阪神競馬場

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:競馬場 阪神競馬場(はんしんけいばじょう)は、兵庫県宝塚市(一部西宮市)にある中央競馬競馬場である。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会(JRA)である。競馬場の最寄駅から仁川(にがわ)とも呼ばれる。

アメリカイリノイ州アーリントンパーク競馬場と姉妹提携を結んでおり、阪神競馬場ではアーリントンカップ(GIII)、アーリントンパーク競馬場では阪神カップ(Hanshin Cup, GIII)が開催されている。

コース概要

ファイル:Hanshin Racecourse Aerial photograph.1985.jpg
阪神競馬場(コース改修前)付近の空中写真。東側を南北に流れる川は武庫川。1985年撮影。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

2006年のコース改修で従来の第3コーナー - 第4コーナーの外側に新設された芝外回りコースは東京競馬場を上回り、右回りの競馬場として日本最大の1周距離となった[1]。あわせて、芝コース・ダートコースとも第1コーナー - 第2コーナーのカーブにスパイラルカーブが採用されたほか、ダートコースの第3コーナーも緩やかなカーブに改良された[1]

これにより、改修前のコース形態で問題とされていた点もほぼ解消[1]され、特に枠順による有利不利が指摘されていた芝1600mは向正面の中ほどに発走地点が移されたことで、不満の声も聞かれなくなった[1]とされる。

芝コース

ゴール前の直線には高低差1.8m、勾配1.5%の急坂があり、逃げ・先行馬がこの坂で失速するシーンもしばしば見受けられる[1]

  • 1周距離[1]
    • Aコース:内回り1689m、外回り2089m
    • Bコース:内回り1713.2m、外回り2113.2m
  • 直線[1]
    • Aコース:内回り356.5m、外回り473.6m
    • Bコース:内回り359.1m、外回り476.3m
  • 距離設定[1]
    • 内回り:1200m、1400m、2000m、2200m、3000m
    • 外回り:1400m、1600m、1800m、2400m、2600m
    • 外→内:3200m
  • 出走可能頭数(フルゲート)[2]
    • 1月1日から3月28日まで
      • Aコース
        • (内回り)一律16頭
        • (外回り)一律16頭
      • Bコース
        • (内回り)一律16頭
        • (外回り)一律16頭
    • 上記以外の期間
      • Aコース
        • (内回り)1400m・2200m・3000mは18頭、その他は16頭
        • (外回り)1400mは16頭、その他は18頭
      • Bコース
        • (内回り)1400m・2200m・3000mは18頭、その他は16頭
        • (外回り)1400mは16頭、その他は18頭

ダートコース

  • 1周距離:1517.6m[1]
  • 直線:352.7m[1]
  • 距離設定:1200m、1400m、1800m、2000m、2600m[1]
  • 出走可能頭数(フルゲート):一律16頭[2]

障害コース

障害コースは逆回りにスタートし、向正面から襷コースを通って順回りとなる。

  • 1周距離:1366.7m(襷コース:403.7m)[1]
  • 距離設定[1]
    • 芝:3000m、3140m、3800m、3900m
    • 芝→ダート:2970m、3110m
  • 出走可能頭数(フルゲート):一律14頭[2]

アクセス

ファイル:Hanshin Racecourse 002.jpg
正門から仁川駅の方向へ延びる屋根つきの歩道橋「サンライトウォーク」

阪急今津線仁川駅から専用地下道で徒歩5分。

  • かつては横断歩道を渡るなどせねばならず、渋滞と交通整理が付きものだったが、現在は専用地下道が整備され、雨天でも場内まで傘を差さずに向かうことができる。
  • 大阪、神戸方面からは西宮北口駅で今津線に乗り換えとなる。
  • 阪神競馬開催日は、メインレース終了時から17時頃まで、概ね10分間隔で仁川始発の梅田行き臨時急行(停車駅:塚口十三)が運転される。また、今津線内(西宮北口-宝塚間)の各駅停車は、通常は10分間隔での運転のところ、16時から17時30分頃までは4~6分間隔で運転される。

