上野駅

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上野駅(うえのえき)は、東京都台東区上野七丁目および東上野三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)のである。

概要

当駅は、日本の鉄道黎明期に日本初の私鉄である日本鉄道が、上野 - 熊谷間の第一区線開業時に合わせて、東京下町北端の山下町に東京方の起点駅として開業した歴史ある駅である。以来、日本を代表するターミナル駅として栄えてきた。

現在、当駅には北関東東京を結ぶJR各線の中距離電車東京都区部を走る各通勤電車(JR東日本・東京メトロ)各線が結節し、また東北、上・信越方面の各新幹線、その他在来線各線の優等列車が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能している。

乗り入れ路線

当駅には、JR東日本の新幹線在来線各線、および東京メトロの路線が乗り入れている。

JR東日本

このうち、JR東日本の新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみである[1]が(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」参照)、東北新幹線経由で山形秋田上越長野の各新幹線が乗り入れている。

JR東日本の在来線に関しても、線路名称上は東北本線のみである[1]が、以下のように多岐にわたる各線が乗り入れている。

  • 宇都宮線 : 列車線を走行する東北本線の中距離電車系統。赤羽駅までは尾久駅経由の支線を走行する。
  • 高崎線 : 線路名称上の起点は大宮駅だが、同駅以南で東北本線(宇都宮線)列車線に乗り入れている。
  • 京浜東北線電車線を走行する東北本線の近距離電車系統。赤羽駅までは王子駅経由の本線ルートを走行する。
  • 山手線 : 電車線を走行する環状路線。京浜東北線と並行しない区間が線路名称上の山手線にあたる。
  • 常磐線常磐線快速電車を含む[2]) : 線路名称上の起点は日暮里駅だが、東北本線上の専用線路を介して当駅まで乗り入れている。

上記のうち、宇都宮線、高崎線、常磐線は現在、当駅を運転系統の起点としており、東京駅方面へは山手線と京浜東北線のみが運行されている。また、宇都宮線と高崎線が同じ線路を共有しているほかは、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。

JR東日本公式サイトにて記載されている当駅の「所属路線」は、京浜東北線、常磐・成田線、常磐線、高崎線、東北本線、山手線、秋田新幹線、上越新幹線、東北新幹線、長野新幹線、山形新幹線の11路線となっている[3]

東京メトロ

東京メトロは銀座線日比谷線の2路線が乗り入れており、それぞれ「G 16」「H 17」の駅番号が与えられている。

歴史

テンプレート:Vertical images list 日本鉄道は、上野 - 熊谷間の開業に先立ち、1882年明治15年)11月に寛永寺子院跡約29,800(約98,512m²)を東京府より借り受け、上野駅の用地とした。1883年(明治16年)7月28日には同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、同年8月より貨物、10月より郵便物の取り扱いを始めた。1884年(明治17年)6月28日には仮駅舎で開業式が行われ、1885年(明治18年)に煉瓦造りの237坪(約783m²)の本駅舎が竣工した。この初代駅舎は三村周が設計、毛利重輔が監督を行い、中央の平屋部分に出札広場とコンコース、両翼に待合室を設置したH型平面の構造で、当時の汐留駅横浜駅を踏襲した形となっている[4]

1885年に途中大宮駅から宇都宮駅に至る区間(利根川渡河区間を除く)が開通すると、上野駅は東京側のターミナルとして繁盛するようになった。当初は1つの駅構内に旅客・貨物・車両基地の機能を併設しており、次第に鉄道輸送の需要が伸びてくると構内が手狭になってきた。また駅周辺の道路が狭隘で、ここに旅客を輸送する馬車鉄道や貨物を輸送する大八車が輻輳するようになったため、旅客と貨物の機能を分離することが計画された。1890年(明治23年)11月1日には南方に地上の貨物線を開通させ、新たに設置された秋葉原貨物取扱所(後の秋葉原駅)に貨物取扱を移転した。さらに1896年(明治29年)12月25日に開業した隅田川駅にも荒荷の扱いなどを分散移転して、上野駅は同年12月1日に旅客専用駅となった[5]1900年(明治33年)には日本鉄道が駅前広場に飲食店、喫茶店、雑貨販売店の入った上野待合店を建設している。これは110坪(約364m²)2階建ての建物で、後に理髪店なども入居したが、1922年大正11年)に撤去された[6]

1905年(明治38年)4月1日常磐線三河島 - 日暮里間が開通し、それまで田端で折り返して運転していた常磐線の列車が直接上野駅へ乗り入れるようになった。同年には新橋 - 上野間の高架旅客線の建設とそれに伴う上野駅の改築が決議されている。1906年(明治39年)には日本鉄道の国有化に伴い、上野駅も国有化され、1909年(明治42年)10月には秋葉原 - 上野 - 青森間が東北本線と定められた。同年12月16日には山手線の烏森(後の新橋) - 品川 - 新宿 - 池袋 - 田端 - 上野間で電車の運転が開始され、上野駅はその一方の端となった。

このような状況下で上野駅の利用者は増加を続け、1917年(大正6年)には構内に事務所が9棟、倉庫が10棟、その他売店などが44棟も立ち並び、スペースが限界に近づいていた[7]1923年(大正12年)9月1日関東大震災では初代駅舎が消失し、同月23日に仮駅舎で営業が再開した。同年からは鉄道省東京改良事務所により上野駅周辺の改良工事が始まり、1925年(大正14年)3月1日には新橋駅との間の高架旅客線が開通して山手線の環状運転が始まり、東京の都市内交通である同線の電車と、東北・常磐・高崎といった長距離の幹線との接続する駅として機能するようになった。

