- 1999年3月閉館。2001年7月より商業複合ビル「宇都宮Festa」。
- 大宮店
- さいたま市大宮区宮町1-60 三栄ビル
- 鎌倉店
- 鎌倉市小町1-4-1
- 1959年9月に開店。1973年2月閉店。
- 食料品中心の小型店ではあるが、開業当時は唯一の東京資本の店として人気があった。しかし1970年代に入ると 隣地に東光ストア、隣接する藤沢市に大型店の出店が相次いだため求心力を失い閉店するに至った。
- 跡地は第一勧業銀行ATMコーナーを経て、御代川に譲渡され「日本料理鯉之助」と「すし処きみ」となっている。
- 八王子店
- 東京都八王子市中町2-1
- 1970年10月29日直営店として開店。1993年8月閉店。
- 八王子は古くから繊維産業と甲州街道の交通の要所として栄え、大手の進出が多かった。1970年代は同店と伊勢丹、大丸、ダイエー、丸井がそろい踏みしたが、地元商店街への気兼ねから、いずれも1万㎡程度の規模が小いものだった。このため、1983年八王子駅ビルに3万㎡を超えるそごうの進出を期に淘汰されていくことになった。
- 同店はコスト削減を目指し、1991年6月 西友百貨店事業部に移管、組織上「株式会社錦糸町西武」の支店となったが、業績は回復することは無かった[30]。
- 閉店後、建物は売却され 1998年より「グランド東京ビル」となり、日帰り入浴施設「ホテルグランスパ八王子-やすらぎの湯」となった。1階はパチンコ店「コスミック八王子店」。 尚、錦糸町西武は西友と東京楽天地の合弁会社だったが、1997年3月西友本体に吸収合併されている。
中部
- 軽井沢店△
- 長野県北佐久郡軽井沢町千ヶ滝温泉
- 沼津店
- 本館:静岡県沼津市大手町3-1-1 沼津ビル
- 新館:売場面積9,732㎡。
- 1957年6月8日開店。2013年1月31日閉店。
- 地方都市への百貨店としての支店開設1号店。当時は鉄道グループと流通グループが袂を分かつ前だったので、鉄道の子会社伊豆箱根鉄道が建設したビルを一棟借りして入居。開業時のキャッチコピーは「沼津で東京のお買い物を」だった。1971年に新館を増築し、両館の5階部分が連絡通路で繋がれた。
- 2001年 沼津市より旧国鉄用地再開発ビル(イーラde)へ核テナントとしての出店を要請されたが、既にバブル崩壊により西武百貨店は経営破綻し、ミレニアムリテイリング傘下での再建中だったため、新たな投資ができず出店を辞退するに至った[33]。同店は外商が強かったため、その後も老朽化したビルでの営業を継続した。しかし、2009年からは毎年1億円の赤字が出るようになったため、セブン&アイ・ホールディングスが撤退を決定した。
- 閉店後、新館は浜友観光が大宮店同様パチンコ店を含む複合商業施設として改修し、「沼津RAKUUN」として2014年4月11日に開業[34]。本館は2013年7月解体され、跡地は沼津市で飲食業等を営む雄大株式会社が暫定的にフリーマーケット等を開催できる広場として利用する[35]。
- 沼津駅前は、2004年に丸井が撤退、富士急百貨店も2012年までに全テナントが撤退、今回の西武撤退で大型店空白地帯となった。と同時に、西武は静岡県内の店舗を全て失うことになった。但し、外商部隊は残留し、富士宮市から伊豆地域の営業を続けている[36]。
- 三島ショップ:静岡県三島市一番町2-25(閉店)
- 静岡店
- 初代:静岡市葵区紺屋町17-1 日興会館内。
- 2代目:静岡市葵区紺屋町6-7田丸屋ビル 地下1階-地上8階 売場面積18,885㎡。
- 1970年6月11日開店。1980年3月別館開設。1998年9月リニューアル。2006年3月31日閉店 [37]
- 田丸屋は静岡名物「わさび漬け」の製造販売会社でビルの所有は「株式会社主婦の店」。[38]
