福塩線
福塩線(ふくえんせん)は、広島県福山市の福山駅から広島県三次市の塩町駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
目次
路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):78.0km
- 軌間:1067mm
- 駅数:27(起終点駅含む)
- 福塩線所属駅に限定した場合、山陽本線所属の福山駅、芸備線所属の塩町駅[1]が除外され、25駅になる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:福山駅 - 府中駅間(直流1500V)
- 非電化区間:府中駅 - 塩町駅間
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 最高速度:85km/h
- 運転指令所:岡山輸送指令所府中派出
福山駅 - 府中駅間は岡山支社せとうち地域鉄道部、府中駅 - 塩町駅間は広島支社三次鉄道部の管轄である(境界駅である府中駅は岡山支社の管轄であり、府中駅上り場内信号機が支社境界となっている)。日本国有鉄道(国鉄)時代は塩町駅構内を含む全線が岡山鉄道管理局の管轄だった。なお、岡山支社管内・広島支社管内とも、独自に設定されているラインカラーは桜桃色(テンプレート:Color)。
福山駅 - 神辺駅間はIC乗車カード「ICOCA」の岡山・広島エリアに含まれている。
沿線概況
|} 福山駅では福山城に隣接した7・8番のりばから発車している。わずかに山陽新幹線・山陽本線と併走したのち、高架から地上に降りて進路を右に変えて北上を始める。線路の両側に広がる住宅街の途中に備後本庄駅があり、芦田川の左岸を走行する。横尾駅を出ると、芦田川と分かれて神辺駅に至る。神辺駅では井原鉄道井原線が分岐しているが、高屋川を渡った先まで単線並列の線路が続く。井原鉄道が分かれていくと、まもなく国道486号をくぐって左にカーブして湯田村駅につく。湯田村駅から進路を西に変えて、道上駅・万能倉駅・駅家駅・近田駅と住宅地がまばらに建っている田畑の中を進んでいく。近田駅付近から再び芦田川の左岸を走行する。次第に両側から山が迫るようになるが戸手駅付近から住宅地が再び目立つようになる。上戸手駅を過ぎて新市駅から府中市に入り、高木駅・鵜飼駅を過ぎると、運転系統上の境界駅である府中駅に着く。
府中駅までは電化されているが、府中駅からは電化されておらず、気動車によって運転されている。府中駅を出ると芦田川を渡って右岸に移り、川に沿いながら山間部に入っていく。山間部の線形条件が低く、曲線半径も小さく速度を落として運転せざるを得ない場所や、雨規制によって徐行運転を行う区間も多い。下川辺駅から再び北上を始め、中畑駅を過ぎて左へカーブしてトンネルをくぐると、河佐駅に着く。山が開けて住宅地が目立ち、府中方面からの列車が折り返す時代もあったが、現在その列車は設定されていない。
河佐駅を発車し、諸毛トンネルを抜けると右手にはキャンプ場がある。その先で進路を右に変え、芦田川を渡って全長 6,123m の八田原トンネルを抜けると、すぐに備後三川駅に到着する。河佐駅 - 備後三川駅間のほとんどは八田原ダムの建設によって線路が新線に切り替えられた。旧線の一部はキャンプ場の遊歩道などに転用されており、若谷山トンネルの入り口まで行くことができる。旧線には八田原駅があったが、新線への切り替えにより廃止され、現在はダム湖の湖底に沈んでいる。備後三川駅から国道432号に沿い、備後矢野駅を過ぎると上下駅に到着する。かつての上下町の中心にあり、江戸時代は石見銀山から瀬戸内海へ抜ける銀山街道の宿場町の一つであった。次の甲奴駅もかつての甲奴町の玄関口として位置づけられていた。
山間にある梶田駅・備後安田駅を過ぎて、吉舎駅から国道184号に沿いながら三良坂駅を過ぎ、右手から芸備線が寄ってくると塩町駅に到着する。
- Fukuen.seigen.JPG
15km/h以下の速度制限がかけられた箇所(塩町駅 - 三良坂駅間)
- Geibi-Fukuen junction.jpg
芸備線との分岐点。右が福塩線。
運行形態
運転系統は電化区間の福山駅 - 府中駅間と非電化区間の府中駅 - 塩町駅間の接続点である府中駅で完全に分断されている。そのため、電化区間は福塩南線、非電化区間は福塩北線と通称される。なお、国鉄時代の1986年10月31日までは福山駅から芸備線三次駅まで直通する定期列車が2往復設定されていた[2]ほか、1991年まで芸備線・木次線経由三井野原駅行きのスキー列車の設定があった。一時期、快速列車の設定があったが施設上の問題で効果が十分でなく廃止され、普通列車のみが運転されている。朝夕は4両編成で車掌が乗務し、日中はすべての列車が2両編成のワンマン運転されている。優等列車が設定されたことは一度もない。
