キダ・タロー

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テンプレート:Infobox Musician キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本作曲家タレントラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所昭和プロダクション

兵庫県宝塚市生まれ。五男坊。血液型B型星座は射手座、趣味はゴルフ。タレントの木田美千代は夫人。上記の活動の他、実業家としても活躍。箕面市在住。

来歴

関西学院高等部在学中にバンド活動(担当はアコーディオン)を始め、プロピアニストに転向後、作曲活動を開始。バンドメンバーには大学時代の同級生でもある藤岡琢也(担当はバイオリン)、同じ舞台で活動していたかしまし娘からは「タローちゃん」と呼称されている。高島忠夫も大学時代の同級生。関西学院大学社会学部を3日で中退。2006年10月20日に藤岡が亡くなった事を聞いて、悲しいとコメントをしていた。

多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業社歌を手掛けたことから(2000曲以上とされる)、通称「浪花のモーツァルト」と呼ばれる。彼が手掛ける曲は、特に関西人にとっては耳に残るメロディであるようで、一時期は関西の放送局が制作を手掛けるテレビ番組ラジオ番組のテーマ曲のほとんどをキダ作品が独占するまでになった。

近畿地区での業績が知られるところであるが、小山ゆうえんち、三原本店(仙台市、時計宝飾店)など他地区からの仕事も少数ながら行っている。

浪花のモーツァルト

「浪花のモーツァルト」と呼ばれるようになった由来に関しては諸説ある。

  • 1970年代、キダが次々と曲を書き上げるのを見た朝日放送の某プロデューサーが、自身の好きなモーツァルトになぞらえて名づけた説(『ナンバ壱番館』(朝日放送)でのキダ自身の談話による。下記の松本修説と同一の可能性もあり)
  • キダが顧問として出演している番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)内でのかつての共演者・嘉門達夫の発言から説
  • 『探偵!ナイトスクープ』プロデューサー・松本修(「日本全国アホ・バカ分布図」で名高い)の発言から説(モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』とキダの『ラブアタック』フルコースディナー早食い競争のBGMとが見事にシンクロする、というもの)

朝日放送が最初であると言われている。本人は『探偵!ナイトスクープ』で一度「本当は浪花のショパンと呼ばれたかった。モーツァルトはあまり利口ではなかったので」と語っている。「浪花の○○」という呼び方には、「浪花のバルトーク」こと大栗裕という前例がある。一説には、「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現にはまだ続きがあるとされる。この説によると、「浪花のモーツァルト キダ・タロー。しかし、もし彼がモーツァルトより先に生まれていたならば、モーツァルトが「ウィーンのキダ・タロー」と呼ばれていたことだろう」と続くという[1]。『MBSヤングタウン』でつんくと初めて共演した時、キダはつんくに「浪花のベートーヴェンになれ」と言った。2006年11月から始まった京阪電鉄のCMでは、3代目おけいはんに向かって「モーツァルト北浜」を名乗る役柄で出演している。 なお、音楽史上名高い作曲家が過去の作曲家になぞらえた異名を取った例としては、“ナポリのモーツァルト”ことロッシーニと“シャンゼリゼのモーツァルト”ことオッフェンバックが有名で、奇しくもモーツァルトばかりである。キダの作品やニックネームがこの二人のように後世に残るかどうかは今後を待たなければならないが、共に存命当時からの売れっ子であり、モーツァルトの明るい作風や多作ぶりがにこうしたスターへの異名として最適と考えられたと思われる。

なお、同局との関係では、放送終了時の音楽がテレビラジオともキダが作った曲だったことがある。テレビは既に使われていないが(ABCテレビのオープニング・クロージングも参照)、ラジオは昭和40年代に作られたステーションソング『きこうABC』をアレンジしたオルゴール(通称・チンコロカン)が現在でも、日曜深夜(月曜午前1:30)に流れている。

2013年の春の探偵ナイトスクープにて、長時間ではあるが、宴会でお酒を1升半を飲み干す酒豪である。 また、愛妻家でも知られている。

主なリリース作品

アルバム

  • 浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、1992年11月21日、SLCS-5002・5003、廃盤) - キダ・タローの作品がまとまった形で残されていないことに対して危惧を抱いたSLCの和田康宏、川合由里子によって制作された。しかし和田の死後SLCは解散、同盤も廃盤となってしまった。権利関係があまりに複雑なために復刻は難しいとされた。
  • キダ・タローのほんまにすべて(アップフロントワークス、2010年12月1日、PKCP-2064〜2066) - 前述のアルバムを叩き台として、数十年ぶりに発掘された幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。