- 松坂屋、伊勢丹と並ぶ静岡を代表する百貨店だったが、売り場面積が3店で一番小さかった。2005年アピタを核とするセントラルスクエア静岡(市内最大規模)開業後、売上が落ち込んだ。この時点で西武百貨店は既に破綻し、ミレニアムリテイリング傘下での再建中。このため、店舗改装等を行う余力は無かったため撤退を決定。
- 店舗は、先にセゾンを離脱し森ビルグループ入りしたパルコに引き継がれることになった。ビル改修の上、2007年3月15日に静岡パルコとして開店。
- 浜松店△
- 浜松市中区鍛冶町15 店舗面積約22,000㎡。
西武百貨店関西
1971年、高槻出店に際し「株式会社西武百貨店関西」を設立。1990年代に吸収合併した。
- 塚新店
- 兵庫県尼崎市塚口本町4-8-1つかしん 売り場面積8,260㎡(縮小後)。
- 1985年9月開店。2004年5月9日閉店[41]。
- グンゼ旧塚口工場跡を堤清二が理想とする街づくり「生活遊園地」のコンセプトで、西洋ランドシステムズが開発、その核として出店。斜行式エレベーター「つかしんケーブル」等が話題になった。開業当初、物珍しさで集客したものの、すぐに飽きられてしまい、1987年ピーク時280億円あった売上は、80億円まで落ち込んだ。これは「直下型立地理論」(中心市街地(つかしんの場合は梅田)から10㎞圏には百貨店が成立しない)及び庶民的な地域特性を無視したショッピングセンター作りを目指した失敗例とされている[42]。
- ミレニアムリテイリングでは対策として同店を2002年9月にネイバーフッド型ショッピングセンター「リボン館」に転換。直営売り場を大幅に縮小し、無印良品、ユニクロ、ミドリ電化、ダイソー、生活協同組合コープこうべ等のテナントを導入した。しかし、それも郊外型ショッピングセンターとして中途半端なものだったため、その1ヵ月後に北2kmに、ジャスコを核とする大型ショッピングセンター「ダイヤモンドシティ・テラス」が開業すると、とどめを刺さされる形となり、撤退に至った。
- つかしんはグンゼ開発の子会社㈱つかしんタウンクリエイトが引き継いで運営することになり、2006年4月「グンゼタウンセンター つかしん」と改称された。[43]
- 神戸店
- 神戸市中央区東川崎町1-3-3 神戸ハーバーランドセンタービル
- 豊橋店△
- 愛知県豊橋市駅前大通1-55
- 心斎橋店△
- 旧心斎橋パルコ。当初西武百貨店関西による出店だった。
- 梅田店△
- 梅田ロフト。西武百貨店梅田店として計画されたものの、立地、出店規模を考慮すると百貨店業態よりも適切との判断により、当初からロフト業態として開店。
西武北海道
1988年、セゾングループの再編にともない、「五番館西武」と「函館西武」、「旭川西武」の3店により「株式会社西武北海道」を設立。1997年、吸収合併。
- 札幌店△
- 札幌市中央区北4条西3丁目3-1 売場面積28,924㎡(A館+B館)。
西武北陸
1988年、セゾングループの再編にともない、「だるま屋西武」、富山西武、小松西武の3店により「株式会社西武北陸」を設立。1993年、吸収合併。
- 富山店
- 富山市総曲輪3-4-15 地下1階-地上8階 売場面積12,470㎡。
- 1972年2月17日 総曲輪商店街で火災が発生。17棟が全焼。市街地再開発事業[54]による地元からの誘致によりテンプレート:要出典を経て吸収合併された。2006年3月31日閉店[55]。
- 閉店後、永らく放置されてきたが、2013年2月「総曲輪3丁目地区市街地再開発準備組」が発足。2014年度に24階建ての新複合ビル(1-4階はスーパーなどの商業施設、5-24階は分譲マンション)が建設される予定。[56]