歴史

戦前

1907年明治40年)、現在の西宮市の鳴尾浜の両岸に作られ関西競馬倶楽部によって開催された西浜の関西競馬倶楽部競馬場と、鳴尾速歩競馬会によって開催された東浜の関西速歩競馬場がルーツ(この2つの競馬場を総称し、鳴尾競馬場と呼んでいた)。馬券発売禁止時代、馬政局の命令により両倶楽部は合併され阪神競馬倶楽部となり、1910年(明治43年)、関西速歩競馬場は廃止。1916年大正5年)、阪神電気鉄道が競馬場内側に野球場2面(鳴尾球場)を含む総合運動場を作り、翌年「全国中等学校優勝野球大会」を開催。

1937年昭和12年)、日本競馬会阪神競馬場と改称。1943年(昭和18年)、日本海軍が、競馬場に隣接する川西航空機の製造する軍用機の試験飛行を実施するための飛行場として競馬場用地の徴用を打診し、日本競馬会が代替用地の斡旋と建築資材の提供を条件に応じた為、1943年の開催を最後に開催終了した。

逆瀬川競馬場

日本海軍と日本競馬会では、移転候補地を検討の結果、武庫郡良元村の逆瀬川付近(現在の宝塚ゴルフ倶楽部の一部を含む用地)が最適と判断し、宝塚ゴルフ倶楽部や付近の土地所有者との交渉を行い、1944年には競馬場用地の買収を完了、ただちに移転工事を開始した。工事資材は海軍より提供されたが、山地を切り開き、平地に地ならしする必要のある馬場・スタンド付近の工事は先送りされ、まず先に厩舎施設や調教コース、ポンプ場などの関連設備、及び職員用住宅の建築を実施する事とし、終戦後も工事を続けた結果、1946年4月に完成して使用開始した。

しかし、1946年6月に、進駐軍が慰安用ゴルフコースに使用する為に未着工の用地を接収[注 1]した為、それ以上の工事継続が不可能となった上に、調教コースもゴルフコースに復元されてしまった為、調教用設備としても使用困難となり、早期の接収解除も望めない事から、競馬会では新たな競馬場用地を探す必要が生じた[3]

新阪神競馬場の開場

日本競馬会では、新たな競馬場用地の取得を検討したが、独自に競馬場用地を取得する予算も無く苦慮していたところ、戦災に遭った後は放置されていた仁川の旧川西航空機宝塚工場跡地の払い下げを受けて、競馬場の建設を検討していた社団法人西日本競馬振興会(のち阪急グループの京阪神競馬株式会社を経て、現在は京阪神ビルディング株式会社)に競馬会側が協力し、まず同地に仮設の競馬場を建設し、それを競馬会側が賃借する事で合意した。

そうして1948年夏より競馬場設置工事を開始したが、まずは鉄骨類などの建物の残骸を取り除く工事から開始せざるを得なかった。またスタンドも土盛の上にコンクリートを打ち、小さな屋根を付けた程度の粗末な設備なものの、1949年暮れに竣工し、12月3日より第一回阪神競馬が開催された[4]

この時点では、逆瀬川地区の競馬場施設もそのままで、大半の馬や人は逆瀬川におり、競馬開催時に阪神競馬場まで移動していた。また馬場は水捌けが悪く、雨が降ると水が浮いて状になり騎手から不評だったため、第一回開催の終了後に再整備を余儀なくされた[5]

しかし、阪神競馬場の人気は振るわなかった。馬場の内側には戦災で破壊された鉄骨類がみられ、極めて殺風景だった事から、当時の農林省競馬部では、馬場内の整備の一環としてゴルフ場を設置する事を決め、京阪神競馬会社や京阪神急行電鉄などと協力して場内整備を行い、1951年2月に全9ホールの「仁川ゴルフクラブ」として開場した[6]

1952年になって、米軍より逆瀬川の競馬用地が返還された。農林省競馬部では、当初の予定とおり競馬場を建設する方針であったが、まずは調教用馬場の設置と、阪神競馬場と厩舎地区を結ぶ馬道の建設を計画したが、宝塚ゴルフ倶楽部側は、国に対してゴルフ場としての払い下げを求めて使用を開始したため、阪神競馬場が国に払下申請の却下を陳情したものの、結局国がゴルフ倶楽部側に対してゴルフコースの一時利用許可を与えた為、調教用馬場の建設はならなかった。一方阪神競馬場では、京阪神競馬会社と新たな賃借契約を結び、土地購入やスタンドの増築などを実施し、利用客へのサービス向上を図った[7]