1930年昭和5年)3月1日地鎮祭が行われて改築工事が始まり、1932年(昭和7年)4月2日に2代目の駅舎が落成し、同月5日より営業を開始した。この駅舎では利用者の安全に配慮した動線設計がなされ、乗車客は1階の車寄せから列車ホームに、降車客は地下1階の車寄せに出るようになった。外壁は多胡石小松石の砕石が入ったモルタル塗りで、臍壁には花崗岩が用いられている。また、構造上の大きな特徴として、本屋の中央に設置した30×20.3×13.25mの広間空間が挙げられる。この空間は正面玄関の機能を持ち、2階部には業務エリアの移動のための回廊が設けられていた[8]。また、秋葉原の貨物取扱設備が高架上に移転したの受け、東西交通を遮断するなどの問題を引き起こしていた地上の貨物線は1932年7月1日に廃止されている。

年表

  • 1883年明治16年)7月28日 - 日本鉄道上野 - 熊谷間の始発駅として開業(国有化後、大宮以南区間は東北本線と定められる)。
  • 1885年(明治18年)7月16日 - 初代本駅舎が竣工。
  • 1890年(明治23年)11月1日 - 上野 - 秋葉原間が貨物線として開通。上野から貨物取扱を秋葉原に移転して貨客分離。
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道の国有化に伴い、当駅も国有化される。
  • 1909年(明治42年)
    • 10月12日 - 当駅を通る秋葉原 - 上野 - 大宮 - 青森間が東北本線と定められる。
    • 12月16日 - 山手線の電車運転開始。
  • 1925年大正14年)11月1日 - 上野 - 東京間の高架旅客線が開業。
  • 1927年昭和2年)12月30日 - 東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)浅草駅 - 上野駅間開通。
  • 1932年(昭和7年)4月3日 - 新駅舎が落成。
  • 1941年(昭和16年)9月1日 - 東京地下鉄道、路線を帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道が発足。
  • 1961年(昭和36年)3月28日 - 営団地下鉄日比谷線の駅が開業。
  • 1964年(昭和39年)10月1日 - 一部の急送品(郵便・新聞等)を除いて荷物取り扱いを隅田川駅に移管。
  • 1968年(昭和43年)9月30日 - 高架第6ホーム(11・12番線)供用開始。地上・高架のホーム改良工事が完成する。
  • 1971年(昭和46年)10月 - 大連絡橋完成(12月20日から供用開始) 。
  • 1977年(昭和52年) - 東北新幹線の駅建設が決定(当初は計画になく、地域からの建設請願運動があった)。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 - 東北新幹線の駅が開業。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄となる。
  • 1991年平成3年)6月20日 - 東北新幹線が東京駅まで延伸。
  • 1993年(平成5年)11月4日 - 営団で継続定期券発売機を導入[9][10]
  • 1995年(平成7年) - 新幹線ホーム周辺の地下水上昇対策として、同ホームに37,000トンの鉄塊を設置。
  • 1997年(平成9年) - 「関東の駅百選」に認定される。選定理由は「いつの時代にもふるさとへの郷愁をそそる、首都圏の北の玄関口」。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月31日 - 駅レンタカー営業所営業終了[11]
    • 9月11日 - 地平に位置していた18番線が廃止。
  • 2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 - 営団地下鉄の民営化により、銀座線と日比谷線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される。
  • 2007年(平成19年)3月18日 - 東京メトロでICカードPASMO供用開始。
  • 2009年(平成21年)2月20日 - 銀座線上野駅に駅ナカ「エチカフィット上野」が開業。
  • 2012年(平成24年)10月30日 - 銀座線上野駅に森山直太朗作詞・作曲の楽曲「さくら」を発車メロディとして導入[12]
  • 2013年(平成25年)7月28日 - 13番線に「あゝ上野駅」を発車メロディとして導入[13]
  • 2014年(平成26年)度 - 上野東京ライン(東北縦貫線)が完成し、当駅終着(始発)である宇都宮線・高崎線・常磐線(快速)が東北本線本来の起点である東京駅およびその先の東海道本線への乗り入れを開始(再開)する予定。

駅構造

JR東日本

テンプレート:駅情報 テンプレート:Vertical images list 中央改札上には、1951年展示の猪熊弦一郎作の壁画『自由』が掲げられており、当駅を代表する光景ともなっている(昭和26年12月製作、昭和59年6月修復、平成14年12月修復)。その下にはLED発車標が設置されているが、新幹線開業前は、東北・奥羽・磐越西線は緑(杜の都・仙台をイメージ)、高崎・上越線は黄(越後平野の稲穂をイメージ)、高崎・信越線はピンク(信州のりんごをイメージ)、常磐線は青(太平洋の海をイメージ)、東北新幹線大宮開業時に設定された「新幹線リレー号」はクリーム色と、方面別に色分けされた木製の発車案内板が使用され、ホームにも後から幕式の発車標が設置されていた。

グランドコンコースの中央改札内には、朝倉文夫作のブロンズ像『つばさの像』、改札外広小路口には同じく朝倉作の『三相』がある。『つばさの像』は1958年10月10日に初の東北特急「はつかり」運転開始と駅開業75周年を記念して台東区が寄贈したもので、当初は広小路口に設置された。『三相』は、1958年10月10日に駅開業75周年記念式に列席した朝倉が駅が朝倉自身と誕生を同じくしていることを知り、深く喜懌になり、記念に台東区を通じ贈られたもので、三相とは知、情および意である。また、券売機上壁面には、平山郁夫原画・制作のステンドグラス『ふる里日本の華』(昭和60年春)が展示されている。これは東北上越新幹線上野駅開業を記念して制作された。豊かな水と緑を背景に四季折々の美しさを屏風絵ふうに配し、沿線各地の代表的な花・まつり・風物をあしらいふる里への思いを表現した、きわめて日本的なモチーフと構成に特徴がある。2002年6月駅改修に伴い現在の場所に移設された。

バブル期に磯崎新設計による地上300mの超高層駅ビルに建て替える構想があったが、その後のバブル崩壊と東北・上越新幹線の東京駅延伸による乗降客の減少などから、現在は立ち消えになっている。

