リヴィン

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Mbox LIVINリヴィン)とは、西友が運営する大型店のこと。

かつては、「西武百貨店」と同じ名称・意匠である「西武」の名称で、全国各地に百貨店型の店舗を出店していた[1]

概要

西友運営の西武店

ファイル:KoriyamaSeibu Special agreement Parking loted 20120109.JPG
西友郡山西武店特約駐車場看板(2012年1月9日撮影、現在は撤去)

かつてセゾングループに属していた西友は1970年代当時の店舗改革の位置付けで、1976年の富山西武店の出店時から、グループの中核会社であった「西武百貨店」の名称・意匠を借りた「西武」の名称で、各地の立地に適応した高級大型店(百貨店業態)として運営してきた。西武百貨店と同一の制服や包装紙を採用するなどして高級感を演出し、実際に百貨店級の商品を扱ったりするなど、「スーパーの西友」とは一線を画した。

駅前の「箱モノ」として歓迎された事もあり、店舗は各地に増えて全国に西武網ができあがった。また、光が丘西武店や春日井西武店などの郊外型店舗や、「ザ・モール」内のキーテナントとして西武が出店したこともあった。

1994年(平成6年)2月16日には西武店舗を運営する百貨店事業部と大型店事業部(西友のGMS運営)が統合して「SEIBU事業部」が発足[2]。同時に仕入れも各西武店舗での個別仕入れから、西友店舗と同じ仕入れに切り替え、商品構成もGMSと百貨店との中間グレード狙った店舗を目指した[3]。同じ年の4月21日にはその一環としてザ・モール姫路のキーテナントに姫路西武店を出店[4]、6月9日にはGMS店舗だった西友オズ大泉店をオズ大泉西武店へ業態転換させた[5]

新生活百貨店・LIVINへの改称

バブル崩壊後はイオンに代表される郊外型ショッピングセンターが台頭し、殆どが駅前立地だった西武店の各店舗も不振が目立ち始め、当時西友本体においても「東京シティファイナンス」での不良債権などを抱えていたこともあり、経営の足を引っ張ることとなった。

あくまでも、実態は西武百貨店の名称・意匠を借りた西友の店舗であり、西友の一店舗扱いとなるため、顧客からは西武百貨店の店舗と誤解するケースが頻発する[6]

西武百貨店では使用できる日本百貨店協会発行の「全国百貨店共通商品券」が西友が日本チェーンストア協会に加盟していたため西武店では当然使用できず、1996年6月に西武百貨店が独自のポイントプログラムである「クラブ・オン」メンバーズシステムを導入するも、全くの別会社である西友は導入しなかったため、首都圏を中心に西武百貨店が多く存在する地域において各地の西武店で「クラブ・オン」が使用できないなど混乱を生じた。

そこで「西武」を名乗っていた西友店舗は、1995年(平成7年)4月22日に開店したザ・モール小倉内の小倉西武店[7]をもって出店を停止し、1996年(平成8年)2月にはSEIBU事業部を廃止(再度設置した大型店事業部に移管)[8]1998年(平成10年)8月に「ニューGMS」業態として開発した「LIVIN」(リヴィン)へと改称することを決定[9][10]1998年(平成10年)10月28日の光が丘西武店からリヴィン光が丘店への業態転換を皮切りに[11]、最終的には2000年(平成12年)9月に水戸西武店と前橋西武店と上田西武店がリヴィンへと改称し、2000年(平成12年)10月15日の郡山西武店の閉店[12]を持って西友の運営する「西武」店は消滅した。

なお、リヴィンへの改称に伴い、店舗の看板から制服・包装紙もリヴィン店舗独自のものに変更された[13]

現在

現在はウォルマート傘下(後に子会社化)になった影響もあり、各地域の運営部が運営に当たっている。

そのためか、通常の西友店舗とは別の扱いではあるが、現在は名称や一部銘店売り場や衣料品テナントを入れている以外は殆ど差異は無い(かつてイトーヨーカ堂が運営していたエスパの例に近似)。ザ・モール内店舗でもリヴィンとザ・モール部分の区別がない。 特によこすか店では、2009年11月に親会社・ウォルマートが目指すEDLP向けの店舗として全面的に改装され、ウォルマート仕様の改装後の西友店舗と遜色がないものとなった[14]

