高島屋

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株式会社テンプレート:CP932フォント島屋(たかしまや、テンプレート:Lang-en-short)は、大阪府大阪市中央区難波に本社を置く百貨店である。なお、大阪店は同社の登記上の本店である。日本百貨店協会に加盟しており、ハイランドグループを主宰している。なお新聞などでは、「高島屋」と康熙字典体の「高」の字で書かれることが多い。

会社概要

1831年(天保2年)、京都で飯田新七が古着・木綿商を開き、義父の飯田儀兵衛の出身地である滋賀県高島郡(現高島市)から高島屋と名付けた。海外の博覧会に豪華な刺繍を施した着物などを出品し、数々の賞を受賞したことで、その後、宮内省御用達の栄誉を冠する。1919年(大正8年)には改組し、株式会社 高島屋呉服店として大阪・長堀橋に店を構える。1932年(昭和7年)には、現在の大阪店が入居する南海ビルディングが大阪・難波に竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店する。また、翌年1933年(昭和8年)には、東京・日本橋に日本橋店を開店させ、知名度を飛躍的に高めた。戦後に入ると、相模鉄道と合弁し、横浜高島屋を開店させるなど、主要都市の要所への大型店舗の展開を成功させ、今日の地位を築いてゆく。

日本におけるショーウィンドウを早くから導入した百貨店でもあり、1969年(昭和44年)には、初の郊外店となる玉川高島屋SCを成功させ、その後の百貨店経営のモデルを打ち立てたことでも知られる。バラの花をイメージフラワーとして採用し、現在でも包装紙などに用いられている[1]

売上の多い順に横浜店、日本橋店、大阪店、京都店と、大型店が多いのが特徴だが、横浜店と大阪店はターミナルデパートであるため、通過客が多い。だが、年商は法人・個人の外商や分店の売上などを含めれば1000億以上の店舗を複数(2008年(平成20年)2月期で上記4店舗、関連会社のJR名古屋店も併せると5店舗)有している日本で唯一の百貨店である。また、営業利益率は、単独で2.74%、百貨店連結で2.74%である。

同社は、関係の深い地方百貨店と提携しているハイランドグループという百貨店共同体の中核企業である。ただし、グループ各社との間では、業務提携関係は有するものの、資本関係を持つものではない。なお、高島屋自身は、みどり会UFJグループ)の会員企業だが、ハイランドグループ自体は、UFJグループとは別である。

百貨店業界において、J.フロントリテイリング三越伊勢丹ホールディングスの発足といった再編が進む中、同社は、大手老舗百貨店では数少ない独立系百貨店である。2008年(平成20年)10月に、電鉄系百貨店の阪急百貨店阪神百貨店を傘下に持つエイチ・ツー・オー リテイリングとの間で資本・業務提携をした。その際、2011年(平成23年)4月を目処に経営統合まで行う予定であったが、2010年(平成22年)3月25日に、経営統合を撤回して業務提携にとどめることを正式発表した。

2007年(平成19年)に朝日新聞がとったアンケートで、「好きな百貨店」の第1位に選ばれた。

1959年(昭和34年)の今上天皇明仁親王)の結婚後より放送を開始した毎日放送制作の皇室報道番組「皇室アルバム」のスポンサーを1980年代から2003年(平成15年)3月まで1社で担っていた(その後は資生堂1社提供を経て、関西ローカルのスポンサーはフジッコほかから現在はヒサヤ大黒堂)。

髙島屋の店是

初代飯田新七は、経営の三箇条「正札」「正道」「平等の待遇」を定め、原則である「利他の心」を加えた、髙島屋の「店是」がある。

第一義 誠実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし
第二義 正札掛値なし
第三義 商品の良否は、明らかにこれを顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず
第四義 顧客の待遇を平等にし、いやしくも貧富貴賎に依りて差等を附すべからず

同社グループの経営理念は「いつも、人から。」、また同社の企業メッセージは「“変わらない”のに、あたらしい。」である。

沿革

直営店

テンプレート:Vertical images list 20店舗(分店6店舗含む)

