題名のない音楽会
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 テンプレート:ウィキポータルリンク 『題名のない音楽会』(だいめいのないおんがくかい、英字表記:Untitled Concert)は、1964年8月から放送されている音楽番組。
1966年3月まで東京12チャンネル(現:テレビ東京)が制作し、同年4月より現在までNETテレビ→テレビ朝日が制作している。なお、1968年10月から1969年6月までは放送を休止した。
目次
概要
クラシック音楽を中心にさまざまな分野の音楽を取り上げ、そのテーマとなる音楽の楽しみ方を解説することが番組の中心である。
東京交響楽団やシエナ・ウインド・オーケストラなどをはじめとするオーケストラや吹奏楽編成による演奏が行われるのが特徴。主に公開録画で収録され、応募により観覧が可能。ただし、単独楽器と、その演奏のみ取り上げたり、スタジオでの非公開録画のときもある。
スポンサーは前身の『ゴールデン・ポップス・コンサート』時代から一貫して、石油会社「出光興産」による一社提供[1]。
また、出光興産は当番組放送開始25周年となった1990年に若手音楽家の育成を主眼とした出光音楽賞(いでみつおんがくしょう)を制定している。
英語タイトルの"Untitled Concert"(アンタイトルド・コンサート)は、かつては番組のタイトルとして直接出てくることはなかったが、「題名のない音楽会21」では舞台の装飾などでその文字が認められることがあった。その後、2008年4月に変更されたタイトルロゴにはサブタイトルとして挿入されている(→歴史を参照)。
クラシック番組としては世界最長寿である(後述)。また、現在のテレビ朝日全体でも最長寿番組であるほか[2]、同社で最初にステレオ放送を実施した番組でもある(1978年12月24日-)。
歴史
番組初期~黛担当時
1964年8月1日、当時TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団の活動の場を与える意味で、土曜 20:30 - 21:00に東京12チャンネルの製作で『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まった。当初の司会は作曲家の黛敏郎で、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにとの趣旨でスタートした。
なお『題名のない音楽会』というネーミングは、黛が考案した『題名のないコンサート』という題名を放送作家が改題したもので、これに東京12チャンネルの編成課長・ばばこういちが「どうしても題名に『ゴールデン』という文字を入れて欲しい」と要求し上記の題名に落ち着いた[3]。ちなみに番組開始に先立ち、スポンサードを行うかどうかの判断材料にするために出光興産の社内でパイロット版を放送し社員にアンケートを取ったが、賛成はわずか17%ほどに過ぎなかったという[4]。
その後、東京12チャンネルの経営難による放送時間短縮(1966年4月より。詳しくは日本科学技術振興財団#テレビ放送事業を参照)の影響で放送継続が困難になり、スタッフは「司会者・楽団・スタッフはそのままで番組を継続できること」を条件に他局への番組の移籍を検討する。元々、出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針であり[5]、「優良スポンサーつきの番組でありぜひ放送したい」と他の在京キー局が一斉に手を挙げたが、最終的にNETテレビ(現・テレビ朝日)が当時専属の交響楽団を持たなかった事が決め手となり[6]、1966年4月1日に放送がNETに移り『題名のない音楽会』として再スタートした。なおNETテレビで放送された最初の2本分の番組は、東京12チャンネルが制作したものである。
その後、当番組は1968年9月29日で一旦終了し、1968年10月6日から1969年6月29日までは同枠で『黛敏郎の間奏曲』が放送された。1969年7月6日から再び放送を開始し、以降は週末のNETテレビ⇒テレビ朝日で特番や緊急時を除き、間断なく放送を続けている。