福山駅 - 府中駅間
福山駅 - 府中駅間の運転が基本であり、1時間あたり1 - 2本の列車が設定されているが、万能倉駅折り返しの列車も設定されている。2008年3月改正から、山陽本線岡山駅まで直通する列車も設定されている[3]。
また、日付を越えて運行する列車は設定されていなかったが、2003年10月1日のダイヤ改正で最終列車の繰り下げにより設定されている。
福山駅 - 神辺駅間では井原鉄道井原線に直通する列車が3往復運転されている。
府中駅 - 塩町駅間
この区間のすべての列車が塩町駅を越えて芸備線三次駅まで乗り入れている。また、芸備線からの直通列車として1日2本のみ広島発府中行きがある。運転本数は朝夕の6往復のみで6時間以上運転のない時間帯がある。以前は日中の1往復は奇数月の第3水曜日に運休しバス代行運転を行っていたが、2012年3月17日のダイヤ改正でこの時間帯に列車の設定そのものが沿線高校などのテスト日程に合わせた指定日運行化されている。
以前は吉舎駅・河佐駅折り返しの区間運行があり、21時台に三次駅から上下駅までの列車があったが、2002年3月23日のダイヤ改正ですべて廃止された。
トイレが設置されていない列車があったが、2007年に全列車に設置されている。
使用車両
現在
福山駅 - 府中駅間の電化区間はほとんどの列車に電車が使用されている。主に岡山電車区の105系および115系が使われている。2006年3月のダイヤ改正以降は、105系の一部運用に同区の103系が運用されることもあった。このほか、福山駅 - 神辺駅間では井原鉄道の気動車であるIRT355形も運用されている。
府中駅 - 塩町駅間の非電化区間では気動車が使用されており、全列車が広島運転所のキハ120形である。
- Mc105-29.jpg
電化区間で使用される105系
- Kiha120-fukuen-line.jpg
非電化区間で使用されるキハ120形
過去
- 蒸気機関車
- 1933年11月福塩北線が開通すると広島機関区備後十日市分庫が設置され機関車は230形が使用された。そして1935年11月上下駅まで延伸すると230形と1000形が使用された。また福塩南線は1935年12月の改軌時に貨物列車のために糸崎区の1150形が使用された。1938年7月の福塩線全通により備後十日市区のC56形及び8620形が使用されるようになった。しかしC56形は1941年に軍事供出によりいなくなりかわりに8620形が増備され蒸気機関車全廃まで使用された。1961年6月1日より旅客車はディーゼル化され貨物列車のみとなり、その貨物列車も1970年9月30日限りでDE10形ディーゼル機関車に置き換えられた。
- 電化区間
- 非電化区間
- 国有化前(両備軽便鉄道・両備鉄道時代)
歴史
改正鉄道敷設法別表第91号に掲げる予定線の一部として両備鉄道を買収、国有化し、延長したものである。国有鉄道が保有した唯一の電気運転を実施する軽便鉄道(特殊狭軌線)であった。列車は電気機関車による牽引でのみ運行され、電車は製作されなかった。国有化後に改軌・改築され、現在の姿となった。
1989年には、芦田川に八田原ダム(1998年竣工)を建設するために、河佐駅 - 備後三川駅間が八田原トンネル(全長6,123m)経由の新線に付け替えられ、同区間の旧線上にあった八田原駅が廃止された。
両備軽便鉄道→福塩南線
- 1911年(明治44年)
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)5月4日:吉津停留場が開業[9]。
- 1920年(大正9年)6月29日:道上停留場が道上駅に変更。
- 1922年(大正11年)4月9日:両備軽便鉄道高屋線として神辺駅 - 高屋駅間が開業[10]。
- 1923年(大正12年)1月12日:鵜飼停留場が鵜飼駅に変更。
- 1925年(大正14年)1月12日:戸手停留場が戸手駅に変更。
- 1926年(大正15年)6月26日:両備軽便鉄道が両備鉄道に改称。
- 1927年(昭和2年)6月25日:両備福山駅 - 府中町駅間電化(直流750V)。
- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)12月14日:横尾駅 - 府中町駅間を軌間1067mmに改軌 (-0.2km)。福山駅 - 横尾駅間を新線に付け替え (+1.8km)、既設の福山駅に乗り入れ。両備福山駅・胡町駅・吉津駅が廃止[13]。
福塩北線
- 1933年(昭和8年)11月15日:福塩北線 田幸駅(現在の塩町駅) - 吉舎駅間 (10.7km) が開業。三良坂駅・吉舎駅が開業。
- 1934年(昭和9年)1月1日:田幸駅が塩町駅に改称。
- 1935年(昭和10年)11月15日:吉舎駅 - 上下駅間 (17.0km) が延伸開業。備後安田駅・甲奴駅・上下駅が開業。
全通以後
- 1938年(昭和13年)7月28日:府中町駅 - 上下駅間 (28.1km) が延伸開業し全通。福塩南線が新規開業区間と福塩北線(塩町駅 - 上下駅間)を編入し福塩線に改称。下川辺駅・河佐駅・備後三川駅・備後矢野駅が開業。
- 1940年(昭和15年)2月1日:備後本庄駅が開業。
- 1954年(昭和29年)4月10日:府中町駅 - 下川辺駅間が電化。
- 1956年(昭和31年)12月20日:府中町駅が府中駅に改称。
- 1961年(昭和36年)8月13日:福山駅 - 下川辺駅間の架線電圧が直流1500Vに昇圧。
- 1962年(昭和37年)4月1日:府中駅 - 下川辺駅間の電化が廃止。
- 1963年(昭和38年)10月1日:中畑駅・八田原駅・梶田駅が開業。
- 1981年(昭和56年)2月11日:105系が運用開始。この結果当線に残っていた70系は同年3月1日で運用終了。
- 1986年(昭和61年)11月1日:全線の貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
- 1989年(平成元年)4月20日:河佐駅 - 備後三川駅間が経路変更され営業キロが1.4km短縮[14]。八田原駅が廃止。
- 1991年(平成3年)4月1日:福山駅 - 塩町駅間が岡山支社から府中鉄道部の直轄に変更[15]。府中駅 - 塩町駅間でワンマン運転開始[16]。
- 1992年(平成4年)3月14日:福山駅 - 府中駅間でワンマン運転開始[16]。
- 1999年(平成11年)1月11日:井原鉄道井原線からの片乗り入れ開始。
- 2002年(平成14年)3月23日:府中駅(構内のぞく)- 塩町駅間が岡山支社の府中鉄道部の管轄から、広島支社の三次鉄道部の管轄に変更。
- 年月日不明:府中鉄道部が廃止され、福山駅(構内のぞく)- 府中駅間はせとうち地域鉄道部の直轄になる[17]。
駅一覧
便宜上、塩町駅側の全列車が直通する芸備線三次駅までの区間を記載。
電化状況 | 路線名 | 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
電化 | 福塩線 | 福山駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽新幹線・山陽本線 | ∨ | 福山市 |
備後本庄駅 | 1.8 | 1.8 | | | ||||
横尾駅 | 4.3 | 6.1 | ◇ | ||||
神辺駅 | 2.3 | 8.4 | 井原鉄道:井原線 | ◇ | |||
湯田村駅 | 2.0 | 10.4 | | | ||||
道上駅 | 0.9 | 11.3 | | | ||||
万能倉駅 | 2.1 | 13.4 | ◇ | ||||
駅家駅 | 1.2 | 14.6 | | | ||||
近田駅 | 1.4 | 16.0 | | | ||||
戸手駅 | 1.0 | 17.0 | | | ||||
上戸手駅 | 1.8 | 18.8 | | | ||||
新市駅 | 1.2 | 20.0 | ◇ | ||||
高木駅 | 1.7 | 21.7 | | | 府中市 | |||
鵜飼駅 | 1.0 | 22.7 | | | ||||
府中駅 | 0.9 | 23.6 | ◇ | ||||
非電化 | |||||||
下川辺駅 | 4.3 | 27.9 | | | ||||
中畑駅 | 3.9 | 31.8 | | | ||||
河佐駅 | 3.1 | 34.9 | ◇ | ||||
備後三川駅 | 7.5 | 42.4 | | | 世羅郡世羅町 | |||
備後矢野駅 | 4.2 | 46.6 | ◇ | 府中市 | |||
上下駅 | 3.7 | 50.3 | ◇ | ||||
甲奴駅 | 4.4 | 54.7 | | | 三次市 | |||
