2002年の日本シリーズ
テンプレート:Infobox プロ野球日本シリーズ 2002年の日本シリーズ(2002ねんのにっぽんシリーズ、2002ねんのにほんシリーズ)は、2002年10月26日から10月30日まで行われた、セ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツと、パ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによる第53回プロ野球日本選手権シリーズである。
概要
2002年の日本シリーズは、原辰徳監督率いる読売ジャイアンツ(以下、巨人)と伊原春樹監督率いる西武ライオンズ(以下、西武)の対決となった。両者とも新人監督でありながら、巨人は全球団に勝ち越しての86勝、西武は90勝で16.5ゲーム差をつけて独走優勝と、圧倒的な力でシーズンを制した戦いぶりが注目され、好ゲームが期待されていた。別名「GL決戦」・「ハラハラ対決(原と伊原を掛け合わせた)」。
巨人対西武(西鉄時代を含めて)の日本シリーズは1956年・1957年・1958年・1963年・1983年・1987年・1990年・1994年と過去8回あり、西武が(西鉄時代を含めて)6勝2敗とリードしていた。原監督は、シリーズ直前の合宿地で、西武への印象を「苦手を通り越して、コンプレックス。トラウマ的なものさえ感じる」と述べていた[1]。
また、捕手の戦いも注目を浴びた。プロ21年目、西武の大捕手・伊東勤に対し、2年目の若き正捕手・阿部慎之助がどこまで立ち向かうかが注目された。結果は阿部に軍配が上がった。 シリーズは巨人の4連勝で、1990年の同じ組み合わせで西武が達成して以来12年ぶり通算4回目(引き分けを挟んだものも入れると6回目)で、巨人としては初めて。1990年、巨人は西武に4連敗しており、その時の4試合の合計得失点差が西武28-8巨人で20点差であった。この2002年のシリーズでは巨人29-9西武と20点差をつけ返し、12年越しのリベンジを果たすこととなった。
巨人はこのシリーズで合計8名の投手が登板したが、全員1試合のみの登板であり、“複数試合に登板した投手がゼロ”という珍しい記録を残した。更に、巨人は外国人選手を一人も起用しなかった。
試合結果
第1戦
10月26日 東京ドーム 開始18:02(2時間55分) 入場者数45107
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
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巨人 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | × | 4 |
(西武)●松坂(1敗)、三井、後藤、土肥-伊東、中嶋聡
(巨人)○上原(1勝)-阿部
本塁打
(西武)カブレラ1号ソロ(9回上原)
(巨人)清水1号2ラン(3回松坂)、清原1号2ラン(3回松坂)
[審判]セ友寄(球)パ山本 セ眞鍋 パ山村(塁)セ森 パ東(外)
- 試合概況
巨人の先発は正攻法でリーグ最多勝のエース上原浩治。一方西武は、チーム最多勝の西口文也ではなく故障明けの松坂大輔を打順7番で起用。松坂の実力は疑いなく打撃も野手並みとの評判ではあったが、結果的にこの奇策は裏目に出る。ただし、松坂を7番で起用した理由は、伊東勤・高木浩之はシーズンの打率は2割台であったが、得点圏打率は高かったため、投手が走者をバントで送って、チャンスに強い二人に回して点を取ろうという伊原監督の考えからであった。
初回、上原は松井稼頭央に初回第1球目を安打[2]されるなど不安定な立ち上がり。しかし直後の小関竜也のバントを捕手・阿部慎之助が二塁封殺、二死一・二塁から和田一浩が放ったセンター前へ抜けようかという打球を二塁手・仁志敏久が好ポジショニングで処理し無得点に抑えた。2回も無死二塁のピンチを背負うが、強攻策の松坂を浅いライトフライに打ち取ってしのぎ、3回には松井、小関、宮地克彦から三者連続三振を奪い完全に立ち直りを見せる。
一方、松坂は威力のある直球を武器に、初回を三者凡退に仕留める完璧な滑り出し。しかし3回、先頭の9番・上原に安打を許すと、次打者の清水隆行に球威の落ちたセットポジションからの直球を右越え本塁打され、2点を先行された。さらに、二死二塁となって迎えた清原和博に、145km/hの直球を左翼へ運ばれ、看板直撃[3]の特大2ランホームラン。この本塁打は、シリーズ全体の行方すら決定付ける象徴的な一発だった。松坂はここでノックアウトとなった。
4点のリードをもらった上原は快調な投球を続け、外角一杯を突く直球とフォークボールでシリーズ記録(1999年、工藤公康(当時:ダイエー)が対中日第1戦でマークした13奪三振)にあと1つと迫る12三振を奪い1失点完投勝利。その失点も西武の主砲カブレラの得意コースを探り、半ば意図的に打たれたソロホームランだという。4-1という得点差以上に巨人の完勝という印象の強い初戦だった。また、12年前の日本シリーズと比べて、巨人側は一投手一捕手で完投勝利したのに対し、西武側は四投手二捕手とバッテリーでそれぞれ複数の選手を使って敗退したこと、そして巨人側は正攻法で上原を起用したのに対し、西武側は奇襲で松坂(大方の予想は西口)を起用したこと等で立場がほぼ逆転した形となった。
