後藤浩輝
テンプレート:Otheruseslist テンプレート:騎手 後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手。またテレビでの芸能活動のためオスカープロモーションにも所属。現在の妻はタレントの湯原麻利絵[1]。
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[非表示]経歴
1992年に美浦の伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー。初騎乗は1992年3月1日、中山競馬第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった。初勝利は同年4月4日の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった。
1994年の福島記念にて騎乗したシルクグレイッシュで重賞初勝利。同馬は先輩である小野次郎が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの負担重量で騎乗できる一流騎手が空いていなかったためである。大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。
1995年にフリーの騎手となる。翌1996年にはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市カルダー競馬場を拠点に半年間の武者修行に出て、158戦7勝の成績を残す。アメリカから帰国した1997年以降は成績を伸ばし、1998年には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)。
1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ[2]、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる前代未聞の不祥事を起こした。JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり[2]、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった[3]。12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間(実効6日間)の騎乗停止処分を受ける。
翌2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。関東リーディングは2位、また初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たす。ちなみにダイヤモンドステークスでユーセイトップランに騎乗して東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である。ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。
2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利。このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスでマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。2006年11月25日、ジャパンカップダートでアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。
2007年、9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった。
2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。
2011年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた。
2012年5月6日、シゲルスダチに騎乗したNHKマイルカップにて、最後の直線コースでマウントシャスタが内側へ急激に斜行した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院にて「頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷」と診断された[4]。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが[5]、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた[6]ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する[7]。その後しばらく復帰の目処が立たず、『ウイニング競馬』(テレビ東京)や『みんなのKEIBA』(フジテレビ)のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。
2013年10月5日に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、10月14日に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯でエスポワールシチーに騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした。
しかし2014年4月27日の東京競馬第10競走にて、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い休養を余儀なくされる。
人物
- 騎乗時の帽子の紐は白を使用。
- 少年時代に空手や体操を習っていて、それらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。
- 騎手の場合、親や親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全く「コネクション」(縁故)はなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。
- レース後の勝利インタビューにはさまざまな小ネタを披露している
- 2002年のダイヤモンドステークスを制したときには、テレビの通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。しかし「宣伝ではないか?」とJRA上層部から注意を受けたとのちに語っている。
- アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答えた。
- アクティブバイオに騎乗しマンハッタンカフェを破った日経賞では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えている。