黛の司会担当時は主に現代音楽を取り扱い、ポップスや軽音楽が披露されるのは稀だった[7]。また後述の様に様々な企画が実施された一方で、黛の政治思想が色濃く反映されお蔵入りになるケースもあった。
黛死去から現在まで
1997年4月10日に、約33年に渡って司会を担当した黛が急逝(同月放送分までは生前に収録されたストック分を放送)。死後は永六輔が代理司会を務めた後、同年10月5日からタイトルを『新・題名のない音楽会』に変え武田鉄矢に交代。この時期から31年ぶりにアシスタントも復活し、テレビ朝日の女性アナウンサーが務めている。2000年4月2日からは『題名のない音楽会21』に変わり、羽田健太郎が7年間司会を務めオープニング・エンディングテーマも担当した。しかし2007年6月2日に羽田が逝去し、2008年3月30日まではアシスタントの久保田直子アナウンサーと週替わりのゲスト司会という体制を採った。
2008年4月6日からは『題名のない音楽会』にタイトルを戻し、指揮者で出光音楽賞受賞者の佐渡裕が司会を務めている[8]。このリニューアルに伴いロゴも変更され、1980年代から使われ続けてきた手書き調のものから、「題名のない音楽会 Untitled Concert」と書かれた紙が、新たな番組コンセプトである「ページを1枚めくる」を表現した、向かって右下の部分が折れてめくれている図案に変更されている。なお、「ページを1枚めくる」とは譜面をめくる動作に準え、番組を見た視聴者が音楽への好奇心を深めていくことを意味している。2008年10月からは司会の挨拶のあと、「みなさんと一緒に、新しいページをめくりましょう!」と掛け声をかけてから番組が開始されている。
黛の司会担当時は現代音楽を精力的に紹介したが、彼の死去後はポップス中心に移行し軽音楽を扱う機会も増えている。また佐渡が司会に就任した現在は、指揮者になってみたい一般の人を募集しオーケストラの指揮をしてもらう「振ってみまSHOW!」、青島広志が往年のクラシックの作曲家に仮装するシリーズ、高嶋ちさ子による「クレーマー・ちさ子教授シリーズ」などのコミカルな企画が定期的に行われた。元々コンサートホールでの収録が多い番組ではあるが、佐渡のスケジュールに合わせスタジオ収録や海外ロケも行われるようになった。
2009年に放送開始45周年を迎えるのを機に、2月に「世界一長寿のクラシック音楽番組」としてギネス世界記録に記録認定を申請、その結果前述の通り『黛敏郎の間奏曲』による中断期間があったことから、1969年7月以降の放送が対象となり、5月28日に「1969年7月以来継続放送されているクラシック音楽番組」として、世界記録の認定を受けた[9]。
2010年12月6日、第17回日本プロ音楽録音賞「放送メディア」放送作品部門にて、2010年5月16日に放送された「坂本龍一〜箏の魅力」(坂本龍一作曲の箏とオーケストラのための協奏曲を沢井一恵が演奏)が最優秀賞を受賞した。
2011年3月13日は東日本大震災の報道特別番組のため休止。また、4月24日・5月1日の放送では「東日本大震災復興応援〜今、音楽にできること〜」と題して復興支援の音楽コンサートの模様を放送した(BS朝日では4月30日・5月7日に放送)[10]。
歴代出演者
期間 | 司会 | アシスタント | |
---|---|---|---|
1964.8.1 | 1966.3 | 黛敏郎[11] | 九重佑三子 |
1966.4.1 | 1997.4 | (不在) | |
1997.5 | 1997.9 | 永六輔[12] | 岡田洋子 |
1997.10 | 1999.3 | 武田鉄矢[13] | 野村華苗 |
1999.4 | 2000.3 | 加羽沢美濃 | |
2000.4 | 2002.3 | 羽田健太郎[14] | 高橋真紀子 |
2002.4 | 2004.3 | 村上祐子 | |
2004.4 | 2007.3 | 大木優紀 | |
2007.4 | 2007.6.3 | 久保田直子 | |
2007.6.10 | 2008.3 | (週変わり) | |
2008.4 | 2010.3 | 佐渡裕[15] | |
2010.4 | 現在 | 本間智恵 |
- 備考
- 永は黛の逝去によりピンチヒッターとして司会を務めた(上記以外では1996年7月14日(その時黛は体調不良により出演を見合わせていた)、黛の逝去は1997年4月10日)。
