鳴尾競馬場

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:競馬場 鳴尾競馬場(なるおけいばじょう)は、兵庫県西宮市南部(当時は武庫郡鳴尾村)にあった競馬場1907年明治40年)に創建された関西初の競馬場であった。

概要

創建当初は関西競馬倶楽部による開催で名称は鳴尾西浜競馬場であった。また鳴尾川を挟んで鳴尾速歩競馬会による鳴尾速歩競馬場もあったが、1910年明治43年)5月16日に馬政長官から鳴尾速歩競馬会を関西競馬倶楽部に合同するよう命令を受けたのに伴い、両倶楽部は統合し阪神競馬倶楽部に改称し、鳴尾速歩競馬場は廃止され、鳴尾西浜競馬場は鳴尾競馬場に改称された。

阪神電鉄鳴尾駅から南へ、競馬場へ進んで行く道は「西競馬道」と呼ばれ、当時は予想屋や物売りでごったかえす道であった。別名「オケラ街道」ともいった。スッカラカンになって帰るところからその名を付けられたと思われる。

当時の馬場は、横浜競馬場のコース形状に似た1周1800メートルで、障害コースは無く、レース時には置障害を使用していた。スタンドは当初木造だったが、1935年昭和10年)に鉄筋コンクリート6階建ての大スタンドが完成した。

1937年(昭和12年)には阪神競馬倶楽部日本競馬会に統合され、「鳴尾競馬場」から「阪神競馬場」へと名称を変更した。

戦争の拡大にともない、競馬場は1943年(昭和18年)に軍に接収され、川西航空機の飛行場(鳴尾飛行場)として利用された。ちなみに鳴尾で行われた最終レースは、同年4月の春季競馬だった。そして1949年(昭和24年)には仁川の軍需工場跡地に新たに競馬場を完成させ、阪神競馬場の名称を引き継がせた。

現在の阪神競馬場で開催される重賞競走である鳴尾記念は、この鳴尾競馬場にちなんでいる。

なお飛行場となった後も大スタンドの正面玄関部分は残され、管制塔として使用されていた。終戦後はアメリカ軍が接収していたが、1957年(昭和32年)に接収が解除され周辺は浜甲子園団地や西宮市立西宮東高等学校武庫川女子大学薬学部)、武庫川女子大学附属中学校・高等学校として再開発された。

残されていた大スタンドの正面玄関部分は武庫川女子大学附属中学校・高等学校の特別教室として利用されていたが、2004年平成16年)、文化財として保護されることが決定、建設当時に忠実な復元が行われ、「芸術館」と名付けられた。馬主休憩室として使用されていた部屋は、PTAの会議室として使用されている[1]

脚註

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関連項目

外部リンク

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  1. 空から日本を見てみよう』(テレビ東京 2010年3月4日放送)