南満州鉄道大連駅函館本線小樽駅、および樺太庁鉄道(後の樺太西線)の真岡駅は当駅を模したとされる。

コンコースは、地上と、公園口通路、大連絡橋通路、大連絡橋連絡通路(公園口通路と大連絡橋通路を連絡する)(以上3階)、新幹線地下コンコース(地下)がある。新幹線コンコースに行くには、地上の中央改札を入って右側の新幹線改札を利用する。

改札は、中央改札(地上)、不忍改札(中2階)、公園改札、入谷改札(以上3階)の計4ヶ所である。また改札内改札として特急乗換(16・17番線入出場)改札が地上および3階にそれぞれある。

出口は、地上の中央改札正面の「広小路口」「正面玄関口」や同左手の「浅草口」、中2階の不忍改札からは地上の「不忍口」「山下口」、3階の入谷改札からは2階の「東上野口」、3階の「パンダ橋口」、地上の「入谷口」などが利用できる。同じく3階の公園改札からは3階の「公園口」に直結していて、上野恩賜公園へはここを利用するのが近い。
正面玄関口および広小路口の出口からは、国道4号(日光街道)などを跨ぐ歩道橋が利用できる。また、駅を跨ぐようにパンダ橋が架かっており、自由に歩くことができる。パンダ像は2つあり、実物の倍の大きさはある巨大なジャイアントパンダ像はパンダ橋口を出て右のところに、もう一つの小パンダ像は大連絡橋コンコースに、それぞれある。

京成電鉄京成上野駅へは不忍口を経るように案内サインが設置されているが、地下鉄駅構内および京成線連絡通路で両駅が屋内・地下経由でつながっていることはあまり強調されていない。JRと京成線の連絡は、山手線京浜東北線で北側に2駅進んだ日暮里駅が通常利用されている。ただし、上野駅と京成上野駅の両駅を連絡駅とした定期券を購入することはできる。[14]

在来線のトイレは、13番線ホーム(地上)、3・4番線ホームへの階段と5・6番線ホームへの階段との間(中2階コンコース)、9・10番線ホームと11・12番線ホームとを連絡する箇所(2階)、大連絡橋通路(2か所、3階)、の計5か所である。

2009年3月16日、上野中央通り地下駐車場および周辺8駅(JR上野駅・御徒町駅、東京メトロ上野駅・上野広小路駅仲御徒町駅京成上野駅、都営上野御徒町駅)を結ぶ地下通路が東京都により整備され、供用開始された。これらの駅とは、同一駅としては認められていない。ただし、東京メトロ上野駅、京成上野駅は定期券の連絡駅としては認められている。[15]

新幹線開業以降JR駅内部の改装工事が始まり、1990年代後半には改札内部に「Dila上野」(駅ナカ)が完成した。その後、JR東日本ステーションルネッサンス「みんなのえきプロジェクト」と称して中央改札・不忍改札側の駅舎内部も改装され、東西自由通路(愛称:パンダ橋)や正面玄関「レトロ館」の「Breakステーションギャラリー」、中央改札の「グランドコンコース」、ショッピングセンター「七番街(アトレ上野)」などが整備され、2002年3月にグランドオープンした。同年2月22日開店のアトレ上野は「FUSION SQUARE 人が集まるeki融合空間」をコンセプトに駅周辺にない飲食・食物販・ファッション・雑貨など54店舗を「レトロ館・ガレリア」「グランドコンコース」および「七番街」の3ゾーンに配置し、20 - 39歳の女性をターゲットに新たなエキナカショッピングシーンを演出している。その後、2007年4月から9月にかけてリニューアル工事を行い、「ゴディバ」「日本橋屋長兵衛」「アール・エフ・ワン」「ベーグル&ベーグル」「ジンズ グローバル スタンダード」「サマンサタバサ プチチョイス」のオープンと既存9ショップの改装を行った。また、東京圏駅ビル開発は、同年8月に浅草口地下でカフェ・雑貨ショップなどを配置した新フロア「レトロゲート」を開設した。9月にはフロアリニューアルを行い、グランドオープンした。そして、2005年春に全体のリニューアル工事が完成し、全面が白で統一された外観となり、エレベーターの整備も行われた。完工時には「上野駅リニューアルキャンペーン」が開催され、JR東日本のイメージキャラクターであり、このイベントのCFにも登場した女優の国分佐智子を招いてのオープニングセレモニーが行われた。この大改装は品川駅大宮駅などで展開されている、いわゆる「駅ナカ」の模範となっている。

東北・上越新幹線の開業に伴い並行在来線の特急列車が大方廃止され、地上ホームの19・20番線が廃止となり、1999年9月には18番線も廃止された。その跡地と東上野口・入谷口には、2006年7月19日からフィットネスクラブジェイアール東日本スポーツ)が入居している。

東北・上越新幹線開業前は、都内の北へのターミナル駅として北関東東北信越北陸方面へ向かう東北本線日光線磐越西線奥羽本線高崎線両毛線上越線信越本線吾妻線羽越本線常磐線の各特急急行など長距離優等列車が数多く発着していた。しかし、新幹線開業のため並行在来線の優等列車は次第に廃止、地上ホームも削減され、その削減された跡地が新幹線ホームに向かうコンコースとなった。その後は中距離電車が増発され、発着列車の大半が宇都宮線高崎線常磐線の北関東方面へ向かう近郊・中距離電車となっている。

当初、高架ホームは常磐線各列車主体に使用され、高架ホームを発着する東北・上信越方面各列車はごく一部であった。逆に地平ホームを発着する常磐線列車は皆無で、地平ホームは東北・上信越方面各列車の専用ホームであった。その後、特急・急行列車の増発に伴って、また、中距離通勤客の増加に伴い、地平ホームは特急中心で、高架ホームは各線普通列車中心で運用されるようになり、2013年現在は宇都宮線高崎線の普通列車は5 - 8番線の高架ホームと13 - 15番線の地平ホームのいずれかに発着し、常磐線の普通列車と快速電車は9 - 12番線に発着するのが基本であるが、9番線に到着する宇都宮線高崎線列車、地平ホームに到着する常磐線普通列車もわずかに存在する。