- 羽田の逝去により、2008年3月30日放送分まで久保田直子アナウンサーと週変わりによるゲスト司会が代行した(羽田の逝去は2007年6月2日)。
- このほか、黛時代初期には石丸寛、小泉文夫が代理司会(企画によっては黛が出演を控える回も初期の頃はまれにあった)を担当した。特に製作放送局が移行する直前の1966年3月放送分については石丸が、また、通常の外部会場からの演奏会方式ではなく、民族音楽のルーツを探るロケーション映像をスタジオで検証する形式が採られた1972年10月28日 - 11月18日放送(この間に同番組史上に残る『これがケチャだ』が放送されている)については小泉がそれぞれ代理司会を務めた。
- アシスタントは、歌手の九重、ピアニストの加羽沢以外全てテレビ朝日アナウンサー(放送当時も含む)。
- 現在、日本以外にも活動の場を持つ佐渡のスケジュールの都合などにより、アシスタントのアナウンサーが別番組の収録等で出演できない場合は代理アシスタントを立てることがある。パリでの収録の際は現地在住の雨宮塔子(フリーアナウンサー)がアシスタントを担当した。また、佐渡本人も欠席することがあり、この場合はアシスタントが事実上の進行を行う。
司会者逝去に伴う措置
- 黛が死去した直後の放送(1997年4月13日放送分)では、CMを全てカットし、最後に出光興産の社名で「ご冥福をお祈り申し上げます」と表示した。
- 羽田が死去した際には、2007年6月10日と翌週の6月17日の2週にわたって過去7年の名演奏と思い出を綴る追悼番組を放映した。6月10日分は過去の総集編、17日分はゆかりのゲストと共に「-21」時代の歴代アシスタントが総出演して追悼コンサートが行われた。
黛敏郎時代の特徴
- 政治活動もしていた黛は、時に軍歌や憲法など政治的なテーマを度々取り上げたが、一部はNET⇒テレビ朝日側が却下し、放送される事は無かった。
- 黛は、信時潔の「海道東征」、橋本國彦の「交響曲第1番」など、戦前において戦争動員に使われた作品も、抜粋ながら取り上げている。また、フェルッチョ・ブゾーニの大曲「ピアノ協奏曲」の終楽章(合唱付き)も取り上げている。
- 1974年から1995年までのその年の最終放送には外国のオペラ歌手や、歌唱力がある財界人などを集めて、「NHK紅白歌合戦」を模倣する企画が恒例化していた(1977年・1979年は放送していない)。
- 1974年12月28日:『大紅白ものまね歌合戦』
- 1975年12月28日:『紅白碧眼歌合戦』
- 1976年12月26日:『真正小紅白歌合戦』
- 1978年12月31日:『豪華カラオケ歌合戦』
- 1980年12月28日:『花の政党対抗紅白歌合戦』
- 1981年12月27日:『花の社長対抗紅白歌合戦』
- 1982年12月26日:『評論家対抗紅白歌合戦』
- 1983年12月25日:『クラシック版紅白歌合戦』
- 1984年12月30日:『世界名料理店対抗紅白歌合戦』
- 1985年12月29日:『花の名演奏家紅白歌合戦』
- 1986年12月28日:『題名版 紅白歌合戦 悪夢編』
- 1987年12月27日:『エアライン対抗紅白歌合戦』
- 1988年12月25日:『これが紅白歌合戦だ!』
- 1989年12月31日:『紅白歌合戦よさようなら』
- 1990年12月30日:『えっ、今年も紅白歌合戦』
- 1991年12月29日:『これが紅白だった』
- 1992年12月27日:『国会議員紅白歌合戦』
- 1993年12月26日:『先生たちの紅白歌合戦?』
- 1994年12月18日:『オーケストラ紅白歌合戦』
- 1995年12月24日:『東西文士対抗紅白歌合戦』
※このほか、俳優・作家・歌手・政治家など著名人1人を招いての『わが青春の歌』シリーズ(藤山一郎・浜田幸一・金田一春彦ほか)などのシリーズものや当時の流行を取り入れた娯楽性の高い企画も多く放送されていた(例えば、1970年代後半にはNTVの『ウィークエンダー』やNHK総合の『ホントにホント!?』のパロディー版を放送したこともある)。
黛時代にゲスト出演した著名人(声楽家・作曲家は除く)
あくまでもクラシック音楽を基調とした内容ではあったが、黛の人脈の広さからおよそクラシック音楽とは関連性が薄いと思われる芸能人や大物著名人なども数多くゲスト出演していた。