★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で初収録されている。

歌謡曲

テーマ曲

映画音楽

CM曲

プロ野球応援歌

その他

市町村歌など

それ以外

出演

テレビ番組

ラジオ番組

※いずれも、ABCラジオでの出演。

CM

PV

エピソード

  • 媒体出演時ではメガネ着用が常であるが過去にレーシック手術を行なっており近年では伊達眼鏡の着用となっている。絶版アルバムの復刻版アルバムではレンズの無いメガネの上からアッカンベーをしているジャケ絵が使用されている。
  • その風貌や作曲家歴(主にCM曲の作曲が共に多い事)などから、小林亜星と勘違いされることがよくある。テレビ番組の企画で路上調査で「キダ・タローの代表曲は?」と聞くと、「サイデリア!?」と答える者が多い。また、反対にキダの曲を小林の曲と答える者も多い。そして、インターネット上でも小林亜星とキダ・タローを比較・研究するサイトも多数あり、双方は良きライバルなのではないかと言える。
  • 同じく番組テーマ曲やCMソングを多く手掛ける作曲家・たかしまあきひこが、キダを「尊敬する作曲家の一人」と語っている。
  • 大の近鉄バファローズファンで知られる。
  • 曽祖父は新撰組の隊士。
  • キダが初めて作曲したのは、19歳の頃で、当時難波にあった、キャバレー「パラマウント」の唄である。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」さん(後のかしまし娘正司歌江)だった。
  • あどりぶランド』1991年12月25日放送分で、キダが同番組の新しいジングルを4パターン作曲して放送したところ、視聴者から「そのうちの1曲がよみうりテレビのオープニング曲に酷似している」という旨の投書が番組宛てに届く。後に「キダ・タロー盗作事件」に発展(番組の企画)、キダは盗作容疑で「逮捕」された。
  • 『探偵!ナイトスクープ』1994年6月放送分で、キダが作曲した『アホの坂田』のメロディがパクリではないかという疑惑について取り上げられた。「リレハンメルオリンピックのアイスホッケー決勝ノルウェー対ロシアの試合で「アホの坂田」とよく似た曲が流れている、これは大発見だ」という依頼があり、桂小枝が探偵となり調べた。局長の上岡龍太郎によると、ラジオ番組『歌って笑ってドンドコドン』でも同じような指摘をするハガキが届いていたそうである。小枝が調べると、前奏・サビ・間奏に至るまでほぼ同じ曲がオリンピックで流れていた。録音室などに閉じこもって逃げるキダを捕まえて追及すると、元々は『メキシカンハットダンス』という曲だということが分かった。しかし、キダは「これはパクリではなく引用だ」と強弁し、当日は顧問ではなかったにもかかわらずスタジオにまで現れて引用であることを主張した。曰く、「パクリとはある曲によく似せて作ること、引用とはある曲のメロディをそのまま使うことなので、『アホの坂田』は引用である」ということであった。「ナンバ壱番館」に出演した際にも疑惑の弁明をしているが、その際には「“この曲の引用ですよ”という意味で(『メキシカンハットダンス』の)主旋律を前奏に持ってきている」と述べている。
  • 同じく『探偵!ナイトスクープ』では、顧問の立場ながら一依頼者として依頼を出したこともある。先述の『キダ・タローのすべて』をリリースした際、当初「日本海みそ」のCMの歌手がどうしても分からず、クレジットでは「歌手不明」とされた。探偵が調査に尽力した結果、野呂ひとみという人物が歌っていたことがようやく判明。それから発売されたCDについては「歌手:野呂ひとみ」と差し替えられた。
  • タモリの音楽は世界だ!』に出演する際に、キダは番組のテーマ曲を事前に作って演奏することになった。回答者の北野誠が「どーせ『タモリタモリ』を繰り返して、最後『あーあ〜♪』みたいな感じで終わるんやろ」と予想したが、ほぼその通りのものだった。
  • めちゃ2イケてるッ!』で、有野晋哉が「キダタロー」(“・”が付かない)というキャラクターを演じたことがある。
  • 2005年7月15日に大阪府立体育会館で開催された『ハッスル11』では、高田モンスター軍所属のご当地レスラーとして、キダをモチーフにした「KIDATA・ロー」が登場。キダと肩を組みながら登場した。
  • 昔、神戸のトアロード美千代夫人にプロポーズした際に「結婚してくれなきゃヤダ〜」と駄々をこねて結婚した。そして、当の結婚式当日、キダは祝詞を読もうとしたもののアガリにアガってとうとう最後まで読むことができなかった。年を経て、結婚記念日のパーティーで祝詞を最後まで読み上げることに再チャレンジしたものの、やはりアガってしまって読みきることはできなかった。
  • 関西でのテーマ曲担当番組数を誇るキダだが、かの『ノックは無用!』は他者(高橋城)に譲っていて、このことは本人も無念であるとコメントしている。
  • フレッシュ9時半!キダ・タローです』でゲストに当時人気アイドルだった『シブがき隊』が来た際、番組内で曲を掛けている最中の態度が悪かったことに立腹し、後に番組内で度々態度について批判したため、ジャニーズ事務所と朝日放送の関係が悪化し、ジャニーズのタレントは朝日放送に出さないという寸前まで関係がこじれたが、キダ・タローの謝罪と番組内で批判しないとの約束で事なきを得た。が、その後も度々ネタとして放送でしゃべっている。
  • 2007年10月19日放送分の『探偵!ナイトスクープ』で岡部まりが最後の依頼の「阪神淡路大震災…」と言っている途中にキダ・タローの携帯電話から着メロが流れてきて、探偵局員と客全員がステージ中は大爆笑になり、探偵局員は止めに入った、なお着メロはメールであり、キダ・タローの夫人からのメールであった。
  • 『探偵!ナイトスクープ』でキダの自宅を探偵が訪問した際、キダ宅の表札は、漢字の本名ではなく「キダ・タロー」とカタカナで書かれていた。
  • 常に黒ぶちメガネをかけているが、実は度の入っていない伊達メガネである[7]
  • ある日キダは「浪花のベートーヴェン」を名乗る男がいると聞き、その男がいるラジオ局(『MBSヤングタウン』)へ乗り込んだ。そして男の歌声を聴いたキダは、その男と会った際「ええやんか、浪花のベートーヴェンがんばりー」と言い、男をアッサリ認めて帰った。その男とは、まだ無名のつんく♂であった(つんくは当時、『MBSヤングタウン』の木曜メンバーとして、桂小枝羽野晶紀と共演していた)。後につんく♂が売れるとキダは「つんく♂は俺が育てたんや」と周囲に自慢しているが、キダとつんく♂が会ったのは前述のラジオ局での1度きりである。(2009年4月13日放送「人生が変わる1分間の深イイ話」より)