山手線京浜東北線以外の発車標は、新幹線開業時に幕式からLED式のものに置き換えられた(新幹線は当初からLED式、京浜東北線は1990年頃設置)。また、新幹線ホームは2007年3月にフルカラーLED式に置き換えられた。また、ATOS導入後は全ホームに発車標が設置され、放送もATOSに準じたものに変更されている。また、2008年8月には5 - 17番線の先発列車発車標に路線名が表示される仕様になった。

乗車案内として、下り新幹線ホームの19・20番線に、LED式乗車位置案内表示器が設置されている。

新幹線ホームにおける地下水の上昇とその対策

戦後、周辺地域で地下水を汲み上げ過ぎたために地盤沈下が発生し、周辺の地下水利用が制限されている。地下30mに位置する新幹線ホーム周辺の地下水は、建設前である1970年代初めは地下38mであり、新幹線ホームより8m下にあった。しかし、前述のように地下水が余剰となったことで水位が上昇し続け、1995年に地下14mまで水位が上昇した。浮き上がりによる駅構造の変形を防ぐため、同年に新幹線ホームの床下に合計3万7000トンものを設置した。さらに、2004年には地下12mまで水位が上昇したことを受け、全長17mのアンカーボルトを約650本打ち込んだ。これは、東京駅の総武快速線・横須賀線ホームに打ち込んだ本数の約5倍となる[16]

のりば

同一駅に3種類のホームがある。

高架ホーム
1 - 12番線山手線京浜東北線宇都宮線高崎線常磐線
緩斜面に建設された一部高架の6面12線の島式ホーム
宇都宮線高崎線常磐線の列車が当駅に到着する際、「高いホーム」または「高架ホーム」と呼称される。
コンコースとのアクセスになるエスカレーターおよび階段の一部は、9・10/11・12番線ホームを貫いて、直接13/14・15番線ホームに向かう。
常磐線の案内は、中距離列車が青テンプレート:Color快速電車が緑テンプレート:Colorで表記されている。一部列車を除き、基本的に案内の色と同じ色の列車がホームに入線する。
当駅に到着する際の山手線京浜東北線の車内LCDにおける常磐線のラインカラーは、テンプレート:Color青色となっている。
地平ホーム
13 - 17番線宇都宮線高崎線常磐線
地平にある3面5線の櫛形ホームで、ヨーロッパのターミナル駅の風情を漂わせている。
到着の際は「低いホーム」または「地平ホーム」と呼称される。16・17番線は特急専用ホームで、主に特急「ひたち」が発着する。有人の中間改札口があり、乗車券・特急券・入場券の検札を行う。13 - 15番線は主に宇都宮線・高崎線普通列車が発着する他、13番線は寝台特急「カシオペア」「北斗星」「あけぼの」の出発ホームとなっている。この他、常磐線の普通列車も到着扱いが1本だけある。到着後は回送となるため、発車はない。
13番線には、寝台列車待ちの際に休憩所として利用できる「五つ星広場」がある(後述)。
かつて、地平ホームには18 - 20番線が存在し、東北・上越新幹線開業までは当駅を始発終着とする優等列車が多数発着していた。その後、新幹線の開業に伴い並行在来線の優等列車は削減、廃止されていき、東北・上越新幹線の上野延伸(1985年3月14日開業)に伴い、まず20番線(1980年5月31日廃止)が、続いて19番線(1983年7月1日廃止)が廃止となり、東北・秋田・山形・上越・長野の全新幹線が開業(1997年)した2年後には18番線(1999年9月11日廃止)も廃止された。2011年現在、旧18番線の日暮里寄りにはわずかながら線路跡が残る。
「北斗星」などの客車列車の場合、機関車の付け替えができないため、車両基地である尾久車両センターとの間は機関車を後部にした状態で回送運転する。「尾久車両センター#推進回送」を参照。
当駅折り返しの宇都宮線高崎線常磐線中距離電車は当駅に到着し、乗客降車後に車内清掃を行う。またこれらの列車では2013年(平成25年)12月1日より通年、始発から15時までに発車する列車は、ボタン式半自動ドア扱いとなっている。また、当駅に平日18時台に到着する常磐線快速電車では整列乗車を行っている。
新幹線ホーム改札の隣の旧18番線には、寝台特急「カシオペア」に使用されているE26系の模型モックアップが置かれていたが、2012年12月24日をもって撤去された。また、旧18番線ホームの壁面には、ヒノキアスナロ(アオモリヒバ)による青森ねぶたのレリーフ(デザイン : 高桑エリカ、彫刻監修 : 高橋清)がある。
現在の番線になったのは1968年8月29日の事で、前日までは現在の13番線が0番線、同14番線が11番線、同15番線が12番線という順に、かつての20番線が17番線だった。
新幹線地下ホーム
19 - 22番線(東北・山形・秋田・上越・長野新幹線)
地下5階にある2面4線のホーム。通過線はなく、可動式ホーム柵も設置されていないため、通過列車は減速する。
上下線で番線をある程度明確に割り振ってはいるが、上野始発の下り新幹線は臨時列車のみだが全ホームを使用する。この他に、東京駅発の臨時列車が19・22番線で定期列車を待避する場合がある。1997年9月30日までは一部の定期列車と大部分の臨時列車が当駅始発・終着だった。また、北側に行くと新幹線の東京新幹線車両センターがある(在来線でいうと京浜東北線の上中里 - 田端間に隣接)。
また、新幹線ホームの一層上階コンコース南方に、喫煙コーナーがある。
ホームの使用状況
番線 路線 行先 備考
在来線 高架ホーム
1 テンプレート:Color京浜東北線 赤羽浦和大宮方面  
2 テンプレート:Color山手線(内回り) 田端池袋新宿方面  
3 テンプレート:Color山手線(外回り) 東京品川目黒方面  
4 テンプレート:Color京浜東北線 東京・品川・横浜方面  
5 - 8 テンプレート:Color宇都宮線 大宮・小山宇都宮黒磯方面  
テンプレート:Color高崎線上越線 大宮・熊谷高崎前橋方面  
9・10 テンプレート:Color常磐線 土浦水戸高萩方面 勝田行最終列車(23時12分発)は11番線から発車
11・12 テンプレート:Color常磐線(快速)成田線 松戸取手成田方面 7時45分発の成田行は10番線から発車
在来線 地平ホーム
13 - 15 テンプレート:Color宇都宮線 大宮・小山・宇都宮・黒磯方面  
テンプレート:Color高崎線上越線 大宮・熊谷・高崎・前橋方面  
テンプレート:Color高崎線特急「草津」「あかぎ」「スワローあかぎ」 14・15番線から発車
テンプレート:Color寝台特急「北斗星」「カシオペア」「あけぼの 13番線から発車
16・17 テンプレート:Color常磐線特急「スーパーひたち・フレッシュひたち
新幹線 地下ホーム
19・20 東北・山形・秋田新幹線 仙台盛岡新青森山形新庄秋田方面  
上越・長野新幹線 高崎新潟長野方面  
21・22 新幹線 東京  