- 美空ひばり - オペラ「アリア」に同番組内で挑戦した。
- 永六輔 - 常連ゲストの一人。卒業式の歌を特集した際に黛に向かって「学園長式辞」と言った。
- 植木等 - 黛が「追悼特番をお送りします」と称した内容で放送。当時(1990年代初盤)の時点では健在であった植木のひょうきんな人柄が出ている放送回であった。
- 勝新太郎
- 坂東玉三郎 - 玉三郎の好きな曲「アランフェス協奏曲」にあわせて詩を朗読後、舞踊を踊った。衣装代えに時間がかかることから、一旦収録を中断し、次の番組を収録後、踊った。一発収録が主だったが、特異な収録形態だった。
- 遠藤周作 - オペラに挑戦。
- 岡本太郎
- 三波春夫 - 一般には典型的「演歌」として扱われる歌の世界を「ブルース」という全く異なる角度から分析。
- 石津謙介
- 大屋政子
- 寺山修司
- 竹村健一
- 高英男
- 野坂昭如 - 常連ゲストの一人。
- 小沢昭一 - 常連ゲストの一人。
- 高島忠夫
- 倉本聡
- 玉置宏
- 阿久悠
- 小沢栄太郎
- 芦田伸介
- 坂上二郎
- 黒柳徹子
- 芳村真理
- 江守徹
- 桂三枝(現・六代目桂文枝)
- 大沢悠里 - 1986年9月14日に出演。当時は現役のTBSアナウンサーだった。
- 中山千夏 - 「運命」のタクトを振る。
- 桜田淳子 - フルオーケストラの演奏をバックに「気まぐれヴィーナス」を披露。
- キャロル
- 大山のぶ代
- 木の実ナナ
- 森進一
- 八代亜紀 - 彼女に関する企画は1980年代 - 1990年代にかけて多数行われた。
- タモリ - 1977年に番組内で密室芸を披露。
- おすぎ
- 舛添要一
- 山田邦子
- 本田美奈子
- 清水ミチコ - 「清水ミチコオンステージ」と題して、オーケストラをバックに物まね芸を披露。
- オユンナ
- 和田アキ子 - 男性のキーのままでカルメンの「闘牛士の歌」を熱唱し絶賛された。
- 江本孟紀 - 現役引退後、TV&ラジオの仕事では発音や発声が重要と痛感した江本は、発声を良くしようと声楽レッスンに通い始める。その成果として番組内でオペラに挑戦した「江本孟紀・オペラに挑戦」が1985年6月に放送された。
- 聖飢魔II - 1993年に「悪魔の音楽考」で出演。黛時代では異例のハードロックが取り扱われた。「悪魔組曲作品666番ニ短調」やオーケストラ融合である「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」を披露し、間のトークで悪魔音楽はどういうものであるべきか黛・デーモン小暮閣下が議論した後、単調な曲である聖飢魔IIの新曲「鬼」とクラシックの悪魔音楽メドレーを融合した「鬼+α」を披露し終了した。
- PUFFY
- 土井たか子 - 『花の政党対抗紅白歌合戦』に出演し、『マイ・ウェイ』を熱唱してトリを務めた。
- 山本リンダ
- その他
番組テーマ曲
- 題名のない音楽会21のテーマ(2000.4 - 2008.3使用)
- 作曲・編曲:羽田健太郎
- 《キャンディード》序曲(2008.4 - )
- 作曲:レナード・バーンスタイン、指揮:佐渡裕
スタッフ
- 構成:渡辺健一、新井鴎子、井上知幸
- アドバイザー:前田憲男、青島広志
- TD/SW:今川愛(以前はカメラ)
- カメラ:吉田千明
- VE:時見正和
- 音声:爲田あかね、柳原健司
- 照明:小松武久、廣瀬蓉子、湊健太郎
- PA:池戸知幸、小暮倫見(TAMCO)
- 美術:福田亜矢子
- CGデザイン:横井勝、村澤ちひろ
- 編集:丸山祐介(IMAGICA)
- MA:内野陽介
- 効果:石井佳那子(TSP)
- TK:小島美和子
- スタイリスト:加藤涼子
- 舞台監督:関尚弘
- 技術協力:VIVIA
- ディレクター:千葉昭、佐藤正樹、菊地芙美代
- プロデューサー:荒井祥之
- プロデューサー・ディレクター:鬼久保美帆
- ゼネラルプロデューサー:山下浩司(2013年11月24日 - )
- 製作著作:テレビ朝日
過去
- ゼネラルプロデューサー:清水克也、伊東寛晃
- チーフプロデューサー:三倉文宏、佐藤信也
- ディレクター:中嶋豪、梅沢勝
- 構成:藤田敏雄(のち監修)、小泉文夫(出演、代理司会も行う)