1955年(昭和30年)、日本中央競馬会が設立されると、競馬会側では逆瀬川の競馬場用地への移転を断念、現在の競馬場を競馬会が取得する事とし、京阪神競馬会社と交渉の結果、双方で土地を交換した上で、逆瀬川の用地を宝塚ゴルフ倶楽部側が買収する事で合意し、1956年3月に逆瀬川地区から厩舎を移築して、全ての施設を仁川地区に集約した[8]

1955年には障害競走専用コースを設置、1959年にはスタンドの増築が完成し、阪神競馬場開場当時の木造スタンドは消滅したが、入場人員の増加に伴い、1962年1966年に再増築された。

厩舎の移動から改築まで

1969年滋賀県栗東トレーニングセンターが開場し、11月4日から11月20日にかけて、阪神競馬場所属の人馬の移動が行われた。不要となった厩舎地区は整地され、駐車場や場内公園などに利用された。また調教用馬場は、一時的に地元乗馬クラブに貸し出されるなどした後で、1974年ダートコースへの改造が行われ、9月7日より正式に使用開始された。混雑するスタンドも、1979年に再増築された[9]

1986年にはターフビジョンが設置されたが、最も古いスタンドが築35年となり、老朽化も目立ってきた事から、JRAでは阪神競馬場の全面改築を決定。1990年6月の開催後に工事を開始した。

阪神・淡路大震災から現在まで

  • 1991年12月、改築工事は終了した。スタンドは一新し、直線コースには、新たに坂が設けられた。
  • 1996年(平成8年)から2010年(平成22年)までこれまで阪神に割り当てられていた5~6月の開催が中京競馬場と開催節交換となり、6~7月の開催に変更された。これは以下の理由テンプレート:要出典が考えられている。
    • 中京競馬場の名物レースである高松宮杯(現:高松宮記念)が、JRAGIレースへ昇格。
      同レースはそれまで2000mで行われていたが、JRAGI昇格に伴い1200mに短縮し春のスプリント王決定戦へ変更したことから、春のGI級戦線の終盤戦へ開催時期を変更(なお、現在はマイル路線を含む短距離の総合的ローテーション確立のため3月最終週へ変更。)。
    • 宝塚記念等の主要重賞レースへ3歳馬(2000年までは数え4歳)の出走を促すため、ローテーションの確保。
      日本ダービーから宝塚記念まで旧来は中1週しか空いていなかったが、1996年(平成8年)当時は中1か月程度になった。しかし夏季を休養に当てる3歳馬を含む主力馬の出走がより困難となるため、2000年(平成12年)、再度日程を見直し6月最終週へ変更。
    • 関東・関西とも6月中旬~9月初旬に3か月間連続のローカル開催より、7月初旬まで4大競馬場(主場)開催を確保し、売り上げ金額増大を図る。
  • 2008年9月14日以後、施設閉鎖により馬場内への入場ができなくなった。
  • 2009年12月5日の第5回阪神開催から、ハイビジョン対応2面マルチターフビジョンで映像提供を開始した[10]
  • 2009年12月26日に行われた第3競走に於いて、1着に6番人気のケイエスケイト、2着に9番人気のテイエムキングダム、3着に17番人気のアスカトップレディとなった。これにより3連単の配当金額が11,849,250円(4896通り中3300番人気)となり、この配当金額は阪神競馬史上歴代1位、3連単としてはJRA歴代3位の高配当を記録した。また、同競走の3連複の配当金額が1,774,500円(816通り中605番人気)となり、3連複の阪神競馬史上1位、JRA歴代6位の高配当を記録した。
  • 2012年(平成24年)からは、中京競馬場のリニューアルオープンに伴い、関西主場の春季から夏季競馬の開催日割が変更されるに伴い、夏の第3回開催は3回京都開催の延長と2回中京開催とのスケジュールを入れ替えた上で2011年同様安田記念開催週から始まる6月1か月の開催に正式に変更となる(ただし2011年は春季と夏季の番組編成切り替えの都合上、前半が第3回開催、後半が第4回開催とそれぞれ2週ずつの各4日間の別開催となったところ2012年からは夏季競馬のスタート繰り上げに伴い8日間通して第3回開催の1開催となる)。
  • ファンサービスの一環として日没が遅くなる2007年の夏季開催(6-7月)で「準薄暮開催」を試行。第1競走を午前10:20か10:30、最終を16:40か16:50にそれぞれずらした。2009年から正式に「阪神薄暮」として開催。また加えて2008年から9-10月、2009年から3-4月の開催も「準薄暮」となった。ただし、2011年東日本大震災のため、中山競馬場で予定された重賞競走が阪神に代替されたため、1日2つの特別競走を開催したため、この間は準薄暮(発走時刻は繰り上げ)としたが、その年の夏季・秋季の開催は震災による電力事情を鑑みて薄暮・準薄暮は見合わせた。2012年以後も同様の理由で準薄暮は実施しない。