配線

在来線の駅から北方向には、西から順に、京浜東北線と山手線の方向別複々線(山手線が内側)、東北本線列車線(宇都宮線・高崎線)の複々線(尾久駅手前の尾久車両センター出・入庫部の先まで高架ホーム発が外側、地上ホーム発が内側の方向別)、常磐線の複線の計10本の線路が並行する。このうち、東北本線列車線と常磐線からは高架ホーム、地平ホームのほぼすべてへの発着が可能である[17]。このため、シングルスリップスイッチやダブルスリップスイッチを用いた複雑な配線となっている[18]。常磐線の高架線と地平線の分岐・合流点は隣の鶯谷駅付近となるが、これは1968年に立体交差化されたものである。

南方向には京浜東北線、山手線の複々線に加えてその東側に留置線群とそれらをつなぐ通路線が秋葉原駅まで続いている。これはかつて東京駅までつながっていた回送線の跡であり、将来縦貫線として再び東京駅と結ばれる予定である[19]。なお、これらの線路につながっているのは5 - 9番線であり、10 - 12番線と地平ホームの各線は行き止まりである。なお、下の図では反映されていないが、行き止まりとなっている10番線と11番線の先端(最後尾)部は両ホームを結ぶ通路となっており、平面移動が出来る。

東北新幹線上野駅開業時(1985年)の在来線の配線図を以下に示す。1999年に18番線は廃止されたが、基本的にはこの配線が踏襲されている。 テンプレート:駅配線図

発車ベル・メロディ

13・16・17番線で発車メロディを使用する他はすべて発車ベルを使用している。山手線で発車ベルを使用している駅は当駅と新大久保駅のみだが、これは、テンプレート:要出典範囲。5 - 10番線(まれに地平ホームでも)では発車ベルの後に出発指示合図のブザーが鳴動する。なお、13番線については2013年7月28日から発車メロディに変更されており、『あゝ上野駅』が採用されている[20]


五ツ星広場

寝台特急列車が発着する13番線ホームには、寝台特急が到着するまでの待ち時間の際に休憩所として利用できる「五ツ星広場」がある(寝台特急の乗客以外も利用可能)。開設当初はテーブルが設置され、オープンカフェ風の雰囲気を持っていた。2011年時点ではスペースを大幅に縮小し、椅子のみが置かれた南北2箇所のエリアに分割されている。北側エリアの壁は13番線から発着する「カシオペア」で使用されるE26系の車体を意識して作られており、同系列の車体に配されているものと同一の5色のラインが配されている。 五ツ星広場で迷惑行為があったために、2012年8月25日から、利用可能時間が制限される。すなわち、寝台列車発車の約1時間前から列車の発車まで利用可能であり、利用時間は、15時00分 - 16時20分 カシオペア(運転日に限る)、17時50分 - 19時03分 北斗星、20時00分 - 21時15分 あけぼのである。これら以外の時間は、伸縮門扉によって閉鎖される。これにともなって15番線と16番線との間、石川啄木の歌碑の横にベンチが2脚、設置された。

東京メトロ

テンプレート:駅情報

銀座線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。エスカレーターは設置されていないが、ホームから改札口までのエレベーターはホーム浅草方の端に設置されており、また浅草側に改札口からJR連絡階へ通じるエレベーターがある。銀座線には駅の至近に上野検車区があるため、ラッシュ時に当駅を始発・終着とする電車がある。1987年にホームの拡幅工事が行われ、渋谷方面のホームには、日本最初の地下鉄開業を告知するポスターが煉瓦壁と共に設置されている。

日比谷線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。出口階段はホームの前後にあるが、ホームから改札口へ通じるエレベーターは中目黒方面が中央に、北千住方面が仲御徒町寄りにある。また、中目黒方面には別に改札口が設置されている。同じくホームから改札口へ通じるエスカレーターは、中目黒方面は北千住寄り、北千住方面は中目黒寄りに設置されている。中目黒方面ホームと改札を結ぶエレベーターには朝ラッシュ時のみ使用する階段が併設されている。ホーム中央には、発車標とは別に電車がどこにいるかをランプで知らせる装置が設置されている。