店舗

クレジットカードセゾンカード(あるいはウォルマートカード)をハウスカードとしている。そのため、リヴィン各店には必ず「セゾンカウンター」が設置されている。

なお、日本百貨店協会の会員ではないため、全国百貨店共通商品券の利用はできない。その代わりに商品券として「LIVIN商品券」が発行されていた(西武店時代には西友発行の「SEIBU商品券」が発行されていたが、2006年(平成18年)9月以降は西武百貨店やパルコなどでは使用できなくなっている[15])。

店舗は現在、郡山、錦糸町、光が丘、田無、オズ大泉(OZ大泉)、みずほ、よこすか、春日井姫路に存在する。このうち、郡山・みずほ・春日井・姫路はザ・モール内に存在する。

現在営業している店舗

光が丘店

複合ショッピングセンター・光が丘IMAの核テナントの一つとして、忠実屋フランツ練馬店(現・ダイエー練馬店)ともに「光が丘西武」店として1987年(昭和62年)4月開店。1998年(平成10年)10月28日に新タイプのGMSの「LIVIN」へと業態転換[11]。ニューGMS業態を兼ねて開発したLIVINとしては、最初の店舗である。
2012年秋には、ウォルマート仕様の売り場へと大幅に改装され、タワーレコードABCマートユニクロがテナントとして新たに入居。
かつて3階には、東京テアトル運営の映画館「光が丘テアトル西友」が入居していた。

オズ大泉店

オズ大泉店(OZ大泉店)は、東映東京撮影所にあったオープンセットの敷地を再開発する形で建設し、東映のショッピングセンター・プラッツ大泉のキーテナントとして1983年(昭和58年)4月に「西友オズ大泉店」が開店[16][17]。1994年(平成6年)6月9日に「オズ大泉西武」店に[5]、1999年(平成11年)4月24日に現在の「LIVIN」へと業態転換している。ちなみに、練馬区内にはLIVIN店舗が光が丘店と2店存在する。
オズ大泉店周辺には、店舗の正面には前述の通り東映東京撮影所とシネマコンプレックスT・ジョイ大泉の入ったOZ STUDIO CITY、店舗の右側には東映アニメーションの本社が所在する。
あずまきよひこの漫画作品「よつばと!」1巻の第5話などでは同店を模したデパートが登場しており、同店の南側入り口やエスカレーター(店内)などが忠実に描かれている。

錦糸町店

ファイル:Rakutenchi Bldg. 2.jpg
LIVIN錦糸町店(左側の青い看板)
錦糸町店(きんしちょう-)は東京楽天地の楽天地ビルの再開発時のキーテナントとして誘致。地元商店街側から百貨店業態での出店を要望したこともあり[18]、1986年11月5日に「錦糸町西武」店として開店。同時に、西友・西武百貨店と東京楽天地との合弁会社及び運営会社である株式会社錦糸町西武も設立された(ただし、出資比率は店舗運営の西友より、西武百貨店が高かった)。
運営会社の錦糸町西武は、1991年(平成3年)6月に西武百貨店八王子店の運営会社であった株式会社八王子西武と合併し、実質西友経営に移管した上で八王子西武も店舗運営した(1993年8月閉鎖)。
その後、株式会社錦糸町西武は1997年(平成9年)3月をもって西友本体に吸収され[19]、1999年(平成11年)6月17日に「LIVIN」に業態転換した[20]
錦糸町店は楽天地ビルに同居する形となっており、LIVINのフロアと楽天地側のテナントが、ビル内に分けられて併設されている(エレベーターもLIVINとは別に楽天地側に設置)。

田無店

田無店(たなし-)は、1995年(平成7年)3月10日に「田無西武」店としてオープンした[21]。その後、1999年2月に田無西武店は現在の「LIVIN」へ業態転換している。1F-3Fはアスタ専門店街とつながっている。
このアスタには、イトーヨーカドーが衣料品のみの店舗を出店している。
1995年6月まで田無駅北口にあった西友田無店とは、別に田無西武店オープン後もしばらく並存していた。

みずほ16店

2002年(平成14年)3月13日に「ザ・モールみずほ16」の核店舗として開店[22]。現時点で「LIVIN」業態としては最後の出店である。

よこすか店

よこすか店は、2000年(平成12年)9月13日に「LIVIN」業態では初の新規出店店舗として[23]横須賀市平成町に開店。
2009年11月には、西友やその親会社であるウォルマートが目指すEDLP方針を強く打ち出した店舗として改装された[14]