近畿

  • 大阪店
    大阪市中央区難波5-1-5 南海ビルディング[6]
    南海電気鉄道難波駅併設[7]
    登記上の本店だが、テンプレート:CP932フォント島屋では本支店の呼称は用いていない。
    1898年6月1日、心斎橋筋・三ツ寺筋交差点北東角に開業。呉服店として初めてショーウインドーにマネキン人形を置き、大型野外広告を出したことで話題になった。
    1922年9月20日、長堀橋筋(堺筋)・鰻谷南通交差点南東角に移転。岡田信一郎氏設計、竹中工務店施工。鉄筋コンクリート地下1階、地上7階建て、約10,000㎡。換気・暖房装置、エレベーター(客用4基、店用4基)設置。後のアルテビル長堀橋 2007年解体済。
    1932年7月15日、南海店開店。南海難波駅大ビルディング(現在地)。久野節建築事務所設計、大林組施工 コリント様式近代名建築。地下2階、地上7階建て 約33,000㎡。日本初の冷暖房を装備した百貨店となった。開業当初は「南海タカシマヤ」と呼称。長堀への出店から僅か10年であったが、大阪市営地下鉄御堂筋線建設に伴いメインストリートが堺筋から御堂筋にシフトすることを見越し 新店移転を決断をしたもの。
    1938年、呉服店系百貨店としては異例の食堂を開設。東洋一の大食堂となる。
    1939年2月1日、長堀店を閉店し、南海店に統合。以降、南海店を大阪店と呼称。
    1966年、浪速区日本橋にあった松坂屋大阪店が天満橋へ移転したのに伴い、同ビルを入手。東別館として使用することになった。外観や階段などは1934年建設当時のままである。館内に「高島屋史料館」を併設。 
    2011年3月、全館リニューアル。既存の本館と増床分を合わせて売場面積78,000㎡の規模となり、近畿地区最大級の百貨店へと変貌することとなった。
    大阪店の売上・入店客数は、堺店・和歌山店を含めた数値が計上・発表される。
  • 堺店
    堺市堺区三国ヶ丘御幸通59 南海堺東ビル
    南海高野線堺東駅に併設。
    売場面積17,692㎡。大阪店の支店として1964年10月4日開店。
  • 京都店
    京都市下京区四条通河原町西入真町52
    阪急京都線河原町駅地下直結。
    ビルの一部を阪急阪神東宝グループが所有。売場面積61,316㎡。
    1831年、京都烏丸松原に創業。
    1912年6月1日、烏丸高辻(現京都銀行本店)に新築移転。日本初の鉄筋コンクリート造り商業施設となる。耐火耐震の設備を施し、貿易店や美術織物の陳列場をあわせもつ総合的店舗だった。
    1948年10月1日、現在地に移転[9]。正面玄関左横の土地の一部が買収できなかったため、建物の外観は凹んだ歪な形をしている。
    レストラン街「ダイニングガーデン 京回廊」は、空間全体を日本庭園に見立た回遊式で「水の庭」「石の庭」「光の庭」がある。
    京都店の売上・入店客数は、洛西店を含めた数値が計上・発表される。
  • 和歌山店
    和歌山市東蔵前丁3-6
    南海本線和歌山市駅ビル内(駅は2階)。
    売場面積4,347㎡の小型店。大阪店の支店として1973年5月16日開店。
    2014年8月末をもって閉店予定。競争激化や商圏人口の減少で、10年以上赤字が続いていた[10]