巨人がシリーズ第1戦を勝利したのは、1987年(対西武。スコアは7対3)以来15年ぶり。日本シリーズ第1戦の連敗を5(1989、1990、1994、1996、2000年)で止めた。
- オーダー
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第2戦
10月27日 東京ドーム 開始18:01(3時間16分) 入場者数45223
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 4 |
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巨人 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | × | 9 |
(西武)●石井(1敗)、許、三井、森-伊東、野田
(巨人)○桑田(1勝)、岡島、前田-阿部
本塁打
(西武)カブレラ2号2ラン(8回岡島)
[審判]パ東(球)セ森 パ山本 セ眞鍋(塁)パ中村 セ笠原(外)
- 試合概況
巨人は15年ぶりに最優秀防御率のタイトルを獲得し見事な復活を遂げた桑田真澄、西武は右足を痛めながら8勝を上げた石井貴が先発。原監督は勝利にこだわる試合としてこの年抜群の安定感があり、また打撃センスも素晴らしい桑田を立て、伊原監督は第1戦完敗の流れを断ち切る役目をベテランの石井に託した。
1回表、桑田はカブレラに死球を与えるなど二死満塁のピンチを招くが、牽制の間に本塁に突入した小関が際どいタッチプレーで憤死し失点を免れた。その裏、巨人が松井秀喜の適時二塁打で先制する。
試合が大きく動いたのは3回、巨人の攻撃。先頭の桑田がセンター前に安打を放ち出塁すると、4番松井まで5連打を放ち石井を火だるまにする。替わった許銘傑も勢いを止められず、この回巨人は打者一巡。6点を追加して早々と試合を決めた。
桑田は直球を安打されて走者を背負うものの、要所では見事な制球力で変化球を外角に集め、内野ゴロに仕留めて失点を防ぐ。7回1失点と十分に仕事を果たして、リリーフ左腕陣にマウンドを譲った。替わった岡島秀樹からカブレラが2ランを放つが時既に遅く、最後は前田幸長が締めて、9-4で巨人が危なげなく勝利を収め、球団としては1972年以来30年ぶりとなるシリーズ連勝スタートを飾った。
- オーダー
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第3戦
10月29日 西武ドーム 開始18:22(3時間15分) 入場者数30933
巨人 | 0 | 1 | 2 | 4 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 10 |
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西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 |
(巨人)○工藤(1勝)、條辺-阿部
(西武)●張(1敗)、三井、許、土肥、潮崎-伊東、中嶋聡
本塁打
(巨人)清原2号ソロ(2回張)、二岡1号満塁(4回三井)、高橋由1号2ラン(8回土肥)
(西武)松井1号ソロ(8回工藤)
[審判]セ笠原(球)パ中村 セ森 パ山本(塁)セ友寄 パ山村(外)
- 試合概況
舞台を西武ドームに移しての第3戦。巨人はかつてこの西武球場を本拠地として大活躍した「優勝請負人」工藤公康が満を持して登場。西武は二桁勝利の張誌家で反撃を期する。
初回、工藤が小関の打球を右太ももに受けるアクシデントに襲われる。すぐにマウンドに戻ったものの、一死一・三塁から好調のカブレラに二塁打を打たれ、このシリーズ初めて西武に先制を許した。しかし直後の2回表、指名打者で出場の清原がカウント0-3からのストレートを左翼席に叩き込み同点。3回表には清水、松井の適時打で2点を勝ち越し、巨人はあっという間に流れを取り戻す。
1-3で迎えた4回表、無死一・二塁とされたところで伊原監督は張誌家を諦め、三井浩二を投入。三井は無死満塁から二死までこぎつけるものの、連続猛打賞で絶好調の二岡智宏に満塁ホームランを浴び1-7。2戦目に続き、早くも序盤で勝負は決した。
工藤は5,6,7回を3人で片付けるなど西武打線を寄せ付けず、8回2失点で抑え貫禄を見せ付けた。巨人はその後も加点し二桁の10得点。リリーフの條辺剛も9回に点を許さず、圧倒的な強さで3連勝(初戦からの3連勝は球団としては1970年以来)を飾った。なお、工藤は過去の日本シリーズのビジターゲームでの登板では、1度も勝利投手にはなっていなかった[4]。かつての本拠地で初めて、ビジターゲームの登板での勝利投手、となった。加えて、これがシリーズ26試合登板(歴代2位)の記録を持つ工藤にとって最後の日本シリーズ出場となった。
- オーダー
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第4戦