- 指揮:石丸寛(代理司会も行う)
- TD:早川憲一
- TD/SW:渡邊良平(以前はSW)
- カメラ:浅川英俊、松田祥宏
- VE:近藤佑輔
- 照明:高野安隆
- 効果:岩谷知朗(TSP)
- 美術:高見和彦
オープニング・エンディング
ネット局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送曜日・放送時間 | 放送日の遅れ |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 日曜 9:00 - 9:30 | 制作局 |
北海道 | 北海道テレビ | 同時ネット | ||
青森県 | 青森朝日放送 | |||
岩手県 | 岩手朝日テレビ | |||
宮城県 | 東日本放送 | |||
秋田県 | 秋田朝日放送 | |||
山形県 | 山形テレビ | |||
福島県 | 福島放送 | |||
新潟県 | 新潟テレビ21 | |||
長野県 | 長野朝日放送 | |||
静岡県 | 静岡朝日テレビ | |||
石川県 | 北陸朝日放送 | |||
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | ||
中京広域圏 | メ〜テレ | テレビ朝日系列 | ||
近畿広域圏 | 朝日放送 | |||
広島県 | 広島ホームテレビ | |||
山口県 | 山口朝日放送 | |||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 | |||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ | |||
福岡県 | 九州朝日放送 | |||
長崎県 | 長崎文化放送 | |||
熊本県 | 熊本朝日放送 | |||
大分県 | 大分朝日放送 | |||
鹿児島県 | 鹿児島放送 | |||
沖縄県 | 琉球朝日放送 | |||
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 土曜 5:29 - 5:59 | 6日遅れ |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 | TBS系列 | 土曜 10:45 - 11:15 | 13日遅れ |
日本全域 | BS朝日 | BSデジタルテレビ局 | 土曜 17:30 - 18:00 | 6日遅れ[16] |
宮崎県では通常は放送されないが、テレビ宮崎(フジテレビ系、NNN・ANNにも加盟)が不定期で単発放送したことがある。
11月第1日曜日に行われる「全日本大学駅伝対校選手権大会」のとき、「全国高等学校野球選手権大会」の開会式が日曜日と重なったとき(放送時間が重なるため)、年末年始(12月28日 - 1月3日)は放送を休止する。さらに夏季オリンピック、世界水泳、全米オープンゴルフがアメリカ西海岸で行われる場合などのスポーツ中継や、夏祭り特番(2014年から)のため休止になる場合もある。この場合、時差放送となる系列外の局(同時放送の福井テレビも含む)とBS朝日では当該時間帯は過去の再放送ならびに別の番組に差し替える。逆に、福井テレビでは放送日が「FNSの日」(7月下旬)、フジテレビ制作の東京マラソン中継日(2月下旬)、東海テレビ放送制作の名古屋ウィメンズマラソン中継日(3月上旬)に当たる場合はFNS系列の放送を優先する。
他に、高校野球期間中は地域によって同一時間帯に第1試合の中継を行う場合があり、当該日の放送回は番組返上(代替なし・欠番)又は時差放送(朝日放送は前者[17]。この場合でもBS朝日で視聴可能)となる。
遅れネット局でもスポンサードネットで放送されているが、BS朝日を除き出光美術館のCMは放送されない(出光美術館のCMが放送されている放送局はテレビ朝日・BS朝日(東京)、九州朝日放送・山口朝日放送(門司)のみ)
放送日時の推移