銀座線の渋谷側改札口から地下の連絡通路を経由して、京成電鉄の京成上野駅、さらに上野中央通り地下駐車場と中央通りの地下連絡通路に接続している。

普通乗車券や回数券で銀座線と日比谷線を乗り換える際には、一旦乗車券が回収されずに出口に戻る乗り換え専用のオレンジ色の自動改札機を出る必要がある。また、PASMOSuicaでの乗り換えはどの自動改札機からもタッチできる。いずれも、30分の時間制限がある。

従来あった駅ナカ商業施設「メトロピア」は改装され、「エチカフィット上野」として2009年2月20日に開業した。

定期券売り場と向かい合わせに、東京メトロのお忘れ物総合取扱所が設置されている。

駅務管区所在駅であり、上野駅務管区として上野地域、秋葉原地域、茅場町地域を管理する。

のりば

銀座線と日比谷線の番線表示は、続き番号ではなく、両線ともに1・2番線である。

両路線ともカーブ上にホームがある。銀座線ホームは特に大きくカーブしているため、ホーム上に終日駅員が常駐し、発車の際の合図を行っている。また、車内でも注意を促すアナウンスを流すことが多い。

番線 路線 行先
銀座線ホーム
1 G 銀座線 銀座渋谷方面
2 G 銀座線 田原町浅草方面
日比谷線ホーム
1 H 日比谷線 銀座・六本木中目黒方面
2 H 日比谷線 北千住南栗橋方面

駅弁

JR駅で販売される主な駅弁は下記のとおり[21]

  • ひと口牛たん麦ご飯 500円
  • 八戸真さば寿司 650円
  • 日本海真あじ寿司 680円
  • 鳥めし 800円
  • チキン弁当 800円
  • 深川めし 850円
  • 30品目バランス弁当 850円
  • 海苔のり弁 880円
  • 五目わっぱめし 900円
  • 鯵鯖よくばり寿司 930円
  • こだわりのとんかつ弁当 950円
  • 黒毛和牛入りハンバーグ 980円
  • 平泉うにごはん 1000円
  • みやぎ黄金海道 1000円
  • 独眼竜正宗辨當 1000円
  • 網焼き牛たん弁当 1000円
  • 網焼き仙臺味噌仕立て牛たん弁当 1000円
  • おふくろの味 上野弁当 1000円
  • 炙り煮穴子重 1000円
  • 牛肉弁当 1000円
  • 照り焼きビーフ弁当 1000円
  • 夕刊フジ特選おつまみ弁当 1000円
  • 八戸小唄寿司 1100円
  • 日本のおもてなし弁当 1100円
  • 味噌カツ 1150円
  • ひつまぶし風弁当 1150円
  • 伝承 鯵の押寿し 1200円
  • 津軽味祭 1200円
  • 季節の吹き寄せ弁当 1300円
  • 八戸鯖棒寿司 1300円
  • 大漁市場(旅情編) 1300円
  • うなぎ弁当 1350円

利用状況

埼玉県千葉県北西部・北関東方面に直通する主要鉄道路線のターミナル駅であるが、その割には乗車人員は少なく、JR東日本での駅別乗車人員は第13位である。ただし、改札を通らない乗り換え客は乗降人員には計上されないため、実際としては乗換客で混雑が見られる。平日朝は当駅止まりの宇都宮線・高崎線・常磐線方面から降車後に3・4番線ホームに流れる人の波が絶えず続き、同ホームを発着する山手線・京浜東北線電車に一斉に乗り込む[22]

山手線と京浜東北線の上野→御徒町間におけるラッシュ時の平均乗車率は216%(2006年度)という、日本一の混雑区間であったが、2009年度より日本一の混雑区間の座は総武線錦糸町 → 両国間に移った。2014年度(予定)に東北縦貫線が開業されると、当駅で東京駅方面の乗り換えが解消され、同区間の乗車率も180%程度に抑えられると試算されている。

  • JR東日本
    • 2013年度の一日平均乗車人員181,880人である[* 1]。同社の駅では川崎駅に次ぐ第13位。1988年度にピークを迎えた後は20万人台を維持していたが、1993年度から2001年度にかけて減少傾向が続き、2000年度に19万人を割り込んだ。その後はほぼ横ばい傾向であるものの、2006年度には北千住駅に抜かれ、常磐線で最も乗車人員が多い駅ではなくなった。
    • 2013年度の新幹線の一日平均乗車人員は10,917人である[* 2]
  • 東京メトロ
    • 2013年度の一日平均乗降人員211,539人である[* 3]。同社の駅の中では銀座線渋谷駅に次ぐ第8位であるが、この値には日比谷線・銀座線間の乗換人員を含まない。
    • 銀座線・日比谷線間の乗換人員を含んだ、2012年度の路線別1日平均乗降人員は以下のとおりで、2路線を合算した1日平均乗降人員は285,763人である[23]
      • 銀座線:166,167人 - 同線内では渋谷駅、新橋駅、日本橋駅、表参道駅に次ぐ第5位。
      • 日比谷線:119,596人 - 同線内では北千住駅、中目黒駅、茅場町駅、銀座駅、六本木駅に次ぐ第6位。

年度別一日平均乗降人員

各年度の一日平均乗降人員は下表のとおりである(東京メトロのみ)。

年度別一日平均乗降人員[* 4]
年度 営団 / 東京メトロ
1日平均
乗降人員
増加率
1999年(平成11年) 226,342
2000年(平成12年) 219,557 -3.0%
2001年(平成13年) 209,567 -4.5%
2002年(平成14年) 205,404 -2.0%
2003年(平成15年) 202,981 -1.2%
2004年(平成16年) 210,121 3.5%
2005年(平成17年) 207,129 -1.4%
2006年(平成18年) 206,859 -0.1%
2007年(平成19年) 211,749 2.4%
2008年(平成20年) 213,522 0.8%
2009年(平成21年) 207,635 -2.3%
2010年(平成22年) 204,449 -1.5%
2011年(平成23年) 201,602 -1.4%
2012年(平成24年) 212,509 5.4%
2013年(平成25年) 211,539 -0.5%

