汁粉
汁粉(しるこ)は、小豆などを砂糖で甘く煮た小豆汁の中に、餅や白玉団子、栗の甘露煮などを入れた食べ物。「おしるこ」とも呼ばれる。関東では漉(こ)し餡を用いたものもつぶし餡を用いたものも汁粉と呼ばれるが、関西では漉(こ)し餡を用いたもの汁粉と呼び、つぶし餡を用いたものはぜんざいと呼び分けるのが通例である[1][2]。
種類
汁粉は餡(あん)の違いによって区別される場合が多い。
- 御前汁粉 – 漉(こ)し餡を用いている。
- 田舎汁粉 – つぶし餡を用いている。
汁粉には種類も多く、こうした基本的なものの他に以下のような物がある。
その他現代の、特に冬場においては、従来からの懐中汁粉のようなもので、カップラーメンのようにカップにお湯を注いで作る「即席汁粉」や、缶入りでジュースのようにそのまま飲むことができる「汁粉ドリンク」・「おしるこ缶」などの販売も見られる。
地域色
地方料理の一環として、小豆以外に白餡、栗、かぼちゃ、百合根、枝豆(ずんだ)を用いて作る場合もある
- 小豆ぼうとう - 山梨県で、餅の代わりにほうとうを入れたもの。
- そばがき汁粉 - 長野県松本市周辺地域で、餅の代わりに蕎麦がきを入れたもの。
- かぼちゃ汁粉 - 米の収穫が困難だった青森や北海道十勝地方では、餅の代用としてかぼちゃ・かぼちゃだんごを入れたものがある。福井県では「冬至南瓜」と呼ばれる同様の料理がある。
- 高知県とその周辺でよく作られる皿鉢料理では、甘味の料理として小倉汁粉が鉢に盛って出され、ぜんざいと称される。作り方はほぼ普通の小倉汁粉と同じだが、餅や白玉団子の代わりに、鳴門巻きや蒲鉾が用いられ、場合によってはホウボウなどの茹でた魚が丸ごと入れられる事もある。
歴史
江戸時代の寛永12年(1635年)の『料理物語』の後段(宴会の後に出される間食で、うどんやそうめん、饅頭などが含まれる)の欄に、「すすりだんご」と称される物が載っている。これはもち米6に対しうるち米4で作った団子を小豆の粉の汁で煮込み、塩味を付けたものであり、その上から白砂糖をかけた一種の汁物である。当初は甘い物ではなく、塩味で調理されており、酒の肴として用いられる事もあった。鳥取県・島根県東部での雑煮における汁粉も、元来はこうした塩味の料理であったと考えられる。餡餅やおはぎなどとの関連性もあるものと見られる。
現在は甘みを増して喫茶店や甘味屋・茶店などで供されており、大阪の「夫婦善哉」(白玉団子の善哉(田舎汁粉)が2つの小さな御椀に入れられて供される)、仙台のずんだ汁粉など地域色の出た汁粉が出されている。
特に甘味屋や茶店においては、口直しや甘味を際立たせるものとして、塩昆布や漬物など塩味の濃い食品を添えて出す事が多い。また、長崎の卓袱料理においては「梅椀」という名で御前汁粉がデザートとして出される。梅椀という名前は梅の花の塩漬けを汁粉に浮かべて出したからともいわれる。砂糖が貴重品だった時代の名残ともいわれるが、古い時代の卓袱料理の献立では汁粉以外の菓子類等が出されており、確証は無い。
塩(塩化ナトリウム)を添えることで、小腸で分解されたグルコースとナトリウムとの共輸送によりグルコースの速やかな体内への吸収を助ける[3]。
「すすりだんご」と称するものは現在でも大分県等に残っており、トウモロコシ団子の汁粉を指したり、団子を野菜と煮たすいとんのような料理を指す事もある。
芥川龍之介は、昭和2年の5月に「しるこ」について
- 「しるこ」は西洋料理や支那料理と一しよに東京の「しるこ」を第一としてゐる。
と注目している料理である事を書き、また椀のしるこを啜る事なども書いている。この事について、久保田万太郎の「甘い物の話」でも触れており、久保田万太郎は「まず一気に汁粉を流し込む」と食べ方の付いて書いている。 芥川龍之介は久保田万太郎と共に、汁粉は「食う物か飲むものか」熱心に話をしていた(「味の自由」より)。小島政二郎の「食いしん坊」でも同様であり、昔から話の話題となる料理であった。
行事
鏡開きにおいては、一般家庭でも鏡餅を用いて汁粉や善哉を作る。正月の代表的な食べ物の一つ。島根県や鳥取県においては雑煮として正月に汁粉を食べる風習がある。また香川県など四国の一部では雑煮に餡入りの餅が使用される。
他の料理
汁気のない餡を餅や栗などにかけたものを、関東ではぜんざいと呼び、関西では亀山と呼ぶ。
汁粉に類似した食品は中国やベトナムにもあり、栗やハスの実、タピオカ団子を中に入れたり、黒ゴマやココナッツミルクの餡を用いたデザートがあるが、日本の汁粉との関連性はよく分かっていない。
脚注
- ↑ ぜんざいとおしるこの違い (食育大事典)
- ↑ 関西のぜんざい、関東ではおしるこ 呼び方なぜ違う (日本経済新聞 2013/11/17)
- ↑ シンポート