開始当初は日曜 9:00 - 9:30だった(1967年10月6日から1968年3月29日の間は金曜日23:00 - 23:30に放送されていた)。1969年10月3日からは土曜 23:00 - 23:30で、1971年4月3日からは土曜23:30 - 24:00で、1972年4月1日から土曜22:30 - 23:00で放送されていた。しかし、腸捻転の解消に伴いABCテレビの制作枠が入ってくるため、1975年4月6日に日曜 10:00 - 10:30へ移動した。その後、日曜朝10時台の朝日放送制作枠へ変更の影響で1980年以降再び日曜 9:00 - 9:30に移動し、現在に至る。
過去のネット局
- 北海道放送(TBS系列、東京12チャンネル時代から放送、北海道テレビへ移行)
- 宮城テレビ(日本テレビ系列、東日本放送へ移行)
- 東京12チャンネル(放送開始当時の制作局、テレビ朝日へ移行)
- 新潟総合テレビ(フジテレビ系列、新潟テレビ21へ移行)
- 中京テレビ(変則クロスネット解消に伴いメ〜テレへ移行)
- 毎日放送(腸捻転解消に伴い朝日放送へ移行)[18]
- 山口放送(日本テレビ系列→テレビ朝日系列および日本テレビ系列クロスネット局、東京12チャンネル時代から放送、山口朝日放送へ移行)[19]
放送日時にまつわるエピソード
- 福井テレビは1980年代から放送している。[20]長年10:30 - 11:00に放送されたが『ザ・タイムリーふくい』(当時は10:30 - 11:25。その後土曜日に移り現在も放送中)の放送開始に伴い、同時ネットに移行。[21][22]
- 番組中のコマーシャルは一切はさまない。これは協賛社・出光興産創業者の出光佐三が「芸術には中断はない」と考えていることからである。このため冒頭とエンディングのCMは流しているが、本編はCMなしで行われている。
脚注・出典
提供読み
1966年から1999年まで
- オープニング
1999年から2004年まで
2004年から2010年まで
2010年から現在
提供画面表示はかつてはタイトル入りの静止画像に組み込まれ、後にVTR編集時に挿入されていたが、現在はテレビ朝日・BS朝日の個別による送出マスターのテロップ出しとなっている(書体自体はどちらも同じだが、ホワイトバック画面での表示のため「提供」が黒文字となっている)。
関連項目
- 公開収録が行われるホール(主要なもの)
- 文京シビックホール (文京シビックセンター内)
- 東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
- 昭和女子大学人見記念講堂
- 横浜みなとみらいホール
外部リンク
- テレビ朝日・題名のない音楽会 公式ホームページ
- 出光興産による「題名のない音楽会」の紹介ページ
- 題名のない音楽会の題名 - 1964年から1997年までの放送リスト
- テレビ朝日・題名のない音楽会 メイキングインタビュー
テンプレート:Navboxes テンプレート:Navboxes テンプレート:Navboxes
テンプレート:Navboxes- ↑ スポンサー紹介ナレーションは2010年4月以降「ほっと、もっと、きっとの出光興産の提供でお送りいたします(お送りいたしました)」である。また提供クレジット表示も「ほっと安心、もっと活力、きっと満足。」のキャッチコピーが追加され、2011年4月からは「出光」のロゴ(髭文字)が表示されるようになった(以前は「出光興産がお送りします(お送りしました)」だったが、1984年頃から2004年3月までは「アポロマークの出光興産がお送りします(お送りしました)」となっていた。)。なお、2011年(平成23年)4月からの1年間は当社の創業100周年に合わせて「創業100周年の出光の提供でお送りします(お送りしました)」に変更されていた
- ↑ 2009年2月1日、開局50周年の放送回で久保田直子アナウンサーが紹介した。
- ↑ 「東京12チャンネルの挑戦」(金子明雄著、三一書房)p.158
- ↑ 「東京12チャンネルの挑戦」p.156
- ↑ 黛敏郎著「題名のない音楽会」によれば放送困難になった際、出光興産が「せっかく始まった番組を終わらせるのは嫌だ」と言ったから、と書いてある。
- ↑ 「東京12チャンネルの挑戦」p.161によれば、フジテレビは日本フィルハーモニー交響楽団、日本テレビは読売日本交響楽団との関係が強いことから共に敬遠され、またTBSは元々東京交響楽団との専属契約を切った局であり移籍は論外とされたため、NET以外に選択肢が残らなかったという。