- 2004年の有馬記念で、勝利したゼンノロブロイに騎乗したオリビエ・ペリエが、その年の流行語である「チョー気持ちいい」(北島康介)と勝利騎手インタビュー中に語ったが、これは後藤が教えたものである。
- 渡辺美奈代の大ファンで、中学時代は親衛隊に入っていた。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っているとのこと。
- ホワイトベッセルに騎乗したとき、女性のファンから“白馬の王子様”と言う声援もありましたよと記者に聞かされると「僕は腹黒いから似合わないですね」とジョークを飛ばしたという。
- 減量騎手時代、『さんまのナンでもダービー』でポニーにちょんまげの格好で乗り、落馬をしたことがある。
- レース終了後のイベントに力を入れている。後藤がイベントに参加する際には「日本騎手クラブ ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多い(ただし実際にそのような委員会が存在するかは不明)。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。
- 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
当日行われた毎日王冠終了後、当日東京競馬場で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであったボブ・サップも参加した。4組は、ハゲ・おさげなどのカツラで分けていた。後藤とともに、VTR収録で西田雄一郎騎手が活躍した。 - 2006年5月または6月頃に実施(2回東京、3回東京):後藤浩輝プロデューストークショー
毎週2、3名の騎手を呼んでトークを行った。彼らに絵を描かせる企画もあった。 - 2009年12月27日、2010年12月26日:『Dream Climax グランドフィナーレ ジョッキートーク感謝祭 2009』、『ジョッキー忘年会』
- 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
- 毎年有馬記念当日にフィナーレを飾るイベントが行われるが、2009年・2010年は後藤プロデュースによるものだった。中山競馬場のパドックの中央にこたつを置き、参加者全員どてらを着て日本酒やビール(サッポロビール黒ラベル有馬記念缶)を飲みながら騎手がトークするものだった。
- 2009年の参加者は池添謙一、武豊、内田博幸、三浦皇成、鈴木淑子、井崎脩五郎であり、特に三浦は約1週間前の12月19日に20歳の誕生日を迎えたばかりで、公の場で初めての飲酒となった。
- 2010年の参加者はミルコ・デムーロ、横山典弘、内田博幸、福永祐一、池添謙一、鈴木淑子、井崎脩五郎であった。武豊も参加予定であったが、当日騎乗予定だった有馬記念のローズキングダムが疝痛で出走を取り消し、当日は5Rで騎乗が終了してしまった為、後藤への置き手紙を残して不参加となった。
- 『ザ!世界仰天ニュース』にゲスト出演した際、自宅に騎乗練習用の木馬を持っていることを明かした。その木馬には「ジェニファー」と名づけている。
- 2007年9月12日に千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズの試合開始前に始球式を行った。背番号510番のロッテのホームユニフォームと下半身に白鳥を装着し投球を行った(イメージとしては志村けんの東村山音頭の格好)。
- 仲の良い騎手は福永祐一、吉田隼人。特に隼人とは競馬ファン向けのイベントに一緒に出演したことがあるぐらいの仲である[8]。
- 2009年フジテレビ系の『みんなのケイバ』でも同年の抱負として「若い芽を潰す」というスローガンを残している。これは三浦皇成や松岡正海らの台頭に危機感を抱いての発言であるとされている[9]。
- 2010年10月7日から2011年10月28日までtwitterをやっていた。競馬開催日(主に土曜・日曜)以外でもファンから寄せられる質問に返信したりと頻繁に更新していた。
不祥事・トラブル
- 1999年5月4日、新潟県営競馬の豊栄記念の競走終了後(騎乗馬カツノリズム、11頭中3番人気4着)、検量室内に侵入した観客の中年男性にいきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と怒鳴りつけられ、殴り掛かられた。観客は取り押さえられ競馬場より退場され、一切の入場禁止となった。
- 1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、いわゆる「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は#経歴を参照)。
- 2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。アサヒウイニングを管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。
- 2006年5月14日、東京競馬場のヴィクトリアマイル終了後の検量室前で、激昂した調教師の谷原義明から、手にしていたレーシングプログラムで背中を叩かれた。この競走では谷原が管理するオーゴンサンデーに騎乗したが(18頭中15番人気13着、優勝馬とは1.0秒差)、「後方から追い込みの競馬をするように」という師の指示を破り、レース途中から仕掛ける騎乗をしたためと言われている。
- 2008年3月1日、アーリントンカップにおいて、休み明けのお手馬アポロドルチェ(12頭中3番人気、堀井雅広厩舎所属)に騎乗し優勝馬から0.8秒差の9着に敗れた。レース後に「まだ走れる状態ではありません」とコメント。微妙なニュアンスながら陣営批判と判断され、以降、同馬には一度も騎乗していない。
この様に他者を巻き込んだり他者に巻き込まれるトラブルや舌禍の影が付きまとう一面を持ち合わせている。特に「木刀事件」は凶器で暴行し相手を一方的に負傷させ騎乗変更を発生させるという、競走の公正確保をも揺るがす[10]重大な不祥事として競馬界全般に大変な衝撃を与えた出来事であった。これで付いたダーティーなイメージは長期に渡って払拭できず、これ以降の後藤自身の騎乗馬の質・数量両面への影響なども含めて、様々な意味で後々まで尾を引き続けることになってしまっている。 2012年、NHKマイルカップの最後の直線で岩田騎手騎乗のマウントシャスタ号に接触し、重傷を負った。2年後の2014年にも同じ東京開催で岩田騎手の馬に接触し落馬している。
騎乗成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1992年3月1日 | 2回中山2日1R | 4歳未勝利 | エンシュードラゴン | 16頭 | 3 | 6着 |
初勝利 | 1992年4月4日 | 3回中山3日4R | 4歳未勝利 | タイガーリリー | 13頭 | 11 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1993年2月21日 | 1回小倉8日11R | 小倉大賞典 | オシバナ | 16頭 | 11 | 15着 |