年度別一日平均乗車人員(1880年代 - 1930年代)

各年度の一日平均乗車人員は下表のとおりである。

年度別一日平均乗車人員[* 5]
年度 日本鉄道 / 国鉄 東京地下鉄道
1883年(明治16年) [備考 1] 528 未開業
1884年(明治17年) 635
1885年(明治18年) 566
1886年(明治19年) 579
1888年(明治21年) 1,655
1889年(明治22年) 1,990
1891年(明治24年) 1,887
1893年(明治26年) 2,002
1895年(明治28年) 2,481
1896年(明治29年) 2,863
1897年(明治30年) 3,502
1898年(明治31年) 3,958
1899年(明治32年) 3,978
1900年(明治33年) 4,298
1901年(明治34年) 4,373
1902年(明治35年) 4,229
1903年(明治36年) 4,052
1904年(明治37年) 4,179
1905年(明治38年) 5,076
1907年(明治40年) 7,337
1908年(明治41年) 7,310
1909年(明治42年) 7,325
1911年(明治44年) 9,987
1912年(大正元年) 10,250
1913年(大正テンプレート:02年) 10,078
1914年(大正テンプレート:03年) 10,748
1915年(大正テンプレート:04年) 9,650
1916年(大正テンプレート:05年) 11,357
1919年(大正テンプレート:08年) 18,608
1920年(大正テンプレート:09年) 21,790
1922年(大正11年) 29,213
1923年(大正12年) 33,212
1924年(大正13年) 35,035
1925年(大正14年) 34,299
1926年(昭和元年) 35,155
1927年(昭和テンプレート:02年) 37,290 [備考 2]
1928年(昭和テンプレート:03年) 43,519 13,584
1929年(昭和テンプレート:04年) 39,398 11,956
1930年(昭和テンプレート:05年) 33,580 8,561
1931年(昭和テンプレート:06年) 30,976 8,347
1932年(昭和テンプレート:07年) 30,326 8,327
1933年(昭和テンプレート:08年) 31,884 7,644
1934年(昭和テンプレート:09年) 32,662 11,166
1935年(昭和10年) 33,039 12,620

年度別一日平均乗車人員(1953年 - 2000年)

年度別一日平均乗車人員[* 6]
年度 国鉄 / JR東日本 営団
銀座線 日比谷線
1953年(昭和28年) 88,169 未開業
1954年(昭和29年) 93,880
1955年(昭和30年) 99,196
1956年(昭和31年) 104,409 23,509
1957年(昭和32年) 105,830 24,527
1958年(昭和33年) 108,753 25,174
1959年(昭和34年) 115,233 29,505
1960年(昭和35年) 126,742 30,617 [備考 3] 6,656
1961年(昭和36年) 127,495 36,099 4,333
1962年(昭和37年) 137,716 45,952 18,692
1963年(昭和38年) 149,958 37,557 16,826
1964年(昭和39年) 160,820 44,833 23,784
1965年(昭和40年) 160,204 43,637 27,556
1966年(昭和41年) 163,538 40,536 26,251
1967年(昭和42年) 167,358 42,894 29,549
1968年(昭和43年) 175,062 65,373 47,633
1969年(昭和44年) 173,364 74,023 51,163
1970年(昭和45年) 169,951 77,964 53,493
1971年(昭和46年) 181,489 76,732 54,555
1972年(昭和47年) 176,186 75,066 57,419
1973年(昭和48年) 185,496 74,255 54,838
1974年(昭和49年) 186,732 93,329
1975年(昭和50年) 174,495 93,697
1976年(昭和51年) 172,244 53,553 38,942
1977年(昭和52年) 165,279 54,197 39,063
1978年(昭和53年) 163,608 53,737 38,477
1979年(昭和54年) 162,409 55,607 38,822
1980年(昭和55年) 161,178 57,945 39,137
1981年(昭和56年) 158,986 59,595 39,885
1982年(昭和57年) 154,460 59,868 39,753
1983年(昭和58年) 154,743 59,781 41,213
1984年(昭和59年) 157,912 62,860 42,792
1985年(昭和60年) 171,044 64,540 42,438
1986年(昭和61年) 169,534 66,693 44,540
1987年(昭和62年) 170,792 70,120 45,940
1988年(昭和63年) 224,962 73,532 49,666
1989年(平成元年) 205,066 75,677 52,559
1990年(平成テンプレート:02年) 216,899 79,200 54,940
1991年(平成テンプレート:03年) 216,593 77,566 55,626
1992年(平成テンプレート:04年) 216,244 78,200 54,332
1993年(平成テンプレート:05年) 217,734 77,619 53,252
1994年(平成テンプレート:06年) 210,636 75,452 52,405
1995年(平成テンプレート:07年) 207,735 75,019 52,019
1996年(平成テンプレート:08年) 207,636 74,063 51,058
1997年(平成テンプレート:09年) 201,602 73,589 48,159
1998年(平成10年) 195,482 71,699 45,918
1999年(平成11年) [* 7] 195,654 68,926 44,413
2000年(平成12年) [* 8] 189,388 67,085 43,827

年度別一日平均乗車人員(2001年以降)

年度別一日平均乗車人員[* 6]
年度 JR東日本 営団 / 東京メトロ
銀座線 日比谷線
2001年(平成13年) [* 9] 185,661 64,595 43,419
2002年(平成14年) [* 10] 186,147 62,647 43,340
2003年(平成15年) [* 11] 186,401 62,462 42,484
2004年(平成16年) [* 12] 182,196 61,438 42,074
2005年(平成17年) [* 13] 179,978 60,510 41,449
2006年(平成18年) [* 14] 178,007 59,997 41,575
2007年(平成19年) [* 15] 181,099 61,464 42,519
2008年(平成20年) [* 16] 181,244 61,907 42,153
2009年(平成21年) [* 17] 178,413 60,452 41,008
2010年(平成22年) [* 18] 172,306 59,655 40,586
2011年(平成23年) [* 19] 174,832 58,781 40,118
2012年(平成24年) [* 20] 183,611
2013年(平成25年) [* 1] 181,880
備考