「ヅラ疑惑」

きわめて独特の髪形(「小熊ちゃん」と称されることもあり)をしているため、キダは時に「カツラではないのか?」と噂され、そのことがしばしばネタとして扱われている。しかしパンチョ伊東同様(なお、「西のキダ・タロー、東のパンチョ伊東」とも称される)、ヅラの装着は公式には「疑惑」の段階に留まっている。

やしきたかじん桂ざこばが、『いつかたかじん』の番組の中で「ジャンケンで負けたほうがキダ本人のヅラを取り上げるか、本人にヅラだと目の前で指摘する」という約束をしている。ただ、この件については常に放送上はカットされている。

テレビ番組ではタブーとなっていて表立って指摘する声はないが、ラジオ番組や寄席ではよくネタにされている。ラジオ番組では、『歌って笑ってドンドコドン』でリスナーからキダのヅラ疑惑をネタにするハガキが来ると、上岡龍太郎が嬉々として読み上げるというお決まりのパターンがあった。寄席では、桂小枝が落語の枕でキダのヅラ疑惑をよく取り上げている。

  • 1996年6月に逆バンジーをすると約束し、関西では大きな話題になった。「なついてくれないクマのような犬がいるので仲良くしたい」という依頼があり、本編に移る前に顧問のキダが「クマのような犬ならチャウチャウに決まっている」と主張。さらに、「もしチャウチャウでなければ私は逆バンジーをする。」と発言。結果はチャウチャウではなく秋田犬であったため、局長や探偵が出演しているラジオ番組『歌って笑ってドンドコドン』『サイキック青年団』『こころ晴天』などで大騒ぎになった。「大阪の人はみんな見る」、「ナイトスクープの特番になる」、「とうとう秘密が明らかになる」などと上岡龍太郎桂雀々北野誠桂小枝円広志らがあおり、リスナーを巻き込んでかなりの盛り上がりを見せた。しかし、約一ヶ月後には筆頭顧問から単なる顧問に降りると詫びを入れて、この件は不問になった。その後、いつの間にか最高顧問と名乗るようになり、逆バンジーが話題に上ることもなくなった。
  • 上岡龍太郎の妻がキダ宅の前を自動車で通った際に、キダ宅において嬉々として洗車をしている謎の男性の姿を目撃している。件の男性とキダの関係は不明。(鶴瓶上岡パペポTV
  • 関西地区以外でも『北野ファンクラブ』において、ビートたけしが本番中にキダのヅラ疑惑に言及したことがある。「あるゴルフ番組でコーチが、キダがスイングするときに頭のブレを修正するため、キダの頭を押さえたままで居たら頭髪部が回転して前後逆さまになり、あわてて戻した」というエピソードなど、キダのヅラ疑惑に関するトークを繰り広げたことがあったが、このときは関西圏とは縁の薄い番組であったためか(近畿圏では関西テレビではネットしておらず、独立UHF局が放映していた)、トークの内容がそのまま放送された。
  • ゴルフのショットをプロゴルファーに指導された際、ヘッドがぶれていると指摘されプロゴルファーに頭を押さえられたままショットを繰り返したが、なぜかぶれたままだった。
  • キダの生番組に原健三郎が出演した際、原が「あんた、カツラか」と直接質問。キダは質問に答えず番組を進行。
  • 誠のサイキック青年団』では、 北野誠が当然の如く、話題にしていたネタである。

