西武ドーム
西武ドーム(せいぶドーム)は、日本の埼玉県所沢市にあるドーム球場。プロ野球・埼玉西武ライオンズが本拠地としている。施設は西武鉄道が所有し、西武レクリエーションが運営管理を行っている(一部メンテナンス業務は協栄などに外部委託)。ドーム化前の呼称は西武ライオンズ球場(せいぶライオンズきゅうじょう)。西武球場という通称表記も多く使用されていた。最寄り駅の駅名は1998年の球場のドーム化以後も西武球場前駅のままである。
概要
埼玉県南西部の狭山丘陵に立地し、周囲を緑に囲まれたロケーションの中に位置している。平地にスタンドなどの構造物を建設するのではなく、丘陵地を掘り下げて構造物を設置する手法が用いられており、掘り下げ部の斜面を利用してスタンドが設けられている。掘り下げ式のため、観客は外野バックスクリーン後方の中央口から入場し、外野スタンド外周のスロープ状の通路を経由して、各座席へ誘導する動線が取られている。そのためバックネット周辺の座席へ向かうにはスタンドを概ね半周することになるが、ネット裏のボックスシートを利用する観客には専用の出入口が別途設置されている。
1997年と1998年のそれぞれオフ期間に2箇年を掛けて工事を実施し、球場全体に屋根が架設された。だが他のドーム球場と違って壁面を設けず、スタンドと屋根の間の全周をフルオープンとして通気性を高めた構造を採用しており、自然の空気を取り込めることから空調設備はない。屋根は外周部がドーナツ状の金属製で、中心部には鉄骨で組まれた総面積17,000m²に及ぶ一重のテフロン膜が張られており、自然光を取り入れることができる。現存するドーム球場の中で最も低コストで造られ、最も環境に配慮した球場として、西武グループでは「自然環境共存型スタジアム」としてPRを行っている。また狭山丘陵の豊かな自然を活かした部分などが評価され、埼玉県が優れた景観の建造物等を表彰する「彩の国景観賞」を1999年に受賞している。屋根は柱で支えられているが壁面が無いため、日本で唯一「場外ホームランの出るドーム球場」である。2001年から2007年までライオンズに所属していたアレックス・カブレラは、しばしば場外弾を打っていた。また天候条件によっては上段の客席まで雨が吹き込んでくることもある。
内陸の狭山丘陵に位置する立地条件から春先や秋口は寒く、夏場はナイトゲームでも蒸し暑い。ドーム化によって日差しが遮られ、熱気や湿気がこもりやすくなったため、この傾向はより顕著になった。春先や秋口、降雨時には防寒対策が、夏場には熱中症対策が必要になる。強制的に換気を行う設備が設けられていないことから、降水時には湿気がこもり、時にはフィールド内に霧が立ち込める。壁面がないため、デーゲーム時には日が差し込む。暑さが厳しいことから、他の全天候型のドームと異なり、夏場にはデーゲームを開催をしていない。
こうした事から場内で販売される飲食物の売り上げ傾向にも特徴があり、寒い時期には球場では定番のビールをはじめジュース、アイスクリームなど冷たい物の売り上げが落ち、逆に甘酒、おしるこ、ホットコーヒーなどの暖かい物が良く売れる。一方、蒸し暑い夏季(7月 - 8月)には球場内が蒸し風呂状態になるため、冷たい物が良く売れる。なお当地の名産である狭山茶が夏はアイスで、冬はホットで通年売られている。絣柄の着物に赤いたすき、手ぬぐいの茶摘娘の衣装による売り子販売もあってか西武ドームの名物の一つである。
その一方で分煙対策の上では問題が残っており、ドームの屋根内には消防法上の規定により喫煙所を設置できないため、内外野共に屋根に覆われない部分に喫煙所を設置している。しかし喫煙室など空調を備えた別棟は設けておらず、露天のまま灰皿を設置しただけの簡素な形式であるため、風向きによってはタバコの煙が通路やスタンドに流れ込むこともあり、完全分煙化には至っていない。
2008年度までは他の多くの球場と同じく、1塁側ベンチをホームチーム用としていたが、2009年度からは球団事務所、練習場、合宿所等の諸施設に近い3塁側をホーム用として使用している。プロ野球で3塁側をホームとするのは札幌ドーム・楽天Koboスタジアム宮城に続き3例目である。この他、西武が主催公式戦を開催する埼玉県営大宮公園野球場も3塁側をホームとしている(なお、これ以外の球場ではどちら側をホームとするかに関して明確な決まりはないが2013年シーズン終了現在で埼玉県外での主催試合において3塁側をホームベンチにした例はない)。このベンチ変更に関し、元西武の選手で球団職員の高木大成は、前述のように各種施設が3塁側寄りに集中していることや、観客の入退場時の動線を確保する点、各種店舗・設備が1塁側より充実している点などライオンズファンに対するサービス改善に加え、3塁側ベンチ裏に西武の選手用サブロッカールームを新設することが主な目的だった旨を説明している。西武のメインロッカールームはバックネット裏上段の棟内に設けられているためベンチから遠く、選手からもベンチ裏にロッカールームの設置を求める要望がかねてから寄せられていたものの、スタンドの構造上の問題で一塁側ベンチ付近はスペースの確保が困難なことから、構造的に余裕があった三塁側ベンチに各種設備を設けることになった[1]。