関東

トリビア
  1. 日本橋店だけはバラの紙袋ではなく、日本橋店のイラストを描いた紙袋を使用している。
  2. 正面入口向かって6機のエレベーターには『エレベーターガール』が居り、そのエレベーターを使用する際は、客がエレベーターガールに何階に行くかを伝える事になっている。エレベーターの操作は(ドアの開け閉め・何階に行くボタン操作も含めて)全てエレベーターガールが行う。また彼女らは総合案内係の役目も果たしている。
  3. 東京メトロ銀座線東西線にて、日本橋駅の車内放送アナウンスをする時に「次は日本橋、高島屋前です」とアナウンスするのは、前身・東京地下鉄道が地下鉄建設時に資金難で思う様に建設出来ず、目の前の中央通りに店舗を構えるテンプレート:CP932フォント島屋が駅の建設資金を提供した経緯があり、その時の特約で、アナウンスを行うという取り決めがされた為である。したがって、高島屋が東京メトロ(旧・帝都高速度交通営団)に対し、広告料を払って宣伝してもらっている訳ではない。
  • 新宿店
    渋谷区千駄ヶ谷五丁目24番2号 タイムズスクエアビル
    新宿駅新南口
    売場面積53,946㎡。
    1996年10月4日開店。国鉄清算事業団が貨物操車場跡地を再開発したビルで 2006年まで、レールシティ東開発との賃貸契約[14]で年間120億円を支払っていたために大幅な赤字を出していた。契約期間満了に際して一部を自社物件化したため、負担は減少した。テコ入れを図るため、100億円を投資し、2007年(平成19年)春に全面改装を行った。
    店舗はJR新宿駅新南口と直結しているものの、京王線・小田急線の改札口からは幾分離れている。2008年(平成20年)に東京メトロ副都心線新宿三丁目駅が店舗寄りの明治通り直下に開業することに伴い、地下連絡通路が設けられた。
    2005年からは、タイムズスクエア専門店の運営は東神開発となった。
  • 立川店
    立川市曙町二丁目39-3 ファーレ立川 立川TMビル
    多摩都市モノレール立川北駅
    売場面積25,160㎡。
    1960年12月24日、後の立川テンプレート:CP932フォント島屋となる㈱東京ストアを設立。
    1961年、立川ビルディング「銀座デパート」に「テンプレート:CP932フォント島屋 東京ストアー」が入居。
    1970年1月13日、(株)東京ストアを「株式会社立川テンプレート:CP932フォント島屋」と改称して設立。
    1970年6月5日、百貨店として開店。(立川駅北口 みずほ銀行立川支店の東側)
    1983年3月、大宮柏・高崎(旧社)と合併し「株式会社関東テンプレート:CP932フォント島屋」を設立。
    1990年、吸収合併。
    1995年3月1日、立川駅北口、米軍基地跡地再開発事業により現在地に移転。伊勢丹立川店が駅よりの旧店舗付近に拡張移転してきたため、売上は地区2位に転落した。
  • タカシマヤフードメゾン新横浜店
    横浜市港北区新横浜二丁目100番地45 キュービックプラザ新横浜」3-4F
    売場面積2,500㎡。
    2008年3月26日開店。キュービックプラザはJR東海が開発した複合駅ビル
    横浜店の分店で食料品販売を主体とする店舗。
  • 柏店
    千葉県柏市末広町3-16 柏高島屋ステーションモールT館
    柏駅西口
    1971年7月17日、東武鉄道との提携により「株式会社柏テンプレート:CP932フォント島屋」を設立。
    1973年11月2日開店。
    1975年3月、大宮と合併し「株式会社大宮柏テンプレート:CP932フォント島屋」を設立。
    1979年、専門店ビル「柏ローズタウン」(運営:京葉興業株式会社)開業(現.S館専門店・S館TX)。
    1983年、京葉興業を 東神開発株式会社が吸収合併。
    1983年3月、立川・高崎(旧社)と合併し「株式会社関東テンプレート:CP932フォント島屋」を設立。
    1990年、吸収合併。
    1992年4月23日、柏ローズタウンを増築し「柏高島屋ステーションモール」と改称オープン。
    2008年10月1日、新館がオープン。
    柏店の売上・入店客数は、タカシマヤフードメゾンおおたかの森店を含めた数値が計上・発表される。
    売場面積:テンプレート:CP932フォント島屋単独としてはT館18,860㎡+S館TX[15]8,650㎡の合計で27,510㎡、ステーションモール全体(S館専門店(含東急ハンズ柏店)16,300㎡、新館7,000㎡を含めた4館)で50,810㎡。
  • タカシマヤフードメゾンおおたかの森店
    千葉県流山市西初石6-185-2 流山おおたかの森S・C 
    つくばエクスプレス/東武野田線流山おおたかの森駅前 
    売場面積3,500㎡。
    2007年3月12日開店。柏店の分店で、食料品販売を主体とする店舗。流山おおたかの森 S・Cの開発運営は子会社東神開発。