- 富山西武のサテライトショップで、糸魚川駅前のビルに出店。このビルの屋上にある現在地酒の広告になっている広告塔は当時西武の看板が付けられていた。1990年代に閉店。
- 小松店
- 石川県小松市土居原町10-10尚成ビル
その他
- 高知店
- 高知市南はりまや町1-8-1
- 1958年3月「土電会館」として開業。1971年10月20日 業務提携[59]。資本提携により1973年11月30日「とでん西武百貨店」、1992年からは「高知西武」に改称。2002年12月25日 閉店[60]。
- 運営会社については1986年までは「株式会社とでん西武百貨店」、1990年頃までは「株式会社西武百貨店関西」、以降は直営。
- 建物はバスターミナルとして2005年11月10日まで使用されたが2006年6月解体。跡地は永らく放置されてきたが、2011年4月28日延田エンタープライズ「パチンコ123はりまや橋店」を核とする複合ビルが開業。
- 有楽町西武
- 千代田区有楽町2-5-1有楽町マリオン売場面積は14,931㎡。
- 1984年10月6日開店[61]。2010年12月25日閉店[62]。
- 朝日新聞東京本社、東宝日本劇場・松竹・丸の内ピカデリー の跡地再開発に対応しての出店。当初は西武単独出店を予定していたが、東宝がグループ会社である阪急百貨店の数寄屋橋からの移転を主張したため、2社で分け合い、同店は松竹サイドへ入居する形となった。
- 当初は「株式会社有楽町西武」という別会社を設立。「感性劇場(マインド・シアター)の有楽町」「メカトロ店の筑波」「街づくりのつかしん」と称された堤清二・三部作のひとつ。同店の開店に際し、堤は新聞インタビューで「銀座の西武百貨店で買い物をして、西武特急で軽井沢へ向かうことが夢だった」と語っていた。このため呼称も「銀座西武」を予定していたが、商店街からの猛反対で「有楽町西武」になったという経緯がある。堤の「大きいことはいいことではない」「モノからコトへ」「百貨店でもなく、量販店でもない情報発信基地」「生活全領域に対応する小売業の新しい形態」等のコンセプトからクレディセゾン、西武オールステート生命のファイナンシャルサービス、西武都市開発の国内外の別荘・住宅販売、チケットセゾンの映画・演劇のチケット販売等、非物販に注力するセゾングループのショーケース(情報発信基地)と位置づけられていた。開業当初28万人の人が来店したものの、堤の(高級な)「感性商法」は必ずしも実売には結びつかなかったため初期投資を回収できないままの累積赤字が膨らむ状態に陥っていた。
- その結果、バブル崩壊後、ミレニアムリテイリング傘下で直営化され、同店はレディース専門館へと大規模なリニューアル(地下食料品売り場も廃止)が実施されたが、起死回生ならず閉店するに至った[63]。
- 後継テナントとしてはルミネが2011年10月28日に入居。
西武百貨店以外が運営していた店舗
西友「西武」店(百貨店事業部→SEIBU事業部→大型店事業部運営)
- 西武百貨店と同じ意匠や包装紙などを使用していたものの、店舗営業や商品の仕入れ自体は「西友」の管轄店舗であった。厳密には百貨店ではないため、百貨店を抜いた「西武」の名称のみを使用。
- 「西武」を名乗っていた店舗では、ローマ字タイプの「SEIBU」の「I」部分のロゴの配色も異なり、緑色を使用(西武百貨店は赤・青色)。
- 郡山西武店
- 水戸西武店 △
- 前橋西武店
- 錦糸町西武店
- 光が丘西武店
- オズ大泉西武店
- 田無西武店
- 藤沢西武店 △
- 甲府西武店 △
- 上田西武店 △
- 春日井西武店(ザ・モール春日井)
- 宝塚西武店
- 姫路西武店(ザ・モール姫路)
- 小倉西武店(ザ・モール小倉)
セゾングループ内から運営委託を受けていた店舗
クレディセゾン
- ams西武仙台店
- ams西武宇都宮店