2005年3月1日より球場名の命名権(ネーミングライツ)を売却していたが、契約解除により2008年1月9日からは再び西武ドームを正式呼称としている(命名権に関する詳細は後述)。
2010年シーズンよりスタジアムDJがスタメン発表以後大部分のアナウンスをするようになっていたが、2013年シーズンからは、正式にビジターチームの選手紹介や注意喚起などは女性がアナウンスしている。
歴史
建設
元々は1963年に竣工した「西武園球場」[2]という小規模な球場で、アマチュア野球を中心に使用され、プロ野球の二軍戦であるイースタン・リーグの試合もごく少数行なわれていた。その後、プロ野球開催可能な貸し球場として1978年6月、改築工事に着手。その最中、国土計画がクラウンライターライオンズを買収、西武ライオンズと改称し、新球場を同球団の本拠地として使用することを決定。屋外球場西武ライオンズ球場として1979年に開業した。こけら落としとなる初めての公式戦では前内閣総理大臣で、堤義明オーナーの媒酌人でもあった福田赳夫が始球式を務めた。
なお、西武園球場時代と現在ではフィールドの向きが反対であったが、この位置関係の逆転は設計アドバイザーを務めた石山建一(当時国土計画勤務で早稲田大学野球部監督でもあった)の提言によるものであった[3]。以下は空撮写真による比較。
- 国土地理院地図・空中写真閲覧サービスによる1974年当時の西武園球場
- 国土地理院地図・空中写真閲覧サービスによる1989年当時の西武球場
ドーム化
1999年に日本で5つ目のドーム球場として生まれ変わった。既存施設に後からドームの屋根を架設するという異例の建設方式によって作られたが、西武球場自体は当初から将来を見据えドームが架けられるように設計されていた[3]。1998年に観客席部分にステンレスの金属屋根がついた第1次工事完了時に西武ドームと改称。ただしこの年はグラウンド部分がまだ屋根で覆われていなかったため、“ドーム”と名乗っていながら雨天で試合中止となったケースが何度もあった。(なおこの年の西武“ドーム”球場は、エルニーニョ現象による多雨のため、本拠地球場の雨天中止のプロ野球記録を作っている。)同年シーズン終了後、グラウンド部分の膜屋根取り付け工事が行われ、翌1999年からは完全なドームの形状となった。なお、この工事に伴いグラウンドも従来の両翼95m・中堅120mから、それぞれ100m・122mに拡張された。ドーム化後の第1号ホームランは1999年3月20日の対巨人オープン戦で巨人の松井秀喜が記録している。
これにより“雨天”による試合中止はなくなったが、台風等があった場合に選手・観客の安全面を考慮したり、交通機関の運休により試合を中止することがある。実際に2004年10月20日に予定されていた日本シリーズ・西武ライオンズ対中日ドラゴンズの第4戦が台風の影響で中止、1日順延となっている。ドーム球場での日本シリーズ試合中止はこの時が初めてだった(1998年の横浜ベイスターズとの日本シリーズでも第3戦が雨天中止で1日順延となったが、この時はまだ屋根部分の工事が完成していなかった)。
2007年 - 2008年の大改修
ドーム化こそされたものの、観客向けの設備は開場以来、抜本的な改修が行われてこなかった。掘り下げ式スタンドのために、売店やトイレなどは全てスタンド最上段の通路沿いに集中して設けられており、スタンド内部にはこうした設備が一切設置されていなかった。そのため観客が各種設備を利用するには階段の上り下りが必要で、バリアフリー対策の立ち遅れが長年指摘され続けてきた。他球団の本拠地では新球場が建設された他、既存球場でも新たな設備が相次いで整備され、それぞれ特色を活かした誘客策を導入しているのに比べ、西武球団の対応は遅れ観客動員数も伸び悩んでいた。
そんな中、西武球団はコンプライアンスや地域密着型の球団経営の理念などを掲げた「西武ライオンズ憲章」を2007年8月26日に制定。その中で球場施設について“スタジアムを快適な「感動空間」へと創造します”と定めた。これに従って施設改修に本格的に着手することが決まり、同年オフから大規模な改修工事を開始した。なお結局、同年の年間観客動員数はチーム成績の低迷もあり、12球団ワーストという結果に終わっている。改修の内容は以下の通りである(細部に関しては後述)。第一期改修後の2008年シーズンはチームの好調もあって前年比29.3%増という観客動員の大幅な伸びを記録することに成功した。
- 第1期工事
2008年3月までに、スコアボードの全面フルカラー化や新型人工芝「アストロステージMJ」への張替え、ラバーフェンスの変更が行われ、また観客が使用するトイレもリニューアルされた。音響設備も新型の中型ラインアレイスピーカーに改められ、遠くまでクリアな音が聞こえるようになっている。総工費は13億円。また第2期工事でのフィールドシート設置の準備としてファウルエリアとブルペンが改修されている。
- 第2期工事
続いて、2008年11月中旬から第2期工事に着工した。内野スタンドの一部を開削して、中段内部にレストラン、売店、トイレ、授乳室が設置された。またエレベーターを設置するなどバリアフリー化も図られている。テラスシートやフィールドシートも設置された。この第2期工事は総工費17億円をかけて行われた[4]。翌2009年3月27日に行われた巨人とのオープン戦で改修後の球場が初披露されたが、フィールドシートとテラスシートの供用は4月7日のレギュラーシーズン本拠地開幕以後となった。