- ↑ [1] 『題名のない音楽会』メイキングインタビューより。その為か、羽田時代は「軽音楽を扱いすぎだ」という苦情も寄せられたという。
- ↑ 同年1月27日の放送で発表。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 本来ならば出光創業100周年記念の特別企画を行う予定であったが、震災発生後に出光からの要請により復興応援企画に変更となった。
- ↑ 初代司会者
- ↑ ピンチヒッター司会者
- ↑ 二代目司会者
- ↑ 三代目司会者
- ↑ 四代目司会者
- ↑ 2005年4月6日放送開始。2007年3月28日までは水曜 21:00 - 21:30、2007年4月7日からは土曜 18:30 - 19:00に放送されていた。2013年10月から現在の放送日時に移動。スポーツ中継等により時間が変更される場合がある。また、日曜23:00 - 23:30に再放送を実施している。
- ↑ 但し当番組の直前枠と直後枠においても、朝日放送では試合開始時刻が早い場合はともに放送休止となるが、いずれも朝日放送制作のため番組返上はせず、いったん通常編成の系列局へ裏送りする。そして大会終了後朝日放送ではこの2番組について、まず放送話数の調整のため、本来の放送時間で最初に飛ばされた回を振り替え放送し、残りを飛ばされた回数分だけ本来と別の日時で振り替え放送する(両者共通 8時からのスーパーヒーロータイム第2部<現在は平成仮面ライダーシリーズ>もストーリーの性質上、同様の話数調整がなされる)。なお前者について、当日3試合しかない場合(この場合9:30中継開始となるため本番組は通常放送される)は通常時間帯での放送はなされるものの、例えば前週が4試合日で1回でも飛ばされた回があるとすれば、通常時間帯でも本来の回を放送せずに、まずは最初に飛ばされた回を振り替え放送する。
- ↑ 腸捻転解消末期は『仁鶴・たか子の夫婦往来』(関東広域圏では東京12チャンネルで放送)を放送しており、23:30 - 24:00(1時間遅れ)に放送。(なお、同番組は腸捻転解消後、TBSへ移行。MBS=土曜 23:15 - 23:45、TBS=土曜 12:00 - 12:30)
- ↑ 『黛敏郎の間奏曲』に移行した際に一時打ち切り、1974年4月に放送再開、この時点でNET(→テレビ朝日)系列局としてテレビ山口が開局していたが、フジテレビ系列局であり、さらにはJNNにも加盟している、いわばトリプルネット局だった事から、引き続き放送。なお、テレビ山口は後発UHF局で受信可能地域が山口放送より狭く、またUHFアンテナを設置していなかった人も多かった事や、スポンサーの出光興産の事業所が山口放送の本社と同じ徳山市(現:周南市)内にあり、山口放送にも大株主として出資する等関係が深かった事から、同社が先発局である山口放送での放送継続を求めたという事情もあった。なおテレビ山口は、テレビ朝日の意向により1978年9月にテレビ朝日系列から離脱(番組購入と一部イベント協力は継続)、山口放送がテレビ朝日系列に参加(1993年9月まで)している。1982年3月までは土曜23:00 - 23:30に時差ネット、1982年4月からは同時ネットとなったものの、1993年4月から『THE・サンデー』のネット開始に伴い山口朝日放送開局直前の1993年9月までは日曜日10:00 - 10:30(1時間遅れ)で放送。
- ↑ その後1989年に、福井放送がテレビ朝日系列に参加したものの、福井放送が日本テレビ系列(NNS)番組優先の番組編成やスポンサーの事情等もあり、引き続き放送。
- ↑ ただし、2008年7月まで番組開始時に画面右上に表示されていた「字幕」「ハイビジョン制作」のテロップはテレビ朝日・ANN仕様ではなく、フジテレビ・FNS仕様のものを使っているため、ネット回線からの受信でなく、事前に番組素材を受け取り自社で送出をしているものと思われる。
- ↑ なお、福井テレビで放送しているテレビ朝日系列の番組は、レギュラー編成では当番組とスーパー戦隊シリーズの2番組のみ(不定期では『水曜どうでしょうシリーズ』・『芸能人格付けチェックスペシャル』)ではあるが、当番組以外は遅れネットである(当番組は出光興産のスポンサードネット、その他は番販扱い)。