梶田駅 | 2.4 | 57.1 | | | ||||
備後安田駅 | 5.2 | 62.3 | | | ||||
吉舎駅 | 5.0 | 67.3 | ◇ | ||||
三良坂駅 | 6.3 | 73.6 | | | ||||
塩町駅 | 4.4 | 78.0 | 西日本旅客鉄道:芸備線(備後落合方面) | ◇ | |||
芸備線 | |||||||
神杉駅 | 1.5 | 79.5 | ◇ | ||||
八次駅 | 3.3 | 82.8 | | | ||||
三次駅 | 2.3 | 85.1 | 西日本旅客鉄道:芸備線(広島方面)・三江線 | ◇ |
以下の駅をのぞいて無人駅である。
- JR西日本の直営駅
- 福山駅と府中駅と三次駅
- ジェイアール西日本岡山メンテックによる業務委託駅
- 神辺駅と駅家駅
- 簡易委託駅
- 上下駅
過去の接続路線
廃止区間
( )内は起点からの営業キロ
- 1935年12月14日廃止区間
- 両備福山駅 (0.0) - 胡町駅 (0.6) - 吉津駅 (1.2) - 横尾駅 (4.3)
- 1989年4月20日廃止区間
- 河佐駅 (0.0) - 八田原駅 (2.5) - 備後三川駅 (8.9)
廃止信号場
- 高屋川仮信号場:1934年廃止、神辺駅 - 湯田村駅間(福山駅起点9.6km)
脚注
参考文献
- 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線 11 中国四国』新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
- 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線 (5) 鳥取・出雲・尾道エリア』講談社、2012年。978-4-06-295155-5。
- 藤井浩三「中国地方ローカル線建設の歩みと蒸機」『蒸気機関車』NO.37、キネマ旬報社
関連項目
テンプレート:西日本旅客鉄道広島支社- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ↑ 日本交通公社『時刻表』1986年3月号によると、その2往復のうち夕方の福山発下り1本は三次からさらに芸備線経由で広島まで直通していた。
- ↑ 該当列車は、それ以前の1990年代から時刻表上は別列車扱い(福塩線と山陽本線でそれぞれ福山発着扱い)ながら、実際は直通運転を実施していた。またダイヤによっては岡山以東の姫路駅・相生駅(山陽本線経由と赤穂線経由の場合あり)・三石駅・和気駅・長船駅発着となる場合もあった。
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年8月24日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年8月1日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1914年11月26日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1915年5月6日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年4月20日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「鉄道省告示第385号」『官報』1933年8月28日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 1933年8月26日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1933年8月29日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「鉄道省告示第510号」『官報』1935年11月14日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年。ISBN 4-88283-111-2。
- ↑ 『データで見るJR西日本 2001』- 西日本旅客鉄道
- ↑ 16.0 16.1 ジェー・アール・アール『JR気動車客車編成表 2010』交通新聞社。ISBN 978-4-330-14710-9。
- ↑ 『データで見るJR西日本 2007』と『データで見るJR西日本 2008』による比較