郡山店

ファイル:THE MALL Koriyama.JPG
ザ・モール郡山内にあるLIVIN郡山店(画像から右側の棟)
郡山店(こおりやま-)は郡山市駅前一丁目に1975年(昭和50年)9月9日[24]に東邦精麦郡山駅前ビルのキーテナントとして開業した「西友郡山店」が前身。翌年11月に「郡山西武」店として業態転換した[25]。郡山西武店は2000年(平成12年)10月15日に閉店し[12]、新たに「LIVIN」業態として、同市旧市街地のはずれに位置する長者一丁目の日東紡郡山第二工場跡に2000年(平成12年)11月22日に開業した「ザ・モール郡山」の核店舗として移転開店した[26]
郡山西武店が入居していた同ビルは、オーナーである東邦精麦開設・西友運営[27]のファッションビル「アティ郡山」に2001年(平成13年)5月25日に生まれ変わった[28]が、2011年(平成23年)に西友側のテナント運営を満了したことに伴って経営から手を引くこととなり、ヨドバシカメラなどが入居するビルとして2011年(平成23年)秋にリニューアルオープンした[29]
また、アティ開業時には、地階に「西友郡山アティ食品館」としてSM業態を出店したが再撤退した。

春日井店

春日井店(かすがい-)は、「春日井西武」店として「西武春日井ショッピングセンター」の核店舗として1977年(昭和52年)6月に開店[16]。開業直後から数年間毎年前年比で二桁の売上増を記録した優良店舗であった[16]。1992年(平成4年)6月5日には増床と同時に「ザ・モール」の一号として「ザ・モール春日井」が開業[30]。2000年(平成12年)に現在の「LIVIN」に業態変更した。

姫路店

姫路店(ひめじ - )は、1994年(平成6年)4月21日に「ザ・モール姫路」の核店舗として「姫路西武」店開店[4]。当時は百貨店とGMSの融合を目指した「SEIBU事業部」発足後初の店舗となった[3]。現在は「LIVIN」として営業。

過去に存在した店舗

リヴィンとして閉店した店舗

水戸店

(茨城県水戸市三の丸1[31]-1-12)

地上6階地下1階建 売場面積1万4,573m²[32]
西友ストア水戸店」(GMS)として1971年(昭和46年)9月24日開店[33]。1988年(昭和63年)増築し[32]、「水戸西武」店に業態転換。2000年(平成12年)に「LIVIN」に業態転換[32]
2009年(平成21年)3月31日閉店[34]。2012年に店舗解体が始まり[35]、解体完了[36]。同年9月に埼玉県の通信販売企業ベルーナに売却した[36]
前橋店

(群馬県前橋市本町2-12-1)

西友前橋店」(GMS)として1975年(昭和50年)6月開店[16]。1978年(昭和53年)9月に「前橋西武」店へ転換[16]。2000年9月に「LIVIN」に改称。
2004年(平成16年)1月12日閉店。ウォルマート傘下での初の閉店。別館と駐車場棟に当たるWALK館は2005年1月29日まで営業。
跡地は、2007年(平成19年)12月8日に前橋市の公共施設「プラザ元気21」として活用され、地階には地元スーパーフレッセイが入居した。
上田店

(長野県上田市天神1丁目[37]

西友上田店」(GMS)として1974年(昭和49年)10月開店[37]。1976年(昭和51年)に「上田西武」店に業態転換[38]。2000年(平成12年)9月に「LIVIN」に業態転換[38]
2009年(平成21年)3月末閉店[39]。建物は解体されたが、地権者が複雑でコインパーキングやマンション等が建設された模様テンプレート:要出典
宝塚店

(兵庫県宝塚市逆瀬川1-11-1)

宝塚西武」店として、1987年(昭和62年)3月12日開店。宝塚市の事業として建設された逆瀬川駅前再開発ビル「アピア1(現;アピアさかせがわ)」核テナントとして
地上4階から地下3階までを20年の入居する契約を交わした。1999年(平成11年)11月6日にLIVINに業態転換した[40]後に、2006年(平成18年)6月30日閉店。契約満了前の撤退となった。
2008年(平成20年)、ビルのオーナーである第3セクター「宝塚まちづくり会社」が11億円の負債を抱えて経営破綻した。その後、地権者ごとの複雑なフロア構成を見直すリニューアルを実施。地階にはイオン系列の光洋(本社大阪市)と地元資本のいかりスーパーマーケット(本社西宮市)の2社のスーパーマーケットを入れ競争させる等の活性化策を行った[41]