場内の施設

スタンド

1991年(平成3年)に改修された6階建てで、4階から6階は指定席となっており、2階から6階にかけては前面ガラス張りの冷暖房完備となっている。中央コンコースを挟んで東と西に分割されている。

  • Sラウンジ(スーパービューラウンジ)
    スタンド6階 288席禁煙 3,300円(一般入場料別) JRAカードによるインターネット予約にて発売
  • Aシート(アペックスシート)
    スタンド4階 1134席禁煙 2,300円(一般入場料別) JRAカードによるインターネット予約にて発売
    • 2009年の第4回阪神競馬開催期間中は、イベント招待席として100席使用するため、1034席の販売となる[15]
  • Bシート(ボナンザシート)
    スタンド4階 560席禁煙 2,000円(一般入場料込) 当日先着順にて発売
  • Cシート[16](2013年9月7日【第4回阪神競馬第1日】より新設予定。Bシートから降格)
    スタンド5階 680席禁煙 1,300円(一般入場料別) JRAカードによるインターネット予約にて発売
    スタンド4階 574席禁煙 1,500円(一般入場料込) 当日先着順にて発売
    2013年第4回阪神競馬開催日は、JRAカード予約分は800円(一般入場料別)、当日発売分は1,000円(一般入場料込)で利用できる予定[17]

当日発売の指定席は開門前から発売される(ただし一般入場者整理に伴い、開門約30分前から開門時刻までは発売中断)ため、開門前から各指定席エリアに入ることが出来る。ただし、開門時刻後まで各指定席エリアを出ることは出来ない。

  • 車椅子専用指定席(5階Cシート内 4席禁煙 1,300円<一般入場料別 同伴者は1名まで無料> 当日先着順にて発売)

車椅子で観戦できる一般スペースは、東・西ウイング3階と、東ウイング2階にある。

シルバーシートがある。満65歳以上が対象。東ウイング3階に216席、東ウイング2階に138席(ともに禁煙)があり、利用するには年齢を証明出来るものが必要となる。

ATM

1Fコンコース横にはりそな銀行現金自動預け払い機(ATM)が設置されており[注 4]、りそな銀行、埼玉りそな銀行近畿大阪銀行のキャッシュカードでは終日(運用時間は競馬開催時の9:00~17:00)手数料無料で入出金ができる。

場内ミニFM

場内ではミニFM放送で各放送局の音声を送信している。周波数は以下のとおり。

パドック

パドックを観覧する場所の上を覆うように阪神競馬場特有の屋根がついており、雨天でも傘を差さずに観覧できる。ワールドスーパージョッキーズシリーズの表彰式や、トークショーなどもここで行われる。

セントウル像

スタンドの東にあるセントウルガーデンのセントウル像があり、阪神競馬場のシンボル的存在となっている。グリーンチャンネルの競馬中継で阪神競馬場を表すアイコンにもなっている。また、当競馬場で施行される重賞のセントウルステークスはこれにちなんだものである。

ホースレースiスポット(2012年12月24日 営業終了)

東ウイング1階にあった。席数は26席で、利用料は500円(入場料別)。各席にノートパソコンが設置されており、インターネットが使い放題になっているため、JRA-VAN NEXTなど、各種競馬情報を得ることが出来た。