連結子会社の百貨店

  • 株式会社岡山テンプレート:CP932フォント島屋(岡山店)
    岡山市北区本町6-40 日本生命岡山駅前ビル
    岡山駅東口
    売場面積19,493㎡。
    1971年4月1日、「株式会社岡山テンプレート:CP932フォント島屋」(旧社)を設立。
    1973年5月19日 、山陽新幹線岡山開業の翌年に開店。
    1995年 吸収合併。2004年 再分社化。
    中四国最大規模の地下街、岡山一番街と直結。村野藤吾設計のビル。
    開店記念オリジナルソングとして「初めまして」(歌:シモンズ)を使用。
    開店以来、強力なライバルである地元の天満屋(バスセンター併設)の後塵を拝し続けており、消費の低迷により採算が悪化。分社化され、株式の一部を両備ホールディングスが取得し、再建を目指している。両備グループは、同店開業以来、物流とレストラン営業に携わっており[16]、ポイントカード「たまルン」が利用できる[17]。たまルンは、両備グループ傘下の和歌山電鐵の猫の駅長・たまをキャラクターとしており、テンプレート:CP932フォント島屋が地元企業との共通ポイントカードを発行するのはグループとして初。

グループ企業の百貨店

テンプレート:Vertical images list 国内2社

海外3社

  • タカシマヤ・シンガポール Takashimaya Singapore Ltd
    391 Orchard Road Singapore
    1993年10月8日開業。東南アジア一のショッピング・ストリート、オーチャード通りに面する。

百貨店業以外の店舗

日本

東神開発

海外

過去に存在した店舗

  • 津山店
    岡山県津山市大手町5-10 対鶴ビル 中鉄バス大手町バス停1分
    4,500㎡の小型店。
    1991年5月27日開店。1999年3月31日閉店。
    岡山テンプレート:CP932フォント島屋の支店として 地元資本「大手町デパート」の譲渡を受けて出店したが、郊外にジャスコ津山店が出店した影響で受け売上が伸びず、不採算店リストに載り撤退した。

テンプレート:Main2

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  • ニューヨークテンプレート:CP932フォント島屋 Takashimaya New York LLC
    693 Fifth Avenue,New York,N.Y10022, U.S.A
    1993年4月23日開店。2010年6月5日閉店。
    「タカシマヤ・フィフスアベニュー」(100%出資子会社)が「フィフスビル」を所有し、「ニューヨークテンプレート:CP932フォント島屋」はその子会社でテナントとして入居・営業していた。5番街の54・55丁目間で 地下1階・地上6階、売場面積1705㎡。撤退に伴い建物は売却され、両社とも清算された。
  • パリテンプレート:CP932フォント島屋 Paris, Takashiyama (France) S.A.
    Printemps, 64 Boulevard Haussmann, 75009 Paris, FRANCE
    1973年パリ9区オースマン大通り「オ・プランタン」本店内に入居。日本人スタッフが免税手続きをすることで人気があった。2011年8月営業終了。現在、プランタンでは自社スタッフが直接日本人向けのサービスを行っている。

高島屋ストア

  • 水戸店(茨城県水戸市) - JR水戸駅北口に高島屋ローズランドとして営業していた。
  • 桐生店(群馬県桐生市本町4丁目)- 現在の美喜仁ビル。1932(昭和7)年4月高島屋十銭ストア(均一店)として桐生市本町4丁目に出店。1952(昭和27)年10月(株)丸高<のちの(株)高島屋ストア>が経営を引継ぎ再出発。1967(昭和42)年11月桐生出店35周年を期して、店舗を大幅増築、新装オープン。1982(昭和57年)撤退。1階に入店していた鮮魚店「美喜仁」が買い受け、寿司和食「美喜仁 本店」となり、現在にいたる。
  • 足利店(栃木県足利市通2丁目) - 現在のいぶきビル。
  • 所沢店(埼玉県所沢市) - 1970(昭和45年)年7月開業。その後閉店し、1981(昭和56年)1月にシズオカヤが入店するも、後に店舗ごと取り壊され、現在ではパチンコ屋になっている。
  • 岸和田店(大阪府岸和田市)- 岸和田市堺町に戦前に出店。