西武店として閉店した店舗

藤沢西武店

(神奈川県藤沢市南藤沢3-12)

地方百貨店「志澤藤沢店」から買収し、1978年(昭和53年)9月[16]15日開店。1997年(平成9年)1月閉店。ビル解体。跡地は「クリオ藤沢駅前ビル」(複合ビル)テンプレート:Main2
甲府西武

(山梨県甲府市丸の内1-8-5)

中込百貨店」から買収し、1975年(昭和50年)4月に「中込西友甲府店」として開業[16]。1979年(昭和54年)3月に、甲府西武店となった[16]。1998年(平成10年)2月15日閉店。跡地は「山梨県民情報プラザ」として使用された後解体され、新たに山梨県防災新館が建設される。 テンプレート:Main2

別業態で閉店した店舗

セイヨー(SEIYO)仙台店

(宮城県仙台市青葉区中央4-1-1)

1991年(平成3年)3月に、宮城県を中心に展開していたスーパー「エンドーチェーン」との業務提携により、エンドーチェーン仙台駅前店(1991年8月閉店)を百貨店事業部に譲渡する形で1991年11月に開店[42]
当初は「仙台西武」店の呼称を予定していたが、西武百貨店が「ams西武仙台店」を店舗運営していたことや、西武百貨店本体が仙台に進出する計画もあったため使用できなかった。このため、セゾングループ内の一部で使われていた「西洋」を流用した。制服、包装紙等はSEIYO独自仕様。
提携契約終了と売上の伸び悩みにより、1997年7月閉店。同店はエンドーが運営するテナントビル「EBeanS」となった[43]。西友としては、「ザ・モール仙台長町」として事実上移転開業。

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西友に業態転換した店舗

小倉西武店

(北九州市小倉南区下曽根新町10-1)

1995年(平成7年)4月22日開店[7]。2000年より「西友ザ・モール小倉」として営業中。
LIVINに改称せず、「西友」に転換された唯一の店舗である。

ams西武三軒茶屋店も、西武クレジット(クレディセゾン)から西友が運営を受託されていたが、より早い時期に、西友(GMS)に転換している。広告などでも、西友店舗とほぼ同じ扱いであった。 テンプレート:Main2

西武百貨店に移管した店舗

旭川西武店

(北海道旭川市1条通り8丁目右1号)

1975年(昭和50年)8月8日に「旭川西武」店開店。1981年(昭和56年)9月1日には、隣接する「ams 旭川緑屋ショッピングセンター」と運営統合。1988年(昭和63年)、グループ再編により「西武北海道」の店舗になり、1997年(平成9年)、西武百貨店に吸収合併された。
函館西武店

(北海道函館市梁川町9[44]

1981年(昭和56年)3月に[44]函館西武」店として開店[16]。グループ再編により1988年(昭和63年)から「西武北海道」の店舗になり、1997年(平成9年)西武百貨店に吸収合併された。2003年(平成15年)8月10日に閉店[45]
延べ床面積約25,000m²の建物で[46]、店舗面積約12,300m²であった[44]
坂倉建築設計事務所の設計による大沼の白鳥を摸した建物で、1982年(昭和5年)6月には建築業協会賞を受賞している[16]
最盛期の1991年(平成3年)に売上高約128億円を上げたが、郊外型大型店との競合などの影響で2002年(平成14年)には売上高約82億円へ減少したため、西武百貨店の再建策の一環として閉店となった[44]
当店閉店後、本町から当店のあった梁川町への人の流れが減少し、隣接するテーオーデパートの売上が減少するなど店舗周辺の商店街の集客力や売上が減少するなどの影響が出た[46]
店舗跡は2005年(平成17年)12月22日に西友系不動産管理会社のエスシーシーが運営する複合娯楽施設「パボッツ函館」として開業した[47]
ほんきん西武

(秋田県秋田市中通2-6-1)

1983年(昭和58年)、本金との合弁会社「株式会社本金西武」設立。1984年(昭和59年)4月27日に開店。1988年(昭和63年)に、西武百貨店資本参加により子会社化。2005年(平成17年)西武百貨店直営店化。
富山西武店

(富山市総曲輪3丁目[48]4-15)