「宝塚競馬場」

宝塚市は競馬ブーム以降、「『阪神』では地名が分からない。だから『宝塚』に変えてもらいたい」と、阪神競馬場を「宝塚競馬場」に改名してもらおうという陳情をJRAに再三にわたって行っている。しかしながら「歴史」にもあるように、ルーツは鳴尾の阪神競馬場であり、競馬法上ではこの阪神競馬場が場所を移転して存続しているので、JRAがこの陳情に対し真剣に検討したことはない。宝塚市側では諦めきれず、市のホームページや、市で発行する広報紙や公文書等で「宝塚競馬場」と表記し、市内の道路標識での表記や阪急今津線仁川駅の副駅名も「宝塚(阪神)競馬場」にしている。

しかしながら、すでに「宝塚」の名を冠している「宝塚記念」があり、通称として『阪神』あるいは『仁川』がファンに定着している。

また、年末に開催される「有馬記念(秋のグランプリ 中山競馬場)」について、名前に「有馬」が付いているので、神戸市有馬温泉に地理的に近いため、「阪神で有馬記念を行っている」と誤解を招くことが多いが、この有馬は日本中央競馬会第2代理事長である有馬頼寧の業績をたたえたものであり、有馬が「東京競馬場で日本ダービーを開催しているのに対抗して中山でも看板となる大競走の開催を」と提案したことによるものであるため、有馬温泉とは一切関係がなく、中山の改修による代替が発生しない限りは阪神競馬場で有馬記念を開催する予定も現段階ではない。また混乱を招く恐れがあるため、阪神競馬場の特別競走で「有馬」または「有馬温泉」の冠を付けた特別競走を行うことができない状態にもなっている。

主な競走

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特別競走

主な誘導馬

現役馬
引退馬

主な元所属調教師

かつては、阪神競馬場に調教師が所属し、競馬場で調教を行っていたが、1969年栗東トレーニングセンターが開設されたのに伴い、中京競馬場の所属調教師に続き、11月に移動を完了した。1969年時点で阪神競馬場に所属していた調教師は以下の通り[18]

レコードタイム

出典:JRA公式サイト 中央競馬レコードタイム 阪神競馬場

  • †は基準タイム。
  • 2013年9月14日終了現在

芝コース(2歳)

距離 タイム 競走馬 性別 斤量 騎手 記録年月日
1200m 1:08.6 エイムアットビップ 54kg 福永祐一 2007年9月22日
1400m 1:21.1 ゴールデンキャスト 54kg 武豊 2002年9月28日
1600m 1:33.1† ウオッカ 54kg 四位洋文 2006年12月3日
1800m 1:46.6 サンダラス 54kg 松田大作 2013年9月14日
2000m 2:00.8 アグネスタキオン 54kg 河内洋 2000年12月23日

芝コース(3歳以上)

距離 タイム 競走馬 性齢 斤量 騎手 記録年月日
1200m 1:07.1 ビリーヴ 牝4 54kg 岩田康誠 2002年9月8日
1400m 1:19.9 サクラバクシンオー 牡5 59kg 小島太 1994年10月29日
1600m 1:32.0 マイネルポライト 牡4 57kg 角田晃一 2007年6月16日
1800m 1:44.5 カレンミロティック 騙5 57kg 池添謙一 2013年6月2日
2000m 1:57.8 ヒルノダムール 牡4 57kg 藤田伸二 2011年4月3日
2200m 2:10.1 アーネストリー 牡6 58kg 佐藤哲三 2011年6月26日
2400m 2:24.2 イコピコ 牡3 56kg 四位洋文 2009年9月27日
3000m 3:02.5 ナリタトップロード 牡5 59kg 渡辺薫彦 2001年3月18日

ダートコース(2歳)

距離 タイム 競走馬 性別 斤量 騎手 記録年月日
1200m 1:11.0 マイネラロンハ 51kg 船曳文士 2007年12月22日
1400m 1:23.5 ラヴェリータ 54kg 四位洋文 2008年12月6日
1800m 1:50.9 タガノギャラクシー 55kg 小牧太 2012年12月22日

ダートコース(3歳以上)