出店を断念した店舗

  • 新宿店(国鉄新宿駅東口ビル) - 新宿ターミナルビル(現在のルミネエスト新宿)への出店を計画したが、西武グループ等の競合他社の反撃で4社共同出資の専門店ビルになり、計画は白紙に戻った。
    この計画への執念はその後の新宿駅京王百貨店への出資(25%の持分法適用会社)やタカシマヤタイムズスクエアへと繋がった。
  • 上野店(東京都台東区) - バブル期に、JR上野駅に建設が計画されていた駅ビルに出店構想があったが、バブル崩壊や東北・上越新幹線の東京駅延伸による乗降客の減少による地元の反対などから、駅ビルの建設計画自体が立ち消えになった。のちに上野アトレがオープンしている。
  • 港北ニュータウン店(横浜市都筑区) - 横浜市営地下鉄センター南駅前に設定された共同化義務街区の入札へ応札し、第一交渉権を得た[21]。地上15階・地下4階、延べ床面積163,400m²の商業施設を構想したが、共同化義務街区の地権者組織との交渉が物別れに終わり、出店を断念した[22]。現在、センター南駅前には港北 TOKYU S.C.が出店している。
  • 相模大野店(神奈川県相模原市) - 相模大野駅西側地区第一種市街地再開発事業の核店舗として出店する予定だったが、既に伊勢丹岡田屋モアーズなどがあり、計画は白紙になった。出店予定だった土地にはbono相模大野がオープンしている。
  • 藤沢店(神奈川県藤沢市) - 1950年代から「高島屋ストア」を出店しており、同地に建設される「北口再開発ビル」に「横浜高島屋」の支店として入居することが内定していたが、隣地で営業していたさいか屋及び先行進出していた地方百貨店3社の猛反対にあい断念した。
  • 博多店(JR博多駅) - 入居していた博多井筒屋を排除して進出が内定しかけたが、5万m²を超える大型店との主張を崩さなかったため、JR九州の主張する4万m²での出店に応じた阪急百貨店に一転して敗れ、出店の機会を逸した(博多阪急2011年(平成23年)3月3日に、JR博多シティの核テナントとして開業した)。九州では、玉屋グループ(シンボルフラワーが同じ「バラ」)がハイランドグループの一員であるが、福岡県内の店舗が相次いで閉店に追い込まれたこともあり、これらに代わるハイランドグループ九州地区拠点としての出店を目指していた。このほか、福岡市天神と下川端にも出店構想があった。

クレジットカード

高島屋に関連するクレジットカードは、2013年2月の時点で以下の4種類が存在する。前3種については当該記事を参照。

大阪店の増床・改装

大阪店では、店舗東側に建っていた新事務館・事務別館・別館・南分館・南別館の後方施設を取り壊し、新館「TE館」を建設し増床した。加えて当初は従来店舗の一部のみを改装する予定[23]だったが、既存の本館と増床部を一体化し「新本館」となった。全面改装そのものの効果に加え、2009年3月に開通した阪神なんば線による波及効果[24]を狙った戦略とみられる。

投資額は340億円。従来の店舗で売り場が分散していたブランド店と洋品雑貨、レストランをそれぞれ集約・拡充し、増床前の約56,000m²に22,000m²のTE館を加えて、78,000m²の日本最大級規模となった。2006年(平成18年)秋に着工し、2009年(平成21年)秋に開業する計画であったが、2007年(平成19年)10月に全面開業を一年先送りし、2010年(平成22年)秋に変更すると発表した[25]。既存建物(本館)の改装を段階的に実施し、売り場の閉鎖など工事に伴う売り上げへの影響を最小限に抑えるのが狙いである。

増床部「TE館」の建設は2期に分けて行われ、第1期の南部分(事務所棟)が2007年(平成19年)冬に竣工し、2008年(平成20年)1月から使用を開始。第2期の部分は2009年(平成21年)秋に竣工した(南海ターミナルビル改装工事と同時プロジェクト)。

店舗の改装は3期に分けて行われ、2010年(平成22年)3月2日に、TE館・22,000m²(地下1階・地上9階)を含めた第1期分(既存売場の一部の改装を含む)が先行開業し、同年9月1日には地階や中央ゾーンの一部を改装したことによる第2期分がオープン。そして2011年(平成23年)3月3日に、既存売場の残りの部分が改装されたことで、全館がグランドオープンした(なんばCITYのリニューアルを含めた、南海難波駅のリニューアルは、2011年(平成23年)4月26日に完成)。

この増床・改装により、南海・難波駅のホームに直結した出入り口を本館3階に新設したほか、三菱東京UFJ銀行[26]が使用していた本館の地下一階から地上二階(銀行移転後の跡地は約1,300m²)の一部を売り場に変更。従来の本館とTE館の一体性を高めるほか、隣接する南海難波駅や商業施設「なんばCITY」「なんばパークス[27]との回遊性も高めた。