この第2期工事に先行して、前述の各種設備等の増設に向けた準備工事が同年5月下旬から行われ、内野スタンドのうち1、3塁側上段部分の一部(内野指定B席約2,400席分)を閉鎖して盛り土部分を開削した。これに伴って同年5月31日のセ・パ交流戦・対中日ドラゴンズ戦から同年シーズン終了までの間、工事を実施している箇所のチケットは発券されなかった。
施設概要
球場データ
- 所在地 : 埼玉県所沢市大字上山口2135
- 収容人数 : 33,921人
- 延床面積 : 42,541m²
- 両翼 : 100 m、中堅 : 122 m(1999年 - )
- (1998年までは両翼 : 95 m、中堅 : 120 m)
- 外野フェンスの高さ : 3.2 m(中堅) - 4.37m(両翼)(1999年 - )
- グラウンド面積 : 12,631.29m²(2009年 - )
- (1998年まで13,300m²、1999年から2007年までは13,860m²、2008年は12,686m²)
- 内外野 : 全面透水性人工芝(アストロ製 アストロステージMJ、パイル長:表層30mm、下層20mm)
- なお前年に工事計画を発表した際は名称が「ネクストターフ2」であった。[1]
- スコアボード : 全面フルカラーLED(松下電器製 アストロビジョン、H 6.528 × W 49.152 m、1,952インチ相当)
フィールド
国際規格を満たす球場としては日本では一般的な両翼100m、中堅122mの大きさである。開場当初は両翼95m、中堅120mで、1979年当時としては最も広い球場であったが、1990年代には他球場が続々と国際規格を満たす様になったためにドーム化工事に伴ってスタンドが削られ、1999年から現在の大きさに拡張された。ファウルポール際のスタンドにその名残がある。
グラウンドは開場当初より全面人工芝である。当初はパイル長が短く、フィールドの色も「いかにも人工芝」という鮮やかな一面のグリーンであった。またホームベース後方には英筆記体のLionsのロゴ、一塁側ファウルゾーンにはペットマークの「レオ」が描かれ長年ファンに親しまれていた。2008年に人工芝の全面張替えを実施し、新型人工芝「アストロステージMJ」が採用された。これは長さの違う二種類の芝を組み合わせ、より景観や機能を天然芝に近づけたもので、一見天然芝のような自然な雰囲気に落ち着いた。この張替えの際、ベンチ変更が検討されていたこともあって球団ロゴとレオマークのペイントが一旦廃止されたが、このうち球団ロゴのみが2009年からホームベース後方に、ライオンズのユニフォームスポンサーであるナイキのロゴマークと横並びで復活した。三塁寄りが球団ロゴとなっていたがこれもすぐに廃止されている。2014年現在は三塁ベンチ上に球団ロゴが、外野フェンスにナイキのロゴがデザインされている。
ブルペンは外野側のファウルグラウンドの外側にあり、プレイングフィールドとはフェンスで仕切られている。かつてこのフェンスは金網のみであったが、2001年に平尾博嗣がファウルフライの処理の際に、スパイクシューズの歯を金網に引っ掛けたことが要因となって大怪我を負ったために下部にラバーが追加された。また位置も2007年以前はホーム寄りであった。
開場当初のブルペンの方式はほっともっとフィールド神戸(神戸総合運動公園野球場)や長野オリンピックスタジアム(南長野運動公園野球場)でも採用されている。スカイマークスタジアムはフィールドシートの採用の際に位置が変わったが、これに追随するような形で西武ドームも似た位置に移動している。
2008年からはファウルグラウンドが規定値の近くまで狭められ、2009年からグラウンド面積は12,631.29m²になったが、この数値は2009年現在、日本プロ野球球団の本拠地球場のなかで最小である。
フェンス
外野フェンスはラバーと金網の組み合わせで、中堅付近は高さが3.2mとなっている。両翼ファウルポールそばの座席部分に向かうにつれてラバー部分が少しずつ高くなっているが、これはフィールドの拡張でスタンドが削られた際に、その断面の高さに合わせてフェンスの高さを変えているためである。
2008年シーズン前の改修時、内外野フェンスの緩衝材にアメリカ・プロマット社製の「スカイデックス ウォールパッド」が採用された。2種類のウレタン素材(軟質ポリウレタンフォームとサーモプラスティックウレタン)を組み合わせたもので、従来のポリウレタンパッドと比較して約5倍の衝撃吸収力を確保している[5]。
スタンド
建設の頃のアメリカでは、円形兼用球場全盛で同時期の横浜スタジアムも円形となったが、この球場は従来型の扇形となっている。掘り下げ式のためにスタンド内部には施設が存在しなかったが、2009年より内部にも施設が増設されている。