距離 タイム 競走馬 性齢 斤量 騎手 記録年月日
1200m 1:08.8 スイートジュエリー 牝5 55kg 川田将雅 2013年9月8日
1400m 1:21.5 インオラリオ 牡7 56kg 浜中俊 2012年3月31日
1800m 1:48.5 サカラート 牡4 54kg 武豊 2004年7月10日
2000m 2:01.0 ワンダースピード 牡5 58kg 小牧太 2007年12月23日

障害

距離 タイム 競走馬 性齢 斤量 騎手 記録年月日
芝3140m 3:24.8 オースミムーン 牡4 60kg 高田潤 2013年9月14日
芝3800m 4:18.1† ファイブポインター 牡4 59kg 岡冨俊一 1999年3月14日
芝3900m 4:19.8 ダンシングターナー 牡6 60kg 熊沢重文 2001年3月10日
ダ2970m 3:15.7 パルティアシチー 牡4 60kg 南井大志 2007年9月22日
ダ3110m 3:25.0 バトルブレーヴ 牡6 61kg 菊地昇吾 2008年7月5日

以前行われていたコース

距離 タイム 競走馬 性齢 斤量 騎手 記録年月日
芝1600m 1:34.6 メジロドーベル 牝2 53kg 吉田豊 1996年12月1日
芝1600m 1:31.9 ローエングリン 牡4 58kg 後藤浩輝 2003年4月19日
芝2500m 2:30.4 カミノマジック 牡5 56kg 菊沢隆仁 1996年6月15日
芝3200m 3:22.6† ビワハヤヒデ 牡4 58kg 岡部幸雄 1994年4月24日
障芝3170m 3:27.4 ミレニアムスズカ 牡4 60kg 北沢伸也 2002年9月14日
障ダ3000m 3:16.3 スーパーシーザー 牡5 60kg 菊地昇吾 2002年4月6日
障ダ3140m 3:26.4 トウケイカントリー 牡4 60kg 今村康成 2005年3月20日
  • 芝1600mは、現在の内回りコースを使用していたもの
  • 芝3200mは、現在の内回りコースを2周していたもの(現在の3200mは外回り→内回り)
  • 1991年11月30日~2006年4月16日に行われ、現在は存在しないコースで掲載

脚注

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出典

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参考文献

  • 「日本中央競馬会10年史」(日本中央競馬会、1965年)
  • 「日本競馬史・巻六・巻七」(日本中央競馬会)
  • 「阪神競馬場50年史」(日本中央競馬会阪神競馬場、1999年)

外部リンク

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  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 阪神競馬場(コース紹介) - 日本中央競馬会、2014年7月21日閲覧
  2. 2.0 2.1 2.2 テンプレート:PDFLink - 日本中央競馬会、2014年7月21日閲覧
  3. 「日本競馬史・巻六(p526-p541)及び巻七(p778-p779)」
  4. 「日本競馬史・巻七」(p779-p794)
  5. 「日本競馬史・巻七」(p797-p798)
  6. 「日本競馬史・巻七」(p804)
  7. 「日本競馬史・巻七」(p804-p811)
  8. 「阪神競馬場50年史」p44
  9. 「阪神競馬場50年史」p44-p58
  10. 阪神競馬場に新ターフビジョン!JRAホームページ 2009年6月29日
  11. 3月27日(日)までの中山競馬の開催中止についてJRAホームページ 2011年3月15日
  12. 阪神競馬【3月26日(土)・27日(日)】の番組変更JRAホームページ 2011年3月16日
  13. 第3回中山競馬および第1回福島競馬の開催中止についてJRAホームページ 2011年3月22日
  14. 第2回阪神競馬および第2回小倉競馬の競馬番組変更についてJRAホームページ 2011年3月23日
  15. JRAカード予約指定席の席数変更【阪神競馬場】 JRAホームページ 2009年8月15日
  16. お求めやすい新指定席「Cシート」をご利用ください!【阪神競馬場】 JRAホームページ 2013年8月18日
  17. 新指定席「Cシート」お試しキャンペーン!【阪神競馬場】 JRAホームページ 2013年8月21日
  18. 週刊競馬ブック 1969年1月4・5日号。


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