丸井今井支援への動き

2009年(平成21年)2月19日の各報道によれば、民事再生法を申請した札幌市の百貨店「丸井今井」の支援企業として高島屋が名乗りを上げたことが判明した[28]。理由として高島屋の店舗が北海道に存在しないことが挙げられており、元々の提携先である伊勢丹三越伊勢丹ホールディングス)の対応次第では、高島屋傘下に移行して再建を図る可能性があると見られていた(経営統合の結果直系となった札幌三越や、伊勢丹と業務提携関係にある東急百貨店札幌店との調整を迫られる事になる)。

同年4月19日には、札幌の本店の他、旭川・函館・室蘭の計4店の支援を表明した高島屋が、丸井今井の支援企業となることに合意した、との報道発表があった(三越伊勢丹HDは、札幌と函館の2店舗のみの支援を表明)。しかしその後、高島屋側と丸井今井側との間で支援額などの条件で折り合いが付かなくなり、合意が白紙撤回されたことにより、同年4月30日に三越伊勢丹HDが丸井今井を支援することに決定した。なお2011年(平成23年)現在は、三越伊勢丹HD傘下である札幌丸井三越と函館丸井今井の2社がそれぞれ運営する体制となっている。

関連会社

  • 株式会社アール・ティー・コーポレーション(東京都中央区
  • 株式会社伊予鉄高島屋松山市
  • 株式会社エー・ティ・エー(東京都中央区)
  • 株式会社グッドリブ(東京都中央区)
  • 株式会社ジェイアール東海高島屋(名古屋市中村区) - ジェイアール名古屋タカシマヤの運営会社
  • 株式会社センチュリーアンドカンパニー(東京都中央区)
  • 高島屋クレジット株式会社(東京都中央区)
  • 高島屋スペースクリエイツ株式会社(東京都中央区)
  • 株式会社高島屋友の会(東京都中央区)
  • 株式会社高島屋サービス(東京都中央区)-高島屋ビジネスサービスと高島屋ビルメンテナンスと高島屋物流と高島屋テレコムが合併して発足。
  • 高島屋保険株式会社 (東京都中央区)
  • 株式会社タップ(大阪市中央区)
  • たまがわ生活文化研究所株式会社(東京都中央区)
  • 東神開発株式会社(東京都世田谷区
  • 株式会社ファッションプラザ・サンローゼ(東京都渋谷区
  • 株式会社セレクトスクエア(東京都江東区
ほか

かつての関連会社

  • 相鉄ローゼン - 相模鉄道系列のスーパーマーケット。相模鉄道と高島屋が設立した合弁会社、株式会社相高の流れを汲んでいた。後に吸収合併される際に商号変更が行われたが、高島屋にちなんで『ローゼン』(バラ)の名がつけられた。高島屋はその後、同社の経営から手を引き、現在は相模鉄道が完全子会社化している。お中元、お歳暮の包装紙に高島屋のものを使用でき、お買物券も両社のを相互利用できる。
  • 高島屋ストア(当初は丸高ストア)- 大阪南部を中心にスーパーマーケットを数店営業していた。全店舗をイズミヤに営業譲渡。「デイリーカナート」として営業中。
  • 高島屋日発工業 - 当社及び子会社の「高島屋工作所」と日本発条トヨタ自動車によって設立された、自動車内装メーカー。高島屋がトヨタに株を売却したことから経営からは撤退し、社名も「タカニチ」に変更。現在は合併によりトヨタ紡織となっている。
  • トヨタカローラ高島屋 - 1965年(昭和40年)から1984年(昭和59年)頃まで、都内にトヨタカローラ店を展開していた。現在はトヨタカローラ東京が業務を承継。また、輸入中古車販売店も運営していたこともあった[29]
  • 生活彩家 - 株式会社ハイ・リテイル・システムが運営のコンビニエンスストア。現在はポプラ傘下。
  • 白樺自動車 - 東京都23区内でハイヤー・タクシー事業及び、来店者用送迎バスの運行を担当していたが、1995年3月に業界大手の国際自動車に売却。