富山西武」店として1976年(昭和51年)7月2日開店。グループ再編により1988年(昭和63年)「西武北陸」の店舗になり、1993年(平成5年)10月西武百貨店に吸収合併された。2006年(平成18年)3月31日閉店[49]
西友初の百貨店業態の店舗で、西武百貨店と当時提携していた大和の富山店のすぐ近くへの出店で競合関係となったため、当店開店翌月の1976年(昭和51年)8月に提携が解消となった[50]
店舗跡の土地約3,100m²は大和小田急建設が取得し[48]、周辺を含む約3,800m²に商業施設とマンションに駐車場を併設した複合ビルを建設するため、2013年(平成25年)2月14日に総曲輪3丁目地区市街地再開発準備組合が発足した[51]
小松西武店

(石川県小松市土居原町10-10)

西友小松店」(GMS)として1970年(昭和45年)12月に開店[52]。1983年(昭和58年)、「小松西武」店に転換[52]。グループ再編により1988年「西武北陸」の店舗。1992年(平成4年)10月に西武百貨店小松店[52]。1996年(平成8年)12月閉店[52]
店舗跡は1998年(平成10年)3月21日に大和小松店が開店したが[52]、2010年(平成22年)6月25日に閉店した[53]

備考

  • スーパー経営の百貨店店舗は、ダイエーの「プランタン」(現在はダイエーグループから離脱)、イトーヨーカドーの「ロビンソン百貨店」(現在は西武百貨店に転換)、イオンの「ボンベルタ」などが挙げられる。
  • 似たような事例として、西武百貨店の高級スーパー業態だった「ハウディ西武」を西友が運営していたことがあった。テンプレート:要出典範囲