重賞初勝利 | 1994年11月20日 | 3回福島8日11R | 福島記念 | シルクグレイッシュ | 14頭 | 10 | 1着 |
GI初騎乗 | 1997年5月11日 | 2回東京8日11R | NHKマイルカップ | タイキギャラクシー | 18頭 | 10 | 16着 |
GI初勝利 | 2002年6月2日 | 4回東京6日11R | 安田記念 | アドマイヤコジーン | 18頭 | 7 | 1着 |
年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | 12 | 11 | 14 | 181 | .066 | .127 | .204 |
1993年 | 19 | 30 | 20 | 274 | .069 | .179 | .252 |
1994年 | 14 | 15 | 16 | 219 | .064 | .132 | .205 |
1995年 | 21 | 32 | 29 | 332 | .063 | .160 | .247 |
1996年 | 6 | 13 | 11 | 155 | .039 | .123 | .194 |
1997年 | 46 | 54 | 32 | 475 | .097 | .211 | .278 |
1998年 | 63 | 52 | 74 | 649 | .097 | .177 | .291 |
1999年 | 61 | 59 | 51 | 478 | .128 | .251 | .358 |
2000年 | 101 | 86 | 69 | 727 | .139 | .257 | .352 |
2001年 | 94 | 83 | 70 | 749 | .126 | .236 | .330 |
2002年 | 81 | 73 | 74 | 644 | .126 | .239 | .354 |
2003年 | 82 | 86 | 62 | 670 | .122 | .251 | .343 |
2004年 | 101 | 98 | 74 | 812 | .124 | .245 | .336 |
2005年 | 87 | 103 | 68 | 730 | .119 | .260 | .353 |
2006年 | 107 | 83 | 85 | 832 | .129 | .228 | .331 |
2007年 | 116 | 102 | 74 | 858 | .135 | .254 | .340 |
2008年 | 107 | 88 | 84 | 819 | .131 | .238 | .341 |
2009年 | 74 | 87 | 82 | 839 | .088 | .192 | .290 |
2010年 | 95 | 80 | 81 | 804 | .118 | .218 | .318 |
2011年 | 62 | 70 | 60 | 679 | .091 | .194 | .283 |
中央 | 1349 | 1305 | 1130 | 11926 | .113 | .223 | .317 |
地方 | 63 | 64 | 59 | 482 | .131 | .263 | .386 |
主な騎乗馬
※ GI級競走優勝馬のみ記載。
- ゴールドティアラ(2000年マイルチャンピオンシップ南部杯)
- アドマイヤコジーン(2002年安田記念)
- マイネルレコルト(2004年朝日杯フューチュリティステークス)
- アロンダイト(2006年ジャパンカップダート)
- ショウワモダン(2010年安田記念)
- エリンコート(2011年優駿牝馬)
- エスポワールシチー(2013年マイルチャンピオンシップ南部杯、JBCスプリント)
マスメディア出演
テレビ
- ジャンクSPORTS(フジテレビ)
- うまなりクン(フジテレビ)
- うまなで(フジテレビ)
- みんなのウマ倶楽部(フジレテビ)
- さんまのSUPERからくりTV(TBS)
- クイズミリオネア(フジテレビ) - 武豊が挑戦時にテレフォンで出演。
- 踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
- ザ!世界仰天ニュース(日本テレビ)
- スポンジ~世界で学んできたこと(テレビ東京)
- ウイニング競馬(テレビ東京) - 2012年の落馬負傷後、解説者として不定期に出演
- みんなのKEIBA(フジテレビ) - 2012年の落馬負傷後、解説者として不定期に出演
- トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(フジテレビ)
CM
出版物
ディスコグラフィ
1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー。曲はテレビ東京『土曜競馬中継』のエンディングテーマに採用された。同年8月には田中勝春、松永幹夫、蛯名正義、藤田伸二、四位洋文と「J6」なるユニットで「Destination」(作詞:大江千里、作曲:井上大輔)を歌った。
シングル
- 遥かな君に
- 虹色の風で
- 遥かな君に
- Destination(テイチク)
コラム
脚注
関連項目
- 中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧
- 小野寺祐太 - 弟弟子。ただし後藤と同時に所属した時期はない。
外部リンク
テンプレート:オスカープロモーション- 元の位置に戻る ↑ 後藤騎手結婚、都内で結婚披露パーティー サンケイスポーツ 2010年5月11日閲覧
- ↑ 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 『日刊スポーツ』1999年8月21日付24頁「中央競馬 後藤浩輝騎手が同僚の吉田豊騎手に対し暴行 今日から騎乗停止に」
- 元の位置に戻る ↑ ニュースぷらざ「後藤騎手4カ月の騎乗停止処分」(競馬道Online競馬ブックコーナー)
- 元の位置に戻る ↑ 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第6日(5月6日(日))(JRAニュース)
- 元の位置に戻る ↑ 後藤騎手、4ヶ月ぶりに戦列復帰 (netkeiba.comニュース)
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite news
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite news
- 元の位置に戻る ↑ JRA騎手ディナー&トークショーなど。
- 元の位置に戻る ↑ 競馬最強の法則2011年7月号
- 元の位置に戻る ↑ 処分理由として日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号が適用されており、これは「競馬の公正確保について業務上の注意義務を負う者として相応しくない非行のあった者」という事由である。