小関竜也

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テンプレート:Infobox baseball player 小関 竜也(おぜき たつや、1976年7月24日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手外野手)、野球解説者

テンプレート:Byシーズン途中からテンプレート:Byまでの登録名小関 竜弥(読み同じ)。

来歴

國學院栃木高校では、エースで主将で4番打者として活躍。なお、同学年の控え投手は千葉ロッテマリーンズ渡辺俊介

西武時代

テンプレート:Byドラフト2位で西武ライオンズに投手として指名され入団。入団後に打者へ転向。1年目のテンプレート:Byは一軍での出場はなかったが、テンプレート:By10月4日の近鉄バファローズ25回戦の8回裏に笘篠誠治の代打として一軍初出場を果たす。テンプレート:Byも1試合の出場に留まるも、テンプレート:Byには走攻守三拍子揃った外野手としてレギュラーに定着し、同年の新人王を受賞。その後も右翼手に定着し、若いながら小技が利く好打者として渋い活躍を見せ、テンプレート:Byには自身最高の打率.314を記録、松井稼頭央との不動の1・2番コンビでリーグ優勝に貢献。

しかし、その後はやや不振が続き、選手会長に就任したテンプレート:Byに打率.198と低迷すると、シーズン終了後に大幅減俸を提示された事もあり、メジャーリーグへの挑戦を申し出る。ライオンズは小関を功労者であるとして自由契約とする。トレード要員であったという説はあったものの、その時点で29歳とまだ若く、また野手層の少ないチーム状況であったため、伊東勤監督が「若手と競わせるつもりだった」とコメントし、編成部への不信感をあらわにするなど、フロントと現場の意思疎通がうまく行っていないことを示唆する出来事であった。

西武時代は走攻守揃った選手として3度の優勝に大きく貢献。西武で不動の右翼手として活躍していた時代は右翼手でありながら中堅手よりも多くの打球を処理していた。テンプレート:By5月25日聖澤諒に抜かれるまで外野手の連続無失策記録(658連続)を保持していた[1]。盗塁数は二桁を越える年が多かったが、盗塁失敗回数も多かった。特に2002年はリーグ最多である。

メジャー挑戦

テンプレート:By2月8日、守備および送球の良さを買われ、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。メジャー昇格を目指していたが、4月13日に球団のマイナー選手の外国人枠が埋まっていることが判明。その後の交渉も不調で残留は困難と判明。

2日後の4月15日、読売ジャイアンツの入団テストを受け合格し入団。

巨人時代

テンプレート:By6月11日に行われた千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で、3回表、ロッテ先発渡辺俊介から李承燁がライトスタンドへ本塁打を打ったものの、サード今江敏晃が走者であった小関の三塁ベース踏み忘れを指摘し、塁審の西本欣司により得点を取り消されてスリーアウトチェンジとなり、打った李承燁は、単打扱いとなった。

本塁打を打った打者以外の走者ベース空過で本塁打取り消しになったのはセ・パ両リーグを通じて史上初。なお、小関は西武時代にもテンプレート:By6月25日の対ダイエー戦でも三塁ベースを踏み忘れてアウトになっている。

巨人時代のベース空過の件に関して、2009年5月26日の斉藤一美 うるわしの夜文化放送)に出演した際に、「踏んでないわけない。踏まないなら変な感触がある」「フジテレビにはベースを踏んだ映像が残っている」「(その時の審判を)今でも許せない。死ぬまで許せない」「今はインターネットがあるのでいつまでも残ってしまう」「清武代表が『小関は踏んだ』ということをアピールしてくれてうれしかった」と語っている。

テンプレート:Byは若手選手が台頭したこともあり、二軍でも出場機会が得られないまま戦力外通告を受ける。同年の12球団合同トライアウトで2本塁打を放ち、横浜ベイスターズへの入団が決定。

横浜時代

テンプレート:Byは開幕スタメンで起用され、開幕から4試合連続でマルチヒット(その内1試合は猛打賞)を記録するなど絶好調であったが、5月に入り失速。その後は主に左の代打として起用された。8月半ばに登録を抹消されるとその後の一軍出場は無かった。10月1日に戦力外通告を受ける。守備では無失策を記録し、持ち味は発揮していた。

現在

テンプレート:Byは2度目のメジャーリーグ挑戦を目指し、3月にコロラド・ロッキーズのトライアウトを受けるが、不合格。4月14日、現役引退を発表。野球評論家としてJ SPORTSで解説を務めた(ただし、解説者としての初仕事は「NACK5 SUNDAY LIONS」のゲスト解説)。テンプレート:Byからは読売ジャイアンツ二軍外野守備走塁コーチを務める[2]

この他に、埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。

登場曲について

西武時代、西武ライオンズ球場がドーム化され西武ドームとなるのに合わせ、各選手が打席に入る際やイニング間の投球練習の間に流すテーマ曲を決めることになった。小関はレッツゴー!ライオンズ内でファンからテーマ曲のアイディアを公募し、その結果テレビドラマ「太陽にほえろ!」で劇中のBGMとして使われた『ジーパン刑事のテーマ』(青春のテーマ)を使用することを決めた。