外野席は殆どが人工芝による芝生席。一部長椅子によるベンチ席も存在するが数は多くない上、野球応援時は私設応援団がそこで応援を行うために座れる席はより少なくなる。ドーム化前は天然芝だったが、ドーム化以降は人工芝に変わっている。ドーム化前の天然芝による芝生席は基本的に芝生保護の関係上、公式戦開催期間中の週末・祝日・並びに夏休みのシーズンと優勝決定がかかった試合、日本シリーズのみに限定して開放していた。観客席をドーナッツ状に覆う金属屋根が完成した1998年も外野席は天然芝だったが、屋根により日陰となった観客席の日照量が著しく落ちたため芝生が枯れ果ててしまった。外野席で持参したシートをテープで固定する場合は養生テープのみ使用可能とされている。
内野席は自由席も含めほぼ全ての席にカップホルダーがついている。前述のように掘り下げ式のため、外周通路や内野スタンド中段、下段にある通路を通り試合を見ながらアクセスできる。外周通路には白線によって立見席スペースが設定されており、混雑時には専用チケットが用意されることがある。バックネット裏はスペシャルシートとされており、座席が革張りである、入り口が別に存在する、勝利時はビクトリーロードを通る選手と直接触れ合えるなど他の観客席とは一線を画している。この席は1席ではなく2席単位で販売されている。また、ベンチサイドシートとバックネット裏は年間チケットが発売されている。バックネット裏は4席単位でのボックスシートとしての販売となっている。これ以外にも特別観覧席として事前予約が必要なスイートルームがある。2009年より「ダグアウトテラス」(テラスシート)と「フィールドビューシート」(フィールドシート)が追加されている。
埼玉西武ライオンズが勝利すると選手たちはバックネット裏の「ビクトリーロード」と呼ばれる階段を通ってロッカーに引き上げる。ファンにとっては選手とふれあうチャンスの場である。しかし、ビジターチームおよび勝てなかった時のライオンズはベンチ裏にある長い階段を通らなければならない。
売店・売り子
売店は上段通路外側に点在している。バックスクリーン裏の入場口からバックネット裏に向かって順に席のグレードが上がっていく関係上、境目でチケットチェックがあるため、席種によっては利用できない売店がある(内野指定席エリアの売店は自由席券では利用できないが、内野指定席の券ならば自由席エリアの売店は利用できるなど)。2009年からは内野スタンド中段内部に「L’s Dining(エルズダイニング)」と呼ばれる売店も追加されている。同時期に一部を除いた売店で電子マネーPASMO(および相互利用可能なIC乗車カード)が利用できるようになった。また、グルメワゴンと称される移動販売車での売店が駅と球場を結ぶ通路にあるため、観客に再入場が認められている。
また、グルメワゴンを含むほぼ全ての売店で、ライオンズファンクラブ向けのポイントサービスである「Lポイント」の加算を受けることができる(売り子は非対応)。
当球場には、2008年まではクレジットカードによる支払い対応ができるビールの売り子が少数ながら存在していた。ハンディタイプのCATクレジットカード処理端末を持ち歩いており、帽子にはクレディセゾン、ビザ、マスターカードの3つのロゴが入っていた。前述の売店PASMO対応に伴い、売り子のクレジットカード対応は無くなった。
球場広告
球場開き以後、1997年までスコアボードの広告以外、フェンス・スタンドの広告は一切排除されてきた。1998年にスタンド(観客席)の屋根部分に初めて広告看板が設置され、1999年の完全ドーム化でレフト・ライトのポール際のフェンスにそれぞれ4枚ずつの広告が貼り付けられるようになった(その後増加)。
なお、通常のドーム球場の外野席に設置される巨大な広告看板は、鉛直方向に設置できないために一般的な横長サイズの看板を2009年まで設置していたが、2010年から他のドームのような巨大看板を斜め方向にした状態で掲出している。かつて左翼側スタンド上の天井に設置されていた文化放送(JOQR)の看板に打球を直撃させた選手には、同社から1000万円の賞金が出ることになっていたが、達成した選手はいなかった。
2009年には屋根部分ホームベース側の看板が、広告からライオンズが日本一(西鉄時代を含む、2008年はアジアシリーズ制覇)となったシーズンを記念するパネルに変更されている。優勝年表示は全てその年使用のユニホームの番号のロゴを使用。2012年からはその右側に稲尾和久の永久欠番「24」を顕彰するパネルを設置。
スコアボード・ビジョン
スコアボード棟は開場以来、本体はそのままで表示部分などを改修しながら使用している。1978年の起工時、最初に完成したのがスコアボード棟であり、更地にスコアボードのみ完成していた状態で新生西武ライオンズの写真撮影が行われた。
完成当初の発光部分は単色のHIDランプで左側に縦書きの選手表示、真ん中に大型映像装置(縦6.5m、横幅8.5m)、右にスコア(10回まで表示可能で、11回以降は、1 - 10回データをクリアして1回から入力)や審判団などの表示があった。大型映像装置は白黒であったが1987年にカラーのソニー製ジャンボトロンに変更され、さらに1995年には東芝ライテック製のスーパーカラービジョンに取り替えられている。
選手表示は横スクロール形式が採られていた。西武ライオンズ球場だった時代、南海ホークス(当時)・河埜敬幸の「埜」の文字データがなかったため、選手名に「河の」と表示されたことがあった。また2007年までは北海道日本ハムファイターズ(当時)・MICHEALの表記が「MICHEL」になっていた。