テンプレート:Reflist

利用状況の出典

テンプレート:Reflist

駅周辺

テンプレート:See also

広小路口 (JR) ・4 - 6番出口(東京メトロ)

浅草口・東上野口 (JR) 、1 - 3番出口(東京メトロ)

入谷口 (JR)

公園口 (JR)

不忍口(JR) ・京成線連絡通路(東京メトロ)

バス路線

入谷口

停留所名:上野駅

以前は東京ディズニーリゾート行も運行していたが廃止された。

浅草口

停留所名:上野駅前(都営)、上野駅(高速バス)

停留所名:上野駅浅草口

停留所名:JR上野駅

  • パンダバス(ゼグラスツーリスト)
    • 上野ライン:ROX前行

浅草口浅草通り沿い

停留所名:上野駅

東上野口昭和通り沿い

停留所名:上野駅前

停留所名:上野駅(降車専用)

不忍口・京成上野駅前

停留所名:上野公園山下(都営)、上野駅(東武)、京成上野駅(日立自動車交通、京成他)

停留所名:上野公園(都営)

公園口

停留所名:上野駅・上野公園

  • 台東区循環バス 「めぐりん」 (日立自動車交通)
  • スカイツリーシャトル(東武バスセントラル)

停留所名:JR上野公園口

  • パンダバス(ゼグラスツーリスト)
    • 上野ライン:国立博物館・上野動物園方面

上野駅をモチーフにした作品など

文学や歌謡曲の分野で当駅を扱った有名な作品がいくつかある。

隣の駅

東日本旅客鉄道
テンプレート:Color東北・山形・秋田・上越・長野新幹線
東京駅 - 上野駅 - 大宮駅
テンプレート:Color宇都宮線・高崎線
テンプレート:Color快速「ラビット」「アーバン」
上野駅 - 赤羽駅
テンプレート:Color通勤快速・テンプレート:Color普通
上野駅 - 尾久駅
テンプレート:Color京浜東北線
テンプレート:Color快速
秋葉原駅 - 上野駅 - 田端駅
テンプレート:Color各駅停車
御徒町駅 - 上野駅 - 鶯谷駅
テンプレート:Color山手線
御徒町駅 - 上野駅 - 鶯谷駅
テンプレート:Colorテンプレート:Color常磐線(快速)
テンプレート:Color特別快速・テンプレート:Color快速
上野駅 - 日暮里駅
東京地下鉄
G 銀座線
上野広小路駅 (G 15) - 上野駅 (G 16) - 稲荷町駅 (G 17)
H 日比谷線
仲御徒町駅 (H 16) - 上野駅 (H 17) - 入谷駅 (H 18)

参考文献

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:鉄道路線ヘッダー テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox

テンプレート:Navbox

テンプレート:鉄道路線フッター

テンプレート:関東の駅百選
  1. 1.0 1.1 『停車場変遷大辞典(国鉄・JR編I)』(JTB発行、1998年)
  2. 常磐線各駅停車綾瀬駅から東京メトロ千代田線に直通しているため、当駅には乗り入れない。
  3. JR東日本公式ホームページ・上野駅情報 https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=204
  4. 保坂秀人、他「停車場の変遷についての研究:その1.上野駅の成立」『学術講演梗概集.F-2, 建築歴史・意匠』社団法人日本建築学会、P.220、2001年
  5. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  6. 高橋晃久、他「停車場の変遷についての研究:その4.上野駅の成立(3)構内店舗の変遷に関する一考察」『学術講演梗概集.F-2, 建築歴史・意匠』社団法人日本建築学会、P.631、2003年
  7. 保坂秀人、他「停車場の変遷についての研究:その2.上野駅の成立」『学術講演梗概集.F-2, 建築歴史・意匠』社団法人日本建築学会、P.305、2002年
  8. 町野東彦、他「停車場の変遷についての研究:その3.上野駅本屋1号の広間空間について」『学術講演梗概集.計画系 2002(F-2)』、社団法人日本建築学会、P.307、2002年
  9. '94営団地下鉄ハンドブック
  10. 銀座駅霞ケ関駅新橋駅秋葉原駅御茶ノ水駅葛西駅と同時に導入。翌1994年に導入された後楽園駅も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。
  11. 『JR時刻表』1999年4月号
  12. テンプレート:PDFlink - 東京地下鉄 ニュースリリース 2012年10月24日
  13. JR上野駅:13番ホームの発車ベル「あゝ上野駅」に変更 - 毎日jp(毎日新聞、2013年6月20日更新、同年7月5日閲覧)
  14. テンプレート:PDFlink
  15. テンプレート:PDFlink
  16. 朝日新聞 2004年5月19日版
  17. ただし東北本線列車線からは10 - 12番線、常磐線からは5 - 7番線への入線が不可能である
  18. 祖田(2006) 52頁
  19. 祖田(2006) 57 - 58頁
  20. JR上野駅:13番ホームの発車ベル「あゝ上野駅」に変更 - 毎日jp(毎日新聞、2013年6月20日更新、同年7月5日閲覧)
  21. JR時刻表2012年7月号(交通新聞社刊)616ページ
  22. 逆に1・2番線へ流れる客は少ない。
  23. 東京地下鉄、平成24年度1日平均乗降人員・通過人員、関東交通広告協議会ホームページ、2014年5月3日閲覧
  24. 12/20「ミッドナイトアロー久喜」東鷲宮駅への延伸について
  25. 全文は
    「ふるさとの訛なつかし
    停車場の人ごみの中に
    そを聴きにゆく」


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