前述、後述にある通り現時点において状況証拠と客観的な憶測に基づく既成事実のみで装着の有無が語られている段階でシュレディンガーの猫と同様、「装着状態と地毛状態が1:1で重なりあっていると解釈出来る」状況になっており未だに明確な証拠は提示されていない。

タブー

前述のようにヅラ装着「疑惑」はタブー視されているため、本人の前でのヅラ関連の発言には共演者やスタッフは実に気を使っている。 以下はその件に関するエピソードである。

  • 審査員として参加している『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』で、X-GUN底ぬけAIR-LINEがパンチョ伊東のヅラを扱うネタを披露。その感想を司会だった八木亜希子が審査員に求めようとした際、同じく司会の今田耕司東野幸治が慌てて八木を制止し、キダ以外の審査員(市村正親)に感想を求めた。
  • 北野誠が司会進行を務めていた『ザ・言うたもんマッチ』(関西テレビ)に、キダが出演。出演者が前転をしてクイズの解答をする企画があり。キダの順番という目前で、北野が「司会は難しいんやぞ! 何なら、アンタやってみい!!」とわざと喧嘩を仕掛けて司会と解答者が入れ替わり、事なきを得た。
  • 『探偵!ナイトスクープ』収録前に行われた質問大会で、観客の女性から「キダ顧問の髪型は不自然に見えますが、ひょっとしてカツラですか?」という質問が飛び出し、場内は騒然となったが、インタビュアーだった越前屋俵太が冷静に吐き捨てるように「自毛です」と答えて次の質問に移った。このとき、現場に居た北野誠によるとキダは「俺には触れるな!!」という強烈な殺気を漂わせていたという。
  • 『ナイトスクープ』に加入したばかりの松村邦洋が、出演者・スタッフに溶け込もうとリハーサル前にものまねを披露するが、丁度その日はキダ顧問の出演回であったこと、ものまねで発したフレーズが(西田敏行がCMで出演している)「ヘアフォーライフ」であったことから周囲が凍りついてしまった。西田に「松っちゃん、いまは駄目」と注意されたという。その件を聞いた桂小枝の松村に対しての開口一番は「君かあ、東京から送られて来たヒットマンは」であった。
  • ゴルフが終わった後のドレッシングルームで北野誠がキダをサウナに誘うがキダはこれを無視、北野の耳元で上岡が小声で叱責する。
  • ゴルフが終わった後のドレッシングルームで石田靖がキダを風呂に誘うがキダはこれを無視、石田の耳元で北野が小声で叱責する。
  • 写真週刊誌『FLASH』で「カツラ疑惑の有名人に直撃インタビュー」という企画があった際、キダにインタビューを申し込んだところ、担当マネージャーから「その件についてはノーコメントにして下さい。」と回答さえ断られた。
  • 人生相談番組である『ズバリ! 悩みおまかせ』(サンテレビ)にキダがパネリストとして出演していた時期は、頭髪に関する相談は一切扱われなかった。

外部リンク

以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。

脚注

  1. 但し、モーツァルトはウィーン出身ではなくザルツブルグ出身である。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 『朝日放送の50年 III 資料集』P125に掲載された主なラジオ番組一覧表より参照。
  3. 『朝日放送の50年 III 資料集』P142に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『地獄極楽・タローのカラオケ塾』を参照。
  4. 『朝日放送の50年 III 資料集』P144に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのミッドナイト編集局』を参照。
  5. 5.0 5.1 『朝日放送の50年 III 資料集』P149に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのYou遊スタジオ』を参照。
  6. 『朝日放送の50年 III 資料集』P168に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『キダ・タローのステージ貸します』を参照。
  7. ラジオ番組『誠のサイキック青年団』2009年3月8日放送分で、北野誠が本人の話として紹介。

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