2007年オフから2008年春まで行われた改修工事ではスコアボード表示部が全面改修され、全面フルカラーLEDの松下電器(現:パナソニック)製アストロビジョンとなった。画面の寸法は縦6.528m、横幅49.152mという長大なもので、フルデジタルハイビジョン映像による一画面のフル表示や最大4画面の分割表示に対応している。スコア表示にはコンピューターグラフィックスを使用しており、野球の試合中は、一画面フル表示の演出を行うとき以外は3画面に分割して使用している。メンバー表は左画面に横書き表記で、スコアは右画面に表示される。中央画面は映像効果などで使用する。また、球速表示も中央画面に表示している。なおバックネット裏のサブスコアボードは改修されず従来の表示のままであった。球団が同年3月16日から1か月間にわたって一般公募でこの大型ビジョンの愛称を募集した結果、2,514通のうち最多の254件の応募があったL Vision(エルビジョン)を採用、4月26日に命名された。同年の改修ではこの他、サブスコアボード下に縦1.152m × 幅30.72mのリボン状の新型映像装置が設置された[6]。
2011年からは他の球場同様、ボールカウント表示を「SBO」から国際標準規格の「BSO」に変更することが同年3月18日に発表され、実施された。
2014年にはデザインが変更されて現在の打者の顔写真(西武のみ)を表示するようになり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。またサブスコアボードも発光部分がLEDに交換され、球速表示も追加された。
開場当初、スコアボードには球団旗などを掲げるポールがあった。ドーム化の際には屋根に干渉しないところまでポールの高さを下げ、風でなびいているような形に旗を固定して掲揚していた。スコアボードが改修された2008年からは他のドーム球場と同じバトン方式に変更されている。
バックスクリーン
バックスクリーンは5枚の横長のパネルで構成されており、その内の4枚が上部に引き上げられるようになっている(劇場などで使う緞帳とほぼ同じ)。また外野フェンスの中堅部分も左右に開くことができる。この中堅部分がフィールドへの搬入口となっており、打撃練習などに使用する機材などはこの搬入口から出し入れを行う。また両チームの用具・荷物等もここから出し入れを行っており、連戦最終日の試合終了後には、トラックが集荷のため直接フィールド内に乗り付けることもある[7]。またコンサートなどのイベント時にも、ここから機材・展示物の搬入を行っている。時間帯によってはこの搬入口後方から、場内をフィールドレベルで見渡すことができる。
2014年からはバックスクリーン部分の外野フェンスの金網部分には網目の細かいネットが張られている。因果関係は不明だが2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスのリーグ優勝を取材するテレビスタッフが、バックスクリーン前に侵入して試合進行を妨害するということがあった。
西武球場・西武ドームと花火
テンプレート:Double image aside 屋外球場の時代から当球場の恒例行事とされたのが、ホソヤエンタープライズによる花火の打ち上げである。これは西武ライオンズの選手がホームランを放つか、ホームラン時に打ち上げる花火が試合終了後も残っていた場合で試合に勝利した場合、西武第三球場のグラウンドから花火を打ち上げて祝福するというものだった。
ドーム球場となった1999年以後は、一旦この花火打ち上げが中止された。2002年 - 2009年シーズンまで西武が試合に勝利した場合、ドーム内のバックスクリーン前で紙テープとともに花火の打ち上げによる演出が行われている。以前はホームランの際も花火の打ち上げがあったが、現在のドームで試合中に花火を打ち上げるとドーム内に煙がこもり、試合進行の妨げになるため、後にゲームセット時のみになった。2010年からは経費削減の為スコアボードに花火が映し出される演出となり、実物の花火ではなくなった。
1983年6月3日、阪急ブレーブス・福本豊による盗塁世界新記録がこの球場で達成された際、西武以外の球団の選手でありながら例外的に花火を打ち上げ、快挙を祝福した。また、オールスターゲームの際は、全パの選手のホームランおよび勝利を祝って花火を打ち上げ、という形が取られた。
なお、昭和天皇の容体が急変した1988年9月下旬から同年のシーズン終了までは、全国的な祭祀を自粛する風潮の中、それに従う形で花火の打ち上げは一切中止された。
屋根
ドーム全体を覆う屋根の直径は223m。スタンド外周に設けられた24本のV字型柱によって支えられている。ドーナツ状の外周部は鉄骨組みのステンレス製で、総重量約8000tを有する。中心部は直径145m、面積17,000m²、総重量約2000tを有する膜屋根部で、鉄骨で組まれた一重のテフロン膜によって自然光を取り入れることができる構造となっている。但しデーゲームでも自然光だけでは照度が低く打球などが見えにくいため、野球開催時にはデーゲームにおいても照明を併用して照度を補っている。