- 志澤西武(小田原市)
はやしべ
- WALK(ウォーク)はやしべ(長野市)
西武百貨店と資本参加した地方百貨店
海外店舗
- 香港西武百貨
- 1990年、香港現地法人を設立。1号店として、アドミラリティのパシフィック・プレイスに出店したが、1996年に「迪生創建」(ディクソン・コンセプツ・インターナショナル)[65]へ売却。商標のライセンス契約で営業。漢字ロゴは日本の西武と同様のものを使用しているが、ローマ字はシンプルフォントタイプ(かつての有楽町西武で使用していたもの)。シンボルマークは、ディクソン独自のものとなっている。
- その後、中国本土4都市でも「西武百貨」の名前で展開を図ったが、香港市場と同様に 富裕層をターゲットにした高級な内容だったため、一般庶民の手の届かないものとして支持は得られなかった。100%香港資本でありながら反日デモのターゲットとなり、襲撃された例もあった。その結果 各店で赤字を出し悉く失敗・撤退している。
- 旺角(モンコック)店
- 香港九龍 旺角亞皆老街8号 朗豪坊(Langham Place ランガムプレイス) 2004年11月開店。存続。
- 金鐘道(アドミラリティ)店
- 香港中西区 中環金鐘道88號 太古廣場(Pacific Place パシフィック・プレイス)
- 1990年開店。2011年6月閉店。90,000㎡。跡地は、イギリスの ハーヴェイ・ニコルズが進出。
- 銅鑼灣(コーズウェイベイ)店
- 香港島 銅鑼灣告士打道311號 皇室大廈(ウィンザーハウス)1997年開店。2006年5月閉店。30,000㎡。
- 尖沙嘴(チムサーチョイ)店
- 香港九龍 尖沙嘴彌敦道19-21號 九龍酒店(カオルーン ホテル)2006年開店。2011年9月閉店。
- 深圳西武百貨
- 成都西武百貨 四川省成都市锦江区华兴上街9号 地上5階 売り場面積1万3千m2。
- 2006年4月7日開店。2009年12月31日閉店。[67]
- 瀋陽西武百貨 2010年9月開店。閉店済。
- 長春西武百貨 新世紀鴻源廣場 2008年10月開店。2009年7月閉店。
- インドネシア西武 Seibu Department store, Indones
- 初代: 1996年 西友とインドネシアの A.ラティーフ(ALatief Corporation)が合弁会社を設立、ショッピング・センター 「パサラヤ・ブロックM」(Pasaraya Blok M.)に出店したが、撤退。
- Jl. Iskandarsyah II No. 2, Melawai, Kebayoran Baru, Jakarta
- 跡地は A.ラティーフが「パサラヤ・グランデ」(Pasaraya Grande)として営業している。
- 2代目: 2007年5月 香港西武(迪生グループ)の現地法人で そごう・西武の資本は入っていない。
- ショッピングモール「グランド・インドネシア」(Grand Indonesia Mall)に出店。[68]
- Grand Indonesia Mall, Jalan M.H. Thamrin No.1, Jakarta, Indonesia
- 地下1階-地上4階。売り場面積27,000㎡。
- ロサンゼルス西武 (アメリカ)
- 1962年堤康次郎の直接の指示で出店。(ロサンゼルス ウィルシャイヤー(Wilshire)ハリファックス(Fairfax)交差点)わずか2年で撤退した。その後Ohrbach's百貨店を経て、現在はPetersen Automotive Museumとなっている。
出店を断念した店舗
- 新宿貨物駅跡地(現・タカシマヤタイムズスクエア)
- 新百合ヶ丘駅前(川崎市麻生区)