10月30日 西武ドーム 開始18:21(3時間12分) 入場者数31072
巨人 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 6 |
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西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
(巨人)○高橋尚(1勝)、河原-阿部
(西武)西口、●松坂(2敗)、森、豊田-中嶋聡、野田
本塁打
(巨人)斉藤1号2ラン(2回西口)
(西武)エバンス1号2ラン(5回高橋尚)
[審判]パ山村(球)セ友寄 パ中村 セ森(塁)パ東 セ眞鍋(外)
- 試合概況
一気に決着をつけたい巨人は、2年前のシリーズでルーキー初登板完封勝利を挙げている高橋尚成が先発。もう後がない西武は、チーム最多勝の西口文也に全てを賭ける。
西口は2回、斉藤宜之の2ランで先制を許す。しかしその後は5回まで走者を出すものの粘りの投球で得点を許さず、パ・リーグ王者の意地を見せる。一方の高橋は序盤3回を完全に抑える見事な立ち上がり。
5回裏、西武が反撃に出る。エバンスの2ランで同点とすると、その後も失策と四球で二死満塁の好機を作った。あと一本が出ず同点どまりではあったが、初めて西武が流れを引き戻したかに見えた。
伊原監督はここが勝負所と察し、ここまで2安打に抑えていた西口に代えて松坂を投入するが、これが大誤算となる。松坂は2死球を与え、二死一・二塁から斉藤、後藤孝志に連続適時打を浴びて3点を献上。7回にも清原に適時打を打たれ計4失点となり、失意のままマウンドを降りた。
敗色濃厚となり焦る西武は、高橋の前に6,7,8回と三者凡退。なす術もなく最終回を迎えた。巨人は4点差ながらここまで圧勝のため出番がなかった守護神・河原純一を最終回のマウンドに送る。河原はカブレラ、和田を抑え、最終打者・エバンスを空振り三振に仕留め、4連勝の最後を飾る胴上げ投手となった。
- オーダー
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表彰選手
- 最高殊勲選手賞:二岡智宏(巨人)-打率.474(19打数9安打)5打点。第1戦から3試合連続猛打賞、5打席連続安打[5]、第3戦で三井から満塁本塁打。
- 敢闘選手賞:アレックス・カブレラ(西武)-第1戦から2試合連続本塁打と3試合連続打点をマークし、1人気を吐く。
- 優秀選手賞:清原和博(巨人)-第1戦で松坂から東京ドームの看板を直撃する本塁打を含む2本塁打放ち、日本一に貢献。
- 優秀選手賞:上原浩治(巨人)-第1戦でシリーズタイ記録の12奪三振、1失点完投勝利で日本一に貢献。防御率1.00。
- 優秀選手賞:斉藤宜之(巨人)-日本一を決めた第4戦で先制本塁打を含む3安打を放ち、打率.571(7打数4安打)をマーク。
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:10月26日
- 日本テレビ≪日本テレビ系列 制作・日本テレビ≫
- 放送時間:17:30 - 21:14(20分延長)
- 第2戦:10月27日
- 日本テレビ≪日本テレビ系列 制作・日本テレビ≫
- 放送時間:17:45 - 21:34(40分延長)
- 中継が40分も伸びたため、21:00の『知ってるつもり!?』は21:40開始、22:00の『おしゃれカンケイ』は22:40開始、22:30の『進ぬ!電波少年』は23:10開始、22:56の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』は、23:36開始となった。
- 第3戦:10月29日
- テレビ朝日≪テレビ朝日系列 制作・テレビ朝日≫
- 放送時間:18:17 - 21:54(60分延長)
- 中継が1時間も伸びたため、21:00の『ロンドンハーツ』は休止となり、21:54の『ニュースステーション』以降は通常通り放送した。
- 第4戦:10月30日
-
- 放送時間:18:10 - 21:54(60分延長)
- 中継が1時間も伸びたため、21:00の『ウッチャきナンチャき』は22:00開始、22:00の『やんパパ』は23:00開始、22:54の『筑紫哲也 NEWS23』は23:54開始で番組の序盤を過ぎた時点で日付が翌10月31日にまたいで放送された。
※5戦目以降は、第5戦はテレビ朝日とBS朝日、第6戦と第7戦は日本テレビの予定だった。
※1998年に続き、NHK(総合テレビ、衛星第1テレビ、衛星ハイビジョン)のテレビ中継(録画も含めて)がなかった。
※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(日本テレビ系)は30.5%。 第2戦(日本テレビ系)は28.8%。第3戦(テレビ朝日系)は25.8%。第4戦(TBS系)は29.5%だった。
ラジオ中継
- 第1戦:10月26日
- 第2戦:10月27日
- 第3戦:10月29日
- 第4戦:10月30日