天井最高部はグラウンド面から64.5mで、ドーム化後はグラウンドルールにより、天井に接触した打球はボールインプレイ(プレイ続行)の扱いとなり、落下点もしくは野手が触れた地点を基にフェアかファウルかを判定し、野手が直接捕球した場合はフライアウトとして扱われる。また打球が天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合、フェア地域の場合はエンタイトル二塁打、ファウル地域の場合はファウルボールとして扱われる。しかしアレックス・カブレラが本塁打性の天井直撃の打球を連発したことが契機となってグラウンドルールが一部変更され、外野のフェア地域の天井に当たった場合に限り「認定本塁打」が適用されることになった。その後カブレラは新ルール適用第1号となる本塁打を放ち、レフトの天井に記念フラッグが設置されている。
照明
照明は金属屋根内側の上部に、球場を一周するように取り付けられている。ただしプレイの妨げとなるホームベースとスコアボードの直上には最初から取り付けられていない。またファウルポールの延長線上も判定しやすいように照明の数が少なくなっている。全てメタルハライドランプであり、高演色性のものと高効率のものを組み合わせて使用している。現在のものは2010年にリニューアルされたもので従来より白色が強いものに変更されている。
ドーム化(1997年)以前は内野側4基、外野側2基の計6基の照明塔が設置されていた。ドーム化の際に内野側は全て撤去されたが、外野側のものは場外通路の照明用として2010年シーズン終了時まで残されていたが2010年オフに撤去された。なお不要な分のランプは取り外されていた。
場内アナウンス
2009年度までのライオンズ主催試合の場内アナウンスは女性スタッフが担当していたが、2010年からは男性スタッフを採用した。2011年~2012年は男性スタッフのみが担当。2013年から正式にビジターチームは女性スタッフが、ホームチーム(ライオンズ)はスタジアムDJのRISUKE(久米理介)が担当している。
命名権
- 命名権による名称の変遷
- インボイスSEIBUドーム(2005年3月1日 - 2006年12月31日)
- グッドウィルドーム(2007年1月1日 - 2008年1月8日)
インボイスSEIBUドーム
西武グループは2004年、経営改善策の一環として西武ドームの施設名称と二軍のチーム名称について命名権(ネーミングライツ)を売却することを決定。取得に名乗りを上げたのは、インターネット関連業のインボイス(以下「インボイス社」)。まず同年12月29日に二軍の命名権を3年契約で取得することに合意し、翌2005年シーズンから球団名を「インボイス」とすることを発表、1月25日にプロ野球実行委員会で承認された。インボイス社は同日、西武ドームの命名権についても2005年シーズンからの2年契約で合意。3月1日から名称を「インボイスSEIBUドーム」に改称した。
インボイス社は当初「ドーム名を“インボイスドーム”としたい」としていたが、西武側は「“西武”の文字を入れてほしい」としてこれを却下。また、ドームの最寄り駅である西武狭山線・山口線の西武球場前駅についても「“インボイスSEIBUドーム前駅”に改称してほしい」と申し入れたが、鉄道駅の名称変更には様々な事務手続きなどを行わねばならず経費も掛かるなど煩雑なため、これも受け入れられなかった。
改称を機に、ドーム内の各所や球場スタッフの制服などに「INVOICE」の社名ロゴが入れられた。またインボイス社は株主優待策のひとつに、西武ライオンズのパ・リーグ主催試合のチケット引換券を設けるなどした。また、プロ野球の公式記録や各種報道機関に於いては「インボイスドーム」や「インボイス西武」などと略する形で称されていた。
インボイス社は当初、これらの命名権について10年以上の長期契約を望んでおり、2007年以降も命名権を取得したいとして、契約が切れる2006年シーズン中からその旨を西武側に申し入れていたが、西武側は「契約満了で、2007年以降は更新しない」とインボイス社側に通告。結局2006年9月8日、インボイス社は契約更新を断念。二軍の契約も1年を残し解除する事を決定し、これら「インボイス」を冠する名称は同年いっぱいで使用を終了することになった。但し、西武球場前駅の構内案内図では2011年現在も「インボイスSEIBUドーム」と表記されている。
グッドウィルドーム
西武はインボイス社に代わる命名権の新たな契約先について検討を進めてきたが、2006年12月2日、人材派遣会社のグッドウィル・グループと2007年1月1日からの5年総額25億円(金額は推定)契約に合意。年末までに隣接する西武鉄道の西武球場前駅の誘導看板やドーム看板など変更の準備を進めて、同日から「インボイスSEIBUドーム」を「グッドウィルドーム」に、二軍を「インボイス」から「グッドウィル」に改称した。
これに伴い、西武ライオンズ球場開場以来、初めて球場名から「西武」の名前が消えた。日本放送協会(NHK)では「グッドウィル西武ドーム」と一時呼称されたことがある。
ところが、2007年12月、グッドウィルが違法な派遣業務を行っていたことが発覚、厚生労働省から事業停止命令を受けた。このため、同社は西武球団に命名権の契約解除を申し入れ、同球場を所有する西武鉄道とライオンズ球団側もそれを受け入れ、わずか1年で球場と二軍の名称から「グッドウィル」が消えることとなり、2008年1月9日付で球場名が「西武ドーム」に戻り、二軍チーム名も一軍と同じ「埼玉西武ライオンズ」に改められた。