ところがある時期から一部の西武ファンが、小関が打席に入る際、場内で流れる『ジーパン』のリズムに合わせて「お・ぜ・きー!!」などと小関コールを入れるようになり、これがのちにホームのみならず、ロードゲームでも応援団がトランペットで演奏するようにまでなった。

小関は巨人移籍後も『ジーパン』をテーマ曲に選曲。ファン・応援団による小関コールも西武時代同様に行われた。しかし巨人に在籍した2年間は出場機会に恵まれず、特に2007年シーズンは出場が僅か5試合。東京ドームで『ジーパン』が流れたのは僅か2回だけであった。

12球団合同トライアウトを経て横浜に移籍。ここでも小関は「自分のテーマ曲として定着しているし、あの曲で横浜を盛り上げたい」と、『ジーパン』をテーマ曲に選んだ。

2009年にはライオンズの星秀和が、小関本人に直接許可をもらって使用していた。

エピソード

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 2女の父で、長女はジュニアモデルの小関舞。
  • 実家は栃木県佐野市にあるラーメン屋で、佐野ラーメンの有名店で知られている。
  • 西武時代、背番号・ポジションが同じだったイチローと比較されるのを嫌ったため、51から31へ変更した。他にも小関自身が、かつて背番号31を着けていた掛布雅之前田智徳を好きな選手として挙げている事もその理由の一つである。また、巨人移籍当時の2006年は49だったが、2007年から愛着ある31に変更した。
  • 同郷である石井琢朗とは自主トレを一緒に行うなど親交がある。小関が横浜へ入団する際には「よろしくお願いします」という旨の電話が正式な球団発表の前にあったことを石井が自身のブログで明かしている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 西武 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 104 387 322 44 91 11 4 3 119 24 15 10 27 0 33 1 5 37 2 .283 .358 .370 .728
テンプレート:By2 123 464 373 46 100 9 4 1 120 34 16 8 32 2 46 0 11 53 6 .268 .368 .322 .690
テンプレート:By2 125 417 340 50 89 11 4 1 111 32 7 5 23 4 43 1 7 54 1 .262 .353 .326 .679
テンプレート:By2 133 495 407 40 114 17 4 3 148 38 17 6 32 2 46 1 8 37 2 .280 .363 .364 .726
テンプレート:By2 135 569 487 59 153 35 1 4 202 50 15 12 43 4 25 0 10 59 1 .314 .357 .415 .772
テンプレート:By2 113 457 397 48 111 12 5 1 136 33 9 3 32 3 21 0 4 38 7 .280 .320 .343 .663
テンプレート:By2 90 328 286 43 77 13 2 3 103 32 1 3 11 2 24 0 5 29 5 .269 .334 .360 .695
テンプレート:By2 47 104 86 10 17 3 1 0 22 1 0 0 6 0 8 0 4 16 1 .198 .296 .256 .552
テンプレート:By2 巨人 56 137 128 8 33 4 2 0 41 10 3 0 4 0 4 0 1 15 1 .258 .286 .320 .606
テンプレート:By2 5 4 4 2 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 1.000 1.250
テンプレート:By2 横浜 49 103 93 9 20 1 0 1 24 3 0 1 1 0 8 2 1 11 1 .215 .284 .258 .542
通算:13年 982 3466 2924 359 806 116 27 18 1030 259 83 48 211 17 258 5 56 351 27 .276 .344 .352 .696
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 1 0 0 0 0 ----
1998 103 213 7 0 3 1.000
1999 122 250 4 0 0 1.000
2000 116 224 3 1 0 .994
2001 130 204 3 1 1 .995
2002 135 270 2 1 0 .996
2003 109 215 4 3 0 .986
2004 79 115 2 1 0 .992
2005 32 36 0 1 0 .973
2006 40 44 0 1 0 .978
2007 3 0 0 0 0 ----
2008 29 37 0 0 0 1.000
通算 899 1608 25 9 4 .995

表彰

記録

背番号

  • 51 (1995年 - 1999年)
  • 31 (2000年 - 2005年、2007年)
  • 49 (2006年)
  • 0 (2008年)
  • 74 (2011年 - )

登録名

  • 小関 竜也 (おぜき たつや、1995年 - 2003年8月13日、2005年 - )
  • 小関 竜弥 (おぜき たつや、2003年8月14日 - 2004年)

関連情報

現在の出演番組

ドラマ出演

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:読売ジャイアンツ テンプレート:Navboxes

テンプレート:西武ライオンズ1994年ドラフト指名選手
  1. 楽天・聖沢が連続無失策のパ新記録達成!サンケイスポーツ(SANSPO.COM)2013年5月25日閲覧 
  2. 森脇浩司、清水崇行、小関竜也の3氏が二軍コーチに就任