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2014年7月20日 (日) 14:14時点における最新版
テンプレート:Infobox プロ野球日本シリーズ 1974年の日本シリーズ(1974ねんのにっぽんシリーズ、1974ねんのにほんシリーズ)は、1974年10月16日から10月23日まで行われたセ・リーグ優勝チームの中日ドラゴンズとパ・リーグ優勝チームのロッテオリオンズによる日本プロ野球の日本選手権シリーズである。
目次
概要
金田正一監督率いるロッテオリオンズと読売ジャイアンツのV10を阻んだ与那嶺要監督率いる中日ドラゴンズの対決となった同年の日本シリーズはロッテが4勝2敗で勝利し、毎日時代の1950年の第1回以来2度目の日本一を果たした。中日の高木守道、トーマス・マーチン、谷沢健一、木俣達彦、星野仙一、松本幸行とロッテの山崎裕之、有藤通世、弘田澄男、ジム・ラフィーバー、村田兆治、木樽正明の野手・投手陣の戦いは第1戦、2戦および4戦が逆転、第6戦が延長戦と混戦だった。また、両チームともに守りにミスが多かったのがこの混戦の原因とも言える。8対5とロッテが制した第2戦では両チームともに3失策。6試合で計17失策というお粗末さ。さらに両チームともに決め手を欠く投手陣で投手起用数も多く、第2戦では両チーム合わせて13人の投手を起用する試合になった(新記録)。MVPは弘田澄男が獲得。
当時ロッテは宮城県仙台市の宮城球場(現:楽天koboスタジアム宮城)を暫定本拠地としていたが、設備上の問題もありロッテ主管は後楽園球場で行われた。
試合結果
第1戦
ロッテ | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2x | 5 |
(ロ)金田、水谷則、成田、木樽、●村田(1敗)-村上
(中)松本幸、三沢、渋谷幸、○星野仙(1勝)-木俣
本塁打
(ロ)弘田1号ソロ(4回三沢)
[審判]セ岡田和(球)パ道仏 セ竹元 パ岡田豊(塁)セ久保田 パ斎田(外)
3対3で迎えた9回表、ロッテは星野仙一を攻め、山崎裕之のタイムリー二塁打で勝ち越す。リードを奪ったロッテは9回裏に村田兆治を投入するが、1死1、2塁から高木守道が村田をとらえ、左中間二塁打で2者生還、劇的な逆転サヨナラ勝ち(中日としては初のシリーズサヨナラ勝ちだが、2012年現在ではこれが唯一となっている。なお、全体としては1971年の巨人対阪急第3戦での王貞治の本塁打以来史上15回目)。
第2戦
10月17日 中日 入場者24798人
ロッテ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 8 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
(ロ)木樽、八木沢、三井、水谷則、○成重(1勝)、村田-榊、土肥、村上
(中)鈴木孝、竹田、渋谷幸、稲葉、●星野仙(1勝1敗)、星野秀、水谷-木俣
本塁打
(ロ)山崎1号ソロ(6回竹田)、有藤1号ソロ(8回星野仙)
(中)広瀬1号ソロ(5回木樽)
[審判]パ斎田(球)セ松橋 パ道仏 セ竹元(塁)パ大野 セ久保田(外)
3-5とリードされたロッテは8回、有藤通世の本塁打、弘田澄男の適時打と前日に続いて星野仙を攻略。急遽リリーフした星野秀孝から得津高宏が2点適時打を放ち逆転。一方、ロッテの村田は8回9回を無安打に抑え前日の汚名返上を果たした。両チームのリリーフエースが明暗を分ける形になった。
第3戦
中日 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ロッテ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 4 |
(中)○松本幸(1勝)、S鈴木孝(1S)-木俣
(ロ)●成田(1敗)、八木沢、水谷則、成重-土肥、村上
本塁打
(中) 谷沢1号3ラン(4回成田)、島谷1号ソロ(6回成田)、谷沢2号ソロ(6回成田)
(ロ)前田1号3ラン(8回松本幸)
[審判]セ松橋(球)パ大野 セ岡田和 パ道仏(塁)セ竹元 パ岡田豊(外)
中日が谷沢健一の3ラン、島谷金二の2ランで5点をリード。8回、好投を続けていた松本幸行が前田益穂の3ランで1点差に詰め寄られると、中日は鈴木孝政を投入して逃げ切った。
第4戦
10月20日 後楽園 入場者43128人
中日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ロッテ | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | X | 6 |
(中)稲葉、水谷寿、竹田、●渋谷幸(1敗)、三沢、星野秀-木俣
(ロ)○金田(1勝)、S村田(1敗1S)-村上
本塁打
(中)高木守1号ソロ(1回金田)、マーチン1号ソロ(6回金田)
(ロ)弘田2号ソロ(6回渋谷幸)、有藤2号ソロ(6回渋谷幸)
[審判]パ岡田豊(球)セ岡田和 パ大野 セ久保田(塁)パ斎田 セ松橋(外)
6回に同点に追いつかれたロッテはその裏、弘田、有藤の連続本塁打と岩崎忠義の適時打で再び突き放した。7回から先発金田留広をリリーフした村田は3イニングを1安打無失点で起用に応えた。中日は先頭打者本塁打を放った高木が5回の打席で自打球を左足首に当て退場、全治3週間の重傷を負い戦列離脱を余儀なくされた。
第5戦
10月21日 後楽園 入場者28187人
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ロッテ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | X | 2 |