その後
グッドウィル・グループとの契約解除を受け、西武側では命名権の新規契約については2008年シーズンの導入を見送る方針を決定。以降については「慎重に検討する」と発表した。西武・後藤高志オーナーは、命名権導入再開について「契約先のイメージが球団にかかわってくるリスクが生じる」として慎重な姿勢であり、2009年シーズン以後も再開は見送られている。
周辺の付属施設
設計アドバイザー石山建一の提言により、現存する日本プロ野球の本拠地野球場としては唯一、周辺にサブグラウンド、屋内練習場、合宿所といった施設が揃っている[3][8]。
- 球団事務所
- ドーム左中間場外、獅子ビル1階にある。グッズショップ「ライオンズストア フラッグス」が同フロアにある。2階には球団が記者会見を開く際などに使用するプレスルームとレストラン「DOME RESTAURANT CANTON TABLE」(ドームレストラン カントン テーブル)があり、同フロアからドーム左翼側の通路に直接出ることができる。3階には宴会場が設けられており、西武ドームで優勝を決定した際にはビール掛けの会場として使用される。なお獅子ビルの南側は狭山スキー場で、両施設は一体化している。
- 西武第二球場
- 西武の二軍が本拠地としている他、一軍もドームでの試合前等に練習を行うことがある。
- 屋内練習場
- 若獅子寮(西武ライオンズ合宿所)
- 西武ドームテニスコート
- 西武ドームサッカーパ-ク(元西武第三球場)
- ドームで試合やイベントがある時は駐車場(2009年現在はC駐車場)として利用されている。
現存しない施設・店舗
- カレーショップ「シエール」
- 1986年より長らく球団事務所1階で営業していたが、2010年6月15日営業終了。
- 中華料理店「獅子」西武ドーム店
- 球場オープンより長らく球団事務所2階で営業していたが、2012年5月21日より諸般の事情により営業を休止、同年9月14日には正式に営業を終了した。
なお、終了の翌日(2012年9月15日)からは上記の通りレストラン「DOME RESTAURANT CANTON TABLE」が営業を開始している。
- 球場オープンより長らく球団事務所2階で営業していたが、2012年5月21日より諸般の事情により営業を休止、同年9月14日には正式に営業を終了した。
プロ野球以外での使用
アマチュア野球
西武ドームではアマチュア野球の公式戦も行われている。
社会人野球では、毎年3月中旬に行われるJABA東京スポニチ大会の開催球場のひとつとなる。また全日本クラブ野球選手権大会の本大会が、1979年から1995年までは西武球場・西武第三球場で毎年、以降は隔年で行われている。都市対抗野球の予選が行われることもある。草野球では、ストロングリーグにより、2004年から全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップの全国大会に使用されている。
高校野球では、1981年から1991年までは全国高等学校野球選手権大会の埼玉大会の開催球場の一つとして使用された。これは、埼玉大会の参加校が急増していたことが背景にあり、埼玉県内の高校野球でメイン球場として使用する大宮市(現:さいたま市大宮区)の埼玉県営大宮球場では、当時フィールドが狭隘の上に老朽化していたため開会式を行うのが困難になったのがその理由である。初年度の1981年、西武球場では開会式とその直後の試合のみが行われ、翌1982年からは準々決勝(1984年からは準決勝)以降の試合も西武球場で行われた。 県営大宮球場が1992年に改修されてからは、西武球場・西武ドームが高校野球公式戦で使用されたケースはない。
コンサート
1986年から2005年まで、毎年夏に行われていた渡辺美里のスタジアムライブが良く知られる。ライブ開催当日には西武鉄道による特別電車も運行されたほどである。
- 「ドームツアー」としての西武ドーム
関東地方では近くに東京ドームがあることから「ドームツアー」には組み込まれないことがほとんどであるが、最近の傾向では東京ドームを非開催としたうえで、西武ドームを使用し「ドームツアー」に組み込まれる例がある。また、東京ドームの追加公演に急遽組み込まれ、かつ東京ドームが空いていない場合の代理開催地として西武ドームを使用する場合もある。
コンサートを開催した主なアーティスト(2009年以降)
- 水樹奈々(2009年夏、2010年夏、2013年夏)
- AKB48(2011年夏)
- Mr.Children(2012年春)
- EXILE(2012年春、2014年秋)
- ももいろクローバーZ(2012年夏、2013年春・冬)
- BIGBANG(2013年春・秋)
高校生クイズ
日本テレビ系『全国高等学校クイズ選手権』(高校生クイズ)の関東大会は、1984年の第2回大会から西武ライオンズ球場で開催されてきた。西武ドームとなっても、一部の年を除き、2010年の第30回大会までは関東大会の会場として使用された。
ゴルフ