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. 西武百貨店との違いとして、英字の「SEIBU」のロゴの真ん中の「I」が、西武百貨店の店舗では赤色か青色であるのに対して、西友経営の西武店の店舗では緑色であった。ただし、西武店展開当初は西武百貨店と同じ赤色であった。
  2. “西友、2月16日から組織変更、百貨店と大型店を統合「SEIBU事業部」新設”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年2月9日)
  3. 3.0 3.1 日経流通新聞 1994年4月28日付『戦略店舗を追う(17)「百貨店とGMS融合 西友・姫路西武(兵庫)」』より
  4. 4.0 4.1 “西友、コミュニティー型SC「ザ・モール姫路」21日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年4月6日)
  5. 5.0 5.1 “西友オズ大泉店オープン、生鮮“こだわり”追求、話題商品売れる”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年6月15日)
  6. 日経流通新聞 1996年1月30日付 「『西武』の名前で出店やめます」より
  7. 7.0 7.1 “西友、九州最大のSC「ザ・モール小倉」開店 核に小倉西武”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年4月28日)
  8. 日経流通新聞 1996年2月6日付「西武店舗の運営部を廃止」より
  9. 日本経済新聞 1998年8月7日付 『西友が「西武」名称廃止 改装し食品など重点』より
  10. 日経流通新聞 1998年8月11日付『西友、13店の「西武」名廃止 GMS型「LIVIN」に』より
  11. 11.0 11.1 “西友、西武店舗の業態転換で新GMSLIVIN展開へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年9月11日)
  12. 12.0 12.1 立松潔 『郡山市中心商店街に関する実態調査』 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 (山形大学人文学部街づくり研究会) (2001年3月)
  13. レジ袋は、2007年に西友と同じ無地のデザインに統合。紙袋と包装紙は従来通り。
  14. 14.0 14.1 『特集 百貨店・スーパー大閉鎖時代!「【西友】ウォルマート化で変身 M&Aによる拡大に布石」』週刊東洋経済 (東洋経済新報社)(2010年3月13日号)より
  15. 逆にリヴィン(西武店)ではかつて、西武百貨店商品券や同百貨店のセゾンクラブ(現:そごう・西武友の会)お買い物券などセゾングループ関連各社の券が使用できたが、現在は同グループ解体に伴い使用できない場合がある。
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 16.5 16.6 16.7 16.8 16.9 由井常彦 『セゾンの歴史 変革のダイナミズム 下巻』 リブロポート、1991年6月1日。ISBN 978-4845706259
  17. “西友、「オズ大泉西武」6月9日開店へ、増床で食品部門を拡充”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年5月30日)
  18. 1997年2月27日「日経流通新聞(現・日経MJ)」記事より
  19. 1997年2月27日「西友 錦糸町西武の営業権取得」(日経流通新聞)より
  20. “西友「創業新元年」スタート、信頼回復目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年6月21日)
  21. “東京・田無市の「アスタ」オープン、寿司中心に顧客獲得で激戦”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年3月29日)
  22. “西友、多摩に関東初の「ザ・モールみずほ16」を開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年3月13日)
  23. “リヴィンよこすか店、大型食品売場を導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年9月9日)
  24. 1975年9月9日付 福島民報夕刊「郡山の商戦 一段と激化『「西友」、大型店のトップ切り開店』」より(福島民報社
  25. 1976年11月7日付 福島民報「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」より(福島民報社
  26. “東北地区新春特集:「ザ・モール郡山」「イオン山形南SC」同時オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年1月24日)
  27. 2004年から2008年までは一部フロアを丹青社の子会社丹青モールマネジメントに運営管理の委託を行っていた。
  28. “旧郡山西武、「ATi郡山」として新装オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年3月23日)
  29. ただし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の影響でビルに大きく損害が出たため、秋のリニューアルグランドオープンまで全館閉鎖となっていた
  30. “西友、春日井西武を増床改装、5日多機能型「ザ・モール春日井」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年6月12日)
  31. 八田浩輔、秋田浩平 (2008年10月2日). “リヴィン水戸店:閉鎖か 西友が近く説明、空洞化の加速懸念”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  32. 32.0 32.1 32.2 池田美緒 (2008年11月8日). “水戸の顔”リヴィン閉鎖へ JR水戸駅前”. 産経新聞 (産経新聞社)
  33. 水戸市史編さん近現代専門部会 編 『水戸市史 下巻(三)』 水戸市、1998年5月。
  34. “リヴィン水戸店が閉店 中心街空洞化に拍車も”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2009年4月1日)
  35. 水戸駅北口、旧リヴィン解体始まる 西友、新たな売却先検討
  36. 36.0 36.1 “リヴィン跡地再開発 地権者ら要望書提出 茨城” 産経新聞 (産経新聞社). (2013年12月6日)
  37. 37.0 37.1 『上田商工会議所百年史』 上田商工会議所、1998年。
  38. 38.0 38.1 “リヴィン上田店 来年をめどに閉店の方針” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2008年10月3日)
  39. “リヴィン上田の建物解体へ 土地売却” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2009年9月16日)
  40. “LIVIN(リヴィン)宝塚店11月6日リフレッシュオープン”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年11月11日)
  41. 宝塚市アピア逆瀬川再生に関する調査専門委員会他
  42. 『仙台市街地の大型商業施設 改装効果上がらず苦戦』1992年11月3日付(日経流通新聞)より
  43. 現在の株式会社「エンドーチェーン」は、EBeanSの管理運営や不動産賃貸業を営むエステートエンドーから社名を変更した会社。
  44. 44.0 44.1 44.2 44.3 “西武函館店閉店セール始まる”. 函館新聞 (函館新聞社). (2003年6月26日)
  45. 喜多真哉 (2003年8月12日). “西武函館店が閉店”. 函館新聞 (函館新聞社)
  46. 46.0 46.1 喜多真哉 (2004年8月11日). “函館西武閉店から1年”. 函館新聞 (函館新聞社)
  47. “「パボッツ」一部オープン”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年12月23日)
  48. 48.0 48.1 “富山西武跡、5億円で売却 アパマンHDが大和小田急と契約へ”. 富山新聞 (北國新聞社). (2011年7月12日)
  49. “閉店惜しみ2万人 西武富山店が営業最終日 市街地活性化が課題に”. 富山新聞 (北國新聞社). (2006年4月1日)
  50. 由井常彦 『セゾンの歴史 変革のダイナミズム 上巻』 リブロポート、1991年6月1日。ISBN 978-4845706259
  51. “準備組合が発足 富山西武跡地の再開発”. 富山新聞 (北國新聞社). (2013年2月15日)
  52. 52.0 52.1 52.2 52.3 52.4 大型閉鎖店舗再生等対策の総合プロデュース人材育成事業 副読本 (Report). 経済産業省. (2003年).
  53. “32億円争奪、過熱せず 小松大和、25日閉店 香林坊店弱気、エムザ様子見”. 北國新聞 (北國新聞社). (2010年6月25日)