(中)●鈴木孝(1敗1S)、竹田-木俣
(ロ)○木樽(1勝)-村上
[審判]セ竹元(球)パ斎田 セ久保田 パ大野(塁)セ岡田和 パ道仏(外)
ロッテは1回、岩崎がヒットで出塁、飯塚佳寛が送りバント、得津のタイムリーヒットであっという間に先制。7回にもヒットで出塁した有藤が盗塁、暴投で3塁に進み、村上公康がスクイズを決め追加点。守っては木樽正明が高木不在の中日打線相手に危なげないピッチングで2安打無四球の完封勝利。ロッテが日本一に王手をかけた。
第6戦
10月23日 中日 入場者23433人
ロッテ | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中日 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
(ロ)○村田(1勝1敗1S)-村上
(中)松本幸、●星野仙(1勝2敗)-木俣
本塁打
(ロ)千田1号ソロ(5回松本幸)
(中)大島1号ソロ(6回村田)
[審判]パ道仏(球)セ久保田 パ斎田 セ松橋(塁)パ岡田豊 セ竹元(外)
ロッテはここまで好救援を見せていた村田が意表をつく先発。ロッテが2回表に弘田の適時打で先制するも、中日は3回裏に1死満塁から木俣の犠飛で同点。5回にロッテ・千田啓介、6回に中日・大島康徳がそれぞれソロを放ち、2-2で延長へ。10回表、ロッテは先頭の代打・土肥健二が三塁大島のエラーで出塁、4番山崎の犠打で2塁に進むと、続く弘田が左中間を破るタイムリー二塁打で勝ち越し。村田は10回にも登板し、最後は井上弘昭を見逃し三振に仕留め145球完投、ロッテの24年ぶりの日本一が決定した。中日は骨折の高木が戦列に復帰するも、5回途中からロングリリーフの星野仙が10回に力尽き、実質的に3度のリリーフ失敗となったのが痛かった。
表彰選手
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:10月16日
- 第2戦:10月17日
- 第3戦:10月19日
- 第4戦:10月20日
- 第5戦:10月21日
- 第6戦:10月23日
- 中日が前回優勝した20年前は在名民放テレビ局がなかったため、当然ながら中部日本放送(CBC)と東海テレビの両局にとっては初の日本シリーズ中継となった。
- この年は腸捻転最後の年でもあり、朝日放送にとっては第1戦が最後の中日主催試合のテレビ放送となった(ラジオは翌年以降も継続)。ちなみに第1戦の先発は、CBCのエリアで生まれ育ったロッテ・金田留広と朝日放送のエリアで生まれ育った中日・松本幸行である。
- 東京12チャンネルが放映権を獲得した第5戦は、中京圏では同局の親企業である日本経済新聞社と結びつきが強い中京テレビ放送[1]ではなく、名古屋放送がネットしたが(テレビ愛知開局は9年後)、NETの『13時ショー』(黒柳徹子司会)との兼ね合いもあって、午後2時(JST)からの飛び乗りネットとなった。また、近畿地方でも東京12チャンネルと関係が強かった毎日放送がネットした[2]。なお、東京12チャンネル→テレビ東京では2003年のダイエーVS阪神第7戦まで日本シリーズの放送がなかった[3]。
- 金田監督の胴上げ試合となった第6戦はNHK総合の独占中継となったが、日本シリーズのテレビでのNHKの独占中継は今のところ、この試合が最後である。また、未開催だった第7戦はCBCと東海テレビが並列中継する予定だった。
- 当時ロッテの保護地域だった宮城県の民放では
ラジオ中継
- 第1戦:10月16日
- 第2戦:10月17日
- 第3戦:10月19日
- 第4戦:10月20日
- 第5戦:10月21日
- 第6戦:10月23日
- NHKラジオ第1 解説:小西得郎、鶴岡一人
- TBSラジオ(JRN・CBCラジオ制作) 解説:田宮謙次郎、板東英二
- 文化放送(NRN・東海ラジオ制作) 実況:犬飼俊久 解説:大島信雄 ゲスト解説:野村克也
- ニッポン放送(NRN) 解説:関根潤三
- ラジオ関東 解説:河村保彦、大沢啓二
- ※なお、宮城県の民放ラジオでは全ての試合をTBCラジオで中継した。(どの系列の中継を放送したかは詳細不明)
エピソード
- 前述の通り日本一を果たしたロッテだったが、その後の祝勝パレードは当時球団事務所や合宿所などの諸施設を置いていた東京都内でしか行わず、実質的な本拠地だった仙台では全く行われなかった。これには仙台市民から「裏切られた」などといった批判が寄せられていた(この当時のロッテについてはジプシー・ロッテも参照)。
- 中日とロッテは2010年の日本シリーズでも対戦したが、同年のロッテはレギュラーシーズン3位からクライマックスシリーズを制して日本シリーズに進出し、さらに日本一も果たした。なお、レギュラーシーズン3位からの日本シリーズ進出および日本一はいずれも同年のロッテが日本プロ野球史上初めてである[4]。
- この年の日本シリーズが開催できなかった宮城球場では、現在同球場を本拠地としている東北楽天ゴールデンイーグルスが2013年にクライマックスシリーズを制したことにより、同年初めて日本シリーズが開催された。
関連項目
脚注
- ↑ 当時UHF放送は開始されたばかりであり、視聴世帯が少ないことも影響したと考えられる。
- ↑ MBSはいわゆる「腸捻転解消」の影響や1982年にテレビ東京系列のテレビ大阪が開局したこともあり、東京12チャンネル発の日本シリーズ中継は今回が最後となった。
- ↑ 1981年にロッテが優勝した場合の放送権を得ていたが、日本ハムが優勝したため実現しなかった。
- ↑ ちなみに中日も2007年にレギュラーシーズン2位から日本シリーズに進出し、さらに日本一も果たしている。