1996年にフジテレビ系列で放送した毎年恒例の真夏の祭典・FNSの日で、『FNSの日・10周年記念 1億2500万人の超夢リンピック』のゴルフ予選会として開催した「ゴルフ・池ポチャアプローチ選手権」の会場として使用された。
格闘技
その他のイベント
- 国際バラとガーデニングショウ(1999年 - )(これに伴い、ライオンズはゴールデンウィーク明けに毎年2週間ほどの遠征を行っている)
- スーパードッグカーニバル(1999年 - )
- フリーマーケット in 西武ドーム(2001年 - )
その他、CMやテレビ番組の撮影などでもよく使われている。
交通機関
- 西武狭山線・山口線(レオライナー) 西武球場前駅下車すぐ
- 試合当日は池袋線池袋駅、地下鉄有楽町線新木場駅、みなとみらい線元町・中華街駅(東急東横線横浜駅および地下鉄副都心線渋谷駅経由)からのもの[9]と、新宿線西武新宿駅、本川越駅から池袋線経由で狭山線西武球場前駅まで臨時直通列車が運行される。また、池袋駅・所沢駅・西武球場前駅のみに停車する臨時特急「スタジアムエクスプレス(ドーム)」が運転される。2008年の副都心線開通に伴い渋谷駅、2013年の副都心線と東横線の相互直通運転開始に伴い元町・中華街駅との直通が実現し、みなとみらい地区および横浜駅や新横浜駅(横浜線菊名駅乗り換え)からの球場アクセスが向上した。また横浜スタジアムの最寄り駅の1つである日本大通り駅とも繋がったことから、2013年には埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズのロゴがラッピングされた電車が運行された。
- シーズンオフに球団が開催するファン感謝デーの連動企画の一つとして、文化放送が後援する「西武ライオンズファン感謝の集いぼくらと一緒に楽しもう」を西武池袋線池袋駅から、狭山線経由で西武球場前駅まで臨時列車が運行される場合がある。
- 野球以外のイベントにおいても「ローズエクスプレス」(国際バラとガーデニングショウ)、「MISATO TRAIN」(渡辺美里コンサート、2005年まで)などの臨時特急列車が運転されることがある。
- さらに、1996年以降、毎年8月下旬の休日には「秩父市民応援デー」と題し、西武4000系電車を使用した秩父市の西武ライオンズファンが乗車する「西武ライオンズ秩父応援団 CHICHIBU DREAM EXPRESS」と書かれた特製ヘッドマークつきの臨時列車も西武秩父駅 - 西武球場前駅間で2008年まで12年間往復運転されていたが(ただし、接続駅の西所沢駅で線形上、西武球場前駅に向かうことができないため、西所沢駅の次の駅の方向転換ができる所沢駅まで行った後、再び西所沢駅に戻り西武球場前駅に向かう)、2009年は西武線沿線となる秩父市だけではなく埼玉県全体に認知度を上げたい西武が「秩父市民応援デー」自体を廃止、この列車の運転もなくなってしまった。その特製ヘッドマークは現在でも西武鉄道が保管しており、鉄道イベントでは見ることが出来る場合もある。
- そのほかに西武西武園線の西武園駅、西武多摩湖線・西武山口線(レオライナー)の西武遊園地駅からもアクセスできるが、徒歩での利用の場合は西武球場前駅のほうが近い。
- 多摩都市モノレール線上北台駅より試合開催日のみ臨時バスあり。試合終了後のバスはすぐになくなってしまう(西武バス)。なお、このバスは多摩都市モノレールの開通前は東日本旅客鉄道(JR東日本)立川駅から運行されていた。
- 大宮駅西口から西武バスの会員募集バスも試合当日に運行される。
- 東京都内から車の場合、青梅街道(東京都道5号新宿青梅線)芋窪交差点から北方2km。
- 埼玉県内から車の場合、圏央道入間インターチェンジから東方6km。
- 有料駐車場はA、B、C、Dの4つがあるが、プロ野球開催時はA駐車場は球団及び報道関係者専用となっており一般利用不可。B駐車場はボックスシート購入者の特典駐車場となっているため、そのためのスペースを予め確保した状態で開放される。そのほか民間の駐車場もある。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本プロ野球の本拠地野球場 テンプレート:埼玉西武ライオンズの本拠地
テンプレート:西武グループ- ↑ 高木が「埼玉西武ライオンズTV」(J:COMコミュニティーチャンネル)出演の際に説明した旨を要約。
- ↑ 出典・「ライオンズ60年史」 ベースボール・マガジン社
- ↑ 3.0 3.1 3.2 静中・静高関東同窓会・お知らせ 15.第30回関東同窓会総会・懇親会開催 (2004.7.9)
- ↑ 西武ドーム 第2期改修工事について
- ↑ 衝撃吸収材Skydexウォールパッド(三英)
- ↑ 西武ドーム 第1期改修工事完了について
- ↑ 2005年シーズン後半、体調を崩していたオリックス・バファローズ監督の仰木彬はダッグアウト裏の階段を自力で登ることができなくなり、やむを得ず中堅の搬入口から徒歩とタクシーで出入りしていたという。
- ↑ かつて存在した阪急西宮スタジアム、藤井寺球場にも合宿所・屋内練習場が併設されており、西宮にはサブグラウンドもあった
- ↑ 地下鉄直通列車は普段清瀬行きなど途中駅止まりのものが延長運転する形をとっている。復路も同様。