- スポーツクラブ「リボン館」併設の複合店舗としての計画だったが、バブル崩壊後で財政事情などにより出店断念。その後マイカルが開発し、現在は「イオン新百合ヶ丘店(旧サティ)」「コナミスポーツクラブ新百合ヶ丘」として営業中。
- 広島駅前(広島市南区)
- 中百舌鳥駅前(堺市北区)
- 福山店(広島県福山市)
- イオン浜北ショッピングセンター(浜松市浜北区)
- 西鹿児島駅前《現:鹿児島中央駅》(鹿児島市中央町)
- 仙台店【再出店計画店舗】(宮城県仙台市)
- 天神地区(福岡県福岡市中央区)
- 初代・春日部店(埼玉県春日部市)
POSシステム
広告
コマーシャルソング
- 「おいしい生活」(1982年)
- 「オカイモノ」のうた(1993年 - )
出身著名人
セゾングループ含む
- 青江三奈:歌手
- 阿部和重: 作家
- 車谷長吉:小説家/直木賞作家
- 佐々木敦:音楽・映画評論家
- 白石真澄:関西大学教授
- 永江朗:フリーライター
- 保坂和志:小説家/芥川賞作家
- 三田紀房:漫画家
- 若宮健嗣
- 水野誠一
- 増田通二:パルコの事実上の創業者。渋谷公園通り、スペイン坂などの名付け親。
- 堤清二
- 和田繁明
- 米田純:東北楽天ゴールデンイーグルス取締役球団代表
脚注
関連項目
- セブン&アイ・ホールディングス
- そごう・西武(旧称・ミレニアムリテイリングだが、法人格上は、旧そごうを継承)
- セゾングループ
- 甲府西武
- なんばCITY(開業時に西武が支援)
- 埼玉西武ライオンズ(2008年までユニフォームのスポンサー。西武鉄道の子会社であるが、優勝時は記念セールを行う。また池袋本店8階にグッズショップ「ライオンズストア」が入居している)
- 西武ドーム(長年スコアボード上部に広告を出している。所有は西武鉄道)
- リボン館
- おしゃべりレタス(テレビ埼玉・テレビ神奈川・千葉テレビで放送され、西友と共同提供スポンサーだった番組)
- 西武ポップスベスト10(栃木放送で放送され、西武宇都宮店がスポンサーだった番組(のちに撤退→放送終了))
外部リンク
テンプレート:Sister テンプレート:そごう・西武 テンプレート:セブン&アイ テンプレート:西友
テンプレート:日本の大手百貨店- ↑ 浅田彰【西武/セゾン文化を継ぐ者は誰か】
- ↑ 日本経済新聞2009年2月10日朝刊記事より
- ↑ なお、「西武百貨店・年表」テンプレート:リンク切れにおいては、「帝都百貨店の吸収は、間違いだった」とされているので、検証がまたれている。
- ↑ 合同会社 西友 会社概要
- ↑ 株式会社クレディセゾン企業情報
- ↑ 現在は名目上は4位、店頭売上額では日本3位。1位の日本橋三越本店は、恵比寿店など3店舗等の売上を日本橋本店のものに加えており、本店単体の売上額は非公表を貫いている。2位の伊勢丹新宿本店も、全国法人外商や通販事業等を含めている。
- ↑ 店舗政策
- ↑ ちなみに東武百貨店池袋本店は5千万人、小田急百貨店新宿本店は4.4千万人、阪急百貨店梅田本店は4.1千万人、伊勢丹新宿本店は3千万人である。
- ↑ ビックカメラは2000年代に入ってから日本全国に店舗展開するようになり、CMでは最後のキャッチ以外歌詞を入れていないが、池袋店内のBGMで聴くことができる。また、船橋駅では南口に西武百貨店、北口に東武百貨店と東武野田線のりばが立地する。
- ↑ 一例として、副都心線開業を記念した「LOVE IKEBUKURO」キャンペーンが両社合同で行われたり、西武百貨店で東武百貨店のマップが配布されたり、東武東上線の電車内に西武百貨店の広告が掲出されるようになった。
- ↑ 11.0 11.1 研究報告書 これからの都市生活を考えていくための新世代コミュニティの研究 公益財団法人ハイライフ研究所 2011年3月
- ↑ 所沢市