提供番組

過去

ほか

この他、『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送[30])―ペアマッチでの出場者プレゼント(スポンサー各社からの提供分を除く)の発送を担当している。
また、かつては『がっちり買いまショウ』(毎日放送)にも協賛していた。
  • 番組名不詳(ラジオ番組らしい)。放送内で使われていた曲に「バラ咲くおうち」(作詞作曲:当時のプロデューサ、唄:ダークダックス)が、ソノシートで存在する。2005年(平成17年)頃、横浜高島屋広報に問い合わせしたが、古すぎてそれ以上は不詳とのこと。ジャズ風な曲で前半にコーラスがあり、後半1/2はインストルメンタルだけという構成である。唄の途中に女性の声で「そう、横浜高島屋ね」とセリフがある。

高島屋が舞台となっている作品

補足

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ギャラリー

テンプレート:Sister

関連項目

外部リンク

テンプレート:日本の大手百貨店 テンプレート:ミナミ活性化委員会

テンプレート:みどり会fr:Grands magasins du Japon#Takashimaya
  1. ただし、高島屋にとって元々バラが特別な意味を持っていたわけではない。1952年に包装紙にバラをあしらった結果、以降、バラが高島屋のシンボルフラワーとなったのである。そして、この包装紙などに使われているシンボルフラワーのバラの品種は、1980年(昭和55年)よりモダンローズが使用されていたが、2007年(平成19年)4月19日からイングリッシュローズに切り替えられた。またバラに関連することとして、高島屋のマスコットキャラクターとして「ローズちゃん」がいる。このローズちゃんは1962年に登場し、翌年にそのデザインが定まった。ただし、高島屋のマスコットキャラクターが初めて作られたのは、1959年の秋に作られた「ハッピーちゃん」であって、ローズちゃんが最初のマスコットキャラクターではない。
  2. 丸紅は 伊藤忠商事とともに住友銀行(現在の三井住友銀行)の融資系列下にあったが、高島屋飯田が戦後富士銀行の融資系列に移行したため、合併後の丸紅は芙蓉グループの中核企業となっている。百貨店のテンプレート:CP932フォント島屋は三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の「三水会」に参加していたが、上記の関係でみずほグループとも関係がある
  3. クレジットカードは同年に丸井が行っているが、百貨店と都市銀行が業務提携を行って実施したケースは国内初。
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. 南海電気鉄道が所有。
  7. 当時は南海難波駅も同じ建物内に入居していたが、戦後の改装時に難波駅自体が和歌山方にずらされ、現在は高島屋のみ。
  8. 泉北高速鉄道の子会社
  9. 戦前から当地への移転事業はあったが、基礎を打ったところで中断。鉄材は供出させられた。
  10. テンプレート:Cite news
  11. テンプレート:Cite news
  12. テンプレート:Cite press release
  13. 流通ニュース- 高島屋/150億円投じ、日本橋店再開発(2013年3月25日)2014年4月9日閲覧。
  14. テンプレート:PDFlink - 2012年7月14日閲覧
  15. S館のうち、北側の部分の1階-6階に相当する部分で、1階-4階の専門店・5階のGAP・6階の子供服フロアが該当。7・8階の東急ハンズ、屋上のアップ・ゴルフスクール柏はこれに含まない。
  16. 両備グループ代表メッセージ
  17. たまルンが利用できるお店
  18. いよてつテンプレート:CP932フォント島屋会社概要
  19. 大葉高島屋 - JapanDesk
  20. 福岡国際大学「台湾における小売業の進展と課題」
  21. 港北ニュ-タウン事業推進連絡協議会発行「港北ニュ-タウン」
  22. 「横浜流通戦争」1993年(平成5年)苅谷昭久著、オーエス出版社 ISBN 4871903613
  23. 既存の本館の他に南海ターミナルビル改装工事と耐震化の工事も兼ねた様子、段階的に耐震工事をしながらの改装を進める予定であった。
  24. 此花西淀川尼崎西宮芦屋神戸姫路方面からの顧客獲得
  25. 読売新聞(関西)2007年10月10日「高島屋 大阪店改装の工期延長」
  26. 旧UFJ店舗の難波支店。現在は東向かいにある旧東京三菱店の難波駅前支店にブランチインブランチ
  27. 「なんばパークス」の2期計画でも、高島屋は33億円を投じて、5,800m²の専門店街をつくり、2007年(平成19年)4月に開業した。
  28. 高島屋が丸井今井支援へ名乗り 読売新聞、2009年2月19日
  29. 当時のカーグラフィック誌に広告を載せていたこともあった。
  30. 朝日放送の発足時からの大株主であるが、2012年(平成24年)現在は一社提供番組は持っていない。