深セン市

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深圳市(しんせんし、Shēnzhèn)は中華人民共和国広東省に位置する副省級市

香港新界と接し、経済特区に指定されている。同国屈指の世界都市であり、金融センターとしても高い重要性を持つ。2010年の近郊を含む都市的地域の人口は1,447万人であり、世界第15位である[1]2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第73位の都市と評価されており、同国本土では北京市上海市広州市に次ぐ第4位であった[2]

住民構成の特徴としては移民都市であることがあげられる。元来は宝安県として一集落に過ぎなかったものが、改革開放経済の過程で外部より労働人口が流入して都市が形成され、広東省でありながら広東語が使われる比率が極めて低い地域となっている。

深圳の「」の字は漢音で「しん」と読むため、深圳は「しんしん」と読むのが漢音での読み方である。しかし、圳の旁(つくり)である「川」の字からの類推で「せん」と読まれるようになり、日本語ではこの都市を「しんせん」と読んでいる。

歴史

周代までの深圳は百越部族の支族とされる南越部族の居住地であった。中国の史書に登場するのは前214年秦代であり、嶺南地区に南海、桂林、象郡の三郡が設置された際に深圳は南海郡に区分され中原文化との交流が開始された。

現在の深圳市に相当する行政区分が史書に登場するのは331年宝安県設置である。東晋はこの地に6県を設置し、それを管轄する郡として東官郡を設置し現在の深圳市、東莞市及び香港がある一帯を管轄しており、群治が宝安県(現在の南頭地区)に設置された。の至徳二年(757年)、宝安県は一旦廃止され東莞県に編入された。

宋代になると旧宝安県一帯は南方海上交易の拠点となり、また製塩業や米・茶葉栽培で繁栄し、元代には真珠の産地として史書に登場している。更に明代になると東莞守御千戸所ならびに大鵬守御千戸所が設置されると共に、1573年、旧宝安県の部分に新安県が設置され華南地区の海上交通や政治の中心となっていた。

清末になると南京条約北京条約により新安県の一部であった香港島及び九龍半島をイギリスが租借するようになり新安県が分割されると同時に、境界付近の深圳墟という墟市(定期市の建つ町)が香港との国境の街として栄えるようになった。深圳墟は現在の深圳中心街の東門商業区にあたる。中華民国が成立すると1913年に新安県は宝安県に改称された。

1953年広深線の開通により、深圳地区の人口は増大し、商工業が発展していくこととなる。また同年県政府を従来の南頭より東に10キロメートルほどの深圳墟へ移動し、現在の都市構成の土台が成立している。

その後香港と隣接する地理的重要性から1979年3月、宝安県を省轄市の深圳市に昇格させ、1980年には改革開放路線を採用した鄧小平の指示により深圳経済特区が指定されると急速に発展した。なお、1981年副省級市に昇格し、1988年省級経済管理を認められている。

地理

広東省の省都・広州市からほぼ南南東に位置し、珠江デルタ地域に含まれる。九龍半島の西側付根部分に位置し、塩田港など巨大なコンテナ港湾を有する。北は広東省東莞市恵州市、南は特別行政区・香港と接する。

気候

中国の気候区分では亜熱帯海洋性気候に属する。年間平均気温は摂氏22.3度、過去最高気温は38.7度で、過去最低気温は0.2度であった。年間平均降水量は 1,924.7 ミリメートル。年を通じて主に南東の風向きである。 テンプレート:Infobox Weather

行政区画

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下の4つの新区は民政部によって承認された正式な行政区画でなく、市管轄の経済管理区である。

経済特区

深圳市のうち、羅湖区福田区南山区塩田区の4区、市内391.71平方キロメートルが長らく経済特区と指定されていたが、2010年7月1日には市内全域に拡大された。経済特区は中国人でも入境許可が必要な地域となっている。近年はほぼ自由な通行が行われてはいるが、国家行事が行われる場合などは検査站(新城検査站、南頭検査站、布吉検査站、梅林検査站、同楽検査站、白芒検査站、沙湾検査站、塩田検査站、背仔角検査站、渓沖検査站、南光検査站、福竜検査站)で、入境許可証や旅券の提示を求められることがある。

年表

  • 1979年3月5日 - 広東省恵陽地区宝安県が地級市の深圳市に昇格。(1市)
  • 1982年12月21日 - 一部が分立し、宝安県が発足。(1市1県)
  • 1983年6月6日 - 羅湖区弁事処上埗区弁事処南頭区弁事処沙頭角区弁事処を設置。(4弁事処1県)
  • 1990年1月4日 (3区1県)
    • 上埗区弁事処が区制施行し、福田区となる。
    • 羅湖区弁事処・沙頭角区弁事処が合併し、羅湖区が発足。
    • 南頭区弁事処が区制施行し、南山区となる。
  • 1992年11月11日 - 宝安県が分割され、宝安区竜崗区が発足。宝安県は消滅。(5区)
  • 1997年10月21日 - 羅湖区の一部が分立し、塩田区が発足。(6区)
  • 2007年8月19日 - 宝安区から光明新区を分割。
  • 2009年6月30日 - 竜崗区から坪山新区を分割。
  • 2011年12月30日 - 宝安区から竜華新区を分割。
  • 2011年12月30日 - 竜崗区から大鵬新区を分割。

経済

2012年の市内総生産は1兆1502億元である[3]上海市北京市広州市に次いで、中国大陸第4位である。

中国本土の大都市の中では最も所得が高い[4]1980年に経済特区に指定されて以来、莫大な外国投資を誘致し、製造業が発達しているが、近年は情報通信産業やサービス業も急速に発展している。

深圳は香港と隣接している影響で中国国内では比較的に裕福であり、一人当たりのGDPが10628ドル(約113万円)になったと発表した。中国の都市で一人当たりGDPが1万ドルを突破したのは初めて[5]。既に深圳に居住する香港人は6万1865人に上る。

すでに輸出額では香港を抜き、上海に迫る。1990年には深圳証券取引所が設置され、上海証券取引所とともに外国人が投資できる株式(B株)を扱う。香港に比べると物価が若干安いため、香港住民は隣接の羅湖区へショッピングに訪れることが多い。ただし、犯罪率が高いことでも知られる。

2006年、港湾コンテナ取扱量世界第4位と、急速に取扱量が増加している。2006年港湾コンテナ取扱量世界第1位はシンガポール港。日本一の港湾コンテナ取扱量の東京港は世界第23位。

2013年のアメリカのダウ・ジョーンズらの調査によると、世界15位の金融センターと評価されており、中国本土では上海、北京に次ぐ3位である[6]

2010年の深圳の全従業員の平均給与は年50456元(約63万円)である[7]。月当たりでは4,024元(約5万円)である。また、2012年の最低賃金は、月1,500元(約1万9000円)である[8]

交通

鉄道
高速道路
  • 広深高速道路
  • 竜大高速道路
  • 梅観高速道路
  • 恵塩高速道路
  • 深汕高速道路
  • 機荷高速道路
  • 塩壩高速道路
  • 水官高速道路
  • 清平高速道路
  • 塩排高速道路
  • 南光高速道路
  • 莞深高速道路
空港
フェリー
国境

教育

スポーツ

深圳政治特区構想

姉妹都市

有名人

ギャラリー

参照

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外部リンク

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  1. Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  2. 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  3. 2012年の中国都市の市内総生産
  4. [1]
  5. [2]
  6. Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
  7. 深圳の全従業員の平均給与は50456元
  8. 中国・深圳市が2月から最低賃金を13.6%引き上げへ