- ↑ 流通ニュース2012.04.03
- ↑ 男性差別を許さない市民の会
- ↑ 横浜発見ガイド オーロラシティ・フロアガイド
- ↑ 16.0 16.1 『三井不動産、大規模SCの開発・運営を全国展開ーー地域商業にカツ、まずは埼玉で。』日本経済新聞 夕刊(日本経済新聞社、1982年10月6日)より
- ↑ 17.0 17.1 17.2 『イトーヨーカ堂、百貨店事業強化ーーヨークマツザカヤを通じ春日部にも60年にも出店。』日本経済新聞 朝刊(日本経済新聞社、1983年11月20日)より
- ↑ 消防防災博物館-特異火災事例
- ↑ そごう・西武News Release 2004.7.27
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 共同通信2009/05/27 10:42
- ↑ 流通ニュース2013.4.15
- ↑ [1]
- ↑ 流通ニュース2012.103 そごう・西武News Release2012.11
- ↑ カナロコ2012.4.27
- ↑ セゾンの活動
- ↑ 日経栃木版2002.12.26
- ↑ 毎日新聞1969.11.12
- ↑ 流通ニュース2013.4.25
- ↑ 参考「都市・街での役割を終え消えてゆく百貨店」ハイライフデータファイル2010
- ↑ セゾンの歴史
- ↑ 信濃毎日1993.7.18
- ↑ 沼津朝日新聞「再開発ビルを考える」
- ↑ 旧西武沼津店新館が再生 「ラクーン」11日開業(静岡新聞、2014年4月9日)
- ↑ 西武跡地、夏から「広場」に JR沼津駅前(静岡新聞、2014年4月1日)
- ↑ アットエスニュース2013.4.24
- ↑ 西武百貨店2005.12.20
- ↑ パルコ2007.3.30
- ↑ 静岡新聞1997.12.25
- ↑ 日経静岡版1992.8.6
- ↑ 朝日新聞大阪2004.01.18
- ↑ ダイナミックマーケティング社
- ↑ 西武百貨店再建計画の進捗について2004.1.16
- ↑ 朝日新聞兵庫版1992.09.01
- ↑ 朝日新聞兵庫版1994.12.26
- ↑ 私たちのふるさと豊橋のあゆみ
- ↑ 共同通信2003.4.22
- ↑ 百貨店事業再編に関するお知らせ2009年5月29日
- ↑ 旧西武札幌店、ヨドバシカメラが取得
- ↑ 函館市史
- ↑ 読売北海道版2003.8.11
- ↑ 函館新聞社2005.12.23
- ↑ パボッツ函館 フロアガイド
- ↑ 富山県
- ↑ 日経北陸版2006.4.1
- ↑ 北國新聞2013.7.12
- ↑ 日経北陸版1996.12.26
- ↑ MROニュース2013-02-25
- ↑ 日経1971.10.21
- ↑ 毎日新聞2002.12.26朝日
- ↑ 毎日1984.10.06
- ↑ 日経2010.12.26
- ↑ 立石泰則 著「堤清二とセゾングループ」講談社文庫 1995年2月15日発行
- ↑ 読売2003.8.11
- ↑ 香港のブランド王 潘迪生が経営
- ↑ 第一財経日報2012.10.12
- ↑ SBIsearchina2009/12/20
- ↑ 英語サイトより翻訳。
- ↑ <中四国・九州最高層 52 階・住宅×商業×業務の大規模複合開発> 「広島駅南口 B ブロック第一種市街地再開発事業」“広島駅前の新ランドマーク” 着工 - 三井不動産
- ↑ 西武百貨店以外には、ニチイ・東急百貨店・丸井が出店の意向を示していた
- ↑ 西武百貨店以外にはニチイ・長崎屋・ジャスコ・ユニードなどが出店に意欲を見せていた
- ↑ 代替として西友の出店も検討されていたがそれも断念している。
- ↑ 参考資料:『因幡町商店街35年史』 天神ビブレ商店会、1984年。